西生寺 おてら通信

◆即身仏霊場西生寺 おてら通信◆

このホームページを制作管理しておりますわたくし、住職の妻によって発信されるページです。西生寺からのお知らせや、お寺での暮らしの中で感じた事、お寺とは全く関係のない話など、肩の凝らない内容を毎回少しづつ、気ままに更新していく予定です。


2017/07/16(日)
★「大般若法要・先祖水子施餓鬼総回向」の御礼














西生寺の大切な年中行事「大般若祈祷会(大般若転読会)」と「施餓鬼会(先祖総回向法要)(水子合同供養祭)」が7月15日(土)に執り行われ、おかげさまで無事に終わりました。

事前にご祈祷や供養等のお申込みをされた方、当日参拝に来られた方、みなさま本当にありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。

今年は3連休の初日ということで、午後の法要が始まる時間になると、会場の「客殿」は休日を利用してお参りにきてくださった方で満員の状態となりました。堂内をよく見ると、テレビ局の撮影隊もいます。

11名の僧侶と、子どもからお年寄りまで猩啓稈暴爐大集結した会場でまず始まったのが「大般若経転読」によるご祈祷です。

僧侶ひとりひとりが迫力満点の大きな声で、大般若経を一冊ずつ転読する声が堂内に響きわたり、僧侶の前にはご利益のある犒佚気麟霽爐砲△燭蹐Δ函入れ替わり立ち代り人々が行き来して、堂内は熱気であふれ狢臠娘稙汎鱈爐龍気に包まれました。

午後2時半からは「お施餓鬼」による供養の法要です(水子合同供養祭)。

ご先祖さまや水子さまのご供養を行います。お申込みいただいた全ての方の名前が書かれた狹稠漫覆箸Δ弌豊爐髻⊇賛Δ一枚一枚読み上げたあとに全僧侶で読経をします。

午後3時半すぎに全ての法要が終了しました。

エアコンもない屋内での法要なので、高温が心配されましたが、カンカン照りではない倏曇り爐療係にも助けられ、庫裡やお堂の窓という窓をすべて開け放ち犲然の風頼み爐箸い昔ながらのスタイルで今年もなんとか乗り切りました。

暑い中、みなさま本当にごくろうさまでした。



●画像左…「大般若祈祷会」の様子
ちょっと変わったお経スタイルの「大般若」の様子。堂内の熱気が伝わるでしょうか。

●画像右…「施餓鬼会(先祖水子総回向法要)」の様子
当日や、事前の「郵便振込」などでお申込みをされた方の名前が書かれた「お塔婆」を、一枚ずつ読み上げている住職の様子です。台の上に積み上がっているのが「お塔婆」です。今年もたくさんのお申込みをいただき本当にありがとうございました。


2017/07/05(水)
★7月15日(土)「大般若法要・先祖水子合同供養祭」のご案内














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西生寺の大切な年中行事のひとつ「大般若祈祷会」と「施餓鬼・先祖水子総回向法要(合同供養祭)」が7月15日(土)に今年も開催されます。大勢の僧侶より読経していただき、水子精霊やご先祖さまを供養する法要や「大般若六百巻」による所願成就の大祈祷会が厳修されます。

予約も必要ありません。どなたでも気軽にご参加いただけますので、ぜひお参りください。(小さなお子さんも大丈夫です)(服装は普段着で大丈夫です)

なお当日「ご供養」や「ご祈祷」をお申込みいただく方は、午後1時半までにお越しいただき「庫裡の受付」にてお申込みください。
ぜひこの機会にご参加いただきたくご案内申し上げます。

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【日時】:7月15日(土)
【時間】:午後1時「ご法話」
午後2時「大般若祈祷会」
午後2時半「施餓鬼・先祖水子総回向法要」
〜午後3時半終了
【受付】:西生寺「庫裡」(ご祈祷・ご供養を当日お申込みになる方)
【会場】:西生寺「客殿」

【塔婆料(御供養料)】:(先祖供養、水子供養など一件につき)2,000円
【大般若祈祷会祈願料】:(一件につき)2,000円
家内安全・病気平癒・交通安全・身体健全・商売繁盛・開運満足
厄難消除・合格祈願・学業成就・安産祈願・家門繁栄・その他

【お問い合わせ】:0258−75−3441
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早いもので、もう一年も折り返しとなりました。例年どおり倏澑の真っ只中爐悩Gも大般若を迎えます。今年の7月15日(土)は爍穫休の初日爐箸いΔ海箸如当日は仕事がお休みという方も多いのではないでしょうか。平日開催の時よりも多くの方のお参りがありそうな予感に、住職も私もはりきって準備をしています。


ところで1年に1度、たくさんの僧侶が集いこの日行われる『大般若会祈祷会(大般若転読会)』と『施餓鬼会(先祖水子総回向法要)(水子合同供養祭)』とはいったいどんな法要なのでしょう?

昨年も書きましたが、今年も爐修譴召譴遼〕廰爐砲弔い栃かりやすく説明してみたいと思います。意味を知るときっと面白いし、仏教のことや仏事がもっと身近に感じられたらうれしいです。


まずこの日の法要は大きく爍欧牒爐吠かれます。

1、『大般若転読会』(だいはんにゃてんどくえ)、または『大般若会』(だいはんにゃえ)
2、『施餓鬼会(せがきえ)』または『お施餓鬼』による『先祖・水子総回向(えこう)』

です。

そして猖〕廚亮膸櫚爐癸欧弔吠かれます。

1の『大般若会』がご祈祷。
2の『お施餓鬼』はご供養 です。


では各法要についてもうすこし詳しく書いてみます。


◆1、『大般若転読会(大般若会)』※ご祈祷

「ご祈祷」は現世を生きる私たちに対して行う法要です。「所願成就」、「家内安全」、「病気平癒」、「開運満足」などなどさまざまな願いを祈願する法要です。「厄除け」もご祈祷です。

一年に一度行われるこの「大般若会」の法要はちょっと変わっています。「十六善人さまの掛軸」をご本尊として祀り、全部で600巻、42万文字もある「大般若経」を狹焼鼻覆討鵑匹)爐垢詼〕廚任后

「大般若経」は仏教発祥の地爛ぅ鵐畢爐謀舛錣辰討い拭▲汽鵐好リット文字で書かれた経典です。後に三蔵法師さま(あの「西遊記」の三蔵法師さまです)が中国に持ち帰り、4年をかけて漢字に翻訳、それが日本に伝わり、真言宗(密教)や禅宗などの多くの寺院で「大般若会」が行われるようになったのです。

法要では、10名以上のお坊さんで手分けをして「大般若経全600巻」を一冊ずつ、迫力のある大きな声で勢いよく狹焼鼻覆討鵑匹)爐靴討います。経本をバサバサと上から下へ転読する時に起こる獻霽爐砲聾耆益があり、この梵風にあたると無病息災でいられるといわれています。

「もし、全600巻を転読ではなく、一巻ずつ読経していったらどれくらいの時間がかかるのかなあ?」とは素朴なギモン。「経典」はどれもありがたいものですが、600巻でようやく完結するなんてお経は他にはありません。

ちなみに我々にもっとも馴染みの深いお経『般若心経』は、この42万文字の「大般若経」を、276文字にぎゅっと凝縮したお経といわれています。


◆2、「お施餓鬼(せがき)」による『先祖・水子総回向法要』※ご供養

「ご供養」は水子さま、亡くなった方、ご先祖さまのために行う法要です。ご供養をする内容によって「お経」や「方法」はいろいろとあります。そのなかのひとつが「お施餓鬼」です。文字どおり、飢えと渇きに苦しむ世界牴邉監鮫爐砲い襦峅邉粥廚法峪椶后弑〕椶任后

餓鬼道にいる「餓鬼」はノドが針のように細く、口から火を吐くため、食べ物が燃えて食べられず、飢えのためにお腹だけが膨らんでいます。私たち自身にもある爐爐気椶蠅凌喚爐鯣疹覆掘苦しみの世界にいる餓鬼を餓鬼道から救うのが「お施餓鬼」です。

そして「お施餓鬼」により得られる犖徳爐髻∨瓦なった方やご先祖さま、水子さまに「回し向ける(=回向(えこう)」ので「施餓鬼総回向」などと呼ばれます。

法要では、餓鬼に飲食を施すための「施餓鬼壇(せがきだん)」を設け、弘法大師さまが唐より持ち帰った「経典」をもとに、こちらも大勢の僧侶により読経が行われます。

それにしても「何の関係もない餓鬼に何でわざわざ施すわけ?」という疑問が浮かぶ方もいるかもしれません。

餓鬼に施すというのは爐垢戮討里發里吠けへだてなく施す爐箸いΠ嫐が込められています。

ご先祖さま以外にも、自分とは直接縁のない人や狒瓦討領遏併鯵λ霊)を、分けへだてなく供養することにより、爐茲蠡腓な功徳爐得られるとされています。その爐茲蠡腓な功徳爐髻∨瓦人や水子さま、ご先祖さまに回向するのです。

