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2011/10/04(火)
★即身仏のお祭り「弘智講」の一日(2)











☆画像左:「帳場(受付)」担当の皆さん

夏の「大般若」や「弘智講」で毎回「帳場」を担当してくださっている方です。みな帳場のベテランです。檀家さんや村の方、そして一番右の人物は初登場の私の実家の父なのでした。千葉県船橋の実家の父は、毎年「弘智講」にお手伝いに来てくれます。「新潟の旨い日本酒がたくさん飲めて、直子は良いところに嫁いだなー」と大変喜んでおります。これも狄胴Ч圻爐覆里任靴腓Δ。

☆画像右:新潟市「弘願寺」のご信者さん

住職の兼務する新潟市内にある「弘願寺」の信者さんも揃ってお参りに来てくださいました。皆さん全員が住職が講師をしている「弘願寺御詠歌教室」の生徒さんです。初めて御詠歌を始めた方ばかりで、今は「3曲目」に入ったところです。


2011/10/04(火)
★即身仏のお祭り「弘智講」の一日(3)











☆画像左:昼食の「お弁当」

今回はお弁当を食べるヒマがなく、私の分が台所にぽつんと一つ置いてあったので、それを撮りました。

☆画像右:「土田芸能社」の座長さん

昼食をはさんで午後から始まる「演芸会」で、弘智講のお祭りムードは一気に高まります。昔から弘智講の「演芸」を担当してくださっているのが、加茂市の「土田芸能社(総勢8名)」です。家族そろって出演する犒歿衆豌鉢爐任后この画像の方が座長さんで「一人芸」をしているところを撮りました。その他日本舞踊、唄、バンド演奏など様々な芸で楽しませてくれます。この演芸目当てで弘智講に来る方もいらっしゃいます。(土田さん一家は普段は農業をされているそうです。)


2011/09/26(月)
★10月2日「弘智講」のご案内











すっかり秋めいてきた今日このごろ、一般に言う猯辰靴て一年でもっとも過ごしやすい季節爐療来です。

しかし、どうも最近の自分は少し気持ちが沈みがち…と思ったら、どうやら急にガタッと寒くなってしまった気候にあるようだと結論付けました。とにかく寒いのが一番苦手でして、この夏続いた猛暑の日々に、心身共にだるくて仕方のない時でさえ「それでも真冬の寒さより1000倍まし!」と本心で言い切っていました。

9月に入り「寒さの苦労のない暑さとも、もうすぐお別れなんだー」と思うとさみしくてさみしくて。でもまだしばらくは安泰な(暑い)日が続くと普通に思っていたのに、何の前触れもなく、9月20日を境に、心の準備もないままに、涼しさを通り越して、突然、恐怖の寒さが襲ってきたではありませんか。。。もうがっかりですよ…。

さて、気をとりなおして話題を変えましょう。夏の始まり、6月末からヒマを見つけては通っていた「歯医者さん」の治療が、夏の終わりとともにようやく先週終了しました。ひと夏まるまる通っていた歯医者の最後の日に、通い続けた自分へのご褒美のような爐咾辰りな光景爐鯡椶砲垢觧となり、今も思い出すだけでニヤけてしまいます。

それは、たまたま見えてしまった、ボードで仕切られた「私のとなりの診察台の光景」なんです。普通に台に横になっている女性(母親)の上には、なんと幼い子供が仰向けにぴったりとはりつくように乗っかっていて、母親の手はしっかりと子供をガード、親子仲良く天井を向いての「一心同体状態」になっていました。治療を受けているのは子供の方で、お母さんは「人間シートベルト」の役割なのでした。

生まれて初めて見た「親子ラッコ式治療?」がここの歯医者の方針なのかはわかりませんが狃蕕瓩謄皀旅イな私爐箸靴討蓮△箸討皸象的な光景としてしばらく脳裏から離れることはないでしょう。

狃蕕瓩騰爐噺世┐弌大変珍しいことに今年は「彼岸花」がお彼岸の中日にまったく間に合いませんでした。毎年必ず、いつの間にか芽を出して、お彼岸には見事な真紅の花を咲かせ猜菽呂魃藹亅爐靴討い燭里任垢、今年は今でもようやくつぼみが色付いてきた程度です。たぶん長引いた残暑が関係しているのでしょう。

すっかり前置きが長くなってしまいましたがようやく本題の「弘智講(こうちこう)」のご案内です。西生寺の大切な年中行事のひとつである「弘智講」が今年も予定通り、10月2日(日)に行われます。西生寺にとっては最大の催しです。「弘智講」とは当山にお祀りされている日本最古の「弘智法印即身仏」のお祭りです。

鎌倉時代の末期に、行者だった弘智法印さまが厳しい3,000日の修行を終えて、いよいよ即身仏となるために「入定」されたのが今から648年前の1363年10月2日でした。毎年この10月2日に弘智さまゆかりの人々が集まり、見事に遺志を果たし即身仏となられた弘智さまをお祝いして、法要や演芸などを観賞しながら、この日一日を、霊験あらたかな弘智さまとともにお寺でのんびりと過ごします。(昔は前日からお寺に泊まり込み、2日間かけて行われたそうです。)

