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2010/05/02(日)
★にいがたポスト「天地人」最新情報











昨年はNHK大河ドラマ「天地人」ブームに沸き、うれしい悲鳴が県内の観光地で聞かれた新潟県。当時スタートしたばかりの「ETC休日特別割引1000円」効果も重なって、GW中、夏休み、休日は県外からどっと観光客が押し寄せ、上杉謙信、直江兼継などのゆかりの地は大いに賑わいました。この年一年間に新潟県を訪れた観光客の数も、他の県は不景気の影響で減少した中、数少ない「前年度よりアップ」を成し遂げることができました。


しかし世の中の移ろいは早いのもの、熱しやすく冷めやすいのが日本人の特徴ということで、今年の大河ドラマは「龍馬伝」、必然と世の中すっかり「坂本龍馬ブーム」真っ盛りです。「めざせ、龍馬ゆかりの四国か長崎か」もしくは「遷都1300年の奈良へ」みたいな状況になっています。


あれほど世間を騒がせた「愛の兜、直江兼継、天地人、与六」なーんて言葉も世の中の人々の頭から消え去り、街中からもあれほどはためいていた「愛・天地人」のノボリもいつの間に姿を消しておりました。そんな「一年落ち」となった新潟県ですが、昨年の「天地人」ブームで集客に成功した実績を一過性のものにしないために、ひきつづき今年も新潟にたくさんのお客様にきていただきたいと願うのは当然のこと。

「さあ、2年目も勝ち抜くぞ!」の戦時スローガンではありませんが、さぁ、どうする新潟県?というわけで、今回の「おてら通信」は新潟県内における「ポスト天地人」事情をお届けします。


まずは上越。上越といえば上杉謙信。謙信ゆかりの「春日山城跡」や幼少期を過ごした「林泉寺」、そして上杉景虎の供養塔がある「勝福寺」などなど、上杉謙信ゆかりのスポットが多く点在しています。大河ドラマオンエア中の昨年は、これまでにないくらい多くの観光客が上越や妙高に押し寄せ、かなり盛り上がった地でもあります。「天地人博 越後上越」や、大河ドラマゆかりの地を巡る「妙高天地人バス」が大好評だったそうです。

上越では大好評だった「天地人巡回バス」を2年目の今年も運行を決定、バスに搭乗して案内をする「天地人ガイド」のボランティアの皆さんは、2年目の今年もやる気満々、研修会を開いて勉強を重ねているそうです。観光バス運行は4月24日〜11月28日まで。(昼食付きで大人3500円、子供2000円)


つづいて「なるほどー、そうきましたかー。」と思わせてくれたのが、南魚沼市にある「南魚沼天地人博」だった建物を利用して始まった新企画です。


直江兼継のふるさと六日町で開催された「南魚沼天地人博」は、終わってみれば予想を2倍も越える入場者数の大盛況だった施設。しかし大河ドラマが放映されている期間のみ開催の契約だったとかで、「それではもったいない。ドラマ終了後も続けられないものか。」と思った担当者が、NHKに「存続」を持ちかけたものの、見事に断わられてしまったという経緯があり、それだけに爐修慮紊陵効活用爐紡臺儡愎瓦里△辰燭箸海蹐任后


南魚沼市が考えた新企画はずばり「戦国EXPO」。「戦国武将ブーム」、「歴女ブーム」の流行に乗り、映像や漫画、アニメ、ゲーム、甲冑(かっちゅう)など、さまざまな視点から「戦国を体感できる」のが特徴だそうです。これまでの「天地人博」施設をリニューアルし、先月11日に開幕しました。


人気戦国武将の複製甲冑や、虫や貝などの「変わり兜」などがずらりと展示してあるゾーンや、ゲーム体験やゲームに登場する戦国武将のフィギアを展示している「ゲームゾーン」、その他猯鮟爐砲勧め「戦国武将の衣装」が着られるコーナー、戦国モノで人気の漫画家の原画などを展示するゾーンなど、男女問わず幅広い年代の方が楽しめるということです。「戦国EXPO」は11月28日まで無休。(入場料高校生以上500円、小中学生250円)


逆に「我が町を誇るゆかりの人物として、ドラマが始まるずっと前から紹介してきたので、流行が去ろうが去るまいがまったく関係ありません。」との姿勢を貫くのはおとなりの与板。与板といえば直江家が城主だった与板城があり、兼継の妻「お船(おせん)」を生んだ町です。与板にある「兼継お船ミュージアム」のそばの橋には、その心意気を示すかのごとく、最近新しく付け替えられたばかりの「愛 兼継・お船のゆかりの地」みたいなことが書かれた大きな垂れ幕がかかっています。「ドラマも終り、混雑していたミュージアムも今らなゆっくり見られます(関係者コメント)。」まだまだ牋Ν爐藁笋瓩覆い里任后


