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2015/03/23(月)
★タイ旅報告:東北地方の寺院「門構え」














●画像左右…ラーンサーン様式寺院の「門」の装飾
今回の旅で私が一番気に入ったのがイサーン(東北)地方のお寺の猝膵修┃爐任后
慣れ親しんでいるゴージャスエレガントな北部のラーンナー様式寺院の門は、基本的に「獅子」が2頭両側に立っているだけのシンプルな造りの門が多く、東北地方のようにお寺ごとに凝った爛疋薀泪船奪な門構え爐呂箸討眇形に映りました。

しかもこの画像左右の「門」の動物や仏さまたちの目に映っている風景は、悠々と流れるメコン河と、メコンにのぼる美しい朝日と、対岸ラオスの絶景なのですから。画像とは別の門ですが、片膝を立てて剣をつき、手をかざして威風堂々とこの絶景を眺めている仏さまもいらっしゃいました。

タイの最東部ウボンラーチャターニーの町の寺院の門も、商店街の建物と建物の隙間にぴったりと組み込んだみたいな「アーチ型の門」で印象的でした(雑踏系?)。とりあえず、目立つ表通りの商店街の建物の隙間に「門」を出して、門を入るとかなり奥まったところに諸堂が見え始め、予想以上に広い境内が広がっている、という造りです。ウボンはお寺が多い町で、計9ケ寺をお参りしましたが、どこのお寺も境内が広くお堂も大きく立派なものでした。


2015/03/23(月)
★タイ旅報告:今年出会った「ラック・ムアン」














ここ数年の犹笋離織の更圓粒擇靴澂爐箸覆辰討い襪里、初めての町に滞在した時にその町の「ラック・ムアン(市の柱)」を探してお参りをして、画像に撮り、コレクションすることです。

なぜならローカル好きな私にとって「ラック・ムアン」ほどオリジナリティに溢れているモノはなく、町の形成を知ることができる「立地」と(ちゃんと柱を中心に発展している町もあるし、予想外の展開?になった町もある)、「お堂」や「柱」を見るだけでその町の歴史や特徴、行政のスタンス(お金をかけてる=見栄?とかいろいろ)や、住民の信仰度合などを色濃く知ることができるからです。

今年は6カ所の町で「ラック・ムアン」との新しい出会いがあり「Myラック・ムアンコレクション」に加わりました。新に加わった中で、気に入ったラック・ムアンを紹介します。



●画像左…ランパーン「す、す、すごい!ラック・ムアンの真髄を見た!」

爐砲錣箸雖爐トレードマークの北部の町ランパーンは、モン族が興した古い木造家屋の街並みがステキなところ。「ラック・ムアンはあるかしら?」と思ったらありました。遠くからはじめ、外観のお堂を見たときは「町に馴染んでいる何の変哲もない古めの普通のお堂だな」なんて思って、お参りする市民の人々のじゃまにならないようにはじっこにサンダルを脱ぎ、軽い気持ちで内部に入った途端、この狠讚爐任垢茵っていうか犁霏腓兵蠅泙蝓

長い年月のあいだに「金色の柱」に巻かれたカラフルな「信心の布」が肥大化してこんなすごいラック・ムアンになってしまったのです。こんなラック・ムアンには初めて出会いました。「お堂が超ド級の個性派ラック・ムアン」は例えばスリンとかいろいろと出会いましたが、一番大切な狠讚爐砲海譴曚匹豊猯醂廊爐魎兇犬燭里魯薀鵐僉璽鵑離薀奪・ムアンが初めてかも。すごい感動しました。

それはそうと、3月に入ると北部山岳地帯では恐怖の猝郛討シーズン爐始まり、町全体が灰色の煙に覆われてしまう「煙害(ヘイズ)」が毎年かなり深刻な状況になります。(煙で飛行機の離発着ができなくなるほど)チェンマイも煙害がひどかったけれど、ここランパーンが一番ひどかったです。この「煙害」の有害物質は「PM10」なんだそうです。あの「PM2.5」じゃなく「PM10」。120が健康被害に遭わない上限とすると、チェンマイは188、ランパーンは240でした。


●画像右…ルーイ「何もないと言わないで。こんなステキなラック・ムアンがあるじゃない」

東北地方と北部地方のちょうど境目にある東北地方「ルーイ県」は、イサーンでは珍しく山々に囲まれた高原の県です。ちょっと奥地にあるためか「ルーイ」とは「さい果て」という意味です。ローカルバスの「行き先表示」が、ルーイだけはわざわざ「ムアン・ルーイ(ルーイ町)」と爛爛▲鵝閉)爐ついているのは、バスの行先が「さい果て」ということになってしまうからでしょうか。県都のルーイ町は小さな高原の田舎町で「メコン河も観光も名物も何もない町ルーイ」なんてよく言われます。

「何もないってどういうことよ!」と私が連日ルーイ内をリサーチしまくった結果、ようやくなんとか探し当てた1ケ寺と、人口に対してやたらと多い「バイク屋」と、人口池のほとりにたたずむ、こんなステキな「ラック・ムアン」と、ルーイ川に架かる爐舛磴鵑藩匹譴詼槓爐痢崟屬伐色の立派なつり橋」を見つけました。夕方になると、このつり橋はルーイの恋人たちとルーイのヤンキーとルーイのガキンチョたちのたまり場になって、誰か大人がつり橋を渡ろうとすると、ヤンキーやガキンチョがわざとジャンプして揺らしたりしていました。

ここの「ラック・ムアン」のお堂は、小ぶりでぽってりした感じがとってもキュートですね。小ぶりでのんびりとしたルーイの町の雰囲気にぴったりとマッチしていました。堂内は、素朴な猝收修龍眇Г涼讚爐函∧匹砲呂つてプミポン国王がここの狠讚爐鬚参りした時の白黒写真の大きなパネルが展示してありました。

それとルーイと言えば私の大・大・大好き!な「ピーターコーン人形」のダーンサーイ村もルーイ県です。ルーイナンバーの車に「ピーターコーンステッカー」貼ってる率高かったし、ルーイのタクシー会社のマークも「ピーターコーン」でした。そういえば「ルーイ県へようこそ!」の国道のウエルカムボードも巨大なピーターコン人形だったし、要するにルーイ県はとりあえずアピールできる観光要素は「ピーターコーン(奇祭)しかない」ということのようです。


2015/02/05(木)
★「別れと旅立ちの季節」到来














どんなに雪が降っても、どんなに寒くても、毎日夕方になると活動モードに入った飼いネコタビー(メス3歳)を外へ出します。室内飼いが崩壊し、外出するようになって初めての冬ですが、雪も寒さもモノともしないネコでした。