さらに「お施餓鬼」の功徳は、自分自身にも、現世に生きる私たちのご利益(りやく)にも実はつながるのです。

自らの悪い因縁を消し去ったり、さまざまな災いや病気を払ったり、開運を招いたり…。お施餓鬼による功徳は狃笋蟆鵑辰銅分のためにもなる爐箸いΑ△箸討發△蠅たいものなのです。

「お施餓鬼」はお盆の法要、または施主の依頼によりお葬式、法事などでも行われます。



以上です。7月15日に開催される爍欧弔遼〕廰爐蓮△佞世鵑覆なか出会うことができない爐箸討發△蠅たい大法要爐世箸いΔ海箸お分かりいただけましたでしょうか。都合のつく方は、ぜひ爍欧弔遼〕廰爐砲柑臆辰気譴討澆襪海箸鬚すすめいたします。




●画像左…「大般若転読会」の様子
大勢のお坊さんで手分けをして「大般若経全600巻」を一巻ずつ、迫力のある大きな声で勢いよく転読してゆく一年に一度の祈祷法要です。お坊さんの前にある「桐箱」が経典をおさめている箱で、ひとつの箱にだいたい50冊の経典が納められています。

●画像右…お施餓鬼のための「施餓鬼壇(せがきだん)」
「お施餓鬼」では、餓鬼に飲食を施すために「施餓鬼壇」を設けます。正面と四方に五色の「施餓鬼幡(せがきばた)」を飾り、檀上に用意するのは「三界萬霊」と書かれた牌、花、水、果物、野菜、ご飯、おまんじゅう、霊供膳などです。


2017/06/24(土)
★飼い猫vsケモノ、そして「捕獲大作戦」














昨年はこれまでにない狡凝たり年爐如香りの良い白い大輪の花をぽんぽん咲かせておおいに盛り上げてくれた境内にある一本の泰山木(タイザンボク)。

あれだけ咲き乱れたのだから「今年はきっと爐休みの年爐念賣悗盧蕕ないかもしれないなあ」と思っていたら爍気牒爐皀椒鵐椒鵑舛磴鵝福瓩弔椶漾砲鬚弔韻討れました。いま、時間差で一輪ずつゆっくりと咲きはじめ、残すところあと2輪、毎日愛おしく見守っています。

泰山木の最初の一輪が咲き始めた6月初旬だったか、夕方からの猝邀鯵萋悪爐鬚靴討い燭Δ舛了瑤でタビー(メス5歳)がいつまでたっても帰宅しない日がありました。「何かあったかなあ」と我々が心配していたら、日付が変わる頃にようやく帰ってきたタビーを見てびっくり仰天。

よろよろと歩きながら部屋のドアを頭で押しあけて無言で入ってきたその姿は、砂と草まみれ、体中が何かの汁で濡れていて、ものすごい臭い匂いがぷんぷんして尋常ではありません。無言のタビーは精根尽き果てたという感じでそのまま、絨毯の上にバタンと横になってしまいました。

濡れた足の毛がうっすらとピンク色になっていて「血だ!」ととっさに思った私がタビーの足に触れたら「さわるニャ」と怒られてしまいました。カリカリも食べず、水も飲まず、そのままとなりの暗い部屋の隅にヨタヨタと移動、その晩は姿を現しませんでした。

タビーの全身から激しく臭い匂いを発している牴燭の汁爐箸いΔ里廊狃叩覆韻發痢砲離シッコのようで(ネコのも臭いけれどネコ以上に強烈な臭さ)、どうやらタビーは、なにか野生動物と狢亰茘爐鬚靴読藹、ボロボロになりながらも必死の思いで帰宅したらしい、ということが分かりました。

この日から丸々3日間は、声も出さず、痛めた足を気にしながら、廊下を静々と歩くだけで一歩も外に出ようとはしなかったタビー。あれほど外が大好きなネコなのに、足を負傷し、臭いシッコを体中につけられて、よほど恐ろしい目に遭ったにちがいありません。

そんなタビーですが犇丹曚硫麌力爐覇以病院に行くこともなく、4日目には庫裡の廊下をこれまでのようにダッシュで走れるようになりましたが、外出は怖いらしく、10分もしないで急いで戻ってくる日が続きました。

そして、タビーが負傷した直後から、境内を狢腓なハクビシン爐うろつくようになりました。
もう我々はすぐに爛團鶚爐箸ました。

住職:「間違いないな。タビーはあのハクビシンにやられたんだ」
私:「だね。私が近づいても逃げないんだよ、ふてぶてしいヤツだ」

さらに事態は悪化。早朝の日課となっている境内チェックの時に「水子さまエリア」に異変が生じるようになりました。

水子さまエリアにある「小さな祠(ほこら)」の中にお供えされているぬいぐるみなどのおもちゃや飲み物、お菓子、お塔婆がほじくり出されて、祠の前の地面がこれらのモノで散乱するようになったのです。

「祠」の奥のモノまでアレコレひっぱり出しているあたり、上空からお供えの菓子をねらっている爐い弔發良徂悒ラス爐了填箸箸六廚┐泙擦鵝

住職:「たぶん、あのハクビシンの仕業だろう。味をしめて夜な夜なあさっているんだろう」
私:「タビーを痛めつけるわ、水子さまを荒らすわ、好き勝手してもう許せないっ!」


ということで我々は「オリを仕掛けてハクビシンを捕獲」してみることにしました。

とは言っても、野生動物捕獲の経験は我々にはなく、捕獲用ゲージや猜甞佑離灰牒爐砲弔い討涼亮韻眩瓦ありません。さらに少し調べてみると、ハクビシンはなかなか警戒心の強い動物みたいです。

かといってこのまま放置して、屋根裏にでも住まれたら大変なことになります。とりあえず、ネット通販で適当に「捕獲ゲージ」を注文、「エサ」はハクビシンは犂鼎な好き爐箸いΔ海箸蕕靴い里如∧拡して「完熟王バナナ」に決定。

説明書を見ながら「捕獲ゲージ」を扉が閉じるように仕掛けをセットして、見よう見まねで中に半分にカットしたバナナを吊るしていると、なぜだか二人して笑いが止まらず。

住職:「これで本当に捕まるんかいな」
私:「挑戦あるのみ!」

未経験ゆえ、自信もゼロ。すぐに捕まるか、長丁場になるか、まったくどんな結果になるのかも検討がつかないなかでとりあえず、出没地点の水子さまの「祠」の真ん前に設置してみました。受付寺務所の窓からもよく見える位置です。設置タイムは午前9:30分。


(約4時間後)午後1:20分。
おお!なんと早くも客殿の縁の下から爐△梁腓なハクビシン爐姿を現したではないですか。白昼堂々とは恐れ入った、順調に「水子さまの祠」めがけて境内をノコノコ横断中。

!!!横断を終えて水子さまに到着したハクビシンは、そのまま「祠」前に置いた「捕獲ゲージ」の中へ、完熟王バナナめがけて何の躊躇もせずにすーっと吸い込まれるように入って行ったことを寺務所の窓から確認!!

私:「ちょっと大変!ハクビシンがゲージに入ったっぽいよ!!」
住職:「ウソだろ!まだ仕掛けたばかりじゃん!」

住職と私は受付寺務所を飛び出し、捕獲ゲージへと急ぎました。

すると見事に仕掛けが下りて「扉」が閉まった「捕獲ゲージ」の中には爐△梁腓なハクビシン爐入っていて、むしゃむしゃと完熟王(バナナ)を食べていました。我々が近づくと、威嚇の声をあげつつも、バナナを食べ続けています。

設置してわずか4時間というまったく予想もしなかった狡競好圈璽品甞有爐法我々ふたりはふたたび笑いが止まらなくなりました。そして捕獲ゲージの10メートルくらい前から臭ってくる爛織咫爾梁里砲弔い親い爐汎韻検▲魯ビシンの発する猛烈な爛吋皀僚爐砲篭辰ました。

住職:「まったくドジなヤツだぜ。まだバナナを食ってるぞ」
私:「よっぽどバナナが好物なんじゃない」

バナナの皮まで完食して、もう食べるモノも無くなり、観念した様子でおとなしく長ばるハクビシンをじっくりと観察してみることに。

ピンクの鼻先から額にかけて白い筋があり、濃茶の毛から透けて見える皮膚病っぽい顔には、でっかく太った真ダニが何匹も喰い付いていて、タビー用の「真ダニ取り専用ピンセット(先が丸いカップ状になっている)」では収まりきれないくらいの大きさ。