どんどんいきましょう。

我が長岡市の取り組みとしては、「昨年天地人ブームで盛り上がった地域間の連携を観光に生かそう」と、市内各地域の観光協会やJR長岡駅、越後交通などの団体で構成された「市天地人活用推進協議会」が新たに設立されました。今年のテーマは、「天地人」のヒロインだった地元の直江兼継の妻「お船」、前田利家の妻「まつ」、山内一豊の妻「千代」の、「戦国時代三賢妻」をテーマに、ゆかりのある金沢市や静岡県掛川市などとの交流事業を展開するそうです。これは狹恵録与焚酬廊爐箸いΔ戮展開でしょうか。それと「長岡まつり花火大会(8月2日・3日)」では「もう一度見たい」との声が多く、今年も「天地人花火」を打ち上げるそうです。


ちょっとした変化といえば、大河ドラマ「天地人」の原作となった、火坂雅志さんの著書「天地人」が最近、文庫本になり、お手軽に買えるようになりました(上巻750円、下巻790円)。新聞連載小説の「天地人」で人気となった火坂さんは、現在新聞に「真田三代」という時代小説を連載中です。


「脱天地人」と言えそうなのがこれです。

新潟県が季節ごとに発行している、にいがた観光のシーズンマガジン「うまさぎっしり新潟 観光通信」の最新号では、「微笑みの木喰仏」が巻頭特集で紹介されています。実はじわりじわりと人気が上昇中の「仏像(観賞)ブーム」。奈良遷都1300年の今年は、さらに幅広い年代に仏像ファンが広がりそうな兆しです。「仏像をみると心が癒される。」「とても神聖な気持ちになる。」と世の中は空前の「仏像ブーム」なのです。

(※仏像を名画のように「美術品として観賞する」という姿勢も一部にあるようですが、「仏像」は仏であり、信仰の対象で、手を合わせて祈るもの、という考えが染みついているお寺の住人としては多少の違和感を覚えます。)


そんなブームを意識したのでしょう、新潟県は全国でも特に県内に多く残る「木喰(もくじき)上人」の彫った「微笑仏(みしょうぶつ)」を全面にアピールしてきました。木喰上人の彫ったあの独特な、素朴で温かみのあるまるまっこい仏像は、全国に620体ほどあるそうです。そのうちの260体が新潟県内にあるそうですが、新潟に多く残る「木喰仏」は木喰上人が80代の円熟期に彫った作品が多く、微笑仏といわれる特徴がよく現れた「傑作」が多いのだそうです(61歳の時に佐渡に4年間滞在し、その後80歳を過ぎてから再び新潟を訪れてる)。


「宣伝下手」と言われて久しい新潟県、「ご当地モノをもっと上手に県外にアピールしよう」という思惑が「微笑みの木喰仏特集」には感じられます。木喰さんの彫った仏像は、佐渡や県内の中越地域を中心に残されています。そのひとつ、小千谷市の山手にある「小栗山木喰観音堂」の「三十三観音」は特に有名です。


「とにかく木喰さんの彫った仏像群がすごい。不便な場所だけど訪れる価値あり!」

昨年の秋に旅先(県内夫婦ミニ旅行)でふと、以前耳にしたそのウワサを思い出し、思いつきで夫と「今から行ってみよう。」ということになりました。どこにあるのやら詳しい情報もないままに、車で山古志地区などのせまい山路をさまよい、車もやっとの急勾配の山中の狭い道をすすみ、「牛の角突き(闘牛場)」の看板を通り過ぎ、どうにかこうにかやっとたどり着くことができました。「小栗山木喰観音堂」と呼ばれている小さなお堂は、ネコの額のような小さな場所にひっそりとありました。


お堂の「案内版」を読んで知ったことなのですが、我々の訪れた日は偶然「観音さまのご縁日」である17日で、「月に一度のご開帳日」であり、幸運にもたった一日だけ「観音堂」が開いて自由に参拝できる日だったのです。


「たまたま思いついて来たのに、ちょうど月に一度のご縁日の日でこうしてお参りが出来てしまって、本当に運が良かったね。」
「山の中の小さな集落の小さなお堂の中に、木喰さんの彫った仏像がこれでもかくらいにぎっしりとご安置されているなんてたまげたね。」
「誰もいなくて我々ふたりだけだったし。あんまり知られていないのかな。平日だから?でもゆっくりとお参りが出来たし来てよかった。」
「まさしく穴場だね。」

まるで観音さまに呼ばれたように突然思い立ち「ご縁日」に訪れたこと、不思議な縁を感じたのでした。(縁日以外は「観音堂」は閉まっていて、事前に電話予約をすれば参拝できるそうです。拝観料は300円。)


