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2015/07/16(木)
★「大般若法要・水子合同供養祭」の御礼














「大般若のころに来るのではないか」と気をもんでいた台風11号でしたが、なんとか来襲をさけて今年の「大般若法要」と「水子合同供養祭」は青空の下、おかげさまで無事に終わりました。(翌日の今日はけっこうな雨風です)

平日にもかかわらず大勢の方からお参りをいただきまして本当にありがとうございました。
厚く御礼を申し上げます。


それにしてもまあ、今年の法要の暑かったこと!
梅雨も明けない時期なのにこの暑さはめずらしいです。

爛侫А璽鷂従櫚爐膿日前より気温がぐんぐん上昇、連日35℃を超える猛暑日となり「15日もこんなにあっちぇかったらどうしよう?」と心配しましたが、当日は30℃といくぶん気温は下がったものの、久しぶりに「真夏日の法要」となり、準備した倏いほうじ茶爐茲蠅癲急きょ用意した爐燭世里笋んの水爐大人気となりました。

年配の方が大勢集まるのに、会場となる庫裡も客殿もエアコンなどはなく、最大限に扉という扉をすべて明け放ち犲然の風頼り爐琉貽となりましたが、体調を崩す人もなく、みなさん元気にお寺での一日を過ごされて、明るい笑顔でお帰りになりほっとひと安心しました。


今回特筆すべきは、午後1時からの「ご法話」に新たな趣向が加わりまして、それがとっても素晴らしかったことです。

これまで毎回、豊かな表現力とダイナミックな話法による、オリジナルの「節談説教」を披露してくださっていたベテラン布教師の本覚院ご住職「渋谷僧正」の法話に、ご子息の宝珠院ご住職による、すばらしいテクニックの「和太鼓」をコラボさせた爐海譴泙任砲覆ち瓦新しい「節談説教」爐鮟蕕瓩独簣してくれたのです。

名付けて「父と息子の親子共演」、題目は『弘法大師御一代記−高野山開創の段−』
です。

なんでも、息子さんこと宝珠院ご住職は、昔、ヘビメタルバンドのドラマーだったそうです。ドラムのスティックを、和太鼓のバチに持ち替えて、10年ほど前より練習を重ねてきたそうです。

ヘビメタのテクニックを駆使した?(たぶん違います)いくつかの和太鼓を使い爛疋薀牘藾姚爐里茲Δ福∧垢い燭海箸發覆は詑生蘖藾佞筺王道の狢腓な和太鼓演奏爐函迫力満点で超かっこいい和太鼓を披露してくれました。

節をつけたなめらかな口調で、時に笑いを誘いながら弘法大師の一代記を説教する渋谷僧正と、相打ちのようにして息子さん住職の和太鼓が鳴り響き、じょじょに盛り上がっていきます。

最後は息子さん住職が、緑の衣をひるがえして大きな和太鼓を打ち鳴らす爛瀬ぅ淵潺奪なソロ演奏爐能わり、会場からは惜しみない拍手が送られました。


じつは始まる前、おふたりが心配そうにお堂の天井を見上げていました。

「お堂中に鳴り響く和太鼓の振動で、お堂の天井裏のホコリが降りそそいでくるかもしれないんだなあ…」

これを聞いた私は、雑巾やホウキ&ちりとりなどを準備、

「ホコリならまだいいけど、天井裏に暮らすヘビータ(蛇)がびっくらたまげて落ちてきたらどうしよう」

などと戦々恐々としながら、グレードアップした親子共演の節談説法「弘法大師御一代記」を初めて聞きましたが、舞台演出みたいに上からホコリが爐靴鵑靴鶚爐塙澆辰討ることも、驚いたヘビが落ちてくることもありませんでした。(笑)

今回大好評だった「親子共演の節談説教」は、6つくらいのレパートリーがあるそうです。


この「ご法話」のあと、午後2時より「大般若法要」が行われ、引き続いて「水子合同供養」の法要が行われました。

お塔婆に書かれた、お申込みをいただいた方全員の名前を一枚一枚住職が読み上げ、午後3時30分すぎにすべての法要は終了いたしました。当日法要に参加をしていただいた皆さま、事前にご供養をお申込みしていただいた皆さま、本当にありがとうございました。



●画像左…和太鼓とコラボした新しい「節談説教」
右側が父の本覚院ご住職さま。左側がご子息の宝珠院ご住職さま。
後かたずけをしている宝珠院さまに直撃インタビューをしてみました。あのすばらしい和太鼓は自己流ではなく、じつは「お師匠さまについて習っている」とのことでした。

プロデビューしてCDも出している、和太鼓の世界では有名な「林英哲」さんの流派なのだそうです。猯嗄爐貌伴の猜教流爐鯀箸濆腓錣擦燭發里任靴拭J珠院さまが習っている直接の師匠は、林さんのお弟子さんで谷口卓也さんという方で(この方の名を口にした時、ご住職は「尊敬してやまない」と一言、熱く言い添えました)、この方も最近CDを出したそうです。

もし興味のある方は、ネットで検索してみてください。
(林英哲オフィシャルサイトやユーチューブで演奏も見られます)

●画像右…「水子合同供養法要」でお塔婆を読み上げる住職
お塔婆を持つ右手下には2段に積み上げられたお塔婆があります。ひたすらに汗だく…。


2015/06/27(土)
★7月15日「大般若法要・水子合同供養祭」のご案内














梅雨入りした県内ですが、たいした雨も降らない天候が続いています。このぶんだと7月の大般若頃に本格的な大雨に見舞われそうな…イヤな予感がします。でも梅雨の雨は大切な犒辰澆留爐世ら、降る時にしっかりと降ってもらわないとです。

都会のど真ん中から山の中のお寺に暮らすようになって25年、牘は命の水に直結している爐塙佑┐襪茲Δ砲覆蠅泙靴拭なぜなら、このエリアは公共の水道インフラがなく、飲み水を含め、西生寺の生活用水はすべて猝鑄Щ海療形蛙絖爐世らです。

天然水なのであらゆる意味でけっこうワイルドです。水道水みたいに塩素?などは使用していないのでとてもおいしいのですが「水の元(西生寺で使用する水を管理する場所)」にはイモリ・ヤモリ・沢カニ・カエルがたくさん住みついています。

蛇口から彼らがにょろんと出てくることはさすがにありませんが、少なからず彼らのエキスは飲んでいるっぽいし(フンとか)、大雨が降ると土砂で水が茶色くにごり、洗面所で手を洗おうとしたらコーラみたいな茶色い水が…みたいなこともしょっちゅうです。また狹タ絖爐麓惴やトイレのパッキン、風呂釜、モーター式のポンプを激しく痛めます。

そして雨や積雪が少ないと「水不足」に陥ります。原因不明に水が出なくなる時もあります。(たいてい水道管が破裂しているパターンが多い)

「お寺の水まわり」を一手に担う住職の夫は、狄紊出ない(または水が細い)爐箸△舛海舛痢崑茖欧凌紊慮機廚愾りまわり原因を探したり、必要最小限の水量にとどめ、我々の暮らすエリアのみに水量を集中させたり、あれやこれやと工夫をこらしてなんとか水を確保して「水不足」を乗り切ります。

メンテナンスは怠れないし、一般の水道水のような安定供給には程遠い「弥彦山のワイルドな天然水」ですが、私は今のこの環境がわりと気に入っています。命の水をもたらしてくれる自然に対して、感謝と謙虚な気持ちを忘れずにいられる気がするからです。

ちなみにやっぱりというか当然というか狄綟斬紊魯織性爐任后


というわけで「7月15日の大般若と水子合同供養祭だけは晴れてもらいたいな」と願いながら今年も「大般若法要・水子合同供養祭」のご案内をさせていただきます。



≪「大般若法要・水子合同供養祭」のご案内≫

7月15日(水)、当山西生寺において「大般若祈祷会」と「施餓鬼・水子総回向法要(合同供養祭)」が今年も開催されます。大勢の僧侶より読経していただき、水子精霊やご先祖さまを供養する法要や「大般若六百巻」による所願成就の大祈祷会が厳修されます。


予約も必要ありません。どなたでも気軽にご参加いただけますので、ぜひお参りください。(小さなお子さんも大丈夫です) なお当日「ご供養」や「ご祈祷」をお申込みいただく方は、午後1時半までにお越しいただき「庫裡の受付」にてお申込みください。
ぜひこの機会にご参加いただきたくご案内申し上げます。


【日時】:7月15日(水)
【時間】:午後1時「ご法話」、午後2時「大般若祈祷会」
午後2時半「施餓鬼・水子総回向法要」
【受付】:西生寺「庫裡」

【塔婆料(御供養料)】:(先祖供養、水子供養など一件につき)2,000円
【大般若祈祷会祈願料】:(一件につき)2,000円
家内安全・病気平癒・交通安全・身体健全・商売繁盛・開運満足
厄難消除・合格祈願・学業成就・安産祈願・家門繁栄・その他
【お問い合わせ】:0258−75−3441



●画像左右…昨年の「大般若法要」の様子
大勢のお坊さんで手分けをして「大般若経全600巻」を一冊ずつ、迫力のある大きな声で勢いよく転読してゆく一年に一度の法要です。経本をバサバサと上から下へ転読する時に起こる獻霽爐砲聾耆益があり、この梵風にあたると無病息災でいられるといわれています。

当山の「大般若法要」は昔から7月15日と決まっています。ちなみに15日はご本尊の「阿弥陀如来さまの縁日」です。17日は「観世音菩薩さまの縁日」、24日は「地蔵菩薩さまの縁日」、28日は「不動明王さまの縁日」など、それぞれの仏さまには爐官鐺爐あります。


2015/06/15(月)
★宝物堂:「クジラ御霊験骨」のおはなし














世の中は思いもよらぬ事柄に注目したり、さまざまなモノにピンポイントで興味を抱く人間であふれています。愛知にお住まいのこの方もきっと「そんな方に違いない」と思わずにはいられない、当山の意外なモノに注目をされて興味深いメールをいただきました。

