西生寺 おてら通信

◆即身仏霊場西生寺 おてら通信◆

このホームページを制作管理しておりますわたくし、住職の妻によって発信されるページです。西生寺からのお知らせや、お寺での暮らしの中で感じた事、お寺とは全く関係のない話など、肩の凝らない内容を毎回少しづつ、気ままに更新していく予定です。


2017/09/16(土)
★弘智法印即身仏ゆかりの『越後國柏崎 弘知法印御伝記』新情報!




















お盆が終わったと思ったらもうお彼岸です。空が高く日中の気候がさわやかでぐっと秋らしくなりました。夜は肌寒いほどで虫の合唱がにぎやかです(昼間のセミもまだまだがんばっていますが)。ぶどうやいちじく、サンマにマツタケと、涼しくなって食欲も増したところでグルメの秋も到来です。

私にとって猖かな秋爐鮗卒兇垢訛莪谿未呂覆鵑箸い辰討癲△燭錣錣房造辰寝金の稲穂が大草原のじゅうたんみたいにどこまでも広がる越後平野の「田園風景」です。この時期ばかりは猜討匹海躾軍祗爐魘く感じ、なんだか誇らしくて心が浮き立ちます。

グルメといえば、夏の長雨で犧Gは大豊作爐箸いΕ泪張織韻砲呂泙辰燭縁がありませんが、はるばる兵庫県の赤穂からいらしたご信者さんから狃椶里みやげ爐鬚い燭世ました。

それは 高くて手が出ない高級ぶどうのシャインマスカットの大きな一粒を、薄く白あんと求肥(もち)でやさしく包んだ爐曚椒轡礇ぅ鵐泪好ット爐箸いΔ瓩舛磴ちゃジューシーでライトでオシャレな「大福」でした。

こんな大福は初めて食べました。そして「我々の知らない間に猩族杙匐罰Ν爐呂海鵑覆海箸砲覆辰討い燭里」と気付かされたのでした。


さて、話は本題へ。今年1月、人形浄瑠璃『越後國柏崎 弘知法印御伝記』が約7年ぶりに復活上演されることが決まったという知らせを受けた時の驚きと喜びは、まさに「2度目の奇跡が起きた」の一言でした。

いろいろあって「もう二度と上演はされることはないだろう」と思っていたからです。

そして6月、待ちに待った2日間の「ロンドン公演」の成功を伝える新聞記事を目にして、私は興奮気味に「おてら通信」でもその成功とこれまでの道のりを紹介しました。

公演を成功させたあとのドナルド・キーンさん、猿八座の西橋さん、三味線弾き語りの越後角太夫さんの、晴れやかな狆亟蕕離好蝓璽轡腑奪鉢爐まぶしく、本当にうれしく思いました。

そしてその時(6月)の「おてら通信」の最後に、

−できることなら私たちももう一度『越後國柏崎 弘知法印御伝記』を観て見たい。国内で再び上演される日がやって来るのか来ないのか。爍嚇挂椶隆饑廰爐訪れることを、願ってやまない住職と私なのでした…

と文章を終えたのですが、本当に爍嚇挂椶隆饑廰爐狼こりました。

先日、柏崎市にある『ドナルド・キーンセンター柏崎』の事務局の方が見えて爐知らせ爐鬚靴討れたのです。(「弘知法印御伝記」関連に動き?があると必ず連絡をくださるのでありがたいです)

この9月24日(日)に、新潟県中越沖地震10周年復興記念事業とロンドン公演開催を記念して、地元の柏崎で『越後國柏崎 弘知法印御伝記』が上演されることになったということです。

さらに「柏崎公演」に続き、12月上旬にも「ロンドン公演開催記念公演」が、なんと新潟市内でも開催されることが決まったとのことで、なんだか夢みたいです。

というわけで今月24日(日)の「柏崎公演」は、残念ながらお寺を離れることができず無理なのですが、もしかしたら12月の新潟市の公演は観に行けるかもしれない、いや絶対に観に行かなきゃだわ!と今から住職とふたり楽しみにしています。


本当に再び、越後角太夫さんの素晴らしい三味線弾き語りと「猿八座」のみなさんによる『越後國柏崎 弘知法印御伝記』の人形浄瑠璃が観賞できるとは思っていなかったので、

「まだまだご縁は続いていたのだなあ…」

と感慨深いものがあります。



●画像左…『越後國柏崎 弘知法印御伝記』9月24日「柏崎公演会」の案内
「柏崎市産業文化会館」で開催されます。内容は、古浄瑠璃公演の他に、ドナルド・キーンさんと鳥越文蔵先生の対談や、ロンドン公演の映像紹介もあります。
(チケット(一般1500円)は、すでに完売していると思われます)

●画像右…『ドナルドキーンセンター柏崎』で開催中「ロンドン公演写真展」の案内
左側の人物が「猿八座」を率いる人形振付担当の西橋八郎兵衛さん、右側の人物が三味線弾き語りの越後角太夫さんです。いろいろあって決別していたこのふたりが再び共演することになり、奇跡の復活上演となったのです。

【企画展名】:「ドナルド・キーン、倫敦(ロンドン)に還る。」宮澤正明写真展
【開催期間】:8月13日(日)〜12月24日(日)
【会館時間】:10:00〜17:00 月曜休館
【入館料】:大人500円、中高生200円、小学生100円

※江戸時代に海外に持ち出され、大英博物館に眠っていた幻の『越後國柏崎 弘知法印御伝記』復活にいたる爐海譴泙任瞭擦里雖爐筬爐△蕕垢賢爐覆匹砲弔い討蓮孱況遑尭」の「おてら通信」をご覧くださいませ。


