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2011/07/16(土)
★西生寺「大般若祈祷会&合同供養祭」の一日(1)











7月15日に行われた「大般若祈祷会」と「水子総回向(合同供養祭)」は今年も大勢のお参りをいただき無事に終了いたしました。当日ご参拝をいただいた方、事前にお塔婆をお申し込みいただいた方、一日お手伝いをしてくださったお勝手の方、みなさん本当にありがとうございました。

それにしても今年は暑かった…。「大般若」は毎年7月15日なので、例年ですとちょうど梅雨明け直前の激しい雨と重なることが多かったのですが、今年は近年では初の「梅雨明け開催」となりました。まるで8月1日の「新盆会」を思わせる、焼け付くようなピーカンの日差しと、30度を越す猛暑の中での「大般若会」。しかも法要は暑さのピークとなる午後からです。助法していただいた組寺のお坊さん方も、お参りに来た人も、お勝手の皆さんも、私も、みーんな汗をふきふきの一日でした。

※そう、西生寺はお堂や庫裏に「エアコン」が無いんです(たぶん他のお寺の多くも本堂などにエアコンはないと思います)。参拝者は高齢の方がほとんどですし、熱中症などを心配したのですが「寺社仏閣」というのは不思議な建物で、窓を開け放すと自然の風が吹き抜け、「お寺は涼しい。」という昔からの定説を、なんとか実証できました。天井が高く熱がこもらないというのが最大の理由かもしれません。

というわけで、今回の「おてら通信」は「大般若の一日」を時間で追って画像で紹介したいと思います。


※画像左:☆AM5:00「「霊供膳(れいくぜん)」完成
この日の私は朝4時起き。一汁三菜の仏さまの「霊供膳(れいくぜん)」を作ることから始まりました。四膳分を作り、それぞれ「位牌壇」、「施餓鬼壇」、「御本尊の阿弥陀さま」、「弘智法印即身仏さま」にお供えしました。

※画像右:☆AM10:00〜「参拝者到着」
送迎バスが次々と到着。「庫裏」の入口を入ってすぐのところににつくられた「帳場」で受付をする参拝のみなさん。地元の寺泊野積地区の方、世間(その他のエリア)の方、檀家さん、信者さんなどさまざまです。


2011/07/16(土)
★西生寺「大般若祈祷会&合同供養祭」の一日(2)











※画像左:☆AM11:30〜「ミニ説教」
毎回恒例の、西生寺長老(お父さん)による挨拶をかねた「ミニ説教」。だいたい30分くらいです。本当の狢╂吻爐里茲Δ如壇に立つまで何も話すことを考えていないそうです。本山の特派布教師として数十年のキャリアがそれを可能にさせているのでしょうか…。「昔とったなんとか」で、猩辰垢海鉢爐身体に染み着いているのかもしれません。

※画像右:☆PM12:00〜「斉飯(昼食)」
地元の村にあるおなじみ「民宿山長」さんの仕出弁当です。今年のお弁当はこんなかんじです。彩りがきれいですねー。このお弁当にデザート代わりの「缶コーヒー」がつくのが西生寺の定番です。


2011/07/16(土)
★西生寺「大般若祈祷会&合同供養祭」の一日(3)











※画像左…庫裏の「昼食風景」
昼食といってもすでに食後のだっくらとした空気がただよっていますね。おとき(昼食)をいただいて、午後1時からの法話まで各自自由にのんびり過ごします。画像には写っていませんが、手前に4名ほどがマグロのように(失礼、)仲良く並んでお昼寝をしていました。吹き抜ける風がなんとも心地よい昼下がりです。

※画像右:☆PM13:00〜「法話」
本覚院住職「渋谷隆阿(しぶやりゅうあ)」僧正さまの「ご法話」です。
真言宗豊山派きっての布教師で、自らあみだした「節談説法(ふしだんせっぽう)」が特に有名な方です。西生寺では「大般若」と10月2日「弘智講」のお説教は、昔から本覚院さまにお願いしています(本覚院さまいわく20年以上だそうです)。軽快な語り口で笑いをまじえた本覚院さまの法話を、毎年楽しみにしている方も大勢いらっしゃいます。(普段お話をしていてもとても話し上手な方です。)


2011/07/16(土)
★西生寺「大般若祈祷会&合同供養祭」の一日(4)










※画像左:☆PM14:00〜「大般若転読会」
15名のお坊さんにより「大般若経600巻」を一冊ずつ「転読」しています。大きな声で「だーいはんにゃーはらみったきょう○△□…!!」と唱えながら、アコーディオンのようにバサバサと経本をめくります。このときに起こる「梵風(ぼんぷう)」がとてもご利益があるといわれています。全体を見回してみますと、さらさらと控えめに上品に経本を転読するお坊さん、大きな声で最高マックスの高さから豪快に転読するお坊さんなどさまざまです。転読した「経本」で、体の悪い部分をぽんぽんと叩いてもらうための順番の列ができていました。