意外なモノとは、当山の宝物堂(無料)にお祀りされている「クジラ御霊験骨」のことです。御霊験骨について倏いメール爐鬚い燭世い燭里禄蕕瓩討任靴拭

メールは「新聞で西生寺のクジラの記事を見ました…」とはじまり、全国の「鯨塚」についてなどの内容でした。

当山の「クジラ御霊験骨」は、宝物堂に入ってすぐの、正面右側というかなり目立つ不動の位置に昔からお祀りされています。しかし私は「クジラの頭の骨はでっかいな。骨だからやっぱり爛広爐入っているな」くらいの認識で、さしたる関心も抱かないまま今日まで過ごしてきてしまいました。

というわけで反省の意味も込めて今回の「おてら通信」は、いただいたメールの内容と合わせて西生寺の「クジラ御霊験骨」を紹介したいと思います。


クジラにとって日本は「食べられちゃう」だけの犇寡櫃凌文化を持つ国爐箸いΔ世韻任呂△蠅泙擦鵝

昔から日本人は感謝をしてクジラを食べ、クジラの霊力を信じて畏怖の念を抱いたり、クジラを奉納して豊漁を祈願するなどの狷段未並減澂爐箸靴動靴辰討ました。日本人と鯨の関係は縄文時代にまでさかのぼるとか。


村が飢饉で困っている時、たまたま浜に大きなクジラが打ちあげられて、そのクジラをみんなで分けて食べたおかげで飢饉を乗りきることができたので、感謝をこめて建立したという「鯨塚」が全国およそ100ヶ所にあるそうです。

うちのクジラの事が載っていたという新聞の記事は、そんな全国の「鯨塚」を訪ね歩き調査をしている細川隆雄さんが寄せたもので、

『新潟県長岡市の西生寺では鯨の頭骨が信仰の対象になっている』
『サンスクリット語の呪文を唱えてから手のひらでなでると霊験がある』

と当山の「クジラ御霊験骨」を紹介したものでした。

もう少し詳しく当山の犖耄邯街のいわれ爐鮠匆陲靴泙垢函

昔から、村の漁師たちがクジラを捕獲した際に『海上安全大漁満足』の祈願のために、クジラの頭部を、当山の「金毘羅さま(金毘羅堂)」に奉納するという習わしがありました。「金毘羅」さまは現在もそうですが、漁業関係の方々が信仰している神さまです。

いつのモノかは分かりませんが、かつて奉納されたクジラの頭骨のひとつが、当山の宝物堂に展示されている「御霊験骨」として残り、信仰されてきたのです。

記事にある「お唱えするサンスクリット語の呪文」というのは、

「ア バン ウン」です。(※梵字3文字)

「ア バン ウン」は狄晋性爐里劼箸弔任后
(ちなみに真言宗は真言(=ダラニ)がいろいろとあり、この真言をお唱えするので真言宗といいます)

・「ア」は、おぎゃーと生まれた瞬間を、
・「バン」は、生きていること、
・「ウン」は、息を引き取ること、死ぬ瞬間を表しています。

つまり「ア バン ウン」で狄佑琉貔賢爐魄嫐します。


「アバンウン」とお唱えしながらクジラの頭骨をなでて、自分の体の悪い部分を(痛い部分)さすると治るといわれています。持病の王様「ひざ」とか「腰」が特に人気で、団体でお参りに来られたのが高齢の方の場合、クジラの頭骨の周りがちょっとした人だかりができて、みなさん順番に爐覆任覆猫爐靴討い泙后

今回、宝物堂にお祀りされていた「クジラ御霊験骨」が、クジラと日本人の関わりを伝える大切なものであることを知り、今後は「もう少し積極的に御霊験骨をアピールすることにしよう」と決めました。

この大きな頭骨が「いったい、何クジラなのか?」も調べたくなりうんうん唸っていたら、住職の夫が「イワシクジラじゃないか」って、聞いたこともないクジラの名前が軽く口を突いて出たので爛ジラ博士爐と思っちゃいました。

しかし、ザトウクジラとかシロナガスクジラ、ミンククジラくらいしか知らない私は「そんなクジラいるのか?」とにわかには信じられず、検索してみたらちゃんと爛ぅ錺轡ジラ(全長14m、18t)爐辰謄ジラがいたのでさらに驚きました。

というわけでもしお客さまに「何クジラですか?」と聞かれたら、「イワシクジラ爐も爐靴譴泙擦鵝廚氾えることにしました。

クジラと昔の人々の関わりや「鯨塚」の伝承などに興味を持たれた方は、ひょんなことからクジラにときめいてしまったという、新聞に記事を寄せた細川隆雄さん著『鯨塚からみえてくる日本人の心(全4巻)』をおすすめいたします。



●画像左…宝物堂の「クジラ御霊験骨」全体像
●画像右…「クジラ御霊験骨」表面はスカスカ。



【おまけ話】:「捕鯨」賛成or反対?
食す機会はめったになくなったけどクジラ肉好きです。子供のころ、クジラの肝油を飲んだり、給食でケチャップ味の餡がからまったクジラの竜田揚げを食べた世代ですから。新潟県でも夏バテ防止の「クジラ汁」は郷土料理として根付いています。

だから言う訳ではないですけど、牛や馬、豚などの哺乳類は平気で食べるのに「なんでクジラだけ狄べたら野蛮爐覆里?」が理解できません。野生動物保護の範囲内で細々と続けてきた「調査捕鯨」にまでいちゃもんつけられて納得がいきません。

殺生を禁じ、一切肉食をしないベジタリアンの人たちが訴えるのならまだしも、肉類をばんばん食べまくっているのに、たまたまクジラを食す習慣の無かった牴な峠国の価値観爐如⊂紊ら目線で一方的に「悪」と決めつけ、世界のルールに仕立て上げ、押し付けている感じがします。

たしかに今の日本は飽食の時代で飢饉もないし「無理やりクジラを食べる必要はない」とも思いますけど、でもIWCによって強制的にうんぬんというのはやっぱり癪にさわります。IWCを脱退したり、採択を無視する勇気もない優等生国家ニッポンのつらいところですか…。



【さらにおまけ話】:オージーの国民食「ベジマイト」
猗進畄澑親悪爐鮗臚海靴討い襯ーストラリアを思ったら、むくむくと頭に浮かんできたのでついでに書かせてもらいます。

他国の食文化に違和感を覚えるのは未知との遭遇でもあり、私の場合楽しいことでもあるのですが、私が狠亮吋璽蹲爐妊ーストラリア人の大好物という、パンに塗るこげ茶色の謎のペースト「ベジマイト」と初めて出会ったのは、欧米人と一緒だったメキシコのキャンプ旅の時でした。朝の食パンにぬるマーガリンやジャムと一緒に黄色いフタの物体「ベジマイト」があったのです。

一見チョコレートクリームに激似なうえ、オージーに「トーストにはこれが絶対欠かせない」「これがないとトーストじゃない」と強く薦められてパンに塗って、軽い気持ちでぱくついてオエッとなり、カルチャーショックを受けるヒマもないほどに、この時の私は瞬時に撃沈しました。

しかし犒鼠討靴たいまずさ(=とてつもない違和感)爐不思議と忘れられず、それからリベンジの機会をうかがって16年、執念が実り、ついに見覚えのある黄色いフタの物体「ベジマイト」と2度目の再会を果たしたのが、昨年バンコクのホテルでの朝食の時でした。

興奮を抑えながら、トーストにベジマイトを塗り、慎重に味覚を確認しながら食べました。一度学習をしているためか、2度目は狷汎辰壁味&しょっぱめな感じ爐けっこういけて「あ、この味、万田酵素をしょっぱくした版じゃん」という結論に達しました。酵素という点では万田酵素とベジマイトは同類、味も大差ないのかもしれません。

以上、16年もかかってしまったけれど「ベジマイト」に対する自分の評価が定まって良かったというお話でした。



2015/06/04(木)
★西生寺野生アニマル最新情報














「あっうさぎどん!じゃなくてピーターとピータージュニアだ!」

真っ昼間、境内の広い駐車場にぴょこんぴょこんとリラックスした様子で現れた2匹の野ウサギ。しなやかでスリムなボディは、展望台エリアを縄張りとする最古参の巨大ウサギのうさぎどんじゃなくて、寺務所の裏山が縄張りのピーターとピータージュニアでした。

最初、ピーターだけが住んでいて、いつの間に同じエリアに2匹でいるようになった2代目のウサギだからピータージュニア。

酒まんじゅうみたいにぼってりとして野生にしてはメタボ気味の大きな体を、どったんどったんと重たそうにして動くオヤジくさいうさぎどんと、小さくて細くて身のこなしが軽いピーター&ジュニアと、3匹が現在西生寺の敷地内に暮らしている野ウサギです。

ピーターたちの体毛は、冬毛の白から夏毛のブラウンに生え変わる途中で、ブラウン多めのまだら模様といったところ。4本の足先はまだ白のままで、可愛いらしい爛愁奪スうさぎ姿爐鯣簣してくれました。

昨年秋にはうさぎどんが、体毛が白で足先が茶色という犁侫愁奪ス爐鯣簣してくれて、まるで飛行ブーツを履いているみたいでした。


何もないけど仏さまと自然だけはいっぱい…

そんな弥彦山の中のお寺に暮らしていると、このように犂藐知りの野生アニマル爐いろいろとできるので楽しいです。

どこに出かけなくても、それなりに楽しめる要素がこのお山の中にいっぱいあるので犢ゴ饋瓦離▲鵐謄吻爐鯆イ蟒笋蕕擦騰犇β賢爐魍擇靴泙覆ぜ蠅呂△蠅泙擦鵝

このあいだは、ネコを外へ出した窓の隙間から、裏山に暮らす一匹の黄色いイタチがこっそりと忍び込んできていて、運悪くコロッケを盗もうとしているところを私に見つかり、鉄砲玉みたいに目にもとまらぬ速さで飛び出していきました。

2年ほど前から山に住み着いているらしいこのイタチを、たいそう恐れているのが天翔園の杉に暮らすリス家族です。

キケンを察知するとクククク!くくくく!という不思議な音を出しながら、一族そろって全力疾走で別エリアの安全な杉の木めざして境内を横断していく姿をたまに見かけます。

2年前に、この暴走するリス軍団の疾走ルート上にいた住職の夫を、よけずにそのまま夫の体を家族全員が瞬時によじのぼって後方に走り去るという珍事件(リス事件)があり、以来夫はリス恐怖症になっています。


