西生寺 おてら通信

◆即身仏霊場西生寺 おてら通信◆

このホームページを制作管理しておりますわたくし、住職の妻によって発信されるページです。西生寺からのお知らせや、お寺での暮らしの中で感じた事、お寺とは全く関係のない話など、肩の凝らない内容を毎回少しづつ、気ままに更新していく予定です。


2017/02/12(日)
★江戸時代の猫アート「弘智堂天井画」














つるつるに凍った坂道もものともせず、どんなに大雪でも除雪車が来る前の雪道を登りきり、毎日必ずお山に届けられる「新聞」は、お寺に籠ってどこにも出かけない私には毎日の楽しみのひとつです。

配達員さんは村の方です。一度もお会いしたことはないのですが、この方は一年中、村から車で登って来て必ず午前3時半ごろに新聞を届けてくれます。一日も休まず午前3時半に新聞を届ける、考えたらスゴイことです。本当にありがたいです。

で、その新聞を読んでいて、かつて「妖怪の企画展」で西生寺の猴觸辰んミイラ爐發世話になった『新潟県立歴史博物館』(長岡市)が予定している「春季企画展」に合わせて、化け猫、妖怪猫などの「新潟県の猫伝説」を題材にした作品を募集しているという記事が目に留まりました。

企画展の名前は『猫と人の200(にゃ〜)年−アートになった猫たち−』


なるほど日本はいま空前のネコブーム、興味を引くタイムリーな企画をいろいろと考えるものです。

そして私も考えました。

「猫伝説、200年、江戸時代、西生寺、猫アート…あっ!」

私の頭にぽんっと浮かんだのが『八方睨み(にらみ)の猫』でした。(画像左)

「八方睨みの猫」とは、弘智法印即身仏さまをお祀りしている「弘智堂」内部の天井に描かれたネコのことです。弘智堂が建てられた時に描かれたので、江戸時代後期の作品です。

お堂の中央に立って天井を見上げると、ちょうど真上に描かれているネコなのですが、どの方向から見てもじいーっと見られているように見えるので「八方睨みの猫」といいます。

弘智堂が建立されてから200年以上ものあいだ、天井からにらみをきかせて邪悪なモノを追い払い、弘智法印即身仏さまをお守りしてきた猖盻けのネコ爐任后

爐砲蕕澂爐箸いΔ茲蠅蓮鼻球をふくらませ、茂みから好奇心旺盛に「ニャニ(何)をしているんだ?」とこちらの様子をうかがっているようにも見えます。

一般的な「龍」じゃなく爛優貝爐箸いΔ△燭蠅ネコ好きにはポイントが高く、時代を越えていっきに親近感がわきます。

ネコの特徴を良くとらえて生き生きと描かれているので、モデルはもしかしたら画家の身近にいたネコ、可愛がっていた愛猫なのかもしれません。

このネコさんは猖盻け爐箸靴討漏萍しておりますが、どうも爛優坤濬け爐琉厠呂呂覆い茲Δ如△劼鵑僂鵑法峭庵卞押廚砲魯優坤澆出没、お供えをした果物にはいつも小さな歯型がついています。


●画像左…西生寺 江戸時代の猫アート「八方にらみの猫」
●画像右…西生寺 平成のリアル猫「八方にらみの飼い猫タビー」


【お知らせ】:「おてら通信」は3月下旬まで更新をお休みします。
父母の介護で「今年はもう無理だろう…」と早々にあきらめいていたこの時期恒例の「ひとり旅」ですが、転倒入院で車椅子生活になった母、脳梗塞で何もできなくなった父の在宅介護に限界を感じ、昨年秋に母→父と順番に「老人介護施設」に入所しました。

驚くような展開で西生寺は住職と私のふたりだけとなり、夫が「(ひとり旅に)別に行ってもいいんじゃないか」と言ってくれたので、あきらめていた「ひとり旅」が可能になりました。

寒い日本を離れ、大好きなタイへ行ってきます。ローカルバスに乗り、東北イサーン地方の内陸部や対岸がラオスのメコン流域、ちょっと奥地な北部を回ります。

プミポン国王が昨年秋に崩御して服喪中のタイ。国民はあいかわらずモノトーンでひかえめな服装が主流のようです。旅行者といえどもあまりに派手な服装はNGとのこと、犇燭貌れば郷に従え爐箸いΔ海箸如念のため黒系の夏服を探して荷造りをしました。

前回のタイ旅では、不覚にも「狂犬病」の恐れのある野犬の群れに襲われて噛みつかれてしまった私。恐怖だし、痛いし、ワクチン注射を打ちに何度も病院に行かなければならないしでもう二度とごめんです。犇暴なタイの犬爐砲論簑个傍い鬚弔韻泙后

というわけでしばらくの間「おてら通信」はお休みさせていただきます。春のお彼岸明けころに「旅報告」でお会いしましょう。


2017/01/18(水)
★「冬籠り」in 西生寺














今季初の最強寒波ですっかり雪に包まれてしまった西生寺です。弥彦山スカイラインは冬期通行止めだし、寺務所はお休みだし、来客はないし、どこにも出かけずお寺に籠り、世間と隔絶されたような暮らしがもう10日も続いています。

雪が降り続いた3日間は、ネコも一歩も外には出ようともせず、私も自然には逆らえないというか、雪国の定めだから仕方がないという気持ちで、窓越しに容赦なく降り積もってゆく雪をただ見守るだけでした。

今季はあと何回厳しい寒波が到来するかわからないけれど、氷点下の凍てつく寒さは心身にこたえるし、連日の雪かきで両腕と両肩が筋肉痛でもうバリバリです。

しかし山間部の豪雪地帯の積雪量に比べたら、海側のこっちはたいしたことはなく(今回はだいたい50センチくらい)、屋根の雪下ろしの様子なんかをテレビで見ると本当に大変そうで「この程度では文句は言えないな」って思います。

数年に一度の強い寒波だったからか、今回は水を出していたのに凍ってしまった蛇口もたくさんあり焦りました。

駐車場のトイレや洗濯機の水が凍って出なくなり、お湯の管が凍って台所のお湯も出なくなってしまいました。仕方ないので洗濯はあきらめ、炊事はやかんで沸かしたお湯を利用しました。寒波の最中の夜爐湯はり爐砲風呂場に行ったら、お風呂のフタも凍りついていました。

家の中にありながら「そんなものまで凍ってしまわなくてもいいじゃないか」とちょっとこの寒さには呆れてしまいました。


というわけで、悪夢のような寒波が過ぎ去ったあとはようやく寒さが落ち着いて、平年並みに戻っただけなのに、ちょっとした春が来たような気分です。

ひと晩でつららは姿を消し、凍りついた水道の蛇口からは水が出るようになり、真っ白いボールになってじっと耐えていた冬囲いの樹木も再び姿をあらわし、なんだか皆が息を吹き返したみたいです。

しかし、寒波が過ぎ去ってひと段落というわけではありません。氷点下の気温がゆるんだとたんに表面化するのが狄綟惨匹稜卜爐任后

我が家は公共の水道ではなく、弥彦山の天然水を独自に引いて利用しています。倏卜したまま爐世函嵜紊離織鵐」が空っぽになってしまい死活問題になりかねず、氷点下が続いたあとは、境内を点検することは大切な仕事になっています。

境内を点検した結果、今回の寒波では、悲しいことに水道管が2カ所も破裂している事が判明しました。

2カ所ともスプリンクラーみたいに管から勢いよく水が放出し、あたり一帯が「池」みたいになっていました。あっきゃ…

すぐに西生寺の水回りを担当している地元寺泊の犇伴圓気鶚爐謀渡辰鬚靴燭箸海蹇

「この寒波で水道管破裂の修理が爆発的に発生していて忙しくて今日行くことは無理です」

と言われました。

なるほどねえ。業種によって忙しくなる時期もさまざまなのだなあ。と妙に感心してしまいました。

陰鬱な新潟の冬はあいかわらず好きにはなれませんが、何度も過酷な冬を経験するうちに、

「あたふたせず自然体でしのいでゆくしかない」

ということを知ったのでした。




●画像左…墨絵のような冬の西生寺(客殿)
色彩を失った墨絵のような世界が広がっています。どっしりとした屋根が白い雪におおわれた「客殿」は冬ならではの景観です。広い屋根に積もった雪の爐覆猫爐良佞方は激しく、ドドドーン! と地鳴りみたいな音をたてて雪がなだれを打って急斜面を落下すると、家屋が揺れてドキッとします。なでのついた場所は見上げるほどの大きな雪の山を作り、庫裡の玄関にまで押し寄せます。(なでの下は危険なので気をつけましょう)