2017/09/01(金)
★「納骨」 園子ママ、墓石のシャッポをかぶる。














4月11日に亡くなり四十九日の法要を済ませた後も、白木の箱に入った園子ママの遺骨はずっとお仏壇の前に安置されていましたが、先日ついに園子ママが牋づ甓箸諒萓个離轡礇奪檗碧校辧豊爐鬚ぶる日が来ました。

墓石のシャッポ…

ちょっと聞き慣れないこの独特な表現方法は、生前、元気な頃の園子ママの口ぐせでした。

「いずれ私も直子さんも、同じ墓石のシャッポをかぶるのよ」
「先に墓石のシャッポをかぶって待っているわ」


墓石を「帽子」に例えた園子ママの独特なセンスとユーモアに驚き、そう言われてみると確かに「墓石は帽子かもしれない」と妙に納得したことがなつかしく思い出されます。

(この他にもお母さんの口ぐせだった独特な表現に「(あまりにおいしくて)猜△猟爐砲后爾辰函平べ物が)落ちていった」などがあります)


園子ママの言う「初めて墓石のシャッポをかぶる日(=納骨)」は予定通り、8月のお盆が明けて落ち着いた頃に行われました。

「おばあちゃんの納骨は僕たちが日本に来てからにして!」と希望していた、フランスからバカンスで来日中の甥っ子ふたりが東京からかけつけ、群馬からは妹夫婦が、そして我々夫婦の合計6人です。

(ちなみに施設に入居している長老のお父さんは、園子ママが亡くなった事をすぐに忘れてしまい、何度も衝撃を受けてとても気の毒なので、家族で相談して「園子ママの死」については話さないことに決めました)


お母さんの子供たち&とてもかわいがっていたふたりの孫という、阿刀の家族だけで行われた「納骨」は2カ所です。

まずは本命のお墓である「阿刀家」の墓へ。本堂「阿弥陀堂」の手前にある犖淮愿磴里墓爐泙如△澆鵑覆任錣い錣ぐ榮阿靴泙靴拭

なんというか、僧侶を含めて爐泙辰燭他人が居ない爐箸いΑ崘執」は、とってもカジュアルでリラックスしたムードでした。

阿刀ファミリーのリーダー、長男で爐兄ちゃん爐任△觸賛Δ瞭彪个里覆、順番にひとりずつお母さんの御骨を墓の中へ納めました。(初めて知りましたが、阿刀家の墓は、骨壺ごとを納骨するスタイルではありませんでした)

最後にずらしていた入口の大きな石を元に戻し終えた時、私は「次にこの入口を開ける時は…」みたいな事を一瞬だけ考えてちょっとドキッとしました。


お次は、境内の高台にある見晴しのよい展望が自慢の、永代供養墓「天翔園」へ。

天翔園でも一番高い場所にある、阿弥陀如来さまの大きな石像の下に入る「合祀墓(合葬墓)」に猜骨爐垢襪里任后

じつは、長老、園子ママ、住職、私と阿刀家の家族4人は、みんなが元気な時に「阿刀家のお墓の他に、天翔園の合祀墓にも入ろうね」と決めていたのです。

今回、園子ママが先陣を切って阿弥陀像の合祀墓に入ることになったのですが「なぜ家族墓があるのに、別に合祀墓にも入るのか?」という理由については、

「天翔園の合祀墓は、西生寺に御縁のあった人達が、家や血縁を超えてみんな平等に一緒になって入っているお墓だから、西生寺に御縁があって寺を守っている我々も、ぜひ、みんなで一緒に入ろうではないか」

という考えで家族全員が一致していたからです。

私も、阿弥陀堂の手前でひっそりと佇む、静寂に包まれた「阿刀家の墓」も良いですが、雄大な日本海や夕日の絶景が拝める、開放的な「天翔園(永代供養墓)」からの景色が大好きなので、ぜひ合祀墓にも入りたいと思っていました。


こちらのお墓も、阿刀家の墓と同じように、骨壺から御骨を出して納めるスタイルなので、住職がお経をあげるなか、残しておいた御骨を順番に全て納めました。

最後に全員で手を合わせ、無事に園子ママの納骨は終了しました。子供たちと孫という、ほんの家族だけで行われた「納骨」は、アットホームで温かくてきっとお母さんも喜んだのではないかと思います。


不思議なもので、園子ママがこの世を去ってからじきに5ヶ月が経ちますが、常に私の心の中に浮かぶお母さんの姿は、私が20歳で結婚をして西生寺に入ってからの、あらゆる面においてド素人の嫁子を、愛情を持ってビシビシときたえる「バリバリ現役のお母さんの姿」なのでした。




●画像左…「阿刀家の墓」の納骨の様子
この犖淮愿磴里墓爐歪肱靴里父さんが大昔に建てたものです。長老にとっては先代さん、お母さんにとってはお姑さんとなる西生寺住職夫婦が入っていて、園子ママで3人目です。それまでの代々の西生寺住職のお墓は、山内に個々に建てていましたが、お父さんが「阿刀家の墓」としてひとつにしたそうです。

●画像右…永代供養墓「合祀墓」の納骨の様子
12年に一度しか御開帳をしない、ふだんはお姿を見ることはできない西生寺のご本尊「阿弥陀如来」さまを模した石像の合祀墓です。今回初めて、家族の遺骨を納骨して思ったことは「阿弥陀さまの中に入るという感じで、まるでご本尊さまにくるまれているような安らかな気持ちになれそうなお墓だなあ」でした。


2017/08/16(水)
★Webマガジン『な!ナガオカ』で西生寺が紹介されています!














