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2016/03/24(木)
★旅のスナップ:ビルマ様式寺院の「堂内とご本尊さま」














●画像左…「堂内」の様子
高床式の堂内はたいていこんな風にがらんと広い板張りの空間(本当は横長にこの倍以上広い)。一段高い場所にある神聖な内陣は狃性入るべからず爐箸いδイ蟷罎されたお寺が多かったです。

●画像右…にぎやかな「ご本尊さま」
仏像の容姿は全く違いますが、何体もの仏さまがにぎやかに並んだり取り囲んだりしているのは、ラーンナー様式もビルマ様式も同じ。ご本尊さまが大きな寝釈迦さまという寺院もありました。ガラス張りや鉄格子みたいな柵に囲まれた内陣もありました。


2016/03/24(木)
★旅のスナップ:「旅中お世話になったモノ」














●画像左…「乗合ソンテオ」
小さな町の中心部にあるバスターミナルに停まっていた「メーサリアン」発→「メ―ソート」行きの乗合ソンテオ。たいてい犢埓茲別爐縫愁鵐謄の色が違います。メーサリアンとメ―ソートを往復するこのソンテオはオレンジ色でした。

この画像を撮ったあと、私はこのソンテオの荷台に乗って、山岳地帯(標高1300m前後)を縫うようにして230キロの距離を6時間かけてメ―ソートまで移動しました。(ちなみに帰りのフライトはタイから日本まで5時間でした)

●画像右…「コンムアン料理」(北部ラーンナー料理)
私が愛してやまない「コンムアン料理」の中でも、超大好物なのがこの「タム・マクア」。自分でもあきれるほど飽きずにあれば毎日食べました。長ナスを炭火で焼いて皮をむいたもの、炭火焼のニンニクと玉ねぎと辛ししとう、調味料、パクチーと小口ネギを刻んだモノ、ニンニク油などを石うすでぐちゃぐちゃにペースト状にたたいた料理で、食べる時はミントをちぎってふりかけ、そして必ず「固茹で卵」とセットで食べます。

ポイントは茹で卵の黄身をほぐしてねちねちと混ぜながら食べること。コクが加わってししとうの辛味がマイルドになり、ミントのさわやかな風味とともに最高においしいです。(ああまた食べたい)

「コンムアン」とはかつてチェンマイを中心とする北部一帯を治めていたラーンナータイ王国時代からこの地に暮らしていた人々のこと。シャム(現在の王朝)に吸収されてからも、独自の食文化・風習を守っています。


2016/03/24(木)
★旅のスナップ:今年出会った「ラック・ムアン(市の柱)」














犁羔砲里甘地モノ爐醗銘嵒佞院⊃事とともに私の旅の最大の楽しみであり、コレクションを続けているのが新しい土地で出会う「ラック・ムアン」。昔、その町を形成する時にまず最初に町の中心と定めた場所にお堂と柱を建て、町や住民を災いから守る神聖な柱が「ラック・ムアン」です。今回は6カ所の町で、それぞれがその町に合ったステキな「ラック・ムアン」と出会うことができました。

●画像左…北部の町「パヤオ」の美しすぎるラックムアン
良い意味で裏切ってくれたのがパヤオのラックムアン。整備された広い公園の中心に堂々とそびえ立つ美しい「白亜のお堂」が見えた時は感動しました。ホワイト一色は珍しいです。パヤオは寺院もラーンナー風なのですが、チェンマイのようなコテコテな派手さではなくホワイトを基調としたお堂や門ですっきりとモダンな寺院が多かったです。

「柱」のあるお堂に入る4つの入り口は、パヤオのシンボルである「ナーガ(大蛇)」に守られています(ナーガもホワイト)。「柱」は金色の金属製。カラフルなリボンなどは巻かれておらずすらっと背の高いシンプルな柱です。代わりに「白いナーガ」の顔が見えなくなるくらいに入口の8体のナーガにリボンが巻かれていました。朝、夕とお参りをする市民の姿が見られました。

●画像右…遺跡の町「ガンペーンペッ」市民から愛され度100%のラックムアン
まさに町の中心部といえる「遺跡公園」の一等地にあるガンペーンペッのラックムアンは、平日にも関わらずお参りをする市民が絶えない、正統派の凛としたたたずまいのラックムアンでした。画像の参拝者のみなさんは「柱」に金箔をはりつけています。

ここのラックムアンの特筆すべき点は、すぐ目の前が町の幹線道路となっているのですが、ラックムアンの前を通る狒瓦討亮岫爐、敬意と祈りを込めて爛廛奪廖次!爐肇ラクションを派手に鳴らしていくことです。交通量が多いのでプップー!!パッパー!!プププーーー!!!と一日中クラクションが鳴りやまないにぎやかなラックムアンです。

さらに「ガンペーンペッ市は気合いが入っているな」と思ったのが、私のラックムアン探訪初の「ラックムアンのパンフレット(フルカラー)」が用意されていたことです。市民自慢のラックムアンなのでした。


2016/02/10(水)
★「おてら通信」は冬眠、そして私は旅へ…














私にくっついているのが大好きな、モコモコ濃密度な腹毛が自慢の飼い猫タビー(メス4歳)。日中は「ひざ掛けネコ」になったり就寝時には「湯たんぽネコ」になったりと毎日大活躍してくれています。寒いのが大の苦手な私にとって冬は爛優海里未もり爐身に染みてありがたいです。

そうそう爛撻奪鉢爐箸い┐仗掲早々びっくりしたことが。

横浜に暮らす妹家族が、家の中で爛侫ロウ爐鮖瑤せ呂瓩燭箸いΔ里任后(種類はアフリカなんちゃらミミズク)

そのフクロウはペット用に北欧からはるばる日本に輸入されたもので、値段を聞いて2度びっくり!(ペットショップで売っているネコやワンちゃんより高かった…)

フクロウって他の生き物にはない不思議な魅力にあふれています。「フクロウカフェ」が大人気になっていたり、かわいい表情やしぐさに癒されたりと爛侫ロウ人気爐高まっていることは知っていましたが、まさか妹家族が爛撻奪鉢爐妊侫ロウ(猛禽類です!)を飼うなんて。