●画像右…重たい灰色の空から顔をのぞかせた太陽
冬型の日本海側特有の爐匹鵑茲蠅箸靴申鼎こタГ龍爐ら、がんばって顔をのぞかせている太陽。こんなにどんよりしていていも一番日が高い午前11時すぎに撮影しました。科学の番組で「金星の昼間の明るさは、ちょうど冬の日本海側のような灰色のどんよりとした暗い感じ」と解説していたのを思い出しました。

金星は常に30キロもの厚い硫酸の雲に覆われているので、地球みたいな狎嘉鍬爐呂覆い箸里海箸任后E澆離縫ぅタは「金星ってこんななんだ」を体験することができます。(ただし金星の地表温度は零下のこっちとは真逆の450℃超えの灼熱地獄ですが)


2017/01/03(火)
★謹賀新年「七福神のおはなし」














皆さま、新年あけましておめでとうございます。
本年も西生寺と「おてら通信」をどうぞよろしくお願いいたします。
どうか今年も、無病息災で家内安全で夫婦円満で各願成就な一年でありますように…

って、元旦の朝、弘智法印即身仏さまをはじめ阿刀家のお墓や諸堂をまわる「初詣」ではちょっとお願い事を欲張りすぎました(笑)。


猊徂悗世鵜爐能蕕瓩瞳泙┐燭正月。やはり「年取り(年夜)」も激変でした(笑)。毎年欠かさずに作り続けてきた「おせち料理」を作る気がまったくせず、結局、年取り魚の塩引き鮭を焼いて、好物の数の子、好物の出し巻き卵を作ったのみでした。

これまで数日前から仕込みをして、12月31日は一日台所に立って手間ひまかけて「おせち料理」を作り続けていたのは「伝統を重んじる、お父さんやお母さんが居たからなのだ」と気づきました。こういう系の猗親悪爐呂海譴らもしばらく続きそうです。

でも、新潟の祝い事には欠かせない郷土料理「のっぺ」だけは、檀家さんが集合する3日の「年始会」に出すので、60人分くらい作りました。(これは園子ママ直伝の味です)


さて、新年第一回の「おてら通信」は、「お正月」にちなみ、縁起の良い『七福神』についてちょっと書いてみたいと思います。

七福神は、『恵比須、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人』の七神をいいます。七福神の乗った船は「宝船」と呼ばれ、縁起物の代表ですね。

なぜ『七』なのかというと、室町時代に、仏教や民間信仰などで福神として信仰されていた「仁王経」の「七難即滅、七福即生」や、竹林の「七賢」(中国晋代に、俗塵を避けて竹林に集まり、清談を行った七人の隠士)にならい『七』に整えられたのだそうです。

それでは、知っているようでよく知らない爐修譴召譴凌世気泙瞭団Г噺耆益爐任后

★恵比須(烏帽子をかぶり、右手に釣竿、左脇に鯛をかかえているお姿)
→生業を守り(商売繁盛)、福をもたらす唯一の純粋な日本の神さま。
もともとは海辺漁民の信仰で「漁業の神さま」でした。「海運守護」、「商売繁盛」の神さまとして広く信仰されています。

★大黒天(米俵の上に乗り、頭巾をかぶり打ち出の小槌を持ち、大きな袋をかついでいるお姿)
→「福徳」の神さま。
中世以降、大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一視されて広く信仰されました。

★毘沙門天(兜をかぶり武装したお姿)
→帝釈天に仕えた「仏法守護」の神さま。
常に仏の道場を守護して法を聞くところから、多聞天、また「財」を授けることから「財施天」ともいわれています。七福神の中でただひとりの軍神で、武装しています。

★弁財天(琵琶を弾く天女のお姿)
→「音楽・弁舌・財福・智慧の徳」がある神さま。
インドの神話で、河川の女神とされています。吉祥天とともに信仰されました。仏教、ヒンズー教に取り入れられました。

★布袋(円満の相、半裸で太鼓腹を出し、日用品を入れた袋と杖をもつお姿)
→「人望・智慧の福」をもたらす神さま。
布袋さまは中国の後梁時代(907〜923)の禅僧「契比(かいし)」です。街中を歩いて吉兆や天気を占ったといいます。弥勒の化身ともいわれ、詩画の題材にもなっています。

★福禄寿(背が低く、長頭で長いひげをもち、杖に経巻を結び、鶴を従えたお姿)
→幸福、俸禄(ほうろく)、長寿の三特をそなえた「子孫繁栄」の神さま。

★寿老人(頭が長く白髪、団扇と巻物をつけた杖を持ち、鹿や鶴を従えた仙人のようなお姿)
→中国の伝説中の人物で「長寿の福」をもたらす神さま。


以上です。なるほど「七福神」は中国の伝説の人物や、インドの神さま、日本の神道の神さま、民間信仰から生まれた神さま、仏教の守護神などから、特に福徳のご利益がある神さまを選抜した、日本の信仰から生まれた犧廼の福の神さま集団爐世辰燭里任垢諭


最後に、1年のスタートなのでいま「新年の抱負」を考えたのですが、具体的に浮んだのは、(介護などで)2年間停止している「図書館通い」を復活させたいということでした。

あとは「専業寺庭婦人」という立場上、365日のほとんどを爍影中お寺で過ごす身爐覆里如田舎のお寺暮らしの猜寝困米常爐鮖しむ年にしたいです。

それでは
皆さまのもとに七つの福がおとずれますように。今年一年が良い年でありますように。



●画像左…庫裡の左側の「神棚」の大きな恵比須さまと大黒さま
年末の「神棚の大掃除」の時には、この恵比須さまと大黒さまを下ろしてぴかぴかに磨きます。私が猴澆き爐覆里1年の感謝と新年の犂待爐鬚海瓩篤辰貿案りに磨いてしまいます(笑)。恵比須さまの「釣竿」と「鯛」は、じつは取り外せるんです。今回のおてら通信を書いていて、七福神全員を神棚に揃えたくなりました。

●画像右…ポルトガルの縁起物のニワトリ「ガロ」
今年の干支はニワトリ。日本が「七福神」ならば、ポルトガルではこの「ガロ」と呼ばれる黄色と黒のニワトリが縁起モノとして親しまれています。ポルトガル料理の代表格、干し鱈の爛丱リャウ爐鮖箸辰仁鼠が食べたくて訪れた、東京のポルトガル料理のレストランで。昨年はなぜかポルトガルがマイブームでした。


2016/12/28(水)
★ゆく年くる年














いよいよ今年も残すところあとわずかとなりました。いま、こうして今年最後の「おてら通信」を書いていると「1年ってウソみたいにあっという間じゃん」とキツネにつままれた気分になりました。

今年一年を振り返ってみると、8月のお盆くらいまでは良い感じにゆるやかに時間が流れていたような気がしますが、8月末の園子ママの転倒入院と同時に、長老の脳梗塞による介護が始まって以降はもう狡競好圈璽畢爐任个燭个燭隼が過ぎていったようです。

園子ママの施設入所後、長老の自宅での見守り&介護と、寺役の両立を続けてきた私たちですが、結論から言いますと、先日お父さんは、我々夫婦が探して見つけた犖守りやお世話に手厚い少人数のアットホームな施設爐貌居しました。

実はお寺と介護の両立のために「少しでも負担を減らせれば」と思い、ケアマネさんを通じて介護のヘルパーさんをお願いしたのですが、長岡市に思いっきり断られてしまいました。

理由は犲宅で仕事だし、家族が同居している爐ら。

「仕事をしているとはいえ仕事場(お寺)は自宅なのだから、同居しているご家族の方が面倒をみてください。ご家族の負担を軽くするためにデイサービスなどを利用してください」とのことでした。さらにこうも言われました。

「例えば、お世話をするご家族の方が介護疲れで体調を崩したりした場合には、ヘルパーさんを依頼できます」

なぬ!