今年の弘智講はうれしいことにちょうど日曜日です。一般の方のご参加も可能ですので、どうぞ興味のある方は西生寺までご連絡ください。弘智さまがご入定された祥月命日の10月2日は西生寺では一年で一番ご利益がある日とされています。たまにお寺でのーんびりと、昔ながらの「講」の雰囲気をたのしんでみてはいかがでしょう。


※画像左…今現在の境内の「彼岸花」
あいかわらず、摩訶不思議な形をしているのです。たぶん彼岸花のことですから、
名誉をかけて一生懸命に生育したと思われますが、ついに今年は「彼岸開花」
はかないませんでした。毎年意地でも絶対に彼岸に咲いていたこの植物を、
長年観察している私は「君たちにも不可能な時もあるんだねー」と少し意地の
悪い目で眺めたりして小さな優越感にひたっています。
「咲く」までの過程がドラマチックなこの植物を私は無視することができません。
毎日「墓地の彼岸花」を心置きなく観察できるのはお寺に暮らしている者の特権?

※画像右…西生寺「お供物」
弘智さま関連の話をもうひとつ。オリジナルの「お供物(くもつ)」を用意している寺院
も多いかと思われますが、西生寺でもオリジナルのお供物が2種類あります。箱の方
は「弘智せんべい」と言いまして、じつは岩室温泉の銘菓「鉱泉せんべい」です。
岩室の老舗「小富士屋」さんに作っていただいています。
で、お酒(般若湯)「弘智」は、長岡市内の酒造会社から特別に造っていただいてい
る「日本酒」です。思えば西生寺ではどちらのお供物も犢庵劼気洌貎Л爐覆里任后
「オリジナル手書きろうそく」など、様々なお供物を開発?したのですが、結局、昔か
ら あるこの2種に落ち着きました。


2011/09/14(水)
★「良寛ウォーク」











暑さが復活、夏を思わせる見事な晴天に恵まれた9月10日(土)・11日(日)の2日間、「−2011越後長岡ツーデーマーチ−山古志&良寛ウォーク」が今年も開催されました。一日目の9月10日は山古志地区を歩き(山古志ウォーク)、2日目の9月11日は寺泊・西生寺・五合庵エリアを歩きます(良寛ウォーク)。昨年も同じコースで行われ、我々西生寺にとっては2度目のイベントです。今回は西生寺が最初のチェックポイントとなりました。

今年は震災や水害などの影響からか昨年より少ない300名ちょっとの参加がありました(参加費は両日でひとり2000円)。

「良寛ウォーク」のコースは19kmの「寺泊五合庵コース」と10kmの「寺泊シーサイドコース」の2コースあります。いずれのコースも、地元の「野積海水浴場」を午前9時30分にスタート、「弥彦山登山道」を登り、早い人だと30分ほどで「西生寺展望台」に到着します。

当日。スタッフの無線機に「予定通り9時半に野積海水浴場をスタート」との声。支所の方、ボランティアの方それぞれの持ち場にスタンバイします。午前10時前、最初、ぽつりぽつりと姿を見せ始めた参加者でしたが、10時を過ぎたあたりから、続々と西生寺境内の「展望台」からチェックポイントのテントを目指して下りてきました。

みな背中のザックに「大きなステッカー」を貼り付けています。ステッカーには参加者の「居住地(長岡市とか)」と「コース(10キロ・19キロ)」の他に「のんびりと歩きとおします!」とか「一日楽しく歩きます。」とかの各自の「抱負」が手書きで書いてありました。

チェックポイントでは「良寛さんスタンプ」をボランティアの係の方(野積地区の方々)に押してもらいます。ここで「即身仏拝観」をする方と、そのまま次のポイントへウォーキングを続ける方とに分かれます。

今年は雲ひとつない青空で、西生寺の展望台(永代供養墓苑)からの眼下に広がる景色は最高でした。野積地区の海岸線の松林、それに沿って細長く広がる稲刈り直前のゴールデンな田んぼ、そしてくっきりと佐渡ヶ島まで見渡せる日本海の雄大な景色。みなさん歓声をあげていました。(昨年のウォークは曇りだったので展望はいまいちでした)

このイベントは、来たと思ったらさーっと去ってゆくのが特徴?で、大勢押し寄せてからおよそ30分後の午前10時40分頃には、即身仏拝観をした方々も、スタッフの方も西生寺を去り、誰もいなくなってしまいました。あっという間にいつもの静かな西生寺に戻ったのでした。後には、駐車場にぽつんと残された、お寺の雰囲気とはかけ離れた南欧を思わせる「カラフルなテント」が強烈な日差しの下で異様な存在感を放っていました。。

この「良寛ウォーク」は、昼食をはさんで夕方まで一日がかりで行われるそうで、ゴール地点では「あさり汁」がふるまわれるそうです。このイベントは意外と遠方からの参加者が多いのですが、今回も一番遠くからの参加者はなんと福岡県からだそうです。全国の見知らぬ土地のウォークに参加するのが趣味なのだとか…(すごい趣味ですね)。

