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2013/01/30(水)
★今年も旅立ちます。













西生寺で数日を過ごし、北海道でスノボーを満喫した大学生の甥っ子。初めて日本の冬に来日し、2週間の滞在を終えて元気にフランスへ帰国して行きました。(ちなみにフランスでよく行くスキー場はピレネーだそうです)試験休みぎりぎりいっぱいに旅行の日程を入れたので、28日の朝、パリに到着したらそのまんまの姿形で大学に直行するそう。(若いって素晴らしい)

雪の降る閉鎖的な冬もなかなか気に入ったようで、特に我が家の1月限定の朝ごはん牘杆紊了┝儉爐砲瓩舛磴ちゃハマったようです。

「これ完全に中毒になるよ。毎日どんどん旨くなる。ヤバイね、また来年(食べに)来るしかないでしょ、よーし、フランスの弟に思いっきり自慢してやるぞ−」と語っていました。

そうそう本人によると「残念だけど、朝はあまり食欲がないんだよねー」と私は10個と予想していた爐もちの数爐楼娚阿半なめの6個でした。「でも次は胃を訓練して8個は食べたい」と言っていました。(フランスでは朝ごはんは、コーヒーにシリアルとかフルーツなどで軽く済ませるのだそう)

こうして甥っ子の旅は終わり、正月からこれまでのあいだ一切の外出をせず、訪問者もまばらな西生寺にじっと身を潜めるようにして暮らしてきた私にもいよいよ一年に一度の犹篌身が旅人となる季節爐巡ってきました。(タイトルを見て「この人またか」と思った方は爐てら通信読者爐箸靴徳蠹に年季が入っていることを保証します)

また今年も寒い日本を脱出して南国へ。タイを中心に一カ月半の自由旅に出ます(2月いっぱいは一人旅、3月からは夫婦旅)。心身の充電期間と言うべきか、エネルギー放出期間と言うべきか(きっと両方)とにかくやめられません。

爐笋襪戮事をしっかりやってやりたい事もしっかりやる爐箸いΔ里寺庭婦人の私の生き方。こういう環境に置いてくれている家族や夫に感謝して今年も元気良く脱日本します。

園子ママたちの前でも狠出の喜び爐鯀瓦隠さない私に、園子ママは「まったくうちの嫁子(よめご)はすごい嫁子じゃ、遠慮のない困った嫁子じゃ」と大きな声で一生懸命ぼやいていますが「まあまあ、あとはよろしくネ」とどこ吹く風の私。
(ひとりで数週間も脱日本してしまう私のような寺庭婦人は滅多にいないと思います)

しかし、飼い始めて3ヶ月が過ぎた我が家の飼い猫タビー(メス1歳ちょっと)にとっては試練の一カ月半が始まりました。

今、タビーはお寺にいません。なぜなら一足先に「ペットホテル」に預けたからです。

ペットホテル利用は初めてです。夫は西生寺に居たり居なかったりがまだしばらく続き、お父さん&園子ママも高齢化してネコの世話は出来ないのでどこかに預けるほか選択の余地はなく、タビーかかりつけの動物病院がペットホテルもやっていると知り、タビーを預けることにしました。

わけのわからない初めてのペットホテルではなく、タビーの事をよく知っているアットホームな雰囲気の動物病院で、信頼のおける先生(独立開業2年ちょっとでとっても張り切っている、学会と研修好きな先生)のもと、好感度大のスタッフの女の子達が世話をしてくれるとのことで、少しだけ私の不安や罪悪感も薄らぎます。

私にとってはおよそ4週間ぶりとなる外出解禁日となった猴造韻詁爐裡横呼。この日は新潟市内の兼務するお寺「弘願寺」の初不動の日です。お寺に行く前に病院に寄ってタビーを預けます。病院から言われていた犹参するモノ爐い蹐い蹐入ったバックと、連れて行かれるとも知らず開いたバスケットの中で楽しそうに遊んでいるタビーにそのまま蓋(ふた)をして夫の運転で積雪の道を急ぎました。

ちなみに準備したものはこんなモノです。

タビーの食事&トイレなどの生活習慣や、性格、好きな事などを手書きした「タビーメモ」、長期ということでお腹を壊さないようにいつも食べているカリカリとまたたび入りのおやつ、私と自分の匂いがたっぷりついたお気に入りのドーナツ型クッション、ねずみのおもちゃ一個、ねこじゃらし一本、小さなアルパカ人形一個、以上。

「一か月半もお寺を離れるのにタビーの私物ってたったこれだけなんだ…」
あまりの爐呂なさ爐砲覆鵑世急にしんみり。

病院に到着後、手続きをしていよいよお別れ。
「バイバイ、タビーちん」

弘願寺へ急がなければならないからか、意外となんの感傷もなくあっさりとした別れ。
むしろ夜、家に帰ってきた時、部屋にタビーがいなくて食べ残しのカリカリが入ったお皿がぽつんと床に置かれているのを見た時にちょっとぐっときてしまいました。

一カ月半ものあいだ一度も私に会わないと、タビーは私を忘れてしまうのかしら?
覚えていてもしばらくよそよそしかったりふてくされたりしちゃうのかしら?
周りに聞いてもそんなに長期間ペットと離れた経験を持つ人はやっぱりいない。

自由で甘え放題、ニャーンと鳴けばエサがもらえる西生寺での暮らしの対極であろう犂靴譴覆ぅ押璽犬任諒襪蕕鍬爐法▲好肇譽垢猫犒磴笋鮫爐箸牘澤礎μ哭爐箸になっちゃうのかな? 激やせするくらいなら激太りの方がまだいいなあ。

3月、お彼岸前に帰国して、タビーを迎えに行く日を考えると今から心臓がドキドキしちゃいます。

今、これを書いていて「それでも私は旅に出るのだ!!」と、自分自身の猴匹襪ぬ気持ち爐鬚△蕕燭瓩特里蠅泙靴拭思えば「ネコがかわいそうだから旅をやめよう」とは一度も思わなかった私。しかも実は爛優海僚蒜饌絖爐里曚Δ犹笋里劼箸衫垢僚蒜饌絖爐茲蟾發い里任后張灰譴辰討匹思いますか(笑)

というわけで皆さん、寺庭のわたくしですがしばらくお寺を留守にします。
この間、毎年ながら「おてら通信」はお休みします(寺庭婦人もしばらくお休み?)。
また、3月のお彼岸すぎに「旅報告」を兼ねた「てら通」でお会いしましょう。
それでは、行って参ります。


※画像左…何も知らず最大限にくつろぐタビー
私のひざの上で最大限というより無限大にくつろいでいます。お腹がうっすらとピンク色っぽいのは、不妊手術の時に毛を丸剃りにされたなごりです。タビーちん、再会してからも私のひざの上に乗ってこんな風にまたくつろいでくれるのかなあ(涙)。

※画像右…何も知らず大好きなNHK「ダーウィンが来た!」を観るタビー
夢中で観ているうちに今日も終わってしまいました。どうやら猫とか鳥の映像が好きらしい。岩合さんのネコ特集と、ワイルドライフと、このダーウィンが来た!と、タビー用に録画した番組が3本ありましてそれを毎日見せています。同じ番組なのにちっとも飽きる様子がないところがネコの脳ミソなのか?(ナレーションとかこっちが飽き飽きしてしまった)


【おまけ話 曄Д織い任呂寺参り三昧!
タイは子供からお年寄りまで毎日の暮らしに普通に仏教や独自の神さま信仰が溶け込んでいる国です。お寺も多くみなさん基本的に私と同じ仏教徒なのでなんだか落ち着きます。タイに滞在すると日本にいる以上にお寺参りばっかりしています。道を歩けば必ずお寺に出くわすので吸い込まれるように境内に足が向かい、がらんと広い本堂に入り、御本尊さまをお参りすると心の垢(あか)が落ちるというか、とってもすがすがしい気持ちになります。

22年間数えきれないくらいタイに行っていますので、タイ国内各地にお気に入りのお寺や祠、御本尊さまがいて「お陰さまでまたお会いできましたねー」みたいな猜さまとの再会爐睥垢粒擇靴澆里劼箸弔任后F本仏教では建立された時代や宗派によって建造物などに違いがありますが、タイは地方ごとに歴史上影響を受けた国や王朝によってお堂の造り(様式)や仏さまのスタイルが全く違うので、そういうところがとってもとっても興味深く、訪れる先々でのお寺参りがやめられないのです。

また爐寺側の人間爐箸靴董興味や観察も尽きません。「仏旗も仏さまや僧侶の衣もローソクもみーんな黄色いもくらん色で華やかだなあ」とか「正座じゃなくてお姉さん座りなのはしびれなくていいかも」とか、木の棒に葉っぱのようにふさふさと寄付のお札を挟んだ「お札のツリー」、電動ベルトコンベアー式や、ずらーっと並んだアルミカップに1バーツを次々と入れていくなどの数々のユニークな「お賽銭システム」とか、幅の広い黄色い布に願い事を書いて巻々していって巨大な巻物にした「願い事巻物」とか(一時導入を検討した(笑))、同じ仏教でもかなり違う部分が多いのでおもしろいです。もちろん日本以外は妻帯は禁止なので寺庭婦人は存在しません。


【おまけ話◆曄日タイ意外なおみやげ−私情報−
バンコクに住むタイ人へのおみやげは、成田空港でも売っているあの超有名北海道土産「白い恋人」がおすすめです。バンコク市内の高級デパートに輸入された「白い恋人」の対面販売コーナーがあり、日本で9枚630円のやつが540バーツ(約1600円)、18枚940円のやつがなんと880バーツ(約2600円)で売られているからです。「白い恋人」はタイでは狡狭盖蕾杙勠爐覆里任后K楾颪惶国するため成田空港でだっくらしているタイ人の方にもおすすめしたいです(タイ人の買う日本土産は相変わらず日清カップヌードルが人気で(特にシーフード味)、箱買いしてる人を多く見かけます)。

逆に、私がここ4年くらい旅の最終地をバンコクにしてわざわざ買って帰る夫へのおみやげがあります。魚卵好きな夫の大好物「からすみ」です。駐在日本人が多く住むエリアにあるフジスーパー(有名老舗日系スーパー)入口の惣菜店(なぜか惣菜店)にたいてい売っています。ここの「からすみ」は本場台湾製で品質も良く、日本で売られているモノに比べても遜色ありません。なのに日本のおよそ半額の900バーツ(2700円)で買えます。ちゃんと箱にも入れてくれます。


2013/01/15(火)
★フランスの甥っ子が「冬籠りの西生寺」にやって来た!
昨年12月のある日、バタバタと年始の準備をしている最中、一本の電話がかかってきました。電話の相手はフランスに暮らす義姉家族の大学生の長男(22歳)。

聞けば、クリスマス返上で1月7日の大切な試験にむけて猛勉強中だとか。そして試験が終わったら、日本に来て北海道大学に通っている親友(夏に共に北海道周遊の旅をしたアイヌ語が話せる彼)と一緒に今度は猖務て札好ー爐鯔喫するとのこと。


さらに日本に来たからには狎樟源を素通りするわけにはいかない爐箸里海箸如∨務て擦帽圓前に西生寺に寄って数日を過ごし、新潟から日本海フェリーで小樽まで行く計画を立てているらしい。そこで西生寺の台所(食糧)を牛耳っているタンタン(フランスで叔母さんの意味)こと私に爐うかがい爐鬚燭討訶渡辰世辰燭里任后

甥:「というわけでね、西生寺に行ってもいいかな?僕さ、毎年夏ばかり行っているから冬の西生寺ってどうなのか興味あるし、おじいちゃんやおばあちゃんにも会いたいし、あ、もちろんタンタンにもだよ」

しおらしくおうかがいをたてる甥っ子に向かってタンタンおばさんの非情なひと言。

私:「来るって言っても困るよ!冬は夏とは大違いなんだから!冬は住職がいないからどこにも連れていけないし、私が車の運転ができないから(雪道ダメ)買い出しにも行けないし、冬はお寺にこもってあるモノを食べて細々と暮らしているのに、大食漢のあんたが来たら、西生寺の冬用の食糧が食いつぶされちゃうじゃん」