寺院にとっては、棚経や墓経などで一年のうちで一番忙しい3日間「お盆」が終わりました。「お墓参り」や「水子さま参り」で連日にぎわった西生寺にも、セミしぐれと野鳥のさえずりが響く、静かでのどかな日常が戻りました。


さて、さっそく本題です。新潟県長岡市の魅力を犲禺毀楡爐波見・発信してゆくWebマガジン『な!ナガオカ』で「新潟ミイラ寺紀行」として当山西生寺がたっぷり紹介されています。

取材で若い男性のライターさんが来山したのは、気温35度、じりじりと焼け付く暑さの7月下旬でした。「弘智堂」の案内や「即身仏の御開帳」は住職が、「宝物堂」は私がご案内しました。

「お盆前には掲載します」と聞いていましたが、お盆中に「そういえば」と思い出してサイトを見たら「おおー!」。

とってもインパクトのある見出しと写真が目に入り、期待以上の盛りだくさんな内容で、いっきに楽しく読み進みました。とっても気に入ったのでみなさんもぜひ閲覧してみてください。


弘智法印即身仏さまが御安置されている「弘智堂」や、「即身仏御開帳」はもちろんのこと、特筆すべきは倏甸冖砧銑爐痢嵎物堂」のお宝たちを、いまだかつてないほどの怒涛の大放出!みたいなノリで次々と紹介していることです。

迫力の目ヂカラ&迫力の大きさ「オオカミ夫婦のはく製」
アフリカの木彫りの像、異国の神さま「アークボーン」
宝物堂一番人気で最古参「雷獣くんミイラ」
因縁の「奴の首(ドクロ)」
そして「宝物堂」建物の秘話…

「おてら通信」でもまだ紹介していなかった猗訛△短勠爐燭舛続々登場します。

『な!ナガオカ』必見です。




●画像左…江戸時代に製作「身代わりの弘智法印即身仏」さま(木像)
江戸時代に流行した「出開帳」から弘智さまの身を守るために、弘智さまの爛瀬漾辞爐箸靴萄遒蕕譟弘智さまの身代わりとして越後國から江戸に出開帳に行ったという歴史を持つ木像です。いつ宿ったのかは定かではありませんが、この木像にも弘智さまの魂が宿っているので、毎日手を合わせてお参りをしています。

●画像右…「奴(やっこ)の懺悔(ざんげ)の首」
このドクロは、戦国時代に弘智法印即身仏を見たひとりの奴(兵士)が、弘智さまを牴修永爐抜違いして槍(やり)で突いてしまった後、霊験あらたかな仏さまであることを知り、懺悔の印に自らの「首」を差し出したといういわれを持つ牋縁のドクロ爐任后

座布団風の布の上にドクロがひとつ、こっちを向いて置いてあるだけでもインパクトがあるのに、図らずも照明の当たり具合が、これまた「お化け屋敷」の恐怖アイテムみたいになっていて、今の季節にぴったりです。



2017/08/01(火)
★お盆「ご先祖さま お帰りなさ〜い」














ニイガタは倏澑明け宣言爐僚个覆い泙泯厳遒砲覆辰討靴泙い泙靴拭カラッとするところがなく、天候に関係なくいつまでたっても非常にムシムシする暑い毎日です。(※翌日、ようやく梅雨明け宣言が出ました)

「夏休み」に入ってすぐ、10余年ぶりに横浜の妹家族4人が泊りがけで遊びに来ました。

お兄ちゃん(中学3年)・弟(小学1年)ともに、地元「野積海水浴場」で狄誉現蕕粒た緲甅爐魍擇靴漾∩納蠅猫狢腓なアサリ爐鮴弔ぅ丱吋聴貲娚佑辰討ました。中には爛魯泪哀螢汽ぅ梱爐猟僑贈稗任覆里發△蝓海水浴シーズンが始まったばかりだったので、大きなアサリが獲り放題だったようです。砂抜きをしてみんなで美味しくいただきました。


さて、本日8月1日は、多くの寺院では「新盆会(あらぼんえ)」という法要が行われます。身内や肉親が亡くなって狃蕕瓩討里盆を迎える親族爐菩提寺に集まるのです。

西生寺でも檀家さんや新盆を迎える親族の方々が集まり、法要のあとにお斎(昼食)を食べます。今年は「新盆」が多く、昼食会場の「庫裡」も満杯です。

さらに「阿刀家」としても今年は4月に亡くなった園子ママが初めてのお盆を迎えます。

当然猜酊鷸爐廊犲分の家爐覆里任垢、8月1日は参拝者のお世話に忙しく牋づ甓箸凌汎皚爐箸靴突遒礎紊い橡〕廚忙臆辰垢襪海箸漏陲い泙擦鵝

「新盆会」に合わせて、住職の妹が群馬から、甥っ子がフランスから駆けつけてくれますが(7月29日に成田到着後そのまま西生寺へ直行)、親族代表というよりは、お弁当を配置したり後片づけをしたりと狄桂濂颪里手伝い爐任后

この「新盆会」を迎えると「今年もいよいよお盆が来るなあー」と思います。

「盆と正月が一緒に来たみたいだ」なんて言葉もあるくらい「お盆」は昔から、新年を祝う「正月」と同じくらい日本人が大切にしてきた行事です。(春秋の「お彼岸」もそうですね)

というわけで、この時期の「おてら通信」では恒例となっている爐盆のお話爐髻∈Gもしたいと思います。

寺院で「新盆会」の法要が行われる8月1日は、一般的には8月13日からの「お盆」に向けて、アレコレ準備を始める日です。

仏教ではそんな8月1日を「釜蓋一日(かまぶたついたち)」と言います。

これは地獄のシンボルともいえる犁霏腓覆釜爐粒検覆佞拭砲開く日という意味です。この日は畑に行って耳を地面につけると、地獄にある大きな釜のふたが開く音が聞こえるとか聞こえないとか…。

