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2015/11/09(月)
★冬囲いと紅葉の西生寺















「雪国にいがた」には欠かせない、庭師さんによる境内木々の「冬囲い」の作業が今年も始まりました。雪の重みに負けないように、境内にあるたくさんの樹木に狠欖箸汎讚爐念賈椣賈椹椶靴討い作業は、ふたりで一週間もかかります。

とっても手間のかかる作業だしそれなりに経費もかかるけど、樹木の気持ちになってみると「植えたのはおたくら人間だし、ケチケチしないでちゃんと囲って冬に備えてちょ」ということなのでしょう。

雑草か 植えている草木かの区別もつかないような「草木音痴」な私にとって、生えてる価値がまったくわからない犢發毅横哀札鵐舛曚匹両さな樹木爐砲皚牋戝前爐謀澎呂いされているのを見ると、

「へえ、おたく、庭師さんにちゃんと存在価値が認められたんだ。夏場に私に抜かれないでよかったじゃん」なんて思います。


それにしても今年の西生寺の紅葉は見事です。

日本海からの強い潮風に当たりやすい海に面した西生寺では、「紅葉」は塩分で黒ずんでしまうことが多い中、今年の紅葉は久しぶりに鮮やかな色が出てめったにない狹たり年爐箸覆蠅泙靴拭

この近辺だと、菊まつり開催中の「弥彦神社」近くの「もみじ谷」が紅葉スポットとして有名ですが、今年は我が家の紅葉でもじゅうぶん満喫できるので、境内の落ち葉を掃きながら、毎日お寺で気軽に「紅葉狩り」を楽しんでいます。

錦絵のような鮮やかなもみじと、「冬囲い」を終えて狹澆僚猗ばんたん爐箸覆辰振内に点在する樹木たち…。秋から冬へと移ろう狭間の季節感や、秋と冬の共生を感じさせる、今でしか見ることのできない贅沢な風景です。

足腰が弱くなり、外出もしなくなって久しい園子ママに「お母さん 今年は境内の紅葉がとってもキレイですよ」って言ったら、

「紅葉がきれいな年は冬がしっかり寒いのよ。昔からね…フフ…」
と、寒さに弱い私の背筋が凍りそうなめっちゃ不吉なことを言いました。

どうか園子ママの予言がはずれますように…。




●画像左…紅葉と「樹齢800年の大銀杏」
牾垢覆爐離ぅ船腑Δ呂垢任鵬色く黄葉していますが、この「樹齢800年の大銀杏」の黄葉はこれからが本番です。(見頃は毎年11月中旬以降。大木になるほど黄葉が遅いらしい)
手前のカッコいい狡澆蠏伸爐療澎呂い鬚靴拭嶌戮いもみじ」が、今年の爛戰好塙藩姚爐念貳屬里気に入り。もみじとイチョウのグラデーションが見事です。

●画像右…境内「冬囲い」と「紅葉」の風景
「客殿」前の風景です。手前の「庫裡」玄関のもみじも今年は真紅に染まり、参拝者の目を楽しませてくれています。こんなにカラフルな境内も、葉が落ちあげるといっきにさみしい感じになり、やがて初雪を迎えます。


2015/10/30(金)
★気分は「お盆の里帰り」2015














両親の暮らす船橋へ4日間の「里帰り」をしてきました。毎年今ごろの時期の帰省ですが、気分はいちおう爐盆の里帰り爐里弔發蠅任い弔眄垢蠑紊欧討い泙后(8月は一年で一番忙しい時期なので秋にずれ込むのです)実家に滞在することのみを目的とする帰省は、私の場合は一年でこの時期の一度だけです。

4日間爐泙犬甅爐房族箸魑鯏世砲となしく滞在、父と母と娘という、まさに親子水入らずという、そんな時間を楽しみます。


「親なんて当たり前にいるものだ」と、深く考えることもないまま10代を過ごし、20歳になってすぐに結婚してしまった私は狢膺佑箸いκ心爐ついた時にはすでに親元から遠く離れていました。

「里帰り」をして両親を独占して、10代の頃の狄討砲鰐椶發れなかった時代爐砲呂任なかった、父や母に素直に甘えたり冗談を言ったり、大人同士の会話を楽しむことができるのがうれしくて仕方がありません。

ふだんは「夫婦&おとなしい老猫」との狎鼎な暮らし爐鬚靴討い詢梢討任垢、お寺から解放され、かなりのハイテンションでドタバタと単身で乗り込んでくる実の娘との滞在についていつもこんなことを言っています。

「孫たちと接する時は狒追稱譽癲璽畢爐世韻票造量爾呂爾鵑爾鶲磴Α5こ擇澄

「盆と正月がいっぺんに来たみたいな久しぶりのにぎやかさ。刺激的でいい」

幼稚園から中学1年まで、両親には4人の孫がいますが、誕生日会、発表会、運動会、じじばばの家にお泊りなど狢拘慙△旅垰爐砲韻辰海λ擦靴ね融辧私には子どもがいないので一緒に帰省する孫もなく、子育てをした事がない私に対して両親は、子供を持つ妹や弟とは違って爐劼燭垢虧辞爐箸靴討△弔ってくれます。


さて、商業的な面では地方と東京の差がなくなってきている昨今ですが、それでも新潟に暮らしていると狄軍磴砲呂匹Δ靴討睫気て東京にはある系爐けっこうあります。

ここぞとばかりに「里帰り」を利用して両親を巻き込み?「東京地下鉄MAP」を片手に、行きたい場所のほぼぜんぶを回り尽くします。滞在中、見事な秋晴れに恵まれた今回は、4日間で以下のような場所を訪れました。

「靖国神社」&「千鳥ヶ淵戦没者霊苑」のお参り(秋季慰霊祭)、「上野国立科学博物館(科博)、神田古本屋街、マニアなお店(ミリタリー)、エチオピア料理店、銀座ぶらぶら、ご当地モノの宝庫「アンテナショップ」などです。

特に久々に訪れた「上野公園」は改めて牴の大きさ爐魎兇犬討笋辰僂衫匹ったです。

子供のころから「上野動物園」や「科博」は大好きでした。一番のお気に入りは科博で展示していた南米首狩り族の「干首」。(昔からこういうのが好きな子供だった…) 高校時代も授業をさぼってひとりでふらっと上野を訪れ「アメ横」とセットでのんびりと過ごしていましたが、上野公園はたぶんそれ以来ではないでしょうか。

「科博」の出入口広場に展示されている「シロナガスクジラの大きなオブジェ」がやたらめったらなつかしく、顔まではっきりと覚えてしまっているくらいお気に入りだった「干首」はいまの時代にそぐわないと判断したのか、展示されていませんでした。

外国人観光客、ベビーカーを押した家族連れ、集団で訪れている学生や児童、休憩中の働いている人たち、「モネ展」目当ての元気なシニアのみなさんでにぎわう犢大な上野公園爐蓮∋笋砲箸辰謄離好織襯献奪な場所であると再確認した次第です。

実家の両親に別れを告げ、人も多く残暑みたいな暑さだった東京から、パンパンにふくらんだ荷物(駅ナカで最後にダメ押しの買い物)を持ち新幹線に乗り込み、終点の「新潟駅」に降り立った時の犁せちの良いひんやりとした空気爐、新潟に帰ってきたことを実感。

「ただいま。やっぱりニイガタはいいなあ。落ち着く…」

ニイガタ駅構内の「にいがた銘品館」で最後の最後にまたもや買い物(笑)。お寺で待つ家族へのみやげに海産物を買いました。


というわけで、一日中お寺の「受付寺務所」に居ることが仕事みたいな、毎日お寺から離れられない私にとって「4日間の里帰り」はものすごく良いリフレッシュになりました。


今年も11月1日から24日までのあいだ狷本三大菊まつり爐箸い錣譴討い襦嵬鑄Э声 菊まつり」が盛大に開催されます。

「菊まつり」が始まると、西生寺も参拝客や観光バスでの団体のお参りが増えます。冬はもうすぐそばまできていますが、まだまだ気候がおだやかな日々が続きます。紅葉の最盛期を迎えた(=落ち葉の最盛期ともいえるが)晩秋の西生寺をどうぞお参りください。