こんなのとタビーが接触したと思うだけで体が痒くなってきます。(と同時に、真ダニ用ピンセットのカップで、このビック真ダニをはさんで引っ張ってみたいなとも思ったりしました)

ピンク色の手がまた強烈に不気味。ネコの肉球とはまったく違い、人間の手を小さくしたみたいな肉付きのよい手のひらと指の先には、猛禽類の爪みたいなもりもりとしたカギ爪。見たことはないけど凶暴そうなタスマニアンデビルを想像しました。

私:「こんなの相手じゃタビーもやられちゃうわけだわ…」


弥彦山を走り回る猝鄒味あふれる飼い猫タビー爐鉢猖槓の野生の動物爐琉磴い鮓せつけられました。


で、問題はこの後です。この捕獲したハクビシンをどうするか?が問題です。

このまま飼うわけにもいきませんし、凶暴すぎて臭すぎてゲージを持って移動するのも我々ではムリです。初めての事でまったく分からないので犁澆い魑瓩瓩詆爐法地元の「寺泊支所」にまずは電話をしてみました。

「毎日境内がひどく荒らされるので、捕獲ゲージを設置したらハクビシンがかかったのですけが、どうしたら良いですか?」

みたいな事を言ったら、担当課の方が最初におっしゃったのが、

「(捕獲ゲージを)軽トラに乗せて支所まで持って来てください」

でした。(田舎では軽トラは牋豌箸飽貘翕爐任后砲靴し軽トラを所持していない我々は「軽トラは持っていません」と言いました。そして心の中で「こうなったら、村の知人に軽トラを借りて連れて行くしかないかな」ととっさに考えたのです。

少し電話を外し、再び戻ってきた職員の方が予想外の事をおっしゃいました。

「ではこちらで軽トラを手配して西生寺さんに伺いますよ。そして山奥に放してきます、それでいいですかね?」

正直、そこまでしてくれるとは思っていなかった我々。めちゃくちゃありがたくて親切な申し出に、住職も私も感激してしまいました。人口の多い都会ではきっとこんな対応はしてくれなかったかもしれません。

30分後、白い軽トラが西生寺に到着。(この時ほど軽トラが猝瓦両茲衒爐妨えたことはありません。我々にとってはまさに「ドリーム号」です!)

運転していたのは電話で対応してくださった担当職員の方(男性)でした。さっそく水子さまエリアに案内して捕獲ゲージに入ったハクビシンを見せました。

職員さん:「うわあ、こんな狎賢爐埜たのは初めてだなあ。うわあ、けっこうデカいねえ」

PM2:30分。
軽トラ「ドリーム号」の荷台に乗せられたハクビシンは、西生寺を去って行きました。捕獲した安堵感からか、憎いはずのハクビシンに対してちょっとした情がわいている自分に気付きました。

私:「ハクビーちゃんバイバーイ!元気でね〜。二度と戻って来ちゃダメだよ〜」

PM3:00時。
軽トラが空になったゲージを乗せて再び来山。職員さんが山奥でハクビシンを解放した際の報告を楽しそうにしてくれました。

職員さん:「喜んで(ゲージから)駆け出して行きましたわあ〜♪」


今回の寺泊支所の親切な対応には本当に「ありがたい。感謝!」の一言でした。軽トラでかけつけてくれた職員の方に何度も何度もお礼を言い、ペコペコと頭を下げる我々が見送る中、軽トラは軽快に走り去って行きました。

西生寺に居ついてしまったハクビシンをめぐるこの一件は、あっという間に決着がついた上に、最後はこんな爐曚里椶隆境爐破襪鯤弔犬泙靴拭私は「人も時間もの〜んびりとした田舎に暮らしていて良かったなあ」としみじみ思いました。

(後になって知ったのですが、ハクビシンはタヌキなどと違い「野生動物保護法」が適用されるので本来、捕獲禁止な動物なのだそうです)

最後に我が家のタビーについて。対決してボロボロになって帰宅して以来、おとなしく牴肇優貝爐靴討い織織咫爾任垢、ハクビシンが西生寺からいなくなったとたん、

「(外に)出せー出せー」

と騒ぐようになり、この日の夕方、鉄砲玉みたいに外へ飛び出して行きました。爛魯ビシンの気配がなくなったこと爐鯢甸兇忙|里靴燭箸靴思えない、みごとな復活ぶりに爛優海糧襪瓩診塾廊爐鮹里蠅泙靴拭

というわけであれ以来「水子さまエリア」も荒らされることはなくなり、タビーは元気に境内や弥彦山を走りまわり、いまのところ平和な西生寺が継続しています。
めでたし。めでたし。



●画像左…外に出ようとしなくなった飼い猫タビー(メス5歳)
外出はしなくても、お寺の屋内は広いので不自由はしないみたいでした。牋汰慣爐里気に入りの梁(はり)の上でくつろぐタビー。

●画像右…捕獲したハクビシン
境内に暮らす、気の毒なほど痩せた野ウサギたちとは違って、このハクビシンの丸々と太った体格の良さには驚き。こんないじけた様子のハクビシンを見ると、バナナを半分じゃなくて一本くらい仕掛けておいてあげれば良かったかなあ、なんて思いました。


2017/06/06(火)
★2度目の奇跡!「越後國柏崎 弘知法印御伝記」ロンドン公演















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≪ロンドン公演−London Performance−≫
【場所】:大英図書館ノレッジセンター
【日時】:6月2日(金)、3日(土)
【上演演目】:古浄瑠璃『越後國柏崎 弘知法印御伝記』より二段目、三段目
【出演】:浄瑠璃 越後角太夫
    :人形遣い 西橋八郎兵衛ほか4名
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当山西生寺に御安置されている「弘智法印即身仏」をモデルとした、江戸時代に上演された古浄瑠璃『越後國柏崎 弘知法印御伝記』の「ロンドン公演」が6月2日(金)、3日(土)の2日間にわたり行われました。

「新潟日報」や「毎日新聞」などでも大きく取り上げられていてご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。6月4日付の新潟日報では、大きな見出しで

「越後絵巻 英国を魅了」
「古浄瑠璃 ロンドンで「里帰り公演」拍手鳴りやまず

とあり、公演の様子や公演が大成功だったことが紹介されていました。

英語の字幕付きで上演されたという『御伝記』。ついに日本を離れ、遠くヨーロッパの地で、弘智さまゆかりの『御伝記』が演じられたのです。

ドナルド・キーンさん、鳥越先生をはじめ「ロンドン公演」実現に向けて尽力された方々、キーン誠己さん、西橋さん、そして座員のみなさま、本当におめでとうございます。

「御伝記はもう二度と上演されることはないのだろう」

と思っていた我々西生寺の家族は、およそ7年ぶりに再び『越後國柏崎 弘知法印御伝記』が復活上演されたことに感謝の気持ちでいっぱいです。


ということで今回の「おてら通信」は、この『越後國柏崎 弘知法印御伝記』について、当時を思い出しながら書いてみたいと思います。

(残念ながら、2009年以前の「おてら通信(過去ログ)」は、サーバトラブルによりすべて狆談猫爐靴討靴泙辰討い襪里如当時の「御伝記」を取り上げたブログは残っていません)


【300年ぶりの復活上演までの奇跡のみちのり】
◎江戸時代:「人形浄瑠璃一座」が上演
およそ300年前の江戸時代、日本橋の人形浄瑠璃の一座が上演した『越後國柏崎 弘知法印御伝記』は、当時、浄瑠璃の台本が「本」にもなり刊行されたそうですが(1685年)、その後一度も『御伝記』は上演されることはなく、「本」も現存せぬままに犖犬慮翕禅爐噺世錣譴討ました。

◎昭和37年(1962年):英国「大英博物館」で発見
長い間その存在すら忘れられていた「御伝記原本」ですが、昭和37年、イギリスの「大英博物館」で大学教授の鳥越文蔵先生の手により爍横毅闇ぶり爐剖然に発見されたのです。

なぜ異国で発見されたのか?じつは「御伝記原本」は江戸時代(1692年)に、ドイツ人医師によって長崎出島から幕府の禁を犯してこっそりとヨーロッパへと持ち出されていたのです。

鳥越先生は帰国後、さっそく唯一現存していた『御伝記』を、現代語に訳され「復刻本」を出版されました。

◎平成19年(2007年):「復活上演」にむけて始動
その「復刻本」を読まれたドナルド・キーンさんが、文楽三味線弾き語りの越後角太夫さんにおススメをしたところ「ぜひ復活上演をしたい」となりました。譜面がなかった御伝記に、さっそく越後角太夫さんが作譜&復曲をして「人形制作」は復活上演に賛同した、佐渡で古浄瑠璃一座「猿八座」を運営している人形遣いの西橋八郎兵衛さんが担当しました。

