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2016/07/17(日)
★「大般若法要・先祖水子施餓鬼総回向」の御礼














7月15日に行われました、西生寺の大切な年中行事のひとつである「大般若祈祷会(大般若転読会)」と「施餓鬼会(先祖水子総回向法要)(水子合同供養祭)」がおかげさまで無事に終わりました。

平日にもかかわらず大勢の方からお参りをいただきまして本当にありがとうございました。
厚く御礼を申し上げます。

前日の夜から一晩中どしゃぶりの大雨で「今年の大般若は最悪だ…」と思っていたら、朝6時すぎにぱったりと雨は止み、雨上がりの境内を涼しいさわやかな風が吹き抜ける最高の「法要日和」となりました。


今年は昔からの伝統である、午前中に来てのんびり過ごし、昼食を食べて法話を聞く「一日お寺でだっくら組」の、檀信徒の方々のお参りが予想以上に多く、準備していた昼食のお弁当も足りないほどで、ちょっとあせったけれどうれしい限りでした。


そして特筆すべきは「西生寺の年中行事に参加するのは初めて」という村の若い奥さまたち5人が「お寺デビューでーす!!」と、午前にそろってお参りに来てくださり、法要に花を添えてくれたことです。

「お寺参りはおばあちゃんの務め」というわけではないですが、年配の方のお参りが多いのが昨今の爐寺の年中行事(法要)爐箸盡世┐泙后

ただ近年「足が悪くて歩かれなくて参詣できない」「入院したから行けない」などなど狢猟瓦鯤してお寺参りができなくなった爐箸いη配の方が年々増えてきており、

「どんどん一日だっくら組が減っちゃって、このまま誰も来なくなったらどうしよう」

「お寺参りも高齢の代から次の世代に上手に交代が進み、今後もお寺を参詣してもらえるようにするにはどうしたら良いのかなあ」

と考えていた矢先のタイミングでこうして「初めて西生寺の行事に参加する」という次世代の方が、たがいに声を掛け合って来てくださったというのは、

「忙しい日々の中でも、ちゃんとお寺のことも気にかけてくれていたのですね」
「お山(お寺)を忘れないでいてくれてありがとう」

という心境で、涙が出るくらいありがたいし、とってもうれしかったです。
本当にありがとうございました。


また檀信徒を中心とした昼食を共にする「一日だっくら組」とは別の、午後2時から始まる「大般若祈祷会」や午後2時30分からの「先祖・水子総回向法要(水子合同供養祭)」に狡樟椶参り爐鬚気譴訖綮劼気浚愀犬痢峺畍總函廚亮磴なの参拝も多く、

時代に合った新しい「お寺参り」ともいえる「午後組」は少しずつ定着しているようで、こちらもうれしいです。


というわけで、昔からの檀信徒の皆さん、若い方、カップル、ご夫婦、赤ちゃんも一緒の家族連れの皆さんなど、午後になると続々と会場の「客殿」に集まり、法要が始まるころには堂内はたくさんの参詣者であふれ、アットホームでにぎやかな雰囲気に包まれました。


赤ちゃんといえば、この西生寺の「大般若」に関連する、「へえーそんなことが」というお話を聞いたのでちょっと書いてみます。

それは先日、大般若に奉納する「お米」を持って寺務所に来られた、親しくしている60代の村の方(男性)とおしゃべりをしていて初めて知ったのですが、その方の誕生日は「7月15日」なのだそうです。

気軽に「うちの大般若と同じ日じゃないですか」と答えたら、その方は「同じ日なんてもんじゃないよ」と言うではありませんか。
聞けば、

「オレの母親が臨月の時、大きいお腹でお寺(西生寺)の大般若に参ったのだけど、大般若のお経の最中に急に犹叉い鼎い騰犁泙い撚箸北瓩辰董△産婆さんを呼んで、自分が生まれたんだいね」

とのことでした。

お寺に来れば世間話をして帰ってゆくその方に、そんな生誕秘話があったなんて初めて知りちょっと驚きでした。

もしかしたら「大般若経」600巻を手分けして、大勢のお坊さんが大きな声で転読をするその迫力に、お腹の赤ちゃんもびっくりしたのかもしれません。

(ちなみに当時はまだ車の通れる道はなく、山のお寺と村を行き来するのは、狭い山道を歩くしかありませんでした!!)


というわけで、今年もひとつお寺の大切な年中行事をクリアできたことでちょっとほっとしています。(じきに8月1日「新盆会」の準備がまた始まりますが)


大勢の参拝者が集合して一日を過ごすこのような行事は、当日を迎えてしまえばバタバタとあっという間に終わります。実は前日までのもろもろの準備が大変だったりします。(草取り、大掃除、板張りの床拭き、部屋準備、法要の準備、飲食関係準備などなど)

だけど、きっと毎年決まった日に執り行われる「年中行事」があるからこそ、お堂や庫裡、台所、食堂など猊塾△梁臍歃爐眇新にやるし、草取りとか境内もきれいにしようとがんばるのかもしれないなあ、と最近思うようになりました。ま、爐そうじ嫌いな私爐世らかもしれませんが。



●画像左…「大般若祈祷会」の様子
堂内の熱気が伝わるでしょうか。

●画像右…「施餓鬼会(先祖水子総回向法要)」の様子
当日のお申込みや、事前の「郵便振込」などでお申込みをされた方の名前が書かれた「お塔婆」を、一枚ずつ読み上げている住職の様子です。台の上に積み上がっているのが「お塔婆」です。今年もたくさんのお申込みをいただき本当にありがとうございました。


2016/07/01(金)
★7月15日「大般若会・施餓鬼法要」のご案内と猖〕廚琉嫐














西生寺の大切な年中行事のひとつである「大般若祈祷会(大般若転読会)」と「施餓鬼会(先祖水子総回向法要)(水子合同供養祭)」が今年も7月15日(金)に執り行われますのでご案内申し上げます。

ところで、たくさんの僧侶が集いこの日行われる「大般若会祈祷会(大般若転読会)」と「施餓鬼会(先祖水子総回向法要)(合同供養祭)」とはいったいどんな法要なのでしょう?

−お坊さんがいっぱいいて御利益がありそう。
−1年に1度だから特別な感じがする。

どちらも正解です。

ですが、せっかくですのでこの機会に、もう少し踏み込んで爐修譴召譴遼〕廰爐砲弔い栃かりやすく説明してみたいと思います。意味を知るときっと面白いし、仏教のことや仏事をもっと身近に感じてもらえたらうれしいです。

(ちなみにお嫁に来たころの私は、住職の夫もあきれるほど仏教や仏事に関してまったく狠亮吋璽蹲爐任靴拭


まずこの日の法要は大きく2つに分かれます。

1、『大般若転読会』(だいはんにゃてんどくえ)、または『大般若会』(だいはんにゃえ)
2、『施餓鬼会(せがきえ)』または『お施餓鬼』による『先祖・水子総回向(えこう)』

です。

そして法要の主旨も2つに分かれます。

1の「大般若会」がご祈祷。
2の「お施餓鬼」はご供養 です。


では各法要についてもうすこし詳しく書いてみます。


◆『大般若転読会(大般若会)』※ご祈祷

「ご祈祷」は現世を生きる私たちに対して行う法要です。「所願成就」、「家内安全」、「病気平癒」、「開運満足」などなどさまざまな願いを祈願する法要です。「厄除け」もご祈祷です。

一年に一度行われるこの「大般若会」の法要はちょっと変わっています。「十六善人さまの掛軸」をご本尊として祀り、全部で600巻、42万文字もある「大般若経」を狹焼畢爐垢詼〕廚任后

「大般若経」は仏教発祥の地爛ぅ鵐畢爐謀舛錣辰討い拭▲汽鵐好リット文字で書かれた経典です。

後に三蔵法師さま(あの「西遊記」の三蔵法師さまです)が中国に持ち帰り、4年をかけて漢字に翻訳、それが日本に伝わり、真言宗(密教)や禅宗などの多くの寺院で「大般若会」が行われるようになったのです。

法要では、大勢のお坊さんで手分けをして「大般若経全600巻」を一冊ずつ、迫力のある大きな声で勢いよく狹焼畢爐靴討います。経本をバサバサと上から下へ転読する時に起こる獻霽爐砲聾耆益があり、この梵風にあたると無病息災でいられるといわれています。

「もし、全600巻を転読ではなく、一巻ずつ読経していったらどれくらいの時間がかかるのかなあ?」とは素朴なギモン。「経典」はどれもありがたいものですが、600巻でようやく完結するなんてお経は他にはありません。

ちなみに我々にもっとも馴染みの深いお経『般若心経』は、この42万文字の「大般若経」を、276文字にぎゅっと凝縮したお経といわれています。


◆「お施餓鬼(せがき)」による『先祖・水子総回向法要』※ご供養

「ご供養」は水子さま、亡くなった方、ご先祖さまのために行う法要です。ご供養をする内容によって「お経」や「方法」はいろいろとあります。

そのなかのひとつが「お施餓鬼」です。文字どおり、飢えと渇きに苦しむ世界牴邉監鮫爐砲い襦峅邉粥廚法峪椶后弑〕椶任后

餓鬼道にいる「餓鬼」はノドが針のように細く、口から火を吐くため、食べ物が燃えて食べられず、飢えのためにお腹だけが膨らんでいます。私たち自身にもある爐爐気椶蠅凌喚爐鯣疹覆掘苦しみの世界にいる餓鬼を餓鬼道から救うのが「お施餓鬼」です。

そして「お施餓鬼」により得られる犖徳爐髻∨瓦なった方やご先祖さま、水子さまに「回し向ける(=回向(えこう)」ので「施餓鬼総回向」などと呼ばれます。

法要では、餓鬼に飲食を施すための「施餓鬼壇(せがきだん)」を設け、弘法大師さまが唐より持ち帰った「経典」をもとに、こちらも大勢の僧侶により読経が行われます。

−ちょっと待って。

「何の関係もない餓鬼に何でわざわざ施すわけ?」

という疑問が浮かぶ方もいるかもしれません。

餓鬼に施すというのは爐垢戮討里發里吠けへだてなく施す爐箸いΠ嫐が込められています。

ご先祖さま以外にも、自分とは直接縁のない人や狒瓦討領遏併鯵λ霊)を、分けへだてなく供養することにより、爐茲蠡腓な功徳爐得られるとされています。その爐茲蠡腓な功徳爐髻∨瓦人や水子さま、ご先祖さまに回向するのです。

さらに「お施餓鬼」の功徳は、自分自身にも、現世に生きる私たちのご利益(りやく)にも実はつながるのです。

自らの悪い因縁を消し去ったり、さまざまな災いや病気を払ったり、開運を招いたり…。お施餓鬼による功徳は狃笋蟆鵑辰銅分のためにもなる爐箸いΑ△箸討發△蠅たいものなのです。