エサは冷凍の丸ごとウズラ(鳥)。(冷凍庫がウズラだらけらしい)名前は「つくも」。家族みんなで協力して飼育しているそうです。これまで何匹もネコを飼ってきた妹たち。フクロウは20年以上も生きるので狡浩犬爐箸いΔ△燭蠅フクロウを飼う決め手となったとか。

しかしなあ、私の中では「フクロウ」といえば大自然の森の中で生きる野生の象徴で、西生寺境内の木に暮らし月夜の晩にごきげんに鳴きまくるあの爛曄璽朖爐鳩茲泙辰討い燭里如都会のど真ん中の家でペットとして飼われるフクロウは、ちょっとかわいそうな感じが…。(でも間近で見て見たいなあ)


さて、「動物保護センター」から爛織性爐任發蕕辰討た我が家の飼い猫タビーも、かかりつけの動物病院の「ペットホテル」に爛蹈鵐哀好謄き爐鬚垢覽╂瓩今年もやってまいりました。

そう、毎年恒例の「海外ひとり旅」です(最近はタイばっかり)。

しかし今年はちょっと状況が微妙でダメかと思っていました。

(じつはこれまで書いてきませんでしたが、数年前に長老も園子ママも仲良く倏知症爐魎気辰燭里徐々に進行し、現在は毎日「見守り」が必要なうえ、家事もほとんどすべて私がしています)

しかし住職の夫の牘宙スケールの驚異の懐の深さ爐砲茲蝓△覆鵑箸海譴泙任匹りに「ひとり旅」を決行することが可能となりました。

ということで「行ける!」と決まったら即航空券をゲット、遠慮のかけらもない30泊31日、ぴったり1ケ月間の「タイひとり旅」を決めました。(もちろん有給休暇です)

うれしいです。

ふらふらと外国を旅するのが大好きなバックパッカーの生き残り?の私。夫婦でもあっちこっちと旅行をしまくりましたが、残念ながら父母にお寺の留守を任せられなくなり「夫婦そろっての泊りがけの旅行」が全くダメになって丸2年がたちます。

もしかしたら冬のお寺がヒマな時期に、20代から毎年欠かさずにずっと続けてきた「ひとり旅」もいよいよダメになる時も近いのかもしれません。(ついに年貢の納め時か?)

そしたらどうしようかなあ。猯好淵靴亮分爐覆鵑胴佑┐蕕譴覆い韻譴鼻▲瀬瓩覆發里魯瀬瓩別だし、何か別の犧濛霄駝爐任發澆弔韻橡彳するしかないですね。


「その時はその時」ということにして今回は、行けることに感謝をしつつ寒い日本を離れ大好きなタイへ。

昨年はタイ東北部(イサーン地方)を周遊しましたが、今回は拠点のチェンマイよりバスやソンテオで移動を続け、タイ北部、北西部、ミャンマーの国境エリア、中部、ふたたび北部、最後にチェンマイと「外国人旅行者があまり立ち寄らないようなローカルなエリア」をぐるりと一周します。

マイペンライ(気にしない)気質でサバーイ(快適・気持ちいい)が一番大切な、根が明るいタイ人に囲まれ「心」をほぐし、タイマッサージで「体」をほぐし、現地ならではの「郷土料理」を食べ、地域色豊かな「お寺」をお参り、読書して、お散歩して、市場をぶらぶらして、夕日を眺めてビールを飲んで…

タイ人の日常の暮らしにおじゃまする感覚で地味に過ごしてきます。もちろん初めて訪れる町ではコレクションをしている「ラック・ムアン(市の柱)」との出会いも楽しみです。(昨年のランパーンのラックムアンには感動した)


「旅の計画」をワクワク心でふくらませつつも「1ヶ月も私不在で本当に大丈夫なのか?」って思いは確かにあります。が、ここは爐垢戮討鯢廚紡し狃个けることにしましょう。

ラッキーなことに、毎日の炊事はまったく問題のない夫です(日ごろから料理人)。適当な食材や生活用品は大量に買って目立つ所に置いておいたし「ゴミを出す日」や「両親用の薬の場所や方法」などもメモで残し、適当に「そうじ」も終えました。

一番心配な「見守り」に関しては、私の培ってきた犖守りのノウハウ燹陛椶蕕覆ぁ不安にさせない、いろいろな行動パターンに先手を打つなど20項目くらいある)をしっかりと夫に伝授して、ま、ぶっちゃけ、あとは「嫁子の私なんかがいなくても、親子3人水入らずで仲良くやっておくれ」って感じです(笑)。


お役御免、日常から解放された私は、最後かもしれない超自由気ままなひとり旅を、かけがえのない旅の時間を満喫してきたいと思います。

というわけで「おてら通信」は今年も3月末くらいまでしばらくのあいだお休みします。
いつもの「帰国報告」でお会いしましょう。

それでは行ってまいります。
バイバイ寺庭婦人、バイバイ阿刀家のみなさん、バイバイ日本。



●画像左…旅に出る私を見送る「こけし」たち
おとなりの福島県で温泉旅行中に出会った「こけし」を猯垢里みやげ爐貿磴辰燭里鬚っかけに、大切に集めつづけて20年以上、それぞれのこけしに思い出があります。全員に名前とプロフィールがついています。住職不在の冬、雪に閉ざされたお寺で静かな夜の私の話し相手。

この「こけしコレクション」を見た義妹夫婦(住職の妹)に「こけし熱」が飛び火、このあいだ、念願の「田舎暮らし」を実現させ(近いうちに「ガラス工房」を設立!)、都会から群馬県渋川の古民家に引っ越したばかりのふたりの新居に住職とおじゃましたら、いつの間にか爆発的に増えたたくさんのこけしたちが出迎えてくれてびっくりしました。

●画像右…何も知らない飼い猫「タビー」
ご飯は作れるくせに「ネコの面倒はみれない」という住職の夫の依頼により、4度目のロングステイとなるタビーの最新画像。「トイレ」と「カリカリ(エサ)」、そしてお気に入りの「ドーナツクッション」ひとつを持参して1ヶ月以上の滞在です。