犒蠑讚爐箸い┐个錣西生寺も、

「こんなところに、こんなに大きなお寺があるなんて、今までちっとも知りませんでした。」
「初めて来ましたよ。いい所ですねー。いや、弥彦スカイラインはしょっちゅう通るんですがね。」
「このお寺に日本最古のミイラ仏があるんですか?へぇー知らなかった。」

みたいなことを日々の参拝のお客さんによく言われます。

知る人ぞ知る新潟を誇る穴場スポット(たぶん)、「天地人バブル」も全く無縁だった(愛ローソクいっぱい売れ残っちゃったしね…)当山「西生寺」にもどうぞお参りください。


※画像左…小栗山木喰観音堂「西国三十三観音像」
ご本尊さま以外の32体の観音像は江戸時代後期の享年3年
(1803年:11代将軍家斉の時代)8月1日に、なんとわずか
一日で彫り上げています。このときの木喰さんの年齢は86歳!でした。
木喰さんは山梨県身延町出身。とっても長生きをしたお坊さんで
当時としては驚きの93歳で入寂しました。(最後は自ら仙人を名乗
っていたそうです)

※画像右…小栗山木喰観音堂「御本尊如意輪観音像」
ほっぺたに手をついて微笑みをたたえつつ、じっーと深く考え込んでいる
ように見えるお姿に「何を考えておられるのかしらん?」とついついこちらも
考えてしまう。このお堂の、仏像群を浮かび上がらせるような暖かい色の
照明がとても印象的でした。

【木喰上人作三十三観音像】※お堂にあった案内文より
昭和43年3月23日 県文化財指定
如意輪観音を中心とした三十三観音と他二仏は木喰上人が享和3年(1803年)に火災後再建された観音堂のために同年8月1日から24日までの間に刻んだものである。木喰の作品は一般には微笑仏として愛されているように、ふくよかな頬・団子鼻・山なりにまたがる太い眉・大きく弧をえがく目・深い微笑みをたたえている口もとなどに、他の仏像彫刻にない特徴がある。原材のイチョウは地域住民総出で運び上げた巨木と伝えられている。
(昭和50年6月 小千谷市教育委員会)


2010/04/24(土)
★西生寺「水子地蔵さまファッション」:番外編













それにしてもこのタイミングにはちょっと驚いたかも。「水子地蔵さまファッション特集」をおてら通信に載せてからすぐの日、長老夫婦がいつもの「病院&買い物」から帰って来た夕方、園子ママがデパートの紙袋から、おみやげの「モロゾフのプリン」をゴソゴソと出しながら、別にきれいにラッピングされた包みを取り出して、私に「開けてみてごらん。」と促しました。


袋の中身は、我が家にも、もちろん私にも全く縁のないはずの「驚くほど小さな服」で、それはかわいらしい「ベビー服」でした。ベビー服とはいえ、大人が着ている服をそのまま小さくしたような、細部までこだわった仕立てと色合いの、センスあふれる一品に思わず、

「今の子供服ってすごいんだねー、私が着たいくらい。っていうか私の着てる服より高そう!」
と驚きの声をあげる私に、お母さんは唐突にこんな話をはじめました。

「きのうね、夢に私の水子さんが出てきたのよ。爐舛辰箸發まってくれないって燹お母さん、困っちゃって。でもそう言われると、最近は何のお供えもしていないことに気が付いて。自分のこと(体調など)が精一杯だったからね…。ちょっと反省。」


実は西生寺の「水子地蔵さまがお祀りさている場所」には、園子ママも昔から自分の水子さんのお地蔵さまを建立しています。お母さんの水子さんは、住職が生まれて、次に妹が生まれるまでの間に授かった命で、つまり住職にとっては「弟か妹」にあたる水子さんです。


夢に自分の水子さんが出てきて「最近、ちっともかまってくれないんだもの、ぷんぷん。」と言われてしまった園子ママ。そこで園子ママは自分のお地蔵さまに「かわいらしいお洋服を着せてあげよう。」と思い立ち、さっそく病院の帰り、新潟市内のデパートの子供服売り場へ行って、びっくりするくらい高価な子供服をひとそろい(やっぱり私の着ている服より高かったです、トホホ)と、木のおもちゃを購入したのでした。


実はこの夢に出てきた水子さんは、今回が初登場ではなく、これまでも何度かお母さんの夢に現れています。私の聞いたところによると、水子さんの姿は「園子ママの実家系列の、物静かなインテリ顔の男の子」だそうです。(きっとこんな話題が、ちっとも特別なことではなく、ごく普通に語られるのは爐寺ならでは爐任靴腓Δ。)(※ちなみに夫の住職は、物静かでもインテリ顔でもない、長老(父親)の実家系列犢觀罎壁貌と性格爐鯒擦引き継いでいます。)