ということで「在宅介護サービス」を一切利用せず、住職とふたりで長老の面倒をみてきたのですが、長老の体調は寒さとともに悪化、血圧が高いのが日常となり、起き上がれないこともあり「離れ」に独りで過ごしている長老のことを四六時中見ているわけにもゆかず、「介護施設」に入所させることを決意しました。

「12時だからお昼ごはん」などの一日の行動の流れや、ひとりでの着替え、「ナースコール」を押すという事も認識できないお父さんが、安心快適に過ごせるような施設探しに我々夫婦は奔走しました。

他の人たちがどうしているのかは知りませんが「介護施設」は、ケアマネさん含めて専門機関にはまったく相談もせずに、我々だけで探しました。園子ママは公共の施設なので、民間の施設を探すのは初めてです。

まず月額の予算を決め、インターネットのサイトでいろいろと探して「空室あり」を中心にいくつかに絞り、資料を取り寄せ、数軒の施設を実際に見学(施設によってサービスもシステムもさまざまでした)、

NEWオープンしたての、とても気に入った施設を運良く見つけたので、その施設に申込み、本人面談、審査、今後の日程を決める、医師診断書などの必要書類を揃える、カーテン・じゅうたん・タンス・寝具・服・備品を揃える、ベッド引っ越し、入居当日は大量の荷物を車に積み、お父さんと私たち3人で施設へGO、という流れでした。


そんなことですので2016年の「西生寺&阿刀家ニュース狢茖碓稔燹廚楼貲を振り返るまでもなく「お父さんも園子ママもふたりとも介護施設に入所」ということに尽きます。

お母さんは徘徊の転倒で車椅子生活に、お父さんは脳梗塞で何もできなくなるなんて、本当に全く予想もしていなかった爐咾辰りな展開の一年爐任靴拭

(私個人の2016ニュース1位は「タイ山奥で狂犬病の恐れがある凶暴な野犬軍団に噛みつかれてしまい、血清だのワクチンだの気絶するほど打ちまくった事件」です)


結婚と同時に始まった阿刀の父母との同居生活が26年、父母の認知症の見守り介護が2年半、そして今、お寺はついに住職の夫と私の爐佞燭蠅り(+ネコ1匹)爐砲覆辰討靴泙い泙靴拭

「同居」は父母の他にも、住み込みの従業員などがいた時期もあったりして、このように「まったくの夫婦水入らずの生活」というのは結婚いらい初めてのことです。こんな日が訪れるのはまだまだ先の話だと思っていたので「まさか…」という気持ちがいまでも拭い去れません。

思いがけずとつぜんやって来た猊徂悗佞燭蠅り暮らし爐蓮∨萋がなんだか不思議なことに満ちています。

これまでの長い間の猜襪蕕靴侶茲泙蟷爐筺△佞燭蠅認知症になってからの狄べ物類を隠して台所にカギをかける爐覆匹覆匹痢屬△蕕罎襯襦璽襦廚撤廃され、いきなり何もかもが犲由爐覆里任后

「4人から2人になった」という、たったこれだけの変化なのに、あまりに自由であまりにふわふわと軽い毎日に「これはいったい何なんだ。こんなに猜襪蕕鍬爐辰瞳擇い發里世辰燭里」と驚くばかり。

なんでそんなに生活が軽いのか?それは「同居」じゃなくなって強烈に実感した以下の事が狹え爐任后

それは「義父母との同居生活」が、たとえどんなに家族の団結力を深め上手くいっているとしても、それは「年寄りと若いもんが、姑さんとお嫁さんが、お互いに気を使った上で成り立っているものである」ということです。

いかに「同居」があらゆることに対して無意識のうちに気を使っていたのか、同居じゃなくなってしみじみ思い知らされました。

結婚した女性が、夫の義父母と「同居」する事は、今の時代においてはもう時代錯誤的な事例になりつつありますが、私自身は「同居」をして本当に良かったと思います。

「人生の先輩」と一緒に暮らすことは自由にできない事も多く爛好肇譽広爐魎兇犬襪海箸眤燭い任垢、でも狷世觧爐諒が私にははるかに大きかったからです。

お父さんからは「物事の(仏教的な)考え方」や「何事も一生懸命に取り組む姿勢」を学び、園子ママからは「越後女の柳の枝のようなしなやかな強さ」と「寺庭婦人のイロハ」をゼロから学びました。

二十歳そこそこの世間知らずだった私が(園子ママに言わせると異星人!)、なんとか一人前に成長して今の自分があるのは、ここのお父さんと園子ママのおかげだと確信しています。

つまり私は、お舅(しゅうと)さんとお姑さんに、とっても恵まれた犢運な嫁子爐世辰燭里任后

最後に、秋の「お彼岸」の時に紹介しました仏教の中道の教えの「3つの心」は

・「こだわらない心」
・「とらわれない心」
・「かたよらない心」

でしたが、今年の私を支えた「3つの心」はどちらかというと

・「負けない心」
・「めげない心」
・「腐らない心」

でした。退院が決まりかけて体調を崩すことの繰り返しだった母の入院で、まったく先が見通せなかったり、毎日の介護漬けの中、何度か心がへこむこともありましたが「絶対に負けない、めげない、心を腐らせたら終わりだぜ」の気合いでネガティブな気を吹き飛ばし、激動の一年を乗り切りました。


一年前の「大晦日」はいつものように、長老・園子ママと我々の牴搬横歓有爐揃って「お正月料理」を食べながら新年を祝いましたが、今年は我々夫婦二人だけで迎えるちょっとさみしい大晦日・正月です。

いつどうなるかわからないから、いつどうなってもいいように、悔いのないように一日一日を大切に過ごしたいです。

今年も一年間「おてら通信」を読んでくださり本当にありがとうございました。
それではみなさま、良いお年を。



●画像左…今年は超当たり年だった「泰山木(タイザンボク)」の花
●画像右…最終的にこのような「赤い種」を収穫しました。

甘酸っぱい香り(住職に曰く「レモンスカッシュ」の香り)を一帯に漂わせ、手のひらよりも大きな華麗な白い大輪の花を、史上最高狄十輪爐盧蕕せてくれた今年の泰山木。6月に紹介してからも観察を続けていましが、いよいよ犧能報告爐任后

花弁が落ちると、見とれてしまうくらいステキな容姿の「軸」(画像左)だけになり、軸のほとんどがそのままポロリと地面に落ちてしまう中、たった一輪の花だけが「実」になるべく「軸」が成長を続け、見たこともない「赤い実」が姿を現すと、めざとい野鳥たちがさっそく「実」を狙いはじめたので「こりゃ大変だ!」と「軸」に狄綫擇螢優奪鉢爐鯣錣察見守りを続けて来ました。そしてついに「種」を8つ収穫することに成功しました。

冬囲いに来ていた庭師さんに種を見てもらったところ「来春に種を蒔けば、芽が出るのではないか」とのことなので、凍らないように大切に保管して、雪がなくなった春にさっそく大きな泰山木のそばに蒔いてみたいと思っています。種を蒔く事にワクワクするなんて小学校の時に「アサガオの種」を蒔いたとき以来です。泰山木よ、一年間楽しませてくれてありがとう。(泰山木は雪で折れないように、庭師さんがちゃんと冬囲いをしてくれました)


2016/12/18(日)
★「お盆の里帰り」をしてきました。














なんとか時間を作り年末年始の仕事を中断して、12月13日から3泊4日で船橋の実家にひとり「お盆の里帰り」をしてきました。毎年、1年で一二を争う忙しさのお盆の時期の里帰りは無理としても、たいてい10月2日の「弘智講」が終わったあたりに「お盆の里帰り」をしていたのですが、この時期までずれ込んだのは初めてです。

実家には2月に帰った以来なので、両親に会うのは実に10カ月ぶり。70歳を過ぎた両親も元気そうでほっとしました。私にとっては、お寺を離れて数日間も自由自在に過ごせるのは本当に久しぶりでワクワクし通しでした。

里帰り恒例の「靖国神社」と「千鳥ヶ淵戦没者霊苑」のお参りを最初に済ませて、あとはここぞとばかりにいろいろと行きたいところへ行ったり、観たり、食べたりと、新潟では絶対に見られないようなゴージャスでオシャレなクリスマスイルミネーションで華やぐ街「TOKYO」を思いっきり堪能してきました。

