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2012/01/16(月)
★冬の郷土食「ひんねりもちワールド」へようこそ!











「なんじゃこれ?アンモナイトみたい。」

これが新潟に嫁いで来た私が初めて「ひんねりもち」と出合った時の第一印象で、今も変わることはありません。

ぐるぐる渦巻き型の、このポップな形のモチが新潟では「ひんねり餅」と呼ばれているちょっとめずらしいお餅です。いまでは新潟でも市場に出回ることはなく、すっかり見かけなくなってしまいましたが、私たちの暮らす寺泊野積地区では、減りはしたものの今でも作り続けている家が2−3軒あり、おすそ分けをしあって食べ続けられている犇薪斂澂爐任后

日本中でふつうに食べているもち米の「お餅」との最大の違いは、ひんねり餅はもち米ではなくご飯の米「真米(まごめ)」で作られていることです。一般的なもち米の餅が正月の特別餅と言うならば、ひんねり餅は真冬に食べる普段餅といったかんじです。寒い冬なか、ひんねり餅をストーブの上に乗せて、こたつでテレビを見ながら焼きあがりを気長に待つ、というのが野積の昔から変わらぬ真冬の長ーい夜の過ごし方です。

ではなぜ「ひんねりもち」が野積の郷土餅となったのでしょう?

その理由は「日本酒造り」が大きく関係しています。実は野積地区は昔から県内のみならず全国の酒蔵に「杜氏(とうじ)」を多く輩出している土地柄なのです(有名な「越の寒梅」や「夏子の酒」も野積の杜氏です)。「日本酒造り」に欠かせないのが真米の酒米ですよね。そう、酒造りの行程で「蒸した酒米のあまり」を猜歛舷として餅にした爐箸いΔ里ひんねり餅のはじまりなのです。

余ってしまった蒸し米。「このままだとすぐに痛んでしまう、なんとか上手に食べられないものか?」と考え、長期保存に耐える「もち」にしたのがはじまりです。杜氏たちが帰郷する時にひんねり餅をみやげに持ち帰ったことで野積中に広まり郷土餅となったのでした。

それではなぜ「ひんねりもち」と言うのでしょう?

ひんねり餅と呼ばれることとなった由縁もはっきりしています。それは酒蔵の杜氏さんが、酒米を蒸したときに、必ず蒸し具合を確認するため、蒸し米を板にのせて、手のひらでこすって(ひねって)餅状態にしてねばり具合を確認したことから、ひねり餅、ひんねり餅と言われるようになったのだそうです。

通常、ひんねり餅は新米が収獲されたあとに作ります。もとは「糧米(かてまい)」といって、精米して乾燥させる時に、精米機からこぼれ落ちた、C級品質の米(昔は家畜のエサにしていた)を使ったそうです。

さて、お次は「作り方」です。

毎年「自家製ひんねり餅」をたくさん持ってきてくださる村の檀家さんの場合を紹介しましょう。専用の「ひんねり餅製造器(中古品を入手、もう製造されていないそうです)」を使い、作業小屋で行います(午前8時開始〜午後2時終了)。

→普通米を「せいろ」で一時間半蒸す(水を加えて炊き上げる炊飯器とは違う)。
→一度にせいろで蒸せる量は2升〜2升5合なので、何度か繰り返す。
→蒸しあがった米をしゃもじですくい、ひんねりもち製造器(電動)に入れる。
→機械が自動でこねてくれる。下の部分からつぶされた米がにょろにょろと出てくる。
→にょろにょろ出てきたやつをそのまま上手に一重に丸めて手でちぎる、を繰り返す。
→もちは熱いので手袋をはめてする。
→珈琲ブレイク&どんなにおしゃべりに花を咲かせても、午後2時には作業が終わる。

上手な人だとにょろにょろ出てくる機械のタイミングと同時進行でうまく丸めていけるけれど、慣れない人、素人がやると、丸まりが小さかったり、大きかったりと大きさが不ぞろいな上、ソーセージのように棒状の餅が出てくる機械のスピードに丸めるのが追いつかず、もちが長いままたるんだりしてしまうのだとか。ベテランのおばあちゃんを中心に、親戚の女性が加勢しておしゃべりをしながらにぎやかに作るそうです。

表面がつるんつるんしているのがよく出来た「ひんねりもち」だそうです。ふつうの餅は煮たり、焼いたり、揚げたり、甘かったり、しょっぱかったりとレパートリーが豊富ですが、ひんねり餅は「焼き一本勝負」で、シンプルに「しょうゆ味」です。ストーブやトースターで焼きます。ただし焼き上がってももち米ではないので、ぷっくりと膨れたりしません。なんとなく勘で、焼き目がついたら完成です。焼きあがった餅をバリッと押しつぶして厚く硬い表面に「割れ目」をつくり、醤油をしみこませて食べます。

最後にひんねり餅の「味と食感」はどうなのでしょう?

ふつうの餅と比べると、真米なので餅はまったく伸びません。伸びない分、かなりしっかりとした弾力で噛み応えがあります。しっかりと噛んでいるうちにふつうの餅以上にでんぷん質の甘味になり、そこがおいしいです。

それと「ひんねりもち」は食事というよりは爐やつ爐任后かなり腹持ちが良いと思ったら、6センチほどの狆さなアンモナイトひとつ爐任皚狠穗丗臉垢螳貲姚爐呂△襪修Δ任后せいぜい食べても2個です。(住職の夫はひんねり餅が小さいころからの大好物で、若い頃は一度に5個も6個も食べて野積でも「ひんねりもち好き」として名が通っていたそうです。)

まだお餅が正月にしか食べなかった特別な存在だった子供の時、茶碗のご飯を少し手でひねりつぶして「ほら見て、おモチだよ!」と言って、とっても得した気分で食べていた記憶のある私にはとてもなつかしい味です。住職は今でも「この真米のひんねりモチより旨いモチはないね!」と断言しています。


※画像左…いただいたばかりの「ひんねりもち」
1個が6センチほど。まだ暖かくそのままでもかじれます。
水分を加えずに 蒸した真米を、そのまま水分を加え
ずに練り上げるので、1個でもすごく圧縮しています。

※画像右…食べる直前の「ひんねりもち」
醤油がしみ込む「割れ目」がポイント。ふつうのお餅より
も焼き目が厚く硬いので歯の弱い人にはつらいかも。
             (そこがおいしいのですけれど)


2012/01/03(火)
★謹賀新年!「龍の泉のお不動さま」











みなさま、新年明けましておめでとうございます。
本年も西生寺をどうぞよろしくお願いいたします。

今年はめずらしく境内に積雪がないおだやかな年明けとなりました。今年の干支は「龍(辰)」ということなので、元日から山のような仕事をひとつずつ片付けながら「何か龍に関連することってないかしら?」と思いをめぐらせていたところ、西生寺の「屋号」が「海雲山 龍泉院」と猯境爐了が付くことに気付きました。

「もしかしたら龍にまつわるすごい言い伝えや伝説があるのかもしれないぞ!」と期待感いっぱい、さっそく元旦の夕飯の時に長老のお父さんに「なんでうちの屋号って龍泉院って言うの?」と質問をしてみました。(ちなみに牾け聖貝爐蓮海のそばの弥彦山中腹にある西生寺は、霧がよく発生するお寺で、村からみるとちょうど雲がかかっているように見えるからだそうです。)

かえってきた答えはこんなでした。

父:「狎爐つくのは、きっと今の西生寺の建っている場所に、太古の昔から一度も枯れたことがない、弥彦山中からしみ出した水がこんこんと湧く場所があったからじゃないかなあ。」

私:「じゃあ、猯境爐蓮」
父:「うん、だからきっとその太古から湧く泉に対して、水を司る神でもある猯境爐了をつけたんじゃないかなあ、龍は勢いがあるし…と私は思うんだがね。」

私:「じゃあね、その太古の泉は今、境内のどこにあるの?」
夫:「あそこだよ。お不動さまの池のふちのことだよ。今もすごい勢いで水が湧き出ているねっか。」

父:「昔は水場はあそこしかなくて、村から寺に登ってくる人たちや旅人はみな、あの水場で顔を洗ったり、のどをうるおしたりしたんだ。」
私:「そうなんだー。あのお不動さまのところがうちで一番古い水場だったんだ。知らなかったなー。」

と、「屋号」の事より、お不動さまの水がそんなに昔から湧くすごい水だったという事実のほうにすっかり関心が移ってしまいました。そう言えば、池のシンボルとなっている石仏の「水かけ不動尊」も、昔はあの場所に安置されていなかったという事を思い出しました。