夜が主役のアニマルもいろいろといます。

一番はやはり狎樟源の主爐箸發い┐襦峭庵卷^即身仏霊堂」エリアに暮らすフクロウ。

このところのお天気にご機嫌のフクロウ、平和な夜の象徴みたいな、人間界のことなんてどこ吹く風みたいな、月夜の空にぼわんと沁みわたる心なごむ独特のスローテンポな調べが毎夜聞こえてきます。


母屋そばの林に暮らす一匹のムササビもやはり夜が主役です。

近ごろは部屋から近い爐△粒舛量抬爐良婉瓩ら「ンギヤァァーっ!ギヤァァーっ!ギヤァァーっ!」とオカルトな叫び声をあげています。

フクロウと違ってこちらは月夜を切り裂く絶叫で、初めて聞いた人は赤ん坊や人間の叫び声と間違うのは必至で、一瞬にして我が家が犇寡櫃隆朖爐澆燭い砲覆蠅泙后(もともと住んでいる場所が仏さまや死者に囲まれた場所なだけにシャレにならない)

ムササビってつぶらな瞳のかわいい顔と不気味すぎる鳴き声とのギャップがありすぎますね。私は一度だけ、両手両足を広げて座布団みたいに四角い姿で杉の木から滑降するムササビの勇姿を見たことがありますが、ちょっと感動しました。


あと忘れてならないのがホトトギス。

どこか陰のある、力強く美しいクリアな鳴き声は猊垉函ι垈困料庵爐澆燭い淵ぅ瓠璽犬強く胸さわぎを誘います。この鳥は昼も夜もなく24時間いつでも好きな時に鳴くちょっと変わった鳥です。

やたら元気なのが一羽いて、夜昼かまわずよくとおる鳴き声で犲慢のノド爐魘内じゅうに響かせています。静まり返った深夜にとつぜん鳴き出すこともしばしばで、一度鳴き始めるとしばらくは止まりません。アジアの田舎で元気な牋貳峽椨爐北椶覚めるみたいに、近場で鳴かれると牋貳屮曠肇肇ス爐婆椶覚めます。


というわけで梅雨入りまえの、池のほとりの「水かけ不動さま」の清水の湧き出る音しか聞こえない静かな山のお寺の夜はいまこんな感じです。

ホーホッ ホウっホウっ(フクロウ)
ンギヤァァーっ!ギヤァァーっ!ギヤァァーっ!(ムササビ)
きょっ、きょきょきょ きょっ、きょきょきょ(ホトトギス)

順繰りに聞こえてくるので心がなごんだり、恐怖の館の住人になったり、胸さわぎがしたりとけっこうマインドが忙しいです。


連休明けからのんびりと過ごしていた5月が終わり6月にはいったいま、7月15日の「大般若法要」や「水子合同供養祭」の案内状(数百通)を作成する作業に取りかかりました。

この大般若関連の作業を始めると「今年もいよいよいそがしいシーズンに突入したぞ」という実感がわいてきます。お寺の仕事&嫁の仕事等々が、なんだかんだとノンストップに続くこれから先のことを考えると、これまでの5カ月間は眠っていたも同然で、しっかりと目を覚まして気合いを入れ直して今年も元気に乗り切ろうと思います。




●画像左右…駐車場でたわむれる「ピーター」と「ピータージュニア」
仲良さそうなほほえましい2匹の野ウサギ。エサでも探しているのか、たまにこうして我々の前に登場します。このウサギたちのように夏と冬で体毛の色が変わるのは雪の降る地域に生息する「エチゴウサギ」という野ウサギで、こっちの方では「ユキウサギ」と呼んでいます。

「弥彦神社」のお弥彦さまとこのユキウサギは伝説で結ばれていて、参道のお店ではユキウサギの形をした和菓子「玉兎」やチョコ、グッズがたくさん並んでいて猝鑄Щ欧蠅里みやげ爐砲圓辰燭蠅任后

夫によると、子供のころ雪が降ると雪でよくユキウサギを作ったそうです。「どういうウサギ?」と尋ねても「ふふん、キミにはわからないだろうね。しょうがない、今度雪が降ったら作ってあげよう」と、もったいつけてニヤニヤするだけ。

「なにそれー、いま6月だよー、まだまだ先すぎるじゃん」と文句を言いつつ、きっと執念深い私のことだから、ぜったいに雪がふるその時まで覚えていそうです。

ちなみに準備するものは、お盆、南天(赤い実)だそうです。
(南天はぜったいに猝椨爐世茲諭



2015/05/21(木)
★本山刊行「海外慰霊法要記録集」を読み、思ったこと。


















先日、本山(真言宗智山派 京都智積院)より一冊の本が送られてきました。

「平和を祈る智山協会」が発刊した『真言宗智山派 海外慰霊法要 -記録集-』です。

本山で初めて「海外戦没者慰霊法要」が執り行われたのは昭和51年(1976年)の「第一回グアム・サイパン慰霊法要」とあり、以来「第40回沖縄慰霊法要」まで毎年、欠かすことなく海外の激戦地での戦没者慰霊法要は行われてきたそうです。

本の中でのあいさつの言葉にある「怨親平等の請願のもと、戦没者への供養を捧げ、二度とこうした戦争を起こしてはならないとの耐久平和の実現を祈念するもの」という考えのもと、これまで本山の僧侶を中心に関係者などたくさんの方が慰霊法要の旅に参加をしてきました。

終戦70年にあたり、これまでの海外慰霊法要の記録を一冊の本にまとめたものでした。


「私みたいな戦争を知らない世代こそ、かつての時代や戦争の事をしっかりと学んで継承していかなければ」

と、戦争全般や昭和史の独学を続けており、日ごろから非常に関心が高い私は、家族の誰よりもこの本に関心を示し、開封一番に読ませてもらいました。

本山の「慰霊法要」が行われた海外の地域(かつての戦場)は、東南アジア、ニューギニア、ソロモン諸島、太平洋に散らばる島嶼と広範囲に及び、いかに当時の軍部が、緒戦の連戦連勝の勢いに乗じて、日本の国力を無視(=兵力・輸送力・補給力)して、後先を考えず、無節操に際限なく、占領支配域を拡張させていったかをあらためて痛感させられます。

開いた口がふさがらないほど、伸びきったゴムのようにびよーんと広がった占領域。

これら本土からはるか彼方の地域に配置された(=ばらまかれた)部隊は、はじめこそ本土では体験できないような狡舛靴ぐ杞饐霆鎰爐鯡わっていましたが、連合軍(米軍中心)が本格的に反攻を開始した昭和18年(1943年)6月以降になると、想像もしていなかった爐箸鵑任發覆ぞ態爐房 垢抜戮辰討罎ます。

(米軍の主戦場は欧州であり、当初、太平洋に出す艦船や兵力&物資にゆとりはなく、昭和17年夏からの「ガ島戦」などは米軍も捨て身の作戦だった)

上陸してきた意気盛んな連合軍と血みどろの戦闘の末に玉砕全滅したり、物量にモノをいわせ海から空から陸からと連携してものすごい火力で攻撃をしてくる(三位一体戦)連合軍に対し、もはや戦闘とは呼べないような犹戮の場爐伐修靴神鐓譴各地で発生し、増え続ける戦死者と傷病者、補給路を断たれて待てど暮らせどまったく届かない援軍、弾薬、医薬品、食糧。

マッカーサー発案の「飛び石作戦」で軍事的に無力化され、主戦場から置き去りとなり、「自活自戦」の名のもとに大本営にも見棄てられたまま補給もなく、マラリアでふらふらになりながら生き延びるために食糧を探すことが日課となり、飢餓でバタバタと死に狹兵を一度も見ないまま犲然消滅寸前で終戦を迎えた地域もあります。


孤立、崩壊、自滅、絶望、玉砕、餓死、病死、自決…などの悲惨なワードが、まんべんなく各戦域の説明文にちりばめられたページをめくってゆくと、ある慰霊法要の時の「集合写真」に見覚えのある顔が飛び込んできて、誰だと思ったらお父さんでした。

お父さんこと西生寺の長老も、平成10年2月5日(木)〜2月9日(月)に「トラック諸島・グアム」で行われた「第24回慰霊法要」の、戦没者慰霊法要団の副団長として参加していたのでした。(画像右「集合写真」の前列中央、紫の衣を着た左側が長老です)

当時のことを長老に尋ねても「どうだったかなあ、忘れたなあ」の一点張りでちょっとがっかりしつつ、これよりずっと昔に訪れた「サイパン慰霊法要」では、偶然にも遺骨を収容したとの証言を得ました。


私自身はこうした公式な慰霊法要の旅には参加したことはありませんが、じつは私も「机上でただ史実を学んでいるだけじゃなく、自分にできることはなんだろう?」と考えた末、思いついたのが爛織い覆匹領浩茲任琉嵶酊錨薛爐任靴拭

寺庭婦人であり狷静戞福畚于函豊爐靴討い觧笋蓮△い舛う僧侶の卵でもあります。基本的なお経ならあげられます。旅先で出会ったひっそりと佇む「日本軍将兵の慰霊碑」や、当時、大勢の傷病兵が担ぎ込まれて病院として利用され、日本兵の遺骨が眠る「お寺」などで、ロウソクや線香、お水、花をたむけて読経をしてささやかに慰霊追悼をすることが犹笋離▲献⇔垢猟衄岫爐箸覆蠅泙靴拭


敗戦70年、戦後70年とはいうけれど、私の中では爐△寮鐐茲浪甬遒里發里覆鵑ではなく、ちっとも終わっていない爐箸いΥ恭个任后

自分自身が毎日、なんらかの関連分野に接していて、もはや生活の一部であり、常に身近にある事柄だからとも言えますが、本来、日本政府がしなければならなかった狎鐐茲料躋膈爐鬚ちんとせずに、なんとなく玉虫色のまま、または狃いものにはフタをしておけ狹に経済成長優先で現在に至ってしまった気もするからです。