幼いころからこんな私と接しているからか、ちっともモノ怖じせずに食い下がる甥っ子。

甥:「事情は分かっているよ。4、5日だけだからさ。雪かきでも歩いて村に買い出しでも何でもするから。ね、お願いいいでしょ?」

私:「来たって本当にただお寺に籠っているだけだよ。駅に迎えにも行けないよ」
甥:「ちっともかまわないよ。僕ね成田に着いたら夜行バスで長岡まで行って、そこから路線バスで野積まで行って、野積からお寺まで山を歩いて登って行くから」

私:「雪がすごいよきっと」
甥:「大雪でもブリザードでもとにかく歩くから平気」
私:「よし!だったらおいで!楽しみに待ってるよ!」

というやりとりを経て、ついに試験を終えた甥っ子が日本に来る1月14日に。そう「成人の日」のこの日は東京などの関東エリアが10年ぶりという大雪で大混乱となっていた日です。とりあえずその日の午後「今、成田に着いたから」と電話があり、この日はその後音信不通のまま翌日、彼がやって来る15日を迎えました。

15日の朝、冷え込んで路面は凍結しているものの、前日の雨でこの辺りの雪は溶け、冬型もゆるみ拍子抜けするようなめったにない好天気。
「なんだ、大雪でもブリザードでもないじゃん、ちえっ、つまらないの」と好天を残念がる悪魔のような叔母の私。

朝8時過ぎ、電話あり。

「今、長岡駅に居て、寺泊行きの路線バスを待っている間に、朝ごはんを食べているところ」とのこと。ふふん、あいかわらずのんきなヤツだ。関越道も雪で埼玉まで通行止めだったけど、なんとか夜行バスに乗れて長岡まで来れたんだな、と知る。

さっそく越後交通の時刻表で寺泊行きのバスを調べると、あった!犖畫娃校20分長岡駅前発→午前10時45分に寺泊大野積着燹

ヤツはこれに乗って来るに違いない。山を歩いて登って40分、11時30分ころ西生寺到着か?それにしても車だと50分くらいなのに、路線バスだと一時間半もかかるんだ、遅いなあーとびっくりしつつこの「おてら通信」を書きながら、面白いくらい突然に、裏の玄関に表れるであろう、甥っ子の到着を今か今かと待つ私…。

午前11時45分。ヤツはまだ現れない。お父さんや園子ママたちもちょっとざわつき始める。階下の食堂で時刻表を見るお父さんの声によるともう一本遅いバスだと午後1時すぎに野積に到着らしい。

ちなみに、今晩の「献立」は、彼の大好きなチキン料理(私の定番のタイ風グリルチキン)をメインに、ポークソテー、焼きそば、ポテトサラダ、カキノモト(食用菊)の胡麻和えなどなど爐△襯皀劉爐任擦いい辰僂い亮衫鼠。

明日の晩は、冬ならではの野積の郷土料理で塩引き鮭の頭や酒粕のたっぷり入った「しおから汁」、住職手製の「塩引き鮭」など、あの子が食べたことのない冬の郷土料理を予定。(不在の夫から「ヤツに新潟の冬の郷土料理を食わせてしっかり狄育爐鬚垢襪鵑澄オレの塩引き、冷凍してあるオレのカレーも忘れないように」と指令あり)

朝食は元日以来毎日続いている爐もち燹西生寺では冬の定番の「餅の朝食」は彼には初めてのはず。継ぎ足しで作り続けている伝統的な新潟の雑煮「こうとう」は、塩引き、いくら、大根、こんにゃく、豆腐、ねぎなどが入った具だくさんの濃いめの醤油味。他にきなこ、あんこを用意します。

「いったい餅は何個食べるのだろう?」と、私の立てた予想は、ずばり10個!
10個でも足りない場合は「漬け物でマンマ(米飯)でも食ってろ」って感じですか(笑)。

午後2時過ぎ、ついに甥っ子はやって来ました。裏玄関からベルも鳴らさず、普通にちょっと出かけた帰りみたいにガラガラーとドアを開けて入って来ました。

ちょうど台所にいた私はすぐに彼と対面、見慣れぬ防寒着に身を包み、大型ボストンバックを背中に背負い、小ザックを前に背負うという世界のバックパッカーの移動時の王道スタイルの彼は眩しすぎる笑顔で、

「いやあ久しぶり〜!来ちゃいました〜!タンタン元気だった?」と第一声。私も「元気だよ。来たか貴翔、貴翔も元気そうだねー」と言葉を交わしたあと、二人して互いの格好を指さして「冬服だねーー」と妙な視点から笑い合いました(いつも夏服なので)。

予定していた午前9時20分のバスは、朝食をとっていたスターバックスで居眠りをして乗り遅れたそう。で、次のバスまでの空いた時間を駅ナカでショッピングをして過ごし、お父さんの言う通り、午後1時すぎに野積に到着したあと荷物両面背負いの格好でえっほえっほと早歩きで村中を通り抜け、弥彦山を登ってきたそうです。

「長岡駅からタクシーに乗って来なさいよ。おばあちゃんが払うから」と日本に到着した時の電話でおばあちゃん(園子ママ)に言われた助言を無視して、予定通りローカルバスに揺られ、自力で徒歩でやってきた甥っ子に私は「それにしてもさ、もし甘えてタクシーなんかで来たら、思いっきり門前払いを食らわせようとしていたのに残念だったなー」と言うと「ふふん、タクシーはつまらないでしょ、冒険した方が楽しもんね」と笑う。

「よし、それでこそ貴翔だ」と私。冬籠り生活でちょっと退屈気味だった西生寺が異国の匂いをぷんぷんさせて来た甥っ子によって一気に活気づいた感じ。「夕ご飯は相撲が終わった6時だよ」「うん、楽しみ」おのずとごはんの支度に力が入るタンタンです。

※西生寺到着直後の甥っ子
これが今回来日した彼のフル装備。大きな傘まで持参。「なにこれ、わざわざ持ってきたの?」と聞いたら「昨日の夜、池袋で食べたラーメン店の店長のおじさんにもらったの。博多とんこつラーメン、日本に来て最初のごはん、美味かったなあ…」あいかわらず狷本で食べるラーメン爐一番恋しい日本の味なんですと。


2013/01/03(木)
★福徳の神さま「七福神」のおはなし

















皆さま、新年明けましておめでとうございます。
本年も西生寺とおてら通信をどうぞよろしくお願いいたします。

新しい年がスタートしてからというもの、日本海側は冬型の気候で荒れた日が続いています。元日は朝起きると昨日までとは一転、いきなりの銀世界に驚きました。(雪って音もなく降るので夜間とか部屋を締め切っていると知らないうちに積もっています)

というわけで今年は狒當の雪かき爐仕事初めとなりました。雪かきを終えて、塩引きといくらのたっぷりと入った新潟の雑煮(こうとう)を食べて体をポカポカに温めたあと、お寺の仕事をアレコレとしているうちに降り続く雪であっと言う間に20センチほども積もってしまいました。

「これじゃ初詣の車も登ってくるのが難儀するなあ、まいったなあ」と思っていたら除雪車がちゃんと来てくれて感動。「除雪要員の方には正月もなにもないんだ」と感謝の気持ちでいっぱいになりました。 

さて爐めでたいお正月爐箸いΔ海箸悩2鵑痢屬てら通信」は、私たちになじみの深い「七福神」について書いてみたいと思います。西生寺には犲景/世澆じ爐箸いδ衄屬里みくじがあります。一個のおみくじに七福神の神さまのうちのひとりが入っている爐まけ付爐里みくじで、この小さな神さまをお財布に入れておくと「無駄使いせずにお金が貯まる」という御利益があります。

このおみくじは、寺務所の受付のところに置いてあるのでしばしばお客さまから「この神さまはどういう神さまですか?」と聞かれるのですが、正直私も全員のことまではよく知らず、きちんと答えられませんでした。これを機会に七福神についてちょっと勉強してみることにしました。

七福神さまは「恵比須・大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋・福禄寿・寿老人」の7人の神さまの事を言います。

七福神の信仰が盛んになったのは、近世中期以降だそうです。それまで日本では仏教や民間信仰などで猜/性爐箸靴匿仰されていた多くの神さまがいましたが、室町時代に「仁王経」の犲憩饌滅、七福即生爐筺中国晋代の狠殞咾亮係(※俗塵を避けて竹林に集まり清談を行った7人の隠士のこと)爐暴い、犲鍬爐箸い数に整えられ、七福神となったそうです。

こうして日本で誕生した「七福神」は爐めでたい福徳の神さま爐箸靴峠醋韻隆屬砲い辰に広まり人気の神さまとなりました。犲景/世瓩阿雖爐筬牘鏥物爐箸靴討發気泙兇泙淵哀奪困作られ現在にいたります。

ロシアを代表する民芸品で私も大好きな爛泪肇螢隋璽轡爐皚猗∈細工の七福神の入れ子人形爐ルーツと言われています。明治時代にロシア人の修道士が避暑に訪れた箱根で見つけた犲景/世瞭れ子人形爐鬟蹈轡王室にプレゼントしたところ「わが国でもこのような民芸品を作ったらどうか」となり、マトリョーシカが誕生したそうです(デビューは1900年のパリ万博だとか)。

それではさっそく7人の神さまのプロフィールを見てみましょう。

≪神さまプロフィール≫
○恵比須さま
もともと海辺漁民の漁業の信仰の神さまでした。「☆海運守護」さらに「☆商売繁盛」の神さまとして広く信仰されています。生業を守り、福をもたらす神で、狩衣(かりぎぬ)、指貫(さしぬき)、風折烏帽子(かぜおりえぼし)をつけ、右手に釣り竿を持ち、左わきに鯛を抱えています。七福神の中では、ただひとりの狃秧茲米本の神さま爐任后

○大黒天さま
米俵の上に乗り、頭巾をかぶり、打ち出の小槌を持ち、大きな袋を肩に担ぐ姿はまさに爐めでたいモノのフル装備爐任后C羸ぐ聞漾大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一視されて広く信仰され、恵比須さまとともに「☆福徳の神さま」です。

○毘沙門天さま
帝釈天に仕えた「☆仏法守護の神さま」です。常に仏の道場を守護して法を聞くところから狢進硬鍬爐泙拭屐財を授ける」ことから犧盪榲鍬爐箸發い錣譴討い泙后七福神の中でただひとりの「☆軍神」で武力による備えをします。(上杉謙信が信仰した神さまとしても有名です)

○弁才天(弁財天)さま
インド神話で、河川の女神とされています。仏教、ヒンズー教に取り入れられ、ふつうは琵琶を弾く天女の姿をしています。牴山據κ枩紂財福・智慧の徳爐あり「☆芸術や学問の神さま」として吉祥天とともに信仰されてきましたが、とくに日本では「☆金気の神さま」として崇拝され江戸時代には「弁財天」とも記されるようになりました。(鎌倉の「銭洗弁天」は弁財天信仰の名所で、ここの泉でお金を洗うと何倍、何十倍になるという人気スポットです。私も10代の頃ここでお金を洗いました)

○布袋さま
中国の後梁(ごりょう)時代(907〜923年)の禅僧、契比(かいし)です。半裸で太鼓腹を出し、日用品を入れた袋と杖を持ち、街中を歩いて吉兆や天気を占ったといいます。猝關佞硫戎鉢爐箸發い錣譟∋躄茲梁蟶爐砲發覆辰討い泙后その円満の相が喜ばれて福徳神となり「☆人望・智慧の福」をもたらすといわれています。ちなみに私は夫の容姿を聞かれるといつも「布袋さまみたい」と答えることにしています。(よく似ている)

○福禄寿さま
背が低く、つるぴかの超ロングな頭と長いヒゲが目を引きます。手には経巻と杖を持ち、鶴を従えていて「幸福・俸禄・長寿」の犹案銑爐鬚修覆─特に「☆子孫繁栄」の福をもたらす神さまといわれています。

○寿老人さま
中国の伝説中の人物で、宋代、元祐年間(1086〜1093年)の人です。帽子をかぶり白髪の長いヒゲをたくわえ、経巻をくくり付けた杖とうちわを持ち、鹿や鶴を連れていたと言われています。中国の仙人のような風貌をしています。「☆長寿の福」をもたらす神として崇められています。