話は数十年前にさかのぼります。当時、別の水場にお祀りされていたお不動さまが、ある晩、夢枕に立って「一度も水が枯れたことがなくて一番きれいな水の湧く場所に私を移動しなさぁーい。」とのお告げを残したそうです。さっそく「お告げ」を実行することに。移転場所は「龍の泉」と云われのついた水場のわきに決め、お不動さまをトラックに乗せて引越しをしたのです。

以来、お不動さまが夢枕に立って「ちがうでしょー。もっともっと水がきれいな場所がいいんだってばさぁー。」というような内容のお告げもないので、きっと今の場所が気に入ってくれたものと阿刀家の面々は信じています。

というわけで、初詣は「弥彦神社」や「寺泊魚のアメ横」からちょっと足を伸ばして、良縁成就の絵馬で人気の愛染明王さまや弘智法印即身仏さま、そしてお水好きなお不動さまもお祀りされている「西生寺」にもぜひお参りください。初詣と合わせてご先祖さまへの新年のごあいさつ「初お墓参り」もお忘れなく。。。


※画像左…池のふち「水かけ不動尊」
とても愛嬌のある爐笋鵑舛禊薛爐里不動さま。私のお気に入りの仏さまです。
不動明王って牘蠅吠颪泙譴進さま爐覆里撚个離ぅ瓠璽犬とても強いのです
が、夢枕にまで立ったこのお不動さまの「水へのこだわり」は相当なものです。
狄紊論弧燭慮鮫爐噺世い泙垢掘△れいな水の湧くところは仏さまに限らず、
この世に生きる全ての動植物にとっても、居心地の良い場所ですよね。

※画像右…西生寺境内で一番古くから水が湧く「水場」
地球が誕生して弥彦山が誕生して以来ずっと、枯れることなく湧き続けている
といううわさ。「龍泉院」という屋号のもとになったと思われる水場です。確かに
夏枯れもなく一年中、岩の間からこんこんと水が湧き出ています。
お不動さまのご利益がいただける「霊水」として、この水を汲みに来る信者さん
もいらっしゃいます。


2011/12/30(金)
★ゆく年くる年











年の瀬です。狎キ爐箸呂い舛个鷓埜紂△匹鵑困泙蠅箸いΠ嫐だそうです。西生寺で代々くり返されてきた、新年を迎えるための伝統的な準備に日々追われています。ここ数年は、正月準備のほとんどを住職と私の「若夫婦」がおこなっています。(それゆえ、忙しくて23日から始まった山本五十六さんの映画はまだ観ていません(涙)…。)今年はいつもより寒さが厳しく、毎日雪が降りつづくなかでの正月準備となりました。

「新年の準備」はいろいろあります。「内職系」としては、1月3日の「年始会」に檀家さんに配る数種類の「お札(ふだ)作り」や、神棚などの「お飾り作り」、法事の「年忌くり出し」など。「大掃除系」では「神棚そうじ」、「お堂そうじ」、「年始会の会場準備」など。「野外活動系」としては「ゆずり葉」「松の枝」を弥彦山山中に切りに行き(今年は雪中行軍のようだった)、諸堂の「花あげ」、「〆縄&松飾り」付け、数十箇所にもおよぶ「おけそく(鏡餅)あげ」などです。

これらに加えて、毎年私にとっての一番の大仕事となっているのが「阿刀家の伝統的な年越し料理作り」です。去年の記録(日記)を引っ張り出して、毎年ほぼ決まっている「献立」を考える、というよりは思い出します。そしてくれぐれも買い忘れのないように「買い物メモ」をいくつもいくつも作り、数回に分けて膨大な量の「食材の買い出し」をして、ぜんまい、数の子などの乾物類を水で戻すところから「私の正月料理作り」は始まります。

関東育ちの私は12月31日は「年越しそば」だったのですが、新潟では12月31日の夜ごはんから豪勢に倏を取る(正月料理を食べる)爐里如■械影は朝から一日中台所に立ちっ放しとなります。お重に詰めた古典的な「おせち料理」作りや(阿刀家ではお重は各自ひとつずつ)、煮しめ、なます、だし巻たまご、新潟のお雑煮「こうとう」作り、あんこ作り、「のっぺ」作り、新潟の正月には欠かせない年越し魚の「塩引き鮭」を焼いたりと永遠と料理作りは続きます。

こんなことを言うのはどうかとも思うのですが、ここ数年の私はこの時期になると、お金と手間ヒマがかかるわりに、たいしておいしいとは思えない「おせち作り」から、いつかは解放されたーーーい!って思います。(お節料理は縁起モノなので「おいしい・まずい」ではないのかもしれないのですけれど…。)

ま、お正月を温泉旅館や旅行先で過ごすことは職業上望めないとしても、「豪華おせち」を買って楽しむ家庭や、おせち料理を食べないで他の「豪華な料理」で正月を祝うことのできる狹租にこだわらない家庭爐ほんとにうらやましくて仕方がありません。

とは言え、ここのお父さんや園子ママが「家族揃って手づくりのおせちを食べて、紅白歌合戦を見て年を取る、清く正しい日本の年越し」という古典的なスタイルをとても大切に楽しみにしているので、「これも親孝行のひとつなんじゃないかな。」と思って、嫁子の私は毎年がんばっちゃうのです(作り始めるとこれが以外と楽しかったりします)。

というわけで、一年をあらためて振り返ってみる余裕もないままに、除夜の鐘がゴ〜ンと鳴るのが私の定番の年越しです。しかし今年はふりかえるまでもなく、日本人なら誰でもそうだったと思いますが「東日本大震災」の事が頭から離れない一年でした。

大勢の方が犠牲となった大津波の映像はいま見ても凄惨で衝撃的で目を覆ってしまいます。津波にのまれた故郷の復興と仮設住宅での新しい生活、原発事故で故郷を追われ、慣れない土地で先の見えない不安な生活を送る福島の方々…。

「いつも通りであること、平穏でいられることの素晴らしさ」をしみじみと思わずにはいられなかった一年でした。

そのせいか、今年の自分を今書きながらさっと振り返ってみると、毎日、その日のやること・やりたいことを粛々とこなして「平凡な日常に小さなハッピーを見出す一日」×365日みたいな感じで今にいたるようです。震災や原発事故で、新年を従来の自宅で迎えることのできない10万人余の方の不安や苦労を思うと、いつも通りに家族全員がそろって、西生寺で新年を迎えられることが一番うれしかったりします(長老&園子ママも80歳を超えた高齢夫婦ですし…)。

最後に、今年も一年間「おてら通信」を読んでくださって本当にありがとうございました。
(「おてら通信」はきっと皆さんが思っている以上に、今や私にとっては大きな大切な存在となっています)

それではまた新年にお会いしましょう。皆さま、良いお年を。。。


※画像左…今年の「年取り魚(塩引き鮭)」の顔
「まな板の上の鯛」ならぬ「まな板の上の鮭」です。充分に寒風干しをした住職手製
の「塩引き鮭」3本のうち、31日の食卓にのぼる栄えある「年越し魚」に選ばれたいち
ばん立派なオスの鮭で、これから8センチほどの超厚切りの「切り身」にするところです。
それにしてもこの顔すごいです。目玉が引っ込み、アゴがしゃくれ、般若の面のような
恐ろしい形相はオスならではです。(メスはもっとおとなしいのっぺりした顔です。)
私は「塩引きの皮」が大好物で、いつも家族の分までいただくのですが、長岡藩の
お殿様もかなりの好物だったらしく「一反(織物ひと巻)食べたい」とおっしゃったそうです。
私の場合はどんなにがんばっても家族5人分で一メートル弱ってところですか。。。

※画像右…西生寺の定番「いくらパン」
塩引きにする前のメスの鮭からとった「腹子」で住職が毎回作るのが「いくら漬け」です。
そしてこの「いくら漬け」で私が必ず作る我が家の人気料理がコレ、食パンのトーストに
マーガリンを塗っていくらをのせたカナッペ、通称「いくらパン」です。画像初登場です。
ロシアのメドベージェフ大統領が、不法占領を続ける日本領土の「国後島」視察で、
「いくら工場」でスライスしたロシアパンにいくらをのせて試食するシーンがあったのですが、
私と夫はテレビ画面を指差し「あっ!いくらパンだ!」と同時に叫んでしまいました。
                                (ライバル心むきだし?)