※画像右:☆PM14:30〜「お施餓鬼法要(合同供養祭)」
お施餓鬼(せがき)法要による「合同供養祭」です。水子供養や永代供養など亡くなった方に対して供養のお経をあげる法要です。画像は大勢のお坊さんの読経のあと、お申込いただいた「お塔婆」を住職が一枚一枚読み上げているところです。このあと再びお経をあげて本日の行事は全て終了です。時刻は午後4時をまわっていました。


2011/06/19(日)
★7月15日「大般若会」準備はじまる











ここ一週間くらい毎日、住職と手分けをして毎年7月15日に行われる年中行事「大般若祈祷会」と「水子総回向(合同供養祭)」の「ご案内の手紙」数百通分を作成していましたがようやく終わりました。この「大般若会」と10月2日の即身仏のお祭りの「弘智講」が西生寺の年中行事の大きな二本柱となっています。どちらも毎年多くのご参拝をいただいております。

受付寺務所の中にある「添乗員休憩室」のテーブルの上がその「手紙作り」の臨時の作業場でした。あいかわらず今年はこの時期になっても観光バスなどはほとんど来ませんので、テーブルいっぱいにもう遠慮なくのびのびと、書類、封筒など山積みにして、印刷物を折ったり、振込用紙をはさんだり、封筒に入れたり、ラベルを貼ったりと「内職」さながらの作業の日々でした。

「ご案内の手紙作り」は、7月15日の「大般若会」にむけて毎年欠かせない準備のひとつですが、繰り返し繰り返しの狠噂禳邏鉢爐鯡曄垢箸垢襪里呂韻辰海根が詰まってキツイものがあります。ですから手を休まずに折ったり入れたりしながら、手元から視線を上げず、集中力を切らさない程度の爐燭錣い發覆い海鉢爐鮟賛Δ噺澆い縫椒愁椒修伐駭辰靴覆ら作業をすすめました。

この作業から解放され、ほっとひと息、かなりだっくらとしたところで今回の「おてら通信」は、そんな手紙作りに追われたある日の私たち夫婦の「たわいもないボソボソ会話」を冷静に振り返り、ドキュメントしてみましたのでどうぞ。。。

私:「今年の大般若は金曜日だよ。」
夫:「平日かぁー。」
私:「一昨年だか日曜日の時は、若い家族連れとかカップルとかたくさんお参りがあって良かったね。でも平日じゃ無理か。」
夫:「うーん厳しいなあ。平日はみんな勤めがあるからねえー。」

私:「うちの大般若も7月15日じゃなくて7月の第3日曜日とかにしちゃダメなの?その方が絶対にお参りがあるもの。時代の流れだよ。」
夫:「時代の流れと言われてもねえー。組寺(くみじ)との関係もあるしなあー。」
私:「行ったり来たりで助法し合う他のお寺さんが犖把蠅瞭にち爐任靴討い襪らうちばっかりダメって事か…」
夫:「土日はどこのお寺さん方も忙しいからね。」

私:「ねえ、森ガール、山ガール、釣りガールって言うでしょ。」
夫:「うん。」
私:「 今一番新しいガールって何ガールか知ってる?」
夫:「知らね。」
私:「知りたい?」
夫:「別に知りたくない。」
私:「じゃあ、言わない。」
夫:「でい、何ガールなんだ?」

私:「寺ガール。」
夫:「てらガール…笑、何だ寺ガールって?」

私:「なんかね、お寺を癒しの場所にしたり、自分磨きの場所にする東京のOLさんとかなの。」
夫:「へえ」
私:「東京のど真ん中でも、昔から変わらないお寺がなんかほっと落ち着くらしいよ。」
夫:「へえ、落ち着くねえー。」

私:「お弁当持って解放されたお寺のお堂でランチ食べたり、夜はお寺でヨガしたりしているよ。」
夫:「ヨガですかー。」
私:「ヨガって今人気だから。あれ、ヨガじゃなくても阿字観(※あじかん:真言宗の座禅&瞑想)はどうかな。あなた師範でしょ。」
夫:「まあね。とりあえずね。ハハ」
私:「御詠歌も弘願寺(※兼務する新潟市内の寺)で教えているけど、寺ガールって雰囲気じゃないか。」
夫:「ちょっとねえ。若い子がやればかなり渋い趣味だわな。」

私:「そうそう東京のお寺、カフェやってるお寺もあったよ。寺庭婦人特製のおてらスイーツ食べて、雑誌とかも自由に読めるの。」
夫:「すげえな」
私:「うん。しかも今言ったヨガもカフェも、ぜんぶ無料なんだよ。」
夫:「タダ!それまたすごい話だな。タダなら寺ガールも人気だわさ。」