そして大胆にも人形遣いなどの「座員」は、新潟県在住の狃蘓桓圻爐鯤臀検■横娃娃固には『御伝記』上演に向けて立ち上げた「越後猿八座」が活動を開始します。西生寺にも座員の方がそろって弘智さまをお参りに来ました。

◎平成21年(2009年):ついに「復活上演」(各地で上演)
1年半もの稽古を重ね、2009年(平成21年)6月に、『御伝記』ゆかりの地である柏崎市で「旗揚げ公演」を達成し、見事、幻とされた『御伝記』の300年ぶりの復活を遂げたのでした。

さらに2010年(平成22年)10月には、東京有楽町のホールで、300年ぶりの「江戸凱旋上演」を達成、およそ7年間の空白期間を経て今回、ついに『御伝記』の原本が発見されたイギリスの地で「ロンドン公演」を達成されたのでした。


◎西生寺の家族:初めて『御伝記』を観る
2009年6月に柏崎で狒艦暫吻爐良活上演を遂げた後の7月11日、12日に「新潟県民会館」で上演された時に、私たち家族は初めて『御伝記』を観ました。人形浄瑠璃を観るのも初めてでした。この会場には大英博物館で『御伝記』を発見された鳥越先生と、ドナルド・キーンさんもいらしていました。

テンポの良い抑揚の効いた迫力満点の三味線の弾き語りに合わせて、人形遣いによって命を吹き込まれた人形達が、まるで人間のような生き生きとした動きと表情で演じられる舞台にいっきに引き込まれ、鳥肌が立つくらいの感激であっというまの六段でした。

この日の私の日記を見ると…

−こんなにたくさんの観客の前で、弘智さまの御伝記が演じられている!!という現実が夢のようで「よく復活上演させたよー」と「奇跡だね!これは」という思いをあらためて強くし、越後猿八座のみなさんには心から感謝の言葉を言いたいです−

と興奮気味に記されています。


せっかくですので、大切に保管していた2009年のパンフレットより、波瀾万丈、奇想天外、荒唐無稽な物語『越後國柏崎 弘知法印御伝記』の爐△蕕垢賢爐眈し紹介しておきましょう。

【あらすじ】
物語は、弥彦山麓に日本最古の即身仏(ミイラ仏)としてしられる『弘智上人』にまつわる伝説をもとに、創作を加えて、高僧弘智法印の一代記として仕立てた六段からなっています。(今回のロンドン公演ではそのうち二段、と三段を上演)

時は平安時代。越後國、弥彦山麓に住む大沼長者の跡取り息子である弘友は大の遊興好き、今宵も父親の目を盗んで柏崎の悪所に通いますが、居合わせた上方の客と喧嘩沙汰に及びます。運命のいたずらによって、父から勘当を受け、妻は殺害され、子どもともども生き別れてしまう結末に。

その後、五智国分寺で弘法大師に出会い、出家を志すのです。妻の幽霊、魔王や天狗の出現、多くの試練を乗り越え、息子とも再開し、修行の末、弥彦で即身往生を遂げます。



当時、初めてこの『御伝記』の内容を知った時、弘智さまがモデルという御伝記の主人公「弘友」の猴靴喊有爐箸い人物設定には阿刀家の面々は少なからず狡餽慨境爐ありました。

モデルとなった「弘智法印即身仏」は、当然ながらちっとも猴靴喊有爐任呂覆いらです。

「本当の弘智さまが猴袈醜イな遊び人だった爐辰道廚錣譴燭蕕匹Δ靴茲Α帖

ってね。そんな我々家族の心配をよそに、この「御伝記上演」をきっかけに猖槓の弘智法印即身仏爐剖縮を持たれた方が、わざわざお参りに来られたりして反響の大きさに驚いたものです。


ちなみにさきほど「御伝記はもう二度と上演されることはないのだろう…」と書きましたが、それは弘知法印御伝記を上演した「越後猿八座」が、じつは解散してしまったからです。ま、爐い蹐い蹲爐箸△蠅泙靴董

ですので「せっかく平成の時代に復活したのに、あんなに盛り上がっていたのに、もう二度と弘智法印御伝記は上演されることはないのだろうなあ、残念だなあ」と私はずーっと思っていたのです。


爐い蹐い蹐△辰騰爐箸魯坤丱蝓一座の座長だった人形遣いの西橋さんと三味線弾き語りの越後角太夫さんとの犒菠稔爐覆里任垢、今回のロンドン公演にあたり、今年2月に西生寺に取材にいらした「毎日新聞社」の中澤さんが担当した「毎日新聞」全国版の5月28日(日)の狷箪賢爐砲蓮柄瓦討隆愀玄圓砲靴辰りと取材して)そこら辺の事情が赤裸々に綴られていています。

「特集」を読んだ私は、関係者のみが知っていた事情や、あまり語りたくない「暗の部分」も封印せずにここまで踏み込んで表沙汰にしたメディアは初めてだったので、えらく感動してしまいました。

「ロンドン公演」については2010年の東京公演を成功させた後にはすでに話があったということ、しかし東日本大震災の福島原発事故をきっかけに犒菠未伐鮖境爐箸い事態になってしまったこと、

今日に至るまでにいろいろなドラマがあったのだという事を知ると「ロンドン公演」を実現させたことがいかに犂饑廚任△襪爐箸いΔ海箸より明瞭になるのです。

(決別したふたりを執念で再び爐劼箸弔坊襪咾弔韻伸爐里、西橋さんの恩師で「御伝記原本」を発見した鳥越文蔵先生と、2012年に養子縁組をして親子となった越後角太夫さんの父ドナルド・キーンさんだったと特集にはあります)


できることなら私たちももう一度『越後國柏崎 弘知法印御伝記』を観て見たい。国内で再び上演される日がやって来るのか来ないのか。爍嚇挂椶隆饑廰爐訪れることを、願ってやまない住職と私なのでした。



●画像左右…パンフレット『越後國柏崎 弘知法印御伝記』より
柏崎市にある「ドナルド・キーンセンター柏崎」の方に、今回のロンドン公演のために製作された「英字パンフレット」をいただきました。これも犖翕禅お宝コレクション爐鵬辰┐涜臉擇砲靴燭い隼廚い泙后


2017/05/26(金)
★「四十九日」 園子ママ、ご先祖さまの仲間入りをする。














4月11日に亡くなった園子ママの「四十九日法要」が5月25日(金)、自坊にて執り行われました。早いものでもう四十九日(法要)なのです。

葬儀の日は満開の桜に見送られましたが、今回は美しいつつじが境内を彩るなかで園子ママは浄土へと旅立ってゆきました。名前にも牘爿爐つき、花が大好きだった園子ママにふさわしい牴崟垢蠅領肯ち爐蓮△っと本人も喜んでいることと思われます。


園子ママは生前に「得度」をしており、弘智法印即身仏さまの狠勠爐函園子の牘爿爐鬚箸辰騰狠勹燹覆舛ん)という戒名(法名)を授かっていたので、そのまま狠勹猖‘堯覆舛んほうに)爐箸いΣ名となりました。

(私も園子ママと同じ「得度式」にて得度をしたので牴名爐鮖っています。私の戒名もお母さんと同じく、長老のお父さんがつけてくれたもので、やはり弘智さまの狠勠爐鬚い燭世ました)


さて、この辺の地域では葬儀の日に「初七日」ならびに「三十五日法要」を同時に済ませる風習がありますが、この「四十九日法要」だけは別に行います。

四十九日をひとつの区切りとして大切にするという仏教の考えに基づき、この日に合わせて「法事」を行うのが一般的です。

仏教では死後を「七日」ずつに区切って、

7日×7回=49日

というちょっと独特なサイクルがあります。


よく「四十九日」という言葉は口にしたり耳にしたりはするけれど、

「なぜ四十九日が大切なのか?」 

と問われると、正直、人さまに説明ができるまでにはよくは知らない私でした。

「何年寺庭をしているんだ!」と夫に叱られてしまいそうですが、この際ちゃんと知っておくべきだろうと思い、住職の夫に質問してみました。

(猜垢は一時の恥、聞かぬは一生の恥爐箸いΔ海箸錣兇髻長老のお父さんは元気なころよく口にしていました)


以下、住職のレクチャーです。

仏教では死後、死者の魂はすぐに浄土へ旅立ってゆくというわけではありません。49日間、仏さまに導かれながら現世できちんと修行を積んでから浄土へと旅立ち、はじめてご先祖さまの仲間入りをします。