2011/12/12(月)
★山本元帥のふるさと長岡「五十六でまちおこし」最新情報











昭和16年(1941年)12月8日に日本陸海軍が米英軍に対し攻撃を開始してからちょうど70年ということです。一般には連合艦隊司令長官山本五十六大将の指揮する海軍の「ハワイ真珠湾攻撃」が12月8日の開戦の象徴として語り継がれています。(陸軍も同日に「マレー半島上陸・シンガポール攻略作戦」や「香港攻略作戦」を開始していますが、インパクトに欠けるためかほとんど話題になりません…)

当時「リメンバーパールハーバー」とスローガンを掲げ米国民の参戦への士気をしきりに高めていたアメリカでは、現在はこの日を「追悼の日」と定め、第2次世界大戦で亡くなった軍人を追悼するとともに、軍人を敬う日となっているそうです。

いっぽうの日本では今年は特に狎こ初の空母艦載機による奇襲攻撃爐鮖迭櫃韻浸核楔渊熟燦疑磴肪輒椶集まっているようです。「真珠湾攻撃」を見事に成功させた山本五十六さんは、当時も日本中の国民からなる絶大なる信頼と人気を誇っていたそうですが、現代でもその人気ぶりは定着しており、本屋さんに行くと「戦争コーナー」には常に山本五十六関連の本が連なっていて関心の高さがうかがえます(しかも他の軍人モノに比べて批判ぽいのが少ないと思います)。

山本五十六さんを語る上で、欠かせないのが「個人的にはアメリカと戦争すべきではないと最後まで反対していたけれど、職務上対米戦争を自ら指揮ぜざるを得なかった悲劇の提督」、さらに「ニューギニアの航空作戦中に、反対を押して最前線で奮闘する部隊を激励するために出撃、待ち伏せていた敵の戦闘機に撃墜されて志なかばで戦死してしまった悲運の提督」ではないでしょうか。

さて、「開戦70年」という節目を迎えた今年の新潟は、五十六さんの故郷ということもあり、いつにないくらいに犖渊熟三貎Л爐砲覆辰討い泙后8月に五十六さんの地元長岡市内でもロケが行われた映画「連合艦隊司令長官 山本五十六」(全国ロードショーは23日から)をきっかけに、「人間山本五十六とは?その偉大な人物像…」みたいな感じであらためて注目が集まっていて、このところ新潟では五十六関連の記念番組が次々とオンエアされ、毎日「山本五十六」の言葉を聞かない日はないです。

山本五十六さんが地元で人気の理由は色々考えられます。まずは人間として魅力のある人物であったということでしょう。まじめで誠実な人柄で、軍人さんにありがちな偉ぶったところがなく、郷土愛がとても強い人だったそうです。それと相当な「筆まめ」で、小学生にまで丁寧に返事を書いていたことがさらに親しみを増したのかもしれません。五十六さんは戊辰戦争で負けて辛酸をなめていた苦しい時代の長岡に生まれ育ち、「米百表の精神」を胸に、長岡藩の藩標「常在戦場」を座右の銘とし、偉くなって中央にいても常に故郷を気づかうことを忘れず、故郷の復興や発展に尽力したことは有名です。

山本五十六さんは私の好きな軍人のひとりです。実は市町村合併で寺泊町民から長岡市民になったことの最大のよろこびが「山本五十六の地元だよん」と、堂々と自慢できるようになったことで、12月23日公開の映画も、限定の「山本五十六カレンダー」欲しさに9月11日の前売り券発売当日に早々に映画館に買いに行きました。

というわけで今回は、地元長岡でめちゃくちゃ盛り上がっている犹核楔渊熟擦任泙舛こし爐里はなしです。今でこそ「五十六ブランド商品」がたくさんある長岡ですが、私の知る限り「五十六商品」の先がけは地元長岡のホテルが開発して5,6年前に発売となった「五十六カレー」ではないでしょうか。これはすっかり新潟みやげに定着しています。(スーパーでも売っているし本格的にスパイスの効いた五十六レシピのインド風カレーです)

去年あたりから、五十六の生家にも近い長岡駅前の「大手通商店街」が、山本五十六人気を活用し「まちおこし」をしようと活動を開始しました。五十六の名前より5月16日前後の日曜日に開催される「五十六まつり」という「ホコ天イベント」も今年で2回目です。商店街発の「五十六ブランド商品(全15品)」を売り出して将来的には「五十六商店街」としての定着を目指すそうです。

さらに開戦70年の今年は、長岡市や「山本元帥景仰会」などが進める山本五十六で活性化をねらうシティプロモーションや、長岡観光コンベンション協会の呼びかけで「五十六関連グッズ(19社24品)」が完成したとのこと。どの活動も「山本五十六ブームを一過性では終わらせないぞ」という並々ならぬ決意のほどがうかがえます。

で、あれよあれよと言ううちに、続々と種類を増やした長岡発信の「五十六ブランド」のアイデア商品の数々を紹介しましょう。ちなみに五十六さんのお孫さんの山本源太郎さん(48歳)はこの状況に対して「遺族として地元のお役に立てるなら協力したい。」と歓迎のコメントをよせてくれています。ありがたいですね。

≪長岡発信「五十六ブランド」商品の一例≫
○長岡山古志産の酒米を使い、加山雄三さんがラベルを揮毫した「銘酒五十六」
(加山さんの息子さんが花火師で長岡花火の一部をプロデュースしているのが縁です、きっと。)
○五十六さんの大好物だった「水まんじゅう」
(当時の和菓子屋さんも健在で、今でも五十六が食べた「塩小豆まんじゅう」が販売されています。)
○五十六さんゆかりのハワイ産コーヒー「山本五十六珈琲」
○五十六さんが好物だったパパイヤ(きっとトラックやラバウルで食べたのでしょう)入りソーセージ
○海軍のボタンにある「桜葉マーク」より、桜の葉を入れた「さくら素麺」
○「五十六ブランドフェア」:五十六好物の「カヤ実」を使ったッキー、弁当、ハンバーガーなどを販売。
○「五十六グッズ」:ペン、語録(常在戦場とか?)を載せた文具や湯のみ、手ぬぐいなど。

そのほか、広島県呉市にある有名な「大和ミュージアム」と長岡市内にある「山本五十六記念館」が、今回の映画をきっかけに連携していく方針を決めたとのことです。両館の相互PRや五十六グッズの共同販売などを行うそうです。

それともうひとつ私がずっと注目してきた活動があります。

それはハワイホノルル市と長岡市との交流です。「平和を強く願った山本五十六元帥の遺志を継ごう。両市が交流をして相互理解を深め、真珠湾で長岡花火を打ち上げて、真珠湾を日米の平和の象徴にしよう。」と、今の長岡市森市長の強い思いがもとで、8年ほど前に市長自らがホノルル市長にコンタクトをとったのがはじまりでした(本人いわく「恐る恐るだった」そうです)。

以来、かつての戦争の恨み(被害者意識)を互いに乗り越えて、ホノルル市と交流を深め「友好姉妹都市」提携を結びました。さらには因縁の地「真珠湾」で「平和と追悼の長岡花火を打ちあげる計画」を正式に立案、ホノルル市側の承諾を得て長岡市の予算をとりつけ、当初夢物語のように言われていた「真珠湾で長岡花火構想」がついに実現するまでにいたりました。

森市長の強い意志で、ねばり強く数年をかけて実現にこぎつけた「真珠湾で長岡花火」は本当は今年3月に打ち上げでした。計画初段階からずっと注目していた私も「いよいよ爐△凌深醢儉爐忙核楔渊熟擦里佞襪気箸硫峅个あがるんだー」と早くも感無量。現地ハワイにも長岡市民訪問団が集結し(募集は大盛況)、あとは長岡市長の合流と当日の花火打ち上げを待つばかりのまさにその時、東日本大震災が発生し急遽中止になったのでした。(花火は現在ハワイの倉庫に保管されていて来年3月に一年遅れで打ち上げが計画されています。)

それにしても、戦争指導者への責任論が絶えない今の日本で、反戦を訴えていたとはいえ大東亜戦争を始めた軍人なのに狷押垢箸泙舛こしに活用できてしまう犹核楔渊熟擦気鵑呂笋呂螳梁腓平擁です。「なぜなのかな?」私はいつもこの点にこだわってしまうのです。

なぜなら、昭和の戦争で活躍した人気のある陸海軍人で平成の現代においても、地元市民に郷土の誇りとともに愛され続け、地元市長が先頭に立って盛り上げ、地元商店街のまちおこしにも有効に活用されている人物は、日本中をさっと見渡しても山本五十六さん以外に私は思い当たらないからです。

そして行き着く「答え」はいつもコレです。それは「五十六さんが戦争中に戦死してしまったので、戦後連合軍による戦争犯罪人の罪が着せられなかったこと」です。だって狄深醢儿況眥ニ椰有爐慮渊熟擦気鵑もし敗戦後に生きていれば、たぶん絶対に戦犯は免れなかったはずだからです。でも戦死によって永遠に国民的英雄の猝欺爐里泙涅にいたるので、堂々と犖渊熟札屮薀鵐匹任泙舛こし爐できるのだと思うのです。