そして驚きを隠せないのが、今回の出来事が「水子地蔵さまファッション特集」を「おてら通信」に載せてからすぐというタイミングだったことです。これは偶然なのか(園子ママはおてら通信の内容は一切知らない)それとも…。私は、園子ママのお地蔵さまが、衣装を着ている水子地蔵さまばかりを写真に撮る私に完ぺきに無視されてしまい「ちっともかまってくれない」とお母さんの夢に出た…と、こう思えてならないのです。


さて、私のこんな推測を知る由もない園子ママ。
私から水子地蔵さま用の真新しい「風車(かざぐるま)」をもらい、

「もうじき節句だし、どれ、鯉のぼりも立ててあげようかね。」
と語るその表情は、小さな赤ちゃんに向けられるやさしい母親の顔になっていました。
お母さん、どうか嫁子の私にもいつもそんな風にやさしい顔でいてください。



※画像左…園子ママチョイスの水子さまの洋服
春らしい薄手のニットです。それに同系色のやわらかいベージュのストライプのよだれかけ。
なんとも園子ママらしい品のあるチョイス。北欧製の「赤いブーブ(車)」がまたかわいらしい。
もし犹筌船腑ぅ広爐覆蕁△っと「アジアの山岳少数民族」みたいな鮮やかな服を着せると
思います。ラオスで少数民族から買った「子供用ぼうし」がそういえば手元にありましたっけ。
コレ、かわいい甥っ子、つまり私の妹の子供にと思って、せっかくおみやげに買ったのに、
妹に「日本に居ちゃいけないような、あやしい虫とかが住んでいそうだから絶対に駄目!」
と、受け取り拒否をされてしまった一品です。
それはそうと、お母さんは服を買ったものの水子さまにいっこう着せる気配がないので訊ねる
と「雨が晴れたら着せたいと思っているのに、今年は毎日天気が悪くて。」とのことでした。


※画像右…白山公園「満開の桜山」
ようやく新潟の桜も満開になりました。ここは新潟市内の信濃川のそばにある公園で、
私の一番好きな「お花見スポット」です。小さな丘ひとつがため息の出るほど見事に
「サクラ色一色」に染まります。それとここのソメイヨシノの特徴は、どの木もまだ若い
(エネルギーに満ち溢れている)ので牴屬良佞方爐ちがうのです。
秋田の爐りたんぽ爐澆燭い法枝が花でモコモコにくるまれているというか、
ネコの犲慢のしっぽ爐澆燭い箸いΔ、「鈴なり」というのをはるかに越えた密集度
で圧巻です。そして背丈も低いので、桜の花に直接鼻を近づけてくんくん香りをかぐ
こともできます。ま、香りをかぐまでもなく、この一帯はすでにむせかえるるような桜の
花の香りでいっぱいなのですけどね。。。


2010/04/15(木)
★西生寺「水子地蔵さまファッション」特集













ニイガタにも春がおとずれ、ようやく「桜」が咲き始めました。「宝物堂」前の、西生寺唯一のソメイヨシノも、ぽこりぽこりとつぼみが開き、受付寺務所の窓から見上げるたびに、桜の木全体が少しずつ薄ピンク色に彩られていきます。気候がやわらぎ、鳥のさえずりや草花の息吹が感じられるこれからは一年で一番好きな季節です。


…というわけで春めいてきた季節にぴったり、色づく草花に負けないくらい、境内を色鮮やかに飾っている、かわいらしい「西生寺水子地蔵尊ファッション」を紹介します。


ええとですね、水子地蔵さまのファッション特集のきっかけは、実は前々から住職と話していたんです。

「どうも西生寺の水子地蔵さまって、他のお寺の地蔵さまに比べて、ファッションが凄くない?」
「そう思ってた?実は私も。こっているというか、オシャレというか、自由自在っていうか。」


はっきり言ってここまで爛侫.奪轡腑淵屮襪平綮卉和△気洵爐蓮他ではそうは存在しないと思います。たぶん理由としては、西生寺のお地蔵さまは、地蔵尊一体一体のスペースがわりと広めにとられているためだと思われます。


きっと施主の方がそれぞれの想いを込めて着せたのでしょう、かわいらしく着飾った西生寺の水子地蔵さまより、特に目を引いたお地蔵さまを、スナップ写真で紹介します。


それではどうぞ御覧くださいませ。
(※もちろん何も着ていないお地蔵さまが主流です。)


2010/04/15(木)
★西生寺水子地蔵さまファッション
≪2≫


2010/04/15(木)
★西生寺水子地蔵さまファッション
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2010/04/15(木)
★西生寺水子地蔵さまファッション
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2010/04/15(木)
★西生寺水子地蔵さまファッション
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2010/04/01(木)
★お釈迦さまご誕生を祝う「花まつり」











4月です。しかし今年はびっくりするくらい寒い日が続きます。もしかしたらそのうちに「暑さ寒さも彼岸から…」なんて当たり前に言われる時代がやってくるのかもしれません。