つまり、修行を終えてこの世から浄土へ旅立ち、正式にご先祖さまの仲間入りをする日が猖瓦なってから49日目爐箸いΔ海箸覆里任后

故人の新たな旅立ちとなる大切な日に、遺族や親族が集まって行われる法事が「四十九日法要」なのです。

さきほど書いたとおり、仏教では四十九日までを「七日」ずつに区切っていますが、じつは7日間ずつ狃す圓鯑海い討ださる仏さま爐変わります。

一週、一週、受け持つ仏さまが違うのです。

初七日(しょなのか):(亡くなってから最初の七日間)⇒「不動明王」
二七日(ふたなのか):(〜14日まで)⇒「釈迦如来」
三七日(みなのか):(〜21日まで)⇒「文殊菩薩」
四七日(よなのか):(〜28日まで)⇒「普賢菩薩」
五七日(いつなのか)(=三十五日):(〜35日まで)⇒「地蔵菩薩」
六七日(むなのか):(〜42日まで)⇒「弥勒菩薩」
四十九日:(〜49日まで)⇒「薬師如来」

と、こんな具合です。

付け加えると、この先も「百カ日」、「一周忌」、「三回忌」、「十三回忌」などと続き、最後狡いで爾甅爐箸覆襦峪綾住芦鶸」まで狠甘の仏さま爐決まっていて、初七日から合計13人の仏さまのお世話になります。これを「十三仏」と言います。


ということで「四十九日法要の意味」を学んだ私ですが、さらなるギモンを住職の夫に投げかけてみました。

私:「じゃあ、初七日と三十五日は何で法要をするの?何で二十一日とかじゃないの?」

その答えは、

まず、お不動さまが導いてくださる「初七日」は狃す圓里呂犬泙雖爐世ら。

そして地蔵菩薩さま(お地蔵さま)が導いてくださる「三十五日(五七日)」は、死者にとっては今後を決める狷段未塀記爐世ら法要をするのだそうです。

なんでも、お地蔵さまが担当する7日間の最後(35日目)に、死者は狠蝋行きか、極楽行きか爐魴萃蠅垢襦幔緞眤膕Α廚暴蕕瓩堂颪Δ里世修Δ任后

「生前におまえはこんな悪いことをしたな!」
と死者を問い詰める閻魔さまに対して、

「この人はこんな良いこともたくさんしています」
と、お地蔵さまが弁護人となり、死者をフォローする役目を果たすそうです。

お地蔵さまをバックアップすべく、この世でも「三十五日法要」を行って、死者が無事に極楽浄土へいけるようにお経をあげて皆で祈るということなのでした。


なーるほど。それぞれに大切な役割と意味があったのですねえ。

意味を知ると猖瓦なってしまった園子ママの今爐わかり、突然この世からいなくなってしまったという爐櫃辰り狹なさみしさが薄らぎました。

「お母さん、今は○○の仏さまに導かれて修行をしているんだねー」

とか、とても身近に思えてきたのでした。

園子ママは曲がった事が大嫌いで真面目を絵に描いたような生き方だったので、閻魔さまとの対面も無事にクリアして、自分の両親や兄姉たちが待つ極楽浄土へと旅立って行ったにちがいありません。

園子ママがご先祖さまの仲間入りをした犹予酋綟爐帽腓錣擦襪のように、葬儀後も続いていた爐母さん関連の事務的な手続きアレコレ爐發曚箸鵑表わりました。肩の荷が下りたような、久しぶりにだっくらとした気分に包まれる西生寺と私たち夫婦です。



●画像左…新しいピカピカの園子ママの位牌
●画像右…法要が無事に終わり、親族に挨拶をする住職

四十九日法要のその日のうちに、というパターンが一番多い「納骨」ですが、我が家の「納骨」はもう少し先です。フランス在住の甥っ子2人(園子ママの孫)の「おばあちゃんの死に目にも会えず、葬儀出席も叶わなかったので、ボクたち、どうしても納骨には立ち会いたい!」という強い希望により、夏にふたりそろって西生寺に来るので、その時に行いたいと思っています。


2017/04/22(土)
★ありがとうございました。














4月11日の朝に園子ママが亡くなって以来「寺務所閉鎖」と「休観」が続き、大変ご迷惑をおかけいたしました。12日ぶりに「受付寺務所」復活です。

まずは、西生寺寺庭の阿刀園子、通称園子ママの「通夜」「葬儀」に大勢の方からお参りをいただきましたことを厚く御礼申し上げます。本当に有難うございました。


今回の「おてら通信」は、園子ママが亡くなってから今日までの経過を少し書いてみたいと思います。

4月11日(火)の朝7時半過ぎ、いつものように「駐車場トイレ」を掃除していた私の前に、住職の夫が血相を変えてやって来て、

「おふくろが死にそうだいやっ!!心臓が止まってしまって!!施設に行ってくるから!!」

と言うなり、車で飛び出して行きました。

ほんの数日前に会ったばかりのお母さんは、食欲もあり血色もよく、会話もしっかりとしていてほんとに元気そうだったので「この様子だと90歳くらいまでは生きられそうだね」とか話していた矢先のことでした。

しばらくして救急搬送先の病院にいる住職から電話があり、

「ずーっと心臓マッサージをしたけどダメだった。心不全だってや。昼過ぎにおふくろと一緒に帰るから、直子はすぐに姉妹、親族、葬儀屋に電話をすること。そして部屋(遺体を安置する)を整えてお悔みの来客の準備、あと必要な電話番号も全部調べておいて欲しい」

と言われました。こんな一大事にお寺にたったひとりきりという心細さを封印し「やるしかない!」とすぐに牾亳膈爐魴茲瓠⊆付寺務所へ行き、必要な名簿を探し「葬式ができないと話にならないでしょ」と思い、話す言葉もまとまらないまま、まずは地元の葬儀屋さんに電話をしました。

必要なところへひととおり電話を終え(誰もが驚きを隠せなかった)、園子ママを迎えるための部屋のそうじや来客の準備をしていると、母が亡くなってからの最初の訪問者は、西生寺組と病院組との2手に分かれた地元の葬儀屋さんでした。

昼過ぎに園子ママと住職を乗せた専用車が到着、午後からは親族のお悔みの訪問が続き(親族のほとんどは曹洞宗のお寺です)、夕方遅くに「個展」でフランスから来日中で中津川にいた姉夫婦と、群馬の妹夫婦が駆けつけ、きょうだい全員が集合しました。


それから通夜までの3日間の「準備期間」は、急死だったこともあり、もう戦場のような?わけがわからないくらいやる事がいっぱいで、メモ用紙20枚くらいに全て書き込み、全員で手分けをして取り組みました。「忙しい」と感じているヒマもないくらいで、ちょっとこれまで経験をしたことのない時間の経過でした。

組寺、信者さん、村の方などのお悔みの訪問が絶えない中、葬儀屋の祭壇作りや会場の設営が始まり、御導師さまや助法をしてくださる寺院方、檀家総代、檀家役員も何度も来山して、落ち度がないよう葬儀や法要の段取りなど、住職を交えた猝別な打ち合わせ爐鮟鼎佑泙靴拭

いつもの能登電気さんは通夜用の境内照明を臨時に設置、畳屋さんは会場の本堂に畳を敷きつめ、園子ママ行きつけだった美容室にお願いした喪服の着付けなどなど、まさに狒軻旭・フル回転爐如各自持ち場の仕事を進めてなんとか通夜当日(14日)を迎えたのでした。


西生寺寺庭の私のできる事なんぞはほんのパーツのひとつにすぎず、園子ママひとりの死を弔うために身内はもとより、葬儀の段取り、当日の受付け、交通整理、お勝手さんに至るまで、すべて檀家の皆さんが全面的に協力をしてくださり、

そのほか多方面にわたりこれほどたくさんの方々の協力を要するとは思ってもいなかったのでまずは驚き、そして「急な事なのにすぐに飛んできてくれて、親身になってくれたこと」への感謝の気持ちでいっぱいになりました。


西生寺を会場にした「通夜(14日)」と「葬儀(15日)」が終わり、きょうだいが帰り、後片付けがひと段落ついたのが4月16日。

11日に母が急死してから16日まで、我々夫婦に葬儀以外の事を考える余裕は一切なく、テレビは一度もつけず、忘れていた「新聞」と「郵便物」が裏口に山積みになっていて「これはいったいどうしたの?」って不思議な気がしました。

怒涛の6日間が終わってみると、すっかり、本当にすっかり季節が移ろっていておどろきました。7分咲きだった境内の桜がいっきに葉桜に、樹木も芽吹いてすっかりいい感じの新緑になっていました。