そうそう、この日は午前から西生寺の庫裏では「写経の会」も行われていました。

外では数百名の人が汗を拭き拭き「境内をウォーキング」する中、庫裏では静々と「写経」を行っているという、まさに「静と動」対極のイベントがたまたま同じ日、同じ時間に重なったわけです。「写経」と「ウォーキング」と、どちらも西生寺に関わるイベントなのに、ここまでまるきっし違うと「なんかお寺もいろいろな利用の仕方があるもんなんだねえー。」と妙に感心したり、同じ日にこういう組み合わせは初めてだったので「ちょっと風変わりな一日だったなー。」と思ったりもしました。


※画像左…にぎわう駐車場の「チェックポイント」
村からのボランティアの方の中に、なにげなくうちの檀家さんがいたりして
「え?なんでいるんですか?」みたいに楽しかったです。白×スカイブルー
のストライプの「テント」は、前日に寺泊支所の方が手際よく設置して行 っ
たのですが、なんかずっとこのままにしておいて欲しいくらい気に入りました。
無人になったテントは、午後3時には早くも「撤収」されてしまいました。
それまでの数時間、一般の参拝者の方の爐舛腓辰箸靴新討い両讚爐箸靴
利用されていました。

※画像右…良寛ウォーク「スタンプの用紙」
「どんなスタンプを押しているのかしら?」と思って、スタッフの「ごくろうさま
でーす!」とねぎらう声と参加者でにぎわう「テント」をのぞいて見ました。
そしたら、なかなか味わいのあるステキな「良寛さま」のスタンプでした。
参加者の方の用紙を一枚撮らせてもらいました。スタンプのシルエットを
ぱっと見ただけで「良寛さんだ!」と分かるほど、良寛さんといえばコレ!
の定番の姿です。


2011/09/02(金)
★ミニ旅行in長岡「山古志アルパカ牧場」











9月になりました。毎日蒸し暑く、日中のセミの大合唱は相変わらずですが、なんというか気候が変わりましたよね。最近大きなオニヤンマ(トンボ)に交じって赤トンボが飛んでいるのを見かけるようになりました。赤トンボが秋を告げる昆虫なのか、私はよくは知りませんがなんとなく狃爐魎兇犬泙靴拭

さて、前回の「おてら通信」では、忙しかったお盆の後「旬のモノを食べて疲れた体にスタミナをつけて、ついでにちょっとだけ遠出をして旅行気分も味わっちゃおう!」と夫婦で外出、車で一時間半の「越後川口やな場」で大好物の「鮎の塩焼き」をたくさんいただいて「やっぱりここの鮎を食べないと夏じゃないよねー。」という話で終わりました。

すっかりおなかがいっぱいに満たされた我々はこのあと「心もいっぱいに癒されよう!」と、実は川口やな場から車でたった15分ほどで行けてしまう、同じ長岡市の山古志地区にある「アルパカ牧場」に行ってきました。今回の「おてら通信」は月も変わったし、別の話題がいいかなーとも思ったのですが、かわいい「アルパカたち」を紹介したい気持ちは根強く、今回もミニ旅行で「川口やな場」の次に訪れた「アルパカ牧場」のお話です。どうぞお付き合いを。

山古志の「アルパカ牧場」はちょうど一年ぶりです。この一年で「アルパカ牧場」はますます人気スポットになっているようです。ウワサではアルパカが増えたので牧場が2つになり(オス牧場とメス&子供牧場に分けた)、これまでの牧場(メス&子供)も、より観光牧場風に整備されたとのこと。それに今年は7月に2頭のアルパカが生まれたので、赤ちゃんアルパカに会うのも楽しみなのです。

というわけで、牧場脇の駐車場がすっかり整備されているのに驚き(昨年はただの草っぱの広場だった)、休憩所みたいな屋根のあるベンチが置かれた建物に驚き(昨年はなかった)、一回100円の「餌(えさ)」の「ガチャポンマシーン」があることを発見しつつ(昨年は餌やりはなかった)、一番驚いたのは訪れていた人の数と、増えたアルパカたちでした。

私:「すごい人じゃない?はっきりいって西生寺の参拝者より多いよー、どういうこと(笑)」
夫:「牧場も広くなったよな。アルパカも増えてるし。お、子アルパー(赤ちゃんアルパカ)もいるいる!」

私:「100円でエサもあげられるし、さわれるし、休憩所はあるし、商売っ気が出てきたなー。」
夫:「もう、アルパー(アルパカ)牧場は長岡の定番の観光スポットだね。」

私の一番の目当てはやっぱり赤ちゃんアルパカ。残念ながら昨年の夏、熱中症で死んでしまった、赤ちゃんアルパカの「ムク」の母親「ドリー」が、今年また一頭のメスのアルパカを生んだのです。そのあとすぐに別のアルパカから一頭が生まれ(こちらもメス)、今年は2頭のクリーム色の赤ちゃんアルパカがいます。

ここでさっそく2組の「母子アルパカ」をちょっと観察してみました。そうすると2組の違いが明確で実に興味深かったです。まずは昨年の不幸を乗り越えて今年も出産をした「ドリー母さん親子」の画像をどうぞ。

※画像左…親子ツーショット
仲良くぴったりと寄り添う母と娘。2頭とも幸せいっぱいの顔をしています。赤ちゃんアルパカの安心してリラックスしきった表情に、ベテランママの風格というか、わが子をやさしく包み込むような母性オーラを常時発している落ち着いた「ドリー母さん」。2頭はいつも一緒で、いつも寄り添っていました。見ているだけでほのぼのします。