山本長官は「死に場所を求めて出撃して逝った」とも言われていますが、いまになってみると「あのとき戦死されてよかったのかもしれない…」って、つい思ってしまいます。でもきっと郷土愛が強かった五十六さんのことですから、「中越地震」を乗り越えたふるさとの復興&まちおこしに自分が一役買えるのなら「おおいに結構ではないか」と、あの世でやさしく見守ってくれているに違いありません、きっと。

※画像左…山本五十六記念公園内にある「生家」
長岡市内中心部、撃墜された五十六さんの乗っていた一式陸攻の翼や座席の展示で有名な「山本五十六記念館」から歩いてすぐのところに五十六さんが生まれ育った跡地に造られた「山本五十六記念公園」はあります。長岡空襲で焼失してしまった、明治時代の一般的な武家屋敷だという「生家」も復元され、山本五十六の「胸像序幕式」とともに昭和33年(1958年)に開園しました。画像にはありませんが公園奥の正面、木をバックに高くそびえるシンボル「山本元帥の胸像」の由来は、五十六さんが戦死した昭和18年に造られて、土浦航空隊(予科練)の営庭に置かれていた、高さ6.4メートルの大きな全身像の上半身部分です。

物資不足の当時、選ばれた56人の職人さん(五十六だから56人?)の努力により、コンクリートに特殊顔料を混ぜて爛屮蹈鵐塞爐忙転紊欧蕕譴泙靴拭終戦後、GHQの破壊を恐れて銅像は2分され、上半身のみ霞ヶ浦(湖)に沈められましたが、昭和23年に引き上げられて廻り廻ってふるさと長岡へ。生家跡地の公園内に安置されることになったのだそうです。毎年五十六さんの「命日」である4月18日は、この胸像の前に遺族や関係者100人ほどが参列をして「法要」が営われています。

※画像右…生家「仏間」の光景
画像で見るよりとにかくデカイんです!両腕で抱えきれないくらい大きな石膏製の「山本五十六元帥の胸像」です。このインパクトすごすぎの「巨大胸像」が置かれているのは生家の仏間です。実は公園に建立されていた初代「コンクリート製」の胸像を、昭和45年(1970年)に現在のブロンズ製に作りかえるときに石膏でとった「型」なのだそうです。で、その役目を終えたいまは「生家の仏間」が安住の場所となっています。

上半身だけ、胸から上の堂々のお姿で畳に鎮座というよりは狆欧ら五十六さんが生えてきちゃった風爐如∧針泙癖間になんとも不思議な存在感を発揮していて私のお気に入りです。この屋敷に入ると、なにはさておき私はこの五十六さんに一番に会いに行きます。今年、多数のテレビ番組でこの「仏間」が紹介されましたけど、カメラは絶対にこの巨大胸像だけは避けていました(笑)。たまーに気候の良い日に、ボランティアの方が生家の板戸を全開にして猊通し爐鬚靴討い觧に遭遇すると、外から家の中に鎮座するこの巨大胸像が丸見えになります。さらに分身である正面のブロンズ像の五十六さんと向き合う形となるので、ふたりの五十六さんがご対面を愉しんでいるみたいです。


2011/12/01(木)
★西生寺「冬支度」と「寺庭婦人忘年会」











冬支度(ふゆじたく)。これから長くて厳しい冬を迎える雪国新潟では、今の時期、あいさつがわりのように日常的によく使われる言葉です。春夏秋冬と四季のある日本ですが、その季節を迎えるにあたり、わざわざ犹拇扠爐箸いΩ斥佞ある季節は冬だけではないでしょうか。でもそれもうなずけます。だってここに暮らしていると狹濟拇戮覆鍬爐謀澆鮠茲蟇曚┐襪覆鵑謄爛蠅世隼廚Δらです。

そんな「冬支度」の代表的なものが雪国の風物詩ともなっている「冬囲い(雪囲い)」です。西生寺でも境内の木々の冬囲いの作業が終わりました。数を数えたことはないけれど、さつき、つつじ、あじさい、シュロなどなど木々のほとんどを一本ずつ竹と縄で囲うので、2人の植木職人さんでもたっぷり一週間はかかります。

そして冬囲いの完成と時を同じくして、駐車場を囲むように原生している「けやき」の葉が今年もぜーんぶ落ち上げました。今年は特にヒマだったので、雨以外の日は毎日、愛用の竹ほうき(竹ちゃん)大中小の3本を使い分け、手のひらに豆をつくりながら掃くこと2ヶ月、ようやくひとつの大仕事が終わりました。

しかし、今年の落ち葉掃除から解放されたわけではありません。相変わらずけやき以外の落葉樹の掃き掃除は続いています。おかげで猴遒鼠佞修Δ犬鮓譴蕕擦燭薀好乾た有爐傍淦長しました(ので少し語らせてください)。

落ち葉の量に泣く爐韻笋爐魯汽サクと軽やかで掃くのは簡単、落ち葉ですら情緒のある爐發澆賢爐箸箸發冒櫃やすい優等生です。爛ぅ船腑Ν爐禄鼎燭やっかいですが、イチョウだけは全部落ち上げてから牴色のじゅうたん爐魄豕い冒櫃ます。

最悪なのが狠秧Г凌っぱ燹B膵咾譴龍風が吹くと容赦なく境内のいたる所に散乱します。見た目も非常に汚いし、前日まできれいだったのが牋賁襪砲靴萄念の状態爐砲覆襪里膿翰的にもガックリきます。ごわごわとして竹ほうきにひっかかりこれもまたイライラします。

そして地味だけど意外とやっかいなのが犧戮ぞ祥姚爐筬狠櫃陵姚爐如△海舛蕕呂舛辰箸發曚Δにノってくれず、忍耐力でやっとこさっとこ掃いたわりには「きれいになったー」という達成感が味わえません(以上、語らせていただきました)。

落ち葉を一生懸命に掃いていると、拝観者の方から「掃いても掃いても大変ですねー」などとねぎらいの言葉をいただきます。境内をきれいにするのが最大の目的ですが、うれしいおまけもあります。それは掃き掃除をすると体が温まることです。寒さに弱い私にとってこの時期の「受付寺務所」は隙間風と底冷えが厳しく、何もしないと寒くて体が固まってしまうからです。境内もきれいになって体も温まる、良いこと尽くしです。

この「落ち葉掃除」も雪が積もる前にしなければならない「冬支度」のひとつと言えるでしょう。ちなみに掃いた落ち葉はそれで終わりではありません。いくつもの猴遒鼠佞泙鵑犬紊Ν爐鬚海靴蕕┐董∧欧火をします。現在の西生寺は晴れていれば境内のあちこちから狼煙(のろし)のようにもくもくと煙が上がっています。

そうそう、この間の休日だったか狄綮劼気淹欧雖爐頬れた家族の坊やが、車から降りるなり、境内中にただよっている焚き火の匂いに反応して

「何だ?ここは冬のにおいがするなあーー!」
と元気のいい大きな声でさけんでいました。焚き火の煙を狹澆里砲い爐班集修靴臣砲了劼僚斉陲粉鏡に、思わずハッとさせられました。

このように、西生寺に落ち着いて、3本の竹ちゃんを駆使して落ち葉と格闘する犲¬深いマイライフ爐箸呂Δ蕕呂蕕法■牽虻个魃曚┐芯肱掘園子ママ夫婦は、お寺関係の旅行で「台湾」へ行ったり、「九州旅行」が控えていたりと相変わらずの牾綾亶イ燹で、外出好きの血を引く夫の住職も、「布教」やお寺関連の「行事出席」のために新潟を離れる日が続くなかで「私だって外出好きなのにー」と文句のひとつも出そうな頃、ようやく私にも爐気気笋な息抜きの時爐訪れたのでした。

それは近隣の寺庭婦人の仲間が久しぶりに集まり、地元のイタリア料理レストランで「忘年会」を兼ねた夕食会をしたのです。

一応この集まりには「若奥会」という名前がついています。年一回は集まって、気心の知れた同じ寺庭婦人同志で、気楽に楽しくおしゃべりとお酒とお料理を楽しむ主旨です。昨年、おととしと都合がつかず集まらなかったので、実に2年ぶりに爛瓮鵐弌治郷佑全員集合爐箸覆蠅泙靴拭
(ちなみに長くお勤めをされているキャリアウーマン寺庭を除くと、残り5人全員が専業寺庭婦人です。)

