西生寺 おてら通信

◆即身仏霊場西生寺 おてら通信◆

このホームページを制作管理しておりますわたくし、住職の妻によって発信されるページです。西生寺からのお知らせや、お寺での暮らしの中で感じた事、お寺とは全く関係のない話など、肩の凝らない内容を毎回少しづつ、気ままに更新していく予定です。


2017/04/22(土)
★ありがとうございました。














4月11日の朝に園子ママが亡くなって以来「寺務所閉鎖」と「休観」が続き、大変ご迷惑をおかけいたしました。12日ぶりに「受付寺務所」復活です。

まずは、西生寺寺庭の阿刀園子、通称園子ママの「通夜」「葬儀」に大勢の方からお参りをいただきましたことを厚く御礼申し上げます。本当に有難うございました。


今回の「おてら通信」は、園子ママが亡くなってから今日までの経過を少し書いてみたいと思います。

4月11日(火)の朝7時半過ぎ、いつものように「駐車場トイレ」を掃除していた私の前に、住職の夫が血相を変えてやって来て、

「おふくろが死にそうだいやっ!!心臓が止まってしまって!!施設に行ってくるから!!」

と言うなり、車で飛び出して行きました。

ほんの数日前に会ったばかりのお母さんは、食欲もあり血色もよく、会話もしっかりとしていてほんとに元気そうだったので「この様子だと90歳くらいまでは生きられそうだね」とか話していた矢先のことでした。

しばらくして救急搬送先の病院にいる住職から電話があり、

「ずーっと心臓マッサージをしたけどダメだった。心不全だってや。昼過ぎにおふくろと一緒に帰るから、直子はすぐに姉妹、親族、葬儀屋に電話をすること。そして部屋(遺体を安置する)を整えてお悔みの来客の準備、あと必要な電話番号も全部調べておいて欲しい」

と言われました。こんな一大事にお寺にたったひとりきりという心細さを封印し「やるしかない!」とすぐに牾亳膈爐魴茲瓠⊆付寺務所へ行き、必要な名簿を探し「葬式ができないと話にならないでしょ」と思い、話す言葉もまとまらないまま、まずは地元の葬儀屋さんに電話をしました。

必要なところへひととおり電話を終え(誰もが驚きを隠せなかった)、園子ママを迎えるための部屋のそうじや来客の準備をしていると、母が亡くなってからの最初の訪問者は、西生寺組と病院組との2手に分かれた地元の葬儀屋さんでした。

昼過ぎに園子ママと住職を乗せた専用車が到着、午後からは親族のお悔みの訪問が続き(親族のほとんどは曹洞宗のお寺です)、夕方遅くに「個展」でフランスから来日中で中津川にいた姉夫婦と、群馬の妹夫婦が駆けつけ、きょうだい全員が集合しました。


それから通夜までの3日間の「準備期間」は、急死だったこともあり、もう戦場のような?わけがわからないくらいやる事がいっぱいで、メモ用紙20枚くらいに全て書き込み、全員で手分けをして取り組みました。「忙しい」と感じているヒマもないくらいで、ちょっとこれまで経験をしたことのない時間の経過でした。

組寺、信者さん、村の方などのお悔みの訪問が絶えない中、葬儀屋の祭壇作りや会場の設営が始まり、御導師さまや助法をしてくださる寺院方、檀家総代、檀家役員も何度も来山して、落ち度がないよう葬儀や法要の段取りなど、住職を交えた猝別な打ち合わせ爐鮟鼎佑泙靴拭

いつもの能登電気さんは通夜用の境内照明を臨時に設置、畳屋さんは会場の本堂に畳を敷きつめ、園子ママ行きつけだった美容室にお願いした喪服の着付けなどなど、まさに狒軻旭・フル回転爐如各自持ち場の仕事を進めてなんとか通夜当日(14日)を迎えたのでした。


西生寺寺庭の私のできる事なんぞはほんのパーツのひとつにすぎず、園子ママひとりの死を弔うために身内はもとより、葬儀の段取り、当日の受付け、交通整理、お勝手さんに至るまで、すべて檀家の皆さんが全面的に協力をしてくださり、

そのほか多方面にわたりこれほどたくさんの方々の協力を要するとは思ってもいなかったのでまずは驚き、そして「急な事なのにすぐに飛んできてくれて、親身になってくれたこと」への感謝の気持ちでいっぱいになりました。


西生寺を会場にした「通夜(14日)」と「葬儀(15日)」が終わり、きょうだいが帰り、後片付けがひと段落ついたのが4月16日。

11日に母が急死してから16日まで、我々夫婦に葬儀以外の事を考える余裕は一切なく、テレビは一度もつけず、忘れていた「新聞」と「郵便物」が裏口に山積みになっていて「これはいったいどうしたの?」って不思議な気がしました。

怒涛の6日間が終わってみると、すっかり、本当にすっかり季節が移ろっていておどろきました。7分咲きだった境内の桜がいっきに葉桜に、樹木も芽吹いてすっかりいい感じの新緑になっていました。

どうやら、園子ママが亡くなってから葬儀が終わるまでの犹(とき)爐、私も住職も猗瑤鵑任い覘爐茲Δ覆里任后「時を刻む間」もないくらいいろいろありすぎたようです。

夫:「忙しかったけど、なにもなかったみたいな…」
私:「一瞬の幻で、あれは夢だったかも、みたいなね…」

こんな犂恭亅爐呂佞燭蠅箸盻蕕瓩討任后

そして、嫁子の私に「寺庭婦人のイロハ」を、一から辛抱強くたたき込んでくれた園子ママが急に逝ってしまった今思うことは、

「園子ママが施設でもどこでもいいから生きてこの世にいるのと、死んでこの世からいなくなってしまったのとでは大違いだ」

ということです。

母が認知症になり完全にお寺のアレコレから引退をして、私のやりたいようにお寺をまかってから5年ほどが経ちますが、いなくなって初めて自分の心のどこかに「お母さんがいてくれるから」という安心感があったということに気付きました。

もう、「あーしろ」とか「こーした方がよい」とかいう指導も、お叱りも心配も、「ありがとねー」というねぎらいや感謝の言葉も、園子ママの口からは二度と聞くことはないのだと思ったとたんに牘犹劵泪泙了爿爐初めて実感として湧いてきました。

いっきに孤独になったような「西生寺で寺庭は私ひとりになってしまった。しっかりやらなきゃ」という、身の引き締まる思いに身震いをしてしまいました。


自坊で執り行う「家族の葬儀」は、住職も私も初めての経験でまったく分からないことだらけでしたが、このように大勢の方のお力添えで無事に滞りなく済ませることができました。

お寺まで足を運び母の死を悼んでくださった皆さま、裏方で一生懸命に動いてくださった皆さま、あらためて感謝申し上げます。



●画像左…客殿で行われた「通夜の法要」の様子
西生寺檀家を代表して謝辞の挨拶をする「檀家総代」の今井文幸さん。

●画像右…葬儀が終わり「出棺」の時の様子
住職以下、園子ママの子供たち、阿刀家のきょうだいが一同に揃いました。挨拶をする住職(長男)、その後ろで位牌を持っているのが私(住職の妻)、右隣りが次女(末っ子)の弘美さん、右端の遺影を持っているのが長女(第一子)の敬子さん。実家に集まった時は猊徃瓦爐巴舂匹沓鎧佶紊任后