※画像右…赤ちゃんアルパカの目ぢから
7月6日に生まれ、名前は「おりひめ」と言います。母性オーラを存分に発揮している 落ち着いたママにがっちり守られているからか、この猴祥気量槊廊爐鮓てください。そういえば「ドリー」って昨年も、遠くから、近くからと常に子供アルパカ「ムク」を気づかっていましたっけ。母性が強いアルパカなのでしょう、きっと。


2011/09/02(金)
★ミニ旅行in長岡「山古志アルパカ牧場」











さてこちらは、もう一組の別の「親子アルパカ」です。残念ながら名前は2頭とも知りませんが、おりひめより10日ほど後に生まれたそうです。こっちの親子は「ほのぼのドリー親子」とは対照的で、なかなかのドラマがあります。

※画像左…親子ツーショット
ママに寄り添いたい赤ちゃんアルパカですが、ママは「エサ」を食べるのに夢中で、なかなか構ってくれないという画像です。この後、あまりにしつこい娘(赤ちゃんアルパカ)に、なんと後ろ足で「ちょっとあっちいってなさい。」といわんばかりの狃海雖爐鯑れたママアルパカでした。よほどおなかが空いていたのか、元来の食いしん坊なのか、若いのか、初めての出産で子育てに慣れてないのか、いろいろと推測してしまいました。

※画像右…赤ちゃんアルパカの目ぢから
蹴りを入れられつつも、ようやくママのそばに並んでウトウトとすることが出来た赤ちゃんアルパカでしたが、それも束の間、お客の差し出した「ガチャポン100円エサ」の誘惑に負け、赤ちゃんアルパカを放置して「エサ」に走ったママアルパカ。寄り添っていたはずのママが突然いなくなるという不意を突かれ、心配で心配でたまらない表情で「エサ」に走ったママを、遠くから必死で見つめる「置き去りをくらった赤ちゃんアルパカ」の画像です。目がすごい必死。

≪おまけ話≫
100円を入れてガチャっと回し、カプセルに入ったエサがポンと出てくる、休憩所にある「ガチャポン100円エサ」は親子連れに大人気でした。ガチャポンとはなつかいです。単に100円でエサを買うより数倍楽しいです。エサは一握りくらいのわずかな量(コロコロしたペットフードみたいなモノ)なので、大勢の人が「エサやり」をしても食べ過ぎることはないと思いました。

「休憩所」裏側の部屋にトイレがあるので借りた時、おじいさんが必死になってなにか手作業をしていました。見るとガチャポンのカプセルに「エサ」を詰めてる最中で、「作っても作ってもすぐにカプセルがなくなってしまう」そうです。訪れる人が多い休日は一日中「カプセル」を作っているとのことでした。大人気のガチャポンマシーンのすぐ裏でこんな「地道な手作業」が繰り広げられていたとはね。素朴な山間集落「山古志」ならではの手づくり感いっぱいの「アルパカ牧場」なのです。


2011/08/21(日)
★ミニ旅行in長岡「越後川口やな場」











お盆の棚経がある寺院にとっては一年でいちばん苛酷な?3日間が終わり、どの寺院でもちょっとひと息ついている頃でしょうか。

西生寺もお盆期間中はお墓参りや、水子さま参りの家族連れの姿が一日中途絶えませんでした。水子地蔵さまの献花する場所はあっという間にお供えの花であふれかえり、あらためて水子さまを大切に思うご家族の気持ちを知りました。

いっぽう、ヒマ続きだった「即身仏拝観」も、少しはお盆休みらしい賑わいを見せてくれました。駐車場はずらーっと県外ナンバーの車が並び、「こんな遠方から新潟を訪れて、廻り廻ってどういうわけか?弥彦山中のどん詰まりにある西生寺に来てくれたのだなー。」と思うと、ちょっとぐっと胸にこみあげるものがありました。

受付寺務所でひとりバタバタとしているさなかに、あるお客さまに「このお寺に狷本最古の吊り橋爐あるって聞いたのですけど…」と聞かれました。私はすぐに「それはもしや、うちの日本最古の即身仏と、おとなりの国上山にある吊り橋が、ミックスしてしまった情報では…」とピンときましたが、その方には「いいえ、うちには吊り橋はありません。」としか言えませんでした。

男衆(長老&住職)が棚経で不在中の留守を守り、いつもより数段忙しい拝観受付の仕事や、お盆参りに訪れる檀信徒の応待などをひとりで切り盛りして(園子ママはお盆期間中、体調を崩し部屋でずっと寝ていた)少し疲れていた私でした。「ちょっと不親切だったなー」と反省。

まあしかし、園子ママに代わって生まれて初めて「小豆がゆ」を作り(不思議な食べ物ですねー)、ご先祖さまを送り出して(16日)無事に今年も「お盆」を乗り切りました。再びのんびりとした日常が戻った西生寺。さっそく私たち夫婦は爐盆と暑さで疲れた体にスタミナをつける爐海箸砲靴泙靴拭

