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当山西生寺は、境内・緒堂を誰でもいつでも無料で自由に参拝することができます(宝物堂を含む)。また、境内には大型観光バスにも対応できる参詣者専用の無料駐車場も完備しております。


駐車場より寺務所と宝物館を望む弘智法印即身仏(ミイラ仏)の御開帳をご希望の場合のみ、霊堂内での御祈祷料として拝観料を頂いております(ご案内付)。

なお、弘智法印即身仏(ミイラ仏)は拝観ができない日があります。
【休観日】:7月15日(年中行事のため)
      :8月13日〜15日(お盆のため)
      :10月2日(年中行事のため)
      :毎月28日
  ※その他不定休あり(法事・葬式等)。要問合せ。

【冬期休観】:1月〜3月彼岸まで

弘智法印即身仏のご拝観以外にも、西生寺境内には様々な見どころがあります。境内参拝Mapのページでより詳しくご紹介しています。

また良寛さまが当山に仮住まいをされたこともあり、良寛さまが遺した西生寺ならではの遺墨も「宝物堂」に展示されております。(↓「3.良寛和尚さまと西生寺」でくわしく紹介しています)。


みなさまのご参詣を心よりお待ちしております。

 

HP見た方へ特別プレゼント実施中!

即身仏の拝観をお申し込みされた方で「HPを見ました」と言っていただいた方に、ちょっとした「感謝の気持ち」をプレゼント中です!(1グループにつきひとつ)
駐車場案内所でお待ちしております。お気軽に申し出てくださいネ。

 


1.弘智法印即身仏御開帳のご案内
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 受 付 時 間 AM 9:00〜PM 3:30
 受 付 場 所 駐車場内事務所窓口
 拝 観 料 金      一 般  団体割引(20名以上)
大人・高校生 500円
小・中学生   300円
幼児       無料 
大人・高校生 400円
小・中学生   200円
幼児       無料 
 ご案内システム      一 般   団体(10名以上)
1時間毎に2〜3回ほど御開帳しております。境内自由参拝後、即身仏霊堂前集合で 堂内ご案内となります。 寺務所前より随時ご案内致します。諸堂案内の後、即身仏御開帳となります。目安拝観時間は
30分〜40分です。
    休観 日 7月15日、8月13日〜15日、10月2日 他
   駐 車 場 あり/無料(境内:バス10台・乗用車30台)


ご注意事項

◇ 団体での御参拝は必ずご予約をお願い致します。
◇休観日以外でも、不定休がありますので、お問い合せください。
◇ 冬期(12月中旬〜2月いっぱい)は雪のため、宝物堂と、
 受付寺務所を閉鎖しますが、即身仏のご拝観はできます。
◇ 即身仏霊堂内での撮影は禁止です。

 

 

 

2.宝物堂(ミイラ仏資料、良寛さま遺墨、その他)
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当山に伝わるさまざまな宝物が無料で御覧いただけます。

●弘智法印即身仏「身替わりの木像」

◆江戸時代に製作
入口を入ると中央に「江戸への出開帳用」として江戸時代に製作された「弘智法印即身仏身替わりの木像(ダミー)」が御安置されています。

1363年に御入定されて即身仏となられた日本最古の「弘智法印即身仏」ですが、江戸への「出開帳」は伝わっているだけでも2度あります。出開帳により、弘智法印即身仏の名は江戸中に広く知れ渡るわけですが、「出開帳」で多くの即身仏が紛失したり壊れたりしたそうです。

つまり、この「身替わりの木像」が本物の弘智さまに替わり、遠い江戸への苛酷な出開帳に出動?してくれたお蔭で「弘智法印即身仏御本体」が守られたのです。どなたのアイデアかは今となっては知る由もありませんが本当に良かったです。

ちまみにこの身替わりの木像はただの弘智さまそっくりさんではなく、開眼していますので(ちゃんと弘智さまの魂が入っている)、弘智堂に行けない方もここで弘智さまにお参りをすることができます。