さて、4月といえば世界一桜好きの日本人が待ちに待った「お花見」の季節です。そして仏教では4月8日というとても大切な日を迎えます。そうです「4月8日」は「お釈迦さまの誕生日」なのです。日本各地の仏教寺院ではこの日や4月中の良い日に、お釈迦さまのご誕生を祝う「降誕会(ごうたんえ)」、「仏生会(ぶっしょうえ)」と呼ばれる行事が行われます。これは一般的に広く知られている「花まつり」のことです。


「花まつり」では、草花で飾った「花御堂(はなみどう)」を作り、そこにお釈迦さまの「誕生仏」を御安置します。誕生仏に犂澱祗爐鬚けてお祝いをしたり、甘茶を飲んでお釈迦さまの御利益をいただくほかに、稚児の衣装に身を包んだ地域の子供たちが「白象の山車」を引きながら「稚児行列」を行ったりもします。ちなみにわが町の「寺泊仏教連合会(宗派を超えた寺泊地区の寺院の会)」では、今年も4月25日(土)に合同で「花まつり」を開催します。


紀元前566年、今からおよそ2600年前(正確には2576年前でしょうか)の4月8日、インドのルンピニーという村でお釈迦さまはお生まれになりました。生まれてすぐに爍景皚猜發い董右手を挙げ天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」とおっしゃったというのは有名なお話ですね。


今回のおてら通信では「なぜ花まつりと呼ぶの?」、「なぜ甘茶をかけたり飲んだりするの?」などの由縁や、さらにくわしく「お釈迦さまご誕生のいきさつ」などをお話したいと思います。
それではどうぞ。。。


インド北部に「シャカ国」という王国がありました。シャカ国の王様のもとに嫁いだのが「コーリア国」出身のマーヤ婦人。このお二人がお釈迦さまの父と母です。やがてマーヤ婦人はご懐妊をしました。産み月が近づいたので、出産のため、故郷の「コーリア国」に里帰りをする途中に、ちょっと休憩で立ち寄ったのが「ルンピニー村の美しい花園」でした。ルンピニーの花園は花盛りだったそうです。


マーヤ婦人は「沐浴」をした後、池のほとりを散策しました。池のほとりに咲いていた「アショカの花」があまりに美しく、右手で爐劼隼洵爐鮴泙蹐Δ箸靴燭修了です、なんと挙げた右手の脇(わき)の下を破って突然、ひとりの男児が飛び出して来たのです。「シッタルダ太子」と名付けられ、後に出家して「仏陀」となられたお釈迦さま誕生の瞬間です。

(※「花まつり」と呼ばれるのは、お釈迦さまが花盛りの美しい花園でお生まれになったことに由縁しているのです。)


そしてこの時、勢いよく脇の下から破り出た男児(シッタルダ太子)を受け止めるために、そう然と地上の蓮(ハス)の花が咲き始め、蓮の花の上に太子は降り立ったといいます。そして同時に天が産湯のために「歓びの雨」を降らせました。その時の雨が「甘露水(かんろすい)」と言われる「甘い雨」でした。

(※「甘茶」を誕生仏にかけたり、飲んだりするのは、この時のエピソードからきているのです。)


蓮の花に降り立ったシッタルダ太子は、ゆっくりと、誰の手も借りることなく、一歩、二歩と歩き始めました。そのお姿は獅子が密林を行くがごとくとても威厳に満ちていたと仏典には記されています。犲景皚猜發い椴ち止まった太子は、右手を挙げ天を指し、左手で地を指して
「天が上、天が下、我にまされる聖者なし、天上天下唯我独尊!」
と凛々と響きわたる声で宣言をされました。
(※これは我々が言うところの、おぎゃーおぎゃーの「赤ちゃんの産声」にあたります。)


以上がインドの古事に記されている「お釈迦さまご誕生」のいきさつです。


その後、幼少時代はシャカ国の王子として何不自由なく育ちますが、青年期を迎え見聞を広めたシッタルダ王子は、現実の世界では、多くの人々が病気や貧困、悩みや苦しみを抱えて生きていることを知り、自らの意思で出家をして、長い修行を積み「悟り」をひらいて仏陀となります。
(あ、今気付いたのですが、シャカ国の王子だからお釈迦(しゃか)さまって言うのかもしれませんよ、たぶん。)


そうそう、「甘茶」についてもう少しお話しましょう。この甘茶は飲むと字のごとくとても甘いお茶なので、「さぞかし砂糖をたっぷりと入れているのだろう。」と思いがちですが、実は砂糖を一切加えていない、葉の持つ天然の甘味だそうです(昨今流行のカロリーゼロ)。「山あじさい」の葉を夏から秋にかけて摘み取り、干して乾燥したものを揉んで茶葉にするそうでが、揉めば揉むほどに甘味が増すとか…。