「お施餓鬼」はお盆の法要、または施主の依頼によりお葬式、法事などでも行われます。



以上です。いかがでしたでしょうか。このように大勢の僧侶が集い執り行われる7月15日の2つの法要は、ふだんなかなか出会うことができない爐箸討發△蠅たい大法要爐世箸いΔ海箸お分かりいただけましたでしょうか。

ご都合のつく方は7月15日(金)、ぜひ当山にご参詣をいただけたらと思います。お待ちしております。



●画像左…「大般若転読会」の様子
大勢のお坊さんで手分けをして「大般若経全600巻」を一巻ずつ、迫力のある大きな声で勢いよく転読してゆく一年に一度の祈祷法要です。お坊さんの前にある「桐箱」が経典をおさめている箱で、ひとつの箱にだいたい50冊の経典が納められています。

●画像右…お施餓鬼のための「施餓鬼壇(せがきだん)」
「お施餓鬼」では、餓鬼に飲食を施すために「施餓鬼壇」を設けます。正面と四方に五色の「施餓鬼幡(せがきばた)」を飾り、檀上に用意するのは「三界萬霊」と書かれた牌、花、水、果物、野菜、ご飯、おまんじゅう、霊供膳などです。


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≪「大般若法要・先祖水子合同供養祭」のご案内≫

7月15日(金)、当山西生寺において「大般若祈祷会」と「施餓鬼・先祖水子総回向法要(合同供養祭)」が今年も開催されます。大勢の僧侶より読経していただき、水子精霊やご先祖さまを供養する法要や「大般若六百巻」による所願成就の大祈祷会が厳修されます。


予約も必要ありません。どなたでも気軽にご参加いただけますので、ぜひお参りください。(小さなお子さんも大丈夫です) なお当日「ご供養」や「ご祈祷」をお申込みいただく方は、午後1時半までにお越しいただき「庫裡の受付」にてお申込みください。
ぜひこの機会にご参加いただきたくご案内申し上げます。


【日時】:7月15日(金)
【時間】:午後1時「ご法話」、午後2時「大般若祈祷会」
午後2時半「施餓鬼・先祖水子総回向法要」
【受付】:西生寺「庫裡」

【塔婆料(御供養料)】:(先祖供養、水子供養など一件につき)2,000円
【大般若祈祷会祈願料】:(一件につき)2,000円
家内安全・病気平癒・交通安全・身体健全・商売繁盛・開運満足
厄難消除・合格祈願・学業成就・安産祈願・家門繁栄・その他

【お問い合わせ】:0258−75−3441
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2016/06/25(土)
★境内の泰山木(タイザンボク)が花盛り!














ふっくらボンボン。今年は宝物堂わき『なつ子石(願掛け石)』そばの狢抻殻據淵織ぅ競鵐椒)爐硫屬、いまだかつてないほどの狡饗臈たりの年爐任后いったい泰山木ちゃんに何が起こったのか知る由もありませんが、とにかく今年の泰山木は次から次に開花してすごいんです!

6月10日にいっせいに3輪の花が開花して以来、枝のどこかで毎日真っ白な美しい大輪の花が咲いており、この花の姿や匂いが大好きな私や、植物好きな参拝者を楽しませてくれています。(参拝者の方に「あの白い花は何という花ですか?」と尋ねられることも多いです)

いつも咲いても合計で2輪とか3輪、まったく咲かないさみしい年もあるので、こんな贅沢な猴陲貂蕕状態爐禄蕕瓩討妊錺ワクします。


泰山木の花の特徴は、肉厚で大きな白い花の、その一輪の「存在感」と「香り」でしょうか。

ソフトボールよりも大きいふっくらとした大きなつぼみ(画像左)が開花すると、直径20センチ以上の大きさの立派な白い花が濃い緑色の葉っぱの上にでーんと乗っかり(画像右)、同じく今が見ごろの紫陽花とは比べものにならないほどの存在感を発揮します。

そして紫陽花の花にはなくて泰山木の花にあるもの…そう犢瓩雖爐任后

たった数輪咲いただけで、なんともいえない甘〜い香り、南国のバナナの花のような甘美な匂いがあたり一帯に漂います。似たような良い香りではキンモクセイがポピュラーですが、泰山木の方がよりグラマーな香りです。


私のお気に入りのかわいらしいふっくらボンボン(つぼみ)が見られるのは早朝のみ。

午前7時頃からゆっくりと花弁が開きはじめ10分ほどで全開になります。そして私が毎朝楽しみなのは、開花直後の狃侏茲燭討離侫譽奪轡紊米い爐髻鼻を花に密着させてくんくん嗅ぐことです。

日中も甘美な香りを漂わせているけれど、この狡いちの香り爐漏癖未如誰もいない境内で毎朝「ひとり占めできる幸せ」を感じずにはいられません。


「まともに匂いを嗅いだことがない」という残念な住職の夫にもむりやり勧めて嗅いでもらいました。初めて嗅覚を集中させて真剣に泰山木の花の香りを嗅いだ夫が、この香りを何に例えるか?興味津々でしたが…

夫:「ふふん、なんかレモンスカッシュみたいな香りだな。レスカじゃん!これ」
私:「レスカってもしかしてレモンスカッシュのこと?昔の若者の流行った言い方でしょ」

夫:「そうそ、アイコーとかも言ったよね」
私:「知ってる!アイスコーヒーでしょ、レスカもアイコーも笑える古さだよ」

夫:「死語の世界だね」
私:「あなたの青春時代って昭和レトロだったんじゃん(笑)」


年の差夫婦だとこういう狎ぢ絅ャップ爐面白いです。

西部劇をふつうに「マカロニ・ウエスタン」と言ったり(私バカうけ)、トカゲを見て「昔はカナヘビとも言ったけどなあ」とボソッとつぶやいたり、子供時代はまだ「白い病院服を着た傷痍軍人さんらしき人が街角に立ち募金を募っていた」などなど、夫の言葉は私の知らない世界が目白押し。

「へえ、そうだったんだあ」と私の時代とは違うもうちょっと昔の時代を知る生き証人みたいな感じで時代考察にはぴったりです。

おっと泰山木の話から思いきりそれてしまいました(笑)、修正、修正。
というわけで、いまだかつてない超当たり年の境内に一本しかない西生寺の泰山木。ざっと目に入る固いつぼみを数えると軽く15個以上もあるので(初めての事態に笑いが止まらない)、憂鬱になりがちな梅雨の時期、まだしばらくの間は美しい大輪の花と香りを楽しめそうです。


日本で行われている「参院選」がかすんでしまうくらいの衝撃、英国の国民投票でまさかの「EU離脱派勝利」という結果に、世界中が「どうなるんだ」と不安と緊張でざわざわしている人間の世界とはまったく無縁の、与えられた生命を大輪の花にしてせいいっぱい優美に咲き誇っている泰山木が愛おしく思えます。

お参りに来られたらぜひ駐車場正面の泰山木に注目してみてください。心の淵に引っかかったまましぶとく居座る倏困澆簓坩足爐砲六欠きませんが、美しい花と香りに癒されしばしリフレッシュされてみてはいかがでしょう。



●画像左…早朝限定「開花直前のふっくらしたつぼみ」
これが私の言う爐佞辰らボンボン爐任后1の枝にとんがった薄緑色の固いつぼみも見られます。こんな固いつぼみがあっちこっちの枝先の葉っぱの付け根にあります。

●画像右…日中「開花した大輪の花」
中心のイボイボした牾豊爐匂いの元になっているようです。3日くらい「しぼむ⇔咲く」を繰り返したあと白い花弁は薄茶に変色して地面に落ちます。


2016/06/11(土)
★フランスの甥っ子、新社会人となって初めての来日














大学を卒業して社会人となった息子2人を持つフランス在住の姉家族。両親は4月に銀座での「個展」のため来日、兄貴はワインの仕事で年に2、3回はフランスと日本を行ったり来たり(5月にも来日)、家族それぞれの事情で来日が続く中、その流れに乗り遅れていたともいえるのが昨年夏にカレッジを卒業し、新社会人となったばかりの弟の貴能(きのう)でした。

「貴能だけは来ないなあ。ま、フリーで診療所を始めたばかりだし当分は無理かな」

と阿刀家でウワサをしていた矢先、

「ボクだって本当はめちゃくちゃ日本に来たかったんだ!」

とついに弟の貴能が単身、日本にやって来ました。学生時代には2ヶ月くらいのロングステイが当たり前だったけれど、今回は仕事の合間を縫ってわずか1週間(6泊8日)という日程。

しかも貴重な日本滞在6泊のうち、なんと西生寺に4泊もするというではないか。

「貴重な日本滞在なのに、こんな何もない西生寺にずっといるなんてもったいなくなーい?」
と聞いたところ、

「え、だって一番の目的は西生寺に来ることだもの。ボクってここが大好きだからさ」

と泣かせることを言う甥っ子の貴能、24歳。


というわけで甥っ子はパリを飛び立ち翌早朝に「羽田」着、そのまま新幹線&タクシーでさっさと西生寺へ直行、お昼を少しまわったころ、我々のいる駐車場の「受付寺務所」に「やあ!」とさわやかに登場しました。

私:「おっ、社会人になって大人っぽくなったんじゃない?」
夫:「どうなんだよ?診療所の方は?ちゃんと軌道に乗ったんだか?」

甥っ子:「まあね。少しずつだけど顧客も増えているよ」

そう、甥っ子の選んだ職業、それは「オステオパシー医学」の専門家(施術師)「オステオパス」なのです。

医学に興味を抱いていた高校生の時にオステオパシー医学を知り、「自分も将来オステオパスになりたい」と決意、6年制の専門学校で朝から晩までオステオパシーをみっちりと学び、昨年夏に晴れて卒業、国家資格を取得しました。

卒業後、とりあえず病院に勤めるなどの選択もあるなか狷販してフリーでやること爐魴茲瓩董屬里鵑咾蠅靴討い訐格なのに、大丈夫なのか?」と回りをやきもきさせつつも爛泪ぅ據璽広爐魎咾、ついに昨年10月末、パリ中心部に犒遑隠各間爐箸いΨ戚鵑如嵜芭貼蝓廚魍設、フリーのオステオパスとして人生の新たな一歩を踏み出しました。


と、ここまで読んできてたいていの方が「オステオパシーって何じゃ?」って思ったのではないでしょうか。

日本ではまだあまり聞き慣れない言葉ですが、欧米が先進国です。

「オステオパシー」とは人間が自然に持っている治癒力を最大限に引き出すため、骨のみを調整する手技とは異なり、骨格などの運動器系、動脈・静脈やリンパなどの循環器系、脳神経系に、解剖学や生理学という広範囲の医学知識をもとに犲蟲鮫爐鮖箸辰銅N鼎鮃圓Π絣悗里海箸任后