※この「身替わりの木像」について「ちょっと不思議なエピソード」があります。
「弘智法印即身仏」のページ(即身仏Q&A)に紹介されていますのでご覧ください。

●弘智法印即身仏の遺品や資料(一例)

◆一字一石経

弘智さまが即身仏になるために行った「3千日の修行」のひとつに「一字一石経」というのがあります。「般若心経」の経文字(漢字)を自ら墨で小石ひとつに一字ずつを書き、修行を見守る村人が暮らす地元野積村の要所に埋めたり、災害のあった場所に供養のために埋めたりしました。

昭和の時代に、野積地区の皆さんが「コレって弘智さまの石ではないか」と持ち寄ってくれた石を展示しています。墨で書かれたうっすらと残る弘智さまの筆跡を見ると、弘智さまが即身仏となる強い決意のもとに行われた厳しい修行の一片をリアルに思い起こさせてくれます。

◆レントゲン写真
昭和34年、全国の即身仏に先駆けて、文部省後援のもとに日本で初めてとなる「即身仏の学術調査」が行われました。その時に撮影されたレントゲン写真です。

実はそれまで一度も科学的立場からの検証をされていなかった即身仏は、昔から「ニセモノ疑惑」のうわさ話もつきなかったのです。また信仰とは別に、長い間手付かずだった即身仏の保存状態にも問題がありました。そういった事も含め、この学術調査はとても大きな意味がありました。


◆槍奴兵の懺悔の首

戦国時代(豊臣秀吉の時代)、「死んでいるのに座っているのは、キツネかタヌキが化けているに違いない!」と、奴兵が槍(ヤリ)で即身仏の胸を突くという事件が起こりました。

弘智法印の胸を槍で一突きしたこの奴兵は、後に「真の仏を突いてしまった」と自害しました。本人の遺言により「奴の懺悔の首」として長い間即身仏のそばに置かれていたものです。

 

●その他の展示物(一例)
「西生寺大縁起」、日本では絶滅したとされる大変貴重な「雷獣のミイラ」、「良寛さま直筆の書」などの遺墨(↓3章でくわしく紹介)、加藤清正、谷文晁、円山応挙、迫力満点の「タイリクオオカミのはく製」までさまざまな宝物を展示しています。

「西生寺大縁起」
天和4年、真言宗智山派の管長だった第11世覚眼僧 正の書いた大縁起と、南都(奈良県)興福寺の寿佳上人直筆の縁起です。

◆和尚さまの直筆「梅の木の花盗人の長唄」
当山に「仮住まい」をされていた時の作品で親友の「原田鵲斎(はらだじゃくさい)」に贈ったものです。

◆加藤清正の直筆「祈祷依頼状」
京都「妙満寺」の日梅上人に宛てたものです。

◆谷文晁の「落書き」
谷文晁(たにぶんちょう)が当山の奥の院に詣でた時、お堂の縁板に描きつけた「蘭の絵」です。

◆「鯨頭御霊験骨」
昔、地元野積村で行われていた「クジラ漁」で捕獲されたクジラの頭を、
漁師たちが海上安全大漁祈願として当山の金毘羅さまに奉納する
風習がありました。

展示されているこの鯨の頭骨は、当時奉納されたもので、
西生寺に唯一残り「御霊験骨」として信仰されています。
「アバンウン」とお唱えしながら、クジラの 骨をなで、なでた手で自分の
体の痛い部分をさすると、痛みがとれたり、具合が良くなると言われて
います。

「雷獣のミイラ」

 

人気者「雷獣のミイラ」 ☆宝物堂展示

「妖怪ブーム」で湧いた江戸時代の人々の間で雷獣は「雷鳴とともに大暴れをする妖怪」として大変恐れられていたそうです。日本では絶滅した黄テンの一種だといわれていますが、大変貴重な「雷獣のミイラ」がなぜか西生寺に昔から保存されていました。

私たち寺の者が思っている以上に、この雷獣くんは貴重らしく、新潟県歴史博物館や全国のミュージアムの企画展にわりとひっぱりだこです。干からびた体は持つと見た目よりもかなり軽く、そのはかなさが愛しいです。(企画展に出張中はパネル展示となります)