●画像左…「千鳥ヶ淵戦没者霊苑」の慰霊祭の様子
毎年この「秋季慰霊祭」には猗瑤唸み爐任参りをします。慰霊祭の最後に行われる「御焼香」で、「石棺」が安置された「六角堂(納骨堂)」に設えた焼香台に、ご遺族関係者と一緒に並んでいるときの画像です(BGMは自衛隊の吹奏楽)。一般参列者の焼香の前には猴萇个両胴甅爐ありました。

政治家のみなさん(私でも知っている国会議員がたくさん)、陸海空&統合幕僚長、関連する組織(偕行会など)の会長さんが、ひとりひとり名前を呼ばれて焼香をします。政治家のみなさんはその後すぐに「黒塗りmyセダン」がスーっと乗り付けて、後部座席に乗って次々と帰って行きました。

衆参がねじれてしまい会見で「わたしはあなた方とは違うんです」と言った某元総理のポケットは名刺がどっさり、次世代の党の中山恭子さん(元内閣参与、拉致問題担当)だけは、千鳥ヶ淵の遊歩道をひとり狹綿皚爐乃△辰胴圓、スタッフを驚かせていました。


●画像右…科博「地球館」展示、ラバウル製の珍しい「複座式ゼロ戦二一型」
1944年(昭和19年)2月下旬、緒戦よりラバウルを拠点としていた航空隊が、動く戦闘機をあるだけ全部パイロットごと、トラック基地へ引き揚げてしまいました。ラバウルに残されたのは負傷&未熟なパイロットと整備員、そして放置された戦闘機の残骸…。

残された部員で最後の「ラバウル航空隊(=イモ掘る航空隊?)」を編成し、ゼロ戦残骸の部品を回収、整備員たち(技術屋)が知恵を結集させ爐弔はぎ爐靴萄遒辰燭里このゼロ戦です。日本のモノづくりの原点?ともいえる意地と執念の作品です。ゼロ戦が単座ではない点もめずらしいです(偵察用か)。二一型は翼が長くて美しいです。

このようなラバウル製「つぎはぎ戦闘機」は10機ほどが作られ「ラバウル航空隊の意地を見せよう!」となんと出撃もしています。「どうせラバウルには飛行機ないし」と、油断をしている連合軍基地へ2度にわたり痛快な犂饅厩況皚爐鮴功させ(1944年11月9日、1945年4月23日)、一報を聞いた自活中のラバウル日本軍将兵たちの間からも歓声があがったそうです。

科博の「地球館」は、今年7月にリニューアルされたばかりで、宇宙創世からスマートフォンまで幅広〜〜〜〜く展示されていて、「はやぶさ」が持ち帰ったイトカワの微粒子も本物を観察できました。2日間通っても時間切れで「にほん館」は観られませんでした。「ミュージアムショップ」が予想以上の充実ぶりで、宇宙モノ、恐竜モノなどいろいろと大人買いしてしまいました。大人で良かった。


2015/10/18(日)
★グルメの秋「落ち鮎とお米の話」














ふりそそぐ日差しに紅葉した境内の木々がキラキラと光っています。黄色や橙色に紅葉したケヤキの葉が落ち始め、カラカラと乾いた音をたてながら広い駐車場を風にのって行ったり来たりしています。ああ、今年もいよいよ猴遒鼠嫣櫃シーズン爐到来しました。

住職の夫は、私が掃いて集めた落ち葉で山盛りの「落ち葉まんじゅう」を作り、焚き火にして燃やす係です。まるで狼煙(のろし)みたいに焚き火の煙が立ちのぼるとちょっとワクワクしますが、風向きが悪いと境内中に焚き火の煙が立ち込めてしまい、そんな時夫は「まずいっPM10だ!」と楽しそうです。

(※PM10は、中国の大気汚染で有名になったPM2.5系?のヤツで、私はタイ滞在中に、乾季の北部で毎年大問題となる「山岳地帯の野焼きによる煙害」で知りました。野焼きの煙はPM10なのだそうです。この時期にずっと北部に滞在していると目やノドが痛くなります)


11月の「弥彦神社菊まつり」が始まる前のこの時期、平日は参拝者も少ないので、先日、午後から寺務所を閉めてめずらしく夫婦で少し遠出をしました。

めざす先は「毎年恒例・我々のグルメの秋最大のイベント」ともいえる、大好物「天然鮎の塩焼き」をお腹いっぱいに食べるため、「鮭」で有名な村上市三面川上流にある「布部(ぬのべ)やな場」です。

サッカーJ1アルビレックス新潟の本拠地「ビックスワン」のそばを通過、新発田市や胎内市など日本海側に沿って北上する、やけにのんびりとした対面通行の「日東道(新潟市⇔山形)」をドライブ、一時間半で到着です。


で、到着したらすぐに「鮎の塩焼き」を6串、注文。
(完成品も売っていますが焼きたてを食べたいので注文します)

そのあと三面川を正面に臨むオープンエアーの居心地のよい「茶屋」(お酒&食べ物、なんでも持ち込みOK)の板張りの囲炉裏(いろり)に、慣れた感じに持参した座布団を敷いて座り、持参した食べ物を広げます。(今日だけ特別に炊いた新米、お気に入りの新潟の日本酒、枝豆など)


8月〜10月下旬までオープンする「布部やな場」では、目の前の「やな」であがる、天然鮎を炭火で焼いたのがいただけます。(素焼き・塩焼きとも1串550円)
我々がそうしているように、併設された「茶屋」で自由に食べられますし、地元の方はふらりと買いに来て持ち帰る方も多いです。


やな場の様子や、せせらぐ三面川、緑豊かな景色をのんびりと眺めながら、枝豆などをつまんで鮎の焼き上がるのを待ちます。

30分くらいで焼き上がり。大きく成長した狆討たての鮎(オスは脂がのっていてメスは子持ち!)爐魘のまま炭の入った囲炉裏に刺して「これ以上はない」というくらいリラックスした状態で、何匹も何匹も、お店のひとがびっくりするくらいにたくさん、二人でもりもりと食べ続けるのです。

我々が食事中、何年もココに通っているなかで初めて産卵をしに川をさかのぼってきた「メスの鮭」が「やな」にかかりました。

お店の鮎を焼いている人(じつは三面川鮭産漁協組合の方)が教えてくれて、そばの「やな」まで見にいきました。体が赤く変色したメスの鮭の腹はパンパンで、お店の人が勢いよくバタバタと跳ねる鮭をとりあげたら、ぷにっと爐いら爐数個床に落ちたのを私たちは見逃しませんでした。今年の鮭の遡上は例年より早いそうです。

川ではなく、日本海で定置網の「鮭漁」をする、村の友人の網元の漁師さんも、不漁が続いたここ数年ではめずらしく、今年は早くも毎日の漁で鮭があがり、大漁の予感だそうです。

ぱくっと食べるとふわっと湯気があがるような狡蕎討たての鮎爐鬚佞燭蠅嚢膩廝隠俺(匹)、それと漁協のおばちゃん手作りの「鮎の甘露煮」を4匹、おいしい日本酒と新米で完食しました。

ちなみに狷段未某罎い真景騰爐蓮我々の暮らす野積地区で収穫されたコシヒカリです。
自分の田んぼで収穫したという、村の方にいただいたお米です。

作った人の顔が見える地元産の、つやつや透き通る白米の美味さは鮎にも負けない格別なものでしたが、「阿刀家いつもの食卓」は、まだまだたくさん残っている「昨年度のお米(=古米)」が続きそうです。

(ちなみにいつまで狄景騰爐箸いμ松里埜討屬里?それはJAによると倏内いっぱい爐覆里世修Δ任后となると「いよいよ新米だぜ」と喜んでいる阿刀家は、毎年完全に犹間切れ爐任后幣弌法



新米といえば、コシヒカリが主力の狷本一の米どころ爐任△訖軍禪ではいま、プライドをかけて作り上げた新品種のお米「新之助(しんのすけ)」の話題に花が咲いています。

言わずもがなの定番銘柄「コシヒカリ」と同等の狷達船薀鵐爐如⊃軍磴鯊緝修垢詭段舛砲覆襪海箸鯡椹悗掘開発に7年余を費やし、20万株の中から選ばれた猯郎遶爐世修Δ任后

米どころに嫁いできてから私もいろいろと「稲作」や「お米」について知ったのですが、お米は品種によって大きく分けて収穫期が3つに分かれます。新潟県でいうとこんなかんじです。