つまり、通常は蓋がされた状態でぐつぐつと恐ろしげに煮えたぎっているお釜も、8月1日からお盆が明けるまでの間だけは特別に爐休み爐箸いΔ錣韻任后

地獄も爐盆休み爐任后

それではさっそく、

爐汗菫弔気泙鬚迎えするための準備爐ら爐盆を迎えて終わるまでの流れ
を具体的に書いていきましょう。


まず「お墓そうじ」や「盆道(ぼんみち)つくり」を始めます。

準備の基本は「お墓そうじ」といってもよいくらい「お墓そうじ」はとっても大切です。お盆当日の「迎え盆」でのお墓参りの前に、ぜひとも済ませておかなければなりません。

我が家の場合、メインの「阿刀家の墓」の他に、私の実家のお墓や、代々西生寺に仕えた「僧侶のお墓」が山中にいくつかあり、墓そうじだけで3エリア9カ所ほどになります。

「盆道つくり」というのは、田舎に多いスタイル「自宅敷地内や田畑にある昔ながらのお墓」の場合に「お墓そうじ」に加えて、墓から家までの道を掃き清めることです。


そして8月7日は「磨き盆(みがきぼん)」です。

「お仏壇」の仏器などをキレイに磨きあげます。
(当山では「ニュー・テガール」という仏器磨き専門の液を使っています)


そしてお盆当日がせまってきたころ、里帰り中のご先祖さまの爐世辰ら場所爐箸覆襦崟採鄰(しょうりょうだな)」を作るのも忘れてはなりません。

お盆の間はこの「精霊棚」が「ご先祖さまに対するおもてなしの場所」となるのでとっても大事です。(マンションなど、棚を設置するスペースが難しい場合は「お仏壇」をちょっとアレンジすれば良いでしょう)

「どういう精霊棚がご先祖さまにとって居心地が良いのかしら?」

これ、毎年考える牘扮鵑離淵将爐燃目見当もつかないのですが、とにかく「少しでもご先祖さまの居心地が良いように」と心がけ、ご先祖さまのことを思いながら精霊棚を作ります。(今年より初めて狎採鄰のご先祖さまの仲間入り爐鬚垢覬犹劵泪泙法△い蹐い蹐閥気┐討發蕕い燭いらいです)

棚の作り方は、まず台に「こも」と呼ばれるござを敷いて、ほおずきや変わりカボチャなど爛ラフルなミニ野菜爐覆匹鯤造戮鴇り付けます。「きゅうりの馬」や「ナスの牛」を供える地域もあります。

この「精霊棚」に供える物は他には「お花」、ハスの葉の上に新潟では必須とされる「味噌漬け」、「水」、「干菓子」、「果物」など。あとお盆期間中は狷替わり爐如屬こわ」や「白玉団子」などをお供えします。


8月13日はいよいよ「御精霊さま(ご先祖さま)を迎える日」です。

我が家ではお墓そうじを終えた「お墓」ひとつひとつにお供えするための準備アレコレでこの日は大忙しです。

「お盆の花」で欠かせない黄色い爛ミナエシ爐筏討鯊ねて、数十束の「花束」を作ります。それと、この地域のお盆のお供えで「あられ」と呼ばれるキュウリやナス、カボチャなどを細かくサイコロ切りにしたモノをバケツいっぱい準備します。

「この世」でもそうですが、夕方になると「あの世」でも狒埓笋糞⊂淵薀奪轡絖爐始まります。

こっちの世界では、ご先祖さまが道に迷わないように、無事に我が家に帰って来られるように「迎え火」を焚き(今はちょうちんが主流です)ご先祖さまをお迎えしたあと、家族みんなで「お墓参り」をします。最初にお墓まで家族でちょうちんを持って行き、お墓でご先祖さまを迎えて一緒に家まで帰るという風習の地域もあります。

この時、「仏花」や「お灯(ローソク)」と一緒に持参する「お供え物」は、地域ごとに特色があります。我々の地域は朝作っておいた「あられ」を牾舛陵姚爐望茲擦栃菫阿剖,┐泙后そのほか「おはぎ」や「白玉団子」なども供えます。

今は「食べ物類」はお供えをしたらすぐに持ち帰るルールとなっている墓地が主流ですが、ここらの犹海諒菽廊爐呂修鵑覆海箸發擦梱犹情を良く知る犇内在住のカラスや獣(けもの)のエサとなります。

それと8月13日は、お寺のお坊さんにとっては牋貲中で一番過酷な3日間爐斑埜世任る、檀家さんの家々を回る「棚経(たなぎょう)」が始まります。

「棚経」は、家族全員が参加して猯さ△蠅鬚靴討い襪汗菫弔気泙里燭甅爐砲△欧襪経です。精霊棚の前、つまり狠の前爐任△欧襪経なので「棚経」と呼ぶのですが、今では爐仏壇の前爐主流となっています。

朝から晩まで一日中お経をあげてまわる夫や息子たち(僧侶)が夏バテをしないように、お寺の留守を守る我々寺庭は「食事の献立」に気を使い、スタミナをつけながらの3日間となります。(ちなみに新潟では夏の代表的なスタミナ郷土食は「くじら汁」です)


お盆「中日」の8月14日は「休息の日」です。自分も御精霊さまもゆっくりと過ごす日です。

8月15日は「別れを惜しむ日」です。ご先祖さまと過ごす最後の1日を、互いに名残惜しく過ごす日です。この日夕方、我々の野積地区では爛淵垢糧蕕硫餃犲膾鼎砲茲襦復活して11年目となる『巡回型盆踊り』が開催され、村内はおおいに盛り上がります。

そしてお盆最後の日である8月16日は「御精霊を送る日」です。

夕方「送り火」を焚いてご先祖さまを送り出します。我々の住む野積では、手作りの船に御精霊を乗せて、地元の海岸から海に流す風習があります。昔からの西生寺の狒り方爐蓮崗豆粥」を炊いて、丸めた「精霊棚」と一緒に近くの珮韻だ遏覆呂蕕いわ)爐卜しています。

以上がご先祖さまを想いご先祖さまとともに過ごす「お盆行事」のひととおりの流れです。

最後に、みなさんは犲分のご先祖さまがざっくりと何人いらっしゃるか爐澗犬犬任靴腓Δ?

おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん…と自分から30代前までさかのぼると、なんとご先祖さまの数は爍渦人を超える爐修Δ任后

代々命をつないできたたくさんのご先祖さまのおかげで今の自分がいる、ということなのです。みなさん ご先祖さまを大切にしましょう。「お盆」はご先祖さまに思いをはせ、そしてお墓参りも忘れずにしましょう。



●画像左…おおらかでのんきなタイの「寝釈迦さま」
北部プレーの町で出会った、全長10メートルちかくある大きな金色の寝釈迦さまです。タイの寝釈迦さまはどれもステキですが、こういう開放的な牴虻なしタイプ爐脇邱颯織い諒薫狼い砲圓辰燭蠅任后とっても気持ちがよさそうだし「細かいことなんてどうでもいいじゃん、何とかなるよ、気にしなーい 気にしなーい」というオーラが全開。

●画像右…タイ「地獄の釜」2017
悪事を働いて地獄に落ちた人々の爛轡紂璽襪淵ブジェ爐楽しいタイの「地獄ランド」。この冬の旅で訪れた北部の町ナーン、町で一番有名なお寺「ワット・プーミン」で見つけました。ドーム型の専用施設の内部に展開されるのは、のんびりとした爐罎襪っ蝋の世界燹ここの地獄ランドの住人たちに緊迫感はなく牾ゆで爐砲気譴討い覽潅椶燭舛癲屬いづ鬚世福繊廚澆燭い覆世辰ら感が出ています。



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【お知らせ】:お盆期間中8月13日〜15日は「即身仏拝観」をお休みします。
住職が棚経に出かけるので、お盆休みで混みあう期間なのですが「即身仏の拝観」はお休みとさせていただきます。本当に申し訳ありません。なお、宝物堂や境内を自由に参拝することはできます。「御朱印」は書いたものを駐車場の「受付寺務所」でご用意しております。

よろしくお願いいたします。
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2017/07/16(日)
★「大般若法要・先祖水子施餓鬼総回向」の御礼














西生寺の大切な年中行事「大般若祈祷会(大般若転読会)」と「施餓鬼会(先祖総回向法要)(水子合同供養祭)」が7月15日(土)に執り行われ、おかげさまで無事に終わりました。

事前にご祈祷や供養等のお申込みをされた方、当日参拝に来られた方、みなさま本当にありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。

今年は3連休の初日ということで、午後の法要が始まる時間になると、会場の「客殿」は休日を利用してお参りにきてくださった方で満員の状態となりました。堂内をよく見ると、テレビ局の撮影隊もいます。

11名の僧侶と、子どもからお年寄りまで猩啓稈暴爐大集結した会場でまず始まったのが「大般若経転読」によるご祈祷です。

僧侶ひとりひとりが迫力満点の大きな声で、大般若経を一冊ずつ転読する声が堂内に響きわたり、僧侶の前にはご利益のある犒佚気麟霽爐砲△燭蹐Δ函入れ替わり立ち代り人々が行き来して、堂内は熱気であふれ狢臠娘稙汎鱈爐龍気に包まれました。

午後2時半からは「お施餓鬼」による供養の法要です(水子合同供養祭)。

ご先祖さまや水子さまのご供養を行います。お申込みいただいた全ての方の名前が書かれた狹稠漫覆箸Δ弌豊爐髻⊇賛Δ一枚一枚読み上げたあとに全僧侶で読経をします。

午後3時半すぎに全ての法要が終了しました。

エアコンもない屋内での法要なので、高温が心配されましたが、カンカン照りではない倏曇り爐療係にも助けられ、庫裡やお堂の窓という窓をすべて開け放ち犲然の風頼み爐箸い昔ながらのスタイルで今年もなんとか乗り切りました。

暑い中、みなさま本当にごくろうさまでした。



●画像左…「大般若祈祷会」の様子
ちょっと変わったお経スタイルの「大般若」の様子。堂内の熱気が伝わるでしょうか。

●画像右…「施餓鬼会(先祖水子総回向法要)」の様子
当日や、事前の「郵便振込」などでお申込みをされた方の名前が書かれた「お塔婆」を、一枚ずつ読み上げている住職の様子です。台の上に積み上がっているのが「お塔婆」です。今年もたくさんのお申込みをいただき本当にありがとうございました。


2017/07/05(水)
★7月15日(土)「大般若法要・先祖水子合同供養祭」のご案内














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西生寺の大切な年中行事のひとつ「大般若祈祷会」と「施餓鬼・先祖水子総回向法要(合同供養祭)」が7月15日(土)に今年も開催されます。大勢の僧侶より読経していただき、水子精霊やご先祖さまを供養する法要や「大般若六百巻」による所願成就の大祈祷会が厳修されます。

予約も必要ありません。どなたでも気軽にご参加いただけますので、ぜひお参りください。(小さなお子さんも大丈夫です)(服装は普段着で大丈夫です)

なお当日「ご供養」や「ご祈祷」をお申込みいただく方は、午後1時半までにお越しいただき「庫裡の受付」にてお申込みください。
ぜひこの機会にご参加いただきたくご案内申し上げます。

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【日時】:7月15日(土)
【時間】:午後1時「ご法話」
午後2時「大般若祈祷会」
午後2時半「施餓鬼・先祖水子総回向法要」
〜午後3時半終了
【受付】:西生寺「庫裡」(ご祈祷・ご供養を当日お申込みになる方)
【会場】:西生寺「客殿」