○(番外)宝船
七福神さまやお宝が山盛り積まれている宝船。宝船の絵に加えられる犹拭覆気鵝豊爐痢崢垢夜の十の眠りの皆目覚め 波乗り船の音の善きかな」は仏教の教えが込められています。

「長き夜」とは無明の闇、つまり無知であるがために、ものごとの真実・真理を見失い、迷い、悩み苦しんでいる状態です。「十の眠り」の「十」は、仏教でいう狃蹴Ν爐痢嵎、菩薩、縁覚、声聞、天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄」をあらわします。

「波のり船」は、此岸(現世)から彼岸(あの世)に渡る船、あるいは人々を悟りの世界に導いてくれるお釈迦さまの教えのことです。これは、生きとし生けるすべてのものが、お釈迦さまの教えを聞いて(音)迷いの世界から目覚めさせられ、悟りの世界に渡ることが出来る、という意味です。また猯匹そ虧瓦鮓るため爐砲海諒船の描かれたものを枕の下に敷いて眠るという風習もあったそうです。

以上のように、日本オリジナルの「七福神」は、中国晋代の狠殞咾亮係爐覆匹暴って、インドや中国、日本の神道、儒教、道教、仏教の犹誘記爐ら猜‘舛鮗ける神さま7人爐鯀んだということがわかりました。この爛潺奪ス感爐「日本人の宗教観を象徴しているようだ」とおっしゃっているのは参考にした冊子の著者の言葉です。


※画像右…西生寺「金毘羅堂」の天井画
弘智堂脇にひっそりとたたずむ金毘羅堂は「大漁満足・海上安全」の神さまがお祀りされており、昔から村の漁師さんたちによって信仰されてきました。(讃岐の金毘羅さまは有名ですね)めったに金毘羅堂には立ち寄りませんが、ここのお堂の狹薫羃茘爐鰐滅鬚い任后3い砲舛覆鵑猫狷本海の魚の絵爐たくさん描かれているのです(ヒラメ、メバル、貝、スズキ、カニなど)。その中の一枚にやっぱりありました。海運守護の神さま、鯛にまたがる恵比須さまの姿です。

※画像左…手作りの「切り絵」の正月飾り
とても楽しそうな様子の大黒さまと恵比須さまですね。この切り絵は西生寺の檀家総代さんの手作りです。毎年違った図柄の作品をいただくのですが、売っている切り絵とは比べものにならないくらい手が込んでいて物語性がありとてもステキです。庫裡にある神棚にお供え餅と一緒に飾りました。


2012/12/27(木)
★ゆく年くる年 −この1年を振り返ってみました−













いよいよ2012年も残すところあとわずかとなりました。毎年のことながら年の瀬のこの時期は、新年に向けてお寺関係の準備や、お堂その他の大掃除などを中心に毎日忙しくしています。

ばたばたとしているうちに大晦日となり、この日私は一日中台所に立ち「おせち料理」を作ります。各自全ての仕事が終わった夕方、庫裡にある大きな狄醒爐函∈个鬚箸襪燭瓩紡膤日に登場する掛軸の倏徳さま爐砲参りをして家族全員が犧个鬚箸辰伸爐△函△せち料理や新潟の倏取り魚爐任△襦岷引き鮭」などの正月料理の夕飯をいただきます。そのあとゆっくりとお風呂に入って、再び食べたり飲んだりしながら紅白歌合戦を見て爐罎年くる年爐裡隠娃犬通椶僚夜の鐘で新年を迎えるというのが狎樟源伝統の年越しパターン爐任后

ちなみに西生寺は昔はちゃんと「鐘つき堂」があったそうですが、戦時中の犇眤斡―弌覆ょうしゅつ)爐脳發魘―个靴動瞥茵⊂發量気ぞ態が続いている事情により狃夜の鐘爐鰐弔蕕靴泙擦鵝だから二年参りの参拝者もなく、大晦日の夜はひっそりと静まりかえった中でアットホームにのんびりと過ごしています。

同じ寺泊にある街中のお寺で「除夜の鐘(二年参り)」を鳴らすという友人の寺庭婦人の話を聞くと、鐘をついた人に甘酒をふるまったり、深夜まで人の出入りがあって、のんびり過ごすのとは程遠いそうです。したがって我が家では誰ひとりとして「鐘を復活させよう」とか言わないです(笑)。私なんて「無くて良かったあー」くらい思っています。

(※戦時中の全国のお寺の鐘の回収は、不足する金属を補うための「金属類根こそぎ供出」の一環ですが、日本だけかと思ったら同盟国だったドイツでも国内や占領地の教会の鐘を根こそぎ回収していて、切羽詰まるとどこも似たようなモノに目をつけるのだなと思いました。ただ狃仞風のぼり爐鯲てた大八車に「鐘」を鎮座させ、人びとに見送られながら勇ましく寺を後にするような事はどう考えても狷本オリジナル爐世隼廚い泙垢)

さて、今年一年を振り返ってみます。

私にとっての今年一番のニュースは、やはり爛僖愁灰鵝ネット環境の激変爐任靴腓Α

一月末に待ちに待った光通信がようやく寺泊地区に入ったので、我が家もさっそく春に光通信に切り替えました。画像の取り込みも苦労する超旧式のISDN(電話回線)だったので犖通信の快適さ爐呂燭世燭清辰ばかりで、ストレスゼロとなった西生寺のネット環境の劇的な向上はいまだに感動を覚えます。同時に11年ぶりにパソコンを買い替え、こちらも超旧式のウィンドウズMe(2000年)からいっきにウィンドウズ7になりました。

お次は今年一番の興奮した出来事ですが、これも同じくパソコン関連で狎樟源HP引っ越し爐任后

西生寺事務方として2012年の唯一の目標であり、かつ最大のプレッシャーだったのが、PC環境リニューアルにともない、すっかり古くなってしまったソフトで管理していた「HPデータ」を、新しいパソコンにインストールした最新バージョンのソフトへ9年ぶりに犂櫃瓦醗っ越し爐鬚垢襪海箸任靴拭

この作業を、悪戦苦闘しながらもひとりで成し遂げたことは今も奇跡としか思えません。興奮の最高潮は、新ソフトに西生寺HPデータが乗っかって、見覚えのある画面が現れた狃峇岫爐任后この時の喜びと達成感は「今年の残り半年間はもう余生だ」とまで思いました。仮に今「もう一回同じことをしてみて」と言われても無理です(奇跡は2度は起こらない)。

阿刀家(家族)にとっては、今年一番の出来事はこれですね。
長老さま(お父さん82歳)がついに牘薪礁筏返上爐鬚靴燭海箸任后

園子ママとふたり、しょっちゅう車で外出をしていた爐出かけ好き夫婦爐世辰燭里任垢、送り出す我々は外出するたびに「80を過ぎた高齢だし、そろそろ運転も危ないんじゃないか、取り返しのつかないような事故を起こす前に運転を自主的に止めてくれればいいのにね」と心配が尽きませんでしたので、少々気の毒な気もしますが、これで良かったと思っています。
-
そして我々夫婦の今年一番のニュースは、やっぱり爛優海鮖瑤辰燭海鉢爐任靴腓Α

「ずいぶん思い切ったことをしてしまった」と今だに思わなくもないですし狢膺佑靴ぅ優海箸寮鼎な暮らし爐箸いν想も、タビーが爐舛辰箸眤膺佑靴なかったこと爐埜事に打ち砕かれましたが、飼い始めて2ケ月半が経ち、そんな気持ちもだんだんと薄らいで「壊し屋&甘えん坊のタビーでもいいや」って思えるようになりました。

駐車場で私が拾ったトンビの羽とか、ペットボトルのふたとか、新聞紙丸めたのとか、ほこりをかぶっていたアルパカのぬいぐるみとか、どう見てもガラクタとしか思えないような爛織咫爾里気に入り爐入った「おもちゃ箱」を覗くと「こんなゴミみたいなモノが好きなんてネコって変な生き物!」って思うと同時に「待てよ、私の収集しているアイテムだって(日本と世界のかっぱえびせん系の袋とか)まわりからは爐燭世離乾澂爐箸靴認識されてないじゃん、タビーのガラクタと同じじゃん」という事実に気付くと「私もタビーも同類だったのか」って急に親近感がわいたりもします。

最後に今年一番印象に残った会話はコレです。

ペットを飼ったことがないという、ご夫婦で古着屋を営んでいる知り合いの女の子(20代)と猫を飼い始めた話をしていて、私が「エサはカリカリなんだ」と言ったらその子が真顔でこう言い返しました。

「え、何ですかそれ?カリカリ梅ですか?」

ネコのドライフードを通称爛リカリ爐噺討峪を知らない日本人がいるというのはまったくの想定外であり、カルチャーショックにも似た衝撃を受けた結果、今年一番印象に残る会話となりました。

というわけで今年最後の「おてら通信」もこの辺で終わりです。なんだかんだ言っても、一年間無病息災で過ごせたこと、家族全員がそろってひとつ屋根の下で新年を迎えられることのありがたさに勝るものはありません。

今年も一年間「おてら通信」を読んでくださり本当にありがとうございました。年をまたいで新年に「おてら通信」でまたお会いしましょう。
それでは皆さま、良いお年をお迎えくださいませ。


※画像左…栄えある犧Gの年越し魚爐冒ばれたオス鮭の顔
最後の仕上げ段階である犂風干し爐凌榛巴罎任后西生寺では住職自らが毎年「塩引き鮭(新巻き鮭)」を作っています。今年も地元の定置網漁の漁師仲間より立派な鮭を仕入れ、カナ(オス)3匹、メナ(メス)1匹の鮭を巻きました。今年の鮭漁は近年ないくらいの不漁だったそうで、なんとか型の良い鮭を確保しました。画像のようにあごがしゃくれて恐ろしい顔をしているのがオスの証しです。身はオスの方が上等です。

※画像右…完成した「塩引き」を切ってみました
鮭の本場、村上の牘引き道場爐詫名ですが、我が家流「塩引き」の作り方。鮭のぬめりをよくとって内臓やエラも取り除き、たっぷりの塩をまんべんなくすりこんでから米袋で巻いて8日間(途中水分が出るので一度塩で巻きなおす)、水に浸して塩抜きを一日半(鮭の大きさで調整)、最後に軒下に吊るして寒風干しをすること10日間で完成です。新潟の塩引きは、燻製のようなあめ色の艶のある熟成した身が特徴で、正月には欠かせない新潟人のソウルフードです(新潟県はひとりあたりの鮭の消費量が日本一)。皮と身の間が糸を引くほど熟成されていて、寒風で引き締まった身は旨味が凝縮、一枚一枚?がしっかりとほぐれてもう絶品!です。


2012/12/10(月)
★「ネコ、本当に飼っちゃいました!」−決意&譲渡の巻−













9月8日の「おてら通信−ネコを飼いたい!−」で紹介しましたが、秋になっても我々夫婦は「ネコを飼いたい」という気持ちを相変わらずキープし続けていました。しかしだからって「まさか本当にネコを飼うとは思ってもみなかった…信じられない!!」というのが正直な現在の気持ちです。

というわけでして、私たち本当に、ネコを飼っちゃいました!