・早生(わせ)品種:「こしいぶき」・「ゆきん子舞」※収穫時期は8月下旬
・中生(なかて)品種:「コシヒカリ」※収穫時期は9月中旬
・晩生(おくて)品種:「新之助(2017年デビュー)」※収穫時期は9月末〜10月上旬

このように収穫時期をずらすと、稲刈りのピークを上手に分けることができて人夫や機械の融通化が計られて、コスト削減の利点もあるそうです。

「新之助」は、コシヒカリに比べて稲の背丈が短く台風や暑さに強いそうで、肝心の味の特徴は(コシヒカリに比べて)粒が大きく、甘みが強く、コシヒカリとは別のもっちりとした粘りがあるとか…。


早く食べてみたい「新之助」ですが、一般販売はまだ先の2017年度です。それより早く食べてみたいという人向けに?一部の和食のお店で、試験栽培中のこの「新之助」が食べられます。

しかし一部のお店といっても、新潟県内の「高級料亭」や、ホテルの「高級和食レストラン」なので、どっちも私には縁のないお店でちょっとがっかり…。

20万株の中から選ばれたというこの新品種のお米は、名称が決まっていない時は「新潟103号」と呼ばれていて、いったいどんな名前がつくのか、私たち夫婦は秘かに楽しみにしていました。

今の時代(=お米の戦国時代)、はっきりいってネーミングはとっても大切だからです。ぞくぞくと発表される他県産米の爛ぅ鵐僖トがある大胆なネーミング爐砲呂咾辰りポンです。

夫なんかは独自に「新潟103号」の名前を考えていて、それが超古典的で逆に驚き…。
(もし名称の一般公募があれば応募するつもりでいたらしいです(笑))

「コシニシキ(錦)とか、こしだわら(俵)なんて晩生米らしくていいんじゃないか。爐い屬爐鉢爛劵リ爐鉢爐砲靴爐妊灰兄扱残錣澄」なんて言って…(笑)。


そんななかで今回、新潟県知事が猩汰爐波表した名称が「新之助」でした。
(夫は「名称公募」が無かった事にひどくがっかりしていた(笑)…)

「新之助」という名称に込めた思いについて、泉田知事によると「凛とした、スタイリッシュな現代の日本男児をイメージ。インパクトもあるしねん」とのこと。

この狷本男児爐箸いΑ↓狠縫諭璽爿爐箸いε世忙笋呂垢阿鉾娠しました。なぜならおとなり山形県の、全国的にオセオセの人気ブランド米の名前が「○姫」という狃性ネーム爐世辰燭らです(笑)。

「ライバル県産米の女性名「○姫」に対し、男性名「新之助」で対抗…」

なんて考えすぎでしょうか(笑)。


(この「○姫」は、昨年だったか大胆不敵にもなんと敵陣中央の新潟駅構内で「試食イベント」をしていました。たまたま私も駅にいて、山形県らしからぬ?自信たっぷりの強気姿勢におどろきました)

(お米の味がわかる新潟県民に試食してもらい「いつもの新潟県産コシヒカリからぜひ○姫に乗り換えてちょ」みたいな…。正直、ちょっと悔しかったし、新品種が見事に売れっ子になったことがうらやましかったです)

がんばれ新之助!



●画像左…村上市三面川「布部やな場」の爐笋吻爐陵融
やなにあがった鮭は撮影できず。この「すのこ」状の板の上に川魚があがります。「クマが出そう」と思ったらやっぱり、今年は茶屋のすぐそばにクマが出没したそうです。

●画像右…永代供養墓「天翔園」から眺めた野積地区の「田園風景」
シルバーウイークのころに撮影。稲刈り終了前後の様子です。村の造りもそうですが、村の田んぼも日本海に沿って細長く広がっています。


2015/10/06(火)
★10月2日「弘智講」の報告














西生寺にとっては今年最後の年中行事、弘智法印即身仏さまのお祭り「弘智講」が10月2日に執り行われました。今年も毎回参加をしてくださるおばあちゃんたちを中心に多くの方にお参りをいただきました。

今年の弘智講はちょうど「爆弾低気圧」の接近と重なり、天候がきわどくドキドキしました。

前日の夕方から「風」と「雨」が始まり、弘智講当日未明(夜中)に最接近!
ゴーゴーと吹き荒れる暴風の音や、窓にたたきつける激しい雨の音をふとんの中で聞きながら、

「うわっもうだめだ、境内が全滅だよ。あーあ、せっかくきれいにしたのに…」
とがっくり。

雨がやみはじめた当日の朝、夜明けとともに夫婦でおそるおそる外に出てみると案の定、境内には爆弾低気圧の残していった「置き土産」とも言うべき猴佞辰僉⊃っ葉、小枝の残骸爐広い境内や道路にふさふさと敷き詰められていました。

しばし絶句…。

夫:「しょうがないよ。あの嵐の直後だし、お参りの人はみんな分かってくれるでしょ」
私:「そうだね。行事のある日中に直撃しないだけよかったよね、雨もあがったし」


というわけで、爆弾低気圧直撃という最悪の天候が予想された今年の「弘智講」も、村の人の、

「これまでウン十年、弘智講は雨にあたったことがないんだいね」

の言葉どおり、始まってみれば雨に見舞われることも無く、青空がのぞくさわやかなお天気の中で法話&法要が行われました。

昼食をはさんだ午後からは土田芸能社による踊りや唄のステージがあり、予定通り午後3時にはすべてのスケジュールが終了し、みなさん笑顔でお帰りになりました。

弘智さまが即身仏となって以来ずーっと数百年も続いているという狹租の弘智講爐今年もつつがなく終わり、家族みながほっと安堵しています。


多くの寺院は11月ごろの晩秋に「報恩講(ほうおんこう)」が控えているのですが、西生寺はなぜか昔からこの「報恩講」をしたことがないというめずらしいお寺です。

この報恩講では「おとき(昼食)」の定番の一品として多くの寺院が「レンコンの小豆煮」(「いとこ煮」とも呼ばれる)を作ります。

おそらくこっちの地方ならではの食べ物で(なぜなら新潟に嫁ぐまで料理の存在も知らなかった)、こっちでは昔からふつうに食べられてきた料理みたいです。

(新潟県はレンコンの産地で、時期になると大きくて美味しいレンコンが安く買えるので、日頃からたくさんレンコンを食べます)

「いとこ煮」って半日仕事でかなり手間のかかる料理なのに、見た目は恐ろしく地味な一品です。

さらに私は、この「いとこ煮」を一度も「おいしい」と思ったことがありません。はっきりいって小豆あんとレンコンをネチネチといっしょに混ぜてしまうなんてそのセンスがよく分かりません。

小豆は爐△鵑貝爐砲靴毒魘未爾鵑兇い砲靴燭蝓▲譽鵐灰鵑廊爐んぴら爐筬犲冓爐砲垢襪澆燭い法嵎漫垢某べたほうがよほど美味しいのになあ」と思うのです。

この話を爐い箸骸僂大好物爐箸いΑ∋笋汎韻犬他県から嫁いできた友達の寺庭にさっき電話で話したら(この寺庭もこっちに来て初めていとこ煮を食べたそう)、

「あら、直子さん。それは本当に美味しいいとこ煮を食べたことがないから言うんだわ」

と軽く言い切り、

「えーでもー小豆とレンコンだよー」
と食い下がる私に対し、自信たっぷりにこうも言いました。

「私の作るいとこ煮は本当においしいのよ。今度、報恩講の時に作ったら、差し入れするわね!」


思い起こせば、私が食べたことのある「いとこ煮」は園子ママが作ったものだけ…(笑)。

園子ママの味は、塩の効いた甘めのあんこにうすい醤油味で煮たレンコンの角切りを混ぜたもの。しかも一度に大量に作るから、いつまでたっても「いとこ煮」は食卓にのぼり続ける…。