脳梗塞で赤ちゃんみたいになってしまった長老のお父さんは、長時間の葬儀出席は無理なので、13日に施設より連れて来て、妻との最後のお別れをしました。言葉もなく、状況を理解しているかどうかもわからないようなお父さんでしたが、納棺をすませ、棺で眠るお母さんの姿を見たとたんに犲蠅里劼薛爐鯤譴瞭上にかざし、かすれた声で「光明真言」を唱え始めたので、その場にいた家族全員が涙しました…。


2017/04/12(水)
★西生寺「通夜」「葬儀」のご案内


















わたしの家での呼び方や、この「おてら通信」でもずっとそう呼んでいたので、あえて牘犹劵泪洵爐判颪たいと思います。

私の義母、阿刀園子こと、園子ママは4月11日に永眠いたしました(享年85歳)。

それはあまりにも突然のことでした。

施設の朝ごはんの時間に心臓発作をおこして倒れ、そのまま病院に救急搬送されましたが、意識が回復することもなくあっけなくあの世へと旅立ってしまいました。


とりあえずは「通夜」と「葬儀」のご案内をさせていただきます。
通夜&葬儀とも自坊の西生寺で執り行います。

≪通夜≫
【日時】:4月14日(金)午後6時より
【会場】:西生寺
【受付】:庫裡

≪葬儀≫
【日時】:4月15日午前9時より
【会場】:西生寺
【受付】:庫裡


なお、これに伴いしばらくの間「即身仏拝観」と「宝物堂見学」は犁抓朖爐箸気擦討い燭世ます。大変申し訳ありませんが、どうぞよろしくおねがいいたします。


●画像左…若きし頃の園子ママの肖像画(1987年)
フランスで活躍中の画家、住職の姉のだんなさま「水上貴博(TAKA)」の作品です。30年前の園子ママの姿です。フランスの水上夫婦もたまたま、大阪での個展のため、来日をしている最中だったので、すぐにお寺にかけつけて家族そろって母を送り出すことができました。

●画像右…長老と夫婦ツーショット
大柄の花柄が大好きなとてもオシャレな母でした。



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【御礼】(4月19日)
満開の桜に見送られ、母の通夜と葬儀は無事に滞りなく済ませることができました。
大勢の皆様方からお参りをいただき誠に有難うございました。
なお、「受付寺務所」と「宝物堂」は22日(土)より再開いたします。

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2017/03/27(月)
★行って参りました!「タイ旅報告2017」














お久しぶりです。一年に一度の私の休暇、タイで過ごした1ヶ月間はあっという間に終わりを迎え、予定通り「お彼岸」直前に、無事に元気にタイより帰ってまいりました。

真冬の日本から真夏のタイに到着して狃襪い箸いΔ海箸半信半疑爐覆泙沺空港出口から初めて外に出た時に思ったことが、

「うわあぁ本当に寒くないんだ!Tシャツ一枚でいいなんてウソみたーい!」


で、1ヶ月ぶりの日本で一番に驚いたのは、寒さが緩んだという事よりも「陽が長くなったなあ!」でした。朝は5時半すぎには明るくなり、夕方6時をまわってもまだ明るいというのはちょっとした衝撃を受けました。

帰国したその日のうちに西生寺へ戻ってきましたが、精神的には非日常の旅の世界から、現実の世界へいきなり爛疋椒鵐鱈爐畔り込まれた気分です。

1ヶ月も家を空けると、不思議なくらいに「無意識に過ごしていたはずの日常の暮らし」を忘れてしまっていて犂恭亅爐鮗茲衞瓩垢里大変なのです。さらに留守番をしていた住職の夫では無理な「いろいろなやる事」が山のように溜まっていて、まずはそれをひとつずつクリアしていくことが最優先となりました。


かかりつけの動物病院のペットホテルでロングステイ中の飼い猫タビーのピックアップ(200グラムのダイエットに成功して元気に帰宅)、メールチェック、お彼岸の準備、庫裡や廊下などの大掃除、旅の荷物の後片付け、洗濯、郵便物の整理、父母福祉関連の書類書き、部屋や台所の片づけ、冷蔵庫の整理…

そして帰国後4日目の3月20日には早くも檀家さんが集まる「彼岸会」があり、無理やり犹庭婦人モード爐棒擇蠡悗┐凸技に終えたあとも、

雑誌の取材(なんと飼い猫タビーです!!)、信者さんの接待、あげ法事、出張で日本に来ているフランスの甥っ子の来山、施設にいる長老&園子ママに会いに行くなどなどが続き、ようやくようやく「おてら通信」にたどり着くことができました。

撮りためた旅の画像をなつかしげに眺めたり、夫に旅のみやげ話をするような「旅の余韻」にひたる間もなく、帰国してから狢圓辰燭覆鍬爐頬萋雑務に追われていたので、

「ちょっと前まで自分は連日36度超えの炎天下のタイの田舎町を、バスに揺られのんびり気ままに旅をしていた」

という事なんて早くも爐垢辰り遠い過去の事爐里茲Δ砲覆辰討靴泙い泙靴燭、ちょっとがんばってテンションを上げて「旅話」を書いてみたいと思います。


一年ぶりのタイは、やはりプミポン国王が亡くなったということでいつもとはちょっと違っていました。

まず街の様子に変化が。これまで公共施設や、街中いたるところに飾ってあったプミポン国王の肖像画は白黒のリボンで飾られた「追悼のモノクロの肖像画」に変わり、さっそく新国王「ワチラロンコン国王」がちょい斜め目線でこちらを見ている狢腓な大きな肖像画爐各所に新たに設置されていました。

商業施設や市場の活気はこれまでと全く変わりはありませんが、ニュースキャスター、学校の先生、銀行員、お役所に勤めている人の服装は「完璧な黒服」で、ワイドショー的なカジュアルな番組でも司会者やゲストの芸能人のファッションもモノクロファッションでした。学生さんや、ホテルスタッフもいつもの制服に黒いリボンを付けていました。

プミポン国王がラーマ9世だったので「9」という、視力検査の記号みたいなタイ数字(タイ語で9は爛ーウ爐噺世Α砲入った黒いポロシャツやTシャツを着ている人も多く、私も「旅の記念」にこの「ガーウTシャツ」を一枚買いました。


イサーンの地方都市ウボンラーチャターニーからローカルバスの旅は始まり、2・3泊ずつしながら水牛と田園の風景が広がる人も町ものんびりとした素朴な東北地方と、山に囲まれ独自のラーンナー文化が残る北部の静かな街をずーっとバスで回りました。

今回は(今回も?)最終地のチェンマイまで、日本人を含め外国人旅行者にはほとんど出会うことはありませんでした。

中にはタイ人観光客も訪れないような猊當未療勅膨爐發△蝓地図を片手にそんな町をうろうろしていると、軒先に座っている地元の人が「この爐茲充圻爐呂い辰燭い海鵑覆箸海蹐撚燭鬚靴討い襪鵑世蹐μ楡」を投げかけてきたり、静かに微笑んでくれたりしました。

私がなぜ、そんないわゆる牴燭發覆い茲Δ癖佞圓閉爐鯔れるのか?
その最大の理由が、

「そこにラック・ムアンがあるから」
です。

ここ数年来の私のタイ旅のテーマになっているのが「ラック・ムアン(市の柱)巡り」です。私の夢はタイ国中の「ラック・ムアン」を探し訪ね、お参りをして写真に収めることです。