以前飼っていたネコ(おとなしくて聞き分けのある黒ネコミャーゴ)が死んでから丸4年、これまでのネコ知識も薄らいで、ネコがいる暮らしの感覚なども忘れ、まるで初めてネコを飼うような感覚で挑んだ狄靴靴ぅ優海箸諒襪蕕鍬爐發呂筍殴鰻遒経とうとしています。

やはり部屋に自分たち以外の生き物がいるというのは良いもので、とても癒される一方、毎日が想像していた以上のドタバタで「ネコを飼うのって、こんなに大変だったっけ」と驚きや困惑も。

「なんでネコ飼っちゃったの?」
「だからってもう後にはひけないでしょ」
という後悔にも似た気持ちを持ちつつ、毎日少しずつ、ネコのいる暮らしに慣れようとしている私たちです。

今回の「おてら通信」は犒茲瓩蕕譴覆ったはずの私たち爐、ついに爛泪ぅ縫礇鵐碍萃雖爐忙蠅辰燭いさつや、ネコが我が家にやって来た爐修了爐覆匹鮹羶瓦暴颪たいと思います。それではどうぞ。。。

10月2日の弘智講が終わってしばらく経ったある日、夏に2度訪れた長岡市の「動物愛護センター」ではなくて、ちょっと遠いけど猝楡茲鯤僂┐騰狄携田市にある「下越動物管理センター」に初めて爛縫礇鵐蓋学爐帽圓辰討澆襪海箸砲靴泙靴拭

希望はズバリ犹卩ではない成猫のメス爐任后

「子猫は世話が大変だから落ち着いた大人ネコにして静かなネコとの暮らしを満喫しよう、性別はメス、これは黒ネコミャーゴ以来、絶対譲れないね」というのが我々夫婦の考えです。黒とか茶トラとかの種類はこだわりません。

「下越動物管理センター」は古くからあるセンターで、譲渡待ちのワン&ニャンを見学するには事前の電話予約が必要でした。

新発田への道中、夫が「わざわざ予約して見学するんじゃ、見るだけで決めないと悪くないか」などと狄軍禪人っぽいこと爐鮓世辰討い燭里今思うと猴獣爐世辰燭里もしれません。

長岡の100匹近い、とてつもない数のワン&ニャンに比べると、通された小さな部屋にいたネコは個別ゲージに10匹程度でした。かえってこの少なさが爛泪ぅ縫礇鵐碍萃雖爐謀達したポイントだったと確信しています。

大半が3ヶ月程度の子猫で、大人ネコは3匹いました。うち2匹はオスで、残る一匹が1歳〜2歳という胸毛の縞模様が印象的なキジトラのメスでした。キジトラちゃんは、スタッフがバンダナで手作りした爛魯鵐皀奪爐望茲蝓△屐舛蕕屐舛蕕罰擇靴修Δ僕匹譴討い泙靴拭

そのキジトラちゃんに近づいてみると、ニャー!ニャー!と過激に自分をアピールするでもなく、ふてくされ風に無視するでもなく「何だ?何だ?」と興味深そうに、ハンモックから下りてゲージにすりすりと体をすり寄せてきました。

センターの人が「この子はとっても人馴れしているんですよ。いい子ですよ。」と、長岡のセンターと同じく売り込みトークを始めました。(ちなみにこの子の経歴は、前の飼い主さんが急死され、屋外に脱出して野良となったところを村上市内で保護されてセンターへ。センター暮らしはちょうど21日目とのことでした)

売り込みはともかく、これまでセンターで数々のネコを見てきた私たち夫婦は、いつの間にか猝椶肥えて爐い泙靴拭

狭いゲージに入れられているにもかかわらず、この子が爐患〃爐任覆鵑世とっても楽しそうにしている点が、これまでの他のネコにはない点で、私も夫もそこが一番気に入りました。

夫婦:「このネコは、ハッピーオーラが出ている!!」

気に入った目で見ると、カプチーノ色の胸毛や木星のような縞模様、手足がしっかり太いこと、小さくとんがり気味にまとまった爛優海辰櫃ご薛爐覆匹覆鼻△泙垢泙控い貌ってきました。

私:「この子、なかなかいいんじゃないかな。大人しそうだし、どう思う?」
夫:「だね(決まりだね)」

これがこれまで決められなかった私たちがついに爛泪ぅ縫礇鵐海魴茲瓩申峇岫爐任靴拭

ほぼ決めたものの、家にはネコトイレやエサなど何ひとつ用意していません。するとセンターの人は「すぐ向いにコメリ(ホームセンター)があるから、今すぐにでも全部買い揃えられますよ」と気が変わるのを防ぐためなのか、おそろしいくらい間髪入れないアドバイス(笑)。

ま、とあえずこの日は「譲渡交渉中(予約)」として、後日引き取りに来ることにしました。

こうして推定1歳〜2歳のメスのキジトラちゃんは、入所3週間ちょっとで出所する事となり、新発田から一時間以上かけて寺泊の我が家へ連れて来られて、晴れて私たちのネコとなり狢茖欧凌誉賢爐スタートしたのでした。
(出所する最後の時、センター長さんが、玄関で慣れた手つきで爪をきれいに切り揃えてくれました。恒例の「お祝いの(お別れの)儀式」なのだそうです)

ネコを受け入れる側の我々としてもドキドキモノです。
「大丈夫、ネコは2日もすれば新しい環境に慣れて、もう100年も前からいるみたいな顔をしてそばにいるから」とは新しくネコを飼う際のアドバイスの言葉です。

それでも「本当に我々に上手になついてくれるのかなあ」と半信半疑の気持ちが拭い去れず、「不安で鳴き続けたり、どこかに隠れてしまったり、トイレが分からずに粗相したりしたらどうしよう」などなど、あれやこれやと何かと心配していた我々夫婦なのでした。

しかーし、そんな不安は思っていただけ狢鮫爐任靴拭
2日間どころか、家に来た爐修了爐ら100年も前からずっと居るような状態でした。

新発田市内から西生寺までの遠路をずっとがまんをしていたのか、場所すら教えていないのに、部屋に入ると真新しいにゃんともトイレに直行、当たり前の顔で使いこなしました。その後すかさずテーブルの上にあった私の食べ残しのパンに気付き突進、早くも叱られました。(ネコの獏務个留圓記爐鬚垢辰り忘れていました。この時点で狄べ物置き放題爐鷲垈椎修砲覆辰燭海箸鮹里蠅泙靴拭0文綽べ物類はすべて缶箱に収納)

カリカリを食べて満腹になると、どこにでもちょろちょろとくっついてきたり、姿が見えないと鳴いて探したり、体に身を寄せてすりすり、抱っこするとゴロゴロと喉を鳴らしたり狄猷っこさ爐鯊己に発揮。

さらに寝る頃には「遊ぼうよ!」と期待の目を向けて、腹を丸見せで床にごろんとひっくり返り、ビヨーンと体をのけ反らせるしぐさも披露し「なんて無防備なご機嫌なネコなんだ!」と我々をたいそう喜ばせました。その夜は余程うれしいのか、ふとんの上から爐發澆發澂爐鬚困辰箸慶未靴任海辰舛眠れないくらいでした。

名前ですか?
爛織咫辞爐任后初めて見た時の、胸の縞模様がとても印象的だったので、英語で犲別詫有爐魄嫐する爛織咫辞爐般症佞韻泙靴拭B┠茲任后7泙┐帽圓日にはもう決めていました。

こうして始まった我々夫婦とタビーの暮らしは、はじめにも少し書きましたが、我々の思い描いていたモノとは全くかけ離れたモノでした。

一番ショックだったのは爐舛辰箸眤膺佑靴なかった爐箸い事です。

あらゆるモノ、音、何にでも興味を示し、転がせるものは何でも転がし、倒せるものは倒しまくります。私の爍蛎臙嵎コレクション爐任△襦大切なこけし達をバタバタと倒し、メキシコのカラベル(ガイコツ人形)にちょっかいを出し、ズラリと整列している日本軍機のフィギュアを床に撃墜させ無残な姿にさせて毎日私の悲鳴が止むことはありません。どう見ても猴靴咾燭だ垢雖爐如活動モードに入ると、飛んだり跳ねたり猛スピードで走り回ったりと手のつけようがありません。

それと狆しでも私の姿が見えないと探しまくる爐里睛汁朿阿任靴拭

トイレで部屋を離れる時ですら私を探します。先日ついに恐れていたことが起こりました。閉じていた部屋の障子戸を、廊下にいる私めがけて体ごと狠憧櫚爐里茲Δ貌佑破ってしまいました。おかげで他の全ての障子も、突破されないように猜箒する作業爐鰺承靴覆されました。私ごときの人間がそこまで慕われても正直困ってしまいます(ちなみに夫のことはちっとも探さないです←笑)。

このように、予定していた狎猫との静かで落ち着いた暮らし爐箸いΣ罅紘徂悗良舛い討い真泙呂△辰箸いΥ屬忘佞瓜兇辰討靴泙い泙靴拭

夫:「だまされた!まだ子猫じゃん!1、2歳とか言ってウソだよ」
私:「体も小さいし食欲旺盛だし遊びたい盛り。どう見ても7〜8カ月くらいかなあ」

「成猫好き」な我々に対し、センターはあえて爍浦弌腺穏亅爐噺世辰燭里も?完全に倏齢詐称疑惑猊眈紊任后実は一歳もあやしいかもです。体格も子猫が多いセンターでは随分と大きく大人に見えたけど、家で見ると驚くほど小さく、どう見ても成猫ではありません。センターでは精いっぱいの狢膺祐薛爐任んばっていたらしく、家に着いたらすでに大人仮面もぽろり、素顔の猴弔粉薛爐北瓩辰討靴泙辰討い泙靴拭

後日私ひとりでタビーを連れて、センターとの約束どおり「動物病院」へ行き、健康診断と不妊手術の予約をした時に、さっそく先生にタビーの倏齢爐函△椶討辰箸靴紳腓なネコを飼うのが夢という夫がたいそう気にしている犧8紊寮長爐鮓てもらいました。体重はセンター出所時の2.6キロから300グラム増えていました。

先生は、歯石の付きぐあいなどで猗獣猫爐鬚靴燭△箸海Ω世い泙靴拭
「この子は1歳より若いことはないですねー。基本的にこれ以上成長することもありません。体重が増えたのも、成長したというよりは単に肥えたって感じかな。肥満に気をつけてくださいねー」

やっぱりセンターの見立ては正しかったのです。でもこれで本当に成長ストップなんて信じられなくて思わず「こんな小さな大人猫見たことないです」と言うと先生は「もっと小さな成猫だっていますよ。女の子だしちょうどいいんじゃないかな」と慰めて?くれました。

診察室いっぱいに「これ以上大きくならないなんて…ちっちゃ〜い、笑えるー、タビーちっちゃいよお〜」という私の声が響きわたりました。

家に帰り、私の居ない間に夕飯を作って待ってくれていた夫に、さっそく「タビーの年齢は一歳以上でこれ以上成長もしないって」と衝撃の事実を告白しました。事実を聞かされた夫は案の定、絶句気味に、

「そんなウソだろ?こんな小さな大人猫なんてありえないだろ。マジにこれで成長終わりなわけ?ミニチュア猫じゃん」と言ったあと、二人して足元で我々を見上げるタビーを見ながら大爆笑してしまいました。

このように、タビーは着いたその日のうちに簡単に我が家に馴染んでしまいました。しかし黒猫ミャーゴが死んでから4年あまりを犲由爐吠襪蕕靴討た人間側の私たちには、いくらタビーがかわいいといってもこれまでとは勝手が変わり、正直ちょっとまだ犖亀ぐの猫のいる暮らし爐しっくりこない部分もあります。

猫との暮らしについて別の本でこんな文章を見つけました。
「猫が人間の暮らしに馴染むのではない、人間の方が気ままな愛猫の生活に馴染むだけであーる」

なるほどなあ、と実感しました。


※画像左右…初登場のタビー(メス1歳)です。よろしく。
タビーの爐てら通信ネットデビュー爐箸覆覽念すべき画像なので、親ごころと言いましょうか「初登場くらいは女の子だし、少しでも正統派にかわいい画像を」と思い厳選してみました。

【おまけ話】:タビーの性格&気質
ハッピーオーラが出ていたとはいえ、センターで決めた時点では不明だった、この子の狎格&気質爐任垢、実はこれから先の長いお付き合いを考えると牋貳崑膸爐世辰燭蠅靴泙后覆覆砲纂柴盪瑤い世硲横闇は生きるらしいので)。しかしこればっかりは飼ってみないとわからず爛ケ爐澆燭い壁分がありました。

2ケ月一緒にいて分かったことは、毛づくろいが大好きで、我々には100%無防備でどうやら神経質ではなさそう、雑種らしくカリカリ好きでグルメではないので一安心、ただ人間が食べる物を当たり前にくれると思っているちょっと困ったクセがあり爐靴弔鵜爐大変です(どうやら前の飼い主さんは、自分と同じ食べ物を与えながら一緒に食事をしていたようです)。

成長は止まっても3歳くらいまでは精神はしっかり子猫である事を知り、暫定的なのかわかりませんが今のところ、超がつく甘えん坊で(寝るときは私の体にピタっと張り付いて一心同体にして寝る、夜中のトイレにも寝ぼけまなこで付いて来る)、かなりのおてんばということが分かりました(今もソウルの戦争記念館で買った韓国軍戦車のおもちゃと格闘中)。

最近、名前を呼ぶと来るようになり、いろいろな鳴き声で感情や要求を表現するようになって面白いです。(今までの黒ネコミャーゴは何も言わず、静かに目で訴える哲学者タイプだったので)


2012/11/27(火)
★ニイガタに冬が来たっ!