お参りに行ってその場で飲むのも良いですが、「甘茶」をおすそ分けしてもらって持ち帰り、家族みんなで飲めば「無病息災」「家内安全」の御利益がいただけます。


さらに甘茶の昔ながらの意外な活用法としては、甘茶で墨をすり、紙に「五大力菩薩(ごだいりきぼさつ)」と書いて、その紙をタンスの中に入れておけば牋疥爐肪遒つかない爐噺世錣譴討り、またその紙を家の柱に貼って牾加扈け(シロアリ?)爐箸靴討盂萍したそうです。ムシューダやタンスにゴンなどが無い時代の迷信といえばそれまでですが、意外な甘茶の活用法でした。どうぞお試しあれ。


※画像…西生寺境内に咲く「雪割草」
西生寺で今、花盛りを迎えているのは、春の野草の代名詞「雪割草」と「カタクリ」
です。西生寺でも昔は一面じゅうたんのように雪割草やカタクリが群生していたそう
ですが、年々減り続けているのが残念でなりません。
少なくなったものの、今年も力強くそして可憐に「雪割草」や「カタクリの花」が咲い
てくれました。ちなみに雪割草は新潟県の草花です。


2010/03/15(月)
★天然記念物「樹齢800年西生寺大銀杏」











今月10日、鎌倉「鶴岡八幡宮」の境内にある、県指定の天然記念物「樹齢1000年の大銀杏(イチョウ)」が根元から見事にボッキリと折れて倒れてしまったニュースに驚かれた方も多いと思います。午前4時すぎから「ドンドン」という音がして午前4:40分ころ雷が落ちるようなものすごい音がしたので警備員が駆けつけたところ、倒れていたといいます。


1219年、鎌倉幕府源実朝を暗殺した甥っ子の公暁(くぎょう)が、この銀杏の陰に隠れていたという言い伝えから「隠れ銀杏」とも呼ばれていた歴史的にもゆかりのある大銀杏で、神社のシンボルにもなっていただけに、参拝客や神社関係者から「驚き」と「残念」という声が聞かれました。


神奈川県出身の私は「鎌倉」は子供のころから何度か訪れれたことがある思い出の場所です。鶴岡八幡宮参拝のおりには必ずこの大銀杏の前で立ち止まり、見事な大木の銀杏を見上げたものでした(高さ30メートル)。


「倒木の原因」は前日の夕方から雪を含んだ強い風が吹いていた事だそうですが、これは「冠雪害(かんせつがい)」と言って豪雪地帯ではわりかしポピュラーな倒木被害です。水分を多く含んだ重たい雪の重みや、木に水分が付着した状態で風雪が吹きつけ、しだいに重みが増し、耐えられずに倒木してしまうのです。


周囲が6.8メートルにもなる太い幹の「空洞化」が進んでいたとはいえ、メンテナンスはばっちりしていたそうですし、豪雪地帯でもない鎌倉で、たった一晩吹いた風雪で、1000年ものながい年月を生き続けた木が駄目になってしまうなんてちょっとびっくりしました。神社側は「御神木の再生」を決定しましたが、元の大きさになるまでにはまた数百年という途方もない歳月がかかるのです。

この鶴岡八幡宮の銀杏の倒木は、西生寺にとっても他人事とは思えない大きな衝撃でした。なぜなら、知名度の差はありますが西生寺境内にも、親鸞上人ゆかりの天然記念物「樹齢800年の大銀杏」が犖縮鬮爐蚤減澆垢襪らです。


今回の鎌倉の爐泙気爐龍箘錨殘擇如我が家のイチョウが急に心配になってきちゃって、住職と一緒に弘智堂の前にある大銀杏をあらためて視察に行って来ました。


今の時期はまだ冬の延長で一枚も葉がなく、一見すると「枯れてしまったのか?」とドキッとさせられます。地面を見ると、苔むした数十本もの根が、うねうねにょろにょろと地を這ってからみ合うように広がっていて、簡単には根こそぎに折れることななさそうです。しかし、たぶん、いや絶対、鎌倉と同様「空洞化している幹」はちょっと気になります。


私:「幹の空洞化がかなり爐てる犂兇犬犬磴覆ぁもしかしたらもしかするかも…」
住職:「ちょっとねぇ。まずいよねコレ。」
私:「(幹を)思いっきり押してみようか?」
住職:「ばかっ、やめるんだ。そっとしておきなさい。」


1000年という年月は銀杏の木の「寿命」なのでしょうか。とすると西生寺の銀杏はあと200年くらいは大丈夫ということなのでしょうか。それとも寿命は猝擇砲茲辰栃漫広爐任泙辰燭関係のないことなのでしょうか。冠雪害を防ぐため、境内の木々には毎年「冬囲い」を施しますが、大木の銀杏ともなるとそれも不可能な話です。