4月に天皇皇后両陛下が慰霊訪問されたパラオ・ペリリュー島の慰霊祭の様子には、ぐっと込み上げるものがあり目頭が熱くなりましたが、同時に多くの日本人が、パラオが日本統治下に置かれていたことや、ペリリュー島やアンガウル島の激戦などについて爐△泙蠅涼里蕕覆気屬蝓福瓩修發修盍愎瓦ない)爐縫轡腑奪を受けたりもしました。


というわけで今回は牾こ阿亮舁弖秬鐫呂任琉嵶酲〕廰爐箸いΔ話なので、海外で死闘を繰り広げた日本軍の話に限定して、独断で猗畛瓦覆錣蠅砲呂△泙蠱里蕕譴討い覆せ椎阿米醉里寮鎔茘爐鬚海竜_颪望しだけ取り上げてみたいと思います。

ソロモン諸島の「ガダルカナル島飛行場奪還作戦」の愚策と悲惨さはあまりに有名ですが、それ以上に悲惨だった戦場「ニューギニア」はあまりに知名度が低すぎると思います。

(当時将兵たちの間で「ジャワは天国 ビルマは地獄 生きて帰れぬニューギニア」などと言われていました)

ガ島戦と同時期に犒海瞭麑椋鄒鎰爐箸靴禿験されていた東部ニューギニの「MO作戦(陸路でポートモレスビーを攻略する作戦)」や、その後に続く凄惨極まりない玉砕戦、連合軍が上陸するたびに繰り返された戦闘&撤退と地獄の転進、補給はゼロで熱帯の病魔に侵され、塩不足&飢餓地獄で狎犬る屍状態爐箸覆辰申ね緇譴、緒戦から終戦まで3年間も続きました。

ソロモン諸島の「ガ島撤収」以降、連合軍のとった作戦爛愁蹈皀麕名絅襦璽鉢爐播験された狢茖殴好董璽賢爐箸發いΔ戮「中部ソロモン諸島の激戦」(ニュージョージア島ムンダ・ベララベラ島・アルンデル島・コロンバンガラ島撤収戦など)も注目度は低く、「ラバウル」の名で有名なニューブリテン島の、ラバウル以外の島内各地に配置された陸軍守備隊の戦闘と辛酸は見向きもされてない感じ。

さらに「ブーゲンビル島」も忘れてはいけません。
(どう見てもソロモン諸島の一部なのに、現在属す国はパプアニューギニア。当然分離独立運動が起こっていて政情不安定が続く島です)

ガ島攻防戦から陸海空の前線基地としての役割を担い、追い詰められたソロモンの日本軍が最終的に籠城したソロモン中部の一番北にある島で、山本五十六GF長官の乗った飛行機が撃墜され墜落した島でもあります。連合軍がラバウルを空爆する飛行場を建設するためにこの島に上陸してきたため、日本軍守備隊と激しい地上戦になりました。

制空海権を連合軍に奪われると、ラバウルからの物資輸送の補給も完全に停止、兵のマラリア罹患率100%、深刻な飢餓状態に陥りながらも、最後まで持久戦を展開、あまりの死者数に「墓島」とも呼ばれている地獄の戦場です。


しかしながら、もしかしたら、どんなにマイナーでも「場所と日時と戦闘記録」というはっきりと目に見える形で戦争の記録が残され、「戦史叢書」などで世に知られるところにあるこうした陸海軍の諸部隊はまだマシなのかもしれません。

例えば、戦時中に極端に不足した船舶を補うために狡饗舂未坊海膨用爐気譴拭峺朕予衢の漁船の戦い」は、会社の記録が残る大手商船会社所有の船舶(輸送船)とは違い、残された記録も少ない上に一般にほとんど知られていません。

昭和19年の中頃には日本中に在籍していた中型の「カツオ・マグロ延縄漁船」、「カツオ一本釣り漁船」などが狆菫醗(=漁師)ごと根こそぎ徴用爐気譴泙靴拭(乗組員は狒イ良嫗杏吻爐箸いΠ靴ぁ

これらの「中型漁船」は、開発が遅れていた敵艦隊をキャッチする「探知レーダー」の代わりに「特設特務艇」として大海原に配備され、船員が捨て身の狄祐屮譟璽澄辞爐箸靴討量魍笋鯢蕕ぁ別椹襪靴燭△般祇で連絡する)、その船の多くが敵に知られて攻撃を受け、乗組員ごと沈没しています。

または沿岸漁業の20トン未満の「小型漁船」や海運業の「機帆船」も、ある日突然軍の人がやって来て、船ごと乗組員ごと徴用し、あれよあれよといううちに徴用旗をたてて船団を組み爐曚箸鵑百盜爐膿千キロも離れた南方の最前線に遠征を強いられました。

たとえ米軍の雷撃を奇跡的にかいくぐり、3ヶ月ほどもかかって南方に無事に到着できたとしても、待ち受けていたのは敵の魚雷艇がうようよしているソロモン諸島の島嶼間や、ニューギニアの物資揚陸拠点を、空襲を避けながらの決死の「物資&兵員輸送」の激務だったといいます。

徴用された船舶総数や戦争被害の実態、乗組員の死亡率は正規部隊よりも高かったというこれら船員戦没者の詳細は、残された記録がほとんどないため、いまだ解明されていない点が多く、歴史の中に完全に埋没してしまっています。


「総括もされず全容も解明されないまま、年月が過ぎるばかりでとうとう70年もたってしまった…」

一抹のさみしさと憤り、あせりみたいな気持ちを抱きながら、本山から送られてきた「慰霊法要記録集」を読み終えました。

こうしてかつての戦地へ何度も何度も赴き、生きて祖国に帰ることのできなかった戦没者の方々へ供養を捧げ、多大な犠牲をともなったこの戦争を、何があったかという史実を含めて絶対に忘れないということが、現代の我々に課された義務であり、また個人としてできるせめてものことなのかもしれません。



●画像左…「真言宗智山派 海外慰霊法要 -記録集-」表紙(沖縄での慰霊法要の様子)
慰霊法要の旅の記録や写真だけでなく、満洲事変に始まり太平洋戦争に突入するまでの経緯や社会情勢、太平洋戦争全体の概要が、「地図」や「年表」とともに戦域別に詳しく紹介されていて「太平洋戦争・戦闘の記録集」としてもとても参考になる一冊だと思いました。編集された方の想いが伝わってくる力作です。

●画像右…グアムの慰霊公苑「平和祈念塔」前で「戦没者慰霊法要団」の記念写真
     (前列中央2人の紫衣の人物左側が西生寺長老)
米国本土の退役軍人たちの激しい反対運動にあって工事中断、紆余曲折しながら1970年5月にようやく完成した静かな「慰霊公苑」です。戦争で日本軍が占領した猜胴駑療抬爐蓮△海離哀▲爐肇▲螢紂璽轡礇麥鹽隋淵▲奪津隋Εスカ島)だけです。

日本占領時代、グアムは「大宮島」と名前を変えました。戦後の東西冷戦期は「軍事基地の島」として、関係者以外は立ち入ることが禁止されていましたが、その後米政府の方針転換で、ハワイのような観光リゾート地をめざして開発、我々の知る「南国リゾートグアム」が形成されました。

ちなみにハワイ州と違ってグアムは狃狃0靴き爐覆里如議員を選出して米連邦議会での発言権もなく、税金を納める米国民であるにもかかわらず、グアム市民は大統領選に一票を投じることもできません。

昔の私は、民間人や日本軍兵士の血で染まった凄惨な戦場の上に出来上がったグアム、サイパン、沖縄などの狷邱颪離螢勝璽斑廊爐惱个けて爛螢勝璽箸垢覽な爐砲呂舛辰箸發覆譴此峙し擇頬れてはバチが当たる」くらいに考えていましたが、今は「もし訪れる機会があれば、戦跡をきちんとこの目で見てまわり、心からの慰霊追悼をしたい」と思っています。

一方、「トラック諸島(ミクロネシア連邦)」は、パラオと同じくかつて日本が委任統治をしていた内南洋の一部で、戦時中は日本軍の一大根拠地となりました。例の「飛び石作戦」でバイパスされて、連合軍の上陸はありませんでしたが、昭和19年(1944年)2月の「トラック大空襲」で連合艦隊の泊地は壊滅状態となり、残された陸海軍将兵4万3000人は終戦まで空襲と空腹に耐えながら自活生活をおくりました。

日に一度はクルクルしてながめる私の地球儀に爛肇薀奪諸島爐量召呂覆爛船紂璽諸島爐箸覆辰討い泙后チュークとはどうやら、ミクロネシアに多く暮らしているチューク語を話すチューク人からついた地名のようです。


2015/05/10(日)
★「寺」の「庭」の「婦人」














藤棚満開、つつじほぼ満開、5月3日には今年初となる爛札澂爐鳴きました。

今朝は一羽の野鳥が透きとおる美声でさかんに

ショウチュウ オイチイ♪
ジャガリコ オイチイ♪

と元気にさえずっていました。
(たしかに焼酎もじゃがりこも美味しいです)

緑が濃くなったけやきの枝の高いところから、毛虫や青虫がつつーっと垂れさがってくるデンジャラスな季節でもあり、気付かないうちに自分の服や頭に毛虫が乗っていてうかうかしていられません。

(空中から糸をたらして日光浴を楽しんでいた毛虫にとっても不意にぶつかって来る人間には迷惑はなはだしいでしょう)


そう、ちかごろの私は狒霄茲雖爐縫魯泪辰討い泙后
お天気が続いた連休中もヒマを見ては草を取っていました。

数十年間、西生寺にお勤めをしていた村のおばあちゃんが昨年リタイアしたので、日常的に草を取る人が誰もいなくなり「じゃ 自分がやるしかないじゃん」と、自分仕様のアイテム(グローブ、ミニくわ(←カマは左利きなので使えない)、てみ)をコメリで買いそろえ、初めて本格的に取り組んでみた草取り。

これがけっこう気持ちがよいのです。

スポッと根こそぎ取れた時の「よっしゃー!」みたいな高揚感や、自分の労働が文句なしに「100%お寺に貢献している」という正々堂々とした?満足感、目に見えて成果が分かり境内がきれいになってゆく達成感、そして何も考えず猝疑喚爐頬彳できるあたりに「草取りの魅力」を感じます。