貴能いわく「人間の力(回復力)を信じて治療を行う」のがオステオパシーだそうです。


日本の指圧、整体などに多大な影響を与えたと言われるオステオパシー発祥の地アメリカでは、オステオパス(オステオパシーの国家資格を取得した専門家)は西洋医学の医師と同格の正規の医師だそうです。フランスやイギリスでは専門のカレッジに通い修士号(博士号)を取得しなければならない犢餡隼餝吻爐任后

日本ではオステオパシーは国家試験もなく、簡単な研修で誰でもなれてしまうようですが、欧米では専門的な医学知識を4年もしくは6年間も学び身に付け、国家試験に合格しなければオステオパスにはなれません。


では、1度の治療で45分くらいだという「オステオパシーの治療」とは何をするのでしょう。

まずは「問診」。患者さんに対して、細かくたくさんの質問を行い、不調・痛みの原因を探り、その痛みが治療(オステオパシー)の範囲なのかを探ることから始まります(例えば骨折や血栓、ガンなどの疑いがあると範囲外となる)。

治療の範囲だと判断すると、手で患者の体を触り(触察)、体の不調(例、腰痛とか)の原因がどこにあるかを探ってゆきます。不調の原因がまったく別の部分にあったりすることも多く、触察力がものをいいます。


100人それぞれが抱える不調の原因は犢痛爐劼箸弔箸辰討盡朕邑朕佑任泙辰燭違うので、患者ひとりひとりの不調の原因を触察力で探ってゆき、手技で適切な治療を施すことができるかにかかっています。

甥っ子はそのために6年間、朝から晩までみっちりと勉強を続け広範囲な医学の知識を身に付け、研修を重ねてきたそうです。手による触察力が優れていないと優秀なオステオパスにはなれないそうです。

「オステオパシーの治療の意味は、機能させたい体のスイッチをオンにすること」
と甥っ子は言う。


マッサージなどでよくあるパターン、施術直後には「体がすっきりした、軽くなった、楽になった」けれど、家に帰るとまた元に戻ってしまったという爐修両譴靴里爐任呂覆、オステオパシーは後からじわじわと効いてくる効果の方に重きを置き、定期的な治療で猊堋瓦亮L爐鯡椹悗靴泙后また体の不調を阻止するメンテナンス的な要素もあるそうです。


甥っ子から治療を受けた感想としては、筋肉を指圧したりもみほぐすマッサージのように、施術されていて「気持ちいい」という感覚はあまりなく、マッサージ好きな人には物足りなさを覚えるかもしれません。しかしオステオパシーは爛泪奪機璽犬箸呂泙辰燭別モノの治療爐覆里任后

そこら辺はとても狃斗廚淵櫂ぅ鵐鉢爐蕕靴、甥っ子は大学時代から「日本では自分が学んでいる事が整体とかマッサージと同じに見られているので、マッサージシャンを目指していると思われちゃっていることが悲しい…」とよくこぼしていました。


それにしても甥っ子の貴能が、人の体に触れて治療するオステオパスになったということについては、我々夫婦もフランス家族も納得のひとことです。

貴能は子供の時からとてもおだやかな子で、人の心を和ませる猝し系ボーイ爐任靴拭それと我々夫婦がいつも「他の人とちょっと違うな」と感じていたのがこの子の犲雖爐世辰燭らです。

なんか爐靴辰箸雖爐箸靴討い董峺もみ」とかをしてもらってもやけに心地よく、他人の体に吸い付くような独特な感触があったのです。だから貴能が「オステオパシーの専門家になる」と進路を決めた時も、意外性はまったくなく「やっぱりね」みたいな感じでした。


「卒業後とりあえずはどこかの病院に勤めた方がいいんじゃないか。経験を積んでから独立すればいい」

という親兄弟のアドバイスを蹴り?すぐに狷販爐垢襪海箸魴茲畚猗を始めたのが昨年の秋。


「診療所」をどうするかという牋貳屬量簑雖爐癲▲薀奪ーなことに週に3日の契約でパリの中心部、華やかな「カルチェラタン」の一角、オルセー美術館や超有名店カフェドフロールにもほど近い「サンジェルマン大通り」の小路に入ってすぐの「診療所」を牾憤足爐納擇蠅蕕譴襪海箸砲覆蠅泙靴拭

じつはココ、南仏でクリニックを開業している先生の「パリ支店」なのだそうですが、月の半分以上は使用しないとのことで、こうやって貴能みたいな狄景討気鶚爐紡澆靴討い襪里世修Δ任后(貴能が申し込んだ時にはすでに10人ほどの応募があったけど見事に選ばれました)


というわけで、パリでもとりわけオシャレな人々が集うカルチェラタン(パリ7区)の診療所、オシャレなサロン風の待合室、大きな窓のある明るい診察室、治療用のベッドやもろもろの設備が整ったお部屋を「月に13日」犂櫃瓦隼藩僂任る爐海箸砲覆蝓∈鯒末「水上貴能オステオパシー診療所」をOPENさせたのでした。

開業以来、顧客(リピーター)は少しずつ増えているものの、オステオパシーだけでは賃貸料を払うのが精いっぱいなので、同時に日本人経営でスタッフ全員が日本人だという「ラーメン屋」(博多らーめん・本店日本)でバイトを始めました。

(パリっ子のデートスポットにもなっているオシャレなラーメン屋だそう。18ユーロのスパークリング清酒「澪」を飲みながら本物の手作り餃子をつまみ、バリ固(アルデンテ)も選べるという一杯13ユーロ(約1600円!)のとんこつラーメンを、緬がのびるのもスープがぬるくなるのも気にせずに会話を楽しみながら爛侫薀鵐肯爐砲罎辰りと食べるそうです)


パリ郊外の辺ぴな場所にある学校で、2ユーロの激マズサンドイッチをかじりながら6年間ひたすら勉学に励み、自分の決めた職業オステオパスになり、新生社会人として第一歩を踏み出した24歳の甥っ子。

犲太咫信頼爐鮴僂濬鼎諭△劼箸蠅佞燭蠅噺楜劼鯀やし、今はバイトと掛け持ちだけど、年内には診療所一本でやっていくことを目標としているそうです。


最後に45分ほどの治療の料金はおいくらなのでしょう?

パリの相場は60〜70ユーロ
パリ以外の相場は50ユーロ

で、甥っ子の設定した料金は55ユーロ。

「今はパリ相場より安めだけど、経験を積んで5、6年後には70ユーロ越えを目指す!!」

と、たのもしい意気込みを語ってくれました。

私が「オステオパス」のことを何度も「オクトパス」と間違えるので

「もう、ボクは爛織貝爐犬磴覆い茵次
と困っていました。カワイイ。



●画像左…孫(貴能)とおじいちゃん(長老)とおばあちゃん(園子ママ)
夕食の時に記念撮影。おだやかな表情の長老と園子ママ。ふだんは遠く離れている孫と過ごす時間は特別みたいでふたりとも毎日うれしそうです。
兄の貴翔(きしょう)も、弟の貴能も、日本に来ると必ず、我々夫婦やおじいちゃん&おばあちゃんの顔をみたいと、新潟の西生寺まで足を伸ばしてくれます。

●画像右…西生寺をさわやかに去る甥っ子
「何でオステオパシーという職業を知ったの?」「何でオステオパスになろうと思ったの?」と質問したところ、漠然と医学に興味があった高校2年生の時に、学校で用意している「職業の本」でオステオパシーを知り「これだ!」と思ったそうです。
そして学校に見学に行くと、大きな病院の中で、そろいのユニフォームを着たたくさんのオステオパスの先生や研修生がきびきびと患者さんを治療していて「自分の手だけで治すなんてカッコいい」と感動、学校で学びオステオパスになることを正式に決意したそうです。


【サイト案内】:「水上貴能オステオパシーの予約&登録サイト」
http://www.mondocteur.fr/osteopathe/paris-7eme/kino-mizukami-3974.html

「Mon・ドクター(マイドクター、私のお医者さん)」というフランス全国のさまざまな医療機関を紹介したサイトです。(例、歯医者、内科、眼科などいろいろ)このうちのひとつに貴能のオステオパシーがあります。このアドレスで検索すると甥っ子本人のページが直接出るのでぜひご覧になってみてください。

診療所の写真、スケジュール、日本語のグーグルマップもあります。このページより治療の予約もでき、このページからちゃんと予約が入るそうです。初めての患者さんに「パリにたくさん診療所はあるのになぜここを?」と聞くと、「オステオパスが日本人だったから。腕も良さそうだし、真面目だし、安心かなと思った」と答える方もいるそうです。
本人のオフィシャルサイトは6月末に完成する予定です。


【おまけ話】:フランスの子供たちの「将来」の決め方
フランスでは、中学で将来なりたい事を考えさせ、高校で進路を決める時、自分のなりたい職業を具体的に決めなければならないそうです。そのための資料や本がたくさん学校に用意されているそうです。

ふつうに学生生活を送り、大学を卒業後社会人になって視野が広がり「ああ、こういう職業があったんだ。これがやりたかったんだ」と気付く日本のシステムを思うと、10代のうちからいろいろな職業を知ることができるのは牴鵑蠧擦ない爐箸いΔ、とても良いことだと思います。だけど、自分が決めた「将来なりたいもの」をめざし、進学したものの、「うまくいかなくてどうしよう…」みたいなパターンも多いそうで、子ども側からしてみると「けっこうプレッシャーがかかるし、ダメだった時のショックも大きい」らしいです。

フランスの若者の失業率はあいかわらず高く、専門分野を身に付け、良い大学を卒業しても思い通りの職に就けない若者が多いのが実情です。しかしアルバイト(非正規)も正規社員も時給にするとあまり変わらず、休日手当が相当に良い上、アルバイトでも失業手当がしっかりともらえるので、気ままにフリーターをやっている人も多いそうです。


2016/05/25(水)
★タイひとり旅うら話:「ドックバイト事件」














みなさん爛疋奪バイト(dog bite)爐辰童斥佞鬚澗乎里任垢?
そうです犖い乏まれる爐箸いΠ嫐です。

じつは今年冬の「タイひとり旅」で私は、日中に野犬の群れに襲われ、両足のふくらはぎを1カ所ずつ噛まれるという、めったに経験できないような、相当にインパクトのある、とんでもない事態に見舞われました。

「狂犬病」が昭和40年代に撲滅した日本で野良犬に噛まれるというのとはわけがちがいます。なぜなら、タイなどの東南アジアでは「狂犬病」はまだまだポピュラーだからです。

狂犬病ウイルスを持った犬が存在し、罹患している犬に噛まれたまま放置すると、現在の医学では治療方法がないという狂犬病を発症して命を落とす人もいます。脳を犯し、水を恐れることから「恐水病」ともよばれる狂犬病は、発症したら最後、致死率100%に近い恐ろしい病気です。

リードでつなぐなんてありえない、基本猜し飼い爐婆醂標い閥菠未發弔ないような東南アジアの犬はめちゃくちゃ凶暴で恐ろしく、昔から大嫌いな存在でした。日本ではめったに見ることもなくなった猖槓の野良犬爐眦勅砲帽圓とたくさんいます。

つながれていない、群れでたむろしているこのような凶暴な犬に対して、私は人一倍警戒し、行く手に犬の姿を見つけたらルートを変えるような、用心に用心を重ねて旅をしてきました。

そんな私だからこそ「もし犬に噛まれたらどう処置すべきか?」もちゃんと学習していたので、今回この知識が大変役に立つこととなりました。

そんな用心深い私がタイの田舎で、白昼堂々とどのようないきさつで犬に噛まれる事態に陥ったのか?