「旬のモノをいただいて英気を養おう!」
「ついでにちょっとだけ遠出をして旅行気分も味わっちゃおう!」

ということで、あの7月末の「豪雨水害」以来ずっと気になっていた「越後川口やな場」に、お見舞いを兼ねて大好きな鮎を食べに、思い切って夫婦で出かけてきました。

車でおよそ一時間半の行程で、長岡市川口地区の魚野川河川敷にある「越後川口やな場」に到着。すっかり水量が戻り、石ころだらけの乾いた川原には、豪雨で流されたがれきや流木がそのまま丸見えになっています。その先に、変わり果てた姿の建物がありました。我々は想像以上の破壊ぶりに言葉も出ないくらいにショックを受けました。

それからすぐ上にある仮営業をしているという「別館」に初めて入りました。さっそく女将が出迎えてくれ、「住居が別だったので、家族全員無事で人的被害のなかった事」、「別館正面の堤防がちょうど決壊してしまった事」、「しかしなんとか被害を免れた別館で、こうして食事のみの営業をしている事」など、積もる話をしました。

我々は当初「食事処といっても仮営業ではお客さんもなく、閑散としているかもしれないねー。」と覚悟をして行ったのですが、店内の広いお座敷は、意外といっては失礼ですが、地元のなじみのお客さん達なのでしょう、何組かが食事をしていてなかなかの盛況ぶりなのでした。
(夫などは「今までの高床式の場所より、こっちの別館の方がエアコンが効いていていいじゃないか。」と言っていました。)

私たちはなんだかほっとしました。確かにあのがれきと化してしまった「川口やな場」のシンボルでもあった、河川敷の「高床式の建物」の撤去、鮎漁をする「やな場」の再生など、問題山積なのには変わりないのですが、でも、甚大な被害にもめげず、運良く残った店で営業を再開して、常連さんもいつも通りに足を運び「鮎料理」や「川魚料理」を愉しむ姿を実際にこの目で確認できたからです。私も住職も本当に来て良かったと思いました。

ちなみに狹形外将爐蓮屬笋幣譟廚壊れたので今回は駄目かなーと思ってまったくあてにしていませんでしたが、女将が同じ魚野川の上流にあたる猩仔町で釣った鮎爐鯆爐蠖佑ら仕入れてくれていました。頭を下にクシを刺し、数十分かけてじっくりと炭火で焼いたここの「塩焼き」はあいかわらず絶品でした。

「うまいなー、うん、やぱりうまいなー」と、ひとり言のようにぶつぶつ言いながら、我々は大好物の「鮎の塩焼き(オス&子持ちのメス)」だけをひたすら何匹も、白いご飯とともに食べました。(ここ川口は魚沼コシヒカリの本場なので「白飯」もまた絶品なのです。)

私:「やっぱりここの鮎を食べないと夏じゃないよねー。」
夫:「オレ別館気に入ったなー。いいじゃんココ。ずっとこっちで営業すればいいのにー。」

私:「エアコンが効いているから?」
夫:「そう。オープンエアーよりやっぱエアコンだよねー。」

私:「風情とか情緒よりも?」
夫:「当然、エアコン。別館いいわー。」

女将さん、意外とこういう価値観の人、多いと思いますから、別館営業に自信を持ってください。


※画像左…豪雨水害で破壊された「本館」と「やな場」
建物の一部は削り取られ消失、残った部分には流木が突き刺さり、石の川原にはなぎ倒された電柱がそのままになっていました。やな場までの「橋」や「やな場」は陰も形もなくなっていました。「撤去」するにも河川敷という特別な場所なので、国土交通省の許可が必要なのだそうで、「いつまでも見ているのはつらいので早く撤去したいのに、いつになるか見当がついていない(女将)」とのことでした。

※画像右…営業を再開した越後川口やな場「別館」
今までまったく気が付かなかったのが不思議です。実は川原の上に立派な「別館」があったのですね。半地下の部分(鮎を焼く囲炉裏などの厨房)は浸水したそうですが、建物は大丈夫でした。それと仮営業中ということですが食事のメニューは豊富です。我々はいつも鮎の塩焼きをメインに食べますが、他にも鮎の刺身、鮎の田楽、鮎のフライ、鮎飯、鮎汁、うなぎ蒲焼、セットメニューなどが揃っています。天然鮎は予約をしておくのがベターです。


☆越後川口男山漁場
【場所】:関越自動車道「越後川口」インター下りて5分、魚野川沿い。
【問い合せ】:0258−89−3104(転送されます)


2011/08/12(金)
★ご先祖さまも里帰り。「お盆」











お盆です。

突然ですが、「お盆」という言葉の元は、インドのサンスクリット語の「ウランバナ」という言葉から来ています。音訳されて「盂蘭盆(ウラボン)」となり、盂蘭(ウラ)がとれて「盆」だけが残り「お盆」となったのです。本来は仏教の行事です。

ちなみにその元となったサンスクリット語の「ウランバナ」の意味が、こともあろうに「逆さ吊りにされる苦しみ!」なのだそうです。ただし、一年に一度ご先祖さまがなつかしの我が家に帰ってくる日本の「お盆」とは、日本語に音訳された時点で全く意味が関係なくなってしまったとのこと。。。

それでは、ご先祖さまをお迎えする「お盆」までの手順をご紹介しましょう。

8月1日を過ぎると、とにもかくにも最初に「お墓そうじ」をします。これは「盆道つくり(ぼんみちつくり)」と言って、自宅から墓までの道を含め狎響櫃垢襪海鉢爐鮓世い泙后(昔は家の敷地内に墓があったからだと思いますが、今、コレをやると、相当な大仕事でしょう。)