【塔婆料(御供養料)】:(先祖供養、水子供養など一件につき)2,000円
【大般若祈祷会祈願料】:(一件につき)2,000円
家内安全・病気平癒・交通安全・身体健全・商売繁盛・開運満足
厄難消除・合格祈願・学業成就・安産祈願・家門繁栄・その他

【お問い合わせ】:0258−75−3441
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早いもので、もう一年も折り返しとなりました。例年どおり倏澑の真っ只中爐悩Gも大般若を迎えます。今年の7月15日(土)は爍穫休の初日爐箸いΔ海箸如当日は仕事がお休みという方も多いのではないでしょうか。平日開催の時よりも多くの方のお参りがありそうな予感に、住職も私もはりきって準備をしています。


ところで1年に1度、たくさんの僧侶が集いこの日行われる『大般若会祈祷会(大般若転読会)』と『施餓鬼会(先祖水子総回向法要)(水子合同供養祭)』とはいったいどんな法要なのでしょう?

昨年も書きましたが、今年も爐修譴召譴遼〕廰爐砲弔い栃かりやすく説明してみたいと思います。意味を知るときっと面白いし、仏教のことや仏事がもっと身近に感じられたらうれしいです。


まずこの日の法要は大きく爍欧牒爐吠かれます。

1、『大般若転読会』(だいはんにゃてんどくえ)、または『大般若会』(だいはんにゃえ)
2、『施餓鬼会(せがきえ)』または『お施餓鬼』による『先祖・水子総回向(えこう)』

です。

そして猖〕廚亮膸櫚爐癸欧弔吠かれます。

1の『大般若会』がご祈祷。
2の『お施餓鬼』はご供養 です。


では各法要についてもうすこし詳しく書いてみます。


◆1、『大般若転読会(大般若会)』※ご祈祷

「ご祈祷」は現世を生きる私たちに対して行う法要です。「所願成就」、「家内安全」、「病気平癒」、「開運満足」などなどさまざまな願いを祈願する法要です。「厄除け」もご祈祷です。

一年に一度行われるこの「大般若会」の法要はちょっと変わっています。「十六善人さまの掛軸」をご本尊として祀り、全部で600巻、42万文字もある「大般若経」を狹焼鼻覆討鵑匹)爐垢詼〕廚任后

「大般若経」は仏教発祥の地爛ぅ鵐畢爐謀舛錣辰討い拭▲汽鵐好リット文字で書かれた経典です。後に三蔵法師さま(あの「西遊記」の三蔵法師さまです)が中国に持ち帰り、4年をかけて漢字に翻訳、それが日本に伝わり、真言宗(密教)や禅宗などの多くの寺院で「大般若会」が行われるようになったのです。

法要では、10名以上のお坊さんで手分けをして「大般若経全600巻」を一冊ずつ、迫力のある大きな声で勢いよく狹焼鼻覆討鵑匹)爐靴討います。経本をバサバサと上から下へ転読する時に起こる獻霽爐砲聾耆益があり、この梵風にあたると無病息災でいられるといわれています。

「もし、全600巻を転読ではなく、一巻ずつ読経していったらどれくらいの時間がかかるのかなあ?」とは素朴なギモン。「経典」はどれもありがたいものですが、600巻でようやく完結するなんてお経は他にはありません。

ちなみに我々にもっとも馴染みの深いお経『般若心経』は、この42万文字の「大般若経」を、276文字にぎゅっと凝縮したお経といわれています。


◆2、「お施餓鬼(せがき)」による『先祖・水子総回向法要』※ご供養

「ご供養」は水子さま、亡くなった方、ご先祖さまのために行う法要です。ご供養をする内容によって「お経」や「方法」はいろいろとあります。そのなかのひとつが「お施餓鬼」です。文字どおり、飢えと渇きに苦しむ世界牴邉監鮫爐砲い襦峅邉粥廚法峪椶后弑〕椶任后

餓鬼道にいる「餓鬼」はノドが針のように細く、口から火を吐くため、食べ物が燃えて食べられず、飢えのためにお腹だけが膨らんでいます。私たち自身にもある爐爐気椶蠅凌喚爐鯣疹覆掘苦しみの世界にいる餓鬼を餓鬼道から救うのが「お施餓鬼」です。

そして「お施餓鬼」により得られる犖徳爐髻∨瓦なった方やご先祖さま、水子さまに「回し向ける(=回向(えこう)」ので「施餓鬼総回向」などと呼ばれます。

法要では、餓鬼に飲食を施すための「施餓鬼壇(せがきだん)」を設け、弘法大師さまが唐より持ち帰った「経典」をもとに、こちらも大勢の僧侶により読経が行われます。

それにしても「何の関係もない餓鬼に何でわざわざ施すわけ?」という疑問が浮かぶ方もいるかもしれません。

餓鬼に施すというのは爐垢戮討里發里吠けへだてなく施す爐箸いΠ嫐が込められています。

ご先祖さま以外にも、自分とは直接縁のない人や狒瓦討領遏併鯵λ霊)を、分けへだてなく供養することにより、爐茲蠡腓な功徳爐得られるとされています。その爐茲蠡腓な功徳爐髻∨瓦人や水子さま、ご先祖さまに回向するのです。

さらに「お施餓鬼」の功徳は、自分自身にも、現世に生きる私たちのご利益(りやく)にも実はつながるのです。

自らの悪い因縁を消し去ったり、さまざまな災いや病気を払ったり、開運を招いたり…。お施餓鬼による功徳は狃笋蟆鵑辰銅分のためにもなる爐箸いΑ△箸討發△蠅たいものなのです。