このとき、ノラ猫と間違われないように名前と電話番号を書いた「首輪」をつけて送り出すのですが、先日、その首輪が野外活動中に外れてしまったらしく失くして帰ってきました。

2年前に「動物愛護センター」にタビーを引き取りに行く時に買って持って行った思い出の首輪でしたのでちょっとがっかり。

夫と「ネコだもの、どこかに落としてしまった首輪を自分で見つけて拾って帰るわけもあるまいし」と話しをしていたら、3日後、なんと本当にタビーは、どこで見つけたのか犲分が落とした赤い首輪爐髻我々の部屋まで口にくわえて持って帰ってきたではありませんか!すごいかも、うちのネコって。

爐弔い馬鱈爐鬚靴泙垢肇織咫爾録祐峺譟米本語)だって話せるのですよ。

この間、タビーが乗ってはいけない場所に乗ったので体ごと持ち上げて下に降ろした時、はっきりと「イヤ〜ん」と言ったのです!

しかしこんな爛好看タビー爐箸發靴个蕕お別れをする季節が今年もやってまいりました。

すっかり仲良しとなったスタッフやネコ友のアメ太郎(アメショー)の待つ、行きつけの動物病院のペットホテルにロングステイさせます。で、飼い主の私はといいますと、今年もひとり「南国タイ」へ旅立ちます。

本来は、留守番でお寺にずーっといる夫がネコの面倒を見れば良いのに、弥彦ヤマネコと化したタビーがほぼ毎日捕獲してくる、大の苦手な爛優坤澆筌皀哀蕕梁仆茘爐「耐えられない」との悲痛な訴えにより、3度目のロングステイとなったのでした。


20代より東南アジアを中心に毎年シーズンオフのこの時期に続けてきたひとり旅。今年もなんとか旅ができる状況に感謝です。(ちなみに冬の長期不在を除くと、昨年の私の休日はたったの4日間でした)

私の第二の故郷となりつつあるタイですが、あいかわらず「日本ブーム」が続いています。

特にビザがゆるくなって以降「日本旅行」が人気で、海外旅行先で狷本爐郎0貳嵜裕い箸覆辰討い泙后(本屋ではさまざまな日本のガイドブックが売られています)

今年1月に発表された数字によると、タイを訪れる日本人観光客の数より、日本へ来るタイ人観光客の数の方がついに上回ったとのこと。24年間タイに通い続けてタイの発展やアレコレ?を見続けてきた私にとって、この逆転現象はびっくりです。

訪日タイ人旅行者激増は、タイを旅する日本人の私にも思わぬ変化があります。それは何かというと、各地で接するタイの皆さんの反応が、これまでとちょっと違うのです。

もともとタイでは生活に日本のアニメ・漫画などが浸透していて、ドラえもんやキティちゃんなどのキャラクターは「本場の日本人より好きなんじゃないか」と思うほど大人まで好きな人が多く、同じ王室(皇室)がある日本に対して友好的な人が多いのですが、

私が韓国人や中国人ではなく狷本人爐世畔かると(だいたい私は最初、韓国人か中国人に間違われる)とたんに笑顔になり、

「なーんだ、あなた日本人だったの。この間日本へ旅行してきたけど、とっても良かったよ、また行きたい。日本最高!」
とか、

「今度日本へ(旅行に)行くのだけどすごい楽しみ」
というパターンになることが増えたのです。

タイ人も所得が増えて中間層が気軽に海外旅行ができるようになったのね、と実感するとともに、久しぶりに出現した爛縫奪櫂鵑亡愎瓦鮗┐好織い凌諭広爐某形さを覚えます。

なぜなら、日本のバブルがはじけていらいおよそ20年、不景気が続く今日までの間に起こった爛織い任諒儔臭爐呂海鵑粉兇犬世らです。

→中国や韓国が台頭し、海外旅行のアジア人代表格だった日本人に代わって、中国人や韓国人旅行者が急増、昔は日本のポップ(音楽)が主流だったのに芸能・音楽・ファッションで韓流ブームが起き「流行は韓流に学べ」と今の若い子は言う。

→中級以上のホテルの家電は、日本製からすっかりサムスンやLGに総入れ替えで、オーナーが日本びいきでもないかぎり日本製はめっきりと姿を消してしまい、たまに備品がパナソニックや三菱だと「おーっ」と感動する始末…。

→日本人相手の「日本語の看板」が減り、代わりに中国人旅行者を相手とする「中国語の看板の店」が目を見張るスピードで各地に激増中、「コニチハ」と声をかけていた呼び込みのお兄ちゃんも最近じゃ「ニーハオ」と言う。

こんなふうに、あらゆる方面で日本の存在感がなくなり、日本ブランドも低迷、不景気に若者の内向き志向が重なり、アジアを旅する日本人旅行者が激減した時代にも、旅が好きな私はふつうに細々とマイペースに旅を続けてきたのですが、正直「日本って、日本人って、陰が薄くなったなあ」とさみしさを禁じ得ませんでした。

そんな「忘れられちゃった国ニッポン」という爐やしい感じ爐鯊慮海靴討い觧笋任垢里如空前の日本食ブームとサブカル人気、それに続く旅行などの今のタイでの狷本人気爐蓮◆屬曚鵑箸なあ」と疑う気持ちと「もしかして空気が変わったのかな」といううれしい気持ちが同居した心境です。


さて、そんなタイですが昨年の今ごろはホント大変でしたねー。

反政府デモ隊による「バンコク封鎖」で道路を占拠するデモ隊の活動が最盛期で「選挙」もめちゃくちゃ「戒厳令」が敷かれ観光地やホテルは閑古鳥、「いったいどうなるの」と先が読めず首都も政治も大混乱でした。私もバンコク滞在時は深夜まで続くデモ隊のお祭り騒ぎで犲栓爐必須アイテムとなりましたが、

いまのところ暫定政府(軍政)のプラユット首相の手腕を国民の大半は支持しているようで「今年は久々に狢侘爐發覆平和で良いなあ」とつくづく思います。(継続中の「戒厳令」で赤シャツタクシン派を押さえつけているだけという話も)


今回のタイひとり旅は「もしかしたら長い旅は最後かも…」と思うので、最終地は大好きな北部チェンマイと決め、バンコクを起点に夫と車で回った東北イサーン地方を、もう一度訪ねてみたい町や、行ったことのない町など、外国人旅行者がわざわざ訪れないような狠亙の町爐髻■横安紊離丱奪パッカーだった頃の原点に戻り?ローカルバスでのんびり回りたいと思っています。