どうやら、園子ママが亡くなってから葬儀が終わるまでの犹(とき)爐、私も住職も猗瑤鵑任い覘爐茲Δ覆里任后「時を刻む間」もないくらいいろいろありすぎたようです。

夫:「忙しかったけど、なにもなかったみたいな…」
私:「一瞬の幻で、あれは夢だったかも、みたいなね…」

こんな犂恭亅爐呂佞燭蠅箸盻蕕瓩討任后

そして、嫁子の私に「寺庭婦人のイロハ」を、一から辛抱強くたたき込んでくれた園子ママが急に逝ってしまった今思うことは、

「園子ママが施設でもどこでもいいから生きてこの世にいるのと、死んでこの世からいなくなってしまったのとでは大違いだ」

ということです。

母が認知症になり完全にお寺のアレコレから引退をして、私のやりたいようにお寺をまかってから5年ほどが経ちますが、いなくなって初めて自分の心のどこかに「お母さんがいてくれるから」という安心感があったということに気付きました。

もう、「あーしろ」とか「こーした方がよい」とかいう指導も、お叱りも心配も、「ありがとねー」というねぎらいや感謝の言葉も、園子ママの口からは二度と聞くことはないのだと思ったとたんに牘犹劵泪泙了爿爐初めて実感として湧いてきました。

いっきに孤独になったような「西生寺で寺庭は私ひとりになってしまった。しっかりやらなきゃ」という、身の引き締まる思いに身震いをしてしまいました。


自坊で執り行う「家族の葬儀」は、住職も私も初めての経験でまったく分からないことだらけでしたが、このように大勢の方のお力添えで無事に滞りなく済ませることができました。

お寺まで足を運び母の死を悼んでくださった皆さま、裏方で一生懸命に動いてくださった皆さま、あらためて感謝申し上げます。



●画像左…客殿で行われた「通夜の法要」の様子
西生寺檀家を代表して謝辞の挨拶をする「檀家総代」の今井文幸さん。

●画像右…葬儀が終わり「出棺」の時の様子
住職以下、園子ママの子供たち、阿刀家のきょうだいが一同に揃いました。挨拶をする住職(長男)、その後ろで位牌を持っているのが私(住職の妻)、右隣りが次女(末っ子)の弘美さん、右端の遺影を持っているのが長女(第一子)の敬子さん。実家に集まった時は猊徃瓦爐巴舂匹沓鎧佶紊任后

脳梗塞で赤ちゃんみたいになってしまった長老のお父さんは、長時間の葬儀出席は無理なので、13日に施設より連れて来て、妻との最後のお別れをしました。言葉もなく、状況を理解しているかどうかもわからないようなお父さんでしたが、納棺をすませ、棺で眠るお母さんの姿を見たとたんに犲蠅里劼薛爐鯤譴瞭上にかざし、かすれた声で「光明真言」を唱え始めたので、その場にいた家族全員が涙しました…。


2017/04/12(水)
★西生寺「通夜」「葬儀」のご案内


















わたしの家での呼び方や、この「おてら通信」でもずっとそう呼んでいたので、あえて牘犹劵泪洵爐判颪たいと思います。

私の義母、阿刀園子こと、園子ママは4月11日に永眠いたしました(享年85歳)。

それはあまりにも突然のことでした。

施設の朝ごはんの時間に心臓発作をおこして倒れ、そのまま病院に救急搬送されましたが、意識が回復することもなくあっけなくあの世へと旅立ってしまいました。


とりあえずは「通夜」と「葬儀」のご案内をさせていただきます。
通夜&葬儀とも自坊の西生寺で執り行います。

≪通夜≫
【日時】:4月14日(金)午後6時より
【会場】:西生寺
【受付】:庫裡

≪葬儀≫
【日時】:4月15日午前9時より
【会場】:西生寺
【受付】:庫裡


なお、これに伴いしばらくの間「即身仏拝観」と「宝物堂見学」は犁抓朖爐箸気擦討い燭世ます。大変申し訳ありませんが、どうぞよろしくおねがいいたします。


●画像左…若きし頃の園子ママの肖像画(1987年)
フランスで活躍中の画家、住職の姉のだんなさま「水上貴博(TAKA)」の作品です。30年前の園子ママの姿です。フランスの水上夫婦もたまたま、大阪での個展のため、来日をしている最中だったので、すぐにお寺にかけつけて家族そろって母を送り出すことができました。

●画像右…長老と夫婦ツーショット
大柄の花柄が大好きなとてもオシャレな母でした。



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【御礼】(4月19日)
満開の桜に見送られ、母の通夜と葬儀は無事に滞りなく済ませることができました。
大勢の皆様方からお参りをいただき誠に有難うございました。
なお、「受付寺務所」と「宝物堂」は22日(土)より再開いたします。

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2017/03/27(月)
★行って参りました!「タイ旅報告2017」














お久しぶりです。一年に一度の私の休暇、タイで過ごした1ヶ月間はあっという間に終わりを迎え、予定通り「お彼岸」直前に、無事に元気にタイより帰ってまいりました。

真冬の日本から真夏のタイに到着して狃襪い箸いΔ海箸半信半疑爐覆泙沺空港出口から初めて外に出た時に思ったことが、

「うわあぁ本当に寒くないんだ!Tシャツ一枚でいいなんてウソみたーい!」


で、1ヶ月ぶりの日本で一番に驚いたのは、寒さが緩んだという事よりも「陽が長くなったなあ!」でした。朝は5時半すぎには明るくなり、夕方6時をまわってもまだ明るいというのはちょっとした衝撃を受けました。

帰国したその日のうちに西生寺へ戻ってきましたが、精神的には非日常の旅の世界から、現実の世界へいきなり爛疋椒鵐鱈爐畔り込まれた気分です。

1ヶ月も家を空けると、不思議なくらいに「無意識に過ごしていたはずの日常の暮らし」を忘れてしまっていて犂恭亅爐鮗茲衞瓩垢里大変なのです。さらに留守番をしていた住職の夫では無理な「いろいろなやる事」が山のように溜まっていて、まずはそれをひとつずつクリアしていくことが最優先となりました。


かかりつけの動物病院のペットホテルでロングステイ中の飼い猫タビーのピックアップ(200グラムのダイエットに成功して元気に帰宅)、メールチェック、お彼岸の準備、庫裡や廊下などの大掃除、旅の荷物の後片付け、洗濯、郵便物の整理、父母福祉関連の書類書き、部屋や台所の片づけ、冷蔵庫の整理…

そして帰国後4日目の3月20日には早くも檀家さんが集まる「彼岸会」があり、無理やり犹庭婦人モード爐棒擇蠡悗┐凸技に終えたあとも、

雑誌の取材(なんと飼い猫タビーです!!)、信者さんの接待、あげ法事、出張で日本に来ているフランスの甥っ子の来山、施設にいる長老&園子ママに会いに行くなどなどが続き、ようやくようやく「おてら通信」にたどり着くことができました。

撮りためた旅の画像をなつかしげに眺めたり、夫に旅のみやげ話をするような「旅の余韻」にひたる間もなく、帰国してから狢圓辰燭覆鍬爐頬萋雑務に追われていたので、

「ちょっと前まで自分は連日36度超えの炎天下のタイの田舎町を、バスに揺られのんびり気ままに旅をしていた」

という事なんて早くも爐垢辰り遠い過去の事爐里茲Δ砲覆辰討靴泙い泙靴燭、ちょっとがんばってテンションを上げて「旅話」を書いてみたいと思います。


一年ぶりのタイは、やはりプミポン国王が亡くなったということでいつもとはちょっと違っていました。

まず街の様子に変化が。これまで公共施設や、街中いたるところに飾ってあったプミポン国王の肖像画は白黒のリボンで飾られた「追悼のモノクロの肖像画」に変わり、さっそく新国王「ワチラロンコン国王」がちょい斜め目線でこちらを見ている狢腓な大きな肖像画爐各所に新たに設置されていました。

商業施設や市場の活気はこれまでと全く変わりはありませんが、ニュースキャスター、学校の先生、銀行員、お役所に勤めている人の服装は「完璧な黒服」で、ワイドショー的なカジュアルな番組でも司会者やゲストの芸能人のファッションもモノクロファッションでした。学生さんや、ホテルスタッフもいつもの制服に黒いリボンを付けていました。

プミポン国王がラーマ9世だったので「9」という、視力検査の記号みたいなタイ数字(タイ語で9は爛ーウ爐噺世Α砲入った黒いポロシャツやTシャツを着ている人も多く、私も「旅の記念」にこの「ガーウTシャツ」を一枚買いました。


イサーンの地方都市ウボンラーチャターニーからローカルバスの旅は始まり、2・3泊ずつしながら水牛と田園の風景が広がる人も町ものんびりとした素朴な東北地方と、山に囲まれ独自のラーンナー文化が残る北部の静かな街をずーっとバスで回りました。