昔昔、まだタイが今のようなひとつの国になっていない時代から、町を新しく造る時には「町の中心部(ヘソ)」を定め、そこに町の繁栄を祈る犹圓涼譟淵薀奪・ムアン)爐魴立する風習がタイにはありました。

街ごとにさまざまなスタイルの「個性的なお堂」があり、お堂の中にさまざまな状態の木製や金属製の「金色のリンガの柱」がお祀りされています。

私が「ラック・ムアン巡り」にハマった理由は、「ラックムアン」は過去のモノではなく、現代でもタイの人々に大切にされ信仰され続けている事と、「お堂」も「柱」もその街の歴史や文化を象徴している完全オリジナルであり、同じモノがなく、唯一無二な犁羔砲離蹇璽ル爐任△襪箸海蹐北ノ擦気譴燭らです。

海外での注目度や知名度はゼロに近く「誰もラックムアンに注目していない」というのも気に入っています。ガイドブックや現地観光案内にも載っていないことが多く犲分で探す爐箸い行為もワクワクします。市民のお参りが絶えないラックムアンの「柱」からはものすごいパワーが発せられていてまさに爛僖錙璽好櫂奪鉢爐箸い┐泙后


というわけで爐茲充坿靴讚爐鬚靴討い覆ざ暴そうな放し飼いの田舎の犬たちに怯えつつも「この辺にラック・ムアンはありますか?」と尋ねながら、または自力で、または偶然に見つけ、ようやくたどり着いた「初めてのラック・ムアンとの出会い」は最高に興奮するし、その達成感たるやすごいものがあり、疲れも汗も吹き飛び、最高にハッピーになれる私の旅の醍醐味でもあります。


もちろん飽きずについ毎年通い詰めてしまう「タイの旅の魅力」は他にもあります。

◎タイは仏教の国で仏教寺院がすばらしい。
ふだんからお寺で暮らし、仏さまと身近に接している寺庭婦人は、私もそうですが「お寺参り」が好きな人が多いです。そして自坊以外の仏教寺院に対し、あらゆる面で猗鷯錣帽發ご愎喚爐あります。

王室を含めて国民のほとんどが仏教徒というタイでは、さまざまな様式の仏教寺院が各地にたくさんあり、どの町でも目に付いたお寺には必ず立ち寄り爐参りをする事爐自然と日課になっています。タイは「仏教寺院」が本当にすばらしく、老若男女、タイ人の信仰の篤さにはいつも感心させられます。

異教徒だと爐燭世隆儻爐箸覆辰討靴泙Ε織い里垢个蕕靴な教寺院も、同じ仏教徒として、タイの人々に交じってご本尊さまや仏さまに手を合わせて祈り、旅先で爐笋垢蕕爐鯑世襪海箸できるというのは私の中ではとても大きいです。


◎本場の「タイ式マッサージ」がすばらしい。
日本から比べると激安で確かな腕の「タイ式マッサージ」も本場のタイならでは、です。

40代後半に突入した私にとってこれはますますポイントが高くなりました。他のアジアの国でもマッサージはありますが、タイ式に慣れると物足りなさがあります。一年分のたまった疲れや旅の疲れをもみほぐしてリセットしてくれるタイマッサージは至福の時間です。

チェンマイなどの外国人が多い観光地よりも、田舎町の「タイ人相手の店」の方が、地元の人相手に商売しているので当たり外れがない気がします。

イサーンでもかなり奥地なメコン河沿いの町「ナコンパノム」に、「こんな田舎で奇跡としか思えない」くらいめちゃくちゃすごい腕を持ったタイマッサージの女の子がいて、その子のマッサージが忘れられず、今回、2年ぶりにナコンパノムのそのタイマッサージ店を訪れたところ、見事にその女の子との再会を果たしました(向こうも覚えていてくれた)。

さっそく爐まかせ爐濃笋帽腓辰殖音間の施術をしてもらいましたが、凝り固まった全身の悪い部分がすべてすっきりとほぐれ、心身ともに浄化されたような、しばらく放心状態が続くすばらしいマッサージでした。(良いマッサージはぐりぐりとハードにやっても翌日に爐發瀛屬鍬爐論簑个△蠅泙擦鵝

この女の子のスゴ技は「きっとバンコクあたりの有名処で学んだのだろう」と勝手に思っていたのですが、聞くとなんと「地元の高校の職業訓練でマッサージを習っただけ」とのこと。天職とはこのことですね。(2時間でたったの1500円!!)


◎タイは食事がとにかくおいしい!
日本ではお目にかかれない現地の人が食べる安くて美味しい本物のタイ料理や、郷土料理の数々は通い詰めるだけの価値があります。(くわしくは別枠↓「旅のグルメ」で)


◎タイの「市場」は特に面白い。
他の国でもそうですが、タイのどの街にも必ずある犹毀韻諒襪蕕靴粒豊爐箸覆辰討い襪里「市場」です。市場では生鮮食品や食べ物の他にも、乾物、花、日用品、衣料品、寝具、仏具、おもちゃなど暮らしに必要なありとあらゆるモノが売られています。

タイの市場の良いところは、生鮮食材以外にも、旅行者でも食べられる持ち帰り専門の「おかず屋」や炭火焼、揚げ物の屋台が多く、いろいろとトライできるところです。人やバイクでごった返す活気あふれる「市場散策」は旅の楽しみです。


◎タイは居心地がいい
人懐っこくおおらかな「タイ人の気質(国民性)」と、観光大国タイならではといえる、どんなタイプの外国人旅行者にも居心地が良いと思える懐の深さ、予算に応じて選び放題のホテルやゲストハウス、バスなどの交通網の充実、先進国並みに便利で快適な都会もあれば、山岳地帯で暮らす少数民族の村々や、のどかで素朴な田舎の人や暮らしなどが健在という点がタイ旅の魅力です。



話しは旅の行程に戻ります。私は順調にバス旅を続け、最後の滞在地は私のタイの拠点である北部最大の都市で北部最大の観光地「チェンマイ」。

ツーリストにも会わず、のんびりとした田舎町が続いた今回の旅では初めてとなる、久しぶりの大都会「チェンマイ」は、街中にあふれるツーリスト向けの店と中国語の看板、信号なしで道路を渡るのも苦労するくらいの激しい交通量の車やトゥクトゥク、バンコクのカオサンみたいにストリートを闊歩する狢舂未討鵑垣垢雖爐痢崟祥凌諭中国人旅行者」に圧倒されまくりでした。

しかしかれこれ18年間は利用している牴罎家みたいな常宿のホテル爐北技にたどり着くと、気分は半分日本に帰ったみたいな安堵感に包まれました。

(このホテルは毎年何かしら牴良爐鬚靴討い董∈Gは部屋のテレビが新品の薄型液晶テレビに変わっていました。ここ数年でチェンマイは中国人旅行者が爆発的に増え、それを見込んだ新築ホテルラッシュが止まらず、ハイシーズンを除くとホテルが過剰気味で狎犬残り競争爐激しいのだそうです。ちなみにこのホテルの牴良爐任海譴泙任念貳峇尭阿靴燭里蓮孱裡硲縫廛譽潺▲猜送」が見られるようになっていた時です(笑)。)


始まってしまえばあっという間だったタイひとり旅。心身ともにリフレッシュをして大満足の旅でした。

これからまた一年間、「受付寺務所」で過ごす犁抛ゼロの毎日爐始まります。雪が消えた境内には越冬した雑草が早くも成長を始めていて「草取り」もじきに日課となるでしょう。(境内の片隅に雪割草が咲いているのがちらっと確認できますが、私には宿敵の雑草しか目に入りません)