驚いたのは東京の街中ではまだイチョウが落葉していなくて、黄葉のイチョウ並木が健在でまるで猗媾爐澆燭い世辰燭海箸任后雪景色の狄薪澆平軍祗爐箸和膂磴い任后Iが冷たくて「寒い、寒い」を連発していた両親ですが、お日さまが出ない新潟の寒さに比べると爐忰爐任發△蠅泙擦鵑任靴拭

「年内にはぜったいにお盆の里帰りをするぞ!」という目標を達成し、両親と水入らずに過ごし、やりたかった事を全部やりつくして大満足(大満腹?)のうちに新幹線で帰ってきたら、新潟市内も西生寺も初めての本格的な積雪となっているし、体が固まってしまうくらいのハンパない寒さに猖困譴けていた現実爐鯑佑付けられました。

「やっぱりこっちは気候が過酷でめっちゃ寒いし、温暖な関東に比べるといろいろとハンデが大きいなあ」とあらためて感じ、「でも自分が選んだ道なのだからこっちで生きていくしかないんだ」みたいな、新潟の暗い冬が苦手(大嫌い)でいつまでたってもこっちの寒さに慣れてくれない関東生まれの自分を再確認しました。

というわけで、一足早い「夢のようなクリスマス休暇」を過ごした私ですが、いつもの「地味なお寺の日常」に再び戻ったのでした。

「お堂の大掃除」、「お正月の準備アレコレ」をしているうちに大晦日を迎え、新年に入ると元旦にご祈祷をした「御札包み」(檀信徒の方に配ります)、年始会用の「大量のっぺ作り」、檀家さんが集まる「1月3日年始会」などなど、年をまたいで忙しい日々が続きますが、久しぶりにお寺を離れ、実家の両親のもとでフル充電をした私なので、今年はいつもより元気よく張り切って年末年始を乗り切られそうです。



●画像左…再現された明治時代の銀座「中央通り」の街並み
「両国国技館」のすぐとなりにある東京都が運営をしている「江戸東京博物館」のジオラマ展示です。人力車や普通の馬車の他に、路面電車ならぬ「路面馬車」が通りを行き交っています。「前から行ってみたかった」という父と初めて行きました。てっきり常設展は犢掌融代だけ爐と思ったら、大正→昭和→戦中戦後→経済成長期→現在までもあり、想像以上に見ごたえ満点でした。

なぜか印象に残ったのが犢掌融代の通貨の単位爐任后なるほど金は「両」、銀は「匁(もんめ)」、銅は「銭」と言うことを私は知りませんでした。この日は大型バスを何台も連ねて大勢の小学生が見学に来ていました。昼食を食べた7階にある「展望レストラン(和食)」からは、目の前の「国技館」を上から眺めることができ、JR線、隅田川、首都高、ビル群、青い空となかなかの絶景を楽しめました。

●画像右…現在の銀座「中央通り」中心部の様子
オシャレなクリスマスの装飾展示で競演している世界の高級ブランド(カルティエ、ルイヴィトン、ブルガリ、シャネル)が向かい合う交差点で、ひときわ人々の目を集めていたのがこの「ブルガリ」でした。日本のブランドとしては銀座の顔「和光」も、白クマのゆるい感じが良かったです。子供のころ、サラリーマンの父にボーナスが出ると家族で銀座に繰り出し、よく連れて行ってもらった文房具の「伊東屋」もすっかりオシャレになっていました。


2016/12/01(木)
★「写経」−仏さまの教えを体感できる修行−














12月です。年賀状の注文、お歳暮を出す、来年のカレンダーを揃える、正月用品の買い出し、お堂の大掃除、来年一年分のお札作り、年始に向けての準備などなど、一年を締めくくる師走らしいアレコレをそろっと始める時期になりました。

本格的な冬(=積雪)を目前に、ニイガタはみぞれ交じりの冷たく荒れた西高東低の「冬型」の天候が多くなり、天気が良い日はとても貴重になりつつあります。けやき、桜、もみじ、イチョウなどなど、境内の紅葉した樹木のすべてが落ち上げ、晴れた日には住職とふたりで落ち葉掃きに余念がありません。

間もなく迎える「積雪」の前に落ち葉をきれいに掃いて処分しておかないと、来春の雪解けのあと、地面に越冬をした汚い落ち葉が姿を現し「なんで昨秋にしっかり掃いておかなかったかなあー」とものすごい後悔をすることになるから、これも大切な狹濟拇扠爐里劼箸弔任后(落ち葉の最後の狒躬転紊沖爐魯轡襯弌爾気鵑砲願いします)


さて、さっそく前回の「おてら通信」で紹介しました、新潟第一教区寺庭婦人会「研修会」の「◆講義」に続き、今回は「◆実修」で体験した「写経」についてお話ししたいと思います。

寺庭婦人や檀信徒にとって最も経験者が多く、最もポピュラーなのが「御詠歌」と紹介しましたが、「御詠歌」に次いで、実践人口が多いのは「写経」だそうです。

たしかに、西生寺にも写経をされた方が倏七亅爐僕茲蕕譴襪海箸じわじわと増えてきているようです。しかし私は「写経」をしたことが一度もなく、受付寺務所で倏七亅爐卜ち会うたびに、

「お寺の人間が一度も写経をしたことがないというのはいかがなものか?」

という思いがむくむくと大きくなっていました。それによく考えてみると犲矛个砲弔い討涼亮韻ゼロに近い爐海箸眸縮澄

「26年間、自分はお寺でいったい何をしてきたのだろう…」

とあきれかえるくらい長いあいだ避けて通ってきてしまった「写経」なのでした。

講義を受ける前、「写経」について自分が抱いているイメージや知っていることは以下のとおり。

・「願かけ(祈願)」のために行う(千羽鶴を折るみたいな)
・一日一枚とか写経をして数百枚単位で納経する人がいる
・心を落ち着かせる効果がありそう(茶道みたいに)
・字が下手とか上手いとかじゃない
・写経をしたら納経する

以上です。

というわけで自身の「写経無知&写経未経験問題」を克服すべく、興味津々で「研修会」に参加したのでした。

まずは「写経をする」前に先生の講義がありました。以下は「写経について」講義で学んだことです。

【写経の手引き】
◎写経とは?
仏さまの説かれた真実の教えである「お経」を書き写すことを「写経」といいます。お経を書き写すことにより、仏さまの教えを体感することができる修行のひとつです。

◎写経をするお経の種類
書写するお経でもっとも一般的なのは「般若心経」です。うすい灰色字で般若心経などの下字がある用紙に、自らの筆で下字をなぞりながら書写をしていく「なぞり写経」は初心者でも気軽に写経をすることができます。

◎いわれ
お大師さまの残された文章の中に、弘仁9年の春、天下に疫病が流行し、嵯峨天皇が「般若心経」を写経して祈願され、疫病が治まったと記されており、古くより大変功徳のあるものといわれています。

◎功徳
「所願成就」を祈願して写経をする他にも、近しい方が亡くなった時や、法事の時、あるいはお彼岸やお盆にあわせて「写経」をすることは、その功徳を精霊に回し向ける心からの祈りとなります。
また、日々の生活に追われ、いつしか悩みや苦しみの世界に取り囲まれている私たち。心を込めて、仏さまの教えを一字一字書き写していくうちに、私たちが本来持っている仏さまの心「安らかなる心」を取り戻すことができるのも犲矛个里翰益爐任后


【写経で身に付ける「5つの力」】
1、「信力」(しんりき)…仏さまの教えを信じる力
2、「精進力」(しょうじんりき)…仏さまの教えにしたがって励む力
3、「念力」(ねんりき)…仏さまの教えを持ち続ける力
4、「禅定力」(ぜんじょうりき)…仏さまの教えにより精神を統一する力
5、「智慧力」(ちえりき)…仏さまの教えを身につける力


【写経の実践】:準備
◎場所(自宅で行う場合)
写経は私たちの修行として行うわけですから、写経する場所はいわば修行の道場です。
自宅で行う場合は「仏壇」に向かって行うのが最もふさわしいのですが、なければ適当な部屋に御本尊さまの掛軸をかけ、香を焚き、灯明やお花で荘厳します。それもできなければ、静かできれいに整とんされた部屋で、ご本尊さまがいると観想して行いましょう。