今回は(今回も?)最終地のチェンマイまで、日本人を含め外国人旅行者にはほとんど出会うことはありませんでした。

中にはタイ人観光客も訪れないような猊當未療勅膨爐發△蝓地図を片手にそんな町をうろうろしていると、軒先に座っている地元の人が「この爐茲充圻爐呂い辰燭い海鵑覆箸海蹐撚燭鬚靴討い襪鵑世蹐μ楡」を投げかけてきたり、静かに微笑んでくれたりしました。

私がなぜ、そんないわゆる牴燭發覆い茲Δ癖佞圓閉爐鯔れるのか?
その最大の理由が、

「そこにラック・ムアンがあるから」
です。

ここ数年来の私のタイ旅のテーマになっているのが「ラック・ムアン(市の柱)巡り」です。私の夢はタイ国中の「ラック・ムアン」を探し訪ね、お参りをして写真に収めることです。

昔昔、まだタイが今のようなひとつの国になっていない時代から、町を新しく造る時には「町の中心部(ヘソ)」を定め、そこに町の繁栄を祈る犹圓涼譟淵薀奪・ムアン)爐魴立する風習がタイにはありました。

街ごとにさまざまなスタイルの「個性的なお堂」があり、お堂の中にさまざまな状態の木製や金属製の「金色のリンガの柱」がお祀りされています。

私が「ラック・ムアン巡り」にハマった理由は、「ラックムアン」は過去のモノではなく、現代でもタイの人々に大切にされ信仰され続けている事と、「お堂」も「柱」もその街の歴史や文化を象徴している完全オリジナルであり、同じモノがなく、唯一無二な犁羔砲離蹇璽ル爐任△襪箸海蹐北ノ擦気譴燭らです。

海外での注目度や知名度はゼロに近く「誰もラックムアンに注目していない」というのも気に入っています。ガイドブックや現地観光案内にも載っていないことが多く犲分で探す爐箸い行為もワクワクします。市民のお参りが絶えないラックムアンの「柱」からはものすごいパワーが発せられていてまさに爛僖錙璽好櫂奪鉢爐箸い┐泙后


というわけで爐茲充坿靴讚爐鬚靴討い覆ざ暴そうな放し飼いの田舎の犬たちに怯えつつも「この辺にラック・ムアンはありますか?」と尋ねながら、または自力で、または偶然に見つけ、ようやくたどり着いた「初めてのラック・ムアンとの出会い」は最高に興奮するし、その達成感たるやすごいものがあり、疲れも汗も吹き飛び、最高にハッピーになれる私の旅の醍醐味でもあります。


もちろん飽きずについ毎年通い詰めてしまう「タイの旅の魅力」は他にもあります。

◎タイは仏教の国で仏教寺院がすばらしい。
ふだんからお寺で暮らし、仏さまと身近に接している寺庭婦人は、私もそうですが「お寺参り」が好きな人が多いです。そして自坊以外の仏教寺院に対し、あらゆる面で猗鷯錣帽發ご愎喚爐あります。

王室を含めて国民のほとんどが仏教徒というタイでは、さまざまな様式の仏教寺院が各地にたくさんあり、どの町でも目に付いたお寺には必ず立ち寄り爐参りをする事爐自然と日課になっています。タイは「仏教寺院」が本当にすばらしく、老若男女、タイ人の信仰の篤さにはいつも感心させられます。

異教徒だと爐燭世隆儻爐箸覆辰討靴泙Ε織い里垢个蕕靴な教寺院も、同じ仏教徒として、タイの人々に交じってご本尊さまや仏さまに手を合わせて祈り、旅先で爐笋垢蕕爐鯑世襪海箸できるというのは私の中ではとても大きいです。


◎本場の「タイ式マッサージ」がすばらしい。
日本から比べると激安で確かな腕の「タイ式マッサージ」も本場のタイならでは、です。

40代後半に突入した私にとってこれはますますポイントが高くなりました。他のアジアの国でもマッサージはありますが、タイ式に慣れると物足りなさがあります。一年分のたまった疲れや旅の疲れをもみほぐしてリセットしてくれるタイマッサージは至福の時間です。

チェンマイなどの外国人が多い観光地よりも、田舎町の「タイ人相手の店」の方が、地元の人相手に商売しているので当たり外れがない気がします。

イサーンでもかなり奥地なメコン河沿いの町「ナコンパノム」に、「こんな田舎で奇跡としか思えない」くらいめちゃくちゃすごい腕を持ったタイマッサージの女の子がいて、その子のマッサージが忘れられず、今回、2年ぶりにナコンパノムのそのタイマッサージ店を訪れたところ、見事にその女の子との再会を果たしました(向こうも覚えていてくれた)。

さっそく爐まかせ爐濃笋帽腓辰殖音間の施術をしてもらいましたが、凝り固まった全身の悪い部分がすべてすっきりとほぐれ、心身ともに浄化されたような、しばらく放心状態が続くすばらしいマッサージでした。(良いマッサージはぐりぐりとハードにやっても翌日に爐發瀛屬鍬爐論簑个△蠅泙擦鵝

この女の子のスゴ技は「きっとバンコクあたりの有名処で学んだのだろう」と勝手に思っていたのですが、聞くとなんと「地元の高校の職業訓練でマッサージを習っただけ」とのこと。天職とはこのことですね。(2時間でたったの1500円!!)


◎タイは食事がとにかくおいしい!
日本ではお目にかかれない現地の人が食べる安くて美味しい本物のタイ料理や、郷土料理の数々は通い詰めるだけの価値があります。(くわしくは別枠↓「旅のグルメ」で)


◎タイの「市場」は特に面白い。
他の国でもそうですが、タイのどの街にも必ずある犹毀韻諒襪蕕靴粒豊爐箸覆辰討い襪里「市場」です。市場では生鮮食品や食べ物の他にも、乾物、花、日用品、衣料品、寝具、仏具、おもちゃなど暮らしに必要なありとあらゆるモノが売られています。

タイの市場の良いところは、生鮮食材以外にも、旅行者でも食べられる持ち帰り専門の「おかず屋」や炭火焼、揚げ物の屋台が多く、いろいろとトライできるところです。人やバイクでごった返す活気あふれる「市場散策」は旅の楽しみです。


◎タイは居心地がいい
人懐っこくおおらかな「タイ人の気質(国民性)」と、観光大国タイならではといえる、どんなタイプの外国人旅行者にも居心地が良いと思える懐の深さ、予算に応じて選び放題のホテルやゲストハウス、バスなどの交通網の充実、先進国並みに便利で快適な都会もあれば、山岳地帯で暮らす少数民族の村々や、のどかで素朴な田舎の人や暮らしなどが健在という点がタイ旅の魅力です。



話しは旅の行程に戻ります。私は順調にバス旅を続け、最後の滞在地は私のタイの拠点である北部最大の都市で北部最大の観光地「チェンマイ」。

ツーリストにも会わず、のんびりとした田舎町が続いた今回の旅では初めてとなる、久しぶりの大都会「チェンマイ」は、街中にあふれるツーリスト向けの店と中国語の看板、信号なしで道路を渡るのも苦労するくらいの激しい交通量の車やトゥクトゥク、バンコクのカオサンみたいにストリートを闊歩する狢舂未討鵑垣垢雖爐痢崟祥凌諭中国人旅行者」に圧倒されまくりでした。

しかしかれこれ18年間は利用している牴罎家みたいな常宿のホテル爐北技にたどり着くと、気分は半分日本に帰ったみたいな安堵感に包まれました。

(このホテルは毎年何かしら牴良爐鬚靴討い董∈Gは部屋のテレビが新品の薄型液晶テレビに変わっていました。ここ数年でチェンマイは中国人旅行者が爆発的に増え、それを見込んだ新築ホテルラッシュが止まらず、ハイシーズンを除くとホテルが過剰気味で狎犬残り競争爐激しいのだそうです。ちなみにこのホテルの牴良爐任海譴泙任念貳峇尭阿靴燭里蓮孱裡硲縫廛譽潺▲猜送」が見られるようになっていた時です(笑)。)


始まってしまえばあっという間だったタイひとり旅。心身ともにリフレッシュをして大満足の旅でした。

これからまた一年間、「受付寺務所」で過ごす犁抛ゼロの毎日爐始まります。雪が消えた境内には越冬した雑草が早くも成長を始めていて「草取り」もじきに日課となるでしょう。(境内の片隅に雪割草が咲いているのがちらっと確認できますが、私には宿敵の雑草しか目に入りません)

4月に入ってすぐに、フランス在住の姉夫婦が来日してしばらく西生寺に滞在する予定だし(昨年は銀座で個展をしましたが、今年は4月半ばすぎに大阪で個展をします)、なんだかんだと「早春のお寺暮らし」は忙しく賑やかになりそうです。