そして狂犬病が蔓延する東南アジアで犬に噛まれるといったいどういう治療が待っているのか?

処置(治療)が全て終わった今、私の体験談を報告します。


≪DAYゼロ≫
ひとり旅が始まって11日目。場所はタイ北部、ミャンマーと国境を接するかなり山奥の盆地、「箱庭」のように小さくて静かな町、私のお気に入りの「メーホーソン」。

その町のシンボルとなっている、聖なる山の山頂にある有名な寺院をお参りすることはメーホーソン滞在の楽しみのひとつ。山頂からはミャンマーの山並みや美しい箱庭のような町が一望できるから。

午後、ひとり、山の斜面にジグザグに造られた数百段もある「階段の参道」を、4分の3くらい登ったあたりで犹件爐狼こった。

とつぜん、茂みの中で日中の強い日差しを避けて休んでいた5、6匹の野犬の群れがばっと私の前に出てきて猛烈に吠え立てはじめたのだ。

即決で山頂はあきらめ、刺激しないようにその場を離れ下山を始めたけど遅かった。興奮した犬たちは激しく吠えながら後ろから執拗に私を追いかけ、侵入者を許してくれる気配はゼロ。しかも道は幅2mくらいの狭い階段しかなく逃げ場がまったくない。

「わかったてば、行くてば」

と、なぜかふだんは口にしない新潟弁で犬に語りかけつつ、下へ下へ参道の石段を駆け下りるが、背後から吠えながら複数の長い鼻先がつんつんと私の体に体当たりをはじめ、服を引っ張るヤツもいる。

容赦のない吠えと攻撃、ああイヤな予感。

そしてついに
ガブッ!痛っ!×2回

「やばっ噛まれた!狂犬病だ!早く血清を打たなきゃ!!」

真うしろの足元からバウバウと狂ったように吠えたてる野犬どもに追われながら、痛みを感じたふくらはぎのあたりをちらりと見るとジーンズが破れ流血している。恐怖MAXなのに爐笋韻卜篝鼎覆發Δ劼箸蠅亮分爐、病院で質問された時用に「腕時計」で噛まれた時刻を確認。午後4時5分。

山の下の「参道入り口」まで私を追いたてた野犬どもは、縄張りの外になったのかバウバウ吠え続けたがそれ以上追ってくることはなくなった。

心の中で「病院、血清、病院、血清」を繰り返し、走っている人間なんか誰もいない田舎ののんびりとした目抜き通りを駆け抜け、そのまま宿泊しているゲストハウスへ。

部屋に戻った理由は「病院で治療を受けるには外国人の身分証明となるパスポートが必要」で、注射や治療には「多額の現金が必要」だから。

パスポート、ありったけの現金など貴重品一式をつかんで、ツーリスト警察の詰所へ向かった私は、急に思いついて宿泊とは別の宿、満室で泊まれなかったなじみのゲストハウスへ飛び込んだ。

「チュアイドゥアイ!マーガットレーオ!(助けて!犬に噛まれた!)」

血相を変えた私に驚いた宿のマダムだったけど「大丈夫、大丈夫、いま病院に連れて行ってあげるから、落ち着いて。恐かったね、大丈夫だよ」とやさしく肩を抱いてくれた。

冷静な自分は陰をひそめ、気が付くと全身汗びっしょりで恐怖で自分の足がふるえていた。

傷口を消毒して、町で唯一の「メーホーソン総合病院」に自家用車で急行。
「急患口」より入り受付を済ませ、ベッドに寝かせられ問診や診察を開始、いよいよ「注射か」と思ったら、なんと「先に全部の支払いを済ませてください」と言われびっくり。

(以後全ての病院が「先払い制」だった)

この日、大の注射嫌いな私が打たれた注射は合計6本!!

・両腕に「アレルギーテスト注射」2本
・大きい方の傷口に直接「血清」1本(「痛ってーーー」という日本語が広い救急治療室に響いた)
・両肩に2本の「狂犬病予防ワクチン」(この注射も痛く3日くらい鈍痛が続いた)
・とどめはおしりに「破傷風予防ワクチン」

一度に大嫌いな注射を6本も矢継ぎ早に打たれ、ベッドの上で放心状態の私だったけど「でももうこれで大丈夫、よくがんばった、終わった終わった」と安堵感に包まれはじめた時、若い男性ドクターは言った。

「今日はお風呂とお酒はダメ。抗生物質と痛み止めの薬はちゃんと飲んでね。多分(傷口)腫れるから」

「それと狂犬病予防ワクチンはあと4回、破傷風はあと2回、決められた日にかならず接種してね。猊ず爐任垢茵ちゃんとワクチン打たないと狂犬病ウイルスも破傷風ウイルスも死なないから」

私:「ええーーー!これで終わりじゃないんですかーーー?」

ショックを隠し切れない私に、看護師より子供時代に首からぶら下げた「ラジオ体操カード」みたいな、私の名前が入ったスタンプ形式の「破傷風予防ワクチンカード」と「狂犬病予防ワクチンカード」を渡された。状況とは真逆の爛櫂奪廚文い瞭球のイラスト爐泣けてくる…
内容を見ると、

DAY3=○月○日、DAY7=○月○日、DAY14=○月○日、DAY30=○月○日と、こっちの都合はまったく無視した「今後の私の接種予定日」が手書きでびっしりと記されていた。

やっかいな事になったなあ…

あと3週間はタイ旅行が続くので、ワクチン接種の大部分は慣れないタイの病院で「ひとり」で受けなければならず、なんという心細さ。(今日は宿の方が付き添ってくれている)

しかも3日ごとに町を移動する旅なので、残りのワクチンは全部「違う町の違う病院」で受けなければならない。(この期に及んでもさすらいの旅は続ける意気込み)

つまり、スマホやPCを持たず情報源の乏しい私が「初めての町で病院を探し、日本とは勝手の違う病院のシステムをクリアして牋賈椶涼躰有爐砲燭匹蠅弔なければならない」のだ。

とてつもない猝姪櫃ささ爐鵬辰─▲咼襯濤餠のへんぴ?な町ばかりで「病院は大丈夫なの?」という不安にも襲われる。うっかり野犬に噛まれたばっかしに「今回のひとり旅」はとんでもない事になってしまった…

「ええい!もうこうなったら出たとこ勝負、当たって砕けろだ、だってやるしかないじゃん!」


≪タイの病院ホッピング(巡り)始まる≫
以下、基本パターン
1、町に到着後、宿の人に犹情爐鯱辰掘崢一番の病院」を聞き、地図に書き込んでもらう
2、接種当日「病院」に到着(たどり着いただけでけっこうな達成感がある)
3、「受付窓口」でパスポートと「接種カード」を掲示(カードを見るとすぐに事情を察してくれる)
4、「まずは○番に行け」と指示される(たらいまわしのはじまり)
5、順番を待って「血圧&体重」計る
6、順番を待って「病院診察券」作り(二度と来ることもないのに…)
7、順番を待ってドクターの「問診」(どういう治療&薬が必要か見るだけ)
8、順番を待って「支払い」(みんな自分番号の紙を手にひたすら待つ。日本の病院と同じ)
9、順番を待って薬局で「ワクチン」を受け取る(ブツを手に入れるのでさえ自力なのには驚いた)
10、順番を待って「注射室」でワクチンを渡し注射(一日中注射ばかりしている無表情のナース)
11、終了(支払も終わっているのでそのまま病院を出るだけ)

結果的にタイで最後となる4回目の接種をした、大都市チェンマイの外国人御用達「高級総合病院」の爍孱稗仟垓(値段も5倍だった)牋奮阿蓮以上のように次々と「○番に行け」と指示があり、たらい回し状態にされた挙句、混み合うさまざまな民族の地元の人々に交じって長い長い順番待ちの末、合計2時間前後でようやく牋賈椶涼躰有爐砲燭匹蠅弔というパターンでした。

犬歯一本の噛まれた跡が痛々しい両足ふくらはぎが犧島大根爐澆燭い棒屬腫れてしまったり、町唯一の病院が改装中で閉鎖されていて「臨時仮設病院」をあわてて探したりという軽いアクシデントはあったものの、順調にワクチン接種を重ね(カードのスタンプもたまり)、狂犬病&破傷風ともに犧埜紊琉豌鶚爐鮖弔靴董帰国しました。

「日本だし、病院の苦労もなし、楽勝、余裕だね」


≪日本でのワクチン接種、意外な事情を知る≫
日本帰国後、「狂犬病」が撲滅されている日本では犇幻ど騨祝疋錺チンじたいがとても希少なもの爐世箸い事を初めて知りました。

「狂犬病」が現役のタイではどの病院も当たり前に用意されていたのに、帰国後すぐに県の保健所に電話をして問い合わせてみたところ、「一応、指定病院はありますが、破傷風予防はなんとかなるとしても、狂犬病予防ワクチンに関しては在庫があるかは不明で、最悪、県内ではもしかしたら接種できないかもしれません」と言われ、そんな展開をまったく予想していなかった私はおおいに戸惑いました。

それでも指定病院の新潟市内のクリニックに問い合わせたところ「狂犬病も破傷風も両方在庫がある」ということがわかりほっと胸をなでおろしました。(あとでクリニックの先生に聞いたところ、先生の意向(=趣味?)により「結構珍しい予防ワクチン」をいろいろとストックしているそうです。おかげで助かりました)


そして「DAY30」の日が訪れクリニックへ。

先生は、私がこれからアフリカとか感染地帯に渡航するので「予防接種に来た」と思っていたようで猖榲に犬に噛まれた人でその治療の接種爐箸いΔ里鮹里辰浸、かなり驚いた様子でした。

先生:「もっと予約時にちゃんと話を聞いておけばよかったなあ。予防じゃなくて治療だとわかっていたら、はっきりいってボクは専門じゃないから。専門医のいる指定病院を紹介していたよ。暴露(噛まれた)後の治療の注射というのはしたことないんだよなあ。持っているワクチンも猴祝斌榲爐離錺チンだし。でもあなたはもう目の前にいる…うーん」