◎写経をする時刻
写経には特に定められた時刻はありませんが、電話や来客、家族の団らんなど猴遒礎紊ない時爐鯣鬚院∪鼎な時刻を選ぶことが大切です。

◎用意するもの
筆&硯&墨、もしくは写経用筆ペン、下敷き、文鎮、手本、用紙


【写経の実践】:作法
◎書きはじめる前に
机の上に道具の準備が整ったら、口をすすぎ、手を洗い、心と体を清めます。
そしてご本尊さまに向かって合掌し着座(正座)します。
読経「智山勤行式」をお唱えします。
姿勢を整え「禅定」します。
大きく呼吸を2、3度してから次第に普通の呼吸に戻し、心に「ご本尊さまと私は一体である」という観想をします。
心が落ち着いたら、いよいよ筆をとって写経に入ります。

◎書き方と心構え
当然ですが、写経は「上手い下手」ではありません。
写経は一字一字をご本尊さまと観じ、写経用紙の上にお迎えし、お祀りする気持ちで丁寧に書写します。書写中は雑念を離れ、平静な心で書写します。途中で心に落ち着きが欠けたと感じた時は、直ちに筆を止め、しばらく禅定し、再び書写するように心掛けましょう。

◎書き終わったら「奥書」の書き方
写経が終われば最後に「願意(願いごと」、「書写年月日」、「氏名」等の牘書爐鬚靴泙后
写経では亡くなった方の供養や、家内安全などの犁Т雖爐鯤さまにお伝えするため牘Π扠爐硫爾法峇螳奸廚魑入します。
筆を置いたら、校正をし、間違いのないことを確認して合掌します。


【写経をお寺に納経する】
お経をお寺に納めることを「納経」といいます。書いた「写経」をお寺に納経してみましょう。
◎納経の意味
「納経」をするということは写経した人の願いをご本尊さまに聞き届けていただくことで、お納めした方とご本尊さまとご縁が結ばれることです。お納めするお寺は菩提寺をはじめ、四国霊場や、観音霊場などのお寺、あるいは有縁のお寺にお納めします。
納経することで本当の意味で写経が完結したといえます。

参拝先で「御朱印(納経帳)」をいただく場合は、写経をして納経するよう心がけましょう。
ブームが定着した感のある「御朱印」ですが、本来は、写経をお寺に納めましたという証拠の印を納経帳に押したことが「御朱印」の由来です。



さて、講義のあと、いよいよ実際に「写経」を実践する時間が来ました。

先生は「写経をすると、心が落ち着き、すがすがしい気持ちになれる」とおっしゃっています。一枚を写経する目安はだいたい30分〜40分ほどだそうです。

しーんと静まり返った部屋のなかで皆、筆をとり「般若心経のなぞり写経」がはじまりました。

書き慣れない難しい漢字が予想以上に多く、なぞり用紙とは別に用意した「見本」とにらめっこしながら一字一字書いてゆきます。きっと漢字の書き順もめちゃくちゃなのでしょうが、とにかく書写をすすめてゆき、せっかちな私は20分足らずで完了してしまいました。

初めて「般若心経の写経」をしてみた私の感想です。

「般若心経」は基本中の基本なので、我々寺庭婦人も唱え慣れているお経です。しかし、唱えるのと書くのとでは大違いでした。

書写しながら自然と心の中でおなじ部分の般若心経をお唱えしていた私ですが、書き写していると「大般若経(600巻42万文字)」をぎゅっと276文字に凝縮した「般若心経」の、ご利益のある一字一字を再認識することとなり、自分の心にもしっかりと経文を刻んでいくような気持ちになりました。

「こういうことが仏さまの教えを狢隆兇垢覘爐箸いΔ海箸覆里もしれない」

と、自分なりの結論に達したところで、先生のおっしゃっていたとおりなんとなく邪念が消えてすがすがしい気持ちに包まれたのでした。

今回、研修会で「写経」を経験してみたことにより、今後、当山に納経に来られた方に対しても狄換修┃爐違ってくるのではないかしら、と思いました。「知っている」「聞いたことがある」という「知識」も大切ですが、実際に「体験(経験)してみる」という事の大切さも学びました。

みなさんも機会があればぜひ一度「写経」を体験されてみてはいかがでしょう。



●画像左…写経セット(般若心経なぞり写経)
●画像右…寺庭婦人会研修会「写経」の様子



2016/11/14(月)
★新潟第一教区寺庭婦人会「研修会」に参加しました。














私の所属する『真言宗智山派新潟第一教区寺庭婦人会』の「秋の研修会」が新潟市内の「不動院」さまを会場に行われました。2、3年ごとに行われている秋恒例の「研修会」ですが、ここ数回は寺社仏閣を訪ねるなどの「日帰り研修旅行」でした。

今年の研修会は、総本山「智積院」の教化実践部門である、東京の「智山研修センター」より講師をお招きして「(仏教の)基本知識の講義」と「写経の実践」という爐勉強爐鮟纏襪靴親睛討任箸辰討睥匹ったです。

その理由のひとつに、新潟第一教区の寺庭婦人会員に続々と若いお嫁さんが加わったことです。

若手会員の声として、

「檀家さんにいろいろ質問されたときに答えられないから勉強したい」
「はっきりいって檀信徒の方がよっぽどくわしい」
「一度、基本をしっかりと学びたい」
「できればなにか実修もしたい」
「写経をしてみたい」

などの意見が多かったためです。こんな意見をもとに会長さんを中心に「役員会」を開き(いちおう私も役員)、

「では今回は日帰り研修旅行ではなく、本山から講師を招いて、仏教に関する基本的な事を幅広く取り上げる爐泙犬瓩癖拔会爐砲靴泙靴腓Α」

となったのでした。


寺庭婦人というのは、本山で修行をして僧侶の資格を持つほんの一部の寺庭を除いて、そのほとんどは猜教を正式に学んだことがない人爐任后

何かしらのご縁により、僧侶の夫に嫁いでいきなり寺庭婦人となった、もしくはたまたま結婚した相手が僧侶だったみたいな感じなのに、結婚したとたんに、

「寺庭婦人としてお寺や僧侶を陰で支え、仏教や仏事の知識も身に付け、檀信徒の接待などをしてください」

ということが多いのです。

右も左もわからないだらけの中で寺庭婦人デビュー。で、檀信徒の皆さんはというと、ヒヨッコの自分に対しても最初から牋貎輿阿里寺の奥さん爐箸靴得椶靴討れるので、思いもつかないような狷餔彭戮旅發な事の質問爐鯤慎い任靴討たりして(笑)、

「どうしよう、申し訳ないけど分からない」

となります。お寺にかかってきた電話を取るのも怖くなってしまいます。

「そんなことは、僧侶のだんなさまに聞けば良いのでは?」

との声が聞こえてきそうですが、意外とそこら辺は、夫婦・家族というものは、めんどくさがるというか、感情的になるというか、こちら側のあまりに爛描膿佑垢る質問爐法屬修鵑覆海箸眞里蕕覆い里」みたいになってしまうのです。


というわけでベテラン寺庭から若手寺庭まで幅広い寺庭婦人が会場の「不動院」さまに集まり、以下の内容「◆講義」と「◆実修」の2本立てで「研修会」は行われました。

****************************◇研修会◇******************************************
【講師】:真言宗智山派「智山教化センター」非常勤講師「妙法院」住職 塩地義法師

◆講義:「本山の強化目標、年次教化目標」について
本山の教化目標:『生きる力〜安らかなる心をともに〜』
→教化年次テーマ:「仏さまに祈る」(智山勤経式・巡礼・遍路・団参)
→教化年次テーマ:「仏さまと出会う」(写経・写仏・御詠歌・阿字観)

◆実修:「写経」般若心経(なぞり)写経
********************************************************************************

初体験となった「写経の実修」や「写経について」はあらためて次回、ご紹介したいと思いますので、今回は「◆講義」で学んだことを、先生のお話やいただいた資料をもとに簡単にまとめたいと思います。それではどうぞ。