新潟の秋はとっても短いです。紅葉が見ごろを迎える一般に猗媾爐噺討个譴觧期、新潟ではおだやかな秋晴れの日が続くことはほとんどなく、西高東低の冬型の気圧配置によりいっきに天候が不安定な狃蘚澂爐魴泙┐討靴泙い泙后

11月23日には早くも県内のスキー場(湯沢)がオープンしたそうです。日ましに冷え込みが強まり、地鳴りのような雷や、みぞれ交じりの雨が降ったり止んだりの冷たい日が繰り返されるようになりました。狹澆梁音爐睚垢海┐覆いらいのスピードで、気が付くと今年も冬は訪れていました。

それにしても、新潟気象台にはだまされたって感じです。ちょっと前まで「今年の冬は暖冬少雪の傾向ですねー」と発表していて、雪の降る寒い冬が苦手な私をすごく喜ばせていたのに、先日になり「やっぱり違いました、低温多雪でした。平年よりも気温が低く、しかも降雪量は記録的なドカ雪だった昨冬並みになる可能性大ですので、どうぞお気を付け下さいませー」に、簡単に修正されてしまいました。

がっくし。。。
「今期は久々の暖冬だって。うれしいな」と安心したのもつかの間、実は今年は平年以上に厳しい冬となるという新潟気象台の狄慎佞丙膿畦淑鶚爐法嵜佑魎遒个擦討いてそれはないでしょ」と肩を落とすと同時に怒りがふつふつしてきます。

狡境爐つくくらい寒がりで(今も5枚着込んでいる)、雪道運転が全く出来ない私にとって、今年も試練の季節の到来です。

頼りの夫は一番居て欲しい冬の間は長期に西生寺を離れてしまいます。公共交通機関もないので、人里離れた弥彦山中で、冷たい隙間風や底冷えのする部屋に閉じこもり、オシャレとは無縁な着ぶくれをした姿で、雪に閉ざされた閉鎖的な暮らしを余儀なくされます。考えただけで今から憂鬱な気分になります。

―以上のように狢腓療澤い爐瞥由により、初冬の頃の「おてら通信」は毎年必ず「長くて暗くて寒くて降雪の多い閉鎖的な新潟の冬は耐えられない!」と爛哀舛覘爐里すっかり定番になってしまいました。変な定番ですけど、どうか一度きりの限定で今年も書かせてください。

私は二十歳になってすぐに、冬は犂チ隋晴天爐当たり前の神奈川県川崎市から猴夙知識ゼロ爐撚任い任ました。結婚する時、こっちの冬がどうとか全く頭になく、冬型という言葉も知らず、夫からレクチャーもなく、ぶっつけ本番で新潟の凄まじい冬を体験して「ココは人の住む所じゃない」と涙が出ました。

以来22年が経ちますが、いまだに雪に閉ざされた陰気くさい鬱々としたこっちの冬にはちっとも慣れません。冬以外の新潟は大好きだけど、冬の新潟だけは耐えられないくらい大嫌いです。

22年経っても嫌いなのですから、もうこっちの冬と仲良くなることは無理だと思います。でも嫌いだからこそ少しでも快適に過ごせないものかと、毎年少しずつ工夫をこらして観念して仕方なく暮らしています。

「新潟の冬」に対してイヤだイヤだとずっと心を閉ざしてきた私ですが、最近になりようやく聞く耳を持った私が驚いたことがあります。

それは私にとっては苦痛以外の何ものでもない、新潟の荒れた天気の続くドカ雪の冬が、新潟生まれ新潟育ちの人達にとっては爐匹Δ笋蕕修鵑覆坊いじゃないらしい爐箸いΔ海箸任后

「むし暑い夏の新潟より雪の降る季節の新潟が好き」
「荒れ狂うダークな冬の日本海が好き」
「雪が降って寒い日にこたつでぬくぬく過ごすのが好き。コレ雪国の特権でしょ」
「雪道運転はたいして苦じゃない、それが当たり前だし」
「東京に住んでいたけど、冬は乾燥がきつくてほこりっぽくて辛かった」

驚いた。私には狢斥曚發瓩辰燭亡蕕鮟个気左造蠅覆閉鎖的で陰気くさい爐箸靴思えない新潟の冬が「好き」と言う人が意外と多いのです。「天気が悪くて寒くて雪が降るからこそふるさと新潟を感じる」という人も。生まれ育った郷土の気候風土は猴屈なしに心身に馴染んでいる爐箸いΔ海箸覆里任靴腓Δ。

それと暑いより寒い方が得意な人も多いみたい。

生まれ育ちが新潟の夫もお父さんも「あっちぇ(暑い)のは苦手だけど、さーみぃ(寒い)のはどんなに寒くても平気だな。夏だったら絶対冬がいい」と口をそろえて言います。「えー絶対寒いより暑い方がいいよ。どんな暑さでも余裕で耐えられるけど、寒いのはちょっとでも耐えられない。積雪で二重苦の新潟の冬は最低」と主張する私とは逆です。

しかし狄瓦搬里里佑犬豸従櫚爐癲4┐なが好きな夫ですが、実は寒さに人一倍弱く、ちょっと気温が下がるとすぐに風邪をひいてしまいます。で、冬の期間はマスクが手放せず、頭と首を保温して過ごしています。にもかかわらずしょっちゅう「しまった、鼻をやられた。食べ物の味がしない、匂いもしない」とか言って私をあきれさせてます。

いっぽう、寒がりで寒いのが大嫌いな私ですが、実は寒さには人一倍強いようで、マスク不着用、寒くても雪がなければ運動をするために平気で境内をうろつきます。悪天候下の狎磴き作業爐睚慎い任海覆掘体が濡れてもどうってことありません。とにかく結婚してからこれまで、風邪をひいて寝込んだという記憶がありません。

このようにずっと「よそ者の私には新潟の冬はしょせん馴染めないんだ」と思っていたら、先日こんな出会いがありました。夫の出身がたまたま新潟で結婚を機に初めて来県し、新潟市内に住み始めて2年半という、沖縄本島出身(家族のルーツは石垣島)の女の子と話す機会があったのです。(顔立ちがはっきりとした沖縄美人の方でした)

新潟に嫁いで来た他県出身者(意外と少ないです)、しかも雪や寒さに無縁の沖縄出身とは珍しい。すかさず私が「冬の新潟は耐えられないでしょ?」と聞いたところ、以外な返事が彼女から返ってきたのです。

「一年中温暖な気候の沖縄にはない狃娉峠冬爐了裕┐しっかりとしている新潟は、冬も含めて気に入ってます。食べ物もとってもおいしいし、私、新潟に来て10キロ近く体重が増えたんですよ」と。さらに

私:「雪は?大変じゃない?」
彼女:「雪じたいを楽しんでいます」
私:「寒さは?つらくない?」
彼女:「つらさよりも寒いことを楽しんでいます」

これにはちょっと驚いてしまいました。どこまでもネガティブな感情しか持てない自分と違って狄軍磴療澆魍擇靴鵑任い覘爐噺世Δ任呂△蠅泙擦鵑。
あれですかね、中途半端に似ているからダメなんですかね、南国出身だと逆に全てが新鮮に感じて楽しんでしまえるのかもしれません。(千葉県木更津出身で同じ野積地区に暮らす檀家さんのマダムとは会うたびに狄軍磴療澆和僂┐蕕譴覆ぅ優伸爐農垢蠑紊るのですが)

さて、11月1日から始まった弥彦神社の「菊まつり」もあっという間に終わり、めっきりと参拝者が少なくなってしまった近ごろの西生寺です。境内の樹木には「雪囲い」がほどこされ狹濟拇扠爐整いました。掃いても掃いても積もり続けた珈亜淵吋筌)の葉爐發垢辰り落ち上げ、毎日続いた「落ち葉そうじ」もひと段落しました。

少しばかり暇を持て余した我々夫婦は、ひとけのない駐車場にある「受付寺務所」で最近、寺泊で買ってきた「丸干しスルメイカ」をストーブに乗せて焼いて食べることにハマっています。

開いてないそのまんまの犂欖海鍬爐覆里如一般的な「スルメ(あたりめ)」とは違って内部に干して濃縮されたコクのある腸(わた)がたっぷりと詰まっています。これが焼くととろけてなんともいえなくおいしいのです。下手なカニみそよりずっとおいしいです。

この「イカの丸干し」は県内ではスーパーでもよく見かける商品だけど、私はこっちに来て初めて知りました。夫に言わせると、新潟では昔からある狡遡爐如日本酒のサカナの定番だそうです。(もちろん寺務所ではアルコール無しですけれど)

狄軍磴僚の味覚爐埜世Δ函∈Gはこれまでの年でいちばん爐気錣軍銑爐鮨べた年でした。夫婦でゆうに100個は食べました。爐気錣軍銑爐楼貳姪に爐けさ柿爐箸盡討个譟∈甘呂鮹羶瓦暴于戮気譴討い襦⊃軍磴任楼貳屮櫂團絅蕁爾奮舛任后

この柿、もとはとてもじゃないけど食べられない狃続繊覆靴屬き)爐覆鵑任后渋柿のヘタを焼酎にちょこっと爐気錣鍬爐謄咼法璽襪北閉して放置します。すると、なんとも不思議なことに渋が取れて爐箸蹐韻襪茲Δ粉鼎ご鼎こ銑爐砲覆襪里任后

甘くなったヤツを好みの硬さで食べます。新潟県民の大好物で、新潟で柿といえばこのさわし柿のことを言います。種がなくひたすら甘いので、ツルンツルンといくつでも食べられます。我が家では「柿赤くなれば医者青くなる」と呪文のように唱えながら、毎回ひとり3個くらい食べます。「柿は栄養があるので病気知らず、医者知らず」という意味です。

このさわし柿(おけさ柿)も結婚して新潟に来てから初めて食べました。それまでは関東で出回っている、種のあるふつうのサクサクした甘柿しか食べたことがありませんでした。サクサクも美味しいし、ツルンととろけちゃうのも美味しいです。

とにかく今年ほど檀家さんから大量に柿をいただいた年もなかったので、デザートとして食べるだけでは、順々に食べ頃を迎える柿の狆暖颯汽ぅルに追いつかない狆態に陥ってしまいました。

そこで牾僧鼠爐鮖廚い弔、硬めの柿をごまあえにしたり(園子ママがたいそう気に入った)、付け合せのトマトの代わりに柿を利用したり(園子ママに発想が良いとほめられた)などといろいろと工夫してみました。

「それぞれの土地に旨いモノあり」と言いますが、新潟はあらゆるジャンルにおいしい物がたくさんあって郷土料理も豊富、食いしん坊で日本酒好きな私にはたまりません。のんびりとしていて控えめで礼儀正しい感じの人が多いし、基本的に田舎なので空気がおいしくゆったりと暮らせる環境も申し分ありません。例の狢僂難き冬爐気┐覆韻譴丱縫ぅタは百点満点なのに。 惜しいなあ…。


※画像左…「消防訓練」in西生寺
11月の「防災週間」の時に、西生寺&近隣エリアで行われた長岡管轄の消防署の訓練の様子です。西生寺の駐車場にパレードみたいに続々と消防車が入場、軽く20台くらいは集合しました。この画像は、訓練を終え、全員が集合したところで整列をして、誰かがあいさつをはじめる場面です。車種を聞いたところ、全部ポンプ車だったことがわかりました。

※画像右…樹齢800年狢膓箘畢爐虜Gの黄葉
ちょうど黄葉の見頃を迎える直前に、地元のテレビ(UXまるどり)で紹介されたので、その影響か今年はこの大銀杏を目当てに来山する方がわりと多かったです。