ツーリスト向けのお店が一軒もないふつうの町に滞在し、タイ庶民にまみれながら町の雰囲気や人々を観察、楽しみなお寺参り、趣味のラック・ムアン探し、朝や夕の市場散策、郷土料理の探究、地元の人と同じモノを食べ、つたないタイ語でコミュニケーションをはかり、タイマッサージで心身を揉みほぐし、メコン河を眺め、

日本のしがらみから解放されてどっぷりタイ化する自分を楽しみたいです。


そんなわけですので「おてら通信」は今年もしばらくの間、お休みさせていただきます。

東京と(長野・新潟(上越&糸魚川)・富山経由で)金沢を結ぶ「北陸新幹線」が開通して間もないころ、お寺に戻ってまいります。(※「北陸新幹線」開通は3月14日)

それではみなさん、雪割草の咲くころにまたお会いしましょう。



●画像左…タイ「プミポン国王の新年挨拶のポスター」
ピサヌロークとウドンターニーを6時間で結ぶ「バス」のフロントガラスに貼ってありました。タイでは運転席まわりのアレンジは運転手さんの自由。交通安全を願う仏像や仏花、高僧や国王・王妃の写真、自分の好きな欧州のサッカーチームのポスターを張ったバスなどいろいろです。プミポン国王は毎年、国民に向けて「新年のあいさつのカード」を発表します。これはそのポスター版で、タイ数字で仏歴2556年とあり2013年度のものです。

国王のメッセージが添えられたポスターには、中央にお座りになられた国王と、国民の間でも有名な愛犬2匹が一緒に映っています。左側の犬は爛函璽鵐如璽鵝米漆А豊爐箸いμ樵阿如右側の白い犬が爛泪蝓辞爐箸いμ樵阿任后2匹ともゴージャスなタイシルクの服を着ています。私もこのカードを持っていますが、今年(2558年)のカードは、国王自らが描いた絵画の作品だそうです。

●画像右…タイの国花「ラーチャプルック」
タイの国花は蘭(ラン)だとずっと思っていましたが違いました。日本の桜くらいの大きさの木に、藤の花みたいにして咲くこの鮮やかな黄色の花は、タイのいたるところで見られます。国道を車で走っていると、満開のラーチャプルックの並木通りが出現することも多いです。乾季のタイの青空に本当に美しく映え、明るいタイ人の国民性にもぴったりマッチする国花だと思います。


2015/01/25(日)
★樹齢800年の大銀杏に思うこと














静かな冬籠りのお寺暮らしが続いています。こんな時はストーブにかかったヤカンの奏でるチンチンという音を聞きながら、いつもよりじっくりと新聞を読む楽しみがあります。
最近読んだ記事で心に留まったものがありました。

それは長岡市のある集落を見守ってきた狢腑ぅ船腑Δ力鱈爐任后

この大イチョウは樹齢400〜500年にもなる巨木で、集落の中心にあり、集落のどからでも見えるという狢爾離轡鵐椒覘爐任后しかしある理由から、集落の住民たちの話し合いの結果、断腸の思いで狃佞泙任鉾穏里垢襪海箸魴茲瓩伸爐箸いζ睛討任靴拭

大イチョウは代々村の住民たちで守ってきた集落の宝。樹が枯れてしまったわけでもないのに10年ほど前から「大イチョウをどうするか?」という議論がされてきたといいます。10年間悩みぬいた末の決断だったとあります。

伐採を決めたその理由は、

「巨木を管理する側の高齢化が進み、落ち葉やギンナンの清掃が負担になってきており(軽トラック6〜7台にもおよぶ)、将来的な管理を考えると、切る決断をせざるを得なかった。今決断しないで課題を先送りにしても次世代に苦労をかけるだけ」

というもの。

この記事を読みながら、私は西生寺境内にある「樹齢800年の大銀杏」を思い浮かべていました。(というより、我が家に大イチョウがあるからこそこの記事が目に留まったのですが)

樹齢数百年という、とてつもない歳月を生き続けている巨木、大イチョウへ捧げる私たちの特別な思いと、集落の人たちの集落の大イチョウへの思いは同じはず。

「よく決断したなあ。同じ決断が私たちにもできるだろうか」と、樹と人間とが互いに見守り見守られてきた村の大切な大銀杏を切るという決断に至った、集落の皆さんの心境はどれほどのものだったかと心中を察するのでした。


そんなわけで爐舛腓辰伐罎家の大イチョウに会いたくなった犹笋蓮△気辰修弘智堂前にそびえ立つ大イチョウの巨木に会いにいってきました。

数百年ふんばってきた証し、くねくねと地面をはいつくばり方々へ広がる無数の根、太い樹幹(じゅかん)はでこぼこした大きな瘤(こぶ)がうねるようにいくつも合わさり猝妓世稜力爐飽掬櫃気譴泙后

この樹の前に立つと私は、いつもきまって寺山修司の詩の一節が思い浮かぶのです。


一本の樹のなかにも流れている血がある
樹のなかでは
血は立ったまま眠っている


きっと目の前のこの大イチョウの太い樹のなかにもどくどくと流れている血があるにちがいない。
外から見ると冬枯れでどこまでも静謐(せいひつ)だけれど、きっと内部は芽吹きの時に向けて蓄積されたエネルギーが熱くたぎっているにちがいない。と。

「私もこの大イチョウのようにしっかりと地に足をつけて、太くたくましくありたい」
「内面からあふれるような、何かがみなぎっているような人間になりたい」

なんて思ったりしながら、すぐ向かいの「弘智堂」の鈴を鳴らし、弘智さまに「どうか大銀杏をお守りください」とお参りをしてから、もと来た道をてくてくと母屋へ戻っていきました。

記事によると、切ることになった集落の大イチョウは、(この銀杏の)子孫を育てて集落に植え、新しい世代につなげることも考えていると締めくくられていて「途絶えるわけじゃないね」とふっと気持ちが明るくなりました。



●画像左…天然記念物「西生寺樹齢800年大銀杏」
【樹幹周囲】11.5メートル
【高さ】28.4メートル

太い樹幹を見上げるとこんな感じ。たびたび紹介してきましたが「親鸞聖人」ゆかりの大銀杏です。1260年に親鸞聖人が西生寺参拝の際に、地面に挿された杖(つえ)が発芽し、枝が繁茂して今に至るといわれています。