「お施餓鬼」はお盆の法要、または施主の依頼によりお葬式、法事などでも行われます。



以上です。7月15日に開催される爍欧弔遼〕廰爐蓮△佞世鵑覆なか出会うことができない爐箸討發△蠅たい大法要爐世箸いΔ海箸お分かりいただけましたでしょうか。都合のつく方は、ぜひ爍欧弔遼〕廰爐砲柑臆辰気譴討澆襪海箸鬚すすめいたします。




●画像左…「大般若転読会」の様子
大勢のお坊さんで手分けをして「大般若経全600巻」を一巻ずつ、迫力のある大きな声で勢いよく転読してゆく一年に一度の祈祷法要です。お坊さんの前にある「桐箱」が経典をおさめている箱で、ひとつの箱にだいたい50冊の経典が納められています。

●画像右…お施餓鬼のための「施餓鬼壇(せがきだん)」
「お施餓鬼」では、餓鬼に飲食を施すために「施餓鬼壇」を設けます。正面と四方に五色の「施餓鬼幡(せがきばた)」を飾り、檀上に用意するのは「三界萬霊」と書かれた牌、花、水、果物、野菜、ご飯、おまんじゅう、霊供膳などです。


2017/06/24(土)
★飼い猫vsケモノ、そして「捕獲大作戦」














昨年はこれまでにない狡凝たり年爐如香りの良い白い大輪の花をぽんぽん咲かせておおいに盛り上げてくれた境内にある一本の泰山木(タイザンボク)。

あれだけ咲き乱れたのだから「今年はきっと爐休みの年爐念賣悗盧蕕ないかもしれないなあ」と思っていたら爍気牒爐皀椒鵐椒鵑舛磴鵝福瓩弔椶漾砲鬚弔韻討れました。いま、時間差で一輪ずつゆっくりと咲きはじめ、残すところあと2輪、毎日愛おしく見守っています。

泰山木の最初の一輪が咲き始めた6月初旬だったか、夕方からの猝邀鯵萋悪爐鬚靴討い燭Δ舛了瑤でタビー(メス5歳)がいつまでたっても帰宅しない日がありました。「何かあったかなあ」と我々が心配していたら、日付が変わる頃にようやく帰ってきたタビーを見てびっくり仰天。

よろよろと歩きながら部屋のドアを頭で押しあけて無言で入ってきたその姿は、砂と草まみれ、体中が何かの汁で濡れていて、ものすごい臭い匂いがぷんぷんして尋常ではありません。無言のタビーは精根尽き果てたという感じでそのまま、絨毯の上にバタンと横になってしまいました。

濡れた足の毛がうっすらとピンク色になっていて「血だ!」ととっさに思った私がタビーの足に触れたら「さわるニャ」と怒られてしまいました。カリカリも食べず、水も飲まず、そのままとなりの暗い部屋の隅にヨタヨタと移動、その晩は姿を現しませんでした。

タビーの全身から激しく臭い匂いを発している牴燭の汁爐箸いΔ里廊狃叩覆韻發痢砲離シッコのようで(ネコのも臭いけれどネコ以上に強烈な臭さ)、どうやらタビーは、なにか野生動物と狢亰茘爐鬚靴読藹、ボロボロになりながらも必死の思いで帰宅したらしい、ということが分かりました。

この日から丸々3日間は、声も出さず、痛めた足を気にしながら、廊下を静々と歩くだけで一歩も外に出ようとはしなかったタビー。あれほど外が大好きなネコなのに、足を負傷し、臭いシッコを体中につけられて、よほど恐ろしい目に遭ったにちがいありません。

そんなタビーですが犇丹曚硫麌力爐覇以病院に行くこともなく、4日目には庫裡の廊下をこれまでのようにダッシュで走れるようになりましたが、外出は怖いらしく、10分もしないで急いで戻ってくる日が続きました。

そして、タビーが負傷した直後から、境内を狢腓なハクビシン爐うろつくようになりました。
もう我々はすぐに爛團鶚爐箸ました。

住職:「間違いないな。タビーはあのハクビシンにやられたんだ」
私:「だね。私が近づいても逃げないんだよ、ふてぶてしいヤツだ」

さらに事態は悪化。早朝の日課となっている境内チェックの時に「水子さまエリア」に異変が生じるようになりました。

水子さまエリアにある「小さな祠(ほこら)」の中にお供えされているぬいぐるみなどのおもちゃや飲み物、お菓子、お塔婆がほじくり出されて、祠の前の地面がこれらのモノで散乱するようになったのです。

「祠」の奥のモノまでアレコレひっぱり出しているあたり、上空からお供えの菓子をねらっている爐い弔發良徂悒ラス爐了填箸箸六廚┐泙擦鵝

住職:「たぶん、あのハクビシンの仕業だろう。味をしめて夜な夜なあさっているんだろう」
私:「タビーを痛めつけるわ、水子さまを荒らすわ、好き勝手してもう許せないっ!」


ということで我々は「オリを仕掛けてハクビシンを捕獲」してみることにしました。

とは言っても、野生動物捕獲の経験は我々にはなく、捕獲用ゲージや猜甞佑離灰牒爐砲弔い討涼亮韻眩瓦ありません。さらに少し調べてみると、ハクビシンはなかなか警戒心の強い動物みたいです。

かといってこのまま放置して、屋根裏にでも住まれたら大変なことになります。とりあえず、ネット通販で適当に「捕獲ゲージ」を注文、「エサ」はハクビシンは犂鼎な好き爐箸いΔ海箸蕕靴い里如∧拡して「完熟王バナナ」に決定。