≪ちょっとだけ話のつづき≫
実は私、おしゃべりをした彼女が沖縄県出身と知り狄軍磴療潴簑雖爐枠省どうでもよくなってしまいました。戦争や現代史を勉強している私は牴縄について犇い関心があったからです。新潟で沖縄の人に会ったのは初めてだし、ましてや沖縄の人から直接話しを聞けるかもしれないチャンスも初めてです。でもなんだか初対面で唐突すぎる気もするし、さんざん迷った挙句に思い切って正直な気持ちを話してみました。

「沖縄といえば癒しのリゾート地として人気があるけど、私にとって沖縄は南の楽園の島というよりは太平洋戦争の激戦地。本土決戦までの時間稼ぎの捨て石となり、大勢の沖縄の人が犠牲になったというのが先にくるので、軽々しくリゾートしに行く気にはなんだかなれない」と。

そしたら彼女も「私が沖縄出身と分かると話はいつも旅行とグルメの話ばかりだった。遠い新潟の地で、沖縄をそんな風に思ってくれている人がいるとは思わなかった。なんだかうれしい」とすっかり打ち解けて牴縄のこと爐い蹐い輜辰靴泙靴拭

琉球処分、首里城、おばあから聞いた戦争、本土復帰と独立論、米軍基地問題(彼女は嘉手納基地の近くで育ったそうです)、オスプレイ&米兵暴行事件(あまり報道されないけれど、実は3日に一回くらいの頻度で米兵がらみの事件が発生しているそう)、地方紙(沖縄タイムス、琉球新報)などなど、沖縄の人だからしっかりと学んでいる歴史や、地元の複雑な事情&憤りなどなど、どれもダイレクトに思いが伝わってきて本当に勉強になりました。


2012/11/13(火)
★真言宗三派の若手僧侶ご一行さま、西生寺を参拝!の巻













全国の真言宗智山派(総本山:京都府智積院)、豊山派(総本山:奈良県長谷寺)、新義真言宗(総本山:和歌山県根来寺)の三派の若手僧侶が属する「青年会」が合同で行う「結集(けつじゅう)大会」がこのたび、一泊二日の行程で新潟で行われました。

正式には「第16回智山豊山新義青年会合同結集新潟大会」と言います。

今回で16回目となる3派合同のこの結集大会は、全国各地から参加する、数年に一度開催されているかなり大規模な大会で、今回は新潟県で開催されました。そしてメインとなる結集大会の翌日に、あろうことか当山西生寺の参拝が組み込まれたのです。しかも新潟大会の記念に訪れるお寺は狎樟源のみ爐蕕靴い里任后「本当にうちで良いわけ?」恐縮とプレッシャーの渦に巻かれる阿刀家の面々。

大会当日、会場の新潟市内のホテルに集まった、全国の若手僧侶たちや来賓などの数は総勢170名にもなり(夫の住職も出席)、犲然〜生かされているいのち〜爐箸いΕ董璽泙如峭臚鰻觸限膕顱廚行われました。同ホテルに宿泊後、翌日におよそ120名が新潟市内より車で移動して西生寺を参拝しました(住職法話→即身仏拝観→解散式で終了の予定)。

今をときめく100余名もの若き僧侶の皆さんを一同に拝するなんてチャンスは一生に一度あるかないかのこと、自身が同じ寺院関係者(寺庭婦人)である身の上も忘れ、完全にミーハー女子と化した私は、毎日汗をかくほど境内に積もった落ち葉を掃き続けながら、激しい筋肉痛と湧き上がる好奇心でこの日を迎えました。

で、当日です。午前9時、私はいつも通りに駐車場の受付寺務所でスタンバイ。午前9時半すぎから続々とマイカーが到着し始めます。あっという間に駐車場は各地からのお坊さんの車でいっぱい。私のいつものクセで、宇都宮ナンバーは宇都宮ぎょうざ、群馬ナンバーはシロップ入りもんじゃ、川越ナンバーは頑者のつけめん、などなどいちいちご当地グルメが浮かんできます。

気になる若手僧侶の皆さんの「服装」はダークスーツに、各宗派の紋の入った輪袈裟のスタイルが8割強、スーツに改良服を着て輪袈裟のスタイルが一割、衣を着た完全な僧侶スタイルの方はきっと役職にある方なのでしょう。中にはオリジナルな個性的スタイルの方も。さすが若いお坊さんだけあって輪袈裟がピンクとか若草色とかの柄なし明るめが多く、年配僧侶の狃多Ы楕銑爐里箸呂舛腓辰醗磴Δ海世錣蠅魎兇犬泙后

ネクタイと輪袈裟をコーディネートさせたり、バックで個性を出したりする(帆布のトートバックとか)のは街で見かける若いビジネスマンと同じです。やはり若い方はオシャレですね。そしてもちろんみなさん狷爐すっきりと光っていて気分が良くなるすがすがしさです。

午前10時前、新潟交通の大型観光バスが登場。なんと3台も!!たちまち境内がお坊さんであふれかえった状態に。こんなに大勢のお坊さんが客殿に収まるのかしら?こうなると同じ新潟第一教区の知っているお坊さんの姿を見かけるとほっとするのです。軽い会釈かなんかしたりして。

あ、女性も5名ほどいらっしゃる。僧侶ではない寺庭婦人のみ?の自分から見ると女性のお坊さんってなんだかかっこいい。女性僧侶(正式名は尼僧(にそう)と言います)は、お寺のお嬢さんというのが傾向としては多いようです。あ、これは男女限らずの傾向ですね。すでにご住職の方もいらっしゃるとか。(結集大会で修験道の装束に身を包みほら貝を吹いた方も)

みんなタイトな黒のスーツ(就活スーツとは全く違う)にオシャレな小物やバックで決め、ハイヒールをカツカツさせてスキのないスタイリッシュさ。まるでフライトアテンダントみたい。違うのは手に数珠を持ち、首から輪袈裟をかけているところ。(私がカツカツ系のハイヒールを最後に履いたのはいつだったかな…バブルの終わり頃だったかな…なんてことが頭に浮かんで消えました)

私の属する新潟第一教区の寺庭婦人でも、本山で修行をしてお坊さんの資格を持つ方がおられて、やっぱり、数珠の使い方とかお経の唱え方とかが本格的ですごいなーって思います。いつもはふつうにおしゃべりを楽しむマダム同士なのに、読経の時になると別人みたいな。ちょっと憧れますね。夫が僧侶で妻も僧侶、まさに犁瓦剖睨性爐覆寺です。

さて話を戻しましょう。午前10時30分、お坊さんでいっぱいの客殿内ではさっそく住職の法話が始まっていました。午前11時すぎ終了。これから弘智法印即身仏の拝観です。心配していた雨もなんとか降らずに持ちこたえたどころか太陽が顔を出し、まさかの良い天気!ちょっとびっくり、奇跡です。まさに弘智さまの御霊験です。

午前11時30分すぎ。弘智さまの拝観を終えた皆さんが再び駐車場に降りてきました。「宝物堂」を見学したり、また何人かの方は弘智さまの御衣(お守り)を購入しました。

午後12時すぎ、そのまま駐車場で「解散式」です。拍手で解散のあと「寺泊のアメ横へ行く人は3号車に乗ってくださーい」との案内が聞こえてきます。ちょうどお昼どきなので、アメ横で新潟自慢の海鮮のランチとそしてお買い物をするそうです。

最後に爐つて智山青年連合会のメンバーだった住職の夫爐函現在の智山青年連合会の会長さんと大会実行委員長さんとの3ショットの写真を撮らせてもらいました。

それにしても前日から大荒れの天候が続いていたこの日、最大の心配事はお天気で爐曚楡篷湘“と思われていましたが、結果としては奇跡的に雨は避けられました。「本当に晴れて良かった」と住職や会長さん、実行委員のみなさんはほっと胸をなでおろします。弘智さまの御霊験と思っていたら「イヤ、私は絶対に晴れると信じて疑わなかったですよ」と言う、大会実行委員長さん(新潟の方)の神通力のおかげでもあったようです。

(実際、解散後まもなく、空模様は一転、雲行き妖しく暗くなり日本海の方からゴロゴロと雷が鳴り始めたと思ったらざーっと雨が降ってきました。さらに天候は悪化、強い風と頭上で雷がドカンドカン状態のどしゃぶりとなり、この悪天候は翌朝まで続きました。本当に神通力を感じました)

というわけで昨日から始まった「第16回智山豊山新義青年会合同結集新潟大会」はここ西生寺で解散式を終え、全行程無事に終了しました。皆さんこんな田舎のお寺によくお越しいただきました。たぶんいや絶対に、こんなにたくさんのお坊さんが全国各地から西生寺に集結したのは、西生寺開創1200年の歴史史上初めての事だったにちがいありません。

そんな歴史的瞬間に立ち会えた私はラッキーでした。おかげで現在の真言宗の活力であり、将来の真言宗、いや将来の日本の仏教界を背負って立つであろう、大勢の若い僧侶のみなさん方を、西生寺に居ながらにしてウオッチャー出来て大変貴重なひとときを過ごすことができました。ほんとうにありがとうございました。おつかれさまでした。

おや?ご一行が去った後、残ったお坊さんの一部がクルマの後ろを開けて、お坊さんスタイルから早くもカジュアルな私服に着替えているのを発見。(確かにお坊さんスタイルは運転しづらいかも)ダウンジャケット、シャツ、ジーンズ、スニーカー姿の爐い泙匹の若者爐冒疂僂錣蠅任后こういう段取りの良さや身軽さも現代っ子ですねー。


※画像左…3ショットの記念写真
(左)大会実行委員長さん、(中央)智山青年連合会会長さん、(右)当山住職です。

※画像右…当日の様子
バスや車に乗り込む前に行われた「解散式」の様子です。ところで今回の結集大会では「記念品」が配られたのですが、東日本大震災の大津波で倒木した岩手県陸前高田などの松林の狆将爐ら作ったという「腕輪念珠」をいただきました。そのほか大会の「冊子」もあり、ちらっと中をのぞくと西生寺紹介のページでは、このHPから抜粋した寺の縁起や境内マップ(私の手作り)などが大きく載っていてちょっとはずかしくなりました。


2012/11/01(木)
★西生寺も掲載、「見仏記ガイドブック」出ました!
20年来の仏友という、いとうせいこう氏とみうらじゅん氏の名コンビが日本中の寺院と仏像を訪ね歩く猜像ブームの元祖爐箸覆辰燭△痢峺仏記」のガイドブックがこのたび刊行されました。

当山西生寺も紹介されていて、太っ腹な角川書店さんが発売を前に、出来立てホヤホヤの「見仏記ガイドブック」を一冊進呈してくださいましたので紹介したいと思います。

「見仏記」本はシリーズ化していてこれまでに6冊出ています。いとう&みうら氏コンビで見仏した寺院は20年間で170寺以上にもおよび、これらを一冊のガイドブックに凝縮、誰でもこの一冊で日本中の寺院を自由自在に犖仏爐任るというとても便利な本です。

仏像マニア、珍寺、寺ガール、僧職男子、美坊主などなど…仏教寺院や仏像、お坊さんに関する新しい言葉が次々と生まれ、数ある○○ブームのひとつとなっている昨今です。こんな犖従櫚爐呂舛腓辰帆阿泙任泙辰燭考えられないことでした。こういう仏教に対する狄靴靴ご恭亅爐寮莇遒韻箸覆辰燭里、いとう&みうら氏の「見仏記」だと思います。

もうだいぶ前のことですが、私が初めて「見仏記」を読んだ時「これほどまで多面的な愛にあふれた寺院探訪と仏像鑑賞の本があっただろうか!」と目からウロコくらい衝撃的だったのを覚えています。と同時にお寺側の人間としては「堅苦しく近寄り難く思われがちなお寺参りがカジュアル化して、いろいろな世代の人たちが枠にとらわれず気楽に仏像や寺院に接してもらえるかもしれない、なんて良い本なのだ!」との期待感も持ちました。

古美術の視点から仏像を観賞する、最近流行りの猜像鑑賞本爐論議掌世辰鴇し違和感を持っている私です。仏さまをお守りするお寺の人間であるから当然と言えば当然なのでしょうが、私にとって仏像(仏さま)は、お寺のお堂の須弥壇にお祀りをされているもので、静かに仏さまと向き合って頭を下げて手を合わせて祈ってなんぼの狄仰の対象牋奮阿帽佑┐蕕譴覆いらです。