●画像右…迫力の樹幹
巨木好きというわけではありませんが、力強く大地に根を張った樹木はどんな種類でも好きです。寺山のこの詩は20歳でお嫁に来るときにはすでに私の好きな詩のひとつとなっていたのですが(高校時代、私はディープに寺山ワールドにハマった)、初めて西生寺の大銀杏と対面した時、電流が走ったみたいにこの一説が浮かんできて以来、私の中では大銀杏とこの詩はセットになっています。


2015/01/12(月)
★フランス甥っ子「冬の西生寺滞在記」














クリスマス明けに1ヶ月の予定でフランスより来日、正月から西生寺に滞在していた大学を卒業したばかりの甥っ子(兄)が次の滞在地へ向けて西生寺を旅立って行きました。

中高年ばかりの西生寺に、たったひとりでも20代のピチピチとした健康な成年男子の放つ、さわやかで無邪気で、そして陰湿な冬をものともしない太陽みたいなギラギラの熱いオーラに、阿刀家の面々もしばし活性化され楽しい毎日でした。

初雪が大雪になりその後も積雪を重ねた結果、境内にためておいた落ち葉取りなどの「最終的な掃除」をできずに新年を迎えてしまったのですが、甥っ子がその仕事を快く引き受けてくれて大助かり。滞在中、やってほしい境内のアレコレをたったひとりですべて完璧にやり終えてくれました。

残っていたゆず、我が家の倒木してしまった木から獲った犧埜紊里罎梱爐鬚曚箸鵑描管投入した、日本オリジナルの爐罎催鬮爐髻嵋諭∪犬泙譴峠蕕瓩討世茵△罎催鬚覆鵑董4櫃瓦汎れちゃうんだ、楽しい〜」と大喜び。(ゆず自体がフランスにはないとのこと)

日中の境内仕事の後の夕食では爛瓮盛りのおかずや白米爐髻屮筌个と味すぎ!最高!」とモリモリと平らげ(特にゆずの皮で風味をつけるとやけに喜ぶ。本当に仏にゆずはないようだ)、おじいちゃんとおばあちゃんと共に過ごし、愛猫タビーをいじくりながら私といろんな事を話して、そして猗瑤崢燦紊鯊さず爐里瓦箸さわやかに旅立っていきました。

これにて西生寺も完全な日常が復活、いよいよ本格的に狹焙討蠕験茘爐スタートしました。(曜日感覚が失われてゆく日々…)

甥っ子はパリの大学で生物学を学んでいて、特に「海洋生物学」に興味があるとのことで、いろいろと面白い話を聞かせてくれました。


●「クラゲ」と「イソギンチャク」と「サンゴ」は元はみな同じ。

→ウソみたいだけど、子供のうちはみなイソギンチャク。イソギンチャクがはがれて海中をただようクラゲになる、そのままはがれないイソギンチャクはサンゴになるという…ホンマかいな。

●海に生息する哺乳類といえば「クジラ」と「イルカ」だけど元は陸の動物だった。

→太古の昔、クジラもイルカも陸の動物だった。しかし陸では敵が多く、安全な海へと回帰していった。実はクジラと兄弟の陸の動物が「カバ・牛・馬」で、イルカの陸の兄弟にいたってはなんと「キツネ科」なのだとか…ホンマかいな。

●西生寺滞在中の1月7日に発生した「パリ出版社襲撃事件」での甥っ子の意見。

→フランスや欧州は自由な風刺の文化があり、自国の大統領でも何でもかんでも風刺画にして表現する。今回襲撃されたのはフランスでは風刺画の有名な週刊誌。

→大勢を殺害した報復テロ行為は許される事ではないが、しかし預言者モハメッドの風刺はやりすぎだと思う。今回亡くなった編集長は「たとえ宗教であっても、表現(言論)の自由は貫く」と言っていたが、他宗教の人間が他宗教のことを風刺することはどうかと思う。(この編集長はイスラム教以外の宗教も風刺していたという)宗教は信仰であり、やはりリスペクトすべき。この気持ちなくして表現の自由なんてありえないだろう。

→だいたいフランス人は何かにつけ「表現(言論)の自由」を口にする。この言葉ですべてが許されると勘違いしている人が多い。フランスのことわざで「自分の自由は他人の不自由」という言葉がある。自由自由と言って他人を不愉快にさせたり傷つけたりして良いはずがない。

●話はさらに爛侫薀鵐洪裕ぜ銑爐悗搬海。

→日本人は多数派の意見に対して「ノー」と思っていても自分の意見を殺し、大衆に合わせるお国柄だが、フランス人は自分が同じ意見でもそれが多数派だと「ノン(違う・反対)」と言う爐△泙里犬磴的爐聞駝雲がある。

→また、フランス人は上から押し付けられる事が大嫌い。例えば、公衆トイレ。「有料」にすると猛反発が起きるがそれは爛吋銑爐箸いΔ海箸任呂覆ぁL砧舛砲靴謄肇ぅ譴法屮船奪廖粉麌婉癲烹贈錬悄廚鮹屬い童帖垢琉媚屬鯊砂鼎気擦襪函△修譴覆蠅砲燭さんのお金が集まるという。

●ついでに狷仏の就職活動事情の違い爐砲弔い董

→オランド大統領になっても景気はちっとも良くならず、ますます若者の就職難が深刻化している。大学を卒業しても、大学院を卒業しても、希望の職種につける人は限られている。

→ただし日本のように新卒者が優遇されるということはなく、大学卒業後、バイトをしながら数年かけて就活をしてもまったく問題はない。在学中から早々と就活が始まる日本とは違い、フランスでは卒業をしてからのんびりと就活を始めるのが普通。

→狃⊃先の候補爐癲日本みたいに大学で専攻している分野とまったく関係のない犁詢舛領匹ぢ膣覿箸魎望する爐里任呂覆猜拔をしている分野の業界爐ら就活を始めるので(業界側も同業分野の卒業生を希望している)、日本の大学生の就職の考え方や価値観の違いにひじょうに違和感がある…。


などなど。へえー、日本とフランス、ずいぶんと違うものなのね。かくゆう甥っ子自身も、昨年7月に大学を卒業したけれど、この一年はバイトに専念してお金を貯める年と決め、働きながら大学院への進学を考えるのだとか。

そう、「大学院進学」も就職同様、フランスでは大学卒業すぐでなくてもよいそうです。敗者復活も難しいような競争社会のあわただしい日本とは違い、バイトをしながら何年もかけて自分に合った仕事を探すという、なんとゆったりとしたシステムなんだろう、フランスって。(ま、就職難には変わりないが)