私:「大丈夫ですよ。タイで打ってたのも猴祝疋錺チン爐世辰燭掘私めちゃくちゃ体丈夫だし、先生、打ちましょう!」

私の猛アピールに先生は折れ、とうとう接種を決断。

先生:「ワクチンは2つとも国産品ですよ。あの化血研ですよフフフ…」

私:「おお、血液製剤不正の化血研!まさか私に化血研とのご縁ができるとは わくわく」


というわけで保険適用外の「注射の料金」は、破傷風ワクチン2000円(タイだと約100円)、狂犬病ワクチンは1万3800円(タイだと1200円〜3600円)でした。国産は高いなあ…。

日本で製造される「狂犬病予防ワクチン」はほんとうに少なく(化血研のみ)、市場に出回る数量が限られているそうです。だから猖榲に必要な人爐砲靴接種することはしないそうで、飼い猫タビーの動物病院の先生も

「本当は自分もいろいろな動物と接しているから、狂犬病予防接種を打ちたいくらいだけど、保健所が希少なワクチンなのでダメだと、OKを出してくれない」と言っていたことを思い出しました。

噛まれた時に打つ「血清」は、タイでは絶対必要な処置だけど、日本では製造もしてないし、入手も不可能とのことらしいです。撲滅したからってナメてるとしか言いようがないと思いました。

それと、タイでは5回で終了だった狂犬病予防ワクチンですが、日本のルールだと90日目にもう一回、計6回の接種で終了するとのことで、つい先日「最後の接種」に行ってきて、ようやく全ての治療が完了しました。

2月25日に犬に噛まれ90日後の5月の最後の注射まで、心の中ではずっと続いていた私の旅。「あーあ、旅も完全に終わってしまったな」という気持ちがあふれ、吸血鬼に噛まれたような(噛まれたことないけど)赤黒く変色してしまったふくらはぎの跡をすりすりしながら、ちょっとさみしくなりました。

ちなみに破傷風予防は約5年間有功で、狂犬病予防は約2年間有功だそうです。だからといってもう二度と野犬に噛まれるのだけはまっぴらゴメンですけどね(笑)。



●画像左…地獄ランドの「犬に噛まれる地獄」
北部パヤオの大きな寺の境内にあった「地獄ランド」。餓鬼や恐ろしい地獄責めのシーンを爛織い覆蕕任呂隆鏡爐妊哀蹈謄好に等身大で再現したオブジェの中に、今の私にぴったりな「犬に噛まれる地獄」を発見しました。

タイ人ってこの手の「地獄ランド」が大好き。タイの子供はこういう「地獄ランド」を見学して大人に「悪いことをするとこうなる」と諭され基本的な「道徳」を学ぶのです。昔日本でもあった「地獄絵図」みたいなものですかね。

この日も遠足か何かで20名ほどの児童が見学に来ていました。引率者の男性が熱の入った強い口調で「良いものを見て、良い言葉を口にして、良い行いをしなさい。さもないとうんぬんうんぬん…」とグロテスクなオブジェを前に子供たちに熱弁をふるっていました。


●画像右…病院のサインで埋まった「ワクチンカード」
黄色が破傷風、緑白が狂犬病。新潟の先生は、病院で掲示すると牋貊屬砲靴道情をわかってくれるたのもしい相方爐世辰燭海痢崘暴風&狂犬病ワクチン接種カード」を興味深そうに見たあと、ちゃんと「Day30」の空欄に、日付とワクチン名と病院のハンコをポンと押してくれました。

私は旅を続ける中で、予定どおりまじめにワクチン接種をがんばって「空欄ぜんぶを病院のサインで埋めること」が狎犬がい?爐澆燭い砲覆辰討い燭里如屮織い波行されたこんなスタンプカードみたいややつに、日本の先生がちゃんとノってくれた」ということにひどく感動してしまいました。

「先生はタイをバカにしないのですね」

と言うと(以前ひどくバカにした先生がいた)、先生は「タイの医療水準は日本に負けない最先端から発展途上国レベルの最低まで幅が広くて、格差があるからねえ」と。「それにボクは、犬に噛まれたら血清を打つなんてことは知らなかったしね」とおっしゃいました。

(帰国後ネットで調べたら、私が噛まれた当日の「メーホーソン総合病院」の処置は爍廝硲呂推奨する完璧なものであった爐海箸鮹里蠅泙靴拭


2016/05/10(火)
★西生寺と田中角栄元首相



















連休中に始まった「田植え」がほぼ終わり、水が張られパレットのような水田が広がる美しい田園の風景を作り上げている新潟です。(平野に突如犖亅爐出現したみたいです)

ウソかホントか、田園地帯を走る「農道」が犢馥司造澆棒鞍されて広く立派爐覆里蓮日本でも新潟だけである、それは田中角栄先生のおかげである、とたびたび耳にしたことがあります。

こんなふうに、田中角栄さんが故郷にいがたに与えた恩恵や施策の数々が、角栄さんが亡くなって久しいにもかかわらず、いまでも狹鎮羈儕錨狙皚爐澆燭い某軍磴任聾譴蠏僂れています。

ちまたでも昨年夏頃から「田中角栄ブーム」が続いているようで、角栄さんのおひざ元の新潟県民としてはちょっとうれしい感じがします。

というよりも新潟県民はずーっと昔から、角栄さんの生い立ち、人一倍努力した下積み時代、気取らない人柄や功績、いかに型破りな豪傑な政治家だったかということを狹たり前爐肪里辰討い襪里如屬い泙気薐儕匹気鵐屐璽爐覆鵑世覆◆廚箸いΦせちかもしれません。

戦後の経済成長の時代、日本海側地方は「裏日本」と呼ばれ、中央や経済発展から取り残され、陸の孤島みたいだったそうです。

そんな新潟県の発展のため角栄さんは、現在ではありえないくらいの犖龍燭咾い爐如東京と新潟を結ぶ高速道路、新幹線、県内インフラ整備、治水などなど、数十年分の事業を自分一代で成し遂げてしまいました。

(田中角栄伝説のひとつとして、もし角栄さんがいなかったら新潟県の発展は数十年は遅れていたと言われています)


そんな角栄さんゆかりの新潟県内の2つの施設で5月4日より『田中角栄元首相遺墨展』が始まったと新聞で紹介されていました。(2会場セットで大人500円、小中学生250円、〜11月30日まで)

2つの会場とは、田中角栄さん出生地の柏崎市西山町にある「田中角栄記念館」と、田中家がオーナーの越後交通の本社がある長岡市の千秋が原ビル7F「特別展示室」です。

県内の支持者に贈られたり田中家所有の角栄さんの書、色紙や掛け軸など合わせて30点が展示されているそうです。


住職:「なんだー角栄さんの書いた掛け軸なら西生寺にもあるねっか」

私:「知ってる?奥の部屋の玄関に角栄さんの胸像がずっと置いてあるんだよ」


ということで今回の「おてら通信」は長老と田中角栄元首相の思い出、西生寺と角栄さんとのご縁などのエピソードを紹介したいと思います。


角栄さんが絶対的な権力を握り現役バリバリの政治家だった当時、同じく現役バリバリだった長老は、角栄さんの後援会組織で有名な、あの「越山会」の寺泊連合会長をしていました。

それがご縁で田中角栄さんは爐国入り爐了に、何度か西生寺に足を運び弘智法印即身仏さまをお参りしています。1980年代の西生寺は境内で「温泉旅館」を経営していたので、来山した時は必ず一番奥の景色の良い「特別室」で休憩&食事をしたそうです。

(※現在、旅館跡地は「永代供養墓苑 天翔園」となっています)


そんなある日、東京目白の角栄さんの自宅(通称:目白邸)から電話がありました。

「犢庵卷^即身仏の書爐鮟颪い燭里如▲劵泙併に目白まで取りに来てほしい」

さっそく長老は目白邸に書を受け取りに行きました。到着したのがちょうどお昼時だったそうです。すると角栄さんが「一緒にここで昼飯を食っていけ」と言ったので、長老はお言葉に甘え昼食を一緒にいただくことにしたそうです。

出された昼食は2人前と1人前が盛られた「出前の寿司」。

「腹が減っているから悪いね」と角栄さんは2人盛りの寿司を食べ、長老は一人前の寿司を食べたのですが牾儕匹気鵑亮司の食べ方爐膨肱靴呂咾辰り驚いたのだそうです。

角栄さんは、噛まずに飲み込むように「にぎり」を次から次へと口へ放り込み、ほんの2、3分で2人前の寿司を完食してしまったのだそう。しかも自宅では毎日がこんな狒畤い爐覆里世修Δ任后


「(目白邸内に設けた)控室に何十人もの陳情組が自分を待っているから、一分一秒もムダにはできない」

というのが狒畤いの理由爐覆里任靴拭

長老は「親父の人柄と、日本を背負って立つ者の凄味を垣間見た気がしたなあ」となつかしそうに話をしてくれました。


角栄さんから当山に贈られた書「偉僧 弘智法印」は、その年に完成した高さ5メートルの大きな立像「弘智法印即身仏修行の御姿」の前の記念碑(石)にも刻まれています。


新聞の記事によると「遺墨展」開催のオープニングセレモニーには娘の田中真紀子さんも出席して猊磴箸了廚そ亅爐鯣簣したそうです。

「父は心血を注いで字を書いていた。政治家は仕事と書が残るから見事な字を書かないといけないと言っていた…」

たしかに政治家田中角栄はもうこの世にはいないけれど、角栄さんの成し遂げた業績と、角栄さんの書いた書は本人亡き後もしっかりと残されていますし、いまでもたくさんの人から偲ばれる人気の政治家であり続けています。

新潟が生んだ日本の一時代を築いた狢臺すぎる政治家田中角栄爐録軍磴凌諭垢慮悗蠅任垢、新潟県民は角栄を語るとき、ひそかにこんな残念な思いも抱いています。

「後が続かなかった…」

「いまの県出身国会議員(自民党)は陰が薄い。大臣ポストも久しく遠のいちゃって…」

「もう角栄さんのような大物政治家は、新潟からは生まれそうもないなあ…」

ってね。




●画像左…宝物堂展示:田中角栄元首相直筆の「掛け軸」
書を書くのが好きだった角栄さんですが、どうやら気まぐれで「偉僧 弘智法印」と書いたわけではなさそうです。弘智さまが修行をする御姿の狢腓な立像を建立する爐箸いΑ崟樟源記念事業」を知りわざわざ書いてくださったようです。

「書」は昭和59年(1984年)となっています。ロッキード事件に巻き込まれつつも、国会議員100名以上が所属していた派閥(通称:田中軍団)を率いて牋脳軍爐箸靴童⇔呂魄っていた時代です。