いっぱいのんびりしてさんざん好きな事をしたので、あとはいっぱい働くのみです。それでいいのです。



●画像左…タイ北部の町ナーンの奇抜な「ラック・ムアン」
山岳地帯をバスで揺られて数時間、山あいの盆地の町ナーンは5年ぶり2度目です。外国人旅行者はほとんどいませんが(中国人にもまだ知られていません)、オシャレなバンコクっ子の間では大人気の町で、バンコクから直行便(飛行機)がバンバン飛んできます(バスだとバンコクから10時間以上)。

ナーン川が流れ、珍しいナーン様式の寺院がたくさんあり、牛飼いが多く、ちょっと中心部を離れるとのどかな風景が広がる、落ち着いた田舎の暮らしが守られている居心地の良い町です。

街の雰囲気とは全くかけ離れた、かなり奇抜な「ラック・ムアン」には驚きでした。「黄金の柱」の先端が犹楊未諒さまの顔爐砲覆辰討い襪里眥舛靴い掘天井も現代アートのような独創的なもの、「お堂」もチェンライの有名なホワイト寺(タイ人アーティストが手掛けた)のような、細かいレリーフが施された狃稠鬮爐妊◆璽蛤酩覆里茲Δ任靴拭

●画像右…ラーンナースタイルの寺院の本堂


2017/03/27(月)
★タイ旅報告⇔垢離哀襯瓠崚賈魅ぅ機璽鵑凌」














タイのイサーン地方の代表的な郷土料理といえば、タイ全土で食べられ、国民食となっている「ガイヤーン(タレに漬けこんだニワトリの豪快な炭火焼)」、「ソムタム(青いパパイヤの激辛サラダ)」と「もち米」の組み合わせがまずは頭に浮かびますが、この他にもイサーンならではの「隠れグルメ」がたくさんあります。

今回よく食べたのが日本の「焼きおにぎり」と非常によく似た「ハーティー」という、もち米おにぎり(主食はもち米です)を、しょうゆ系の味がついた猴颪里箸汁爐鵬薪戮發劼燭靴覆ら炭火で香ばしく焼いたモノです。軽食にぴったりです。2個で10バーツ(32円)。

小ぶりの白いコッペパンに2種類のタイソーセージをはさんで焼いた「タイ版ホットドック」と、一人前ずつミニフライパンで目玉焼きを焼いてひき肉をのせた「カイ・ガタ」もイサーン限定の朝食メニュー。

ひき米の入ったドロドロのスープ(具はタニシやチキン)、臓物入りのハーブスープもおいしいし、ラオスやベトナムの「インドシナ食文化」が根づいているので、多種類の生ハーブやサニーレタス風のやわらかいレタスを食事の際には大量に狎舷爐垢襪里眛団Г如◆崟現婀き」や「もっちもちの麺」などベトナム系の料理もおいしいです。

乾燥して暑いからなのか、タイに来ると日本では考えられないくらい狎弧邵據淵汽薀澄豊爐むしょうに食べたくなり、狂ったみたいにむしゃむしゃ食べまくります。(100グラム単位で計り売りの「サラダバー」が若い子に人気)

1ヶ月の滞在中、日本食やツーリスト向けの店では一切食事をしませんでした。せっかくタイに来ているのだから、日本では食べられないような「本場の本物のタイ料理」を毎日食べたいからです。

地元の人で混み合っている専門店、専用のロースターでモクモクと豪快に煙をあげている炭火焼の店(タイの焼き物は炭火が基本だから香ばしさがちがう)、地域限定の郷土料理系のお惣菜ばかり食べていました。これがまた驚くほど安く、ハーブ使いや味付けが絶妙で爛織つ未き爐やめられない一番の要因です。



●画像左…朝市で売られていた「メコンオオナマズ(タイ名:プラー・ブック)」
イサーン地方とラオスの国境で川幅がぐんと広くなる「メコン河」で獲れる巨大魚「メコンオオナマズ」は、かつてはめったに獲れない狡狭盖薺爐如獲れると地元民の口には入らずバンコクの市場へ運ばれ、バンコクのお金持ちの口に入るのみでした。(佐渡で形の良いクロマグロが揚がると新潟県民の口には入らず、即狠枌蝋圓爐汎韻犬任后

しかし近年「養殖」に成功し、他の川魚に比べると高級品ですが(地元のレストランでも一皿800円はする。地元を離れるとこの倍の値段)、こうして地元の市場でもふつうに売られるようになりました。蒸し物、スープ、揚げ物、炒め物で食べます。

「味」は、ワラサをもっとこってりとさせたような白身で、大型なので寒ブリみたいにかなり脂がのっています(切り身で黄色く見える部分が脂)。脂がかなりきついですが川魚特有の臭みはなくまずくはありません。

メコンオオナマズではないですが、アナゴみたいなしっとりとした身でほどよく脂がのっている「ナマズ」はタイで食べる川魚では一番好きです。味付けをしたナマズを丸ごと串に刺して炭火で焼いた「串焼き」はよく食べます。日本でも高騰のうなぎの代りに「ナマズのかば焼き」が話題になっていますが、ナマズはおいしいです。

●画像右…夕方市で売られていた「カエル丸揚げ(カエル肉詰め)」
ヒキガエルほどの大きさの「食用カエル」はイサーンの人々の大好物です。ボールみたいに怪しくふくらんだカエルのお腹の中には、レモングラスなどのハーブをまぜた味付きのカエル肉か何かの肉(笑)のミンチ(骨、内臓、ひき肉)がぎゅうぎゅうに詰まっていました。

ニンニク風味のフライドチキンみたいにカリッと揚がったカエルの丸揚げ部分もおいしいし、中に詰まったミンチ肉もおいしく、これは今回の旅でもかなり気に入った、とても印象に残った一品でした。傑作。(ひとつ120円くらい)


2017/03/27(月)
★タイ旅報告いろいろと














●画像左…ご本尊さまを間にはさみ、本堂の内陣にふたりの国王の肖像画が。左側は昨年亡くなったプミポン国王。右側がプミポン国王の息子で新国王のワチラロンコン国王。街中で見かける新国王の肖像画もこのポーズのものがほとんどでした。

亡くなったプミポン国王の妻「シリキット王妃」は、だいぶ前からアルツハイマー病(認知症)を患っていて公務からは退いています。

我が家も両親がこんな風になり、国の介護保険制度にお世話になっている身として、タイの高齢者介護事情がとても気になっていたのですが、タイでは日本のような介護保険制度もないし、そもそも「特養」や「老人ホーム」などの介護施設や、デイサービス、ヘルパーさんによる訪問介護なども一切ないそうです。

まだ国民の平均年齢が若いタイでは、高齢者の介護問題は第一優先課題とはならないのかもしれませんが、個人レベルで考えると、高齢の親が認知症になったり、寝たきりになったりして介護が必要となっても、制度に頼らずかつての日本のように家族の力でなんとかする以外に選択肢がないというのが実情で「ちょっと大変そうだなあ」と思います。

しかし、だからといってかつての日本のように牴搬欧つきっきりで面倒を見る爐箸いΔ錣韻任呂覆い箸里海函人件費が安いタイでは犖守りや介護が必要な高齢者のお世話をしてくれる人を雇う爐箸いΔ里一般的で、これがタイの介護の主力のようです。(フルタイムの契約だと牋貽500バーツ(1500円)爐らいが相場だそうです)



●画像右…東北地方内陸の街「サコンナコン」のインディゴマーケット
他のイサーンの町とはちょっと違う狎練された印象爐鮗けるプータイ族の文化が息づくサコンナコンは、なぜか日本のガイドブックではまったく紹介されていませんが、私は大好きな街です。

(長野の善光寺みたいに全国的に有名なお寺があり、タイ人観光客は大型バスで乗り付けますが、外国人旅行者はほぼゼロ。観光地にあるような銀行出店の両替屋がないので、日本円をタイバーツにする両替を銀行窓口で行ったところ、パスポートとお札のコピーだの書類書きだので20分もかかった)

市内はラーンサーン様式、中部様式などの寺院が混在しており、昔ながらの古い家屋が多く車も少なくのんびりしとしていて、湖はあるし(人造湖でなく自然湖としてはタイで一番大きい)、中心部の大きな市場は一日中活気があり、東北グルメもばっちり楽しめます。

しかし、なんといっても私がこの街に惹きつけられる最大の理由は、サコンナコンの伝統工芸品「藍染め(インディゴ)の織物」がとってもステキだからです。市内にはこの藍染め製品を扱った店がいくつもあり、ショッピングが楽しめるイサーンでは貴重な街です。

週末に開かれる「インディゴマーケット」はホコ天になった通りのはじからはじまでステキなインディゴ製品がびっしりと並び、インディゴ好きな私にとってはそれはもう感動的です。良いものは高いですが、日本で買うよりも数分の一の値段で買えます。


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