かつて卒業を控えても就職の話も、大学院進学の話も何もしない甥っ子に対し、事情を知らない私はつい日本の物差しで「なに悠長にしているのー」と言ったりしたこともあったが、そんなもんなのですね。

ちなみに甥っ子のフルタイムのバイト先は、あの有名な「ルーブル美術館」地階にあるミュージアムショップだそうです(アウトドア担当)。見かけたらよろしく…。

以上、フランス生まれフランス育ちの甥っ子の狎献侫薀鵐江霾鶚爐任靴拭

今回甥っ子は「僕は西生寺が大好きなので、これからもずっと自分のできる事をして西生寺をサポートし続けるよ」と爐い辰舛腓泙┃爐覆海箸鮖笋妨世辰討れました。ふん。



●画像左…「朝食風景」(手前)長老、(中)甥っ子の貴翔、(奥)園子ママ
阿刀家では、元旦の「雑煮(こうとう)&きなこ・あんこ餅の朝食」を皮切りに、一月のあいだじゅう毎朝「餅食」が続きます。「よくも飽きずに餅ばかり…」と私なんて思ってしまいますが、みな「餅大好き!」なのだそう。

甥っ子は今年は1つ増えて毎食7個の餅を食べました。長老のお父さんも園子ママも久しぶりの「てら通」登場です。こうして画像で見ると、やっぱり二人とも年を取ったなあ…(っていうか自分もだけど)。

●画像右…さわやかに西生寺を去る甥っ子の貴翔(きしょう)
このあと彼は弘智さまにお参りをしてから徒歩で村まで下り、越後交通の路線バスに乗り、一度乗り換えて寺泊駅へ。在来線(JR越後線)で新潟駅まで行き、従兄弟や友人と過ごし、岐阜の中津川の実家へ一度帰り、スノーボードの道具を取ってから、友人と白馬岳でスノーボード三昧だそうです。


【おまけ話】:頭がフランス語な甥っ子が滞在中に間違った日本語
○ぜんまい(機械式時計の部品)と言いたいのに→あじさい(紫陽花)→さんさい(山菜)
○こけん(孤剣?)に関わると言いたいのに→こかん(股間)に関わる
○ぶつだん(仏壇)と言いたいのに→だいぶつ(大仏)

実例):「おじいちゃんとおばあちゃんの部屋のテレビとだいぶつの間をネズミがちょろちょろしていたよ」


2015/01/05(月)
★謹賀新年−2015−


















皆さま、新年明けましておめでとうございます。
本年も西生寺とおてら通信をどうぞよろしくお願いいたします。

みなさんはどんなお正月を過ごされましたでしょうか。我々はあいかわらず年末から続く爐寺仕事の山爐膨匹錣譴襪茲Δ砲靴討△辰箸いΥ屬忘Fまできました。元日から黙々と仕事をこなしてゆく中で、今年の干支の爛侫.鵐掘爾覆劼弔犬舛磴鶚爐粒柄の年賀状を見ると心がほっこりとなごみました。

英語で爍贈味腺達 SHEEP(黒い羊)爐箸いΩ斥佞ありまして、これは猜僂錣蠎圻爐箸いΠ嫐です。後ろに燹腺錚 the family.爐鬚弔韻襪鉢牴搬欧里覆でちょっと浮いた存在・一家の変わり者爐箸そういう意味の言葉になります。

私、この言葉が好きでよく自分と重ねたりします。

「BLACK SHEEP上等!」
「いつまでも西生寺の黒い羊でいつづけてやる!」

みたいに。
(※注意:決して西生寺の猜黒い羊爐任呂△蠅泙擦鵝

自分自身さほど変わり者とは思っていませんが、昔から人からそう言われることが多いです。みなさんも私もいくつになっても自分の世界観を大切にしたいものですね。

今年はお寺に嫁いで25年の節目でもありますし、干支のひつじにちなんで「西生寺のBLACK SHEEP」の枠を飛び越え「ニッポン寺庭婦人のBLACK SHEEP」をめざすべく日々まい進していきたいと思います。

というわけで今年も爍贈味腺達 SHEEP目線爐韮隠嫁目をむかえた「おてら通信」を気ままに発信していきますのでどうぞよろしくお願いいたします。


●画像左…西生寺檀家総代作! 干支「ひつじの切り絵」
当山の檀家総代さんの多彩な趣味のひとつが狎擇螻┃燹G末の月経(つきぎょう)の時に、ステキな「干支の切り絵」をいただくようになって3年です。お聞きするとなんと毎年この「新年の干支切り絵」を数十部も制作して親戚や知人に配っているそうです。

西生寺は「へび→うま→ひつじ」と三つの干支の切り絵をいただいたので、このまま順調にぜひとも十二支全部を集めたいものです。総代さん、楽しみにしています。(総代さんが「おてら通信」を読んでいることを今年の「年始会(1月3日)」で初めて知り、正直ちょっとビビりました(笑)。)


●画像右…1月3日「年始会」お斎
正月らしいすこし華やかな折詰(お弁当)とお料理に「お正月ってやっぱりおめでたいのだなあ」となんとも間の抜けたことを思ってしまいました。右側下の「のっぺい」と上の「紅白なます」は毎年手作りしています。


2014/12/31(水)
★ゆく年、くる年


















狹躔3年、柿8年、ゆずの大馬鹿18年爐世修Δ任后(実が生るまでにかかる年数)

じつは度重なる積雪の重みに耐えきれず、宝物堂裏にある当山唯一の大きな「ゆずの木」が根本から倒れるみたいに折れてしまい、まさかの出来事に大変ショックを受けています。

何十年もの間、たくさんの実をつけてくれて、料理やゆず湯などで我々をたのしませてくれた愛着のある木でした。

特に今季は目を見張るような猯襪覆蠅遼作爐韮隠鰻遒痢屬てら通信」でも紹介したところでした。住職いわく、

「ゆずの木も最後だと分かっていて、全力でたくさん実をつけたんだよ」

この言葉にますます泣きそうになってしまった私です。本当に残念でなりません。
あまりに見事に根本から折れているので、

「そのまま倒れた木を何事もなかったみたいに起こして、ぐるぐると包帯みたいに処置すればもしかしたら復活するんじゃない?」

と真剣に夫に提言。

「なに言ってるんだ、ダメに決まっているだろう」と笑われてしまいました。
(本当はそんなこと私にだって分かっているのです…ただあまりに残念で…)