この園子ママの味以外に、どういう「いとこ煮」があるのか想像もつかないけど、どうやら友人の作る「いとこ煮」はめっちゃ美味しいらしい。

「ちょっと食べてみたくなってきたよ。それじゃあ、期待して待ってるね」
と言って電話を切りました。


久しぶりにのんびりとしたいい感じ。

ここしばらく行事の準備や境内そうじに追われ、ゆっくりと新聞も読めないような忙しさが続いていたので「弘智講」が終わりいっきに解放された今、さわやかな秋の空気や、ぐんぐんと吸い込まれそうな青空、気持ちよさそうに鳴くトンビの声が心にしみわたります。

こういうゆったりとした気分の中でなら「いとこ煮」の犲¬深すぎる味爐睛解できるのかもしれないなあ。。。



●画像左…弘智講「法要の様子」
●画像右…土田芸能社による「越路ショー」のワンシーン


2015/09/27(日)
★10月2日「弘智講」のご案内














すばらしい晴天が続いたお彼岸が終わり、季節はいっきに秋めいてきた感じです。肌寒さを通りこし、急にやってきた犂┐記爐縫織鵐垢らパーカとか長袖類をひっぱりだして着込むと久々の狢気長い服爐ちょっと新鮮で面白いです。

不要になった長袖類を梅雨が終わった時期にいっせいにタンスに仕舞い込んだことがつい先日のように思え、月日が経つ早さを感じます。(今年も残すところあと3ヶ月…)

ところで、みなさんは「国勢調査」は済みましたか?

今年からスタートしたスマホやPCで回答できる「スマート国勢調査」が好評だったようです。我が家も爍歓擁爐わずか10分足らずで終了しました。あっという間に国勢調査を済ませてしまいとっても楽ちんでした。「面倒くさい」というイメージがあった国勢調査ですが、なんとも便利な時代になったものですね。


さて、今年も10月2日の「弘智講」が近づいてまいりました。

「弘智講」は夏の大般若会(7月15日)に続く、西生寺オリジナルの大切な年中行事です。弘智講(こうちこう)という名前のとおり、当山にお祀りされている弘智法印即身仏さまのお祭りの日です。

毎年必ず10月2日に弘智講は行われます。なぜなら10月2日は犢庵劼気泙御入定された特別な日爐世らです。

即身仏となる決心をされた弘智さまが、3000日におよぶ厳しい木喰行(もくじきぎょう)を成満され、最終段階の行(ぎょう)に入られた後、今から652年前の1363年(鎌倉時代末期の貞治2年)10月2日、座禅を組んだままの御姿で御入定されたのです。

現在は当日一日だけのお祭りですが、1980年代までは「弘智講」は前日からの宿泊を伴う2日間のお祭りでした。

前日、弘智さまを信仰する信者さんたち100名以上がお寺に集まり、特別にライトアップされた「夜の弘智堂」をお参りしたり、お堂いっぱいにふとんを敷いて、おしゃべりも尽きない中にぎやかに犹┻寝状態爐念賁襪鮃庵劼気泙箸箸發鵬瓩瓦靴燭修Δ任后

「お泊り」こそなくなったものの、その当時からの弘智さまを慕うあたたかい雰囲気やレトロなお祭りムードは今も健在です。

この一年でいちばん御利益のある日とされる10月2日、御霊験あらたかな弘智さまに想いを馳せてお寺で一日のんびりと過ごしてみませんか。どなたでも気軽にご参加いただけますので、ご都合がつく方はどうぞお参りください。

(なおこの日は法要のため、通常の「即身仏御拝観」はお休みさせていただきます)

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◆弘智講ご案内
【日時】:10月2日(金)
【時間】
:午前9時30分〜受付開始
:午前10時30分「法話」※大好評!本覚院ご住職さまの笑いを交えたご法話です。
:午前11時「法要」
:正午「お斎(昼食)」※お弁当(千円)を希望する方は事前にご連絡を。
:午後1時〜余興「越路ショー」
(おなじみ、土田芸能社による歌と踊りのステージです。余興料1000円です)
:午後3時終了
【受付】:西生寺「庫裡」
【お施餓鬼申込み】:(一件につき)2,000円
先祖供養・水子供養・家内安全・身体健全・病気平癒・商売繁盛・合格祈願・その他

【問い合わせ】:0258−75−3441(日中)
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●画像左…「弘智法印即身仏霊堂」の彫刻
弘智法印即身仏さまがお祀りされている「弘智堂」は、お堂に施された彫刻が見事なお堂です。上が最近私のお気に入りとなっている「鳳凰」で下が「龍」です。新潟では牘杆紊離潺吋薀鵐献Д蹲爐覆鵑童討个譴討い襦江戸時代〜明治にかけて活躍した彫師「石川雲蝶(いしかわうんちょう)」が有名ですが、当山の彫刻は作者不明です。

●画像右…「弘智法印即身仏 立像」
弘智さまが修行をされているお姿です。画像では伝わりにくいのですが、じつはこの立像爐任い爐鵑任后高さが5.5メートルあり、青銅で出来ています。この立像にはある秘めたエピソードがあります。

若し頃の長老がある日、薄暗くなった夕方、諸堂を閉めに境内を廻っていたところ、阿弥陀堂付近で、見知らぬ僧侶の姿を見かけました。

僧侶の身なりは質素なものでしたが、ただならぬオーラがあったそうです。その僧侶は石段を登りきるとスーッと弘智堂へ消えていったとのこと。長老は「あぁ、いまの僧侶は弘智法印さまだったのか!」と気付いたそうです。

その時に出会った弘智さまをイメージして1984年(昭和59年)にこの立像を建立しました。いくら似ているからといって(特に頭の形)、決して「住職(夫)の立像」ではありません(笑)。本人によると「住職さんに似ていますね」とよく言われるらしいです。ちなみに建立当時25歳だった住職ですが、立像のモデルになった記憶は一切ないそうです。


2015/09/13(日)
★「3つの心」で気持ちを楽に。














早いもので、もうじき「お彼岸」を迎えます。今年のお彼岸はGW並みの連休となる9月20日(日)〜26日(土)、みなさんどうぞご先祖さまに会いに「お墓参り」をしましょう。

お彼岸期間中の真ん中、秋分の日である9月23日(水)がお彼岸の「中日(ちゅうにんち)」です。「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、春と秋の2度の「中日」は夜と昼の長さが同じになります。

仏教ではこの日を「中道(ちゅうどう)」と呼びます。

「中道」とは猜个蕕覆ぁ覆たよらない)爐箸いΠ嫐です。

ひとことで言いますと「かたよらず 心を広く保つことが大切」ということです。

つまり「かたよらずに広〜い心で生きると牾抬爐任垢茵廚箸いΔ海箸任后


では、心を広く保つため、かたよらないためにはどうすればよいのでしょう?


そのためにはまずは、こだわらないこと。

そして、とらわれないこと。

つまり、
・「こだわらない心」
・「とらわれない心」
・「かたよらない心」

この「3つの心」が大切なのだそうです。

こだわると、それにとらわれてどんどん心が狭くなり、かたよってしまう。


なんか非常に耳が痛い話です。

「こだわって、とらわれて、かたよって、心がキツキツになってしまう」という私の思考パターンの、見事に逆をいくからです。


「これじゃなきゃ、こうじゃなきゃダメ、白黒つかなきゃダメ」とこだわるから、思い通りにならなかった時に「なんでよ!」と、とってもイライラします。

イライラしていつまでもこだわり、その事に「とらわれて」しまうと心の自由が効かず、ますますつらくなるばかり。

結果「かたよった考え」に凝り固まって「ガチガチの狭い心」となり、他人の助言を無視してしなくてもよい苦労や、余計な心配ばかりして肩は凝るわ、頭痛はするわ、ストレスはたまるわ、身も心も疲れてうんざり。

これでは毎日がちっとも楽しくありません。


こだわらない、とらわれない、かたよらない

そういう「広い心」で生きることができたらかなり楽そうです。

こだわらないからとらわれることもないので心が軽く、柔軟性に富み、逆境にも強くなり、気持ちにゆとりができて、自分もニコニコ、夫もニコニコ、家族もニコニコ、みんなが穏やかに暮らせそうです。