とにかく、私たちの代で「もしかしたら倒木の可能性があるかもしれない」なんて、これまでまったく考えてもみませんでした。


くしくも今期の冬、「松喰い虫の治療」を続けてきた境内中心部の「3本の大きな松の木」が、治療の甲斐なく枯れてしまったため、危険なのでクレーン車を使って伐採したばかりでした。大きな切り株3個に変わり果て、しまりのない、何かが足りない景観に「仕方ないけど、でもやっぱり(伐採は)残念だったなー」と感じていた矢先のことでした。


銀杏は樹木の中でもはっきりと四季の移ろいを感じさせてくれる木だと思いますが、西生寺の大銀杏も樹齢800年という大木ならではの「貫禄の四季」を毎年私たちに見せてくれます。


春になると新芽がいっせいに芽生え、冬枯れの様相が一変、実に生き生きとした緑の樹木となります。夏は日中の強い日差しを避けるためか、睡眠中天敵から身を守るためか、フクロウのお気に入りの止まり木となります。紅葉シーズンのトリを飾る晩秋、落葉で辺り一面を黄葉で敷き詰め、見事な黄色のじゅうたんを披露してくれます。(ただしその後の処理が大変ですが。)


銀杏倒木と同じ日、佐渡でトキ野生復帰のため、今年秋放鳥予定で「順化ゲージ」で訓練中だったトキ11羽のうちの9羽が侵入してきた「テン」に食い殺されるという、あまりにむごい事件が起きて、こちらも相当ショックを受けたのですが、同じ「樹齢数百年の銀杏」を持つ関係者として、今回の「おてら通信」は鶴岡八幡宮の銀杏倒木の話をとり上げることにしました。


「ここのイチョウは鎌倉の鶴岡八幡宮のイチョウより大きいんじゃないですか。」
「鎌倉の大イチョウと比べてもなかなかの立派なイチョウですねぇ。」

参拝のお客さんから、幾度となくこんな風に言われることもありました。おせじ半分以上でも、ちょっと西生寺の大銀杏が誇らしく思えたものでした。(※幹の太さは当山の大銀杏の方が太いようです)

今となってはもう、比べられることもないのですね… さみしい…。


※画像…「西生寺大銀杏」(3月12日撮影)
     昭和59年(1984年)に行われた長岡市の実測によりますと、
     ○ 幹の太さが11.5メートル
     ○ 樹木の高さが28.4メートル
     だそうです。翌年(1985年)に天然記念物に指定されました。
     場所は弘智法印即身仏霊堂の前です。

※親鸞上人とはどういう縁(ゆかり)?
○ 「西生寺大銀杏」のいわれ
越後上越に流された親鸞上人様の「弥彦詣」で西生寺に立ち寄った際、
別れを惜しむ信者に「われの身替わりに」と、銀杏の杖(つえ)を地面に
さしたところ、その杖が根付いたと言い伝えられています。
そのため当山の銀杏は「親鸞上人の御杖木(ごじょうぼく)」と呼ばれてい
ます。
※当HP「境内Map」もどうぞ御覧くださいませ。
(新緑のイチョウと枝上の子供フクロウの画像が見られます)


2010/03/03(水)
★帰国報告











皆さん、お久しぶりでーす。1月末に西生寺を出発、まるまる2月いっぱいの東南アジアでの「充電ひとり旅」を終え、少し日に焼けた顔でほぼ1ヶ月ぶりに西生寺に戻ってまいりました。お陰さまで病気・ケガ・トラブルなど一切なく(バンコクで乗っていた市バスが軽い衝突事故に遭ったくらい)、超元気印なのであります。


新潟市など沿岸部が26年ぶりの豪儀な(新潟弁ですごいという意味)「里雪」でひーこらしている時、私は大好きな南国タイで勝手自由な毎日を送っていました。市場、街でエネルギッシュな現地人にまみれ、お寺参り(時には仏教徒としてお勤めにも参加)、お散歩、タイ式マッサージ、本場タイ料理(特にチェンマイは奥深い北部郷土料理の宝庫!)、読書(女ひとり旅の夜は長い)、大東亜戦争で亡くなった日本軍兵士の慰霊などなど、体中に南国パワーを充電していました。(ちなみにタイは乾期なので滞在中一滴も雨が降らず、毎日気温35度の炎天下でした。)


園子ママ:「今年ばっかりはホントに豪儀な雪だったのよ。お寺が雪に埋まってしまうかと思ったわよ。まったく直子さんはホントにいい時期にニイガタを脱出したわねぇー。」

嫁の私:「はい、お陰さまで今年の冬は完全に狷┐伽擇雖爐泙靴拭」


久しぶりに交わす園子ママとのこんなやりとり(犧┐濱甅爐口をつくのはお母さんの体調が良い証拠)、久しぶりに会う夫(旅行中たった一度電話したきり…、成田到着後、船橋の実家に来た私をはるばる迎えに来てくれた)、そしてなぜか久しぶりな気がちっともしない(笑)元気なお父さん、台所、居間、寝室、マイ茶碗、マイ枕、なにもかもがなつかしい牋Δ靴硫罎家爐任后