この日はお酒を飲むので車の運転ができませんので、それぞれ爐世鵑覆気泙料迎付き爐任后子供をだんなさまに託して参加するメンバーもいます。

ちなみにメンバーは40代〜60代、なのに「若奥会」です。なぜなら、20年前の発足時には確かにみんな犲磴けさん(もしくは独身)爐世辰燭らです(笑)。20年という歳月をふりかえると、メンバーそれぞれがただ年齢を重ねただけではなく爐修譴覆蠅諒儔臭爐鬚箸發覆辰討い襪海箸砲△蕕燭瓩撞ど佞のです。

「家族が増えもしないし減りもしない、変化ゼロの同居生活を21年間送り続けるお嫁さん」は私くらいなもの。同居していた姑両親が亡くなり、現在は「子供とだんなさまと家族だけで暮らしているパターン」が2名、「結婚当初から夫婦だけで今、子育ての真っ最中」という方が1名、私と同じ「同居組」で、息子さんの結婚で新たにお嫁さんが加わり「自分もお姑さん」になったメンバーが2名、うち一人はお孫さんが複数いて働くお嫁さんの代わりに子育てをする「ベテランおばあちゃん」に。。。

そんなこんなで、それぞれのお寺事情、家庭事情からしばし解放された寺庭婦人6人が、非日常的なおいしいお料理(イタリア料理フルコース)とおいしいお酒(ワイン)に乗せて爍嫁ぶりに咲かせたおしゃべりの花爐呂靴椶爐海箸覆延々と続きました。寺庭婦人という同じ境遇がなせる話題を中心に、子育て、健康、趣味などなど、あっという間に時間が過ぎてゆきました。気が付くと閉店時間がせまっており、あれほど満席でにぎわっていた店内もお客は我々だけになっていました。

そうそう、途中2時間もたったころ、まるでじっとしていない愛娘ちゃん(1歳ちょっと)を爛僖僂箸佞燭蠅り爐砲靴道臆辰靴織泪淹庭のメールに「娘が味噌汁をこぼした…服が…」とパパ住職よりメールが入り、めったにないという母親抜きでの猝爾箸佞燭蠅りの食事爐房蠅鮠討、顔見知りのあの住職さんの姿が目に浮かび、ちょっとおかしかったです。

(実は夏に、この住職さんにお会いした時に「今年は久しぶりに集まりたいと思っているんですけど、娘さんにつきっきりの奥さまは参加できますかね?」とたずねたことがあって、その時住職さんは「大丈夫ですよ、自分が娘を見ていますから。」とさわやかに快諾してくれた経緯があります。)

※画像左…西生寺「樹齢800年大銀杏」の黄葉
鎌倉の「鶴岡八幡宮」の、あの有名な大銀杏が倒木してしまった時、
「西生寺の大銀杏は大丈夫なの?」とかなり心配しましたが、このように
なんとかたくましく生きていて今年も素晴らしい黄葉を披露してくれています。
新緑の季節を迎え、まるで枯れてしまったかのような枝から「淡い緑の新芽」
が姿を見せ始めると 「ああ、生きていてくれたのね、よかった」とほっとします。

※画像右…「若奥会」食事風景
「バナナウィンズ」という地元野積地区にあるイタリアンレストランです。
同じ敷地にある「カフェウィンズ」とともに、ここは本当に昔から人気のある
レストランです。地元寺泊の魚を使った料理や自家製パンにファンが多く、
遠方からわざわざ食べに訪れるお客さんで駐車場はいつもいっぱいです。
若いカップルや家族連れ、女子会はもちろん、年輩の常連さん夫婦が静
かにワインをかたむけてたりもする、居心地のよいお店です。
西生寺も時々利用する、我が野積地区が誇る犂饑悗裡姥爐任后


2011/11/20(日)
★晩秋の一日「菊まつりとマンモグラフィ」











冬型の大風が吹き荒れた翌朝、境内に広がった落ち葉のじゅうたんをさくさく歩きながら、すかっとした青空を見て私は唐突に決めました。

「今日こそ弥彦菊まつりを見に行って、そして今年の目標としていたマンモグラフィ(乳がん検診)に行こう!」と。

私:「これから菊まつりとマンモに行ってくるね。」
夫:「えっ、なに突然…マンモウにか?菊まつりもか?」
私:「うん。今日をのがしたら一生行かない気がするから。じゃーね、よろしく」

というわけで、久しぶりの「お休み」をもらって秋晴れの一日、私の爐劼箸螢疋薀ぅ屐菊まつりとマンモグラフィの旅爐始まりました。

めったにない妙な組み合わせとなりましたが、訪れてみたいと思っていた弥彦神社の「菊まつり」は24日までですし、初めての乳がん検診「マンモグラフィ検査」も、昨年40歳になった時の自分の約束だったのが一年延ばしになっていたので、一日でふたつを達成するにはこの日しかなかったのです。

はじめに訪れたのが、西生寺から車で20分足らずの「弥彦神社」。久しぶりのお弥彦さまは平日にもかかわらず、開催中の「菊まつり」を目当てに訪れた参拝者で、駐車場も満車寸前くらいに大変な賑わいを見せていました。「弥彦山ロープウエーのりば」の送迎バスにも順番待ちの行列。「さすが、越後一ノ宮のお弥彦さまだなー。」と感心、菊まつりが始まってから少しだけ忙しくなった西生寺との犧広爐魎兇犬困砲呂い蕕譴泙擦鵑任靴拭幣弌法

「日本三大菊まつり」として有名な「弥彦菊まつり」ですが、境内、参道と、さまざまな種類の「観賞菊」が種類ごとに展示されており、あらためて犁討寮こΔ留深さ爐鮹里蠅泙靴拭「大風景花壇」の「富士山」の前は恰好の写真スポットで人だかり。そして参拝者を沸かせていたのが本殿前の境内にある「千本菊」と呼ばれる「菊のオブジェ」でした。(※前回の「おてら通信」の画像&今回の画像右)

初めて知ったのですが、キノコのようにまあるく均等に菊を配したものが、実は牋賈椶竜討ら作られていた爐箸いΧ辰です。しかもこんなに大きな丸さなのに、覗き込んだ下にある鉢からは、細ーい幹が一本ひょろりと伸びているだけです。

周りの人も「これ一本の菊なんだって。ほら見て、鉢から一本だけだもの、すごいねー」などと鉢を覗き込んでいました。全ての花を同時に咲かせる技術など、作品づくりは一年を要するそうです。ということは、もう来年に向けてすでに菊作りは始まっているということです。「菊は子供より手がかかる…」とはよく言ったものですねー。

実際に観賞してみて、意外と良かったのが小菊で作られた「植え込み(盆栽)」でした。可憐な小菊の花を主に、岩、苔、根、幹、枝などの全体で世界観を表現する「盆栽」は、ダイナミックに花弁を競う大輪菊の派手な美しさとは別の美しさ狷本のわびさび爐砲眥未犬襪發里魎兇犬泙靴拭K澪呂瓦箸砲弔韻蕕譴拭崑衞勝廚魍稜Г靴討修虜酩覆鯆めると、作者の意図するものを感じようとしてどんどん世界に引き込まれてゆくのでした。

ちょっとしたおみやげを買い求め、にぎわう弥彦神社を出発した私は、いよいよ「乳がん検診(マンモグラフィ)」のため、新潟市へ向いました。「ピンクリボン運動(乳がん撲滅運動)」などで、知名度が上がりすっかり定着した「マンモグラフィ検査(X線検査)」も、私は初めてなので興味があります。

経験者の方によると、胸を狡玉詰やり犁ヽにはさんで、せんべいのようにぺちゃんこにしてレントゲン撮影をするので「耐えられない痛さ」と言う人もいますし、「どんなに小さな胸でも絶対にはさんでくれるから心配しないで」とはげましてくれる?親切な人もいます。果たして自分は…。

実は今年春、長岡市民の私のもとにピンクの封筒で「乳がん検診無料チケット」なるものが届きました。しかし「事前予約&慣れない長岡市内の病院に朝集合」など、とても私にはハードルが高くてもったいないけれど早々に断念しました。

代わりに、新潟市内の兼務するお寺「弘願寺」そばで、予約なしでもマンモ検査をしてくれる犒蠑譴良賊´爐鮓つけていたので「マンモならそこ。」と決めていたのでした。

ところが、そう決めた夏、その病院で「乳がん検査(マンモ&触手)」をしたことがあるふたりのマダムから、「直子さん、そこはやめたほうがいいわよ。」と、ちょっと聞き捨てならないことを言われてしまいました。「検査がいい加減なのか?」と思ったらそうではなくて、なんでもそのマダムが言うには「(そこの担当の先生が)エロおじいさんなのよ!いつまでも胸をさわられ続けてもういやになったわ!」とのこと。