●画像右…私がずっと気になっていた田中角栄さんの「胸像」
結婚した時から、使わない玄関の同じ場所にひっそりと置かれていた田中角栄の胸像。「ニイガタでは各家庭にひとつはあるのかな?」と思ってみたり、なにげに気になっていました。

記念品を示す日付や文字も何もないし、住職や長老に聞いても「よくわからない」という。「越山会」が作ったのか?けっこう本人に似ていてなかなかリアルだし、こんな胸像も今の時代めずらしいので、宝物堂に展示している「角栄さんの書」のそばに置くことにしました。


2016/04/25(月)
★「直江兼続」西生寺に参上!の巻














昨年今ごろの「おてら通信」で紹介したことがある、誰にも真似できないような軽やかさで「オッケ〜♪」と言うのが口ぐせの犲由人狆池ローソク店社長さんが「新商品(ローソク)の納入」に、またもやコスプレをして愛車のバイクで来山しました。

昨年は突如「仮面ライダーARIGATO」の姿で登場し、そんな趣味をお持ちだったとは露ほども知らなかった我々のドキモを抜いた小池さん。今回は「愛の前立て兜」がカッコイイ、越後の武将狡捷招鸞魁覆覆えかねつぐ)爐妊メキメです。

なにげに愛車のバイクもピカピカの新車じゃありませんか。ホンダの「NM4(750cc)」というバイクだそうで、やけにガンダムチックなバイクですが、これがノーマルなフォルムなのだそう。

「コレ、戦闘機のコックピットと同じポジションで操縦できるんですよ、フフフ♪」


驚くのは「兜型ヘルメット」、直江家の家紋が入った「陣羽織」、中に来た「甲冑(風)ベスト」、バイクのマーキングとすべて小池さんの爛ール手作り爐世箸いΔ海函

しかも自作の「陣羽織」は色を変えて合計3着も持っていて、その時の気分で選び狃仗忰爐垢襪里世箸。

なんという爐呂弔瓠平軍稱曚粘鑞僂箸いΠ嫐)爐平佑覆里世蹐Α帖
小池さんってやっぱりすごいかも。タダモノじゃないね。

「刺繍」を始めたばかりで、思い通りにいかない「手作りのむずかしさ」や「やけに時間がかかること」を実感している最中の私。

アマゾンや100円ショップなどから購入したさまざまな素材を工夫して、魔法みたいに上手にコスプレ衣装をこしらえてしまう小池社長さんのことはもう「師匠」と呼びたいくらいです。


それにしても「小池ローソク店」の看板商品、「越後伝統絵ローソク」を携えて(当山でも販売しています!)、全国の「デパート物産展」に飛び回っている忙しい小池さんに「いったいいつそんな時間があるのか?」不思議に思いたずねたところ、

「バイクに乗れない冬の間にちくちく作っているんですよ〜。夜とかひとりでね〜♪」
とのこと。

ひとり部屋にこもり、夜な夜な楽しそうにコスプレアイテムを作っている、ちょっと変わった父親の姿を、家族は気味悪がりつつも放っておいてくれるそうです。


そうこうしているうちに、参拝で訪れたおばさんグループにあっという間に囲まれてしまった小池さん。

しかもみなさん小池さんをここの住職と思っているようだ(笑)。


あらすごいわあ、愛ですって、ああ与板の、
住職さんだから和風なのよきっと、え、ちがうの?

よくできているわねえ、ぜんぶ手作り?
陣羽織も見てほら、あらやだ凝ってるわー、

安全なの?千葉のほら、有名な黒いマントの人、
警察に走っちゃダメって言われたじゃない、

ちょっと写真とりましょうよ、景色撮るよりこっち撮らなきゃ、
めったにないわよ、わたしたちラッキーだったわ、


おばさまたちに囲まれ、遠慮のない質問攻めにあっても、直江兼続の姿でにこにこと丁寧に答えるいい人な小池さん。

「バイクって怖いって思われているでしょ、バイクは怖くないですよ〜♪っていうのを広めている会」だという『バイク新潟県人会』の会員でもある小池さんは、たしかに立派にその使命を果たしているようです。

GWには「バイク新潟県人会」の大勢のメンバーがコスプレライダーで「道の駅」に集合するイベントも予定しているそうです。


お仕事もしっかりやって、自分の好きな事もしっかりやる。

小池さんのそういうバランスのとれた生き方が私の理想です。立場は違うけど私も小池さんのようにお寺の仕事と自分の趣味を上手に両立させたいです。

しかし理想とはうらはらに、連休に向けて少しでも境内をキレイにしようと、毎日境内の草ばっかりとって半日が過ぎ、疲れて一日が終わってしまうパターンの近ごろの私のお寺暮らし。(山寺なので境内が広すぎて追いつかない)

「草取りは11月まで続く狡拘戦爐覆里縫丱薀鵐弘いなあ…」

このままだと「2016年いちばんの思い出は境内の草取り。取って取って取りまくりましたー!」みたいになるのは間違いのない予感。今年もあっというまに4ヶ月が過ぎ去ってしまい、若葉の新緑が目に沁みるGWを目前にちょっと焦りを感じています。

連休は毎日お寺の「受付寺務所」です。みなさんはどう過ごされますか?新緑でめっちゃ気持ちの良い西生寺にも、お出かけのついでにどうぞお立ち寄りくださいませ。お待ちしております。



●画像左…ポーズを決める小池社長さん
上杉謙信とともに人気の越後の戦国武将「直江兼続」姿で愛車にまたがりポーズを決める小池社長さん。上杉謙信の後継、上杉景勝の側近、魚沼出身で与板城(現長岡市与板)の城主だった直江兼続は、2009年の大河ドラマ「天地人」の主人公で(妻夫木聡さんが演じた)特に牋Δ料偉ての兜爐有名になり、いまの大河ドラマ「真田丸」にもクセモノキャラで再登場、ふたたび脚光をあびている武将です。

戦国時代から近年まで、戦では機動力に長けていた「馬」が重宝されていましたが、こうして戦国武将風の小池さんとバイクの画像を見ると「バイクは現代版の馬」と言えるのかもしれません。たまに奥さまを後ろに乗せてタンデムでツーリングを楽しむそうです(もちろんコスプレなし)。

●画像右…小池社長さん手作りの「兜型ヘルメット」
市販の普通のヘルメットも小池さんの手にかかると「兜」に大変身です。「愛」の文字は丈夫なマグネットを切り抜いたもの。かぶとの部分は、金テープで縁取り、パンチで穴をあけた厚手の合皮?に100円ショップで買ったヒモを上手に組み込んで見事な爐犬磴蕕犬磴薛爐忙転紊欧泙靴拭

ローソクやお守りなどの新商品を次々と生み出すアイデアマンの小池さんですが、趣味にもしっかりと活かされていました。お見事!

≪小池ろうそく店≫
明治27年創業、越後絵ろうそく本舗。伝統的和ろうそくの最高峰、手描き花ろうそくの美しさは評価が高い。1本1本心を籠めて作られる絵ろうそくは歴史が古く、江戸時代にまでさかのぼる。雪が深い新潟。花が無い季節に仏様に花をお供えしたい…そんな願いから生まれ、現代もなおそのぬくもりを伝えています。

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【お知らせ】:GW期間「即身仏拝観」ができない日時があります。

4月29日〜5月5日までの期間で「即身仏拝観」ができない(休観)日時は以下のとおりです。(宝物堂・境内参拝は無料で自由です)

◎5月2日(月)午前中のみ拝観可、午後休観
◎5月4日(水)一日大丈夫ですが「拝観受付」午後2時で終了

◎その他の日時は、基本的に大丈夫です。通常どおり30分毎にご案内しています。
◎毎月28日は休観日です。4月28日も休観とさせていただきます。
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2016/04/10(日)
★阿刀家ファミリー「水上貴博展(個展)」のお知らせ!














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【個展名】:マチエールにこだわって…『水上貴博展』
【会期】:2016年4月16日(土)〜24日(日)
【時間】:AM11:00〜PM18:30(最終日PM18:00)
【会場】:サロン銀座「LAUDE」(入場無料)
【住所】:東京都中央区銀座5−6−2 銀座七宝ビル6F
    (すずらん通り「安藤七宝店」のビル6Fです)
【アクセス】:東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線「銀座駅」A1出口すぐ
※都営浅草線「東銀座駅」、JR「有楽町駅」より晴海通り徒歩可
【お問い合わせ】:
(会場)03−6274−6803
(水上携帯)090−9123−2281
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植物や生物が目に見える活動を始め、心うきうきする待ちに待った季節が新潟にもやってきました。境内の野草が順番に花開き、宝物堂脇の純白のモクレンや桜も満開、冬眠から覚めたカエルの大合唱、ウグイスの鳴き声に野鳥のさえずり、トンビのピーヒョロロ…とまさに狃它ヌ´爐箸い辰神樟源です。

人間の世界でも4月は新制度、新年度、新学期、新社会人…となにかとフレッシュな事柄が多く、万年変わらない生活を送る私でさえ便乗して爐覆鵑箸覆靴某靴靴さな爐砲劼燭蝓△い弔發茲蠶イ蠕擇螢癲璽匹如崋付寺務所」や、今年も始まってしまった「境内の草取り」に精を出しています。

「桜前線」が北上を続け、日本中が春真っ盛りのぽかぽか陽気に包まれているこの時期に、フランス在住の姉夫婦が来日しました。

毎年決まって「夏の来日」なので今回のように「4月」というのは新鮮です。目的は上記のご案内にあるとおり、日本で3年ぶりとなる東京銀座での「個展」を開催するためです。


阿刀家長男夫婦として、または仲の良いきょうだいとして「少しでも応援できたら」という思いを込めて、さっそく紹介させていただきたいと思います。


住職の姉、敬子さんのだんなさまはフランスを拠点に、現代アート絵画のプロの芸術家として爐佞念賈椨爐韮械闇以上活動を続けている「水上貴博(みずかみたかひろ)」です。

貴博さんは自宅のアトリエで作品の製作活動に没頭し、姉の敬子さんがマネジメントいっさいを取り仕切り猊徂愼鷽融圧哭爐撚な討籠本で活動をしています。昨年息子2人がそろって大学を卒業、兄弟それぞれがキャラクターを活かした道を選び、社会人として自立の第一歩を踏み出したばかりの4人家族、異国の地で苦楽を共にしてきた仲の良いステキな夫婦です。

貴博さんはじつは実家の父と同じ年。「まじに74歳ですか?」と驚きの、好奇心旺盛で陽気で精力的で若々しい犒鮫爐任后(「やっぱり芸術家はちがうなあ」という感じ)

15歳年下の利発でチャーミングなヨーロッパマダムを地でゆく敬子さんが犒歃冏の夫爐鮴簗に支えています。

そんなふたりが3年ぶりとなる日本での「個展」を開催する場所に選んだのが犇篋足爐任后

昨年秋に実家の母と久しぶりにおのぼりさん気分(実際におのぼりさんですが)で「銀ブラ」しましたが、銀座の街を歩くだけで背筋が伸びるというか、華やかな気分になれるというか、そういう街はほかにないかもしれなせん。

「銀座も変わってしまったわ」と先日東京から来た信者さんのマダムがぼやいていましたが(今は狷本橋爐良いとのこと)、やっぱり銀座は銀座、あらゆる一流どころが集まる特別な場所という輝きは健在でした。

そんな銀座での「個展」開催は、フランス仕込みのモダンな貴博さんの作風にぴったりだと思います。


それはそうと、案内状を見ると『水上貴博展』の前に「マチエールにこだわって…」とあります。

「洗剤のアリエールみたいな響きのマチエールってなんじゃ?」

さっそく敬子さんに電話で電撃質問してみました。
ちなみに芸術(とくに絵画)の世界では「マチエール」は定番の用語だそうです。


で、マチエールってどういう意味?