あいかわらず笑っちゃうくらい荷物が少ないです。「あれもこれも」と同じ1ヶ月でも20キロくらいの荷物になる私とは大違いです(昔は10キロ未満で旅していたのだけどなあ…)。


2016/01/18(月)
★西生寺住職と吉田松陰の意外なつながり














ついに真冬到来。年末年始の暖冬がウソみたいに毎日しっかりと寒くそして雪が降り、ただいま西生寺は雪に包まれた白銀の世界です。少雪で待機が続いた除雪車も「待ってました」とばかりに頻繁に来てくれて広い駐車場まで丁寧に除雪してくれるので助かります。

「もしかしたら今季はこのまま狎兩礇璽蹲爐脳茲蠕擇譴襪もしれない」

なーんて甘い考えが片隅にあった私ですが、世の中そんなに甘くはありませんでした。

暖房なしのそれはそれは寒い台所にある「冷蔵庫」を開けると爐發錣鶚爐叛犬△燭燭い空気が漂う「逆転現象」が今季も出現、

「やっぱり冬はこうでなくっちゃ。うれしいなあ、台所中に食べ物置き放題だよ!」
「茹で卵なんか3-4日放置しておいたって腐んないし、塩引きなんて10日いけるんじゃない?」


住職不在のなか、雪道運転ができない私は(雪国に暮らしているのに致命的すぎ)積雪のため足を奪われてしまい全くどこにも行けなくなりました。もうかれこれ1月5日からお寺の敷地外へは牋貶發皚狃个討い泙擦鵝

冷凍冷蔵でストックしてある食材で食いつなぐ日々。村の商店の店主が週に2度、山まで行商にきてくれるのですが、今日は狄形な生イワシ爐鮗蠅貌れて感動しまくりでした。

1匹130円の生イワシがノドグロみたいな特別な魚に思え、久しぶりの冷凍じゃない生魚による犂饑廚留焼き爐鯲泙砲爐擦覆らいただきました…。

ま、元気出していきましょ。


そんな冬眠状態の私がおくる今回の「おてら通信」は、前回猴醜隲爐靴燭箸り、西生寺檀家総代さん力作の「西生寺かわら版」より『西生寺住職と吉田松陰の意外なつながり』を紹介したいと思います。

その前にちょっとこの時代の背景と爐いさつ爐鮠しだけお話しましょう。

現在の燕市粟生津(あおうず)地区、当時の粟生津(あおうず)村には江戸末期の1833年〜明治末期の1912年までの80年間、長州の「松下村塾」のような私塾「長善館」があったことで有名です。そこでは3代4人の先生が延べ1000人を超える門人の指導に当たり、多くの逸材を輩出しました。

燕市粟生津地区では、この「長善館」の学びの精神を継承しようと「長善館保存会」を発足させ、地域の小学生たちに長善館の歴史を伝える活動(講義体験・学習発表会など)をしていますが、この保存会の会長を西生寺檀家総代さんは務めておられます。

そんな活動の中でいろいろと関係書籍を調べているうちに、総代さんは「この話」を知ることとなったのだそうです。私たち西生寺の家族も初めて知る話でした。

最後まで読むと「嗚呼残念!なんで?なんで?」と思うこと間違いなしです。

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☆★『西生寺住職と吉田松陰の意外なつながり』★☆

昨年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」で脚光を浴びた松下村塾を主宰した吉田松陰。その吉田松陰と私たちの菩提寺である西生寺のかつての住職とつながりがありました。私もそれを最近知りましたので、檀家の皆様に紹介してみます。

かつて明治36年から昭和15年までの37年間も粟生津村の村長を務めていた和田悌四郎が、村の孝子や偉人を集めた著『粟生津村先哲溥(せんてつでん)』の中に、「佐登(さと)の花」という話があります。「郷の花」を意味する逸話で、次のような内容です。

粟生津上組に渋木惣右衛門家の次男で、文政元年(1818)に野積村にある西生寺の住職になった「宥善僧都(ゆうぜんそうず)」という人がいました。

同じ渋木家の宥善の甥であった「宥長」が寺に弟子入りしますが、13、4歳のとき宥善が亡くなります。その時、宥長が西生寺住職を継ぐには年少過ぎたため、十数年ほど京都智積院などで修行を積みます。帰郷して、西生寺に居住します。

その間、西生寺住職であった「良長」が老死すると、「良英」という僧が西生寺住職になろうと画策します。しかし宥長の正当性が認められ、良英が首を吊るという事件が起きます。

すると良英の弟子が「宥長らが良英を殺し、住職を横領した」と訴え出たことから、西生寺住職となっていた宥長は捕らえられ、江戸へ護送され投獄されるのです。

そこで、宥長の弟である渋木音蔵が、兄の無実の罪を拭おうと妻子を残して単身上京します。音蔵は粟生津村出身の米屋重兵衛方などで昼夜を問わずに働いてわずかな賃金を国元に送ったり、獄中の兄の飲食衣服を差し入れたりしました。

一方では、幕府や水戸藩に訴状を持って願い出るなどして裁判のやり直しを許してもらい、4年後にようやく兄の出獄を果たしたそうです。
村に戻った音蔵は家を興し、常に自らを節して人のため社会のために尽力しました。その音蔵の志は「わが郷の花」として称されたのです。

ところで江戸伝馬町の「牢獄」には、吉田松陰や佐久間象山といった牋太の大獄の囚人爐収容されていました。その猩缶昭膈爐「宥長(西生寺住職)」だったのです。

宥長は牢獄にある際、常に「忠孝仁義の大道」を説き、だれかれの区別なく親切に面倒を見たことから、囚人たちは宥長を畏敬していました。そのため、宥長が出獄する時に、吉田松陰と佐久間象山の二人は世話になった宥長に感謝を込めた「送別の詩(手紙)」を贈ったのです。