というわけで、全部のこだわりを捨てるのは少しさみしい気もしますので犹篶爐縫▲譽鵐犬鬚い燭靴泙靴董岾擇靴い海世錣蝓廚和海韻董屬匹Δ任發いい海世錣蝓福疉要のないこだわり)」とはバイバイすることに決めました。

どうでもいいのだから、どうなろうと(もしくは)どうもならなくても、どうでもいいはずですもん。(←決して狹蠅欧笋雖爐箸いΠ嫐ではありません)

こだわってとらわれてイライラするだけ爛▲曚さ爐任后

こうして書いていると、いかにふだん自分が「こだわってかたよって振り回されてアホくさいことが多いか」を痛感します。「3つの心」で心を広く保っていれば、どうってことないことばかりです。

是が非でも「3つの心(こだわらない心、とらわれない心、かたよらない心)」を自らの思考パターンとして定着するべく会得したくなってきました。

どうでもいいこだわりを捨てて、心を軽く柔らかくして、人の話をよく聞いて、物事に動じない広ーい心の持ち主になっている自分を想像…ステキ…。

「実践、実践、るんるんるん」
かなり盛り上がっている横で住職の夫がひとこと。

「ころころ変わるから爐海海蹲爐辰童世Δ鵑世茲佑鵝

なぬ!




●画像左…色づいてきた庫裡のもみじ
境内に数本あるもみじの紅葉がはじまりました。今年は残暑というものがなく寒暖の差も大きいので猗しい紅葉爐亡待が持てます。

●画像右…野仏さまと彼岸花
展望台近くのいつもの「野仏さまの場所」に、彼岸花がにょきにょきとアスパラガスみたいな芽を出し始め、ただいまぐんぐん成長中。お彼岸の頃には真っ赤な花を咲き誇っていることでしょう。


2015/09/01(火)
★築80余年 建物にも歴史あり「宝物堂」














9月です。朝晩過ごしやすくなり、道路に青いイガ栗が落ちていたり、うろこ雲が広がる青い空にトンボが舞ったり、スーパーに並ぶ生サンマの値段が少しずつ下がってきていることに「初秋」を感じます。

一年で一番のふんばりどころ。7月の大般若からいくつか続いたお寺の行事やお盆、同時期にフランスや横浜からの姉妹家族の里帰りで毎日にぎやかだった阿刀家も、8月末に妹夫婦が帰り、およそ2ヶ月続いた今年の狎樟源夏の陣爐呂海譴砲徳瓦討終了しました。

残ったのは長老のお父さん、園子ママ、住職の夫、そして私といつもの家族4人。久しぶりの4人での食卓はなんか「人が少ないなあ」との違和感とともに「またこのメンバーになったね」という安堵感に包まれたものとなりました。


で、気が付いたら、お盆過ぎに「宝物堂」の蛍光灯がなにげに「LED」になりました。

ついでに宝物堂の「配線システム」も古かったので、西生寺の昔からの出入りの電気屋さん、いわゆる爐泙舛療典げ阿気鵝蔽聾技泊の能登電気商会)爐鵬燭發もおまかせで新しくしてもらいました。

境内諸堂・自宅・庫裡などの爐△蕕罎訶典ご愀賢爐蓮∪里らすべて能登さんにおまかせ。

能登さんはお寺中の複雑怪奇な配線システムを熟知しているので、我々にっとてはとてつもない安心感があります。「西生寺」はこういう裏方といえる方々にも支えられているわけです。

(数年前にNTTの「光回線」を入れた時に、NTTの方があまりの当山の配線&回線の複雑さに音をあげて、能登さんを呼んで仕切り直し、なんと設置に3日間もかかりました)

今回は、宝物堂の「展示ケース」の中の蛍光灯をLEDに替えたのですが、蛍光灯のころより、目にやさしい明るさになった感じがします。展示品全体に光があたるようになりました。


この「宝物堂」は昭和7年(1932年)に建造された古い昭和の建物です。
しかし昔から西生寺にあった建物ではなく、ある場所から移築された建物なのです。

ある場所とは、白根(新潟市南区)の「火葬場」です。

もともとは火葬場の建物として新築されたものだったのですが、火葬場が老朽化して取り壊すことが決まったのです。

しかし、取り壊すことが決まった途端に異変が…。

建物内で「幽霊が出る」という騒動になって、怖がって誰も壊す人がいない状態となったそうです。

さらに狃伝悗猟澆蠹薫罩爐箸いδ舛靴ざ鼎辰紳い蠅侶物なので「取り壊すのはもったいない」という話も出て、縁あって西生寺に移築して「宝物堂」に生まれ変わったのです。

今でも時々、当時の移築の事を知る地元白根の方がみえて「この建物は白根のヤツですよね」みたいに懐かしそうに話をしていきます。

「やっぱり壊さないで良かった。西生寺に来て宝物堂に生まれ変わって良かったね」
って思います。


というわけで当山の宝物堂は「元火葬場」という過去を持つ、常に不思議な空気がただよっているお堂です(笑)。


一年ほど前でしょうか、私はこの宝物堂の過去を彷彿とさせるかのような爐舛腓辰閥辰の痕跡爐魘然お堂の中の爐△詆分爐鉾見してしまって「ええー まさか ええー」と鳥肌が立ちました。

いまでも時々思い出したように爐修讚爐魍稜Г垢襪里任垢、やはりプチ鳥肌が立ちますね…

フフフ…。

爛潺好謄螢▲垢覆てら暮らし燹〇笋寮に合っています。




●画像左…「宝物堂」全景
少し離れた場所から、緑の木々を背負った「宝物堂」の全景を眺めるのが好きです。特に集中的にお堂の屋根あたりに「竹林」がモコモコしているところがいい。

私の目にはこの竹林が、宝物堂に覆いかぶさるように猫背で「うらめしや〜」をしている猴霊の群れ爐妨えます。境内に竹林はありますが、こんな幽霊っぽい竹林は宝物堂だけです。子供のころから竹林を見ると爐Δ蕕瓩靴簍霊爐妨えていましたが、この景色は子ども時代の心がよみがえります。

●画像右…宝物堂の中「展示エリア」
レトロな木枠の窓が四方を取り囲むような造りなので、窓越しに光が差し込み解放感があります。今回LEDに替えたのは7割くらいです。水道管がつまったとか、お堂の木の階段が壊れかけているとか、ボイラーの調子が悪いとか、このような裏方的な地味なメンテナンスを何かしら一年中しています。

メンテナンスではないですが一週間前、宝物堂の「入口」真上に牴色スズメバチ爐サッカーボールくらいのでかい巣を作ったのを発見。ちょうど友人の寺庭二人が境内で、黄色スズメバチに刺された話を聞いていた私は「めっちゃ危ない」と反対したのだけど、住職の夫は「オレが退治する!」とやる気満々。

ハチが襲ってきた時用に狷┐仮譴魍諒櫃靴討くこと爐一番大切なのだそう。噴射式撃退スプレーを使って、夕方の「ハチ帰宅時間」を狙って執拗に何日もかけてハチを減らし、最後に長い棒で巣を叩き落とした時、大きな女王蜂が巣から出てきてぶ〜んと飛んでいったそうです。


2015/08/18(火)
★西生寺「夏休み自由研究」編














今年のお盆休みも、毎日たくさんのお参りがありました。「水子さま参り」や「お墓参り」、そして「弘智法印即身仏」さまを拝観するために、親に連れられた子どもたちがたくさんやって来て、夏休みらしい明るいにぎわいをみせた西生寺でした。

静寂とかそういう「お寺」に抱くイメージを無視した感じの、セミの大合唱がBGMの、このひらけた明るい雰囲気こそが、ほかのお寺にはない西生寺の個性かもしれません。


今年の夏休みの異変といえば、小学生の男の子や女の子たちが、

「御朱印をください」
というパターンが多いことです。


はっきりいって「御朱印」を集めている人の狆学生という低年齢化爐砲呂咾辰りです。


一昔前まで「御朱印」は狠里訖佑消里 年配のおじいさん&おばあさんの秘かなコレクション爐任△辰燭呂困覆里法∈鯒あたりから「御朱印ブーム到来」ともいうべき、若い世代で御朱印を集める人々が増え、そして今年、ついに小学生にまで低年齢化しました。

しかも即身仏拝観の受付時に親が「○○ちゃん、御朱印をもらったらいいじゃない」と進言したところ、ある小学生の女の子は、

「ダメだよ。ちゃんとお参りをして最後にもらうものなんだから」
と言ったではないか!

