元旦夕方の能登半島地震から3日目の1月3日(水)、
時折り弱い余震が続く中で今年も「令和6年 年始会」が開催されて檀家の皆さまが集いました。
その前に元旦の地震についてお伝えいたします。
全国の檀信徒の皆さまより「お寺は大丈夫でしたか?皆さんは大丈夫でしたか?」と電話や連絡をいただきご心配をおかけいたしましたが、お蔭さまで大した被害もなく有難い事でした。皆さまのお気遣いに心より感謝いたします。
当日の状況といたしましては、
能登半島が震源の地震でしたが西生寺も2004年の中越地震以来の激しい揺れに見舞われました。住職と1階の食堂にいたのですが、収まる気配のないどころかどんどん強くなる揺れに最後はふたりとも‶本能‶で屋外へ飛び出しました。
後に諸堂・境内中を見回ったところ、建物2ヶ所に軽い破損と壁の時計や絵画、位牌や花瓶、本などがたくさん落下した程度、インフラにも影響はなく安堵しました。
そして地震直後に「津波警報(3メートル)」が出たので、日本海沿岸沿いに細長く広がる野積地区の住民の方が大勢、車に乗って弥彦山中腹にある西生寺駐車場へ避難して来ました。
想定はしていたものの、実際に大勢の方が避難してきたのは結婚33年で初めての事だったので「もしもの時の備え&避難所体制」をしっかりと具体的に自治会とも話し合い考えておく必要性をものすごく感じて身の引き締まる思いがしました。
後で野積地区自治会長さん聞いたところ…
・西生寺の他にもハザードマップに記されている野積地区の高台エリア(神社・野積センターなど)数か所に皆さん車で避難したとのこと。
・ひとり暮らしのお年寄りにも声をかけて車に乗り合いして高台へ避難したとのこと。
・公式避難所となっている「野積センター(旧野積小学校跡地)」はすぐに開放して暖房をつけ敷物をしいて屋内で過ごせるようにしたこと。
・津波警報がなかなか解除されず、村のホテル飛鳥さんに🍙お握りを手配したこと。
とのことでした。
それにしても能登地方の壊滅的な被害状況を見ると衝撃で胸が痛みます。特に珠洲市は何度も大きな地震があり復興するたびに破壊されてほんと切ないです。墓石がめちゃくちゃに倒壊してお寺の本堂が屋根ごとぺしゃんこに潰れている映像が映し出された時にはもうほんと他人事ではなく「こんなになっちゃったらいったいどうしたらいいんだろう」って言葉を失いました。
せめて冬型の大荒れや大雪などがなくこのまま暖冬が続いてくれる事を願い、お亡くなりになられた方へのお悔やみと被災された住民の皆さんのお見舞いと1日も早い復旧を心よりお祈りいたします。
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さてそんな地震のざわざわする気配が残る3日に開催された今年の「年始会」の様子です。
(総会冒頭のあいさつをする住職)
(本年の年間行事の説明をする檀家総代さん)
(客殿で新年の法要の様子。暖房があるものの寒いので厚着です)
(順番に焼香をする檀家の皆さま)
(法要のあと説教をする住職)
(愛染明王さま初撮り。今年は何度撮ってもぶれてしまいました)
この「年始会」が終わると、
昨年12月中旬からバタバタと続いた年末&年始を迎えるための仕事がようやく終わりを告げ、
本格的な‶冬ごもり‶がスタートします。あぁかなりだっくら…