雷獣のミイラ。江戸時代、雷鳴と共に騒ぎだし人々に恐れられていたそう。

3.良寛和尚さまと西生寺
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●西生寺に仮住まい
良寛さまといえば、40歳で「五合庵」に入って以来、あしかけ20年ほどを過ごした国上山「五合庵」が有名です。その「五合庵」生活の中で45歳から2年間ほど五合庵を出て、分水(燕市)や寺泊(長岡市)のお寺を転々と「仮住まい」をされた時期があります。

理由は五合庵がもとは国上寺歴代住職の隠居所だったため、住職の隠居にともない五合庵を出ることになったからです。そんなわけで良寛さまの「仮住まい生活」が始まりました。寺泊の「照明寺」や分水の「本覚院」などの近隣のお寺を転々とするなか、良寛さまが「仮住まい」のために当山を訪れたのは、享和3年(1803年)、良寛さまが46歳の時でした。西生寺には半年ほど滞在されました。

●西生寺ゆかりの「良寛さまの遺墨」
良寛さまが当山に仮住まいをされた滞在中に「梅の木の花盗人」の長唄(直筆)や、弘智法印即身仏を拝し、感銘をうけて詠まれたといわれる漢詩「弘智法印像」などを遺されました。若き日の良寛さんの遺墨は当山でしか拝見できません

掛け軸に描かれた良寛和尚さま
☆良寛さまイメージ
「梅の木の花盗人」の長唄 ※宝物堂に展示

この「長唄」は良寛さまが、5歳年下の親友「原田鵲斎(※五合庵を斡旋した人です)」に贈ったものですがそのいきさつはこうです。

5歳年下の親友、原田鵲斎(じゃくさい)さんは梅の木が大好きで、「梅の木のある庭」には、どこへでも出かけて行き、梅を譲ってもらっていたそうです。たまたま、訪ねた野積の西生寺に「梅の古木」があったので、「ぜひゆずって頂きたい。」と懇願したのですが、断わられてしまいました。あきらめきれない鵲斎さんは、人夫を連れてこっそりと西生寺の梅の古木を盗みに行くという、大胆な手に打って出ました。しかし山に入る途中で、野積の村人に見つかってしまい、村中が大騒ぎとなり、ついに「梅の古木を入手すること」は果たせなかったということです。

この話を聞いた良寛さまは「まことに風流なおもしろい話だ」と大変気に入り、「梅盗人の様子」を想像してこの長唄を詠まれ、盗人当人である「原田鵲斎」に贈ったのです。なんともちゃめっけたっぷりの良寛さまらしいエピソードですね。

※熱心な「良寛ファン」のお客さまに、たまーに「長唄に詠まれた梅の古木はまだあるのですか?」ときかれますが、残念ながら今はありません。


「弘智法印即身仏」を詠んだ漢詩
※「弘智法印即身仏霊堂」前に展示

良寛さまが弘智法印即身仏を拝観し、また弘智さまの「辞世の句」岩坂の主は誰ぞと人問わば、墨絵に書きし松風の音に感銘を受けてこの漢詩をつくったといわれています。
(岩坂とは奥の院の地名です。)


解説:「題 弘智法印像」

ごつごつとして黒くきびしい藤の枝は、夜雨に打たれて朽ち、美しく立派なお袈裟は暁の煙と化した。
しかし、誰がこの弘智法印の本当の目的を知っているのだろうか?
それはただ「弘智法印の辞世の句」の中にのみあり、時空をつらぬいて伝わっているのだ。

●良寛さまの生い立ち
良寛さまは1785年(宝暦8年)、出雲崎で名主「橘屋山本家(回船問屋)」の長男として生まれます。(幼名は栄蔵、父は以南(与板出身)、母は秀子(佐渡相川出身)

実家の後継ぎ「名主見習い」となった18歳の時、突然、出雲崎町の禅宗「光照寺」で出家をして4年間を禅の修行に励みます。22歳の時、西国(岡山県倉敷市)の「円通寺」で得度してさらに修行を重ねます。