「だから予約なしでもOKなくらい空いているのかなー」とか一瞬合点がゆきそうになりましたが、すぐに「本当にエロおじいさん先生なのか?体を張って確かめてみよう!」と、逆に好奇心をかきたてられてしまった私。

家族の前でもこのマダムの話をしてから、「その病院で乳がん検診を受けて、果たして本当にエロおじいさん先生なのか、実際に確かめてみる宣言」をしたところ、病院&検査慣れしている家族からも、

父:「(たとえエロおじいさん先生だったとしても)予約なしで検査できるのは何にも変えがたい。」
ママ:「直子さんならどんな先生でも(たとえエロおじいさん先生だったとしても)大丈夫よ、きっと。」

みたいな応援コメントをもらいました。
(さすがに夫だけは「やめたほうがいいんじゃないかー」と少しは心配してくれましたが(笑)。)

こうして迎えた今日、「記念すべき初めてのマンモグラフィ検査」&「エロおじいさん(かもしれない)先生との初対決」と、わくわくしながら受付を済ませ自分の順番を待ちました。(私の前後にひとりずつ。待ち時間5分)

結果から先に申しますと、マンモグラフィ検査の狡砲澂爐和疹はありました(せんべいのように挟むので当然?)。でもマンモ最大の懸念である、声をあげてしまうような爐Δ錣気侶稍豊爐六笋砲倭瓦ありませんでした。左右の胸片方ずつを、上下と左右にはさみ直して計4枚撮りました。

それと先生ですが、婦人科で長年治療を受けていた私の経験から言うと、そんな言われるほどのエロおじいさん先生ではありませんでしたし、ついでに言うとそんなにおじいさんでもありませんでした(笑)。ま、許容範囲ではないでしょうか。とてもあっけらかんとした気さくな先生なので、相性が合わないとダメなのかもしれません。何でも知りたがる私には、打てば返すようにいろいろと教えてくれたのでよかったです。

ついでに猴縮鵑覆靴韮錬砲覆曚俵いている理由爐盻颪加えておきましょう。それはこの病院が、新潟市の無料検診を受けられる施設の指定外なので検査が実費となること、そして「乳がん検診(マンモグラフィ)」が受けられることをまったく宣伝していないので、あまり知られていないのがその理由です。

「予約制」だったり、わざわざ出かけたり、待ち時間が長くて「一日仕事」になったりと、けっこうめんどくさいのが病院の常なのに、今回の私のように思い立った時に、まるでコンビニに入るように気軽に飛び込んで、待たずに「乳がん検診」が出来る施設はとても貴重な存在だと思います。

ちなみに受付をしてから清算まで、所要時間は一時間20分でした。料金は、保険が利きいたので、3千円もかかりませんでした。もちろん「結果」もすぐにわかります。

とにかく、昨年から延び延びになっていた「自分自身の約束」をひとつきっちりと果たしました。「乳がんは自分はまだ大丈夫でしょ、でも万が一という事も…」と揺れ動く女心から解放され、これですっきりとした気持ちで師走を迎えられそうです。


※画像左…石植込み「盆栽菊」
花の色の違う4種類の菊を、岩山に見立てた岩に絶妙なバランス
で 配したこの作品はひと目を引いていました。とてもステキです。
岩にはうようにして地面に伸びている根は、苔(こけ)で上手に岩と
同化させていました。

※画像右…「千本菊」
思わず「きのこポットだ!」と叫んでしまいそうになるのをこらえました。
(ひとりなので)弥彦村名産の超肉厚なブランドしいたけ
「やひこ太郎」みたいです。千本菊は数体展示されていましたが、
これが一番気に入りました。
札を見ると「弥彦山ロープウエー社長賞」を受賞していました。


2011/11/05(土)
★「弥彦菊まつり」が始まりました。











今年も早いものでもう11月です。私が11月と聞いて一番に思い浮かぶことは、毎年11月1日から「弥彦神社」境内で始まる「弥彦菊まつり」です。正式名は「第51回新潟県菊花天覧会」と言うそうで、規模が大きく「日本三大菊まつり」としても有名です。今年も全国の菊愛好家より4,000鉢の見事な「観賞菊」が集結しました。

コンテストも兼ねていて、皇室の賞、内閣総理大臣賞など各省の大臣賞、県知事賞などの地方自治体関連、神宮(宮司)賞などの神社関係、各種業界関連などなど、「賞だけでもいろいろあるのだなー。」とちょっとしたおどろき。

それと、やはり私が気になるのは、毎年テーマを変えて3万本の小菊で製作される、大人気の立体的な巨大箱庭「大風景花壇」です。今年のテーマなんだろう?と毎年関心を寄せているのですが今年は「富士山」だそうです。(昨年は「弥彦の杜」でした。)

そんな菊の祭典「弥彦菊まつり」の始まりと時を同じくして、旬を迎えるのが「食用菊」です。

食用菊も数種類ありますけど、新潟や山形の人にはなじみの深い爐きのもと燹併碍舛任廊爐發辰討里曚燹砲やっぱり肉厚で一番おいしいです。新潟県民は菊を食べるのが大好きです(結婚した当初は驚きました)。カキノモトの時期になると、新潟では一般家庭でも「箱買い」は珍しくなく、薄むらさき色の花弁をむしって「おひたし」などにして、かなりの量をわしわしと食べます。

先日、三条で八百屋を営むご信者さんより、見るからに新鮮な「かきのもと」一箱と、そしてなんと「松茸」が送られてきました。

カキノモトをむしりつつもやはり気になるのは、カナダ産と書かれた白い紙に包まれた「松茸」の小箱です。住職がさっそく中を確認すると、カナダ産特有の笠の開いた大きな松茸が一本、小箱にきっちりと収まっていました。取り出して持つとずっしりと重たく、鼻を近づけると松茸の香りがただよい質の良さがわかります。

一本でもかなりのボリューム。しかし一本は一本です。この貴重な一本の松茸を、家族5人で最大限においしく堪能するには「どのように調理して食せばよいのか?」、料理担当の夫と買出し担当の私は真剣に議論を重ねました。

夫:「笠が開いているから香りをたのしむ料理がよい。」
私:「じゃあ、松茸ごはんか、お吸い物だね。」

出た結論は定番の「アラ汁(ガラ汁)」。安く手に入る鯛や白身魚のアラで作る、塩&しょうゆベースのアラ汁の豪華版「松茸入りアラ汁」です。

魚の出汁は、生臭さがでると松茸の風味が台無しになるので、地元の海で捕れた新鮮な天然真鯛の爛▲蕁米・骨身)爐鯏魄きにして使うことにしました。そして住職がこだわった最大のポイントは、食べる直前の完成した熱いスープに猯いて酒をふった松茸爐鯏蠧していっきに香りをスープに移し、松茸はしゃきしゃきのままいただくということです。

こうして爐い弔發離▲藹銑爐望沼が投入され、いっきに犢覯擇淵▲藹銑爐完成しました。台所や食堂中に松茸の良い匂いが充満しています。松茸風味となったスープをたっぷり飲んで、鯛のお頭ひとり半分というボリューム満点の具を食べれば、一本の松茸でこれ以上はないくらいに家族全員が満足すること間違いなしです。

こうしてかなり久しぶりに我が家の食卓に松茸が登場。カキノモトのごまあえも並びました。家族みな興奮気味に「本物の松茸の香りだー。豪華だねー。」「松茸の香りも忘れてた。」「買っては食べられない。」「身もしゃきしゃきしていて最高。」などと個々につぶやきながら、鯛のガラと格闘しています。

しばらく経ったその時です。園子ママが突拍子もなく無邪気に大きな声でこう言いました。

園子ママ:「あ〜松茸でおなかいーっぱい!!もうごはんも菊も何も入らない!」

一瞬の沈黙のあと、食卓は笑いの渦。


私:「お母さんすごいよ今のセリフ、松茸でおなかいっぱいなんて超豪勢だよ(笑)。」
長老:「人が言葉だけ聞けば、西生寺はえらい豪勢なマンマを食べてると思うぞ(笑)。」

園子ママ:「だって本当よ。松茸でおなかいっぱいなのよ。」
住職:「ふふん、松茸と狃銑爐つくのとじゃ大違いだな。」

私:「それじゃ私もお母さんに便乗して一度は言ってみたかったセリフを言っちゃおう。」
   「私も松茸で、もうおなかいっぱーいだー(笑)!」

住職:「汁物は腹がふくれるからなあ。鯛の頭でボリューム作戦もよかったね。」

長老:「そうか、うちの女の衆は松茸でおなかいっぱいかー、いやいや豪勢でけっこう、アハハ…」

たった一本でもここまで盛り上がってしまう狆沼爐辰討笋辰僂蠅垢瓦ぅノコです。っていうか、一本の松茸でこんなにハッピーになれてしまう家族を、私はあらためて愛しく思いました。