私:「まあね、でもなんかうれしくない?若い子がお寺の良さに気付いてくれているっていうかさ。」
夫:「そうだけどタダはキツイよね。…そうか…、オレの爐てら飯爐浪燭いいかなー。」
私:「おてらめし?」
夫:「そう。おてらカフェで出すメニューだよ。料理人のボクとしては腕がなるからね。」
私:「料理が得意なお坊さんはそうはいないもんね。繁華街の弘願寺なら立地は最高だし。」

夫: 「でしょ。よし決めた。住職特製のカレーライス、どうだ?ボクのカレーは旨いからね。これははずせないね。」
私:「えー、カレーライス?それだったら、前世は自称ラオス人の寺庭婦人特製のタイ料理もあるよ。」
夫:「ちょっといただけないねー。寺庭婦人はやっぱしスイーツじゃない?」

私:「ねえ、なんでみんないつの間にデザートとかケーキとかお菓子じゃなくて、スイーツって言うのかな?」
夫:「知らないよ。甘い菓子まとめて言ってるんだろ。」
私:「パン屋だってブーランジェリーだよ。ジャムだってコンフィチュールだよ。なんか変だよ。」
夫:「知らないよー。なんでもかんでも気取って言って高く売る計算なんだろ。」

私:「大東亜戦争の時さ、英語が敵性語で使えなくなったでしょ。パンもダメじゃん。パンて何て言ったか知ってる?」
夫:「知らない。」
私:「麺包(めんぽう)。麺を包むって書くの。パンが生麺包で、乾パンが乾麺包って言ったんだよ。」
夫:「変なだ〜。麺包じゃ、漢字にしても意味がわからないよな。」
私:「うん。軍隊用語だよ。パンはかなり苦労した言葉なんじゃない。現代の日本はこの逆の現象だね。」
夫:「どっちも変なだなぁー。ふつうに言えばいいねっかなあー。」

私:「そういえば、庫裏の女子トイレってね、お父さんが洋式トイレにわざわざ張り紙しているの。」
夫:「へえ、何て?」
私:「腰掛式便器って。笑えない!ぜったいに可笑しいよ。今どきコシカケシキベンキはないでしょ!」
夫:「むごい。大昔はそう言ったんじゃないか。」

私:「あと、バナナ(長老の常備食)が大量に入っているダンボール箱も何て書いてあるか知ってる?」
夫:「知らない。」
私:「サマーオレンジ。夏みかんのことよ。どう考えたって夏みかんは夏みかんじゃない?」
夫:「じゃあ冬みかんは、ウインターオレンジかよ。」

私:「あー、食べ物の話ばかりと思ったらもうお昼の時間だ。テレビつけて天気予報見ようよ。」
夫:「もうそんな時間かあー、今日も終わらなかったなー。よし、もう少しやるか。」
私:「座って手を動かしているだけでも人間っておなか空くんだねー。何カロリー消費したんだろう。」

夫:「今日の昼メシはなんだ?」
私:「ミルクパンと、びわ。」
夫:「びわ?」

私:「弘智さまのお下がり。ネズミに食べられる前にさっき下げたの。 4Lサイズだよ!」
夫:「でっけー。」
私:「千葉の御信者さんが送ってくれたの。特産の房州びわ。」

夫:「あの御信者さんは毎年びわを送ってくれるなあ。ありがたい話だわさ。」
私:「本当にね、私びわ大好き。びわの種と身の間の汁をすするの。汁、気にしたことある?」

夫:「ない。早くパン出して。ひと息つこうじゃないか君。えっとミルクパンは牛乳生麺包だな(笑)。」

私:「私たちって、毎日がおてら飯だね。ミルクパンでもおてら飯って言うのかしら?」
夫:「言うさ。我々は死ぬまでおてらカフェでおてら飯なのさ。」

−おしまい。

※7月15日の「大般若祈祷会」についてのご案内は「トップページ」を御覧ください。この日のメイン法要「大般若経転読会」は、大般若経全600巻を大勢の僧侶が一斉に一冊ずつ大声で転読していく迫力満点でちょっと珍しい法要です。

※画像左…境内に咲き始めた「アジサイ」

※画像右…弘願寺「御詠歌教室」の様子
御詠歌のはなしが出ましたので「、御詠歌教室」の話をしましょう。
弘願寺(新潟市中央区古町6)では毎月28日、御本尊「お不動さま」の御縁日に、
午後1時より「法話」と「御護摩」を焚いて「法要」を行っています。
また、同日の午前11時半ころより「御詠歌教室」も開催しています(生徒募集中、無料です)。
ご信者の方の「御詠歌を習いたい」との要望で始めた「初級御詠歌教室」も半年が過ぎました。
生徒さんも少しづつ増え、みなさん本当に熱心に取り組んでおられます。聞くと、自宅での毎
日の練習を欠かさないようで、月に一度の教室ですが、月ごとに目に見えて上達していくので
感心しています。
教室は優しくソフトな?住職の指導のもとであせらずのんびりのペースです。
70代〜80代の方ばかりですが「御詠歌を習えて楽しくってしょうがない♪」そうです。
暮らしに溶け込んだ信仰と、持病と上手に付き合いながら好きな趣味を持ち、集える仲間がい
る犖亀ぅ魯張薀弔淵轡縫▲薀ぅ姚猯匹い任垢諭次私の目標です。