新刊「見仏記ガイドブック」にある両氏の対談を読むと、自分たちの犖仏爐蓮古美術だけでも信仰だけもない猜像に対する新しい態度爐箸△蠅泙后

みうら氏のイラストと、いとう氏の文章で構成される見仏記。仏像とご対面すると、遠慮のない感じたままを率直にコメント、仏像の造りなどマニアならではの好奇心を貪欲に追及、だけど仏さまへのあいさつやご信心も忘れないなどなど、今読んでも仏さまに対して爐燭さんの愛爐砲△佞譴討い泙后

「本当の信者じゃないけど手も合わせたい、ジロジロ見て(仏像の)造りのことも言いたい。美術と信仰をミックスして自由に感じるままに仏像を見るとより幅が広がるのが狄靴靴じ仏の態度燹廚覆里世修Δ任后

ところで「見仏記」にうちのお寺が紹介されているということは、当然両氏は西生寺に参拝に訪れたということです。当山には2度ほど訪れてくれています。

一度目は夏の頃、いとうさんとみうらさんおふたりで来られました。(地元タクシーから降り立ったおふたりの短パン姿がいまだ目に焼き付いて離れません。特にいとうさんのポップなピンク色)。2度目は木枯らしの吹くうすらさびしい感じの初冬の頃、みうらさんおひとりで参拝されました。

12年に一度御開帳の秘仏「御本尊阿弥陀如来」さま、良縁の仏「愛染明王」さま、そして狎樟源の見仏爛瓮ぅ鵑任△蹐ζ本最古の即身仏「弘智法印」さまを拝観しました。両氏流に表現すると牴爾ら目線で遠慮なく仏さまとコミュニケーションを図った爐箸覆蠅泙后

最後に「宝物堂」を猜色燹M汁曚匹り「奴(やっこ)の懺悔の首のガイコツ」や、「雷獣くんミイラ」に強烈に反応されて、結果、西生寺に残していった言葉は「このお寺は犂イモノ爐多いなあー」でした(笑)。(さらに現在は当時は無かった爛オカミ夫婦のはく製爐皺辰錣雖犂イモノ爐より充実、みたいな…)

世界・日本各地の「民芸品」など狠屬モノ好き爐併笋みうらさんに「正直犖仏記爐茲蝓△澆Δ蕕気鵑劉爐い笋科爐諒を愛読してます。心が沈んだ時のカンフル剤になっていて、時々思い出したように眺めては半強制的にしょーもなく笑っている」と言うと、みうらさんは「なんだよー、見仏記よりいやげ物かよー」と少々がっかりされたご様子だったことを懐かしく思い出しました。

そんなわけで、みなさんも新刊「見仏記ガイド」片手に自由気ままな犖仏旅爐鯔喫してはいかがでしょう。そしてその土地ならではの爐い笋科爐鯒磴辰謄好謄な旅の思い出としましょう。
(※爐い笋科爐箸蓮△發蕕Δ般堆如買って後悔、だけどなんか憎めない爐澆笋科爐了をいいます)


※画像…発売された「見仏記ガイドブック」(1500円税別)
仏像好き必読!旅のお供に史上最強の一冊!「全国見仏寺院ガイド(地図付)」の他にも、いとう&みうら両氏による20年目の見仏対談、見仏豆知識、見仏持ち物リスト、思い出グッズなどなど充実の内容です。


2012/10/15(月)
★風化させてはダメ!「北朝鮮拉致問題」













2002年(平成14年)10月15日、北朝鮮に拉致されていた蓮池薫さんご夫妻や曽我ひとみさんたち5名が、日本に帰国してからちょうど10年となります。何の進展もなかったこの10年を振り返り、曽我ひとみさんは「自分たちみたいに北朝鮮に拉致されている人々が続々と日本に帰国してくるとばかり思っていた」と率直なコメントを寄せています。

北朝鮮が「問題は解決済み」と協議を断絶して以降、この夏4年ぶりに北京で「日朝政府間協議」が開催されました。北朝鮮に埋葬されている邦人の遺骨問題と拉致問題が話し合われた結果「早いうちにより踏み込んだ再協議を」と、その一つの目安の時期が10年前に当時の小泉首相が電撃訪朝をして、北朝鮮が初めて拉致を認め謝罪し「日朝平壌宣言」を結んだ日の9月17日と言われてきましたが、結局、何もないままに10年の節目を迎える9月17日はむなしく過ぎてゆきました。

「今度こそ何か進展があるかもしれない」と、8月末の協議やこの日を目安に行われると言われてきた拉致問題を含めた北朝鮮との再協議に、拉致被害者家族の人たちがどれほどの期待を抱いていたことか…。

しかしこの日北朝鮮が発表した内容は「拉致問題は解決済み」というこれまで繰り返してきた主張でした。少し軟化したかと思われた北朝鮮の態度は再びもとの硬化姿勢に戻ってしまったのでしょうか。翻弄され続ける拉致被害者家族や関係者の方の失望や憤りが今の私には痛いほど伝わってきます。

犧の私には爐判颪い燭里蓮■厳酲に新潟市内で行われた北朝鮮拉致問題解決を訴える「すべての拉致被害者を救出するぞ!新潟県民大集会」に今年初めて参加したからです。

会場に満員の2000人が集結したこの県民大集会で拉致問題のこれまでや、日本政府の活動、涙まじりに早期解決を訴える横田夫妻や曽我ひとみさん、拉致被害者家族会、救う会の活動などなど、大勢の方による狎犬寮辞爐鯤垢ことができました。「北朝鮮に拉致された全員の一日も早い救出」を強く訴えるとともに、特に「拉致問題を風化させたくない!」という思いやあせりが強く感じられました。

(横田めぐみさんが拉致されてから35年、北朝鮮の日本人拉致の事実が世間に知れ渡ってから15年、小泉訪朝から10年、政府内で拉致問題の優先順位が確実に低くなったと関係者は痛感しています。一部の世論調査では、およそ半数の人が「拉致問題は解決済み」と思っているとの驚きのデータがあります。)

それはそうと、新潟に暮らしていると、関心があるないにかかわらず、北朝鮮や拉致問題は他県に比べてとても身近です。

今現在は制裁でストップしているけれど、昔から北朝鮮と新潟は海航路で結ばれており「万景峰号」が行き交っていましたし、帰国した蓮池夫妻は柏崎市に、曽我ひとみさんとその家族は佐渡ヶ島に暮らしています。未だ帰らない横田めぐみさんや曽我ひとみさんのお母さん、そして拉致された疑いの強い特定失踪者も多く、たびたび市内の繁華街で拉致問題解決を訴える街頭演説や署名活動が行われています。

それに加えて、我々が新潟市内へ行くときは必ずといっていいほどに、横田めぐみさんが拉致された現場や通っていた寄居中学校脇を通るので、その時は自然とめぐみさんの事や、身を削って活動を続けている横田夫妻の事が頭に浮かびます(めぐみさんが拉致された現場やその近くの横田家があったエリアは当時も今も新潟県唯一の高級住宅街です)。

今回集会に参加したことでさらに、初めて自分なりに拉致問題と正面から向き合ってみる機会を得ました。というわけでして今回のおてら通信は、「ちっとも解決済みではない拉致問題を風化させてはならないぞ!」という思いを込めて、ディープだった集会の内容を少し整理して書きたいと思います。(政府、外務省の当初の思惑や、拉致問題解決に向けて必ずしも日本国内が一枚岩ではない現実など初めて知ることもあり、興味深く拝聴しました。)

少し長いですが、どうぞ最後までお付き合いください。

≪北朝鮮拉致のこれまでと現状≫
●1970年〜80年(昭和45年〜)にかけて多くの日本人が不自然な形で行方不明となりました。(1976年に北朝鮮の金正日が自国の工作員に日本や日本語の教育を施すために、日本人の拉致を指令したといわれています)

→1977年(昭和52年)11月15日、当時13歳だった横田めぐみさんが新潟市内で、中学校の下校中に北朝鮮に拉致される。
→1978年(昭和53年)7月31日、柏崎市の海岸で蓮池薫さん、蓮池祐木子さんが拉致される。
→1978年(昭和54年)8月12日、佐渡で曽我ひとみさん、曽我ミヨシさんが拉致される。

しかし、当時は北朝鮮による拉致を疑う動きは少数派で、亡命北朝鮮工作員の証言で、不自然な日本人の行方不明の原因は北朝鮮による拉致の疑いが濃厚と明らかになっても、まともに取り上げるマスコミはなく、記事にしたのは産経新聞だけだったとのことです。

●1991年(平成3年)から、日本政府は北朝鮮に対して拉致問題を提起するようになりましたが、北朝鮮側は常にかたくなに否定し続けました。また、今では考えられませんが、国内マスコミの対応も当時は「救う会」などの拉致の被害者側についた報道よりも、朝鮮総連などの言い分を優先するような報道が多かったそうです。

●1997年(平成9年)になると、ようやく横田めぐみさんを中心とする北朝鮮による拉致事件が全国に知れ渡り、新潟で救出活動をしようという動きが始まり「家族会」が結成されました。

●2002年(平成14年)9月17日、当時の首相小泉さんが日朝首脳会談のため、電撃訪朝を果たし、北朝鮮が初めて自国による狷本人13名の拉致爐鯒Г畆婪瓩靴泙靴拭F瓜に国交正常化を目指す「日朝平壌宣言」に署名をしました。しかし北朝鮮は拉致した13名のうち生存は5人、残りの8名はすでに病気や交通事故などで死亡したと爛Ε夙表爐鬚靴泙靴拭複疑誉限検■舷融猖粥法

同年10月15日、拉致被害者の曽我ひとみさんや蓮池さん夫婦たち5名が日本に牋貉帰国爐靴泙靴拭

ここで常々感じていた疑問があります。
13名の拉致被害者のうち、なぜ曽我さんら5名はあっさりと帰国できて、あとの8名は未だにかたくなに死亡扱いをされ帰国できないのか?ということです。

それはこういう事情らしいです。
死亡とされた8名は、大韓航空機爆破事件(1987年)の犯人である当時工作員だった金賢姫(キムヒョンヒ)と接触をしていたり(田口八重子さんは金工作員の日本語教育係だったと言われ、その田口さんと横田めぐみさんは関わりがありました)、よど号ハイジャック事件で北朝鮮に亡命したメンバーが関与した日本人拉致に関わったからとのことです。

つまり、北朝鮮は自国の工作員キムヒョンヒの存在や、よど号メンバーの拉致関与を認めていないので、事実を知っている8名を日本へ返すわけにはいかないのです。

一方、夢にまでみた祖国日本へ牋貉帰国爐魏未燭靴殖橘召蓮日本に2週間ほど滞在したあと、北朝鮮へ帰る予定でした。実際はご存じのとおり、北朝鮮には帰らず、そのまま自分たちが暮らしていた土地に永住して今日まできています。

やっと日本に帰って来られたのだから当然といえば当然です。どう考えても拉致されて連れて行かれた北朝鮮に再び戻る道理もありませんが(この時点では家族が北朝鮮に残されていましたが)、当時の日本政府(外務省)の方針はあくまでも一時帰国を貫いていたといいます。

なぜなら、拉致被害者の一時帰国は、拉致を認めた北朝鮮との政府間の約束であり、約束を破棄するわけにはいかないというのです。5名の本音はもちろん日本永住ですが、残された家族を思うと自分たちの意志で表明することはできません。当時の5名のお世話を担当していた中山恭子参与が国会にこの問題を取り上げて「日本政府の決定で5人は返さない」という事が渋々決まったそうです。

さらに言うと、日本政府のシナリオは「北朝鮮拉致被害者救出劇」はこれで終わりというものでした(5名帰国、8名死亡で幕引き)。なぜなら一日も早く「日朝国交」を成立させる事が政府の(外務省の)最優先事項だったからです。

私は北朝鮮が毎度のように繰り返す「拉致問題は解決済み」「においもない」との主張はいったいどこら辺を軸に出てくるのか?という疑問を常々持っていましたが、どうやらこの時、日朝間で裏で交わされた「5名帰国、8名死亡で拉致問題は幕引き」というシナリオが軸になっているのだということを知りました。