4月に入ってすぐに、フランス在住の姉夫婦が来日してしばらく西生寺に滞在する予定だし(昨年は銀座で個展をしましたが、今年は4月半ばすぎに大阪で個展をします)、なんだかんだと「早春のお寺暮らし」は忙しく賑やかになりそうです。

いっぱいのんびりしてさんざん好きな事をしたので、あとはいっぱい働くのみです。それでいいのです。



●画像左…タイ北部の町ナーンの奇抜な「ラック・ムアン」
山岳地帯をバスで揺られて数時間、山あいの盆地の町ナーンは5年ぶり2度目です。外国人旅行者はほとんどいませんが(中国人にもまだ知られていません)、オシャレなバンコクっ子の間では大人気の町で、バンコクから直行便(飛行機)がバンバン飛んできます(バスだとバンコクから10時間以上)。

ナーン川が流れ、珍しいナーン様式の寺院がたくさんあり、牛飼いが多く、ちょっと中心部を離れるとのどかな風景が広がる、落ち着いた田舎の暮らしが守られている居心地の良い町です。

街の雰囲気とは全くかけ離れた、かなり奇抜な「ラック・ムアン」には驚きでした。「黄金の柱」の先端が犹楊未諒さまの顔爐砲覆辰討い襪里眥舛靴い掘天井も現代アートのような独創的なもの、「お堂」もチェンライの有名なホワイト寺(タイ人アーティストが手掛けた)のような、細かいレリーフが施された狃稠鬮爐妊◆璽蛤酩覆里茲Δ任靴拭

●画像右…ラーンナースタイルの寺院の本堂


2017/03/27(月)
★タイ旅報告⇔垢離哀襯瓠崚賈魅ぅ機璽鵑凌」














タイのイサーン地方の代表的な郷土料理といえば、タイ全土で食べられ、国民食となっている「ガイヤーン(タレに漬けこんだニワトリの豪快な炭火焼)」、「ソムタム(青いパパイヤの激辛サラダ)」と「もち米」の組み合わせがまずは頭に浮かびますが、この他にもイサーンならではの「隠れグルメ」がたくさんあります。

今回よく食べたのが日本の「焼きおにぎり」と非常によく似た「ハーティー」という、もち米おにぎり(主食はもち米です)を、しょうゆ系の味がついた猴颪里箸汁爐鵬薪戮發劼燭靴覆ら炭火で香ばしく焼いたモノです。軽食にぴったりです。2個で10バーツ(32円)。

小ぶりの白いコッペパンに2種類のタイソーセージをはさんで焼いた「タイ版ホットドック」と、一人前ずつミニフライパンで目玉焼きを焼いてひき肉をのせた「カイ・ガタ」もイサーン限定の朝食メニュー。

ひき米の入ったドロドロのスープ(具はタニシやチキン)、臓物入りのハーブスープもおいしいし、ラオスやベトナムの「インドシナ食文化」が根づいているので、多種類の生ハーブやサニーレタス風のやわらかいレタスを食事の際には大量に狎舷爐垢襪里眛団Г如◆崟現婀き」や「もっちもちの麺」などベトナム系の料理もおいしいです。

乾燥して暑いからなのか、タイに来ると日本では考えられないくらい狎弧邵據淵汽薀澄豊爐むしょうに食べたくなり、狂ったみたいにむしゃむしゃ食べまくります。(100グラム単位で計り売りの「サラダバー」が若い子に人気)

1ヶ月の滞在中、日本食やツーリスト向けの店では一切食事をしませんでした。せっかくタイに来ているのだから、日本では食べられないような「本場の本物のタイ料理」を毎日食べたいからです。

地元の人で混み合っている専門店、専用のロースターでモクモクと豪快に煙をあげている炭火焼の店(タイの焼き物は炭火が基本だから香ばしさがちがう)、地域限定の郷土料理系のお惣菜ばかり食べていました。これがまた驚くほど安く、ハーブ使いや味付けが絶妙で爛織つ未き爐やめられない一番の要因です。



●画像左…朝市で売られていた「メコンオオナマズ(タイ名:プラー・ブック)」
イサーン地方とラオスの国境で川幅がぐんと広くなる「メコン河」で獲れる巨大魚「メコンオオナマズ」は、かつてはめったに獲れない狡狭盖薺爐如獲れると地元民の口には入らずバンコクの市場へ運ばれ、バンコクのお金持ちの口に入るのみでした。(佐渡で形の良いクロマグロが揚がると新潟県民の口には入らず、即狠枌蝋圓爐汎韻犬任后

しかし近年「養殖」に成功し、他の川魚に比べると高級品ですが(地元のレストランでも一皿800円はする。地元を離れるとこの倍の値段)、こうして地元の市場でもふつうに売られるようになりました。蒸し物、スープ、揚げ物、炒め物で食べます。

「味」は、ワラサをもっとこってりとさせたような白身で、大型なので寒ブリみたいにかなり脂がのっています(切り身で黄色く見える部分が脂)。脂がかなりきついですが川魚特有の臭みはなくまずくはありません。

メコンオオナマズではないですが、アナゴみたいなしっとりとした身でほどよく脂がのっている「ナマズ」はタイで食べる川魚では一番好きです。味付けをしたナマズを丸ごと串に刺して炭火で焼いた「串焼き」はよく食べます。日本でも高騰のうなぎの代りに「ナマズのかば焼き」が話題になっていますが、ナマズはおいしいです。

●画像右…夕方市で売られていた「カエル丸揚げ(カエル肉詰め)」
ヒキガエルほどの大きさの「食用カエル」はイサーンの人々の大好物です。ボールみたいに怪しくふくらんだカエルのお腹の中には、レモングラスなどのハーブをまぜた味付きのカエル肉か何かの肉(笑)のミンチ(骨、内臓、ひき肉)がぎゅうぎゅうに詰まっていました。

ニンニク風味のフライドチキンみたいにカリッと揚がったカエルの丸揚げ部分もおいしいし、中に詰まったミンチ肉もおいしく、これは今回の旅でもかなり気に入った、とても印象に残った一品でした。傑作。(ひとつ120円くらい)


2017/03/27(月)
★タイ旅報告いろいろと














●画像左…ご本尊さまを間にはさみ、本堂の内陣にふたりの国王の肖像画が。左側は昨年亡くなったプミポン国王。右側がプミポン国王の息子で新国王のワチラロンコン国王。街中で見かける新国王の肖像画もこのポーズのものがほとんどでした。

亡くなったプミポン国王の妻「シリキット王妃」は、だいぶ前からアルツハイマー病(認知症)を患っていて公務からは退いています。

我が家も両親がこんな風になり、国の介護保険制度にお世話になっている身として、タイの高齢者介護事情がとても気になっていたのですが、タイでは日本のような介護保険制度もないし、そもそも「特養」や「老人ホーム」などの介護施設や、デイサービス、ヘルパーさんによる訪問介護なども一切ないそうです。

まだ国民の平均年齢が若いタイでは、高齢者の介護問題は第一優先課題とはならないのかもしれませんが、個人レベルで考えると、高齢の親が認知症になったり、寝たきりになったりして介護が必要となっても、制度に頼らずかつての日本のように家族の力でなんとかする以外に選択肢がないというのが実情で「ちょっと大変そうだなあ」と思います。