2011/06/07(火)
★博物館の怪談展「雷獣くんミイラ」に会いに行く











4月23日から始まった県立歴史博物館の企画展「博物館の怪談」も、早いもので先日6月5日(日)についに終わりを迎えてしまいました。

「6月5日までまだまだ相当に先だなー。」と悠長にかまえているうちに、気付けば5月も終わりそうな時期に。あやうく「雷獣くんミイラ」の雄姿を見ないままに、彼が帰ってくることになりかねず、あわてて5月末のぽかぽかお天気の日に、城下町与板(あの大河ドラマ「天地人」の直江兼継とお船のふるさとのまち)の街中を抜け、のんびりエコドライブで雷獣くんに会いに長岡市内中心部にある「県立歴史博物館」を初めて訪れました。

「いやいやうっかりしていたなー。雷獣くん怒ってるかなぁ。爐曚の関係者の人はみんな来たのに、ボクん家だけ来ない爐箸ってさ。」
「江戸時代には人々を恐怖におとしいれた彼のことだし、ああいうミイラって永遠だから、私の一生分の時間くらい平気でぶちぶちと恨み節を言いそうだしね。」

縄文時代中期〜後期の火焔土器&石器類が大量に出土された一大集落跡「馬高・三十稲場遺跡」のそばの高台にある、近代的な建物の「県立歴史博物館(平成12年完成)」に到着、招待券を受付に出してさっそく入館しました(そう、招待券をいただいていたのです)。

他の展示はあとからじっくりと観ることにして、とりあえず「雷獣くんミイラ」のもとに急行。温度22度、湿度51%に保たれたブースの中の、木箱の上に白い布を被せてその上に「雷獣ミイラ」は展示してありました。

私:「おー!雷獣くんだー。久しぶり!」
雷獣くん:「…(無視)。」

私:「ごめん、来るのが遅いっていいたいんでしょ?ちょっといろいろあってね。」
雷獣くん:「ホカノ関係者ノヒトハミンナ来タノニ、ボクン家ダケ…」

私:「わかったてばー。悪かった。」
   「それにしても立派なところに展示してもらって見違えるようだね、うん、輝いているよ。」

雷獣くん:「…(照れ)。」
      「トナリノ化け猫トハ、トモダチニナッタ。サドノムジナモイイヤツダ。」

よし、よし、雷獣くんミイラの機嫌が直ったところで、さっそく写真を撮りたかった私は、館内にいた研究員の方に「あのー、雷獣ミイラの家の者なのですが…」とちょっと間のぬけたような言い方で申し出(このセリフ以外にいくら考えても思いつかなかった)、無事に「撮影の許可」をいただきました。

しかも「報道関係撮影者」みたいなことが書いてある「腕章」を腕につけるよう指示されるという予想外の展開に、うれしはずかしのマスコミ気取り(気分は新聞記者)でパチパチと写真をとらせてもらいました。

そのあと、雷獣くんのブースの真向かいにちょうどよいソファーがあり、そこに腰掛けて団体で訪れた子供たちや来館者の「雷獣ミイラ」に対する爛螢▲ション爐鬚舛腓辰抜兒,垢襪海箸砲靴泙靴拭この日も博物館「常設展」の「縄文時代」と「にいがた米作り」の勉強がメインで訪れた、県内の小学校の児童がバス数台で見学に訪れていました。

後ろでじーっと観察をしているあやしい身内がいることも知らずに、けっこうほとんどの子が「雷獣ミイラ」の前で「おっ!」という感じで立ち止まります。

児童:「うわっ、ミイラだって!」
児童:「らいじゅうみいら?なんだコレ、本物か?」
私(心の声):(本物ですよー。カワイイでしょ、うちの子。)

児童:「オレいま、すげーゾクゾクする。マジこれ?」
私(心の声):(そうそう、そういうゾクゾク感が子供には大切な刺激なのだよ。)
雷獣くん:「…(得意げ)。」

さーっと風のように子供たちが去り、子供たちの旺盛な好奇心を刺激して、かなり得意げになっている雷獣くんと私の前に、パパと5歳くらいの息子の「親子」が登場しました。実はこの親子がこの日一番のピカイチインパクトを私たちに与えたのです。