草木にまったく興味がなく、草花に狆陲里けらもない爐里功を奏して、片っぱしから豪快に犧甘篭盪貝爐澆燭い縫ンカン音をたてて「くわ」を地面に打ち付け(地中が石ころばかりの西生寺)、根こそぎ草を取りまくって気分爽快。無頓着に美しいコケまでバリバリとはがしそうな勢いに、住職の夫は心配そうに「もう止めれば」と声をかけてくるけどお構いなし。


草取りがこんなに有意義で気分爽快なものだったなんて知りませんでした。

実はわれら寺庭婦人にとって「草取り」は避けては通れない大切な日常の仕事。お寺の境内でひとり、しゃがんで黙々と草をとっている婦人を見かけたらまず寺庭婦人と思って間違いありません。

寺庭A:「毎日毎日草取って、取ったそばから草が生えてきて、ぐるぐる境内をローテーションして、一生草取ってるわ!」

寺庭B:「だってほら、わたしたち犹(てら)爐劉狡蹇覆砲錙豊爐劉猊愎諭覆佞犬鵝豊爐世ら…」

寺庭ACD:「ほんとだわね〜!」

寺庭同士が集まると、日々の地味な草取り作業をこんなふうに自虐ネタにしてお互いをねぎらっているのですが、

「そんなことを言っても、各自けっこう心の中では満足感や達成感を味わっていたのだな」
ということを自分がやってみて初めて知りました。

園子ママも昔は早朝夜明けとともに地面にへばりつくようにして境内の草を黙々と取っていたっけ…。

鼻っ柱が強く手ごわい嫁子の代表選手みたいな私だけど(園子ママ談)、いまじゃポジティブに草取りを日課としているわけで、なんだかんだとちゃんと継承されてゆくものなのねん。(ちっとも心配することなかったね お母さん)

境内をなわばりとする愛猫タビーのためにも「主要エリアではなるべく除草剤は使わずに犲衄瓦(ずるをする手抜きではありません)爐覗陲鬚箸蠅燭い福廚隼廚辰討い襦▲淵船絅薀詛匹濃瑤ぅ優柿曚い了筺

きれいになった場所に次から次へと挑発的に芽を出す新種の草(私にとっては)の攻略法を考えながら、今日も爽快に草を取ってます。自称「雑草魂を持つおんな」と「本物の雑草」の犇内バトル爐六呂泙辰燭个りです。

このぶんだと「日焼け防止には完璧なアイテム」と知りつつもかなりの抵抗感があり、私には爛┘戰譽好筏蕕旅發ぅ蓮璽疋覘爐箸覆辰討い襦∨漂劼困んにツバがついたみたいなアレ、倏晴箸凌佑筌ャディーさんが愛用している薄い花柄模様のあの帽子爐鬚ぶる日も、もしかしたらそう遠くはないかもしれません(笑)。

あっ、朝のあのゴキゲンな野鳥がいま

ヘベレケピーヒョロ♪

ってさえずっています。どうやらじゃがりこをつまみに焼酎をしこたま飲んでへべれけになったようです。



●画像左…野積集落の水田風景(永代供養墓「天翔園」からの展望)
連休に田植えを終えたばかりの、我々の暮らす野積地区の水田風景です。水が張られてキラキラと太陽に反射する美しいこの風景も、稲が生育するにつれてじきに見られなくなる今限定の景色です。画像だと最近けっこう県内でも目にするようになった太陽光発電のソーラーパネルにも見えますか。お山からそっと豊作を祈りました。

●画像右…五泉の山で採れた山菜(左からタラの芽、コシアブラ、手前がウド)
連休明けの静かな平日、山深い新潟県五泉市から信者さんご夫妻がお参りに来られました。「春の便りの手土産」として、今年もご夫婦で採ったというたくさんの山菜をいただきました。5月だというのに山の中はまだまだ雪深く「今年ほど残雪が多い年も珍しい」とのことです。

ウドはきんぴら、コシアブラは半分天ぷらで半分は胡麻和え、タラの芽は天ぷらにして家族みんなでおいしくいただきました。(調理はすべて料理好きな住職でした。私はスーパーで天ぷら粉と天ぷら紙を買っただけでした)


2015/04/27(月)
★GW、寺泊観光と新緑の西生寺はいかがでしょう?




















境内のさまざまな樹木が競い合うようにフサフサといっせいに芽吹き、鮮やかな若葉が目にまぶしい季節となりました。青空と新緑のコントラストは心がスカッとしてたいへんよろしいです。

新緑の樹木に囲まれて、山のおいしい空気を吸い、夜は星空を、昼間は雄大な日本海を眺め、元気な野鳥のさえずりを聞きながらの静かな「おてら暮らし」は、まるでどこかのキャンプ場に滞在しているかのような気分にさせてくれます。
(早くも出没しはじめた巨大ムカデや、ダニ除けの薬が効かない飼いネコにはまいるけど…)


さて、今年も早いもので爍韮廰爐任后みなさんはどう過ごされますか?

お仕事ですか?(ごくろうさま)、旅行ですか?(うらやましい限り)、趣味を満喫しますか?(極めてください)、お部屋の大掃除しますか?(耳が痛い)、特にナシですか?(のんびり過ごしてください) 

GW期間中の新潟県内は、あちらこちらでいっせいに田植えが始まるので、もしかしたら「田植えをします」という方もいるかもしれません。

私は仕事(受付寺務所)です。そしてたぶん今年も連休中は爐寺から一歩も出ない毎日爐任后

私にとってGWとは、連休を満喫中の観光客の方々、ひょっこりと顔を出す知人、遠方からお参りに来られる信者さんたちとの爐佞譴△そ鬼岫爐任后

夕方、仕事が終わってから外出くらいできるのでは?と思われるかもしれませんが、我々の暮らす寺泊エリアは、「寺泊魚のアメ横市場」という新潟を代表する犂儻スポット爐あり、村に沿うように走る国道402号線(シーサイドライン)の渋滞がひどくてどこにも出る気がしないのです。

「よくもまあ、これだけの車と人が押し寄せるよなあ…」

と感心するくらいに、どの車も磁石に吸い寄せられるように「魚のアメ横」を目指したり出てきたりしていて、観光地とは無縁の神奈川県川崎市南部で育った私には犂儻地に住んでいること爐いまだに新鮮でおもしろいです。

犲分が暮らしている地域に県内外からレジャーをしに人が集まってくるのが面白い爐箸いΥ恭个鬟ープしたまま25年が経過しているのもすごいですが、

意外に忘れがちだけど実はそんな自分が暮らしている西生寺も、日本最古のミイラ仏「弘智法印即身仏」拝観を目当てに参拝客が訪れる爐舛腓辰箸靴心儻地爐覆里任靴拭幣弌法


話は突然変わりますが爐舛腓辰箸靴心儻地爐今まさに新展開です!

これを書いている今、予約なしで「新潟交通」の大型バスが入ってきて、20名の団体で「即身仏の拝観」を受け付けたのですが、それがなんと狎樟源拝観史上初爐痢崔羚饋傭賃隆儻客」でした!

添乗員さんも現地旅行会社の中国人で、渡された名刺をもとに「領収証」の宛名のところに、生まれて初めて狠羚餮譴隆岨爐芭更垈饉厂召鮟颪ました。(日本漢字にありそうでない中国漢字は書いていて不思議でした)

うなぎ上りの訪日外国人旅行者ですが、東京や富士山、京都などの主要観光地ばかりの話と思っていたので、こんな奥地の西生寺にまで牾姐饋傭賃隆儻客爐訪れたことにちょっと驚きました。

「貴重な日本滞在中、数ある観光地の中から穴場的な西生寺をチョイスしてくれてありがとう」という気持ちと「なんでうち?」という気持ちが交差するなか、

「きっと昼食は寺泊アメ横のレストランで、カニが一杯丸ごと乗った名物カニ汁付きの牾ち丼爐犹匹型板蠖爐覆鵑を食べるのだろうなあ」

「宿泊は月岡温泉かもしれないな。月岡は台湾や中国の旅行者に人気だというし」

など想像は無限に広がります。

ちなみに、これまで西生寺を訪れた外国人といえば犖朕裕勠爐个りです。

しかも倏間10人にも満たない数爐如△燭い討い

・日本に長く住んで狷本慣れ爐靴討い訖諭米本語ペラペラ)
・日本人の知人に連れられて来山
・ホストファミリーと一緒にホームステイ中の学生さん
・新潟市にある「韓・中・ロシア総領事館」の関係者

などのパターンで、正真正銘の牾こ偉更埣罎隆儻客爐箸いΔ里魯璽蹐任靴拭

もしかしてもしかすると、今後は訪日リピーターが増えて「穴場を求めてより奥地へ」みたいなことになり、ディープに地方を旅するツーリストが増えれば、外国人旅行者の西生寺参拝もそう珍しくはなくなるのかもしれません。

そうなったら楽しいだろうなあ。。。つたない英語やカタコトの外国語でコミュニケーションするなんてまるで海外にいる気分だもの。タイ人が来たらタイ語をしゃべって「え?なんでタイ語がしゃべれるのですか?」みたいな…(笑)。


そういう爛哀蹇璽丱襪別楡爐任△蕕燭瓩洞内を見渡すと、うちのお寺って「英語表示」がまったくナシ、ということに気が付きました。

私がタイの地方に行って「タイ語表示ばっかりじゃん、困るなあ」とブチブチ言うのと同じことを西生寺でもしていたということを初認識。

一方で「日本語だけの方が猜斑牢境爐出て猯垢靴討覘爐辰撞なが盛り上がるでしょ」とも思うし(じっさい、不自由で不可解なほど旅は盛り上がるのだ!)、ま、当分は現状維持ってことでよろしいんじゃないでしょうか。
(いちおう20年くらい前から「手作りの英語パンフレット」だけは用意している…)


それにしてもこの中国人御一行さま、なんと倏着な人々爐覆里世蹐Α帖

肌寒さを感じて、寒がりの私が靴下を2枚重ねて寺務所でストーブをたいているなか、半数以上の人がTシャツ一枚の牴橡榿屮好織ぅ覘燹8ているこっちが寒くなって鳥肌立っちゃってるもの。