す、す、すごい、知ってらっしゃる…

御朱印を出す方の私もうかうかしてはおられず、思わず緊張して、変な丁寧語になっちゃいました。

それにしても、子どもたちの御朱印をもらう時の目が、真剣で大まじめで生き生きとしていてカワイイったらありません。

きっと「弘智法印即身仏の拝観」も、子どもたちにとっては「お坊さんのミイラ」という猊櫃ぅ皀慮たさ爐飽磴い覆「地獄絵図」とか「幽霊画」とかあったらばんばん展示しちゃうのになあと、西生寺に無いのが残念でなりません。

(と書いたところ、宝物堂より「ワレワレ ガ イルジャナイカ!」と雷獣くんミイラ、タイリクオオカミ夫婦のはく製より強い抗議の声が聞こえてきました)


こうして「御朱印」がちょっとしたブームとなり犖羲覦を集めること爐鯆未靴董∋劼匹發燭舛篌磴だぢ紊痢嵜声劼笋寺のお参り」が増えたり、仏さまや仏教のことに関心をもってもらえるのならば、とてもすばらしいと思うしとてもうれしいです。

ちなみに当山の御朱印は、ご本尊「阿弥陀如来」さまと、「弘智法印即身仏」さまとの爍下鑪爿爐△蠅泙后



さて、御朱印を集めるちびっこたちに負けてはいられないといわんばかりに、今年の私の「夏休み自由研究」は、境内に落ちている爐娉臭爐靴洞っぽになった「クスサンの繭玉」を集めに集めまくって観察してみました。

大人になっても強烈に心に焼きついてしまった「夏休みの自由研究」が抜けません。というのはウソですが、

毎日毎日毎日毎日どこにも出かけず、日中ずっと自然いっぱいの山のお寺(=受付寺務所)にこもる生活をしているので、身近な境内とか自然に「何か面白いことはないかなあ?」と目を光らせ「ワクワクする毎日を送りたい」という思いを大切にしながら暮らしています。

そんな私のツボにハマったのが「クスサンの繭玉(空っぽ)」だったのです。

ところで「クスサン」ってご存知ですか?

成虫の姿は、黄土色の羽に目玉印がトレードマークとなっている、ぼてっとしたモスラみたいな「大きな蛾」です。飼い猫タビーがときどき狎犬永瓩雖爐砲靴討ます。


しっかりと固い繊維の網目で出来た流線形の「不思議な繭玉」の存在に気付いたのが去年の夏。
いろいろ調べて「クスサン」という蛾の繭(まゆ)であることを初めて知りました。


夏が終わり、秋が来て冬になっても、頭から「クスサンの繭玉」が忘れられずに越冬、春、夏が到来、そして今、すっかり「クスサンの繭玉拾い」に夢中です。

およそ2ヶ月のあいだ、集めるだけ集めてざっと30個くらい。

今ではすっかり目が猖玉ハンター爐澆燭い某焚修靴董△匹鵑覆貌運Г陵遒鼠佞頬笋發譴討い討癲屬△辰拭」と見つけられるまでになりました。

住職の夫は、妻の始めた爐△笋靴ぜ集爐紡个靴董屬海凌佑呂泙寝燭集めはじめたな」と慣れた様子。寺務所で繭を一列に並べてうれしそうに見入っている私に、とりあえず社交辞令的に、

夫:「なんだそれ?」
私:「クスサンの繭だよ。クスサンって羽に目玉のついている大きな蛾だよ」
夫:「げっ、僕が一番きらいなヤツじゃん」

私:「網がさ、すごい弾力ある固さなの。タダモノじゃない繊維だよ、さわってみる?」
夫:「げっ、絶対にさわらない。得体の知れないウイルスがついてるぞ」

と、てきとうに相手をしてくれます。


30個集めて分かったことは、色、網目、形、大きさなど、ひとつひとつの繭にかなり個性があることです。

クスサンの幼虫は、体長5センチ×太さ1センチくらいのフサフサした毛を持つ緑色の毛虫です。それぞれの毛虫が、サナギになって最後は立派な蛾になるための狢臉擇焚蛤遒雖爐鬚靴榛跡がうかがえ、見ていてまったく飽きません。



というわけで「お盆」も終わりちょっとだっくらとしたところで、自由研究の成果ともいえる、ひとつひとつ繭を見つめて見えてきた「境内で拾った繭玉の驚くべき個性」を発表します(笑)。


*均等なしっかりとした網目で、形も完璧な流線形に美しく整った狆△竜桟廊爐遼
*「色素が薄すぎません?」と思わず問いかけたくなる、やけに色の薄い繭

*「要はサナギになればいいんだろ!」みたいな、網目がめちゃくちゃでとりあえず作った系のなげやりな感じの繭
*「仕事」にまったくやる気が感じられない、形もゆるゆるなマイペンライ系(タイ語で気にしない)の繭

*丁寧に作りたかったけど、自身の技量がおよばなかった風の狹慘呂虜跡型猖
*濃い茶色で網目もギュッと引き締まり、形もギュッと収縮させたムダのないちょっと神経質な繭

*木の小枝を網目にからませ補強させた、アイデア賞な繭
*葉っぱにくるんで存在を隠した用心深い繭

などなど。

個性豊かなクスサンの繭を見ながら、繭を作った毛虫のキャラクターをアレコレと想像すると「受付での一日」があっという間にたってしまいそうで、こんなことに没頭できる44歳の自分がいちばん怖いです(笑)。


とりあえず、御朱印を集めるちびっこたちには夢を壊しそうなので、住職夫人による「クスサン繭玉コレクション2015」は内緒にしておいたほうがよさそう。

今年は30個止まりだったけど、また来年「繭コレ2016」します。繭コレを毎年続けてたくさん集まったら猖deアート爐膨戦。

糸を通して縄のれんみたいな、世界にひとつの「繭玉のれん」とか(収集10年はかかりそうだ。夫に言ったら「絶対くぐらない。」と言われた)、豆電球で網目を光らせて「繭玉ランプ」もステキかも(これはきっと売れるゾ)。

夢とアイデアはどんどんふくらみます。
(また一日たってしまいそうだ やばいやばい)


皆さんも残り少なくなった夏の後半を、どうぞ心豊かにお過ごしくださいませ。




●画像左…境内で収集したクスサンの繭玉
幼虫がいつふ化するとか詳しいことは知りませんが、西生寺では夏がいちばん空っぽの繭玉が落ちています。緑色の毛虫が入ったままの繭もたまに落ちていて、そういう繭はアリとかに狙われないような場所にそっと避難させることを忘れない、心やさしい私…。

●画像右…個性的な繭玉
左側のは30個中、一番やる気がなさそうな繭。網目もぐちゃぐちゃ形もテキトーでぼさぼさ、おまけに色まで薄いときたもんだ。
右側のは30個中、一番美しい狆△竜桟廊爐遼。一世一代の大事業的に気合いの入った感じ。完璧なフォルムと美しい網目が繭のお手本みたい。


2015/08/07(金)
★一年に一度のご先祖さまの里帰り「お盆」














毎日うだるような暑さが続いています。今年の夏は特に暑さが厳しい印象を受けますが、じつは日本の夏は、東南アジアなんかよりも、湿度が高くかなり過ごしにくいです。

この夏、フランスに暮らす大学を卒業した甥っ子と一緒に、初めて日本に旅行に来たという、甥っ子の友人のフランス人たちは、じめじめむしむしとした日本の湿度の高さに体調をくずしてしまったそうです。

そんなフランスの若者たちは、初めて食べたという本格的な「うな重」を「和食のなかで一番旨い!」と大感激したそうです。

牴得犬泙讚爐覆せに暑い夏が大の苦手な住職の夫は、8月13日からはじまる牴畊鵑覆盆棚経3日間爐鯀阿砲垢任鵬謄丱撞ぬで「早く冬が来ないかなあ…」とかなりつらそう。村の商店から買ったキャラメルマキアート味の冷たいドリンクをちゅーちゅー飲みながら、