それはそうと、何をもって「日本帰国」を実感するのかは人それぞれですが、私の場合は久しぶりに見る「厚着(長袖冬服)の人々」、「色も特徴もない地味な風景(アジアは派手なので)」、夕方にいっせいに開始される「犬の散歩(ちゃんとリードをつけていたりする点も含め)」、中でも独特の愛嬌ある風貌をもつ私もお気に入りの日本犬「柴犬」なんかを見ると「あぁ、日本だ。」と思います。


それと現地では、地元の人が通う「おいしい食堂」や「おかず屋さん」などの狠聾気瓦呂鶚爐鮨べるのが私の旅の大きな楽しみなので、旅行中は日本食を一切口にしません。この1ヶ月間の和食ブランクに対し、帰国後「むしょうに(異常に)食べたくなる日本の味」が毎回ありまして「今年は何だろう?」と、これが以外と楽しみなのです。(毎回変わり、例えば、納豆巻、刺身、干物、塩辛、アイス最中など)

今年の食べたくなったモノは以下の4つ。

○立ち食いソバ屋で食べれるような「濃厚真っ黒出汁のわかめそば」
○真っ赤な福神漬けのついた「普通のカレーライス」
○ 「よく冷えたおいしい日本酒」
○ 「生肉ユッケ(韓国料理)」をもっちりした「コシヒカリ白米」で食べる。


でした。(帰国後2日間でこれらすべてを制覇!)


というわけで日常生活復活です。「絶対に手をつけないで!」と告げておいたバケツ4つにたまりにたまった「資源ごみの分別」や、「お寺の経理の仕事」、「献立を考えて食事作り」などなど、待ったなしの仕事がたくさん。まずは第一弾として「おてら通信」を更新しました。


旅のみやげ話ではないですが、私が訪れたタイ国内で「かなり風光明媚だと思う場所」の穴場を画像でふたつ紹介します。どちらも相当気に入りまして「また訪れたい」と思っている場所です。


※画像左…ミャンマーとの国境付近「サンクラブリー」
タイ中西部にある「戦場にかける橋」で有名なカンチャナブリーから、ミャンマーに向ってさらに西へ山間地帯をローカルバスに揺られること5時間。ミャンマーとの国境付近にある「どん詰まり」の小さな田舎町です(これより先に道はない)。ダム湖にはボートハウスが浮かび、特徴のある長い橋が架かり、カンチャナブリーとは違って観光客も少ないのどかなところです。ここから20舛らい行くと、タイとミャンマーの歴史的にも重要な国境地点「スリーパゴタパス」があります。

湖の右側に斜めに延びる道みたいなものが「木造建築の橋」でこの町のシンボルとなっていて、サンクラブリーを訪れる最大の目的です。「木造」と言っても廃材を組み立てただけの幅3メートルほどの素朴(オンボロとも言う)な橋で車両は通れません。木造の橋ではタイ国内最長でなんと850メートル!もあります。橋は対岸のミャンマーの生活習慣で暮らす「モン族の集落」とつながっています(画像向こうに見えるのがモン族の村です)。気温が下がる早朝に湖畔は霧が発生し幻想的な景色が広がります。肌寒い霧の中、長ーーーい橋をてくてく歩いて「モン族の集落」側に行くと、「ビルマ料理の朝食」が食べられます。「ナンビャー」と言うインドのナン(パン)を薄くしたようなクレープ状の焼パンに、インド風スパイス味の煮豆(えんどう豆)と揚げ玉葱を乗せて巻いた一品は特に思い出に残る味でした。


※画像右…カンチャナブリー郊外「ワット・タムスア」
カンチャナブリー郊外の高台にあるメガ級に大きく、そしてかなり個性的なお寺。寺と言うより犹院群爐噺討鵑世曚Δよいほど大きなお寺で、タイ人の間ではカンチャナブリー観光には絶対欠かせない犹嫁劵好櫂奪鉢爐箸覆辰討い襪寺です。この日も大型バスで乗り付けた大勢のタイ人の参拝者で混み合っていました(ナンバーをみるとバンコク、カンペーンペッ、ピサヌロークなど)。しかしなぜかこの寺は日本人を含め、外国人観光客にはまったくと言ってよいほど知られていません。超穴場です!金色に輝く大きな仏像を下から見上げるのも良いですが、ここではぜひ「仏塔」に登ることをお勧めします。仏塔内部には屋上に向って永遠と続くらせん階段があり、ここをがんばって登ると画像のような「この世とは思えない摩訶不思議な絶景」を見ることができます。思わず「おぉ〜!なんだこの景色は!」と感嘆の声をあげるはずです。


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