「きっと肌寒いのが鈍感になっちゃうような中国の寒い地方、そうだ爛魯襯咼鶚爐ら来たにちがいない!」

と推測、(なぜなら新潟空港は『新潟⇔ハルビン』というレアな空路があるからです)

「みなさん気に入って お守りや絵ろうそくを倏買い爐靴覆いしら?」

なんてこともちらっと頭をよぎったりしました…(笑)。
(↑結果報告:爆買いしませんでした)


えっとそうそう本題は「GWにはぜひ西生寺へもお立ち寄りください」と書こうとしていたのでした。

平成27年の今年「御遷座(ごせんざ)100年」という節目を迎えて、秋まで奉祝行事が続く越後一之宮「弥彦神社」や、大勢の観光客でにぎわう「寺泊魚のアメ横市場」のちょうど中間という狎簗な立地爐謀山「西生寺」は位置しています。

景色の良い「弥彦山スカイライン」や「越後七浦シーサイドライン」のドライブの途中に、弥彦神社や寺泊魚のアメ横へお出かけする際にはぜひ、新緑の自然豊かな「西生寺」へもどうぞお参りください。一歩も出ず爐てらに缶詰め暮らし爐任發修譴覆蠅乏擇靴鵑任い觧笋篏賛Δ、みなさんのお越しをお待ちいたしております。



●画像左…今年の「寺泊観光のパンフレット」
【タイトル】:「海と魚と歴史のまち。寺泊」
「寺泊観光協会」が作成したものです。協会の方が連休直前に持って来てくれました。新鮮な魚介類を食べたり直売センターで買い物ができる「寺泊魚のアメ横市場」の他にも、寺泊エリアの観光スポットはじつに盛りだくさんです。

ほんの一例として、良寛さまゆかりの「密蔵院(照明寺内)」(私のお友達のお寺の奥さんのお寺)、夏はにぎわう「海水浴場」(県内一の利用者数)、海に浮かぶ「寺泊水族館」(まだ一度も行ったことがない)、立ち寄り温泉「きんぱちの湯」&「太古の湯」、長岡市「トキと自然の学習館(佐渡のトキ分散飼育センター)」、トリックアートの「SOWA美術館」、乗馬体験ができる「日本海乗馬クラブ」、そして「弘智法印即身仏」のわが西生寺などなど…。

市場近くに「寺泊港」があり、「漁港」のほかに人気の「釣り船」、佐渡の赤泊へ高速船「アイビス」も運行されています。グルメは「海鮮料理」の和食の他にはわが野積地区には地ビールレストラン、居心地最高の「カフェウィンズ」、同じオーナーの海鮮地中海料理「バナナウィンズ」、本格ナポリピザの店、イタリアンレストラン等があります。旅館、ホテル、民宿など寺泊は宿泊施設も充実しています。

この最新の「寺泊観光パンフレット」は宝物堂内に置いておきましたのでご自由にどうぞ。


●画像右…新緑の「フウリンウメモドキ」
境内の森?に一本しか見かけたことがない西生寺では珍しい木です。若葉の根本あたりに色づかない花のつぼみが点々と見えますが、秋になるとサクランボより小さい狎屬ぜ足爐、節のついた枝にぶらぶらとたくさんぶら下がっていっきに目を引きます。

草花の好きなお客さんが受付の私に「あの赤い実の木はなんという木ですか?」と質問したのをきっかけに、以前檀家さんのマダムからいただいた分厚い「日本の樹木図鑑」をたよりに必死に調べて判明した爛侫Ε螢鵐Ε瓮皀疋爐箸いι変わりな名前の木。草木にはまったく興味がない私でも犲力で調べる爐繁困譴覆い發里任后


2015/04/15(水)
★仮面ライダー「ARIGATO」参上!その正体は…














満開の桜と最高のお出かけ日和となったこのあいだの日曜日。静かな駐車場に一台の大型バイクが軽快な爆音とともに入ってきて「受付寺務所」脇に横付け。

私:「でっかいバイクだあ。拝観かなあ?」
夫:「おいおい、ちょっと見て見なよ!仮面ライダーの格好だぜ」

私:「うわっ本当だ、仮面ライダーだ!すっごーい」

寺務所すぐ脇に停めたバイクから降り立った、仮面ライダーのコスプレをしているライダーの動向に、寺務所内部から網戸越しにくぎ付けになる我々…。


それにしても意味がわからないなあ。たったひとりで仮面ライダーのコスプレをしてバイクに乗って寺社仏閣を訪れるなんてまったく意味がわかららない。

夫:「なんだ?バック(後部座席)からなにか箱を出しているぞ」
私:「仮面ライダーの格好で新種の訪問販売?宗教の勧誘?あっ、御朱印かもよ!」


ヘルメットをつけたままゴーグルのみ上にあげた仮面ライダー。

私:「若者じゃないよ、ちょっとおじさんっぽい?」
夫:「箱持ってこっちくるぞ、扉開けるぞ、」

何か箱を持って、寺務所正面の「受付窓口」ではなく、関係者専用ドアの「扉」のノブをガチャガチャとさせ、我々のいる内部にノックもせずに勝手に入ってこようとする仮面ライダー。

な、なんなんだこの展開は 一方的すぎじゃないか!

仮面ライダーの格好をする知り合いなんぞ全く覚えがない我々は、躊躇もせずに勝手に入ってこようとする怪しいコスプレ人物に狄瓦僚猗爐垢蕕垢覺屬發覆ただ思いっきり身構える。ヘルメットの目玉と触覚が太陽に反射してまぶしい。


「コンチワ〜♪ 納品に来ました〜!」

拍子抜けするような狃杜魯璽蹐侶擇て高い声爐吠垢覚えあり。

夫:「なんだあ!驚いたなあ、誰かと思ったら小池ローソクの社長さんじゃないか!」
私:「すごーい小池さん!なんで仮面ライダーの格好してるの!なんで?なんで?」


仮面ライダーの正体は、西生寺で販売している明治27年創業の「越後絵ろうそく」の老舗、新潟市亀田にある「小池ろうそく店」の社長さんでした。


仮面ライダーに変身している理由について「イベント参加のため」だと小池社長は言う。

なんでも、我々の暮らす寺泊とおなじ日本海の海岸沿いにある出雲崎町の道の駅「天領の里」で、これから『バイク新潟県人会』の集会「コスプレライダーイベント」が開催されるので、参加するついでに、西生寺に約束していた商品の納品に立ち寄ったとのことでした。


小池:「ほら、バイクって怖いって思われているでしょ、バイクは怖くないですよ〜っていう会なわけ」

と、会員だという「バイク新潟県人会」の主旨を軽いタッチで説明するコスプレ中の小池社長さん。会員は約200名もいるらしい。


誰にも真似できないような軽やかさで「オッケ〜♪」と言うのが口ぐせの小池さんは、「おじさんバンド」と称したバンド活動などなかなか多趣味な人物。で、1000ccの大型バイクを乗りこなす「バイク愛好家」なのは知っていたけど、こんなコスプレまで爐燭靴覆爿爐覆鵑董△笋辰僂蠑池さんって小池さんだわー(笑)。

それにしてもサプライズにも爐曚畢爐あるってば小池さん。社長が仮面ライダーのコスプレをして「商品の納品」なんて絶対にありえない。ルール違反の面白さ。


さっそく満開の桜と宝物堂の前で、ポーズを決めてもらって「撮影会」を開始。


「いやあ、自分のコスプレなんて地味なもんですよ」と言いながら、さりげなく猜竸肇戰襯鉢爐鮗蠧阿任阿襪阿襪箸泙錣靴討澆擦訃池さん。

到着時から私の目をくぎ付けにしている手作り感100%の犇敍の赤い胸板爐鬚気錣蕕擦討發蕕辰討呂靴磴飴筺

ちなみに仮面ライダーの前は、大河ドラマ「天地人」の武将、直江兼続のコスプレで牋Δ料偉てのヘルメット爐鉢牋Δ離沺璽のバイクデコでキメキメだったらしい。


私:「仮面ライダーの姿で来てくれてありがとう!イベント楽しんでね、運転に気を付けて」
夫:「せっかくだから寺泊魚市場に寄って行けば?休日で人多いし、アナタかなりの注目だよ」

小池:「オッケ〜♪ オッケ〜♪」

エンジンがかかったとたんに、車体にデコレーションされた青色LEDのミニランプの列がピカピカと順番に点滅。「イルミネーションだあ!」とウケまくる私たちに小池社長さんは片手を振って爽快に走り去ってゆきました。


夫:「すごい人だ…」
私:「あー楽しかった。小池さんってあなたより少し若いくらいだよね」

夫:「信じられない…」
私:「牋貪戮りの人生 楽しんだ者勝ち爐鮹呂任い辰討襪諭


柔軟な発想で猩造蹐Δ修のヒット商品爐鮗 垢叛犬澆世掘∧顕幣覆法崙本の伝統工芸品」として認定され大臣賞まで受賞、パリや上海などの海外の爛献礇僖鵐侫Д◆辞爐砲盻佚垢啓らが宣伝マンに。

仕事も一生懸命で凡人には真似できない趣味をたしなみ、現代人の生きづらさなどを微塵にも感じさせず、まったく重さがない軽やかな小池さんはやっぱり不思議な人でした。

せまい島国ニッポンに暮らし、つねひごろ世間体(せけんてい)なんかを気にしながら生きている私たち凡人の枠を軽く超えちゃった自由人。

小池さんとのお付き合いはかれこれ四半世紀以上になりますが、こんな犲由人爐両池さんを見ていると「私って自分の人生の半分も楽しんでいないんじゃないか」と思えてくるのでした。



●画像左…ポーズをキメる仮面ライダー
バイクにマーキングされている「仮面ライダーARIGATO」の意味を聞いたら「仮面ライダーアリトと兜(かぶと)のミックス」なのだそう。小池社長は「ありがとう」という言葉が大好き。爐△蠅とうシリーズ爐箸靴鴇ι焚修靴討り、当山ではCDケースに入った「ありがとうローソク」や「ありがとう線香」が販売されています。

●画像右…仮面ライダーと絵ローソク
「社長さんが自社商品を持ってPRする姿」も自由人小池さんの手にかかるとこうなります。ちなみにふだんは「小池ろうそく店」と染め上げた爐呂辰圻爐鮹紊討い泙后
この「ちび絵ろうそく5本セット」は当山でも特に人気です。和ローソク1本1本に、職人さんが手描きで季節の花を描いたモノでとても素敵です。(1600円)


【小池ろうそく店】
明治27年創業、越後絵ろうそく本舗。伝統的和ろうそくの最高峰、手描き花ろうそくの美しさは評価が高い。1本1本心をこめて作られる絵ろうそくは歴史が古く、江戸時代にまでさかのぼる。雪が深い新潟。花が無い季節に仏様に花をお供えしたい…そんな願いから生まれ、現代もなおそのぬくもりを伝えています。


2015/04/06(月)
★始動!