「マチエール(フランス語)」とは、大理石の粉など爐気泙兇泙柄悩爐任任た絵の具爐髻△気泙兇泙糞史,妊ャンバスに乗せた時の猊縮未虜犲舛篌全兇良合い=絵肌爐里海箸世修Δ任后

これまでの貴博さんの作品の特徴は、モチーフやテーマは違っても「大理石の粉末」を使う技法が中心です。

コンクリートや和室の壁みたいな表面のざらざら感や、異素材を張り付けた立体感というのは一貫していて「マチエールにtaka MIZUKAMIの個性が出ている」といってもいいかもしれません。

貴博さんの持ち味爛泪船─璽襪砲箸海箸鵑海世錣辰伸爐箸いΑ∈2鵑琉篤眈の「新作」(※画像左。後ろ姿の裸婦像2作品)を見ると、キャンバスの四方をおかまいなしに絵の具が大幅にはみ出して「全体的に肉厚度が増したなあ」という印象を受けます。

表面のざらざら感、躍動を感じる厚みのある塗り付け方、または削り方、全体的にかなり立体感を感じる作品です。絵画なのにまるでオブジェのようでさえあります。キャンバスいっぱいに大胆に描かれた「裸婦像」の女性の豊満な肉感と、得意のマチエールの技法がマッチしていてステキです。

これからの季節は最高のお出かけ日和です。東京近郊にお住まいの方や現代アートに興味のある方はぜひ銀座の「サロンLAUDE」に足を運んでみてください。

個展開催中は毎日、作家の貴博さん&敬子さん夫婦がサロンにいるそうです。爛泪船─璽襪砲弔い討虜邁箸稜い想い爐髻∀辰傾イな貴博さんから直接聞いてみてはいかがでしょう。


そうそう、来日中に夫婦そろって西生寺に4、5日滞在することになりました。お父さんや園子ママの様子を見にくるそうです。にぎやかに「食卓」を囲んで、ふたりが実感している「生のフランス&EU事情」などの話を聞くのが私は毎回楽しみです。

(欧米の人は本当に犁掴盛イ爐猫犁掴栖靴讚爐靴討い襪箸佞燭蠅鮓ていると思うのです。他人が話をしている時には決して割り込むことはなく、たとえ反論があったとしても、話し終わるまで丁寧に耳をかたむける姿勢は、大いに学ぶところです)


というわけで、静かな阿刀家に今年はフランスからの春の風が吹きそうです。お部屋にこもってばかりいるお父さんや園子ママにもぜひとも刺激を与えて欲しいです(笑)。



≪水上貴博略歴≫――――――――――――――――――――――――――――――――
◎1941年:岐阜県中津川に生まれる
◎1965年:「武蔵野美術大学」首席卒業
     :「行動美術協会」に所属
      以降東京で個展や選抜展で発表活動。新人賞、記念賞、特選など受賞多数
◎1975年:中津川に帰省「美術研究所」を創設
◎1980年:渡仏
      パリのアカデミー「グランド・ショミエール」にて巨匠イブ・ブライヤーに師事
     :「メゾン・デ・アルチスト協会」会員、「行動美術協会」退会
◎1981年〜現在:「招待展」「グループ展」「個展」歴多数
         (日本、フランス各地、ドイツ、ベルギー、オランダ、モスクワ、ニューヨーク)
◎フランス・エヴリー市在住


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【水上貴博サイト】:www.takamizukami.com
リニューアルされました!Webギャラリーの「作品紹介」の他にも、日本やニューヨークなどでのこれまでの活動や、個展の様子、メディアの報道などを「動画」で見ることができます。すべてフランス語のサイトですがとてもモダンでステキなHPですのでぜひご覧ください。
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2016/03/24(木)
★行って参りました!「タイ旅報告2016」














みなさま、お久しぶりです!西生寺を出発する直前の2月10日以来の「おてら通信」です。この間30泊31日の「タイひとり旅」を無事に終えて先日、元気に我が家の西生寺に戻って参りました。山盛りだった境内の雪も解け、こごえるような寒さもなく、春らしい陽気がありがたいです。


それではさっそく「タイ旅報告」をしたいと思います。はじめは各地を周遊する私の旅の大切な「足」となり、旅の大部分を占めるといってもいい「公共交通機関」の話から。

今回の旅は、北部と北西部のタイとミャンマーの国境線の山岳地帯を少数民族の村々を縫うように南下する「ビルマ文化圏ルート」がメインでしたが、メコン河が国境となっているラオス側のタイのはじっこ(東北地方)とは違い、ミャンマー側のタイのはじっこ(西部)は思いのほか僻地(へきち)で、公共交通機関がとっても不便でした。

バス案内所で「朝から夕方まで一時間おきに出てるよ」と言ったので、当日バスターミナルに行ったら実際は「一日一本」とかはざら。乗客が適当に集まらないといつまでも出発しなかったり、逆に満員になると定刻前でもさっさと出発したりします。

「でたらめ案内」で見事に待ちぼうけを喰らった時は、東南アジアでよく目にする一日中バス停の東屋(待合所)にたむろして座っている犹纏はどうしたんですか?系のナゾの男衆爐妨鬚犬辰匿時間もぼけーっと座ってひたすらに待ちます。一見怖そうな男衆だけど、田舎町で大きな荷物とひとり待ちぼうけを喰らう変な外国人である日本人の私を気にかけてくれるいい人たちだったりします。

こういうパターンに慣れると「出たよ、理解不能なタイの不思議にやられたぜ」みたいな狠ξ牢境爐先でショックもさほど感じません。と同時に、読書とか時間を有効に活用して過ごす狷本人的なムダの無い時間の過ごし方爐鬚垢覽い砲發泙辰燭なれません。(こういう感じでタイ化が進むわけです…(笑)。)


そのほか距離的にはたいしたことがないのに「直行」がなくて中継点で乗りかえたりする(=またバスを待つ)パターンも2度ありました。(150キロ程度の移動が半日仕事になるわけです)

長時間の移動なのにこの地域はまだまだ普通のバスもミニバンもなくてピックアップトラックの荷台を改造した「乗合ソンテオ」が主流でした。「タイでもまだそんな地域が残っていたんだ」と驚きでした。

「ソンテオ」は窓が一切なくオープンエアなので、未舗装や道路工事中で乾燥した土がむき出しになった場所で大型トラックとすれ違うと、そのたびにもくもくと土煙(けむり)をかぶるので、ストールで頭をおおい体をかがめて息を止めたりして、こっちも慣れたものです。(昔、ラオスで未舗装の悪路をソンテオで9時間という移動の時、到着したら全員が頭から小麦粉をかぶったようになっていた体験あり)

ソンテオはたいてい、山間部の村々で乗客の乗り降りを繰り返しながら移動します。荷台に設置された止まり木みたいにぎゅうぎゅうに人が並んで座る「長椅子」のクッション性も悪いのでおしりも痛くなります。今回ソンテオでの移動の最高は6時間でした。

数年前から台頭してきたトヨタ製の中古「快速ミニバン」(定員12名、バスの2倍の運賃)や「大型のエアコンバス」に乗れたのはチェンマイから出発する時と、チェンマイへ戻る主流のルートに入った時だけでした。

ま、移動が不便でハードなほど猯垢靴討い覺境爐盛りあがり面白いので、なかなか味わい深い旅となりました。素朴な村々(山岳民族や元タイ共産党の党員の村)や山の峠をいくつも越え、山頂部の嶺からの山並みは絶景で、目的地に着いた時の達成感は大きく、その後に飲むビールは最高です!


ミャンマーとの国境の町「メ―ソート」は彫の深いアラブ系のイスラム教徒やビルマ人(移民)が多く暮らす街でした。ミャンマー軍政時代に迫害を受けて越境避難してきた「ビルマ人難民」が1万人以上収容されている「キャンプ」から数十キロの地点にある町です。

絶対に自分の目で見ておきたかった広大な「難民収容キャンプ」をソンテオで通りましたが、異様な光景でした。

山の斜面にへばりつくように、粗末な葉っぱで拭いた屋根の小屋がぎっしりと建ち並び、ひとつの町が形成されているのです。フェンスの外はタイの兵士が警備をしていて、医療・教育・生活などの支援をする団体の人間以外は入ることは許されていません。民政移管、そしてスー・チーさんの政党が政権を取った今現在も、このミャンマーの難民に帰国の動きはないそうです。

ビルマ様式のお寺が主流のパーイ、メーホンソン、メーサリアンと南下をしてきたわけですが、このメ―ソートが一番「ビルマ度」が高かったです。

顔に日よけ美容の「タナカ」(ミャンマーを象徴する黄色いおしろい)をぐりぐりと塗りまくっている老若男女が当たり前で、料理もビルマ人がビルマ語で経営している「本格ビルマ料理(恐怖の油戻し料理=油の中に具が浮かんでいる)」が安く食べられ、まるでミャンマーを旅しているようでした。


旅の楽しみのひとつに「お寺参り」があります。

今回はビルマ文化圏なのでやはりビルマ(シャン)様式のお寺が多かったです。「ビルマ様式のお寺」の最大の特徴は、木造高床式の広い本堂とその屋根の装飾でしょうか。

アルミで細かく細工された装飾の屋根が幾層も重なり合って、色彩が派手派手のラーンナー式にはない素朴だけどうっとりするような繊細な美しさがあります。「仏塔」もビルマ式は獅子がいたりとそれなりに特徴があるのですが、装飾細工を施した重層の屋根が一番印象的でした。

ご本尊さまなどの「仏像のお姿」も、ラーンナー様式や他のタイの様式の仏さまとはまるで別人。

真っ白い顔に黒い弓のような眉毛でユーモラスな表情の仏さまや、日本の仏像にも似ている落ち着いた表情の渋い仏さまなどです。猜像の後光爐ぴかぴか光る電飾というのもビルマ式の最近の流行のようですが意外と少なかったです。