それから家の中の準備です。8月7日は「磨き盆(みがきぼん)」と言って、お仏壇の仏具を磨きます。さらに、盆当日の8月13日までに、帰省して来るご先祖さまの休む場所である大切な「精霊棚(しょうろうだな)」を作ります。カヤでできた「こも」を敷いて、その上に小さななカボチャなどのミニチュア野菜を並べ、花、お水、お盆菓子などのお供え物をします。

そして当日です。初日の13日は阿刀家の「精霊棚」は、必ず「白玉ぜんざい」をお供えします。そして境内にある「阿刀家の墓」はもちろんですが、その他の「縁のあるお墓」全てに「お花」と「あられ」をお供えしてまわります。

「あられ」はこの辺の風習なのか分かりませんが、お盆の墓参りには欠かせないお供え物です。柿の葉っぱの上に、かぼちゃ、なす、きゅうりを細かくあられに刻んだモノを乗せて供えます。13日の朝は園子ママとふたりで爛丱吋弔い辰僂い里△蕕讚爐鮑遒蠅泙后

それと私たちの野積地区では、13日の夕方、日差しが弱まりだした時刻に家族そろって「お墓参り」をする風習があります。(本来、お墓参りはお盆期間中ならいつでも良いのです。)私が観察したところ、13日の早朝〜日中に仕事着姿で「お墓そうじ」を終えて、夕方さっぱりとしたきれいな服に着替えてあらためて家族総出でにぎやかに「お墓参り」をする家族が多いようです。

13日の夜になると「迎え火」でお迎えしたご先祖さまがいよいよ我が家に帰って来ます。(迎え火はご先祖さまが迷子にならないための灯明です。)そして14日、15日と丸々2日間、ご先祖さまはゆっくりと我が家に滞在します。

滞在中は毎日(一日に何度か)、精霊棚のお供え物をチェンジします。なにせ精霊棚はご先祖さまの大切な休憩所ですので「ここにいらっしゃるのだ!」と思うとちょっと気合が入ります。そうめんや、おこわ、おはぎなどの猜僂錣螢皀劉爐里瓦舛修Δ任后

そしてご先祖さまがお帰りになる16日は、朝、最後のお供え物「小豆粥」を供えたあとに、午前中に「精霊棚」を川や海に流してご先祖さまをあの世へ送り出します。「送り火」を焚くところもあります。

以上の4日間を「お盆」と言います。

このように、多くの人が休日となり、日本中が夏休みとなる「お盆休み」は一年に一度里帰りをしてきたご先祖さまと一緒に過ごす期間でもあります。みなさんどうぞ「お墓参り」も忘れずに、ステキなお盆をお過ごしくださいませ。。。

※もちろん西生寺ではお盆期間も毎日「弘智法印即身仏の御開帳」を行っております。多くの方のご来山をお待ちしております。

※画像左…お墓にお供えされている「あられ」
西生寺境内「弘智堂」の裏山は、古い「野仏(昔のお墓)」がたくさん点在
しています。そこの一角の野仏さまにお供えされていた「あられ」です。
お盆の花に欠かせない細かいスプレーの黄色い花(名前は不明)とセットで
お供えされていました。敷いている葉っぱは「柿の葉」ではなく、もしかしたら
「ハスの葉」かもしれません。

※画像右…私作今年の「精霊棚」 ※8月14日撮影
メインの三つのお供え物は左から「大根の味噌漬け」、「水」、「おこわ」です。
それに「夕顔のあんかけ」も供えました。ハスの葉のクッションの上に乗っている
「味噌漬」は、お盆のお供え物には絶対に欠かせない大切なアイテムなのだ
そうですが、なぜ味噌漬なのかちょっと不思議です。
ミニ野菜の飾り方やその他色々とバージョンがあるのですが、今年はこんな風
に飾ってみました。「ご先祖さまお帰りなさーい。」とあいさつをしました。


2011/08/05(金)
★いろいろありあますが、暑中お見舞い申しあげます。











記録的な猛暑、豪雨水害、波紋を広げ続ける福島原発問題など、本当にいろいろあった7月を引きずるように8月に入り、本当の牴橡榿岫爐魴泙┐泙靴拭

田園風景が広がる弥彦山麓(ふもと)の農道を走っていると、8月20日過ぎには狃藜獲爐魴泙┐訌甍霾董屬海靴い屬」の稲穂がだいぶ黄色く色付きはじめ、まだ穂が見えない緑色の「コシヒカリ」と、素人の私でもはっきりと区別できるようになりました(パッチワークみたい)。運転しながら「これはこしいぶき〜、こっちはこしひかり〜」とぶつぶつやっていると楽しい気分になるから不思議。

しかし今年はいつもとはちょっと事情が違います。それは米の収獲前後に「放射性セシウム濃度の検査」が行われることになったからです。稲作農家からは「いつもどおりにやるべき仕事をやって今年もおいしいコメを作るだけ。」と、この期に及んでなのか、不安の声は意外に聞かれません。私なんて「日本一の米どころの新潟のお米が、もしも万が一のことがあったら…」なーんて考えなくもなく、ちょっと不安です。