諸国行脚の末、39歳の時に北陸道を経て故郷「越後」に帰って来ました。良寛さまはここで初めて実家の「橘屋」の衰退を知り、最初に住み着いたのは「寺泊郷本」の浜辺に立つ「塩焚小屋」でした。

40歳の時、寺泊で医師をしていた親友のひとりである「原田鵲斎(じゃくさい)」が、あちこちで仮住まいをしていた良寛さまをみかねて、自分の菩提寺である「国上寺」の「五合庵」を斡旋してくれたことによって一時「五合庵」で暮らすことになります。この当時の「五合庵」は8畳ほどの簡素な萱ぶきの小庵で、国上寺住職の「隠居所」となっていたため、前記したようにご住職の隠居にともない寺院を転々とする2年間の仮住まい生活が始まったのです。


●仮住まいを終えた良寛さまのその後

仮住まいを終えた良寛さまは「五合庵」で12年間を過ごした後、国上山のふもとの「乙子神社」の草庵で10年を過ごし、69歳の時に和島村島崎(長岡市)の「木村家」に移住します。(70歳の時、ここで貞心尼(30歳)と出会います)。そして天保2年(1831年)1月6日、良寛さまは74歳の生涯を閉じました。前年夏よりひどい下痢症状と腹痛を患っていた良寛さまでしたが、原因は「直腸がん」と言われています。

 

4.その他の見どころ
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●天然記念物「樹齢800年の大銀杏」

「弘智法印即身仏霊堂」前にあります。晩秋の黄葉の時期(毎年11月中旬頃)には、斜面や辺り一面が落葉に覆われ、黄金色の絨毯(じゅうたん)を敷いたようになり、見事な美しさです。
※鎌倉「鶴岡八幡宮」の大銀杏が倒木してしまった時は、かなり心配しましたが、いまのところ、大丈夫なようです。

 

実は親鸞上人ゆかりの伝説の銀杏
 (別名:親鸞上人の御杖木)

鎌倉時代初期の承元2年(1208年)、親鸞上人が西生寺を訪れた際に、別れを惜しむ村の信者に「われの身替わりに」と銀杏の杖(つえ)を地面にさしたものが根付き、大銀杏になったと伝わる伝説の大銀杏なのです。

樹齢800年の大銀杏



●日本海を望む「大展望台」

「日本海の鎌倉」と呼ばれる景勝地、弥彦山(標高634メートル)の海側中腹に立地する当山ならではの景色が広がります。

ある日の展望台からの夕陽

大展望台から眺める夕日

新潟県景勝100選の第8位に選ばれた絶景の展望台です。眼下に広がる雄大な日本海、正面には佐渡ヶ島 、晴れた日には遠く北アルプスまで望むことが出来ます。
またここからの夕陽の美しさは格別です。

 

 

●永代供養墓地「天翔園」 ※随時受付中

 


空中庭園のような絶景の眺望

平成15年に、大展望台隣りの山の斜面に造られた、永代供養墓地園です。
ここからも大展望台同様の素晴らしい 景色が望めます。西方日本海に向かって鎮座する当山のご本尊を模した「阿弥陀如来像」やぐるりと囲む「十三仏」をお参りしたり、野草や道祖神が点在する遊歩道をのんびりと散策することができます。

天翔園景観
 

 

●奥の院
弘智法印さまが3千日の厳しい修行を行った所で、西生寺境内からはなれた弥彦山の山中にあります。

紫陽花路

奥の院(養智院)

聖地にふさわしい静かな山の中に「お堂」がひっそりと佇み、日本海に向かって座禅を組んだといわれる「座禅石」や、お堂の奥には滝行を行った「竜神の滝」などがあります。

行き方は「弥彦山登山道」に沿って山の中へ入り、途中で分岐して登ったところ…と少し分かりづらいです。だいたい徒歩20分の行程ですが、整備された道ではないので靴や服装に注意です。



 

 


〒940-2501 新潟県長岡市寺泊野積8996
真言宗 智山派 海雲山 西生寺
TEL 0258-75-3441
FAX 0258-75-2735
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