今回、ゴージャスな「満腹宣言」で食卓をわかせた園子ママ、自らも弥彦山に「キノコ採り」に出かけるほどのキノコ好きです。そんなお母さんが、かつて引き起こした「松茸大事件」がなつかしく思い出されます。

昔、「おてら通信」にも載せましたが簡単に話すとこんな事件です。

お母さんが「JR新潟駅」構内のスーパーで、おいしそうな「松茸」を見つけました。手が届く値段だし「どれ、たまには松茸でもみやげに買おうか」と購入を決め、すぐにレジへ。しかし、レジの人が告げた合計金額で狠傭覆魄譽吋心岼磴┐討い燭海鉢爐鮹里蝓内心では心臓が飛び出そうなほど驚いたけど、何食わぬ顔で、一本が2万3,000円もする「超高級国産松茸」を買ってしまったという事件が「松茸大事件」です。思えば一本の松茸で西生寺がここまで盛り上がったのはその時以来のことですな。

「菊の話」からだいぶそれてしまいましたので少し話しを戻しましょう。弥彦神社でこの「菊まつり」が始まると、弥彦神社から「弥彦山スカイライン」を通って西生寺方面に人が流れるという爐△蠅たい図式爐如∪樟源を訪れる参拝者も増えて若干忙しくなるのが通例です。

今年は地震以来、拝観者が少ないまま今日まで来ているので、24日までの菊まつり開催期間中は「少しは期待できるかな。」と思っています。厳しい冬を迎える前の贈り物のような秋の行楽シーズンです。お互いに爐出かけ爐魍擇靴澆燭い發里任垢諭。。


※画像…拝殿前に対で飾られた「菊」
この2色の美しい菊の献花は、昨年訪れた伊勢神宮のものです。


2011/10/25(火)
★渡り鳥に迷い鳥、西生寺「最新狡鮫犹情」











晴れた日の早朝、ひとり境内で朝の運動に励んでいると、上空から聞こえてきたのは聞き覚えのある古いオルガンの鍵盤をたたくと出るようなキーコキーコという音。「あっ!もしかしてこの音は!」と弾む心で上空を見上げると、

「うわお!やっぱり!」

一年ぶりとなる狹呂蠶鮫爐了僂任靴拭上手に三角形に編隊を組んで飛んでゆく鳥たちの群れ。遥かシベリアやカムチャッカ半島から飛んで来た渡り鳥たちは、いったん本州の秋田あたりに入り一時休憩、そのあと日本海沿いに南下をして「越冬地」に到着する、と何かで読んだ記憶があります。

うれしいことにその「渡り鳥の南下ルート」のひとつがちょうど西生寺の真上を通過するようなのです。

おかげで、渡り鳥の季節になると多くの鳥たちがキーコキーコと鳴き合いながら、越冬地を目指して西生寺上空を飛んでゆく勇姿がみられます。戦闘機の航空ショーのように、美しい編隊を組んで上空を飛ぶ姿は猗行機好き爐併笋凌瓦鬚っちりとつかみ、思わず「かっこいい〜!」とひとり叫んでしまいます。

「色が黒かったから、福島潟に飛来する天然記念物のオオヒシクイだな。」とか、大柄の白い群れだと「瓢湖に飛来するオオハクチョウにちがいない!」とか、遅れて飛んでいる鳥を見ると「渡りの初心者?がんばれー!」とか勝手な想像もとっても楽しく、秋の風物詩的にけっこう待ちに待ったという感じです。

さて、もうひとつは「迷い鳥」のおはなしです。

一週間ほど前から、駐車場の宝物堂や寺務所周辺に毎日狆さなゲスト爐姿を見せるようになりました。
鳩(ハト)なんです。それも美しい白灰色と白と紫色の羽をもつ大柄な狹曾馮鍬燹

不思議なことにこの伝書鳩は、地面を歩き回ったり地面でくつろいだりと、ほとんど一日中を「地面」で過ごしています。そばに寄ってもほとんど逃げないし、体をふくらませたり伸びをしたり、平気でリラックスしている姿にお客さんにも人気となっています。

「さすがは訓練され、飼いならされた鳩だなー。」
と思って、思わぬ訪問者に心癒されていたのですけど、この子、どうやら家に帰らずに西生寺に留まったままのようなのです。

そうなると話は別です。ヒマだし、ほっとけないし、観察を続けるうちにいろいろなことが分かってきました。

○やはりどこへもゆかず、西生寺に居着いている「迷い鳩」であること。
○外傷は見当たらないし、羽の変形もなく、ころころと太っていて健康そう。
○緊急的に高い所(屋根)に逃げる程度なら飛べるけど、いっぱいは飛べないこと。
○左足にピンクの足輪と文字が書いてある紙らしきモノを巻き付け、右足には蛍光黄色と青の2個の足輪をしていること。
○宝物堂エリア(大きな雲流石の岩陰など)をねぐらにしていること。などなど。

とりあえずはお近づきの印に猗靴舛磴鵝淵ューちゃん)爐般症佞院⊇賛Δ噺守ることにしました。


もしかしたら本当に気に入って西生寺に留まっているのかもしれないのに、猗瑤戮覆ぬ造と靴任△覘爐箸いΕ譽奪謄襪鮠ー蠅謀修辰討靴泙辰寝罅垢砲蓮▲┘気鬚弔泙澆覆ら広い駐車場を気ままにウォーキングしたり、地面にたたずみ、赤い目をきょろきょろさせ自慢の鳩胸をふっくらと毛づくろいするかわいらしい姿を見ても、なんでもかんでもが不憫に思えてならなくなってしまいました。

最大の心配は、「水子地蔵エリア」の杉をねぐらに活動している強敵の猊徂悄覆瓩と)ガラス爐任后これまでもスキあらば弱った野うさぎや鳥を獲物にしてきたしたたかな彼らのこと、飛べない鳩に狙いを定め、衰弱する時を待っているかもしれないと、そんな最悪なことが頭をよぎってしまいます。

いや正確に言うと実は「迷い伝書鳩」はこれで2度目なのです。その鳩も飛べずに境内に住み着いて、結局はカラスに狙われたか、村から登ってきた猫にやられたか、最後は散乱した羽だけに…。

住職が言うにはもう完全に狙われているとのこと。客殿の屋根のシャチホコに止まって、こちらを見下ろすように観察している不気味なカラス。。。

夫:「あのカラスは完全に狙っているぞ、おい、キューちゃんまずいぞ。」
私:「どうしよう、キューちゃんも羽だけになっちゃうのかなー。」


我々の心配が伝わるはずもなく、晴れ間には宝物堂前の木の下で足をたたみ、腹を地面につけて犂阿擇な休憩の姿勢爐覇向ぼっこと昼寝をたのしむ、大胆な迷い鳩キューちゃん。ちょっとあなた、無防備すぎじゃないですか。

私:「なんとか捕まえられないかなー。足輪に字が書いてあるの。連絡できるかも。」
夫:「よし、はさみうちにしてみるか。」

(※さっそく二人して中腰になり、前後からじりじりと近づいて「挟みうち作戦」を開始するもあえなく失敗。。。)

こうなったら伝書鳩というのを手がかりに、シーサイドライン沿いのとなり集落に「黄色い鳩舎」で伝書鳩をたくさん飼育している猗轡チさん爐里宅があるので、思い切って訪ねてみるっていう手もあるけれど…、それにはなぜかちょっとばかし勇気が足りない今の私です…(笑)。



※画像左…キューちゃん「お寺の一日:お参り編」
ねぐらの雲流石そばにある、願い事をかなえてくれる「石神」に祈るキューちゃん。
鳩ちゃん: 「どうかいっぱいこと飛べますように…。」


※画像右…キューちゃん「お寺の一日:お買い物編」
「受付寺務所」にとりあえず顔出しに来たキューちゃん。
鳩ちゃん:「すみませーん。腕輪念珠じゃなくて、足輪念珠ってあります?」


2011/10/15(土)
★「食は家庭料理にあり」の檀家さんの食卓











新潟市内に住む檀家さんご夫婦(70代後半)が、今日もたくさんの爐いしい秋爐鮖って猴靴咾豊猴茲討れました。
というわけで今回の「おてら通信」は猝3个僚爐砲圓辰燭蠅里話です。