4月に入り、冬期閉鎖をしていた「弥彦山スカイライン」も開通しました。少し前にはこちらも冬期閉鎖をしていた駐車場の「宝物堂」や「受付寺務所」をOPENさせ、私の猖萋の寺務所出勤爐盪呂泙蝓⊇佞遼れとともに冬眠から目覚めたカエルのように、今年もようやく本来の体制が相整って活動を開始した西生寺です。

「大の苦手な厳しい冬の寒さや雪ともこれにて当分お別れネ」と思うだけで心が浮き立ち、もったいないくらいに次々と咲いてゆく可憐な野草や樹木の花々、眠気を誘う温暖な気候に

「今、一年で一番ステキな季節を迎えていること」を実感します。


ちょっとうれしい事もありました。

いつもの庭師さんが境内の「雪囲い」を外しに来た際に、昨年末に「おてら通信」でも紹介した、昨年12月初旬の狃蘋磴砲靴涜臉祗爐了に、雪の重みに耐えきれず思いっきり根本から倒木してしまいたいそうがっかりした、例の宝物堂裏の「ゆずの木の処理」をついでにお願いしたところ、

「一部根をつけたまま倒れているからもしかしたらなんとかなるんじゃないか」
と、ふだん寡黙な庭師さん(親方)の口からは予想もしなかった言葉が!

さっそく庭師さん2人による作業が開始。手際よく枯れた枝を切りまくり、倒れた木をクレーン車で吊って元通りに起こして盛り土で固めたあと、太い支え棒2本で幹を固定、爐△譴茲△譴茘爐箸いΔΔ舛法屬罎困量據廚錬乾月ぶりに犖議未蠅領った姿爐復活したのでした。(画像右)

これまでたくさんの実をつけて「ゆず料理」や「ゆず湯」などで阿刀家を楽しませてくれた境内唯一の「ゆずの木倒木事件」に、哀しいのと悔しいのとがまざった気持ちで当時、私が住職の夫に提言して一笑された言葉、

「そのまま倒れた木を何事もなかったみたいに起こして、ぐるぐると包帯みたいに処置すればもしかしたら復活するんじゃない?」というのが現実のものとなったのです。


よかった。なんだか、生きているのに自力では起き上がることもできない「ゆずの木」に対して、これまでの牴己屬鍬爐できた気がしてうれしいです。(ま、私は見てるだけだったけど)

でも犲木のプロ爐里佞世鷁斌曚閉躬佞気鵝平栃)が言うには「本当に根づくかの確立は半々…」とのこと。

いいのいいのダメでもともと。こちら側としてはやるだけのことはやったので(私は見てるだけだったけど)、あとはゆずの木の持つ生命力、自然治癒力を信じて見守りたいと思います。

いつの日か、しっかりと大地に根づいて体力がついたら、ひとつでもふたつでも実をつけて、いずれまたたくさん鈴なりに実をつけてください。


というわけで、タイ旅で一年分の有給休暇を惜しげもなくドカンと使い切った私の倏中無休の受付寺務所ライフ爐スタートしました。12月に冬期閉鎖されるまでのほぼ毎日「寺務所」にいます。自分仕様にカスタマイズされた寺務所で(なにせ一日の大半を過ごす場所なので)みなさんのお越しをお待ちしております。どうぞお参りくださいませ〜。



●画像左…野仏さまとカタクリの花
秋は狄燭胆屬僻犂濂岫爐飽呂泙譴詭酳(のぼとけ)さまですが、今の時期はこのように狷色のカタクリの花々爐飽呂泙譴泙后E庫沼翩婉瓩痢嵬酳エリア」は爛タクリの群生地爐箸覆辰討い襪里任后ちなみに春のカタクリと秋の彼岸花の間のおよそ半年は猯个量鄙陝福畛草ともいう)爐飽呂泙譴討い泙后幣弌法

●画像右…西生寺「ゆずの木再生プロジェクト」?
ずいぶんと枝が落とされてすっきりとしました。こうして見ると、何事もなかったようにふつうに立っているようにしか見えないゆずの木ですが、果たして根づくのかどうか…。ガンバレゆずっち!


2015/03/23(月)
★行ってまいりました!「タイひとり旅報告」














みなさん本当にお久しぶりです。おかげさまで元気印のうちに長いタイの旅を終え成田に帰国、その日のうちに西生寺まで戻ってまいりました。2月初旬の出発する時の凍てつく冬の寒さとは打って変わって、東京も新潟も狃佞里櫃ぽか陽気爐任笋気靴私を迎えてくれました。

タイは12月から雨も降らないまま一年でもっとも気温の高い暑季に入り、最高気温が38度〜40度にもなる毎日でした。

強烈な日差しに照りつけられた牘蠹群爾猟爐魎世世になりながら、ペットボトルの水を抱え日傘をさしながらまわった「お寺参り」や、町を形成する時に定めた狡の中心の柱爐任△蝓△い泙覆住民の信仰を集めている「ラック・ムアン(市の柱)参り」を続けた結果、

8本の手の指にできていたシモヤケもいつの間に治り、代わりに両足の甲には犖事なビーサン焼け爐完成しました。きっとふだん受付寺務所から出ない私にとっては一年分の紫外線を浴びたと思います。


さて今回のひとり旅は「バンコク発→ラオスとの国境メコン河沿いをさかのぼるルートを中心に東北イサーン地方→北部チェンマイまで」と広範囲に及び、だいたい2−3泊パターンで次の町へローカルバスで3−4時間の移動、という事を繰り返しました。

バスの種類も最低クラス順に「ISUZUピックアップトラック、3等エアコンなし、2等エアコン、2階建てデラックスバス、乗降なしの目的地直行の急行ミニバン」まで幅広く利用し、30分以上も待って始発ではない途中乗車で「すでに満員」で乗れなかったり(次に来るのは2時間後)、バスの故障で狆ー蠅鵬鯤され犁泙ょ他の手段で移動したなんてことも経験しました。

久しぶりに私の旅では爛丱弘榮阿魴り返すハードな旅爐魄譽月以上続けましたが(まるで20代の頃の旅のスタイル)、暑さで体調をくずしたり、乾ききった大地の土ぼこりに喉をいためたり、カゼをひいたりすることもなく、夏バテ知らずで食欲は益々旺盛となり、毎日食べ続けたディープなローカルフード(※1)にも私のお腹はまったく元気印でした。

今思えば、疲れた時に適当にしてもらっていた爛織ぅ泪奪機璽賢爐良かったのかもしれません。(上手な人にしてもらうと本当に全身がすっきり軽くなり疲れが吹き飛びます)

(※1)ローカルフードといえば、3月の狃覽┃爐魴泙┐襪函崔邏瑤い凌文化」のある東北イサーン人の大好物犁臓淵▲蝓砲了勠爐旬!(ちなみに蟻の子はちょっとした高級品です)「こんなに需要があるのだろうか?」とギモンに思ってしまうほど、朝市場には獲れたて?の白い蟻の子を木の葉の皿に乗せて地面に座った、何人も何人もいや何十人もの「蟻の子売り」の人々で溢れていました。

※蟻の子はスープに入れたり、オムレツにたっぷり入れて食べますが、私もせっかくなので葉っぱで包んで蒸しあげた「蟻の子の蒸し物」を食べました。甘くてぷちっとして美味しかったです。


さて、今回の旅はズバリ、行く先々の滞在地で「お寺参り」に明け暮れた旅でした。

これは、当初べつに意図していたわけではなく結果的にこうなったのですが、いわゆる爛魯泪辰討靴泙辰伸爐箸いΔ笋弔任垢ね。

そしてなんと犢膩廝僑競瓜爐里寺をお参りしました。

「四国八十八ヶ所霊場めぐり」ならぬ「タイ国六十六ヶ所お寺参り」。

まるで猜從旅爐澆燭い任靴拭幣弌法

タイは日本の仏教とはちがい狃’畢爐呂△蠅泙擦鵝(厳密にはタマユット派などがありますがわずか数パーセント)日本の場合、仏教建築の様式やスタイルは、地方・地域ごとに明らかに異なるということはなく、建立された年代や宗派で多少の差はありますが犖た目爐倭換颪曚箸鵑品僂錣蠅泙擦鵝


タイは違います。今のタイ国に統一される前に、その地域を支配していた王国(王朝)、勝ったり負けたりの領土争いの繰り返しの歴史の中で、勝った側の影響を受けたり、滅びたものの建築や文化は残ったり、他民族の移住で根づいた信仰や仏教建築などなど、地方・地域ごとにさまざまにお寺のスタイル(様式)が変わるのです。
(日本人のセンスとはまるで違う爛ンキラ派手派手爐呂匹海眛韻犬任垢)

ちなみに民族も地方・地域ごとにさまざまです。

我々外国人にはほとんど見分けがつかず、ひっくるめて爛織た佑砲靴見えない爐里任垢、実は私たちが気づかないだけでタイはある意味で他民族国家といえます。

華僑14%、少数民族11%、その他7割以上がおおざっぱに言えば爛織ぢ沖爐任垢、そのひとくくりにされたタイ族に属する中にはルーツの違う民族がいくつもあり、独自の伝統文化(食文化)・風習を守りながら、伝統の民族衣装を着てはっきりと猝餌何Л爐あらわれる「祭事(まつり・お寺行事)」のとき以外は、ふつうにタイ国民として暮らしています。

タイ族でいうと、イサーン東北部は昔からメコン河を中心にラオスと兄弟のような強いつながりがあるのでラーオ系の民族が主流(イサーンの方言はラオス語とほとんど変わらない)で、バンコクも含む南部タイはシャム系民族、