しかしながら今の新潟は、やはり7月末の「新潟福島豪雨」の水害が大きくひびいています。復旧作業がすすむ、家屋や水田、交通網などの、目に見える直接的な被害の他にも、「東日本大震災で激減してしまったお客さんを、夏休みで挽回する」と、この夏に期待していた県内の「海水浴場」や、「旅館」などの観光業にも追い打ちをかけるような形となってしまいました。

夏休み真っ只中で、本来なら平日も多くの海水浴客で賑わう地元の「野積海水浴場」も人はまばらです。海岸には、海水浴場そばの「信濃川分水」から海に流出した流木や木くずなどの「がれき」が大量にうち上げられてしまい、急いで「撤去作業」をして再開をしましたが、浜茶屋の宿泊キャンセルも多いそうです。

どうやら少し世間の意識が「ニイガタは水害の被害が大きそうなので、今回はニイガタを旅行することはやめよう。」となっているようです。本当はまったくそんな事はないのにね。

当然ながら、西生寺も夏休みシーズンに入っているにもかかわらず、例年とは比べものにならないくらい参拝者が来ません。3月の地震から続く傾向ではあるものの、最近は少しずつ拝観者が増えていたのも事実でした。

住職:「これ(水害)で、まったく今年は駄目だな。完全に決まっちゃったね。」
私:「うん。トドメを刺されたってやつだね。」

3月の震災以来、すっかり爛劵泙定着爐靴討靴泙辰董∈さらどうってことない爐△らめ気分爐染み付いている私たち西生寺なのですが、そんな私の身近でも今回の水害でちょっとショックなことが…。

夏の川魚の王様といえば「鮎」ですよね。「鮎」は海のそばで暮らす私たち夫婦の、川魚で唯一の大好物でもあります。その大好物の「天然鮎」を毎年夏に必ず夫婦で食べに行っていたのが、長岡市(旧川口町)の魚野川河川敷にある「越後川口男山漁場(通称:川口やな場)」でした。

今回の豪雨で魚野川の左岸に被害が出たと知り、なんか気になって電話をかけたのですが、案の定電話が通じなくて「もしかしてやっぱり被害を受けたのかな…」と住職と心配していたところに、やな場の女将から電話がありました。

聞くと、魚野川は上流の南魚沼に降ったものすごい豪雨の濁流が下流の川口地区まで押し寄せ、鮎漁をする「やな場」や「水槽」などの施設は全滅。さらに驚くべきことに増水した水は、「食事処」となっている地面より数メートルも高い「高床式の長屋スタイルの建物」の2階部分にある「座敷」よりもさらに70センチも高い位置まで上ったそうです。

この「高床式の建物」は、2004年の「中越地震」で震源地だった川口町にもかかわらず、しっかりと生き残った頑丈な建物で、今回の水害でも流されはしなかったものの、ほとんど水没してしまったため「やな場」操業は今年は断念、ここでの営業は停止したとのことでした。

雰囲気が良く最高にだっくらできる(昼寝もOK)、川沿いにあるオープンエアーの「2階の座敷」で心地よい川面を渡る風を受けながら食べる「天然鮎」は格別でした。あんな高い位置まで川の水が上ったとは信じられません。

驚きのあまり絶句する私に女将は「ご迷惑をおかけして本当に申し訳ないですねー」とさびしそうな声。しかし、なんとか他より鮎を取り寄せて(魚野川の鮎は藻場ごと濁流に流されてしまった)、塩焼きや刺身などに限定して「食事のみ」は対岸(右岸)の小屋で仮営業を始めたとおっしゃっていました。

「鮎漁」がメインのやな場、夏から秋にかけてのこれからが一番のかき入れどきだったはず…。
「本当に大変でしょうが、なんとか乗り越えてください。必ず食べにいきます。心で応援しています。」
と女将に伝え電話を置きました。

お気に入りのお店の悲しすぎる被害状況を直接知り、いつになく暗く沈んだ気持ちになりましたので、言っても仕方のないことを言わせてください。

なんで新潟ばっかり、次から次へと地震や自然災害の大災難が続くの?

だってざっと近年を思い返すだけでも、2004年「7.13水害」、同年10月23日「中越地震」、2007年7月16日「中越沖地震&原発風評被害」、今年3月12日「新潟長野県境地震」、そして今回の「新潟福島豪雨水害」、これに冬の記録的な「豪雪(ドカ雪)被害」が少なくとも2度は加わるし、一年中、気が抜けないっていうか何ていうか…

−以上、言っても仕方のないこと、言いました。

よし!こうなったら、とことん狢任燭豢く爐覆辰討笋蹐Δ犬磴△蠅泙擦鵑。縁あって新潟の人間になったんだもの、覚悟を決めて腹をくくった越後女は強いのだ。えっへん。

「越後男児も強いのだ!」と今年3度目の「境内除草剤まき」で爛劵泙鰺効活用する爐叛觚世靴辛廚僚賛Δ癲¬埆詁の炎天下の中、ぼうし・マスク・手袋・長袖の服の「完全装備」でポンプを担いで出陣?して行きました。目標は「お盆までに境内の全ての雑草を枯らすこと!」だそうです。ごくろうさま。