『本山の教化目標』というのは、3年ごとに変わります。我々寺族が学ぶ意義としては、自身の啓発はもちろんのこと「仏さまの教え・仏教の教え」を檀信徒の皆さんに対して広く伝えていくことにあります。

ではさっそく講義の柱となる、

本山の教化目標『生きる力〜安らかなる心をともに〜』とはいったいどういう教えなのでしょう?資料ではこう記されています。

『― 仏さまに祈り、仏さまに出会う中で、私たちは安らかなる心を感じます。仏さまに見守られながら、安らかなる心を多くの人たちと分かち合えば、苦しいことや悩みを乗り越え、生きる力があふれてきます―』

つまり、

「仏さまに祈り、仏さまに出会って、生きる力、安らかなる心を得よう!」

ということです。

では具体的に猜さまに出会うために牴燭鬚垢譴个茲い里任靴腓Α

その犇饌領祗爐魘飢叔次テーマ『仏さまに祈る・仏さまと出会う』で提案しています。
(※年次テーマとは、3年ごとの教化目標をもとに1年ごとに設定されたテーマです)

≪仏さまに出会うために≫
1、 お仏壇の前で「智山勤行式」をお唱えしましょう。
(※「智山勤行式」とは誰でもお経を唱えられるように、十善戒・般若心経・光明真言などをセットにしたもの)
2、「巡礼・遍路・団参」で本山や霊場をお参りして仏さまやお大師さまを体感しましょう。
3、「写経、写仏、御詠歌、阿字観(瞑想法)」などを実践して仏さまの功徳をいただきましょう。

仏さまに祈り、これらのことを体現(=実践)することにより「仏さまに出会って、生きる力、安らかなる心を得よう」ということなのでした。


特に今回の「研修会」では、実践している檀信徒も多い『御詠歌・写経・写仏・阿字観(瞑想)』についてさらに詳しく学びました。

ひとことで言うとこんな感じです(↓)。

◎『御詠歌』…(仏さまの教えをやさしい言葉と美しい旋律でお唱えする)
◎『写経』…(仏さまの言葉、教え(経)を書き写すことで功徳をいただく修行)
◎『写仏』…(仏さまの御姿を書写することでその功徳をいただく修行)
◎『阿字観』…(弘法大師さまが誰にでもできる修行として説かれた「密教」の瞑想法)


寺庭婦人や檀信徒にとって最も経験者が多く、最もポピュラーなのが「御詠歌」です。本山のデータでは犹庭婦人の3人にひとり爐御詠歌をしているそうです。

また、「御詠歌」は寺庭婦人が師範(資格をとる)というパターンも多く、寺庭婦人が自坊を会場に、定期的に「遍照講(御詠歌教室)」を開いていることも多いです。当山の住職も師範なので毎月28日に、兼務するお寺「弘願寺」(新潟市内)で、信徒のおばあちゃんたちを集めて遍照講を開催しています。

私は「御詠歌」、「写経」、「阿字観」は経験がありませんが、「写仏」は以前の「寺庭婦人会研修会」で体験したことがあります。

最後の「阿字観」は爐△犬ん爐汎匹澆泙后J垢慣れない方もいらっしゃるのではないでしょうか。この「阿字観」は狄晋戚教独特の瞑想法爐任后M名なのは、曹洞宗の「座禅」ですが、同じように座禅をして瞑想をします。

大きな違いは「座禅」は狄瓦鯡気砲垢覘爐里紡个掘◆岼せ観」は「阿」という字を意識して呼吸し、宇宙の大日如来さまとひとつになるという瞑想法です。

いま世間ではちょっとした「瞑想ブーム」なので個人的に阿字観は気になりますね。

研修会では、御詠歌、巡礼遍路などの種類別に「教化年次テーマ説明パンフレット」をたくさんいただきました。どれもこれもイラスト&写真満載で、仏教を体感するための基本的な事が分かりやすく説明されています。

一冊ずつじっくりと読み返し、脇目もふらず、雑念を取り払い、真剣にこの冊子と向き合い、内容をすべて身に付けることができたなら犧廼の寺庭婦人爐砲覆譴襪海抜岼磴い覆靴任垢諭次

以上さくっと「◆講義」のお話でした。



●画像左…智山派教化センターより派遣された講師の塩地先生
東京にある真言宗智山派「智山教化センター」は、檀信徒の教化育成や、本派僧侶や寺庭婦人を含めた寺族のための「学びの場」です。そこで教える講師陣もみなさん本派の僧侶です。オープンキャンパス的に、自分が学びたいテーマの講義や実修があると、全国から倏心な僧侶や寺庭婦人爐集まります。私も参加してみたいと思っていますが、残念ながらなかなか時間がとれません。

●画像右…研修会終了後の「懇親会」の様子
ふだんは自坊にこもりがちな寺庭婦人。1年に1度か2度しかないこういった集まりは、互いに日ごろの労をねぎらったり、同じ寺庭だから話せる悩みやギモンなどを気さくに話し合ったりと狢臉擇幣霾鷂魎垢両讚爐任發△蠅泙后C棒ただひとりの塩地先生は犹澆泙蕕婿庭の本音トーク爐紡个掘∪鼎に目を伏せておられました(笑)。


2016/11/01(火)
★秋たけなわの西生寺(続)近況報告














収穫の秋、食欲の秋、行楽の秋、スポーツの秋、芸術の秋ときて、いよいよ紅葉の秋が始まりました。新潟県を代表する『弥彦神社』では今年も11月1日より、盛大に『菊まつり』が開催されています。

樹木に囲まれた境内で、紅葉のトップバッターである「けやき」は早くも落葉が始まっています。晴れた日には広い駐車場にキツネ色のじゅうたんみたいになっている爐韻笋の落ち葉掃き爐日課となりました。紅葉の王様「もみじ」も色付き始めましたが、今年はうちのもみじはちょっと残念な状態になっています。

それというのも、初夏くらいから境内の「もみじ」が虫にやられ、部分的に枯れてしまったのです。庭師さんによると「ここのもみじはまだマシ」だそうで、町中(まちなか)のもみじは全滅した所もあると言っていました。「松喰い虫で松が全滅した時」みたいに全国的に爐發澆幻呂讚爐発生しているそうです。


そうそう犲穫の秋爐箸い┐仞萋、新潟県が米どころ日本一の威信をかけて開発した、話題の高級新品種米「新之助」をついに食べました。なんでも有名ブランド「魚沼産コシヒカリ」と同等か、それ以上の格付けをねらっているらしいです。

来年の全国デビューに先駆けて今年、県内など一部で犹邯拡稜筬爐始まったものの、行列ができて連日あっというまに完売が続いている犖犬里米爐任后「我々の口に入ることはないのかな?食べてみたいな新之助…」とさみしく思っていたら、おすそ分けをいただいたのでした。

ぜったい一度は食べてみたかった「新之助」の味はいかに?

新潟県知事さんが「お祝いなど特別な時に食べてほしいお米です」と力説していたとおり、文句なしにおいしいお米でした。食べ慣れている県産コシヒカリとの違いは、

・より粒が大きいので口の中で米粒の存在感がしっかりと感じられ噛みごたえがある、
・コシヒカリとは違う食感でもっともっちり感(やはり粒が大きいから?)がある、
・冷めた時の甘味がすごい!