息子:「 パパこれなに?」

父親:「置き物だよ。」

私(心の叫び) :(お、お、置き物ですかーーーっ!!)
雷獣くん:「###!!」


このお父さん、干からびた灰色の動物らしき物体を見た息子の「これなに?」と発した質問を、間髪入れずにさらっと受け流したような返答が「置き物」でした。たしかに「置いてある物」だから、広い定義でいえば間違いなく「置き物」ですよ。ただ雷獣ミイラを「置き物」でくくってしまうのもちょっと違うような、違和感があるなー。

「じゃあ、置き物っていったい何なの?」ソファーで考えこんでしまいました。

もし雷獣ミイラが置き物ならば「熊が鮭をくわえている木彫りのヤツ」とか「博多人形」よろしく玄関や居間に「雷獣ミイラ」もありなのか。。。「動物のはく製」が普通に置き物として飾られていることを考えると「動物のミイラ」も置き物になりえるのか。。。

私:「雷獣くん、我が家の玄関で置き物してみる?」
雷獣くん:「(応答なし)」 ←貝のように心を固く閉じてしまったようだ。

私:「冗談だってばー。雷獣くんは宝物堂のリーダーだもんね。置き物なんかじゃないよ。みんな早く帰ってこないかなーって言っているよ。いつまでもパネルの写真(留守中の展示)じゃ味気ないもの。」

私の結論。雷獣くんミイラは置き物にあらず!

気をとりなおし、腕章を貸してくれた研究員の方に話をうかがうと、インパクトのある「雷獣ミイラ」は大人子供ともにけっこう人気だそうです。子供たちに一番人気は、最後に登場する「四ツ谷怪談」の超リアルで生々しい恐ろしい形相の「お岩さんのお面」だそうです。このお面は祟りがあるといわれているとかで、正視するのも怖かったです。

「妖怪博士(反妖怪派)」と言われた哲学者「井上円了」の妖怪研究コーナーでは「こっくりさん」の起源がわかりました。

明治17年(1884年:鹿鳴館で仮装舞踏会が始まり、女性の洋装が盛んになった年)、伊豆半島に漂着したアメリカ船の船員が、当時国内で流行していた「テーブルターニング」を見せたところ、日本でも流行するようになったそうです。明治の頃のこっくりさんは、三本の棒を縛って三つ足に立てた台の上に平皿を乗せて行うスタイルで、円了はこっくりさんの現象を「動くと期待する心理や動揺が、筋肉を無意識のうちに動かしているにすぎない」と総括していました。

以外と面白かったのがさまざまな「幽霊画」でした。定番の「女の幽霊」の他にも「イケメン男子幽霊」、「骨(ガイコツ)幽霊」、「抱子幽霊」、「ただのオヤジ幽霊」、「透け透け幽霊」、「流血ドロドロ幽霊」などいろんな幽霊画の掛け軸が展示してあってとても見応えがありました(残念ながら西生寺には幽霊画はありません)。

県立歴史博物館では一年に4度の企画展を催しているそうですが、その都度、あれだけの膨大な資料を犖Φ羂自らが各地へ赴き借りて来て、構成を考えて展示をして、終了後の「後片付け」と梱包、資料を再び各地へ返還する作業爐魴り返しているわけで、神経も使うし「何かを集めて展示するのって以外と大変なんだなー」とつくづく思いました。

ちなみに次回の「企画展」はがらっと変わり、7月30日(土)〜9月11日(日)の期間で「越後の大名」展だそうです。ここには書きませんでしたが、全国一の「縄文火焔土器の宝庫」の新潟県らしい、縄文時代を広いスペースでじっくりと紹介した「常設展」も大変面白く、この日は一日中博物館で過ごしてしまいました。

湿度も温度も天然任せな西生寺宝物堂ではありえない、VIP待遇の快適ライフを過ごしていた雷獣くんミイラが「西生寺」に戻ってくるのは、「資料借用書」によると6月17日(金)を予定しています。


※画像左…「新潟県立歴史博物館」全景
さすがは県立、予想以上の立派な建物を前に「こんな立派な博物館に
我らの雷獣くんが展示されているのかー」と思うと感無量で胸がいっぱいに。
この博物館のシンボルやロゴマークははもちろん「火焔土器」です。

※画像右…「博物館の怪談」展で展示中の雷獣くんミイラ
マスコミ撮影用の腕章を腕につけて張り切って撮影に挑んだわりには、
この程度の 腕前でした。まだまだですなー。
それにしても「河童」がお尻の穴が3つもあるとは知りませんでした。
しかも、おならが狢僂難き臭さ爐覆里世修Δ任后


2011/05/26(木)
★「寺庭婦人会総会」出席











真言宗智山派「新潟第一教区寺庭婦人会総会」が先日、新潟市内のレストランを会場に行われました。
この寺庭婦人会のお話は少しおいておいて、今回は先にちょっとだけ「教区」についてお話をしたいと思います。