このご夫婦は新しい檀家さんでかれこれ一年のお付き合いになります。実はこのご夫妻のおかげで「我が家の食卓」が格段にレベルアップしたのです。

その理由は、毎回持ってきてくださる「数々の手料理」のすばらしさにあります。料理の先生だったという奥さまの作る「おこわ」や「いなり寿司」、季節に応じたさまざまな「お惣菜」や「漬物」、大きな「笹団子」や「おはぎ」などのごちそうを、深夜から私たち家族のために手間ひまかけて作りあげ、毎回出来立てほやほやを持って来てくださるからです。

(ご夫妻の惣菜料理のモットーは「一度冷蔵庫に入れて冷めたくなると美味しくないので、惣菜は作り置きはしない。」だそうです。ゆえに「午前中に西生寺においしく届けるためには、深夜に起きて料理を作るのは必然」なのだそうです。)

作る「量」もハンパじゃなくすごくて狢臚蕁大量作り爐慣れている阿刀家でもびっくりするほどです。「煮物」なら大きなタッパに満杯を2つ、「汁物」は特大鍋に入れてそのままフタをして、「おこわ」は重箱2〜3つ、「ぬか漬」「白菜漬け」などは樽ごと!これらすべてだんなさまの運転する車に積んで運んでくるのです。夏のお盆の頃には「これでスタミナをつけなさい。」と大鍋にドカーンと「くじら汁」まで作ってもってきてくれました。まさに至れり尽せりなのです。

どれもこれも「西生寺のみんなにおいしく食べてもらいたい!」と、素材の切り方ひとつとっても丁寧に、手間ヒマをかけて愛情を注いで作ってくれたんだとわかる料理ばかりです。何を食べても本当においしいのですが、特に私は奥さまの作る煮物などの狠秧Х呂かず爐大好きです。地味な見た目とは裏腹にさすがは料理の先生、どのお料理も天然のダシが効いていてとても真似のできる味ではありません。

「料理が大好きだからちっとも苦にならない。」

と控えめに言ってのける奥さまですが、料理を作るにも体力と気力が必要で、80歳に近い高齢なのに小さな体で、これほどの量を一度に何品も(しかもかなりの頻度で)、深夜に起きて寝ずに作りあげてしまうパワーには恐れ入るばかりです。そしてだんなさま担当の「料理の説明(素材、食べ方など)」では、食にかける熱い思いにいつもに圧倒されます。

「食べる事が大好き!」というご夫妻ですが、意外にも外食は「美味しくない」ので一切しないそうです。手軽な日常食からちょっと贅沢なごはんまで、手間ひまを惜しまず毎日なんでも手作り。夫婦そろって考える献立と買出し、奥さまの要望で狷段未鵬造した台所爐念貽の多くの時間を費やし狄は家庭料理にあり爐鮗汰しています。

よく猯鼠上手の妻を持つだんなさまは幸せ爐覆鵑童世い泙垢韻鼻△海里管弸覆牢袷瓦砲修両紊鬚い辰討い泙后「夫婦共通の趣味である、おいしい家庭料理を毎日ふたりで作って食べるという、そんな悠々自適な暮らしもあるのだなー」ということを私は初めて知りました。

思えば、この夏あまりに暑いので下ごしらえに時間がかかり長く火を使う「煮物料理」を一度も作らなかったという狡脅衄瓦主婦爐魎咾い討靴泙辰浸筺「家族の健康」を食事面で担っている自覚も大切ですが、それ以前に「家族のために愛情を注いで料理を作る」なんて気持ちも忘れかけていました。何を食べても本当に美味しい奥さま手作りの心のこもった料理の数々を前に、反省というかちょっと考えさせられてしまいました。猖かな食は人生を豊かにする爐噺世い泙垢毎日食べる「家庭料理」こそ大切にしたいものですよね。。。

そうそう阿刀家の食卓にもプチ変化が。夏に樽(たる)ごと持って来てくれた「ぬか漬け」の「糠床(ぬかどこ)」に、毎日ナスやきゅうり、人参、かぶなどをぽいぽい埋めて?我が家初となる「自家製糠漬け(漬物)」を楽しむようになりました。昔、祖母に習った「糠床をかき混ぜて空気を与えるメンテナンスが大切」という教えを今さらに思い出し、忠実に守ることが日課となりました。言うなれば犢脳欧里里譴麒け?爐任靴腓Δ、これを私たち夫婦は「糠床生活」と呼んで大変気に入っています。

ところで奥さまは、私が毎日家族5人分の料理をひとりで作っている狃事情爐鬚箸討發茲承知してくれています。ですから「おめさん、今日はこれで夕飯の支度はいらないねー。」と、ニコニコと優しい眼差しで今日も私にウインクするのです。あーすっかり甘えてしまってすみません。奥さまの味は「阿刀家の新しいおふくろの味」として定着、阿刀家の食卓を豊かにしてくれています。感謝。


※画像左…素晴らしい「完結ごはん」
今回は「どうしても本物の栗おこわが作りたくて」と、「丹波栗」を仕入れ、
新米のもち米で蒸した「栗ごはん」、面取りも完ぺきな「里芋と大根の
おでん風の煮付け」、そしてだんなさまからは珍しい「かじきまぐろの刺身」。
(※「どれほどうまいというモノでもないが、生で食べられる新鮮なのはめった
に手に入らないし、きっと食べたことないだろうから、刺身で食べてみなさい」
という説明付き。)

※画像右…新潟郷土料理「のっぺい汁(のっぺ)」
先日いただいた「あっさりめのっぺ」です。とても手間がかかるので、我が家では
正月の晴れの日にしか作らない「のっぺ」も、ご夫妻にとっては「里芋の季節の
定番料理」なのだそう。大きな帆立貝がゴロゴロと入ってものすごく良い出汁
が出ていました。さらに3日と経たずに、再び別バージョンの「こってりめのっぺ」
を大鍋いっぱいと、お重箱3個にきれいに並んだ「おいなりさん(油げ寿司)」
を作ってきてくれました。


2011/10/04(火)
★即身仏のお祭り「弘智講」の一日(1)











当山にお祀りされている日本最古の即身仏「弘智法印即身仏」の一年に一度のお祭りが、弘智さまの入定された日の10月2日に行われました。

この日は今年一番の冷え込みとなり、雨の降る寒い一日となりましたが、悪天候&寒さにも負けず、今年も大勢の方の参拝があり、ほっと胸をなでおろしました。(ありがたいことに、予定していたよりもお参りが多くてお弁当を追加する事態に…)

お寺の犹个気洵爐任△雖狃賛Δ虜吻爐任△觧笋蓮△海瞭ばかりは「寒いのが苦手」などとは言っておられず、駐車場の「受付寺務所」と「会場」や「勝手(裏方)」を行ったり来たりしながら、お昼ごはんを食べる間もなく一日中飛んで走っていました。

そんな弘智講もおかげさまで無事に終わりました。一週間以上つづいた準備や、当日の緊張感からいっきに解放された、今の西生寺家族の爐世辰ら感燹腹┐曚辰箸垢襦▲螢薀奪スするという意味)はものすごいものがあります。なぜならこの「弘智講」が終わると、西生寺の年内の行事は全て終了で、新年の「年始会」までは人が集まる行事はないからです。

家族の表情もお寺の空気も一変、おしゃべりも軽く自然と笑顔があふれ、家族みんなが一年で一番だっくらしていて、とても良い雰囲気です。私も「今年も終わったー!」という開放感と同時に、気分がすっかりゆるゆるしちゃって「おてら通信の更新は、もうちょっとのんびりしてからだってバチは当らないんじゃないのー?」みたいな心の声を必死にふりはらいながら、いま書いています。

というわけで今回の「おてら通信」は「今年の弘智講」の様子を画像で紹介したいと思います。

☆画像左:今回の「霊供膳(れいくぜん)」

行事の日の朝は4時起きが私の定番。そして「仏さま用」だけで2つの炊飯器で合計10合ものお米を炊きます。ご飯が炊ける間に「おりいく(霊供膳のこと)」のおかずを作ります。おりいく四膳分の山盛りご飯と、20個分の「おぶき」と、施餓鬼壇のお供え用の大きな仏器にご飯を盛ると、あっという間に10合炊いたお米も空っぽになります。

☆画像右:「法要」の様子

弘智法印即身仏さまの「御宝号(ごほうごう)」の狷醋宜庵丗膸奸覆覆爐海Δ舛世い掘豊爐半Г┐襪坊さんの声がお堂に響く中で、先祖供養のための「灯明」を灯す檀信徒の皆さん。やわらかくてやさしいローソクの灯りはいいですね。


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