その中で松陰は宥長に対して「嘯虎上人(しょうこしょうにん)」と尊敬を込めた呼びかけをしています。

その「吉田松陰直筆の詩」は、軸装され、西生寺ではなくなぜか「弥彦神社」の宝物殿に保管されているそうです。現在展示はされておらず、残念ながら見せてもらうことはできませんでした。
以上

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投獄された西生寺の住職が牢名主だったとは…。

「牢名主」って牢獄の中の古参のボスで、子分の囚人を従え、囚人たちの爐爐靴蹲爐鬚き集めて独り占めし「高い場所(むしろ山)」にどしんと座って威張っているというイメージがありましたが(笑)、リアルな牢名主は囚人から慕われ人望が厚い人がなるなんて私は知りませんでした…。

私の浅い知識はともかくとして、かつての西生寺住職が「牢名主」として、投獄されていた「吉田松陰」や「佐久間象山」らと接点があったということには驚きです。しかも高い志を持ったインテリな人々からも尊敬されていたなんてちょっと誇らしい気もします。

それにしても残念なのは「吉田松陰直筆の送別の詩(手紙)」が我が西生寺にないこと。

「年始会」の時に総代さんと『なぜ西生寺住職に贈った吉田松陰の直筆の詩が、西生寺ではなく弥彦神社にあるのか問題 』を話し合いました。

思い当たることといえば、明治になり新政府により行われた「寺社領没収」や「廃仏棄釈」で、西生寺は狢限海隆躓´爐鮠茲蟇曚┐燭發里劉爐瓩辰舛禀亘貝爐砲覆辰討靴泙辰燭燭瓠⊆蟷罎鯒笋辰燭里任呂覆い?とかそういうことです。

総代:「どういう経緯かは知る由もないが、西生寺にあってこそ価値のあるものだ」
住職:「展示されていないのなら、西生寺に貸し出して欲しい」
住職夫人(私):「いっそのこと くれればいいのにネ」

いろいろ不満が噴出しましたが、結論としては、

「せめて関係者である西生寺には一度犲楕爐鮓せて欲しい」

でした。

ということでこの懸案につきましては犧Gの西生寺の目標のひとつ爐箸靴燭い隼廚い泙后



●画像左…「長善館の講義体験と学習発表会」の様子
当時の私塾「長善館」での講義さながらに牘織袴姿爐如地元の粟生津小学校3年生の子供たちを前に熱弁をふるっている人物こそ、西生寺檀家総代さんの今井文幸さんです。

●画像右…「西生寺冬景色」
空が低く重く垂れこめた感じ。日本海側「冬型気候」特有の空です。この空の色を表現するとき「鉛色(なまりいろ)」とか、「鈍色(にびいろ)」、「冬の朱鷺色(ときいろ)」なんていうステキな言い方もあります。

「冬の朱鷺色」というのはニイガタ特有の言い方かもしれません。佐渡に生息している新潟県の鳥「朱鷺」が、冬のこの時期になると「繁殖期」を迎え牘毛爐この空の色そっくりのモダンなグレーに変色するからです。(体内で作られる墨みたいな物質を自分のくちばしで毛づくろいしながら自身で羽毛をグレーに染め上げる)

この画像、これでも一応狎欧譴騰爐い泙后K萋こんな空の下で暮らしていると、冬の晴天率の高い関東から来た私には耐えられない牘気くささ爐任垢、県外に住んだ経験のある新潟の人は「落ち着く…」とか言う人も多いです。苦手を克服するため 私は「鉛色じゃないよ、美しい朱鷺色だよ」と念じながら過ごしています。


2016/01/04(月)
★謹賀新年!「ご存じですか 西生寺クイズ」

















皆さま、新年明けましておめでとうございます。
本年も西生寺と「おてら通信」をどうぞよろしくお願いいたします。


1月3日、西生寺の檀家さんたちが集合する今年の「年始会」でとてもうれしい事がありました。

それは日頃から「西生寺HP」や「おてら通信」を愛読している?檀家総代さんが(昨年初めてその事を知りビビりました)、集まった檀家の皆さんに自身手作りの『かわら版−西生寺−』みたいのを、配ってくださったのです。

菩提寺サイドから「○○寺便り」みたいのを発行している寺院は多いですが、こうして檀家さんサイドから「○○寺便り」を作ってくださるなんて、感激です。


新潟県内で長年、小学校の教師や校長先生を務められた総代さん。子供たち想いのやさしい先生だった総代さんの家には「先生」を慕って訪ねてくる狢膺佑砲覆辰振気┿劼燭銑爐たくさんいます。

西生寺檀家総代だった父親のあとを継いで総代となって3年あまり。

「菩提寺と檀家さんの交流やつながりをもっと向上させるにはどうしたらよいか」
「高齢のため年々参拝者が減ってゆく弘智講などのお寺の行事に、若い人に参加してもらうにはどうすればよいか」

などなど、お会いするたびにおっしゃっていました。


その想いをひとつの形にしたのがこの『かわら版−西生寺−(仮題)』だったのです。

・檀家さんにもっと菩提寺に関心をもって欲しいという思い
・せっかく「HP」があるのだから、檀家さんにも見て欲しいという思い
・そして大般若や弘智講などの年間行事にご近所を誘って積極的に参加してほしいという思い

こんな願いを込めて作ったそうです。

内容は、

◎西生寺の年間行事
◎「答えはHPを見れば分かります!『ご存じですか?西生寺クイズ』」
◎スクープ!『西生寺住職と吉田松陰の意外なつながり』

など。

さすが元先生だけあり猖槊糧揮爐箸いΔ戮、分かりやすく面白く読みごたえのある紙面と内容で感服です。

『西生寺クイズ』は隅々まで「HP」を読まないと作れないような質問で「しっかりと私の作ったHPを見てくれたのだ」とうれしくなります。

読んでびっくりの総代さん力作『西生寺住職と吉田松陰の意外なつながり』は次回のおてら通信で紹介したいと思います。

というわけで今回、新年最初の「おてら通信」は、総代さんの猜酊鷸愛爐燭辰廚蠅痢悗澗犬犬任垢?西生寺クイズ』を爐修里泙浚櫃瓦鉢狆匆陲気擦討い燭世ます。

みなさんもぜひ挑戦してみてください。誰でもすぐに狎樟源ツウ爐砲覆譴襪海抜岼磴い覆靴任后(もちろん狎樟源愛のかたまり爐之狙されている私も、住職も当然「全問正解」でした)



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☆★『ご存じですか 西生寺クイズ』★☆

※インターネットで「西生寺」を開いてください。すると「おてら通信」や「西生寺の紹介」などのホームページが出てきます。それを見れば正解がわかります、ご覧ください。

【第1問】
弘智さまが3000日に及ぶ厳しい木喰行をされ、座禅を組んだままの御姿で入定されたのは、今から652年前です。それは何時代だったでしょう?