しかし、だからといってかつての日本のように牴搬欧つきっきりで面倒を見る爐箸いΔ錣韻任呂覆い箸里海函人件費が安いタイでは犖守りや介護が必要な高齢者のお世話をしてくれる人を雇う爐箸いΔ里一般的で、これがタイの介護の主力のようです。(フルタイムの契約だと牋貽500バーツ(1500円)爐らいが相場だそうです)



●画像右…東北地方内陸の街「サコンナコン」のインディゴマーケット
他のイサーンの町とはちょっと違う狎練された印象爐鮗けるプータイ族の文化が息づくサコンナコンは、なぜか日本のガイドブックではまったく紹介されていませんが、私は大好きな街です。

(長野の善光寺みたいに全国的に有名なお寺があり、タイ人観光客は大型バスで乗り付けますが、外国人旅行者はほぼゼロ。観光地にあるような銀行出店の両替屋がないので、日本円をタイバーツにする両替を銀行窓口で行ったところ、パスポートとお札のコピーだの書類書きだので20分もかかった)

市内はラーンサーン様式、中部様式などの寺院が混在しており、昔ながらの古い家屋が多く車も少なくのんびりしとしていて、湖はあるし(人造湖でなく自然湖としてはタイで一番大きい)、中心部の大きな市場は一日中活気があり、東北グルメもばっちり楽しめます。

しかし、なんといっても私がこの街に惹きつけられる最大の理由は、サコンナコンの伝統工芸品「藍染め(インディゴ)の織物」がとってもステキだからです。市内にはこの藍染め製品を扱った店がいくつもあり、ショッピングが楽しめるイサーンでは貴重な街です。

週末に開かれる「インディゴマーケット」はホコ天になった通りのはじからはじまでステキなインディゴ製品がびっしりと並び、インディゴ好きな私にとってはそれはもう感動的です。良いものは高いですが、日本で買うよりも数分の一の値段で買えます。


2017/02/12(日)
★江戸時代の猫アート「弘智堂天井画」














つるつるに凍った坂道もものともせず、どんなに大雪でも除雪車が来る前の雪道を登りきり、毎日必ずお山に届けられる「新聞」は、お寺に籠ってどこにも出かけない私には毎日の楽しみのひとつです。

配達員さんは村の方です。一度もお会いしたことはないのですが、この方は一年中、村から車で登って来て必ず午前3時半ごろに新聞を届けてくれます。一日も休まず午前3時半に新聞を届ける、考えたらスゴイことです。本当にありがたいです。

で、その新聞を読んでいて、かつて「妖怪の企画展」で西生寺の猴觸辰んミイラ爐發世話になった『新潟県立歴史博物館』(長岡市)が予定している「春季企画展」に合わせて、化け猫、妖怪猫などの「新潟県の猫伝説」を題材にした作品を募集しているという記事が目に留まりました。

企画展の名前は『猫と人の200(にゃ〜)年−アートになった猫たち−』


なるほど日本はいま空前のネコブーム、興味を引くタイムリーな企画をいろいろと考えるものです。

そして私も考えました。

「猫伝説、200年、江戸時代、西生寺、猫アート…あっ!」

私の頭にぽんっと浮かんだのが『八方睨み(にらみ)の猫』でした。(画像左)

「八方睨みの猫」とは、弘智法印即身仏さまをお祀りしている「弘智堂」内部の天井に描かれたネコのことです。弘智堂が建てられた時に描かれたので、江戸時代後期の作品です。

お堂の中央に立って天井を見上げると、ちょうど真上に描かれているネコなのですが、どの方向から見てもじいーっと見られているように見えるので「八方睨みの猫」といいます。

弘智堂が建立されてから200年以上ものあいだ、天井からにらみをきかせて邪悪なモノを追い払い、弘智法印即身仏さまをお守りしてきた猖盻けのネコ爐任后

爐砲蕕澂爐箸いΔ茲蠅蓮鼻球をふくらませ、茂みから好奇心旺盛に「ニャニ(何)をしているんだ?」とこちらの様子をうかがっているようにも見えます。

一般的な「龍」じゃなく爛優貝爐箸いΔ△燭蠅ネコ好きにはポイントが高く、時代を越えていっきに親近感がわきます。

ネコの特徴を良くとらえて生き生きと描かれているので、モデルはもしかしたら画家の身近にいたネコ、可愛がっていた愛猫なのかもしれません。

このネコさんは猖盻け爐箸靴討漏萍しておりますが、どうも爛優坤濬け爐琉厠呂呂覆い茲Δ如△劼鵑僂鵑法峭庵卞押廚砲魯優坤澆出没、お供えをした果物にはいつも小さな歯型がついています。


●画像左…西生寺 江戸時代の猫アート「八方にらみの猫」
●画像右…西生寺 平成のリアル猫「八方にらみの飼い猫タビー」


【お知らせ】:「おてら通信」は3月下旬まで更新をお休みします。
父母の介護で「今年はもう無理だろう…」と早々にあきらめいていたこの時期恒例の「ひとり旅」ですが、転倒入院で車椅子生活になった母、脳梗塞で何もできなくなった父の在宅介護に限界を感じ、昨年秋に母→父と順番に「老人介護施設」に入所しました。

驚くような展開で西生寺は住職と私のふたりだけとなり、夫が「(ひとり旅に)別に行ってもいいんじゃないか」と言ってくれたので、あきらめていた「ひとり旅」が可能になりました。

寒い日本を離れ、大好きなタイへ行ってきます。ローカルバスに乗り、東北イサーン地方の内陸部や対岸がラオスのメコン流域、ちょっと奥地な北部を回ります。

プミポン国王が昨年秋に崩御して服喪中のタイ。国民はあいかわらずモノトーンでひかえめな服装が主流のようです。旅行者といえどもあまりに派手な服装はNGとのこと、犇燭貌れば郷に従え爐箸いΔ海箸如念のため黒系の夏服を探して荷造りをしました。

前回のタイ旅では、不覚にも「狂犬病」の恐れのある野犬の群れに襲われて噛みつかれてしまった私。恐怖だし、痛いし、ワクチン注射を打ちに何度も病院に行かなければならないしでもう二度とごめんです。犇暴なタイの犬爐砲論簑个傍い鬚弔韻泙后

というわけでしばらくの間「おてら通信」はお休みさせていただきます。春のお彼岸明けころに「旅報告」でお会いしましょう。


2017/01/18(水)
★「冬籠り」in 西生寺














今季初の最強寒波ですっかり雪に包まれてしまった西生寺です。弥彦山スカイラインは冬期通行止めだし、寺務所はお休みだし、来客はないし、どこにも出かけずお寺に籠り、世間と隔絶されたような暮らしがもう10日も続いています。

雪が降り続いた3日間は、ネコも一歩も外には出ようともせず、私も自然には逆らえないというか、雪国の定めだから仕方がないという気持ちで、窓越しに容赦なく降り積もってゆく雪をただ見守るだけでした。

今季はあと何回厳しい寒波が到来するかわからないけれど、氷点下の凍てつく寒さは心身にこたえるし、連日の雪かきで両腕と両肩が筋肉痛でもうバリバリです。

しかし山間部の豪雪地帯の積雪量に比べたら、海側のこっちはたいしたことはなく(今回はだいたい50センチくらい)、屋根の雪下ろしの様子なんかをテレビで見ると本当に大変そうで「この程度では文句は言えないな」って思います。