真言宗智山派は各都道府県に「教区」を設定しています。教区がひとつの県もありますし、寺院数が最多の埼玉県は「第12教区」まであります。第1とか番号ではなく、東西南北に分けたり、地方名で分けたりとさまざまです。千葉県などは「安房第1〜4」、「上総第1〜4」、「下総海銚」、「下総匝瑳」、「下総香取」、「下総印旛」と分かれていてかなり独特です。新潟県の場合「新潟第1〜第3教区」と「佐渡教区」の4つの教区に分かれています。そして私たちの「寺庭婦人会」も各教区ごと設定されています。

西生寺の属する「第一教区」は、県最北の村上市から順に、胎内市、新発田市、聖籠町、新潟市の下越エリアと、我々の住む長岡市寺泊地区や弥彦村、燕市などの中越エリアの一部を含む広範囲におよびます。南北にとっても長いので、毎年開かれる総会はたいていちょうど真ん中にある、交通も便利で会場探しにも事欠かない新潟市内で行われることが多いです(広範囲といっても、教区がひとつしかない北海道に比べればたいした事はないのでしょうが…)。

第一教区で寺庭婦人会に登録されている寺院数(寺庭がいるお寺は自動的に入会)は40ヶ寺以上もあります。ただ一年に一度の「総会」や「研修会」などに参加をする寺院はだいたい決まっていて、今年の総会も例年どおりの3分の一程度の出席でした。(同じ教区内でも一度もお会いしたことのない寺庭婦人の方もおられます。勤めている方も仕事を休んで出席する方もいますし、専業寺庭でも出席されなかったりとさまざまです。)

もちろん私は結婚以来毎年、積極的に出席をしています。たまにはきちんとした格好をして「西生寺代表の寺庭婦人」として、公の場である総会に出席をして協議をしたり、本山研修の報告を聞いたり、同じ立場でお寺や住職を支えている同年代や先輩の寺庭の皆さんと話をするのはとても楽しいし勉強にもなります(もちろん、懇親会でのおいしいランチも楽しみです)。

ちなみに園子ママとはずっと一緒に出席をしていたのですが「もう歳だし、若い方も増えているし、私はそろそろ引退させてもらうわ」とか言って、数年前から私が全権?を託されてひとりで出席しています。

今年の総会では協議が終了した後、新潟第一教区の教区長さまをお招きして「ご講話」をしていただきました。実は現在の教区長さまは、当山西生寺のすぐおとなりの「南泉院」さまのご住職さまなのです。このたびは教区長さまとしてちょっと緊張した面持ちで登場した南泉院さま。犲坊の南泉院にまつわるあるエピソード爐鬚話してくださったのですが、とても印象に残る良いお話でしたので紹介したいと思います。

おととし平成21年8月21日の午後のことです。法事から帰って来ると、60歳前後の見知らぬ男性が庫裏の間で住職を待っていたのだそうです。この男性は住職に爍苅闇前のある出来事爐鮓譴蠅呂犬瓩泙靴拭


≪男性の話≫
≪−40年前、当時農家の次男坊である自分は19歳の浪人生でした。春の受験に失敗していらい、全てがどうでもよくなり、投げやりな気分で毎日を過ごしていました。ある日、目的もなく長岡駅から寺泊行きのバスにのり、なんとなく降り立った場所が野積でした。それからあてもなくふらふらと弥彦山の山道を登ると、目の前に現れたのが南泉院さまだったのです。思い切ってお寺を訪ね、当時の住職さま(故人)に身の上をお話したところ「しばらくこの寺で過ごしたら良いでしょう」と滞在を勧めてくれたうえ、お部屋まで一室用意してくれました。私はご好意に甘えて南泉院さまにしばらく滞在することに決めました。

毎日奥さま(教区長さまの母親で当時40代初め)の手料理をいただいて、お寺で過ごすゆったりとした時間に、どんどん自分が癒され、すさんだ気持ちも回復していくのがわかりました。気付けば一ヶ月もの長い間、南泉院さまにお世話になっていました。先代さまに「このまま僧侶になるか?」と半分冗談で勧められましたが、この一ヶ月の滞在中に自分は「教育者になろう、そして社会に貢献するような生き方をしよう。」と決意していましたのでおことわりしました。

そして翌年の受験で大学に入り、法律の勉強をしているうちに「福祉の仕事につきたい」と思うようになりました。福祉施設を造りたい、そのためには資金が必要です。勉強している法律を生かし、安定した収入を得るために、私は「判事(裁判官)」になりました。判事をしながら資金をためて、鎌倉の自宅の敷地に念願の「福祉施設」を造りました。

いま私は59歳ですが定年退職まであと11年です。今日40年ぶりに南泉院さまを訪ねたのは、見ず知らずの青年を一ヶ月もお世話していただいたあの時のお礼をあらためて述べたかったのと、ある狄瓦坊茲瓩討い襪海鉢爐砲弔い討匹Δ靴討發話をしておきたかったからです。