【第2問】
「岩坂の主(あるじ)は誰ぞと 人問わば 墨絵に書きし松風の音」
これは、弘智さまの辞世の句ですが、どんなことを詠っているのでしょう?

【第3問】
弘智さまがお祀りされている「弘智堂」には、どんな彫刻が施されているでしょう?

【第4問】
西生寺のご本尊「阿弥陀如来仏」は秘仏とされ、阿弥陀堂の厨子の中に収められています。12年に一度御開帳されますが、何の干支に行われるのでしょう?ちなみに、次回は2020年です。

【第5問】
良寛さまが西生寺に半年ほど「仮住まい」をしましたが、それは何歳の時だったでしょう?ちなみに良寛さまは74歳で亡くなりました。


≪クイズ回答≫
【第1問の答え】:鎌倉時代
→弘智さまが御入定されたのは、1363年10月2日です。この10月2日に毎年「弘智講」が行われます。
【第2問の答え】:「諸行無常」でしょうか
岩坂は御入定の地名。墨絵の松は見えても、風の音は見ることができない。あるようで、ない。ないようで、ある。いるようで、いない。いないようで、いる。すべてのものは移り変わり、常に同じ状態のものはないという意味か。
【第3問の答え】:「鳳凰(ほうおう)」と「龍」(画像右です)
【第4問の答え】:子(ねずみ)の年
【第5問の答え】:46歳
→良寛さまは40歳で五合庵に入って以来、足掛け20年ほどを過ごしました。その五合庵の生活の中で、45歳から2年間ほど五合庵を出て、近隣のお寺を転々と仮住まいします。
→理由は、五合庵が当時の国上寺歴代住職の隠居所として使われたからです。良寛さまは、寺泊の「照明寺」や分水の「本覚院」などを転々とする中、西生寺で仮住まいしたのは享和3年(1803年)の46歳の時でした。
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●画像左…今年の干支「申」の切り絵
毎年いただいている、総代さんが作った「干支シリーズ」の切り絵です。いつもニコニコされている総代さんの人柄がにじみ出た癒し系のおさるさんです。そういえば園子ママの干支は申、今年「年女」です。なんと7度目!12×7=84歳!

●画像右…二年参りでライトアップされた「弘智堂」
一年に一度だけ狷麈参り爐帽腓錣擦胴庵劼気泙里堂をライトアップします。街灯もなく闇に包まれた静寂の山内に、お堂に施された彫刻(龍・鳳凰)がぼわーっと浮かびあがりとても幻想的。

躍動感あふれる龍や鳳凰が今にも動き出しそうなほどの妖しさに包まれた夜の弘智堂は「即身仏」がお祀りされているお堂にぴったり?の雰囲気でした。(ぴったりすぎてビギナーの人にはコワすぎるかも(笑)…)


2015/12/27(日)
★ゆく年くる年…














弘智法印即身仏さまがお祀りされている「弘智堂」の大掃除の時に、番号がついた小さな牋出し爐たくさんある「タンス」があることに気付きました。住職に「何コレ?」と聞いたらなんと「明治時代のおみくじの棚」とのこと。

試しに引出しのひとつを開けてみると、中には黄ばんだ「おみくじの紙」がたくさん入っていました。一枚を引くと犇Л爐任靴拭幣弌法J絃呂論里瞭本語で意味があまりわかりませんでしたが「こんな古いモノがなにげに置いてある弘智堂ってすごい」とあらためて思いました。

「お寺の大掃除」はそういう点ではかなり面白いです。価値があるなし関係なく、手をつけたことのなかった場所に少しスポットをあてるだけで、かなりの年代モノが長い年月の間そのまま置かれていて、ただただあきれるばかりです。


話は変わりますが、新潟の正月料理の必須アイテムである住職手作りの「塩引き鮭」が完成しました。

ただし、熟成されたおいしい「塩引き」になるための大切な最終工程犂風干し爐里燭瓩妨下に吊るされた「3匹の鮭」にとって、今年ほど受難の年もなかったのではないでしょうか。

10日間ちょっと「塩漬け」をしたあと、ぽかぽか陽気の中で「干し」がはじまって4日目の朝、あまりの陽気にハエがたかりはじめ「女鮭」が耐えられなくなり早々にリタイア。

メインの「男鮭2匹」は急きょ犇爐砲靴仁簑庫に犇杁淅鯑餃爐垢襪海硲各間、待ちに待った「冬型到来」で再び外に吊るしてみたものの、

犂海鍬犢膩廝憩目の朝、ぽかぽか陽気が復活、表面の皮がパリパリつやつやに光り始めた男鮭たちが「もうダメ、腐っちゃうよおおおお」という悲鳴を上げはじめ、寒風干しの工程半分ほどでついに今季は鮭を干す事を断念し「完成宣言」となりました。


断念した原因は一にも二にも牋枉錣覆曚匹涼氾澂爐任后

寒風低温熟成がウリなのに、毎日続く生ぬるいようなまったりとした気候に「熟成」とは違う匂いが女鮭からし始めてまさかのハエが出現、卵を産みつけそうになったのです。

幸い今年はいつもよりも塩をしっかりめに長く漬けたので猊紊覘爐箸い最悪の事態は免れましたが「塩引き作り」でこんなに暖冬に泣いた年も初めてです。


今年は世界的規模で暖かい12月のようです。これが地球温暖化によるものなのか、たまたまエルニーニョ現象によるものなのかはわかりませんが、もし地球温暖化がこのままのスピードで進んでいくと、西暦2050年には「日本の紅葉の見頃はクリスマス」なんてことになるらしいと、テレビで言っていました。


さて、気になる今季の「塩引き鮭」の出来はいかに?