数年に一度の強い寒波だったからか、今回は水を出していたのに凍ってしまった蛇口もたくさんあり焦りました。

駐車場のトイレや洗濯機の水が凍って出なくなり、お湯の管が凍って台所のお湯も出なくなってしまいました。仕方ないので洗濯はあきらめ、炊事はやかんで沸かしたお湯を利用しました。寒波の最中の夜爐湯はり爐砲風呂場に行ったら、お風呂のフタも凍りついていました。

家の中にありながら「そんなものまで凍ってしまわなくてもいいじゃないか」とちょっとこの寒さには呆れてしまいました。


というわけで、悪夢のような寒波が過ぎ去ったあとはようやく寒さが落ち着いて、平年並みに戻っただけなのに、ちょっとした春が来たような気分です。

ひと晩でつららは姿を消し、凍りついた水道の蛇口からは水が出るようになり、真っ白いボールになってじっと耐えていた冬囲いの樹木も再び姿をあらわし、なんだか皆が息を吹き返したみたいです。

しかし、寒波が過ぎ去ってひと段落というわけではありません。氷点下の気温がゆるんだとたんに表面化するのが狄綟惨匹稜卜爐任后

我が家は公共の水道ではなく、弥彦山の天然水を独自に引いて利用しています。倏卜したまま爐世函嵜紊離織鵐」が空っぽになってしまい死活問題になりかねず、氷点下が続いたあとは、境内を点検することは大切な仕事になっています。

境内を点検した結果、今回の寒波では、悲しいことに水道管が2カ所も破裂している事が判明しました。

2カ所ともスプリンクラーみたいに管から勢いよく水が放出し、あたり一帯が「池」みたいになっていました。あっきゃ…

すぐに西生寺の水回りを担当している地元寺泊の犇伴圓気鶚爐謀渡辰鬚靴燭箸海蹇

「この寒波で水道管破裂の修理が爆発的に発生していて忙しくて今日行くことは無理です」

と言われました。

なるほどねえ。業種によって忙しくなる時期もさまざまなのだなあ。と妙に感心してしまいました。

陰鬱な新潟の冬はあいかわらず好きにはなれませんが、何度も過酷な冬を経験するうちに、

「あたふたせず自然体でしのいでゆくしかない」

ということを知ったのでした。




●画像左…墨絵のような冬の西生寺(客殿)
色彩を失った墨絵のような世界が広がっています。どっしりとした屋根が白い雪におおわれた「客殿」は冬ならではの景観です。広い屋根に積もった雪の爐覆猫爐良佞方は激しく、ドドドーン! と地鳴りみたいな音をたてて雪がなだれを打って急斜面を落下すると、家屋が揺れてドキッとします。なでのついた場所は見上げるほどの大きな雪の山を作り、庫裡の玄関にまで押し寄せます。(なでの下は危険なので気をつけましょう)

●画像右…重たい灰色の空から顔をのぞかせた太陽
冬型の日本海側特有の爐匹鵑茲蠅箸靴申鼎こタГ龍爐ら、がんばって顔をのぞかせている太陽。こんなにどんよりしていていも一番日が高い午前11時すぎに撮影しました。科学の番組で「金星の昼間の明るさは、ちょうど冬の日本海側のような灰色のどんよりとした暗い感じ」と解説していたのを思い出しました。

金星は常に30キロもの厚い硫酸の雲に覆われているので、地球みたいな狎嘉鍬爐呂覆い箸里海箸任后E澆離縫ぅタは「金星ってこんななんだ」を体験することができます。(ただし金星の地表温度は零下のこっちとは真逆の450℃超えの灼熱地獄ですが)


2017/01/03(火)
★謹賀新年「七福神のおはなし」














皆さま、新年あけましておめでとうございます。
本年も西生寺と「おてら通信」をどうぞよろしくお願いいたします。
どうか今年も、無病息災で家内安全で夫婦円満で各願成就な一年でありますように…

って、元旦の朝、弘智法印即身仏さまをはじめ阿刀家のお墓や諸堂をまわる「初詣」ではちょっとお願い事を欲張りすぎました(笑)。


猊徂悗世鵜爐能蕕瓩瞳泙┐燭正月。やはり「年取り(年夜)」も激変でした(笑)。毎年欠かさずに作り続けてきた「おせち料理」を作る気がまったくせず、結局、年取り魚の塩引き鮭を焼いて、好物の数の子、好物の出し巻き卵を作ったのみでした。

これまで数日前から仕込みをして、12月31日は一日台所に立って手間ひまかけて「おせち料理」を作り続けていたのは「伝統を重んじる、お父さんやお母さんが居たからなのだ」と気づきました。こういう系の猗親悪爐呂海譴らもしばらく続きそうです。

でも、新潟の祝い事には欠かせない郷土料理「のっぺ」だけは、檀家さんが集合する3日の「年始会」に出すので、60人分くらい作りました。(これは園子ママ直伝の味です)


さて、新年第一回の「おてら通信」は、「お正月」にちなみ、縁起の良い『七福神』についてちょっと書いてみたいと思います。

七福神は、『恵比須、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人』の七神をいいます。七福神の乗った船は「宝船」と呼ばれ、縁起物の代表ですね。

なぜ『七』なのかというと、室町時代に、仏教や民間信仰などで福神として信仰されていた「仁王経」の「七難即滅、七福即生」や、竹林の「七賢」(中国晋代に、俗塵を避けて竹林に集まり、清談を行った七人の隠士)にならい『七』に整えられたのだそうです。

それでは、知っているようでよく知らない爐修譴召譴凌世気泙瞭団Г噺耆益爐任后

★恵比須(烏帽子をかぶり、右手に釣竿、左脇に鯛をかかえているお姿)
→生業を守り(商売繁盛)、福をもたらす唯一の純粋な日本の神さま。
もともとは海辺漁民の信仰で「漁業の神さま」でした。「海運守護」、「商売繁盛」の神さまとして広く信仰されています。

★大黒天(米俵の上に乗り、頭巾をかぶり打ち出の小槌を持ち、大きな袋をかついでいるお姿)
→「福徳」の神さま。
中世以降、大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一視されて広く信仰されました。

★毘沙門天(兜をかぶり武装したお姿)
→帝釈天に仕えた「仏法守護」の神さま。
常に仏の道場を守護して法を聞くところから、多聞天、また「財」を授けることから「財施天」ともいわれています。七福神の中でただひとりの軍神で、武装しています。

★弁財天(琵琶を弾く天女のお姿)
→「音楽・弁舌・財福・智慧の徳」がある神さま。
インドの神話で、河川の女神とされています。吉祥天とともに信仰されました。仏教、ヒンズー教に取り入れられました。

★布袋(円満の相、半裸で太鼓腹を出し、日用品を入れた袋と杖をもつお姿)
→「人望・智慧の福」をもたらす神さま。
布袋さまは中国の後梁時代(907〜923)の禅僧「契比(かいし)」です。街中を歩いて吉兆や天気を占ったといいます。弥勒の化身ともいわれ、詩画の題材にもなっています。

★福禄寿(背が低く、長頭で長いひげをもち、杖に経巻を結び、鶴を従えたお姿)
→幸福、俸禄(ほうろく)、長寿の三特をそなえた「子孫繁栄」の神さま。

★寿老人(頭が長く白髪、団扇と巻物をつけた杖を持ち、鹿や鶴を従えた仙人のようなお姿)
→中国の伝説中の人物で「長寿の福」をもたらす神さま。


以上です。なるほど「七福神」は中国の伝説の人物や、インドの神さま、日本の神道の神さま、民間信仰から生まれた神さま、仏教の守護神などから、特に福徳のご利益がある神さまを選抜した、日本の信仰から生まれた犧廼の福の神さま集団爐世辰燭里任垢諭