「すっげ甘い。この味は村のばあちゃんたちが好きそうな味だな」

とか、わけわからないことをぼやっとつぶやいたりしてかなりきてます(笑)。

積雪と寒さで狹潺丱騰爐垢觧笋蓮△△泙蠅僚襪気棒犬△びが出てダルくて何もする気がしなくても「寒いよりはぜんぜんマシ!」という気持ちにまったくブレはなく、この気持ちだけで今年の暑い夏を乗り切るつもりです(笑)。



さて、今年も「お盆」の時期となりました。
「お盆」は一年に一度のご先祖さまの里帰りです。

我々のこっちの世界ではご先祖さまをお迎えするためにいろいろとやる事があります。


まず「お墓そうじ」や「盆道つくり」を始めます。

みなさん「お墓そうじ」はもう済みましたか?我が家の場合、メインの「阿刀家の墓」の他にも代々西生寺に仕えた「僧侶のお墓」が山中にいくつかあり、墓そうじだけで3エリア9カ所ほどになりますが、フランスからバカンスで来ている甥っ子たちが先日、猛烈にやぶ蚊に刺されながら一日をかけてきれいにおそうじをしてくれました。

(背中とか蚊に刺されまくり、ニューギニアのセピック河流域のワニの刺青を彫る部族みたいになってました)

「盆道つくり」とは「自宅敷地内や田畑にある昔ながらのお墓」の場合に、お墓そうじに加えて、家からお墓までの道を掃き清めることです。

そして「磨き盆(みがきぼん)」もあります。

これは仏壇の仏器などをキレイに磨きあげることを言います。


準備も終盤になると、帰省中のご先祖さまの爐世辰ら場所爐箸覆襦崟採鄰(しょうりょうだな)」を作ります。

「こも」と呼ばれるござを敷いて、ほおずきや変わりカボチャなど爛ラフルなミニ野菜爐鯤造戮鴇り付けます。「果物」や「水」となぜか新潟はハスの葉の上に「味噌漬け(つけもの)」を乗せます。ご先祖さまの乗り物となる「キュウリの馬」や「ナスの牛」を飾る地域もあります。

「キュウリの馬」はご先祖さまが馬に乗って一刻も早く家族のもとへ「里帰り」ができるように。「ナスの牛」はお盆が終わりご先祖さまとの「別れ」がなごり惜しいので、ゆっくりとゆっくりと帰っていただくためです。


8月13日はいよいよ「御精霊さま(ご先祖さま)を迎える日」です。

我が家ではお墓そうじを終えた「お墓」ひとつひとつに、お供えするための準備アレコレでこの日は朝から大忙しです。数十束の「花束」を作ったり、新潟ではお盆のお供えには欠かせない「あられ(水の子とも言います)」と呼ばれるキュウリやナス、カボチャなどを細かくサイコロ切りにしたモノをバケツいっぱい準備します。

夕方、「あの世」では壮絶な帰省ラッシュが始まります。

ご先祖さまが道に迷わないように、無事に我が家に帰って来られるように「迎え火」を焚き(今はちょうちんが主流です)ご先祖さまをお迎えしたあと、家族みんなで「お墓参り」をします。お墓参りには「花束」や「お灯(ローソク)」と地域色豊かな「お供え物」も持参します。

ここで日中に作っておいた「あられ」を牾舛陵姚爐望茲擦栃菫阿剖,┐泙后


8月13日〜16日までのお盆期間中、1日の始まりにまずは「精霊棚」のお水を取りかえて新しい「お供え」をします。お供え物は「おはぎ」や「白玉だんご」、「おこわ」、「そうめん」などさまざまです。

お盆のあいだはご先祖さまとともにゆっくりと過ごします。

帰省して実家に集合した家族とにぎやかに過ごすご家庭も多いのではないでしょうか。(親と同居している長男の嫁の私としては犒泙┐訛Δ梁臺僂記爐呂罎辰り過ごすどころではない事を知っています。迎える側のみなさん、お互い狹度爐砲んばりましょう!)


そしてお盆最後の日である8月16日は「御精霊を送る日」です。

夕方「送り火」を焚いてご先祖さまを送り出します。我々の住む野積では、手作りの船に御精霊を乗せて、地元の海岸から海に流す風習がありましたが環境保護に厳しい昨今、果たして行われているのでしょうか。昔からの西生寺の狒り方爐蓮崗豆粥」を炊いて、丸めた「精霊棚」と一緒に近くの川に流しています。

こうして一年に一度のご先祖さまの里帰り「お盆」を終えると(お寺の場合、3日間の棚経が終了との意味合いが強い)、我々夫婦は「あー今年もお盆が終わったねー、おつかれさまー」とねぎらいの言葉とともにすっかり気が抜けてしまい、心と体にスキができて犒擇げ謄丱騰爐砲覆襪里常です。



●画像左…常夏の国タイ寺院「涼しげな仏さま」
降り注ぐ日差しと気温35度超えの中、金色の衣が風にふわりとなびき、しゃなりとしたお姿と涼しげな表情の狹身大の仏さま爐印象に残りました。日差しが強く今の日本と同じような猛暑でも「湿度」はゼロに近いので、お堂の中はウソみたいにひんやりとしていて吹き出ていた汗がいっきにひきます。(雨期でもスコール程度で、日本の梅雨みたいな長雨じゃないので日本よりさわやかです)

目の前に広がるメコン河から気持ちの良い風が吹いてくると、この仏像の上の優美な傘の風鈴がシャリン、シャリンと鳴り、境内のこの一角だけ、極楽浄土から雲に乗って舞い降りてきた御一行さまのような異次元の空間になっていました。

●画像右…タイ寺院の池に咲く「涼しげなスイレンの花」
カラッと暑い気候の南国は、はっきりとした鮮やかな色彩が本当によく合います。タイ人や暑い国の人たちって基本、ゴージャス&派手好き。みなさん暮らしに鮮やかな色彩を自然に取り入れて、原色ファッションも年齢問わず見事に着こなしています。

あふれる色彩に感化された我々日本人旅行者が、現地で「ステキ」と思って買った派手系の小物や服が、日本に来たとたんに、夢から覚めたみたいに「派手すぎて着られない」というような話をよく聞きます。(もしかして日本旅行に来たタイ人も、日本的センスについ引きずられ地味系を買って帰国後「地味すぎて着られない」みたいなことになっているのでしょうか)

タイの人は「鮮やかじゃないと色じゃない(=価値がない)」と思っているようで、日本人好みの渋い色合いやベージュやグレー系の色は「あんたまだ若いのに、なんでそんな地味な色をチョイスするんだ。センスのない人だ。」と不評を買います。このスイレンの花も見事な青紫の発色で、見ていると猯鱈爐鬚發蕕┐泙后


【お知らせ】:8月14日と15日は「即身仏拝観」をお休みします。
大変申し訳ありませんが8月14日と15日、住職と長老と2人が棚経に出かけるので、お盆休みで混みあう日なのですが「即身仏の拝観」はお休みとさせていただきます。本当に申し訳ありません。なお、宝物堂や境内を自由に参拝することはできます。


2015/07/26(日)
★お弥彦さまと野積盆踊り「ナスの皮の会」
















先日、我々の暮らす長岡市寺泊の野積地区で昔から踊られていた「伝統の盆踊り」を見事に復活させた、村の有志たちで組織する野積盆踊りの会、通称「ナスの皮の会」の方より、お電話をいただきました。

「御遷座100年の記念行事が続く、越後一之宮「弥彦神社」で8月2日(日)午後より、ナスの皮の会員総勢100名が、弥彦神社境内で、野積伝統の盆踊りを奉納することになりましたので奥さん、よろしかったらどうぞ観に来てください」

という内容を、少し興奮気味にお話してくれました。

正真正銘猝鄒僂僚賛有爐任呂△襪發里痢∋海里寺に籠る生活を送り、村とのかかわりが薄い狷陰の住人爐澆燭い併笋法△修鵑弊欧譴笋なお誘いをわざわざしてくださったのはなぜなのか?