好みの固さで炊いた「新之助」は、おかずと一緒に食べるのがもったいないくらいの美味しさでした。もしかしたら我々はふだん新米ではなく犁酣のお米爐鮨べているからなおさら美味しかったのかもしれません。。。(古米、まだけっこう残っています)


というわけで、早いもので今年も残すところ2ヶ月を切りました。今年の私たち夫婦は、認知症を患った長老・園子ママの見守りや介護、書類申請に明け暮れて今日です。

それにしても阿刀家にとって今年は爐なりの激動の年爐箸覆辰討い泙后

前回9月の「近況報告」でもお伝えしましたが、もっと詳しくお話ししますと、じつは、アルツハイマーの園子ママは、8月末に家の中を徘徊中に転倒して寝たきりとなり、さらに無理やりトイレに行こうとしてもう一度転倒、完全に動けなくなり、救急車で病院へ運ばれ、「背骨の圧迫骨折」という結果が出てそのまま入院となったのです。

しかし骨折は治らず、自力での歩行が困難となった母は「車椅子生活」となりました。

段差だらけの建物と建物が、段差のある廊下でつながっているようなお寺での「車椅子使用」は無理なので犲村楚欧燭り爐箸覆辰娠犹劵泪泙硫雜遒箸父さんのお世話、お寺の仕事の両立には限界があり、夫婦で話し合った結果、先月、認知症専門フロアのある「介護施設」へ母は入所しました。

(お母さんは、なぜ自分は車椅子なのか?なぜ自分はここにいるのか?そもそもここはいったいどこなのか?など毎日がギモンだらけの中(説明しても2分くらいで忘れる)、少しずつですが新しい環境に慣れてきたようで、最初目も合わせなかった同じテーブルの入所者の方ともおしゃべりをするようになりました)


入院した園子ママに我々が集中していた矢先、なんと長老のお父さんにも異変が。母が入院して間もなく、長老は大きな「脳梗塞」を起こしてしまい、体にマヒは出なかったものの、軽い失語症を発症し、無気力系の認知症(脳血管型認知症)がいっきに進んでしまったのです。

以来お父さんは「お父さん、○○しますよー」と声をかけないかぎり、1日ぼーっと静かに自分の座イスにすわっているだけで、身の回りのことが一切何も出来なくなり、フル介護みたいになってしまいました。(自力でなんとか歩けるのが救いです)

だけど、壮絶系だった園子ママの時と違って、私たちにあまり悲壮感はありません。なぜなら、認知症悪化でお父さんは、ますますおだやかになり、すっかりカワイくなってしまったからです。なんというか猝される爐箸いΩ斥佞ぴったりな感じです。

自分から話すことはありません。私が言った事に「いやだ」と拒否をすることは一度もなく、少し疑問に感じた時は「おや?」と言うだけで、たいていは「はいっ!」と元気よく返事をするお父さんは、聞き分けの良い子供みたいです。

世間話みたいな会話には「そうか」「そうだな」と相づちを打つのだけど、犹弭庸塾廊爐まるっきりダメになったみたいで、お父さんの考えを問うような質問をすると、おどけた声で「わかりゃ(ら)ない」、「にゃにも(なにも)わからない」と言うだけです。

(ちなみにお父さんは、住職のことも私のことも愛猫タビーのことも「ポチ子」と呼びます)


そんなこんなで、今年に入ってこれまで2年以上続いていた猊稱譴慮守りやお世話爐、あれよあれよといううちに猖楹陛な介護爐悗反覆漾∧譴療湘歹院と入所、子どもに還った父の介護など、我々夫婦もびっくりの激変ぶりなのでした。

こんな状況なので、今年の私の時間は見事なまでに「お寺の仕事」と「父母中心」に回っています。本物の休日というのは結局一日もなく、図書館にも行けなくなり、実家に里帰りもできぬまま犹弔蝪殴月爐箸いΥ兇犬任后


でも「今年はもう仕方がない」と、とうの昔にすっぱりと爐△らめている爐里猫爐っかり感爐呂△蠅泙擦鵝9睥陲納活できなくなった長老と園子ママのことを最優先とするのが、何よりも我々夫婦がやるべき事であるのは間違いのないことで、

「長い人生のなかでは、夫婦の歴史の中ではそういう年(期間)もあるものなのだ」

と理解しています。

お父さんが元気なころ、食卓でよく私に「爐△らめる爐箸廊猝世蕕に極める爐箸いΔ海箸覆鵑世茵あきらめる事はちっともマイナスじゃないんだよ」と話してくれました。どんな時も常にポジティブだったお父さんの言葉が、今の私の心の支えになってくれています。

まあ、外出は自由にできないけれど、毎日の私の楽しみなひととき、大好きな「新聞」だけは毎日ゆっくりと寺務所で読むことができているのでそれだけで充分です。適当に手抜きをして、適当に身の回りに楽しみを見つけ、夫婦仲良く「お寺暮らし」を送りたいです。



●画像左…ツルに実っている「ムカゴ」
住職がいまハマっているのがなぜか「ムカゴ採り」。弘智さまの御開帳で「弘智堂」へのぼるたびに、どこで採っているのか作務服のポケットに、丸々と太ったムカゴをいっぱい忍ばせて寺務所に帰ってきます。(お父さんも子どもみたいと思ったら、住職も子どもみたいです(笑)。)今年のムカゴは粒が大きくて、新じゃが小芋クラスの大きさのもあります。

「塩ゆで」にして食べると、草っぽいような土っぽいような風味と、固めのねっとりほくほく感がたまらなくおいしいですが、私たちの一番のお気に入りは「ムカゴ飯」です。素朴な山の味がなんともいえません。そういえば園子ママは「キノコ採りの名手」でした。秋になると朝、「いてもたってもいられない」とひとりで弥彦山に入り、かごいっぱいにキノコを採ってきたことをなつかしく思い出しました。

●画像右…「泰山木(タイザンボク)」の花の、さらにその後
梅雨の6月から一ヶ月間、これまでにない超当たり年で、芳香な香りと美しい白い大輪の花をたくさん咲かせてくれた、経過観察中の例の「泰山木の花の実のさらにその後」です。

なんと最近になりヘアースタイルの部分が割れて狎屬ぜ造出現爐靴泙靴拭(わお!)予想をはるかに超えたダイナミックな展開に大よろこびの私。私の予想はヘアースタイルの部分がもっと大きく成長すると思っていたのですが、こうきましたかーって感じです。赤い実は犲鎰爐任茲蹐靴い里任靴腓Δ、種ということは将来的には犲き(まき)爐靴ないでしょ!ワクワクするなあ。


2016/10/16(日)
★大好きな国タイ「プミポン国王」の御崩御














タイのプミポン国王が御崩御されました。まずは心からご冥福をお祈りいたします。

生まれて初めての海外旅行(いわゆる新婚旅行)でタイを訪れた私は、タイの魅力に取りつかれ、以来26年間、多い時は年に3回も、飽きずに合計数十回もタイを訪れ、タイ人やタイが大好きになりました。

今では勝手にタイを「第二の故郷」と思っているほどの私は、プミポン国王の死に少なからずの衝撃を受けながらこれを書いています。


「ついにこの日がきてしまった…」というのがタイ国王の死去をニュースで知った時の私の気持ちです。

なぜならタイ人にとってプミポン国王の存在は、日本の天皇陛下とは比べものにならないほどに大きいものだからです。

タイに滞在するたび、外国人旅行者であっても絶対に無視できないのが「タイ王室」の存在です。

タイ人は「王室」を、自分たちタイ人の誇りとして敬うと同時に、とても身近な存在ととらえています。そして隅から隅までタイ国中を視察してまわり、困っていることはないか、民衆の声に耳をかたむけ、困窮を救おうと心を砕かれてきた王様(プミポン国王)のことは皆が大好きです。


日本の皇室や、天皇皇后両陛下も日本国民に十分敬愛されていると思いますが、それは日常においては、各自が心の中にそっと抱いているものであるのに比べ、タイでは王室や国王に対する敬愛の思いは、国、個人に関わらず、思いっきり分かりやすく明瞭に、視覚的に、鮮やかに豪華に表現されています。

都会&地方の田舎どこへ行っても、公共施設やその町の中心交差点、市民公園などには犢餡Δ伐θ泙並ぶ大きな肖像画爐飾られ、王室の黄色い旗や国旗がはためき、何か特別なお祭りがあるのではないかと思わせるくらい常に派手派手アピールです。

テレビでは毎日犧Fの王室の動向爐鯤送していますし、商店や家、車内には仏教の祭壇や名僧のお守りと一緒に、国王やロイヤルファミリーの写真を飾るのは自然なことです。さまざまなサイズやポーズの王室一家の写真や肖像画などを売る「王室グッズ専門店」もあります。


国王に対して敬愛と絶対的な信頼を寄せるタイの人々、国王が病気になられたことをまるで身内の事のように心から心配するタイの人々、「タイバーツ紙幣」もすべてプミポン国王で爐札の折り方爐癲峭餡Δ隆蕕鮴泙蕕覆い茲Δ法廚筏い鯢佞韻討い襯織た佑發い襪曚匹任后

タイ人にとってプミポン国王はそのような絶対的な存在であることを肌で感じている私は、大好きだった自慢の国王を失ってしまったタイの人々の深い哀しみを思うと、気の毒で気の毒で仕方がありません。

プミポン国王が死去された悲しみもありますが、どちらかというと私は、大好きなタイの人々がかけがえのない大切な人を失い、とてつもなく深い悲しみに打ちひしがれていることの方が、より胸がしめつけられている感じがします。

実は日本人に比べて悲しみには打たれ弱いタイ人…

タイ国民は初めて経験するこのとてつもなく深い哀しみに耐えられるのか?
国じゅうが哀しみに沈み、国王を失った喪失感でタイランドは沈没してしまうのではないか?