それは、人生の大きな節目となる定年退職を70歳で迎えたあかつきには、あの19歳のときに過ごしたように、もういちど南泉院さまに一晩泊めさせていただき、お母さまのなつかしい味の手料理をいただきたくそのお願いにあがったのです。なぜこのような心境に至ったのかと申しますと、南泉院さまで過ごしたあの時の一ヶ月が、こうして歳を重ねてみればみるほど、自分にとって人生の大きな分岐点だったと思えてならないからです。突然の勝手なお願いで申し訳ありません−≫


教区長さまは当時は13歳の中学生、そして当時40歳ちょっとだったお母さまはいまでは80歳を越えるおばあさまになっていました。おばあさまとその男性は40年ぶりのなつかしい再開をたがいに喜びあったそうです。そして教区長さまは、そばで一緒に話を聞いていた母親のおばあさまに、

「お袋もあと11年は元気でがんばって○○さんとの約束を果たさないといけないね。良い張り合いができたね。」
と話されたとのことです。

話の最後に教区長さまは結論として「我々住職や寺庭婦人などの寺族は、自分たちが想像している以上に、人さまの人生に関わっているんだという事です。そういう自覚をもって日々を過ごしてほしい、一期一会を大切にしてほしい。」と話を結ばれました。

人生のターニングポイントとなったお寺で過ごした日々が忘れられず、感謝の気持ちを40年間も持ち続けて生きてきた男性の強い恩の気持ちを、驚きと感動で聞いた私ですが、同時に寺族としての人との接し方など、自分自身のこれまでを振り返ってしまい、少々自省の念にかられましたが「過去は過去、大事なのは気付けた事と、これからだよ。」と立ち直りも早く、教区長さまの〆の言葉を胸に刻んで今からスタートすることに決めました。

さて、教区長さまの講話の後はお待ちかねの「懇親会ランチ」でした。同席した教区長さまは女性陣となごやかにおしゃべりをしながら食事を終えて、ひとあし先にお帰りになりました。(この時すでに食事がはじまって2時間は軽く過ぎていました。)

男子一点だった教区長さまが居なくなったとたん、懇親会は遠慮のない「女子会」と化し、控えていた女子会トークが炸裂する事態になり(乳がんのマンモグラフィー検査をした時のおっぱいをはさむ話とか、お嫁さんが欲しいとか、いつも盛り上がる定番話いろいろ)、「被っていたネコがとれた?」と皆で顔を合わせ、思わず大笑いをしてしまいました。


※画像左…「総会」の様子
中央に立ってにこやかにお話をされている方が教区長さまで南泉院ご住職の三富良晴僧正です。

※画像右…メインの「肉料理」
今回会場となったレストランは新潟市内にある「モナミピエロ」というわりと老舗のフレンチレストランです。「モナミ」は昔から寺庭婦人会関連ではよく利用する店です。ここの料理は、昔ながらの濃厚なソースや手をかけた調理法を用いたしっかりとしたフランス料理なので私は好きです。この日は全6品のフルコースをいただきました。


2011/05/18(水)
★その後シリーズ4(草木編)











「阿弥陀堂裏手の湿地帯に咲くミズバショウをぜひとも″その後シリーズ″に入れてくれ。」

との住職の熱い要望により「その後シリーズはもうおしまい。」と思っていたのですが、ダメ押しに追加することにしました。
そうそうついでですので「カタクリのその後」です。「葉っぱ」は完全に無くなり、地面からひょろんと伸びた「茎」とその先につく「実」だけがカタクリの存在を知らしめています。三角の実はさらに大きくなり、色が緑色から紫茶みたいな色に変化しています。

◎画像左…「ミズバショウ」のピークショット(4月末)

あまりに立派なたたずまいだったので、思わずデジカメを母屋まで取りに走って撮った一枚です。はるかな尾瀬に行かなくても、西生寺境内でもミズバショウ群を観賞できるのですねー。以前関西からのお客さまが「あーれーミズバショウじゃない!」と大騒ぎしてましたっけ。

◎画像右…「ミズバショウ」の今

春に出回る「菜っ葉」のように、のびのびと成長した葉っぱに花や軸?もすっぽりと覆われてしまいました。(わかりますか?下の方に白い花一輪と花びらがなくなった軸3本が写っているのですが…)


2011/05/12(木)
★その後シリーズ3(番外編)
「その後シリーズ」を更新した矢先、五泉市に住む弘智法印さまの信者さんの御夫婦がお参りに来られて、今朝とったばかりだという「新鮮な山菜」をどっさりとおみやげにいただきました。

新潟県五泉市は奥深い山々が連なる中にある町で(人口約5万5千人)、山はまだ雪が多く、山菜採りや山歩きが趣味のご主人いわく「2ヶ所あるナワバリのうち、一ヶ所はまだ雪におおわれていて入って行けない」とのこと、今年は積雪が多かったので雪解けがおそいそうです。西生寺の境内ではすっかり成長して爐修慮絅轡蝓璽再り爐靴討靴泙辰拭屬佞のとう」や「こしあぶら」もまだまだ出始めだそうで、ふきのとうなどは狎磴遼校勠爐鬚ぶったままだったそうです。