お寺参りが大好きな私。今回の旅では「旅の充実と安全」を祈りながら、10カ所の街で合計50ヶ寺をお参りしました。


お寺の他にも「ガンペーンペッ(ダイヤモンドの壁という意味)」という「スコータイ遺跡」がちょっとだけ?有名な街では、古い要塞(城壁)の内側に自転車や歩いて回れる「遺跡公園」が整備されていて、スコータイやアユタヤの影響を受けた遺跡をのんびりと見て回りました。

ちょっと奮発して泊まったメーホンソンの山の中に一軒だけある美しい自然に囲まれたナチュラルリゾートでは、従業員が全員地元のカレン族の人たちで、女性たちはヒマができると木陰に座り込み、カレンの女性のたしなみである「民族衣装の刺繍(ししゅう)」をはじめるのです。

私もちょうどヒマな時にしようと、日本から初めて持って来た「服の刺繍」にハマっていたので、お互いの刺繍を見せ合ったりして犹表談義爐鵬屬咲きました。(もちろん腕前は言うまでもなくカレンの人々のは見事なものでした)

大蛇「ナーガ」がシンボルとなっている北部の静かな町「パヤオ」は、「クワン・パヤオ」というパヤオ市民自慢の大きな湖があり、遊歩道が整備されていていい感じでした。この町はパヤオ湖で獲れる「天然の鯉みたいな魚を使った料理」が名物で、特に「丸ごと塩焼き」が美味しかったです。

それと日本の「なれ鮨」の発祥と言われている、パヤオ湖の魚を使った「プラーソム(ニンニクの効いたなれ鮨)」も名物で、琵琶湖の「鮒鮨」が好きな私はプラーソムもいける口です。パヤオはぶらぶらと散歩をしていると地元の人から一番爐曚曚┐瀛屬鍬爐多かった町で、車も少なく好感度大の町でした。


旅行中一度も日本米や日本食を食べず、ネットも見ず、テレビも見ず、電話もせず、世の中がいまどうなっているのか全く分からないような環境で、会話はタイ語、3日置きにタイの田舎町をバスやソンテオで3〜6時間くらい移動してホテルにチェックインする、の繰り返しでした。

「地図とペン」を手に、自分の足で町じゅうを歩き倒してだいたいの土地勘をつかんだあと、翌日からはじっくりと朝市観察、お寺参り、ラックムアン探し、タイマッサージ、川沿いでのんびり、ナイトマーケットなどなどを楽しみました。


私にとって旅の最大の楽しみである「食事」は、毎回爛蹇璽ル色の強い地元めし(=日本にはない郷土料理系タイ料理)爐鬚劼燭垢蘓べ続けた旅でした。

香りの良いハーブ、山の食材、野菜を上手に使った、大好きな「北タイ料理(ラーンナー時代からの伝統の料理。あえものや煮込み、ドロドロっぽいのが多い)」や、あれば3日に一度は絶対に食べる、タイ料理の隠れた名品「豚足の煮込み」(肌がコラーゲンで超ぷるぷる)、大好物のニンニクの効いたローストチキン(ガイヤーン)は何羽食べたかカウントできないほど。(ビール、ソムタム&もち米で最強メシです)

変わったところでは、パーイ、メーホンソンでしか食べられなかった「ねばり気の少ない納豆を使った惣菜料理の数々」が美味しかったです。(パクチーと納豆は最高に合う!!)

「甘いモノ」はビルマ文化圏でしか食べられなかった「緑豆を蒸してつぶしたものとココナツをまぶしたもちもち団子」が気に入り毎日食べていました。(日本の塩小豆大福みたいな味。日持ちしないので毎朝市場で食べる分を買う)


そんな旅ですので身も心もすっかり爛織げ臭爐靴撞国した私の目や感覚で、1ヶ月間ぶりに接する日本は「何もかもがけっこう新鮮」なのでした。

1ヶ月ぶりの肌寒い感覚や(タイは日中35度超えの真夏)、帰国まで一度も日本語を使わなかったので(チェンマイ以外で日本人をまったく見かけなかった)、爐擇蕕擇蕕汎本語で会話をすること爐垢薜譽月ぶりなのでとても新鮮です。

「冬服」を着ている人々も新鮮、看板や表示が日本語ということや、見渡すと日本人だらけということも新鮮、タイバーツじゃなく立派な日本のお札で支払いをすることも新鮮、物価の高さも新鮮、真面目で地味目な公共物が整然としていて壊れていないことや、トイレがウォシュレットでボタンだらけなのも新鮮、ついでにトイレに紙を流していいのも新鮮(アジアは絶対ダメ)。

もちろん一泊だけ西生寺に群馬の妹夫婦に来てもらい、私を迎えに東京に車で来て「到着ターミナル」の税関出口を出た所で待ち合わせをしていた爍吋月ぶりに会う夫爐眇形でした。

「あ、当院さんだ!本物だ!」がたいてい私の夫に対する第一印象です(笑)。


今回は、行きはいつもの「成田空港」発だったのですが、初めて帰国を「羽田空港」着にしてみました。国際線ターミナルの広い窓からは、子供時代や青春時代にお世話になったなつかしの多摩川(土手で遊んだり物想いにふけったりした)と、これまた超なつかしい「大師橋」、そして多摩川を挟んだ空港の対岸には私のふるさと「川崎」の街が見えました。

実家が船橋に移ってからというもの、全く川崎には行っていないので、まさに16年ぶりに見るふるさとの風景にしばらくその場から動けなくなり、なつかしさのあまりぐっとこみあげるものがあり、窓越しからだったけれど、こうしてなつかしい川崎の風景を眺められただけで羽田を選んで良かったと思いました。

「そのまま川崎へ行きたい…」と後ろ髪を引かれつつもやはり1ヶ月も私が不在だった西生寺が心配なので、久しぶりの日本のアレコレを新鮮な気分で楽しみながら、春みたいなポカポカ陽気の中を早朝の羽田まで迎えに来てくれた夫とドライブ、心ゆくまで日本語でおしゃべりをしながらその日のうちに西生寺に帰って来ました。


というわけで問題の我が家、旅の後半になるとけっこう気になってきた「西生寺の様子(=仲良く認知症を患っている父母の様子)」はどうだったのか?

気合いを入れて恐る恐る家に入ると、妹夫婦を見送りに来ていたお父さんと園子ママがたまたま玄関先にいて、これといって変化のない爐い弔發匹りの様子の父と母爐砲泙困楼谿多粥

1ヶ月も音信不通だった久しぶりに見る嫁子に対し、長老のお父さんは「おや」のみでこれといったコメントなし(笑)、園子ママからはさらりとひと言「あら、久しぶり」とだけ…。

去年は「直子さんはいつ帰ってくるの?」と、私が居ないことに執着し、毎日大騒ぎしていた園子ママなのに、今年は居ても居なくてもどっちでもいいみたいな、やけにドライな感じ。一度も「直子さんは?」という質問はなかったそうです。(というより、私の存在をすっかり忘れていたっぽいです(笑)。)

じつは私不在中、住職の夫が私の予想をはるかに超えた犲臧廚屬雖爐鯣揮してくれたので、私が不在でも父母にとってなんの不都合も感じなかったらしいのです。

夫が言うには、スーパーで適当に買い出しをして、一日3食しっかりと食事を作り食べていたとのこと。毎週のゴミ出しも、父母の薬も毎日忘れずに飲ませていたし(病院の薬の袋を見たら一回分ごとにちゃんと薬のパックが切ってあった!)、私たちの部屋も思ったほど散らかってなくて驚きました。

(覚悟を決めていた、父母の部屋そうじも、台所のお掃除も妹夫婦がいろいろとしてくれて大助かりでした)

さらに夫は、雪が消え冬型の強風で落ちまくった杉っ葉が汚く散乱した境内や永代供養墓エリアを、晴れた日にひとりで「掃き掃除」をして来たる「お彼岸」に備えていたとか…。

むむむ、すばらしいではないか。

これでは「タイボケ・南国ボケ」などとは言っておれず、私も急ピッチでタイ化した心身の日本化をすすめ、なんとか帰国3日後の檀家さんが集まる「彼岸会」には、8割方、いつもの寺庭婦人阿刀直子に戻ることに成功したのでした。


そうそう動物病院(ペットホテル)にロングステイしていた我が家の飼い猫タビーのことも少し。

翌日にさっそく迎えに行き、36日ぶりにタビーと再会しました。いつもと変わらないプリプリモコモコの元気な姿で現れ「タビーちんってこんなにカワイかったっけ?」ってびっくりでした(笑)。

ステイ中は次々と入れ替わる犬やネコたちとフレンドリーに過ごし、一度も外へは出たがらなかったタビーですが、我が家に帰ってきてからはすぐに弾丸みたいに境内へ飛び出して行き、早くもネズミを一匹捕獲してきました。めずらしく爐佑海舛阿薛爐お気に入りで、帰宅以来日中はずっとちぐらにこもっています。


過ぎてしまえばあっという間だった私の「タイひとり旅」。「最後かもしれない」という思いを胸に充実した楽しい旅でした。思い残すことはないと今は言い切れます(たぶん…)。

またいつも通りの「おてら暮らしの日々」が始まりました。

これからはずっとずっと西生寺にいる毎日です。お寺の私の仕事をもりもりとやり、境内やお寺を取り巻く身近な自然や物事に関心を寄せ、新たな在宅趣味でも見つけて「愛すべき西生寺暮らし」をさらに満喫したいと思います。




●画像左…ビルマ様式の寺院(メーホーソン)
寺院の「門」はこのように一対の獅子。「わあ、ビルマスタイルのお寺だ」と見てすぐにわかるのはやっぱり屋根。重なり合った屋根が塔みたいに空に突き出る繊細な装飾が施されていて独特。タイは本当に狃衒僂錣譴亅爐如△修涼楼茲領鮖砲篳襪蕕靴討い詭餌欧砲茲蟷院の様式が変わるので興味が尽きることはなく、お寺参りはやめられません。

●画像右…ビルマ寺の「寝釈迦さま」(メ―ソート)
夕方のお散歩で見つけたビルマ人街みたいなちょっとディープなエリアにあったビルマ寺。広い芝生の境内で子供たちがサッカーをする中、夕方のやわらかい日差しを浴びて気持ちよさそうに横になっていた大きな寝釈迦さま。南国の風土にぴったりなのんきな寝釈迦さまは東南アジアでは多く見られ、私も大好きです。


【おしらせ】:下の「てら通」の蘭にも「★旅のスナップ」をご用意しましたので引き続き興味のあるかたは「旅報告」をどうぞ。


2016/03/24(木)
★旅のスナップ:ビルマ様式寺院の「お堂」














●画像左右…典型的なビルマ様式のお堂。


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