(北朝鮮にすれば、こっちは拉致を認めて謝罪までしたのに、日本はちっとも約束を守らず、いつまでも執拗に拉致問題を取り上げてけしからん、という事になるのでしょう。また日本にしてみればこれで幕引きを図る予定が、予想外の国内世論に押されて幕引きができなくなってしまったという感じでしょう)

(ちなみに、北朝鮮側が8名は死亡していると偽の死亡診断書を提出してきた時、外務省は何の疑いも持たず、日本当局で捜査をすることも念頭になく、ただホテルで待機していた拉致被害家族の横田さんたちに対し「残念ながら8名は死亡していました」と言い切ったそうです。また、当時小泉さんが訪朝する前の事務レベル協議の段階で「この際、拉致被害者は第3国の中国北京あたりに居たことにすればいいじゃないか」と日本側からの声もありました)

犢駝韻鮗蕕襦糞濬个垢襦忙爐茲蠅癲拉致した国との約束を優先し、テロ国家との国交正常化を最優先とする政府とは、国家とはいったいなんなのでしょうか。(会場ではここで大きな拍手が沸きおこる…)

●小泉首相の初訪朝から2年後、2004年に「第2回日朝首脳会議」が開かれ、年内に北に残されたままとなっていた蓮池さん、地村さんたちの子供たちや曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんと子供たち、計8名が帰国しました。一方、北が提出した横田めぐみさんの遺骨とされる骨がDNA鑑定の結果、まったくの別人のモノと判明しました。

●以後、日朝国交正常化のための拉致問題解決を含めた日朝間の会合が数回行われ、軟化姿勢だった北朝鮮の態度は、2008年の再調査先送り以降「拉致問題は解決済み」との主張を繰り返しています。

このように、拉致被害者家族会や、救う会、拉致議連などの拉致被害者救出を訴える国内のグループは連携をとりつつ、「政府は拉致被害者全員をただちに救出せよ」と、内外に向けて今日まで活動を続けてきました。

こう読むと、国家が一丸となって北朝鮮に拉致被害者救出を訴えている、と思いがちですが、実は、対北朝鮮に対する戦いはもとより、日本国内の猖鳴鮮に波風立てたくない勢力(政府、官僚、国会議員)がかけてくる圧力爐箸寮錣い離┘優襯ーの消耗は無視できない相当なモノと知り、驚きです。

●拉致問題のもうひとつの大きな問題として「特定失踪者」の問題があります。

政府による「北朝鮮拉致被害者の認定」は2010年時点で17名です。政府の認定とは別に、民間団体「特定失踪者問題調査会」が調査した結果、北朝鮮に拉致された可能性がある狷団蠎鷺者爐箸気譴討い詈が日本全国で400名以上もいます。新潟県内でも7名います。このうち73名を特に獸巴廚竜燭い濃厚爐箸靴董∪府に拉致被害者として認定をするように訴えていますが、政府の認定作業はいっこうに進んでいません。

じつはこの「特定失踪者」というのは実にあいまいな位置づけで、政府の「拉致被害者認定(現在17名)」にならないかぎり、いつまでたっても堂々と北朝鮮に「返せ!」と言えないのです。しかし様々な調査の結果、拉致の疑いが濃厚とわかっているのに、日本政府が積極的に認定作業を進めているとはいえないのが現状で犖捨てられた狆態にあるも同然なのです。

認定作業が進まない理由は、政府の方針で爍隠娃亜鶻亮造頬鳴鮮に拉致されたと判断される人以外は拉致被害者には認定しない爐鳩茲瓩討い襪らだそうです。

なぜそう決めているのか?それは爐發薫磴辰燭蕁国家のメンツにかかわるから爐箸いΔ海箸蕕靴い任后K未堀巴廚気譴燭筏燭い里△訌完を拉致被害者に認定して、そしてもし間違ってもそれはそれでいいではないか、と不思議に思います。(ここで会場はまた拍手…)
しかし日本政府は国民の事より国家のメンツのほうが大事らしいです。特定失踪者家族が訴える「特定失踪者の拉致被害者認定を徹底せよ!」は拉致被害に関するもうひとつの大きな問題です。

●最後に講演で横田早紀江さんがおっしゃられたことばを書きます(覚えている範囲で)。

「1997年に家族会が結成されて以降、正直、自分たちは素人の普通の日本人ですし、これまで何度もくじけそうになりました。でもぜったいあきらめてはいけない、めぐみを、多数の拉致被害者を北朝鮮から取り返すまではぜったいにあきらめないと歯をくいしばってがんばってきました。」

「今日まであっという間でした。1977年11月15日にめぐみが拉致されてから35年が経ちますが、いまも毎朝、毎朝目が覚めるとまず思うのはめぐみのことです。今こうしている間にも北朝鮮では拉致された日本人被害者たちが政府の救出を待ち望んでいるのです。これ以上彼らを失望させてはならないのです」

「拉致問題をぜったいに風化させてはならないし、拉致問題の解決は国民の総意、日本政府は拉致問題の解決なしに北朝鮮への支援はしないというメッセージを北朝鮮にしっかり伝えて欲しい」

今月の中旬以降、前回よりも一歩踏み込んだ犇苗控蕕瞭朝政府間協議爐開催される予定があると聞きます。「今が最後のチャンス」と皆が口をそろえて訴えています。どうか、拉致被害者家族の方々が再び失望しないことを、拉致問題について、今度こそあいまいではない確かな進展があることを強く望んでやみません。


※画像左…北朝鮮による日本人拉致問題啓発アニメ「めぐみ」
政府拉致問題対策本部が企画・製作した横田めぐみさんの拉致と横田夫妻の戦いをアニメにしたDVD「めぐみ」を図書館で借りて観ました。タイトルの他に獸巴廚箸いΑ⊆由を奪う行為を忘れないでください爐判颪い討△蠅泙后この25分間のアニメを見ると、いかに拉致という行為が、ふつうの家庭のふつうの幸せを一瞬にして奪い去る卑劣な行為であるか、拉致された方も、残された家族もそれぞれの人生をめちゃくちゃに破壊され、拉致問題が解決されるまではいっときの平穏も許されない、身を削る悲痛な日々を過ごし続けるのだという事がよくわかります。

35年前にめぐみさんが北朝鮮に拉致された日、来月の11月15日には再び県民集会「忘れるな 拉致11・15県民集会」が開催されます。

※画像右…「県民大集会」の様子
「県民大集会」は、2002年に北朝鮮が拉致を認めてから今年で10年となることを踏まえた企画。当時の松原仁拉致問題担当大臣も出席するなか(この人は狡境狹任だっただけに交替は非常に残念)、横田めぐみさんの父滋さん(79歳)、母早紀江さん(76歳)ら被害者家族や、佐渡市の拉致被害者の曽我ひとみさん(53歳)が早期解決を訴えました。

第2部として安倍晋三元首相(現在自民党総裁、拉致被害者家族の安倍さんに対する信頼はとってもとっても厚い)、超党派の国会議員でつくる拉致議連の平沼赳夫会長、中山恭子元拉致問題担当大臣、ジャーナリストの櫻井よしこさん、救う会会長の西岡力さんによるパネルディスカッションが行われました。

ちなみにこの集会に、私がハガキで応募してまで参加したかった最大の動機は、日ごろから拉致問題に強い関心を持っていたことは当然ですが、ミーハー的な観点から言わせてもらいますと、私があこがれる最強のジャーナリスト櫻井よしこさんが来るという事でした(櫻井よしこさんは地元長岡の出身です)。


2012/10/04(木)
★10月2日「弘智講」の報告













とっても涼しく、とってもさわやか。これぞまさに秋ですねっ!みたいなお天気に恵まれた10月2日、弘智法印即身仏さまを偲ぶ法要とお祭り「弘智講」が行われました。お陰さまで今年も大勢の方のお参りをいただき無事に終わりました。

大般若六百巻転読、お施餓鬼(せがき)、御祈願、合同水子供養と、次から次へと法要が続く7月15日、真夏の「大般若会」とは違って、弘智講は始まりからしてどことなくのんびりとした空気が漂っています。

弘智講当日はだいたい午前9時すぎから人が集まりはじめます。午前中は法話、弘智さまの法要、お施餓鬼とちょっとまじめにお寺っぽい?内容です。そして法要全てが終了するのがちょうど正午すぎです。

次はお待ちかねの昼食タイムです。村の仕出し料理店から届くお弁当(折箱)のご飯が、いつもの倏鯤騰爐任呂覆、今回は秋らしく犒とキノコの炊き込みごはん爐世辰燭里ちょっとしたうれしいサプライズ。

庫裡(くり)や客殿など、各自好きな場所でお弁当を食べます。
BGMは午後より演芸を行う、おなじみ「土田芸能社」が舞台装置のひとつに客殿に持ち込んだ大きなスピーカーから流れる、哀愁ただよう演歌や、盆踊りの民謡っぽいメロディのミュージック。

お腹いっぱいになったところで、お堂を吹き抜ける気持ち良い自然の風に身をまかせてしばしだっくらタイム。おしゃべりに興じる人、ゴロンとお昼寝をする人、弘智堂へ行き弘智さまをお参りする人、私の居る受付寺務所でお守りを買う人などさまざまです。

客殿のスピーカーが奏でる、ノスタルジックなレトロミュージックの調べが、おだやかな秋の空気と野鳥のさえずりに乗って、陽だまりのここ受付寺務所まで響いてくると、思わず「ココって本当に平成の日本なの?時代が逆戻りしたんじゃない?」って錯覚におちいるのです。

そして午後からはいよいよお楽しみの時間、土田芸能社さんの「演芸ショー」のステージのはじまりです。毎年、趣向を凝らした昔ながらの演芸の数々を披露してくださる、おなじみの土田ファミリーによる演芸に、会場となっている客殿からはお客さんの笑い声が聞こえてきます。

しかし、なんだろう、今日、西生寺を包み込む心地よすぎるこのまったりとしたムードは…

おばあちゃんがいっぱいだから?
秋のおだやかな気候だから?
稲刈りが終わったから?
田舎の山の中だから?
昔ながらだから?
レトロだから?
満腹だから?

いえいえ。それは犢庵匚屬世ら爐任后

そうなの、なぜいままで気付かなかったのだろう、弘智講ってやっぱり基本は弘智さまのお祭りなんですよ。堅苦しくないんですよ、ちっとも。弘智さまの祥月命日のこの日は、弘智さまのご縁により西生寺に集まった方々に、のんびりじょんのび過ごしてもらう日だったのです。

「弘智講って堅苦しさ抜きにお寺で一日のんびりする日だったんだね」
いまさらながら気付いたのでした。

当日、夜明け前の早朝から起きて準備を始め、参拝者を迎える側の寺庭の私ですが、22回目の弘智講で、初めていっときだけど爐てらでまったりする人々の一員爐箸覆譴慎いしました。(少しは行事に慣れたのかな?)

そういえば、今みたいに、週に一度とか決まった休みがなく、休日がお盆と正月だけだった時代、お寺で一日を過ごすこうした犢屐覆海Α豊爐、庶民の娯楽や休息の役割を果たしていたということを思い出しました。

古くて温かいもの。どんなにめまぐるしく世の中が変わり続けても、ゆったりとした独自の時間が流れて変わらないものの良さがお寺にはあります。それは歴史を見つめてきた仏さまだったり、数百年間も祥月命日の日に続けられてきた弘智講などの昔ながらの行事だったり。。。

ちょっと息切れしそうになったとき、近くのお寺を訪れて猜僂錣蕕覆い發里硫垢さ爐魎兇犬討澆襪里發茲いもしれません。


※画像右…法要の様子
弘智さまを讃え、弘智法印即身仏の功徳をいただく法要です。画像はそのなかのひとつ「光言行堂(こうごんぎょうどう)」という法要の最中です。画像では分かりづらいですが、幾人ものお坊さんが、節(ふし)をつけた光明真言のお経を唱えながら、内陣を時計回りに何周も回っています。

※画像左…「土田芸能社」演芸ショーの様子
これは一人芝居ですね。飲んではいけないお酒を、ちょっとならバレないだろうとこっそりとひと口、もうひと口と飲んでゆくうちに酔っ払い、しまいにいい気分になって、誰も見ていないのをいいことに、民謡を唄いだす芝居です。


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