とにもかくにも大晦日です。

朝食のあとからさっそく「おせち料理」作りを始めています。今日は一日台所で正月料理を作って過ごします。いま小休止で「おてら通信」を書いています。

さきほど倏取り魚爐痢岷引き鮭」が焼き上がったので、画像を載せてみました。前回のおてら通信で紹介した、例の巨大な塩引き鮭の切り身を焼いたものでこれが犂粟の姿爐任后

(前回のおてら通信を読んだ方数名より「なんか今年の塩引きはすごいんだってねー」と言われ、少し照れくさくなってしまいました)

今年一年を振り返ってみると、西生寺関連では4月に待ちこがれていた『バイパス寺泊1号線』が開通し、国道402号線(シーサイドライン)と弥彦山スカイラインが結ばれて、西生寺までのアクセスが良くなったこと、6月に駐車場の「女性用トイレ」がささやかなリニューアルを果たしたことなどが思い浮かびます。わりかし平穏に過ぎた一年でした。

家族面では長老のお父さん(84歳)も園子ママ(82歳)も、持病を抱えた高齢者なので健康を心配した時期もあったけれど、なんとか今年も無事にこうして家族そろって新年を迎えることができたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

さてと、小休止終わり。これからもうひと料理します。

今晩の料理の他に、明日朝の爐海Δ箸Α併┝僂僚繊豊犧遒蝓覆くし味はナンプラー)や、1月3日の檀家さんが集合する「年始会」の時に出す爐里辰擇き猴僂梁舂未領ぅぅ發爐も済ませておきたいし(大量すぎて泣きが入る)、同じく年始会に出す犢版鬚覆泙広猴僂梁膾3本も千切りにして塩をしておかなければです。


今年も一年「おてら通信」を読んでくださり本当にありがとうございました。
また来年お会いしましょう。
それでは皆さま 
良いお年を。



●画像左…「歳徳大明神」と「塩引き鮭」(左下)
分かりづらいですが、一家を代表して狡肱靴気泙留引き爐魘,┐討い泙后

●画像右…焼き上がった新潟の年取り魚「塩引き鮭」
こちらの塩引きは狃賛Δ留引き爐任后


2014/12/20(土)
★西生寺史上最高傑作!今年の「塩引き鮭」














バウムクーヘンみたいな見たことのない脅威の等圧線、畳みかけるように次々と南下する寒波による積雪と凍てつく寒さ、冬型爆弾低気圧の波状攻撃で連日狂ったように北風の強風が吹き荒れる日本海側地方…。

まったく始まったばかりだというのに、今季の冬はいったいどうなってしまったのでしょう。平年よりもかなり低めの気温で、早くも我が家の台所の冷蔵庫を開けると爐發錙舛鶚爐箸靴伸爐未襪ざ気爐魎兇犬襪茲Δ砲覆辰討靴泙い泙靴拭

つまり、台所の気温より冷蔵庫の中のほうが温度が高いということで、缶コーヒーなどのドリンク類は部屋の廊下に出していたほうが冷蔵庫より冷えるという猗瓩靴さ嫖掌従櫚爐ただいま我が家で発生中です。

「今季は暖冬少雪」と予想した新潟地方気象台に恨み節をプリプリ言いながら、じっと部屋に籠ってこの「おてら通信」を書いています。


思えば…この師走の容赦のない真冬状態で得したことと言えばただひとつ!!

それは毎年恒例の住職手作りの「塩引き鮭」がまれにみる見事な出来で完成したことです。

なぜなら、寒風にさらされればさらされるほど、寒ければ寒いほど、軒先に吊るされた鮭は旨味が増して、本物の塩引きの証しである、身と皮の間が糸を引くほどの狃論爐順調に進むからです。

ここでざっと先史時代より食されてきたという、新潟県民の冬のソウルフード「塩引き鮭」の作り方を説明しましょう。

塩引き鮭で有名なのは村上(三面川)ですが、作り方はだいたいどこも同じです。

新鮮な鮭を使うことが原則で、鮭の内臓や血を完璧に取り除いてきれいに洗い(少しでも残っていると鮭が腐ってしまう)、まんべんなくたっぷりの塩を鮭全体にすり込み(塩を引くみたいにするので塩引きと呼ばれる)、それを数日間塩漬けにして塩を充分に浸透させます。

次に、塩漬けの鮭を冷水(流水)にひたして狹度爐鳳抜きをした後(どれくらい塩を抜くのかが旨さのポイント)、最後に日陰で水分の当たらない犖先(のきさき)爐膨澆襪靴憧海垢里任垢、この時「腹」に割り箸を挟み広げ、空気によく触れるようにします。

この最後の手順となる犖先に吊るす段階爐箸覆辰殖隠卸遒貌っていっきに寒さが増し、雪と強風が吹きすさむ強力な冬型の天候にさらされること2週間、寒風で旨味が増して見事なまでに熟成された「塩引き鮭」がついに完成しました。


今年もいつも通りに3本を巻いたのですが、住職が使う鮭は村に暮らす漁師さんで、目の前の日本海沖で「定置網漁」をしている網元から入手する鮭です。今年はイケメン息子くんが、朝の定置網漁であがったばかりの鮭を届けてくれました。

「いいのが入ったら、たのむわ」
と、夫が毎年網元さんに注文する鮭は「カナ(男鮭)2匹・メナ(女鮭)1匹」です。

女鮭はイクラ料理がメインで、卵に養分をとられた身はおまけみたいなもの。
なんといっても「塩引き」の主役は身の質(脂・厚さなど)が良い男鮭です。

特に新潟の正月料理で倏取り魚爐箸覆訛臉擇別鯡椶魏未燭后崔忘」には気合いが入ります。2匹の男鮭のうち、より素晴らしい出来のものが正月の「年取り魚」に出世します。

近年不漁続きだった日本海の「鮭漁」ですが、今年は久しぶりの大漁で漁もおおいに湧いたそうで、毎日1000匹ほどの鮭が定置網にかかったそうです。


それでは電話一本「いいのが入ったら、たのむわ」で我が家に届く鮭とはいったいどういう鮭なのでしょう?
届く鮭で「塩引き」の出来も半分は決まってしまうから注目度狢膈爐任后

待つこと2日。

電話をした翌々日、寒ブリのような超大物爍隠哀ロ級!の男鮭爐届きました。
10キロといえば、普通の鮭の倍の大きさです。(通常は4キロ〜大きくて7キロクラス)