お話を聞くと、昨年4月のおてら通信『長岡市道「寺泊1号線バイパス」開通!』がご縁となったようです。

(野積村内に、悲願だった「国道402号(シーサイドライン)」と「弥彦山スカイライン」を結ぶ、新しいバイパス道路が完成したという内容)

この時に「開通式」のあと、長岡市長さんなどを交えて、村の民宿で行われた「祝う会」で披露されたアトラクション、「ナスの皮の会」の皆さんによる猝鄒冕瀝戮雖爐異様な盛り上がりを見せ、大盛況だったことを書いたのです。

(宴会の出席者は昔から飲んで唄って踊ることが大好きな狎舷茲量鄒僂凌諭広燹自然の成りゆきで出席者ほぼ全員が輪をつくり、野積伝統の盆踊りを踊り手さんたちと一緒にノリノリで踊りまくり、一緒に踊った勇敢なる長岡市長さんも、この猴戮蕕砲秣纂阿量鄒僖好織ぅ覘爐砲燭い修Ε咼咾辰燭任△蹐Δ箸いζ睛董

この「おてら通信」を会の皆さんが知ることとなり、それが御縁で今回、会の方より連絡があったのです。


だいたい「ナスの皮の会」というネーミングが変わっています。

盆踊りとナスの皮というミスマッチ。「ナスの会」ならまだしも、ナスにわざわざ猗薛爐ついて「ナスの皮の会」です。「爛淵垢遼楝劉爐呂い辰燭い匹Δ覆辰討靴泙辰燭里?」私的にはとても気になるところですが、

このナゾ(=いわれ)についてもその時の「おてら通信」で紹介しましたが、大切なポイントなので、軽くおさらいをしておきましょう。


盆だてがんねナスの皮の雑炊(ぞうせぃ)〜♪

あいかわらずのインパクトです。
野積で昔から踊られてきて近年復活した「野積盆踊り唄」の一節です。

そうです、もうおわかりですね。それで「ナスの皮の会」なのです。
標準語的?に言い代えると、

お盆なのに御馳走も作れずいつものナスの皮入りの雑炊を食べるよ〜♪

という歌詞で、この一節に野積地区の歴史を物語る狄次舛ぐ嫐爐込められています。

昔は日本中どこの田舎でも似たような状況だったと思いますが、海路しかなく陸の孤島のようだった野積村でも代々、閉鎖的で貧しい暮らしが続いていました。

そんな集落で助け合って暮らしていた貧しい時代から昭和中期にかけて、野積の村人に唄い踊り継がれてきたのがこの「野積盆踊り」です。

しかし、いつしか踊られなくなり廃れてしまいました。

そこで平成19年(2007年)、野積の有志が集まり「ナスの皮の会」として唄と踊りを復活させたのです。同時に昔から強い絆が持ち味だった野積にも、なんとなく押し寄せてきていた地域連帯の希薄感、意識することも減った郷土愛などに対する犖上の願い爐盥められていました。


復活後、毎年8月15日に行われるようになった「野積盆踊り」の方法も少し変わっています。

名付けて「移動巡回型盆踊り」。

6つの野積集落を「盆踊り会場」に設定、会員の踊り手さんたちがマイクロバスで次々と会場を移動(巡回)して、そこの集落の住民の方々と一緒に「盆踊り」を踊るのです。

海岸線に沿って細長い野積地区では、徒歩で一カ所に集まるのも容易ではなく、この方法があみだされたそうです。


さて、話を「弥彦神社で奉納盆踊り」に戻しましょう。

電話の先のナスの皮の会の方が興奮気味だったのは、単に「弥彦神社に遠征して盆踊りを披露できるから」だけではないのです。

じつは、野積は「弥彦神社」の御祭神で、新潟の人々から親しみを込めて爐弥彦さま爐噺討个譴討い襦△修里弥彦さまと深い縁で結ばれた土地だからです。


なにを隠そう、野積は爐弥彦さま上陸の地爐覆里任后

お弥彦さまの正式名は天香山命(あめのかごやまのみこと)といいまして、天照大御神(あまてらすおおみかみ)のひ孫にあたります。今からおよそ2600年前、神武天皇に功績を認められた後「越の国(現在の新潟県)」の開拓を受けて和歌山県熊野地方から船で日本海を渡り、寺泊の野積海岸より上陸、「越の国」への第一歩を刻みました。

野積海岸に上陸したお弥彦さまは、しばらく野積村にとどまり、洞穴に住みながら、村人に「漁法」や「塩作り(=塩たき)」などを教え、その後に弥彦山を越えて、現在の弥彦神社のある弥彦山麓(ふもと)の村「弥彦村」に居住したと伝えられています。


さらには伝統の「野積盆踊り」も基をただせば、村人とお弥彦さまとの交流がきっかけといわれています。

つまり、野積に滞在中だったお弥彦さまと野積の村人が、しばしば浜辺で一緒に踊ったのが「野積盆踊り」の発祥といわれているのです。

したがって8月2日に「弥彦神社」境内(拝殿前広場、ほか1カ所)で奉納されることとなった「野積盆踊り」は、かつて一緒に踊ったというお弥彦さまの前で、2000年以上ぶりに野積の村人が盆踊りを奉納するという猯鮖謀晴れ舞台爐覆里任后

「ナスの皮の会」のみなさんにとっては特別な思いがあるわけです。


というわけで8月2日(日)、地方衆(じかたしゅう)の唄、笛、太鼓に合わせて、そろいの浴衣に身を包み総勢100名で踊る「野積盆踊り」は爐らが野積の団結力爐鬚おいに発揮し、夏の風情を華やかに盛り上げ、弥彦神社を参拝中の夏休みの観光客の方にもきっと楽しんでもらえることでしょう。

何よりもお弥彦さま自身が「なつかしいのう」って目を細めて喜ばれるはずで、もしかしたら踊り出さずにはいられなくなり猗瑤啼り参加爐垢襪もしれません。



●画像左…右「お弥彦さま上陸の石碑」と左「男釜・女釜」
お弥彦さまが上陸した海岸の岩山には現在、高さが1mほどの『弥彦神社御上陸地』と刻まれた狎佝雖爐立っています。裏面には「紀元二千五百九十五年七月、世話人野積青年團」と刻まれているそうで、建立当時、西暦よりも主流だったこの犁元二千五百九十五年(2595年)爐箸肋赦贈隠闇(1935年)です。ちなみに今年は紀元2675年です(笑)。

そして石碑の下、上陸した海岸付近には、お弥彦さまが村人に塩たきの術を授けた跡であると、古くから伝えられてきた爍欧弔侶雖爐あり、この穴は昭和59年(1984年)に天然記念物に指定されました。野積の人々はこれを「男釜(おがま)」「女釜(めがま)」と呼んでいます。住職の夫も子供のころに海パン姿でよく男釜・女釜まで遊びに行ったそうです。

●画像右…本気度100%!「野積盆踊り教材ビデオ」
復活をとげた野積盆踊りの「いわれ」や「唄(演奏)」、「踊り」を、若い世代に継承してゆく目的で昨年「ナスの皮の会」が制作した爐箸辰討眇震面椶複庁孱牒爐任后6辰い燭里蓮電話のあった翌日、魔法みたいに早くも受付寺務所にいる私の元に、人づて(=第3者)でこのDVDとパンフレットが届き、強固な野積ネットワークの爛好患鮫爐鮓た思いがしました。

「ナスの皮の会」はこの他にも観光地である野積地域をアピールするために『神様と踊る盆踊り、お弥彦様上陸の地:野積』と書かれた、神さまと村人たちが仮装しながら楽しく踊っているイラストの狢腓な看板爐鮴作して「野積の入り口」に設置したり、(国道402号線「トリックアートSOWA美術館」の向かい側あたりです)、「ふるさと野積を盛り上げよう!」と積極的に取りくんでいます。


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■ナスの皮の会「弥彦神社奉納盆踊り」のご案内■
【日時】:8月2日(日)午後3時〜
【場所】:弥彦神社
【会場】:第1回目(午後3時より)「水屋近くの広場」
     :第2回目(午後3時20分より)「拝殿前広場」
【問い合わせ先】:0258−75−2773(ナスの皮の会事務局)


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