「鮭の解体作業」はプラスチックみたいにカチカチに乾いた固い皮に包丁をあて、一匹切るのに有に40分はかかる大仕事です。しかも今季の「塩引き鮭」はなぜか身がすごいねっとりとしていて包丁がもつれて上手に切れません。

なんとか3枚におろし「年取り魚」と決めている鮭のほうを大晦日用に牴実稔爐澆燭い癖厚い切り身にカット。頭とガラは野積地区の郷土料理「しおから汁」に、はじっこの身は新潟のお雑煮「こうとう汁」用にてきぱきと分けて終了しました。


阿刀家だけでなく新潟の人は鮭が大好き。日本酒とともに鮭の消費量は不動の狷本一爐任后

鮭の本場、村上市で恒例の「塩引き即売会」では、用意した1000本の塩引きがたった10分で完売したそうです。「塩引き鮭コンテスト」もあります。

なんでこんなにみんな「塩引き」が好きなのだろう。

それはきっといっしょに食べる「お米がおいしいから」という理由と、「しょっぱいもの好き」という理由と、縄文時代からこの辺りでは鮭を食べ続けてきたのでDNAに「鮭好き」が組み込まれているからかもしれません。


最後にざっと今年一年を振り返りますと、今年は図書館に行くことも忘れてしまっていたくらいに身辺が激変した一年でした。

私担当のやる事(家事・寺仕事)がどかーんと増えて大変な面もあったけれど、40代の体力はなかなか捨てたものではないと知りました。それに負担が増えた分「生きてるって感じがする」と何度も思えるような年でした。

「やるべき仕事もちゃんとやって、やりたい事もしっかりやる」という私のモットーを実践できたという意味では、かなり地味な一年だったけど充実した記念すべき一年だったと思います。


ああ、早く食べたいな「塩引き鮭」。

お堂やその他の大掃除と年始の準備がMAXの中で今年も迎える大晦日。大晦日の晩には家族そろって正月料理と年取り魚の塩引きを食べて年を取り、年々つまらなくなると酷評の「紅白歌合戦」を見て、清らかな気持ちで新年を迎えたいと思います。

それにしても大晦日と元旦って不思議な日ですね。

日々繰り返される爐い弔發匹りの今日から明日へ爐里呂困覆里法△海瞭ばかりは何もかもぜんぜん違います。犧G最後の日爐ら狄掲最初の日爐棒擇蠡悗錣詁段未複夏間をみなさんはどう過ごされますでしょうか。

今年も一年間「おてら通信」を読んでくださりありがとうございました。(感謝!)

それでは、良いお年をお迎えくださいませ。



●画像左…軒下に吊るされた3匹の塩鮭
手前より「年取り魚」に選ばれた男鮭(8キロ強)、男鮭(8キロ)、奥が女鮭。

●画像右…完成した「塩引き鮭」
熟成され飴色になった身がおいしそう。生で食べるよりも数段旨味が増すうえに「保存食」にもなる牘爐辰動梁隋


2015/12/12(土)
★忙中閑あり














昨年は12月6日に降り始めた狃蘋祗爐40センチも積もる狢臉祗爐箸覆蠅泙靴拭今ふりかえると、そのあと春まで西生寺はドカ雪に見舞われることはなく、この時の初雪がこの年の冬一番の大雪でした。

一年後の今年は12月も中旬だというのにちっとも狃蘋祗爐降る気配はなく、大荒れの日に爐△覆譟覆劼腓Α豊爐いっとき地面を白くした程度で、例年よりも暖かい日が続いている新潟です。

師走とは思えない気持ちの良い晴れ日に2日間、地元の野積地区のシルバーさんを6人頼み、境内に落ちあげた落ち葉を全てきれいにとりあげて処分するという狒躬転紊沖爐鬚靴討發蕕い泙靴拭

ケヤキの葉、杉っ葉、イチョウの葉など、ふだん私と住職と二人で掃いて集めていろんな箇所に山にしておいたヤツや、斜面や溝にたまったままの落ち葉を、6人のチームで落ち葉の痕跡も残らないほどのスゴ技で爐れいさっぱり犲 垢箸箸蠅△欧討罎ベテランのシルバーさんたち。

境内、駐車場、天翔園(永代供養墓)、中庭、参道と落ち葉が一掃されて見違えるようになりました。ゴーゴーと物凄い音をたてて大風が吹き荒れた後の、目も当てられないほどに狠秧Гたっ葉の絨毯爐箸覆辰討靴泙辰振内を知っている我々だからこそ、きれいになった境内は本当に気持ちがよいものです。

これでいつ狃蘋祗爐降っても大丈夫です。


夏の草取り、行事の時のお勝手さん、そして今回の落ち葉処分と西生寺では節目節目に「シルバー人材センター」に依頼して、毎回ほぼ同じメンバーで仕事をしてもらっています。

同じ人なので慣れているという利点もありますが、外のお仕事は猝鄒僂凌佑任△覘爐箸いΔ海箸最大のポイントです。不慣れな都会の人に比べて野積の人は外仕事(畑や野良仕事)に長けているので、要領が良く、動きにムダがなく、本当に驚くくらい完璧に草を取ったり落ち葉を掃いたりしてくれて大助かりです。


西生寺では、というより他の多くのお寺さんでもやはり「行事の前に草取りをシルバーさんにお願いしてやってもらっている。シルバーさんがいないと困る」という声が聞かれます。

さまざまな分野の専門的な仕事もシルバーさんに頼めるようです。そういえばシルバーさんの仕事で季節柄、いまの時期に活躍するのが倏賀状の宛名書き爐任垢諭


季節柄といえば、先日いつもの寺庭の仲間が集まって「忘年会」をしました。

いつものメンバーでいつもの地元レストラン。夏の「お盆おつかれ会」いらいの集合です。同じ寺庭婦人同士だからとっても気楽。女性6人でおしゃべりが尽きることはなく、食べて飲んであっという間の3時間でした。