「うわお!すごいっ!なにこのデカさ!!」
「見てよコレ。大きすぎて箱からはみ出しているよ!」

これには私も住職も何度も歓喜の声をあげてしまいました。

イケメン息子くんによると、
「1000匹水揚げがあった中で一番の鮭を選んできた」とのことです。

やはり鮭も、大きければ大きいほどおいしいのです。
本マグロや寒ブリが丸々として大きければ大きいほど美味しいのと同じです。

塩引き作りのベテランである住職は、見事な鮭3匹に満足の笑みを浮かべ、さっそく「塩引き作り」の作業にとりかかりました。

ところで一般人の夫が狹渡丹賈椨爐如△瓩辰燭僕箸らない超ド級の鮭が手に入るのも、実はこの網元の漁師さんが住職の親友だからなのでした。ラッキー。

(ちなみに、この網元さんは夏におてら通信で紹介した「昔、日本人がまだ素朴な時代、早朝の漁に行く際に沖の地引網用の網に冷凍のカニを爛機璽咼浩鎖性爐播蠧したら、村の浜で観光客が地引網を引いたら「おいおい、カチカチの冷凍カニが獲れたぞ!」とちょっとした騒ぎとなったあの網元さんです)


最高の鮭と、荒れ狂う冬型の天候にさらされまくったおかげで、どう考えても「西生寺塩引き」史上犧嚢盞羣遶爐箸覆辰榛Gの塩引き鮭ですが、食べるのはまだ先の大晦日までおあずけです。

大晦日の晩に「おせち料理」と共に「年取り魚」として牴実未澆燭い吠厚く切って焼いた塩引き爐鮟个靴泙后

家族全員で食事前に「歳徳さま」にお参りをしてからこの「塩引き」をひと口食べると爐茲Δ笋年が越せる(=無事にひとつ年を取ることができる)爐箸いι習が越後の正月です。元旦にはこの塩引きの身とイクラをたっぷりと入れた豪華なお雑煮「こうとう」を食べます。



●画像左…今年の塩引き用「鮭」
網元さんより、さっきまで日本海で泳いでいた「鮭」が届いたあと、受付寺務所から姿を消して一時間半。「ふう、疲れたー、ぜんぶ巻いたでや、まあすごい鮭なんどお!」
無事に鮭を巻き終えた住職の夫が、肉体労働をした後みたいにどっと疲れた感じで戻ってきました。一度に大物3匹の「塩引き作り」はまさに重労働なのでした。

●画像右…寒風に耐える軒先の「鮭」
下から見上げた図のこの鮭が今年の年取り魚に選ばれた10キロ級の男鮭です(左の画像では真ん中の鮭)。あいかわらず男鮭の顔は恐ろしい形相をしています。寒風干しをして数日後、女鮭の頭がケモノに喰われてしまい(まさかうちの愛猫タビーではないだろう)、住職の夫は「男鮭だけはなんとしても死守する!」と、毎日何度もぶら下がる鮭の様子を見に行っていました。


2014/12/07(日)
★初雪!仏さま「ウィンターファッション」














いやあ、やられました。初雪にして大雪です(涙)。

朝6時前、重低音の除雪車の音がして「なんだなんだ、試運転か?」と軽い気持ちで二階から窓越しにうす暗い外を眺めたら、青白い雪を豪快に除雪している除雪車がいました。

試運転じゃなく猖楜け薪将爐任靴拭

ウソでしょ!!

で、私も急いで支度をして夜が明けたばかりの外に出てみると、信じられない光景が。

一面すべてが真っ白な雪におおわれていて軽く30センチは積もっている。昨晩は久しぶりに吹き荒れる風の音もなく静かに眠れたと思ったてんね、じつは音もなく雪が降り続いていたのでした。

「一晩で景色が一変するとはまさにこのこと」
「雪に対してまだ心の準備も何もできていないてんね…」
「まさかこんなに早く雪かきをしなければならないなんて…」

目の前の現実にとまどいながらも「やるしかない」と覚悟を決めた私は、小屋から除雪用スコップを持ちだして、早朝からさっそく狎磴き爐鮖呂瓩泙靴拭

玄関や入口、車庫の前にできた除雪車の作った狎磴諒畢爐鮓任泙蕕覆いΔ舛暴雪したり、境内の主要な部分に道をつけたり、車の雪を落したり…。

新潟などの日本海側の雪は水分を多く含んでいるのでその重たさに辟易するのですが、この狃蘋祗爐さらに輪をかけてなんと重たいことか!
(だいたい温度が高いときに降る初雪っていうのは重たい)

記憶では、たしか私は昨日、竹ホウキと熊手で晴れ間のすきをついて境内の杉っ葉をそうじしていたはず。狎磴離罎了もなかった爐里僕眛の今日は、同じ場所を30センチ積もった雪を相手にスコップで道つけ作業に奮闘中。

「環境が変わりすぎてクラクラする。雪め、呪ってやる」

「寺務所」を開けてからは夫も参加して一時間半くらい作業したところでギブアップ。腕と腰がめちゃくちゃになってしまいました。ホント、気を付けないと重たい雪は体を悪くするわ。

「やめやめ。急な除雪作業は腰を痛めるよ(夫)」

ちょうど寺務所のストーブの上では銀紙に包まれた「イモジェンヌ」ちゃん(※おとなり新潟市西区特産のサツマイモの商品名、品種はべにはるか)がいい感じにピーピー鳴いて、室内に焼き芋のいい匂いが充満していたのでちょっと夫婦で休憩。

蜜がこびりついてはがれにくくなった銀紙をめくり、熱々の芋をフーフーしながら食べるとその甘さにびっくり。ねっとりとしてまるで犂鼎ぐ鬟リーム爐鮨べているみたい。

砂糖なしでこの甘さは驚き。

がんばった雪かき作業のあとに熱々のあまーい焼きイモジェンヌ…
うーん、トレ・ビアン♪

なぜフランス語?
きっとイモジェンヌがパリジェンヌっぽいから(と言ったら夫が「タカラジェンヌもあるよ」と言った)&さっきフランスの甥っ子兄の貴翔(きしょう)から国際電話があったから。

「今年も年末に来日して正月に西生寺に行く予定なのでタンタンよろしく」とのこと。
偶然にも今朝、雪かきをしながら私の頭に「こんなとき貴翔がいればいいのに、まったく使えない男だぜ」と思っていた矢先の本人からの電話でした。