※画像左…川口やな場の「食事処」の座敷風景
4年前、2007年の「おてら通信」で紹介した時の画像です。
一日も早く本業で復活できることを願うばかりです。 対岸で
食事のみの「仮営業」をしているとのことですので、こういう時
こそ、食べに行かねばと思います。

※画像右…川口やな場の「天然鮎料理」
毎年、ちょっと遠出をして本場でこの「鮎の塩焼き」を食べる
のが「お盆」前の私たち夫婦のささやかな「夏休み」でした。

☆越後川口男山漁場
【問い合せ】:0258−89−3104(転送されます)


2011/07/30(土)
★7月28日から続いた「記録的な豪雨」について











7月28日から新潟県全域と福島県で降り続いていた「豪雨」がようやく落ち着きました。この3日間の雨の降り方は尋常ではないもので、2004年の「※7.13水害」を思い起こさせるものがありました。(※7.13水害:三条市の五十嵐川、見附市の刈谷田川が決壊し氾濫、旧中之島町などを含む中越一帯で死者15名、全壊&半壊5800棟の被害が出た水害。)

あの時のバケツをひっくり返したような、ありえないようなすさまじい雨の記憶はいまだ鮮明に覚えていますが、今回は同じような猛烈な豪雨がなんと3日間も続きました。雨のピークを過ぎて今、普通に静かに降っている雨が「霧雨」に思えるほどです。

県内各地にさまざまな被害をもたらしました。鉄道・道路の通行止め、多くの場所で土砂崩れや土石流が発生し、各地を流れるいくつもの河川が増水、氾濫、一部決壊し、40万人に避難勧告や避難指示が出されました。ニュースを見た遠方の御信者さんから「西生寺のみなさん、大丈夫ですか?」と、安否を気づかってくださる電話をたくさんいただき、いつもながらに「ありがたいなー」と思いました。(逆にこちらからも、三条、加茂、田上などの親戚や檀家さんに「大丈夫ですか電話」をしました。)

西生寺はおかげさまで、豪雨の時の心配事の常にトップである「境内土砂崩れ」も起こらず、溝の増水?程度でなんとか切り抜けることができました。まったく降り止む気配を見せない激しい雨に、
「(3月12日の地震で崩れた)天翔園の崖を修復したばかりだてんね、また崩れたらどうするね。」
「まさか大丈夫でしょう。でも、えー、しゃれになんないよー!」

と家族は不安いっぱいに過ごしましたが、雨が小康状態となった今日、住職が恐る恐る、西生寺境内では一番土砂崩れの危険がある、永代供養墓「天翔園」へ登り、辺りをチェックして「大丈夫!」とようやく確認ができました。(ほっ。)

今回の「豪雨被害」は、「7.13水害」のように県内一部の地域という狭い規模ではなく、「中越地方のほとんど全ての市町村」にまで被害が広範囲におよんでいる事に驚かされます。しかも「中越地方」のみに、帯状に雨が集中してしまったようで「上越地方」の信者さんによると「上越はこの3日間、たいした雨ではなかった」そうです。

今年は早い時期にやけにすっきりと梅雨が明けたと思ったら、まさかこの時期に「梅雨末期のような集中豪雨」に見舞われるとは思ってもみませんでした。冠水して道路も、田んぼも、家も、車も狹タГ凌絖爐某擦ってしまった上空からの映像は、あの東日本大震災の被害の映像を思い起させるものがありショックです。とくに越後平野に広がる、新潟県人の原風景でもある「どこまでも続く美しい田園風景」が、泥水に浸かり変わり果ててしまった姿には本当に胸が痛みます。

今回、あらためて私が思い知ったことは、新潟県は信濃川を中心とする数え切れないくらいのたくさんの支流が流れ、平野部で暮らす私たちは多くの川に囲まれて暮らしているということです。思えば新潟県の歴史は常に「洪水との戦い」であり、安心して米が作れるように、安心して暮らせるようにと「治水工事」に莫大な労力を費やし、努力を積み重ねてきたのです。


※画像左…今回の豪雨で増水&濁流となった「大河津分水」
我々寺泊地区では一番身近な川で信濃川支流の「大河津分水(おおこうづぶんすい)」です。この分水は人工的につくられた河です。「洪水」を防ぐために明治時代に工事が始まり、改修を続け、戦後(昭和)にようやく完成しました。ふだんは丸見えの「堰(せき)」も、今日(7月30日)は増水したうえ、激しい濁流でまったく見る事ができません。実はこの「 堰」は日本海に流れる河口のすぐそばにあるため、大雨の増水時には、このように上流から流れてくる濁流で激しく荒れ狂う姿になることで有名で、この日も多くの車が停車していて「見物」の人だかりができていました。(※ちなみに写真撮影は住職で、左上のぼやけた部分は住職の手です。)

※画像右…濁流の先に「野積大橋」
大河津分水にかかる河口最後の橋の「野積大橋」です。すぐ先が日本海です。この橋を渡ると「寺泊魚のアメ横」ですし、渡らないでまっすぐに来ると私たち西生寺のある「野積地区」です。撮影した日(7月30日)は危険水域に達したため、通行止めでした。この「野積大橋」は、住職が小学生の時に完成したそうで、住職を含む「野積小学校」の生徒全員で日の丸の小旗をふって「渡り初め」をしたそうです。


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