26年前、初めて夫とタイのバンコクを訪れた日(12月5日)は、ちょうどプミポン国王の誕生日でした。「王さま、長生きしてください」という垂れ幕や立派な肖像画などの飾りに、クリスマスイルミネーションが加わり、市内中心部を流れるチャオプラヤ川の王宮近くで、夜に盛大な打ち上げ花火が何発もあがったことをふと思い出しました。

国王の誕生日を明るく陽気に祝う、お祭りムードの南国首都バンコクの熱気は、海外初体験の私を圧倒しました。その後タイに通うようになると、広大な「王宮前広場」を散歩中に、王宮を出入りする白いロールスロイスに乗るプミポン国王を何度がお見かけした事もあります。


タイの皆さんがこの哀しみを乗り越え、国内が乱れることもなく、再びマイペンライ精神で元気いっぱいの「ほほえみの国タイランド」に戻ることを、タイを愛する人間のひとりとして願ってやみません。



●画像左…バスのフロントガラスに貼られた「プミポン国王と愛犬のポスター」
タイでは、毎年12月に国王から国民にむけて「メッセージカード」が発表されます。国民の間でも有名な王様の愛犬トンデーン(左)とマリー(右)と一緒に写ったこのカードは特に人気が高く、今回の国王死去により王宮に詰めかけたタイ国民の中にも、このカードを手に掲げる人が多くみられました。

●ラオス国境の町ナコンパノムのメコン河遊歩道にあった「巨大な国王の垂れ幕」
この垂れ幕、人の背丈の倍くらいあります。大きな大きな王様のお顔、なんともいえないやさしい表情がとても印象的で「タイ人て本当に王様が大好きなんだなあ」と思いました。(いま見るとちょっと泣けてきます)

一年間喪に服すということのようですが、何年前だったか、プミポン国王の母親が亡くなった時は、大手スーパーのレジ袋も真っ黒になり「徹底しているなあ」と驚いたことがあります。


2016/10/04(火)
★弘智法印即身仏さまの祥月命日「10月2日」














10月2日は弘智法印即身仏さまの祥月命日、つまり弘智さまが御入定された日でした。今から653年前の1363年10月2日に、弘智さまは3000日に及ぶ厳しい修行を終えて、即身仏になるために入定されたのです。

毎年この日は弘智さまを偲ぶ爐祭りの日爐箸靴涜爾諒や檀信徒が集い、一日にぎやかに「弘智講」が行われてきました。昔は前日から大勢の信者さんが爐籠り(本堂に宿泊)爐鬚靴浸代もあったといいます。

そして今年、初めて「弘智講」をお休みしました。

夏に檀家総代さんと話し合った末「今の時代に合った弘智講に見直そう」ということになり、とりあえず、今年だけはお休みをして来年の「弘智講」は爐泙辰燭新しい形でスタートする爐海箸箸覆蠅泙靴拭

弘智さまが即身仏となられてかれこれ数百年。江戸時代ごろから「弘智講」は行われてきたようです。たぶん「弘智講」が行われなかった年は無い、と言ってもいいくらい毎年のように行われてきたとても大切な行事です。

それなのに、我々の代に一時的にせよ爐休み爐鬚垢襪海箸砲覆辰燭海箸砲弔い討蓮弘智さまに申し訳ない気持ちや、後ろめたさ、さみしさも正直ありました。

しかし爐海譴泙任旅庵匚屬虜澆衒爐任蓮△舛腓辰噺続Δ魎兇犬討い燭里盪実なので(参拝者の高齢化で年々参加が減少など)、仕方のないことかなと今は思っています。


という事情によりまして、今年の10月2日の弘智さまの御命日は、住職と私の2人だけで「弘智堂」でひっそりとお経をあげました。

題して『西生寺住職と住職夫人 ふたりで弘智さまを偲ぶ会』です。

10月2日早朝、特別に新米を炊き、日ごろの感謝を込めていつもより手間ひまかけて作った「霊供膳(おりいく)」を手に、秋の虫たちが夜の続きでチッチッチッとひかえめに鳴くすがすがしい空気に包まれる境内を、住職とふたり「弘智堂」へ向かいました。

前日にお花やお供物を供え、お掃除を済ませておいた「弘智法印即身仏霊堂」へ入り、お灯をつけたあと、弘智さまが御安置されている「お厨子」のすぐ下に座り、読経をする住職のとなりで一緒に祈りました。

思えば「弘智講」の日の私は一日中、受付寺務所と台所、庫裡や会場の客殿を行ったり来たりのあわただしさで、こうやって心静かに弘智さまと向き合い、手を合わせて祈ることなどありませんでした。

下りていた御簾(おみす)が少しずつ上がり、端座をした弘智さまの御姿が現れると、いつも私は緊張で爛優海魔砲泙譴織優坤澂爐澆燭い妨任泙辰討靴泙い泙后

なぜなら、弘智さまは犹笋瞭頃の行いやダークな?胸の内狒瓦討鮓透かしていて、誤魔化しようがないからです。

「本当にそれで良いのか?」
「真心を尽くしているか?」
「物事に真摯に向き合っているか?」

(!? )

「無駄使いをしているようだな?」
「料理が近ごろ手抜きじゃないのかね?」
「飼い猫タビーをたたいちゃダメでしょ」

(むむむ、弘智さまするどい…)

そして、

「いろいろあるだろうが精いっぱい努めなさい。これからも私が見守っているから」

このように結婚いらい私は、弘智さまに叱咤激励されっぱなしです。

実際に私は、さまざまなピンチの場面で「大丈夫、弘智さまが見守ってくださっているからぜったいに大丈夫」という思考パターンで何度も救われています。

そんな風に思うと、心の波風が止み、弱っていた心が不思議なくらい強くなれるのです。何の根拠もないけれど、これが爐歓心爐箸いΔ發里覆里世隼廚い泙后


住職も私も、ご因縁によりこの西生寺と弘智さまをお守りしてゆく使命を背負った寺族として、これまでも代々そうであったように、これからも精いっぱいお守りをしてゆくことを改めて誓い、

「何があっても、弘智さまが良い方向へ導いてくださり、ぜったいに乗り越えていける」という思いを胸に、澄みきった心で弘智堂を後にしました。



●画像左…「弘智法印即身仏霊堂」
弥彦山の中にある西生寺の諸堂のなかでも一番高い場所に位置する「弘智堂」は、石段を登った先にあります。密彫(みつぼり)や籠彫(かごぼり)の彫刻が見事な弘智堂正面。

堂内は狆敷き爐覆里任世辰らできます。昔、参拝者がいちいち靴を脱ぐのは大変だからと、畳敷きをやめて「板張り」にして内陣以外の堂内を狹畋爐任△れるようにした時代があります。しかし弘智さまがその事をとても嫌がったので、それ以来ずーっと畳敷きです。

考えてみれば、自分の家に他人が土足で上がり込んできて平気でいられる人はいないのと同じく、弘智さまにとっては「弘智堂が自宅」なのだから、嫌がるのも当然なのかもしれません。


●画像右…弘智堂「内陣の様子」
電灯をつけず、やわらかいローソクの灯明のみで、鮮やかに浮かび上がった「錦の御簾(みす)」。このお御簾の向こうに弘智法印即身仏さまがおられます。

弘智さまについて関心を持たれた方は、当サイトの『弘智法印即身仏』のページをどうぞご覧ください。(弘智さまは日本最古の即身仏です。時代が古いので(鎌倉末期)残された記録も少ない中で知り得たことすべてを記したつもりです)


 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
;">◆即身仏霊場西生寺 TOP◆
[TOP]
shiromuku(hu1)DIARY version 3.10