毎年「雪かきならまかせてよ」と言って来山するのに、いつもあの子のいる時は少雪で一度も雪かきをしたことがなく必要な時には居ない。まったく使えないヤツだ。

というわけで、暗いなまり色の空に気分が押しつぶされないように視点を変えて狃蘋磴里錣燭椶Δ鍬爐鬚ぶった境内の仏さまを撮ってみました。

私にはなぜか雪をかぶった仏さまたちが犂┐修Ν爐箸いΔ茲蠅廊爛侫.奪轡腑淵屮覘爐妨えたのです。季節限定の狃稠鬚里しゃれ爐任后


●画像左…たまにはこんな菅笠もステキな「修行大師」さま

●画像右…ゴージャスさが板についている「童水子子育て地蔵」さま


2014/11/20(木)
★腰塚勝也僧正 仏画集「祈りの美」
















降ったり晴れたりとくるくる変わる天気の晴れ間を縫って、地面にへばりついた落ち葉や、見た目が最悪の杉っ葉、水分を含んで重たくなった落ち葉を今日もせっせと掃いています。(こういう場合は熊手がベスト)

掃き終えて、てんこ盛りにされた黄色いカエデの落ち葉の上の別の木、気持ち猴佞凌Л爐薄くなってきたように思えるけどまだまだ青々とした葉を茂らす名も知らぬ樹木を見上げて、

「まさかとは思うけど、もしかしておたくも落ちるわけ?」
と語りかけると、その木から丸い薄緑の葉が一枚、ひらひらと目の前に降ってきました(涙)。

お客さんに笑顔で「二の腕が太くなりそうですね」なんて言われたり、車庫の木の壁に最近犒雖爐魍けはじめた「大きなキツツキ」のトントンダダダダという威勢のいい音を恨めしく聞きながらの落ち葉掃きです。

「でっかいキツツキめ、おまえでっかすぎるぞ、おまえがでっかいってことは穴もでっかいってことじゃんか、何てことしてくれるんだ、木がいっぱいあるんだからわざわざ車庫じゃなくてもいいのにさ、嫌がらせか?エンドレスな落ち葉掃きをする私をあざけり笑っているのか?くそぅ…」


少々荒んだ心理状態が続く中、心洗われる「贈り物」が届きました。

住職の友人のお坊さんで埼玉の「開光山 遍照院」ご住職の腰塚勝也僧正(57歳)より、自身の作品を収めたすばらしい『仏画集』が届いたのです。30年間こつこつと描きあげた仏画を一冊の画集にしたものでした。

腰塚僧正(以下腰塚さん)が仏画を描くというのは以前から知っていました。なぜなら何度か自身の描いた仏画をポスター風にした「カレンダー」をいただいていたからです。

夫と仏画のカレンダーを見ながら「腰塚さんてすごいよね」と幾度となく話題にし「一年が終わって終わりではもったいない」と、仏画の部分を切り取って寺務所に飾って日々眺められるようにしていましたが、色あせが進んでしまって残念に思っていたのでした。

ですからこんなにステキな「仏画集」が手元に届き、美しい色で精密な仏画の数々を好きなだけ眺められるといううれしさで、さっきまでの荒んだ心もいっきに吹き飛んでしましました。

毎年送られてきた数枚の「仏画カレンダー」しか腰塚さんの作品を知らず、どういうきっかけで仏画を描くようになったのか、どんな想いで仏画を描いているのか、ひとつの仏画をどれくらいの期間で完成させるのか、描くだけではなかった仏画の活動などなどの犧戮い事爐蓮△海硫莉犬鮓て初めて知るところとなったのですが、私の予想をはるかに超えた世界が広がっていました。

仏画を描き始めて30年。

驚くべきは日々の忙しい寺役の終わった猝覘爐鮹羶瓦吠画の制作を行っていることや、精密な仏画を描くためには研究が必要であること。
そして自身が納得のいく仏画を描くため、自分の持っている技術や感性を集中させて絞り出し、何度も何度も試行錯誤(描いては消し描いては消し)を繰り返してようやく完成させるという仏画は、ひとつを完成させるのになんと数年を費やすということでした。

粘り強く折れない心…
これだと思った信念を貫く意志の強さ…
細くてもいいから長く続けることの偉大さ…
探究心の大切さ…
継続は力なり…

まさに渾身の作品ばかりがこの「仏画集」には収められているのでした。制作過程も紹介されている約70ページあまりのこの画集には腰塚さんの意志の強さと、僧侶として仏に祈る心がぎっしりとつまっていて、心して一枚一枚ページをめくる私でした。

「仏像や仏画などの仏教美術は、鑑賞するためのアートではなく、手を合わせて祈る信仰の対象物である」ということを改めて思い起こさせてくれました。

爐箸辰討盖い気で社交的、ちっとも偉ぶったところがなく、独自の世界観があり繊細な部分を持ち合わせた芸術肌のお坊さん爐箸いΔ里、私や夫が抱く腰塚さんの人柄です。

「プロの絵描きさんじゃないのに、お坊さんなのにどうしてこんなに上手なのかなあ?」

のギモンも、子供のころから芸術に興味があり、学生時代は絵ばっかり描いていたということを画集で知り「やっぱりね」と合点がいきました。

腰塚さんは「仏画展」の開催や、自坊の他にも埼玉や千葉で「仏画教室」を開いたり、教誨師(きょうかいし)として仏画を携えて刑務所で法話をされたり、本山の特派布教師、四国遍路の先達など幅広くご活躍されています。

11月に自主出版されたばかりの腰塚さんのこの「仏画集」は、自坊「遍照院」のサイトで問い合わせて購入することができます(一冊3500円)。ぜひ興味のある方はホームページにアクセスしてみてください。HPでは腰塚さんの仏画の世界をさらにくわしく知ることができます。

【遍照院HP】http://www4.ocn.ne.jp/~henjyou/



●画像左…腰塚勝也仏画集「祈りの美」表紙
仏画集表紙の仏画「白象に乗った普賢菩薩(167センチ×85センチ、掛軸)」は、腰塚さんが制作期間4年をかけて完成させた、仏画を始めて初めて取り組んだ大きな作品で、完成した時は飛び上がるほどうれしかったそうです。

●画像右…仏画「孔雀明王」
(170センチ×110センチ、掛軸、制作期間4年)
画像には仏さましか写っていませんが、この仏さまの名前の通り、端座する仏を乗せている「鳥獣座(台座)」は孔雀です。顔を正面に力強い瞳をじっとこちらに見据え、青い胴体に赤い翼を広げた神々しい孔雀の上に、4本の手を持つ孔雀明王が描かれています。

腰塚さんの仏画は、慈愛に満ちた仏の姿はもとより、仏を支えている「鳥獣座」の役目を果たしている様々な動物たち(獅子や亀など)が生き生きと堂々と主役級に描かれていて良いです。


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