最後に、1年のスタートなのでいま「新年の抱負」を考えたのですが、具体的に浮んだのは、(介護などで)2年間停止している「図書館通い」を復活させたいということでした。

あとは「専業寺庭婦人」という立場上、365日のほとんどを爍影中お寺で過ごす身爐覆里如田舎のお寺暮らしの猜寝困米常爐鮖しむ年にしたいです。

それでは
皆さまのもとに七つの福がおとずれますように。今年一年が良い年でありますように。



●画像左…庫裡の左側の「神棚」の大きな恵比須さまと大黒さま
年末の「神棚の大掃除」の時には、この恵比須さまと大黒さまを下ろしてぴかぴかに磨きます。私が猴澆き爐覆里1年の感謝と新年の犂待爐鬚海瓩篤辰貿案りに磨いてしまいます(笑)。恵比須さまの「釣竿」と「鯛」は、じつは取り外せるんです。今回のおてら通信を書いていて、七福神全員を神棚に揃えたくなりました。

●画像右…ポルトガルの縁起物のニワトリ「ガロ」
今年の干支はニワトリ。日本が「七福神」ならば、ポルトガルではこの「ガロ」と呼ばれる黄色と黒のニワトリが縁起モノとして親しまれています。ポルトガル料理の代表格、干し鱈の爛丱リャウ爐鮖箸辰仁鼠が食べたくて訪れた、東京のポルトガル料理のレストランで。昨年はなぜかポルトガルがマイブームでした。


2016/12/28(水)
★ゆく年くる年














いよいよ今年も残すところあとわずかとなりました。いま、こうして今年最後の「おてら通信」を書いていると「1年ってウソみたいにあっという間じゃん」とキツネにつままれた気分になりました。

今年一年を振り返ってみると、8月のお盆くらいまでは良い感じにゆるやかに時間が流れていたような気がしますが、8月末の園子ママの転倒入院と同時に、長老の脳梗塞による介護が始まって以降はもう狡競好圈璽畢爐任个燭个燭隼が過ぎていったようです。

園子ママの施設入所後、長老の自宅での見守り&介護と、寺役の両立を続けてきた私たちですが、結論から言いますと、先日お父さんは、我々夫婦が探して見つけた犖守りやお世話に手厚い少人数のアットホームな施設爐貌居しました。

実はお寺と介護の両立のために「少しでも負担を減らせれば」と思い、ケアマネさんを通じて介護のヘルパーさんをお願いしたのですが、長岡市に思いっきり断られてしまいました。

理由は犲宅で仕事だし、家族が同居している爐ら。

「仕事をしているとはいえ仕事場(お寺)は自宅なのだから、同居しているご家族の方が面倒をみてください。ご家族の負担を軽くするためにデイサービスなどを利用してください」とのことでした。さらにこうも言われました。

「例えば、お世話をするご家族の方が介護疲れで体調を崩したりした場合には、ヘルパーさんを依頼できます」

なぬ!

ということで「在宅介護サービス」を一切利用せず、住職とふたりで長老の面倒をみてきたのですが、長老の体調は寒さとともに悪化、血圧が高いのが日常となり、起き上がれないこともあり「離れ」に独りで過ごしている長老のことを四六時中見ているわけにもゆかず、「介護施設」に入所させることを決意しました。

「12時だからお昼ごはん」などの一日の行動の流れや、ひとりでの着替え、「ナースコール」を押すという事も認識できないお父さんが、安心快適に過ごせるような施設探しに我々夫婦は奔走しました。

他の人たちがどうしているのかは知りませんが「介護施設」は、ケアマネさん含めて専門機関にはまったく相談もせずに、我々だけで探しました。園子ママは公共の施設なので、民間の施設を探すのは初めてです。

まず月額の予算を決め、インターネットのサイトでいろいろと探して「空室あり」を中心にいくつかに絞り、資料を取り寄せ、数軒の施設を実際に見学(施設によってサービスもシステムもさまざまでした)、

NEWオープンしたての、とても気に入った施設を運良く見つけたので、その施設に申込み、本人面談、審査、今後の日程を決める、医師診断書などの必要書類を揃える、カーテン・じゅうたん・タンス・寝具・服・備品を揃える、ベッド引っ越し、入居当日は大量の荷物を車に積み、お父さんと私たち3人で施設へGO、という流れでした。


そんなことですので2016年の「西生寺&阿刀家ニュース狢茖碓稔燹廚楼貲を振り返るまでもなく「お父さんも園子ママもふたりとも介護施設に入所」ということに尽きます。

お母さんは徘徊の転倒で車椅子生活に、お父さんは脳梗塞で何もできなくなるなんて、本当に全く予想もしていなかった爐咾辰りな展開の一年爐任靴拭

(私個人の2016ニュース1位は「タイ山奥で狂犬病の恐れがある凶暴な野犬軍団に噛みつかれてしまい、血清だのワクチンだの気絶するほど打ちまくった事件」です)


結婚と同時に始まった阿刀の父母との同居生活が26年、父母の認知症の見守り介護が2年半、そして今、お寺はついに住職の夫と私の爐佞燭蠅り(+ネコ1匹)爐砲覆辰討靴泙い泙靴拭

「同居」は父母の他にも、住み込みの従業員などがいた時期もあったりして、このように「まったくの夫婦水入らずの生活」というのは結婚いらい初めてのことです。こんな日が訪れるのはまだまだ先の話だと思っていたので「まさか…」という気持ちがいまでも拭い去れません。

思いがけずとつぜんやって来た猊徂悗佞燭蠅り暮らし爐蓮∨萋がなんだか不思議なことに満ちています。

これまでの長い間の猜襪蕕靴侶茲泙蟷爐筺△佞燭蠅認知症になってからの狄べ物類を隠して台所にカギをかける爐覆匹覆匹痢屬△蕕罎襯襦璽襦廚撤廃され、いきなり何もかもが犲由爐覆里任后

「4人から2人になった」という、たったこれだけの変化なのに、あまりに自由であまりにふわふわと軽い毎日に「これはいったい何なんだ。こんなに猜襪蕕鍬爐辰瞳擇い發里世辰燭里」と驚くばかり。

なんでそんなに生活が軽いのか?それは「同居」じゃなくなって強烈に実感した以下の事が狹え爐任后

それは「義父母との同居生活」が、たとえどんなに家族の団結力を深め上手くいっているとしても、それは「年寄りと若いもんが、姑さんとお嫁さんが、お互いに気を使った上で成り立っているものである」ということです。

いかに「同居」があらゆることに対して無意識のうちに気を使っていたのか、同居じゃなくなってしみじみ思い知らされました。

結婚した女性が、夫の義父母と「同居」する事は、今の時代においてはもう時代錯誤的な事例になりつつありますが、私自身は「同居」をして本当に良かったと思います。

「人生の先輩」と一緒に暮らすことは自由にできない事も多く爛好肇譽広爐魎兇犬襪海箸眤燭い任垢、でも狷世觧爐諒が私にははるかに大きかったからです。

お父さんからは「物事の(仏教的な)考え方」や「何事も一生懸命に取り組む姿勢」を学び、園子ママからは「越後女の柳の枝のようなしなやかな強さ」と「寺庭婦人のイロハ」をゼロから学びました。