それにしてもなんてちょうど良いタイミングなのでしょうか。おかげで「注目ピーク(食べごろ)はこんな感じでした!」を紹介できることになりました。種類別にていねいに分けられた袋から、山菜を撮影用にざるに並べました。左より「ふきのとう」、「タラの芽」、「コシアブラ」です。ふきのとう、タラの芽、コシアブラの小さいのは「天ぷら」で、コシアブラの大きいのは「ごまあえ」にしました。

そう言えばこの御夫婦が、境内の爐△觴木爐砲弔い董

「めずらしいね、コレがあるんだ。この木は○○と言ってね、とってもおめでたい木なんだよ。」
「何でおめでたいかわかる?直子さん。これはね、花と実が一年中途切れることがないから…なんとかかんとか…」

みたいなことを、たびたび私に説明してくれるのですが、植物オンチな私にはついてゆけないハイレベルな内容で、何度聞いても意味がわからず、わからないわりには気になっていて、気になっているわりには「どの木だったのか?」さえもわからなくなってしまっていることを思い出しました。確か枝にぽつんぽつんと小さな黄色の花が咲いていたような…いつ?えっと冬か?
(うーん植物はわからん、頭痛がしてきた、、、)


◎画像…五泉の山で採れた「山菜」


2011/05/09(月)
★その後シリーズ1(草木編)











あざやかな新緑が目に染みる一年でいちばん好きな季節の到来です。ウグイスやトンビののん気な鳴き声を耳に、境内の木々の若葉を眺めていると、自然と「いろいろとあるけれど、なんとかなるんじゃないか」って気楽な気持ちになれる、ホントありがたい季節です。

さて、今年のGWも終わりました。過ぎてしまえばあっという間でした。参拝者は例年よりはだいぶ少なめでしたが、それでもGWらしく混み合う日もありました。こんな穴場のお寺によくまあ足を運んでくださったと、ありがたいこっちゃと、感謝の気持ちがこみあげてきます。

寺務所で拝観受付などの仕事にかかりっきりで「連休中行楽ゼロ」な私には、語れるようなGWの思い出はまったくありませんが、強いて言えば今年も、右手指のしもやけが爍韮廚魃曚靴討靴討靴泙辰伸爐箸いΔ海箸らいです。暖かくなって痒くて痒くて仕方がありません。しかも小指から仲良く3本もです。

赤くぷっくりふくれた3本の指を見ると「なんで今の時期にしもやけ?」と自分でもあきれてモノも言えませんが、本来、こんなにしつこいしもやけが出来る体質ではなかったのです。しかし3年前、タイでバイクのひったくりに遭い、(バイクに引きずられ)右肩を骨折して神経を傷めて以来、右側のうで全体が常に(夏も)冷える体になってしまったのです。骨折後最初の年の今頃、赤くはれた指を「膠原病(こうげんびょう)」の症状かと思い、連休明けにハラハラしながら皮膚科へ行き、先生に思いっきり「しもやけですね。」と言われて拍子抜けしたのを覚えています。

というわけでしもやけの話はもうおしまい。で、今回はというと、植物に対して知識もなく、日ごろの関心も限りなく薄い狄∧オンチな私爐、新緑真っ盛りの境内の草木のなかでも狠輒椒圈璽を過ぎた草木爐肪輒椶靴討澆泙靴拭その後シリーズ「あの草木は今…(草木編)(山菜編)」を2編続けておとどけします。


◎画像左…「カタクリ」の今

雪国にいがたの春の訪れを告げる野草の代表格「カタクリの花」。一株にたった一輪しか咲かないけれど、存在感たっぷりの薄むらさき色の花を咲かせた、斜面を埋めるカタクリの「群生」は見事!のひと言です。開花からおよそ2ヶ月がたった現在、張りのあったまだら模様の2枚の「大きな葉」は黄色く変色してよれよれ気味、花はカマキリの頭みたいな犹鯵儼舛慮任ぜ足爐吠儔修靴討い泙靴拭「これからいったいどうなる?」と今後の展開が楽しみ。今年こそ忘れずに最後まで見届けたいと思います。

◎画像右…「もみじ」の今

秋を彩る主役といえば「もみじの紅葉」ですが、もみじも今が新緑の真っ盛り。軽やかさが特徴の「新緑のもみじ」もなかなかの美しさです。「黄緑色にまじってなんか点々と朱色っぽいなー」と思ってよく見てみると、新緑の葉の付け根にブロッコリーのつぶつぶみたいな狆さな赤い花爐鬚燭さんつけていました。もみじの場合は「その後」と言うよりは、「始まり」ってかんじでしょうか。


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