北部チェンマイもラーオ系ですが、同じラーオ系でも「ラーンナータイ王国」の住民だったコン・ムアンと呼ばれる人々が主流で、コン・ムアンは一般のタイ語とは似つかないラーンナー文字(ビルマ文字に似ている)やラーンナー言葉(方言)を持ち、独自の風習・芸術・文化を今も根強く守り続けています。日本人に一番似ている「モン族(ハリプンチャイ王国を開いたのちラーンナータイ王国に吸収される)」も多いです。

タイ広域を旅すると、外国人の私にも「イサーン(東北地方)からランパーン(北部)に入るといっきに人の顔が変わったなあ…」くらいのレベルでは違いがわかります。(ラーオ系民族→モン族)


さて、話を「お寺参り」に戻しましょう。

そんなわけで、私がこんなにも各地の「お寺参り」に燃えた理由は、地方・地域ごとに、または民族ごとに、仏教寺院の犒築スタイル爐全く違うからにほかなりません。

入口となる「門」、各種「お堂」、屋根の造りや堂内の装飾、仏舎利を納めた「仏塔」、さまざまな「脇役たち」、そして「ご本尊」さまの祀られ方や御姿がそれぞれ変わります。

日本の京都・奈良のように、レンガの城壁(お堀)が残っているような歴史のある古い町(かつて王都だったとか)ほどお寺の数も多いという特徴もあります。逆に言うと新しい歴史の浅い町は、どんなに大きな市でも市内に数えるほどのお寺しか存在しません。

「この町はどんな様式のお堂や門で、どんな(様式の)ご本尊さまがお祀りされているのだろう」

という興味が、最後の滞在地にして私の常宿がある拠点、600年続いた「ラーンナータイ王国」の主都「ラーンナー様式のお寺だらけ」の古都チェンマイまで尽きることがありませんでした。


どの町でも、平日でもお参りが絶えない地元の老若男女の人々に大切にされているお寺があり、仕事の合間にちょこっと立ち寄ってお参りをしてゆくタイの人々の祈る姿に、あらためてタイ人の信心の深さに感心し爐寺側の人間(=寺庭婦人)爐箸靴董屬海ΔいΔ里本来のお寺の姿だよね」なんて刺激されたり、

タイ人の間ではとても有名らしく観光客がどっと押し寄せている大きな派手なお寺に遭遇したり、お堂、仏塔ごとに様式がちがう爛潺奪ス様式爐里寺にこの地域のたどった歴史を垣間見たり、

門の獅子の後ろ姿のぷりっとした尻に見とれたり、ご本尊さまに魅せられたり、真言宗式に手を合わせて旅の無事を祈ったり、日陰の東屋でのんびり仏塔を見上げて過ごしたり…

気が付いたら66ヶ寺もお参りしていたのでした。

それにしてもイサーンは良かったなあ…。

これまでも夫とレンタカーを借りてさーっとイサーンの大地を駆け巡る周遊の旅はしていたのですが、こうして町々に連泊してじっくりと人々や市場を観察したり、町中を歩き回ったり、陽が暮れるまでの時間をまったりとメコン河を眺めたりして過ごすような旅は初めてでした。

日本も同じかもしれませんが、地方にいくほど田舎にいくほど人々は素朴でおおらかで親切で、自然とともにゆったりのびのびと暮らしている印象がありますが、特に東北イサーンはその傾向が強かったです。

旅行者が一番世話になるといってもよい、ホテルやゲストハウスのスタッフもどこものんびりしていて良い感じでした。イサーンではイヤな感じのホテルスタッフにひとりも会いませんでした。これは爛織ぅ爛ぅ坤泪諭辞爐並臈垈颯丱鵐灰や、観光客慣れしている観光都市チェンマイでは考えられないことです。

(ただしイサーンではホテル名看板もタイ語のみだったりするので、タイ文字がわからないと困る場合も多いかもしれません)

物価も安く、人々も暮らしも町並みも、水牛がたわむれる田園風景もメコン河も、すべてが素朴でゆったりとした田舎の時間が流れているイサーンがますます好きになりました。ああ、早くもラテライト(赤土)の大地がなつかしいです…。

久しぶりの我が家ではなつかしがってばかりもいられない犖充臓福畛纏)爐山盛りに私の帰りを待っていました。「とりあえず何はさておき爐てら通信犢洪靴髻」ということで良かった〜 雪割草の咲くころに間に合って。

※下に2枠(わく)で「★タイ旅報告:○○」も同時更新しましたのでそちらもどうぞ。



●画像左…北部チェンマイ「ラーンナー様式」のお堂
現代チェンマイの街の雑踏に完全に溶け込んでしまっている、ゴージャスエレガントが特徴のラーンナー様式の重厚な造りのお堂。

見てのとおり「ラーンナー様式」は、深い赤・焦げ茶を基調とした壁に幾重にも重ねた豪華な屋根や柱の装飾に、階段の手すりは「バンダイ・ナーク」という独特の龍(マガラという生き物の口から出ている)が施されています。(画像では灰色の頭だけが2つちょこっと見えます)

「堂内」は壁いっぱいに描かれた壁画や、ラーンナー建築の特徴である狢膵柱爐澆燭い平本の装飾された柱に派手な内陣で形成されています。なにもかもが優美でゴージャス感たっぷりです。チェディーと呼ばれる仏塔も目もくらむ「金色仕立て」なものも多いです。

このお堂はチェンマイで最も大切な場所に建立されているといってもよいかもしれません。

なぜなら、1932年にチェンマイがタイ国の一県になるまで約600年間も続いたラーンナータイ王国ですが、1296年に主都をチェンマイ(新しい都という意味)に定め建都をする時、狹圓涼羶瓦涼譟福瓮薀奪・ムアン)爐膨蠅瓩真誓擦幣貊蠅坊立されたお堂だからです。

以前は小さな祠(ほこら)程度のお堂で、手狭な堂内いっぱいにどっしりと座った大きな仏さまがお祀りされていて、この仏さまの爐おらかで呑気な雰囲気爐好きでした。「何か造っているなあ」と思っていたら、こんなに立派なお堂が建立されたのでした。今は別の立派な御本尊さま(高貴ですました感じの)がお祀りされていて「あの呑気な仏さまはいったいどこへいってしまったのか?」気になるところです…。

背景にうっすらと山の稜線が見えているのは聖なる山とされる「ドーイ・ステープ(ステープ山:標高1080m)」です。山頂には展望のよい有名なお寺「ワット・ドーイ・ステープ」があります。ゴールドキンキラの最骨頂のお寺です。(ここに車で何度訪れたか知れないがいつも車酔いする)

●画像右…東北ナコンパトム「ラーンサーン様式」のお寺
こちらは東北地方メコン河沿いの町のひとつ「ナコンパトム」のメコン河沿いに建つ、ラオスのラーンサーン王国に影響を受けた、典型的な爛蕁璽鵐機璽麝夕悪爐里寺です。

この画像には写っていませんが、寺ごとに欄間(らんま)の彫刻みたいに、仏さまや天女、僧、動物などが登場するドラマチックな凝ったつくりの「アーチ型の門」があり、今回の旅で一番惹かれたのもこの「門構え」でした。(別途↓「★タイ旅報告」で画像あります)

ラーンサーン様式一番の特徴は仏舎利が納められているこの「白い仏塔」。ふくらみは「蓮(はす)」を表していて、細長くすっきりとした白い仏塔に金色の装飾が美しいです。

このお寺を含め、メコン河沿いに6つのラーンサーン様式のお寺が仲良く並んでいましたが、すべてメコン河をはさんで対岸のラオス(かつてのランサーン王国の主都)へ向いています。堂内は、柱・壁画と装飾が派手派手なラーンナー様式とは違い、がらんとしていてシンプルなものが多いです。心なしかご本尊さまや仏さまが爛織薀海ちびる爐諒が多いみたい。

メコンをはさみ対岸はラオスのタケークという町で岩山が連なる絶景も望めます。イミグレーション(入出国税関)から船がタイ側⇔ラオス側と忙しそうに行き来していました。


【おまけ話】:これを知っていると楽しい「タイのお寺参り」
タイ人にとって「自分の血液型」を知らない人はいても、「自分の生まれた曜日」を知らない人はいません。タイには曜日ごとに仏さまが決まっていて(水曜日だけ昼生まれ、夜生まれの2体ある)、お寺参りではたいていのお寺にはずらりと「8体の曜日の仏像」が並んだコーナーがあり、自分の生まれた曜日の仏像をお参りする習わしがあります。

ちなみに曜日ごとに狄Л爐盞茲泙辰討い董⊆分の曜日の色も自分のテーマカラーとなり、タイ人は生涯大切にします。現在のプミポン国王は月曜日生まれ「黄色」なので、国王を讃える御真影や旗はすべて黄色です。

国王の次に国民に絶大な人気があるのが王位継承の長男ではなく、長女の王女さまですが、この方は土曜日生まれ「紫色」なので、同じように御真影や旗は紫一色となっています。

また、「曜日の色」はこんな場面でもタイ人は活用しています。たいていの町にある市民の憩いの場である「健康公園」で朝、地元タイ人に交じってジョギングをするのが楽しみな私ですが、面白いことに気付きます。

それは毎日運動をしに来る常連さんのあいだで、曜日ごとの色のTシャツやポロシャツを日替わりで着ている人が多いのです。(曜日色は以下のとおり)

[曜日色]:(月)黄、(火)ピンク、(水)緑、(木)オレンジ、(金)青、(土)紫、(日)赤

というわけで、私は木曜日生まれなので仏さまは普通の「坐っている仏さま」。色は好きじゃない「オレンジ」。夫は火曜日生まれで唯一の「寝釈迦」(寝ているので他の曜日の仏像の2倍のスペースを要する!)の上、色は私の大好きな「ピンク」です。(全部うらやましい)

というふうに、自分の生まれた曜日を知っていると、タイのお寺参りの楽しさがいっきに倍増します。ウェヴ検索で「自分の生まれた曜日を調べる」と入力すると、調べられる便利なサイトがあり、誰でも調べられますのでお試しください。


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