「忙しい年末年始をお互いがんばって乗り切ろうね!」

と最後に気合いを入れ合って、それぞれが自分のお寺に帰って行きました。


この「会」はかれこれ24年も続いています。最初は西生寺にお嫁に来たばかりの私と私を誘ってくれた寺泊のお寺のお嫁さんと2人でスタートしました(「若奥会」と命名)。今では20代〜60代まで年齢も幅広く、8人までメンバーが増えてにぎやかな(+華やかな)会になりました。

猊住職のお嫁さん爐箸いΓ横安紊瞭鷽佑始めた「若奥会」ですが、20数年という時の流れは相応の変化もありました。二人とも今では住職の妻となりちっとも犲磴けさん爐犬磴覆なってしまったけれど、とりあえず「若奥会」で通しています(笑)。

お寺に住み、お坊さんの夫を持つ寺庭婦人という立場は同じでも、当然ながらそれぞれの暮らしぶりや境遇はさまざま。

出産を終えて子育て奮闘中の寺庭、子供の受験を控えて塾の送り迎えに毎日忙しい寺庭、息子さんが本山の修行を終えて副住職となり結婚してお嫁さんを迎えた寺庭、孫ができておばあちゃんになった寺庭、高齢の親の介護が始まった寺庭、親を看取った寺庭などなど。

みんなプライベートをがんばりつつ、同時にお寺の裏方としての寺庭の仕事もがんばっています。


というわけで、別れ際にみんなで気合いを入れた「恐怖の年末&年始の準備」がいよいよ始まりました。

西生寺では、以下のような仕事が波状攻撃のように次から次と我々夫婦を待ち受けています。(ちなみに高齢の長老&園子ママは我々がどんなに忙しそうにしていても一切何もしません(笑)。)

・「年賀状」や「年始会の案内状」出し
・「お堂や庫裡の大そうじ」
・年賀のあいさつで村に配る「お供物」の梱包(数百個)
・元日に加持祈祷をする「2016年の一年分のお札」作り
・「神棚のそうじ」と「神棚のお飾り」作り
・「正月用の大量の買い出し」
・正月の松やしめ縄を諸堂につけたり
・数十個の「おけそく(お供えもち)」配り
・1月3日に檀家さんが集まる「年始会」の会場や食事の準備(60人分のっぺやなます)

などです。

世間がクリスマス気分いっぱいに盛り上がるなかで、お寺は新年を迎えるための準備に明け暮れるのです。でも今年は久しぶりに丸くて大きなクリスマスケーキでも買おうかなと思っています。


『忙中閑あり』(ぼうちゅうかんあり)


これ、今は隠居してすっかり『閑中閑あり?』となったけど、かつて現役バリバリだった頃の長老(お父さん)の口ぐせでした。

「君たち 忙中閑ありだ。よし!コーヒー飲んで美味いモノ食べて一休みするぞ!ア・カップオブコーヒーだよ、あっはっは」

お寺の先頭に立つようになって私はますますこの言葉が好きになりました。




●画像左右…地元レストラン「バナナウィンズ」にて「忘年会」の様子
わが会伝統の注文方法は爛轡Д佞里まかせ燹5╂瓩凌裕つ衄嵶鼠と新規創作料理を少しずつ幾皿も出してくれるのでいつも楽しみです。しかも定番以外は20年以上通い続けているにもかかわらず狷韻故鼠爐出ることはありません。手作りパンをはじめ、何でもおいしいのですが、今回は特に犧のコンフィ(低温オイル煮)爐新鮮な印象を持ちました。


2015/11/29(日)
★「塩引き作り」スタート














雨が降ったり晴れたりとめまぐるしく変わる本格的な冬型にみまわれた日、めずらしく日本人の知り合いの付添いがない外国人旅行者のファミリーが来山しました。

常夏のオーストラリアから日本観光に来たという、やんちゃな男の子と天使みたいなかわいい妹とオシャレなパパとママ。京都でレンタカー(プリウス)を借りていろいろと回っているそうです。

即身仏の拝観でお堂の中を住職が案内している最中に、その女の子が「賽銭箱」に手をつっこんだまま手が抜けなくなってしまうというハプニングがありました。男の子は「お不動さまの池」にいる鯉(コイ)に興奮していました。

夏には西生寺初の「中国人観光客の団参」もあったし、先日はネパール人のグループが参拝に訪れ、こんな田舎の山寺にも外国人旅行者の姿がちらほらと見られるようになりました。

それにしてもごくごくたまーに前ぶれもなしに突然やって来る外国人旅行者に対し、手作りの「英語パンフレット」はあるけれど、自分の爐箸辰気留儻賣廊爐里△泙蠅里劼匹気砲肋个辰討瓦泙すしかありません。


さて、日本海での「鮭漁」も終盤を迎えている先日、新年を迎えるための大切な「年取り魚」となる、大きな大きな「銀鮭」が西生寺に到着しました。

カナ(オス)2匹とメナ(メス)1匹の合計3匹です。

阿刀家では毎年、住職の友人の村の網元漁師さん(「招福丸」船長)が目の前の日本海で獲った鮭で「塩引き」を作ります。たくさん獲れる鮭の中から網元さんが「これだ!」という鮭を持って来てくれます。