二十歳そこそこの世間知らずだった私が(園子ママに言わせると異星人!)、なんとか一人前に成長して今の自分があるのは、ここのお父さんと園子ママのおかげだと確信しています。

つまり私は、お舅(しゅうと)さんとお姑さんに、とっても恵まれた犢運な嫁子爐世辰燭里任后

最後に、秋の「お彼岸」の時に紹介しました仏教の中道の教えの「3つの心」は

・「こだわらない心」
・「とらわれない心」
・「かたよらない心」

でしたが、今年の私を支えた「3つの心」はどちらかというと

・「負けない心」
・「めげない心」
・「腐らない心」

でした。退院が決まりかけて体調を崩すことの繰り返しだった母の入院で、まったく先が見通せなかったり、毎日の介護漬けの中、何度か心がへこむこともありましたが「絶対に負けない、めげない、心を腐らせたら終わりだぜ」の気合いでネガティブな気を吹き飛ばし、激動の一年を乗り切りました。


一年前の「大晦日」はいつものように、長老・園子ママと我々の牴搬横歓有爐揃って「お正月料理」を食べながら新年を祝いましたが、今年は我々夫婦二人だけで迎えるちょっとさみしい大晦日・正月です。

いつどうなるかわからないから、いつどうなってもいいように、悔いのないように一日一日を大切に過ごしたいです。

今年も一年間「おてら通信」を読んでくださり本当にありがとうございました。
それではみなさま、良いお年を。



●画像左…今年は超当たり年だった「泰山木(タイザンボク)」の花
●画像右…最終的にこのような「赤い種」を収穫しました。

甘酸っぱい香り(住職に曰く「レモンスカッシュ」の香り)を一帯に漂わせ、手のひらよりも大きな華麗な白い大輪の花を、史上最高狄十輪爐盧蕕せてくれた今年の泰山木。6月に紹介してからも観察を続けていましが、いよいよ犧能報告爐任后

花弁が落ちると、見とれてしまうくらいステキな容姿の「軸」(画像左)だけになり、軸のほとんどがそのままポロリと地面に落ちてしまう中、たった一輪の花だけが「実」になるべく「軸」が成長を続け、見たこともない「赤い実」が姿を現すと、めざとい野鳥たちがさっそく「実」を狙いはじめたので「こりゃ大変だ!」と「軸」に狄綫擇螢優奪鉢爐鯣錣察見守りを続けて来ました。そしてついに「種」を8つ収穫することに成功しました。

冬囲いに来ていた庭師さんに種を見てもらったところ「来春に種を蒔けば、芽が出るのではないか」とのことなので、凍らないように大切に保管して、雪がなくなった春にさっそく大きな泰山木のそばに蒔いてみたいと思っています。種を蒔く事にワクワクするなんて小学校の時に「アサガオの種」を蒔いたとき以来です。泰山木よ、一年間楽しませてくれてありがとう。(泰山木は雪で折れないように、庭師さんがちゃんと冬囲いをしてくれました)


2016/12/18(日)
★「お盆の里帰り」をしてきました。














なんとか時間を作り年末年始の仕事を中断して、12月13日から3泊4日で船橋の実家にひとり「お盆の里帰り」をしてきました。毎年、1年で一二を争う忙しさのお盆の時期の里帰りは無理としても、たいてい10月2日の「弘智講」が終わったあたりに「お盆の里帰り」をしていたのですが、この時期までずれ込んだのは初めてです。

実家には2月に帰った以来なので、両親に会うのは実に10カ月ぶり。70歳を過ぎた両親も元気そうでほっとしました。私にとっては、お寺を離れて数日間も自由自在に過ごせるのは本当に久しぶりでワクワクし通しでした。

里帰り恒例の「靖国神社」と「千鳥ヶ淵戦没者霊苑」のお参りを最初に済ませて、あとはここぞとばかりにいろいろと行きたいところへ行ったり、観たり、食べたりと、新潟では絶対に見られないようなゴージャスでオシャレなクリスマスイルミネーションで華やぐ街「TOKYO」を思いっきり堪能してきました。

驚いたのは東京の街中ではまだイチョウが落葉していなくて、黄葉のイチョウ並木が健在でまるで猗媾爐澆燭い世辰燭海箸任后雪景色の狄薪澆平軍祗爐箸和膂磴い任后Iが冷たくて「寒い、寒い」を連発していた両親ですが、お日さまが出ない新潟の寒さに比べると爐忰爐任發△蠅泙擦鵑任靴拭

「年内にはぜったいにお盆の里帰りをするぞ!」という目標を達成し、両親と水入らずに過ごし、やりたかった事を全部やりつくして大満足(大満腹?)のうちに新幹線で帰ってきたら、新潟市内も西生寺も初めての本格的な積雪となっているし、体が固まってしまうくらいのハンパない寒さに猖困譴けていた現実爐鯑佑付けられました。

「やっぱりこっちは気候が過酷でめっちゃ寒いし、温暖な関東に比べるといろいろとハンデが大きいなあ」とあらためて感じ、「でも自分が選んだ道なのだからこっちで生きていくしかないんだ」みたいな、新潟の暗い冬が苦手(大嫌い)でいつまでたってもこっちの寒さに慣れてくれない関東生まれの自分を再確認しました。

というわけで、一足早い「夢のようなクリスマス休暇」を過ごした私ですが、いつもの「地味なお寺の日常」に再び戻ったのでした。

「お堂の大掃除」、「お正月の準備アレコレ」をしているうちに大晦日を迎え、新年に入ると元旦にご祈祷をした「御札包み」(檀信徒の方に配ります)、年始会用の「大量のっぺ作り」、檀家さんが集まる「1月3日年始会」などなど、年をまたいで忙しい日々が続きますが、久しぶりにお寺を離れ、実家の両親のもとでフル充電をした私なので、今年はいつもより元気よく張り切って年末年始を乗り切られそうです。



●画像左…再現された明治時代の銀座「中央通り」の街並み
「両国国技館」のすぐとなりにある東京都が運営をしている「江戸東京博物館」のジオラマ展示です。人力車や普通の馬車の他に、路面電車ならぬ「路面馬車」が通りを行き交っています。「前から行ってみたかった」という父と初めて行きました。てっきり常設展は犢掌融代だけ爐と思ったら、大正→昭和→戦中戦後→経済成長期→現在までもあり、想像以上に見ごたえ満点でした。

なぜか印象に残ったのが犢掌融代の通貨の単位爐任后なるほど金は「両」、銀は「匁(もんめ)」、銅は「銭」と言うことを私は知りませんでした。この日は大型バスを何台も連ねて大勢の小学生が見学に来ていました。昼食を食べた7階にある「展望レストラン(和食)」からは、目の前の「国技館」を上から眺めることができ、JR線、隅田川、首都高、ビル群、青い空となかなかの絶景を楽しめました。

●画像右…現在の銀座「中央通り」中心部の様子
オシャレなクリスマスの装飾展示で競演している世界の高級ブランド(カルティエ、ルイヴィトン、ブルガリ、シャネル)が向かい合う交差点で、ひときわ人々の目を集めていたのがこの「ブルガリ」でした。日本のブランドとしては銀座の顔「和光」も、白クマのゆるい感じが良かったです。子供のころ、サラリーマンの父にボーナスが出ると家族で銀座に繰り出し、よく連れて行ってもらった文房具の「伊東屋」もすっかりオシャレになっていました。


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