北海道の鮭漁は不漁とのことですが、寺泊で鮭漁を行うたった一隻の「招福丸」の鮭漁は連日大漁が続き寺泊港もわいたそうです。

とくに西生寺に鮭を持ってくる前日の鮭漁が「招福丸」始まって以来の超大漁だったそうで(網元の息子で漁師となったイケメン息子くんいわく「大漁を通り越して爆漁!」)、

一度の漁で2000匹の鮭が揚がり、箱にも入りきれず甲板にあふれる鮭の重さで船が沈みそうになりながら寺泊港に戻ってきたそうです。

そんな景気の良い話にあやかりつつ、さっそく住職の夫は「塩引き作り」のため、「家にある4キロの塩で足りるかなあ」とぶつぶつ言いながら台所に消えてゆきました。

(鮭を洗い、内臓を取り出してきれいにした後、大量の塩をまんべんなく牋くように犧にすりつけていくので牘引き爐噺世い泙后

大漁といえば高級ブランド「佐渡ブリ」も大漁のようです。

ふだんはほとんど全部「築地」へ行ってしまい、新潟県民の口にはなかなか入らないのですが(このパターン多い)、今年は珍しくスーパーにもおいしそうな「佐渡産ブリの大きな切り身」が並び、我々庶民もおいしい「佐渡ブリ」を堪能することができてうれしい年でした。


「招福丸」とロゴの入った軽トラで「鮭」を運んで来たイケメン息子くんと私、荷台に積んだ鮭を見ながら缶コーヒーを飲み「鮭の血はすごい量だ」とか「鮭の心臓は珍味だ」とかいろいろおしゃべりをしました。

私が鮭のウロコに喰いついたカブトガニみたいな形をした寄生虫を、プチプチと楽しそうにむしり取っている姿を見た息子くんは、

「そういうわけのわからないモノ好きですか?オレは苦手かな。そういえば今年は珍しい生き物が続々と定置網にかかってね。アザラシ、イルカ、クジラ… 網からはずすのが一苦労だった」と語ってくれました。

網の損傷は漁師さんにとっては一番の痛手。ちなみに定置網にかかったクジラは食用に卸してもOKなのだそうです。


「なるべく血は見たくないから魚をさばくのはちょっとね…」

とはにかむ現代っ子のイケメン息子くん。母親の後ろにかくれて私と目も合わせてくれなかった子供時代や無口な思春期など、幼い頃から彼を知っている私は、こんなふうに爐気鍬爐任しゃべりができる事が本当にうれしく、思わず目を細めてしまうのでした。



●画像左…朝獲れたばかりの「銀鮭」
「寺泊港 招福丸」と書かれたビニールシートがかかった状態で届きました。上の箱が「メス」、下の箱からはみだしている大きな2匹が「オス」です。鮭はオスとメスで犂蕕弔爐まったく違うので見分けが簡単でいいです。

「塩漬け状態」で米袋に巻かれた鮭は、水分が出るので何度も巻きなおしながら1週間置きます。次に「塩抜き」、そして最後は軒先にぶら下げて「寒風干し」。寒風で干すことでいっきに熟成がすすみ旨味が増します。

●画像右…我が家定番「いくらパン」
「塩引き」は断然オスが美味しいのに、あえて必ずメスを一匹注文するのはこの「いくら」のためです。自家製「味付けいくら」が完成すると「いくら丼」の他にも、西生寺オリジナルの「いくらパン」を作ります。薄いトーストにバターを塗って切ってからいくらを乗せるだけ。

爛シャレな食卓爐箸呂泙辰燭無縁な阿刀家の食卓ですが、このいくらパンの時だけはちょっとだけオシャレな雰囲気になります。高齢になり食事が狡曲歇蘚爐箸覆辰董屬竿咫頁鯤董砲箸かず」という組み合わせ以外は食べなくなってしまった長老と園子ママも、このいくらパンはむしゃむしゃ食べます。


2015/11/18(水)
★紅葉 有終の美「樹齢800年大銀杏」














スカイラインを下ったところの地元、野積地区の村中より西生寺のある「弥彦山」を見た時に、茶色い山全体のある一部分だけがはっきりと犂櫃黄色くなっているスポット爐鮓つけました。(→画像左)

「一カ所だけものすごい黄葉だなあ」

と思った直後、すぐにそれが犢庵卞価阿砲△觴齢800年の大銀杏である爐肇團鵑箸ました。

こんな離れた村中からでも「西生寺の大銀杏」がランドマーク的に望めるのだということを初めて知り、愛しさと感動に包まれました。きっと数百年ものあいだ、秋の黄葉の時期だけに現れる猜僂錣蕕棉景爐世辰燭砲舛いありません。

野積の村人たちも代々、晩秋になると弥彦山に現れる黄色い丸狎樟源大イチョウの黄葉爐法大銀杏の後ろの弘智堂に端座する「弘智法印即身仏」さまの姿を重ねて手を合わせたのかもしれません。


「お寺のお堂の前にイチョウの木あり」と昔から言われていますが、西生寺でもそのとおりです。

「弘智堂」の前には樹齢800年の大イチョウが植えられていますし、本堂「阿弥陀堂」の前にもまっすぐに伸びた背の高い大きなイチョウの木が植えられています。

イチョウの葉は湿り気が強く燃えにくいとされ、イチョウを盾(たて)にして「木造のお堂」へのもらい火や移り火を防ぐ「防火対策」として、昔の人はお堂を建てたらセットでイチョウを植えるようにしていたみたいです。

昔の人が防火に植えた一本の小さなイチョウの苗木がいま、大きなイチョウの木となり、ご本尊阿弥陀如来さまがおられる「本堂」と、弘智法印即身仏さまがおられる「弘智堂」の、2つのお堂を静かに見守っています。



●画像左…村からも望める「樹齢800年の大銀杏」
画面中央の弥彦山山中に見える牴色い丸爐大銀杏です。今まで全然気が付きませんでした。この弘智堂前の大銀杏は、親鸞聖人が西生寺をお参りに来た時に、別れを惜しむ村人のために、自分の「杖(つえ)」を地面に刺したものが根付き、大イチョウに成長したという爐い錣讚爐あります。


●画像右…「弘智堂」より撮った目の前の「樹齢800年の大銀杏」
樹齢800年という、人間の寿命を何倍も超えて今なおたくましく生き続けている大銀杏の太い幹の前に立つと、
「数百年間も生き続ける大木に比べると人間の寿命なんぞは短命で、自分の一生なんて果かないものだな…」とか、
「果かない一生のうち自分はもう45年も生きちゃって、残りの人生犧が一番爐塙佑┐董∨萋悔いのないように生きないともったいないな」
なんて気持ちにさせてくれました。


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