説明書を見ながら「捕獲ゲージ」を扉が閉じるように仕掛けをセットして、見よう見まねで中に半分にカットしたバナナを吊るしていると、なぜだか二人して笑いが止まらず。

住職:「これで本当に捕まるんかいな」
私:「挑戦あるのみ!」

未経験ゆえ、自信もゼロ。すぐに捕まるか、長丁場になるか、まったくどんな結果になるのかも検討がつかないなかでとりあえず、出没地点の水子さまの「祠」の真ん前に設置してみました。受付寺務所の窓からもよく見える位置です。設置タイムは午前9:30分。


(約4時間後)午後1:20分。
おお!なんと早くも客殿の縁の下から爐△梁腓なハクビシン爐姿を現したではないですか。白昼堂々とは恐れ入った、順調に「水子さまの祠」めがけて境内をノコノコ横断中。

!!!横断を終えて水子さまに到着したハクビシンは、そのまま「祠」前に置いた「捕獲ゲージ」の中へ、完熟王バナナめがけて何の躊躇もせずにすーっと吸い込まれるように入って行ったことを寺務所の窓から確認!!

私:「ちょっと大変!ハクビシンがゲージに入ったっぽいよ!!」
住職:「ウソだろ!まだ仕掛けたばかりじゃん!」

住職と私は受付寺務所を飛び出し、捕獲ゲージへと急ぎました。

すると見事に仕掛けが下りて「扉」が閉まった「捕獲ゲージ」の中には爐△梁腓なハクビシン爐入っていて、むしゃむしゃと完熟王(バナナ)を食べていました。我々が近づくと、威嚇の声をあげつつも、バナナを食べ続けています。

設置してわずか4時間というまったく予想もしなかった狡競好圈璽品甞有爐法我々ふたりはふたたび笑いが止まらなくなりました。そして捕獲ゲージの10メートルくらい前から臭ってくる爛織咫爾梁里砲弔い親い爐汎韻検▲魯ビシンの発する猛烈な爛吋皀僚爐砲篭辰ました。

住職:「まったくドジなヤツだぜ。まだバナナを食ってるぞ」
私:「よっぽどバナナが好物なんじゃない」

バナナの皮まで完食して、もう食べるモノも無くなり、観念した様子でおとなしく長ばるハクビシンをじっくりと観察してみることに。

ピンクの鼻先から額にかけて白い筋があり、濃茶の毛から透けて見える皮膚病っぽい顔には、でっかく太った真ダニが何匹も喰い付いていて、タビー用の「真ダニ取り専用ピンセット(先が丸いカップ状になっている)」では収まりきれないくらいの大きさ。

こんなのとタビーが接触したと思うだけで体が痒くなってきます。(と同時に、真ダニ用ピンセットのカップで、このビック真ダニをはさんで引っ張ってみたいなとも思ったりしました)

ピンク色の手がまた強烈に不気味。ネコの肉球とはまったく違い、人間の手を小さくしたみたいな肉付きのよい手のひらと指の先には、猛禽類の爪みたいなもりもりとしたカギ爪。見たことはないけど凶暴そうなタスマニアンデビルを想像しました。

私:「こんなの相手じゃタビーもやられちゃうわけだわ…」


弥彦山を走り回る猝鄒味あふれる飼い猫タビー爐鉢猖槓の野生の動物爐琉磴い鮓せつけられました。


で、問題はこの後です。この捕獲したハクビシンをどうするか?が問題です。

このまま飼うわけにもいきませんし、凶暴すぎて臭すぎてゲージを持って移動するのも我々ではムリです。初めての事でまったく分からないので犁澆い魑瓩瓩詆爐法地元の「寺泊支所」にまずは電話をしてみました。

「毎日境内がひどく荒らされるので、捕獲ゲージを設置したらハクビシンがかかったのですけが、どうしたら良いですか?」

みたいな事を言ったら、担当課の方が最初におっしゃったのが、

「(捕獲ゲージを)軽トラに乗せて支所まで持って来てください」

でした。(田舎では軽トラは牋豌箸飽貘翕爐任后砲靴し軽トラを所持していない我々は「軽トラは持っていません」と言いました。そして心の中で「こうなったら、村の知人に軽トラを借りて連れて行くしかないかな」ととっさに考えたのです。

少し電話を外し、再び戻ってきた職員の方が予想外の事をおっしゃいました。

「ではこちらで軽トラを手配して西生寺さんに伺いますよ。そして山奥に放してきます、それでいいですかね?」

正直、そこまでしてくれるとは思っていなかった我々。めちゃくちゃありがたくて親切な申し出に、住職も私も感激してしまいました。人口の多い都会ではきっとこんな対応はしてくれなかったかもしれません。

30分後、白い軽トラが西生寺に到着。(この時ほど軽トラが猝瓦両茲衒爐妨えたことはありません。我々にとってはまさに「ドリーム号」です!)

運転していたのは電話で対応してくださった担当職員の方(男性)でした。さっそく水子さまエリアに案内して捕獲ゲージに入ったハクビシンを見せました。

職員さん:「うわあ、こんな狎賢爐埜たのは初めてだなあ。うわあ、けっこうデカいねえ」

PM2:30分。
軽トラ「ドリーム号」の荷台に乗せられたハクビシンは、西生寺を去って行きました。捕獲した安堵感からか、憎いはずのハクビシンに対してちょっとした情がわいている自分に気付きました。

私:「ハクビーちゃんバイバーイ!元気でね〜。二度と戻って来ちゃダメだよ〜」

PM3:00時。
軽トラが空になったゲージを乗せて再び来山。職員さんが山奥でハクビシンを解放した際の報告を楽しそうにしてくれました。

職員さん:「喜んで(ゲージから)駆け出して行きましたわあ〜♪」


今回の寺泊支所の親切な対応には本当に「ありがたい。感謝!」の一言でした。軽トラでかけつけてくれた職員の方に何度も何度もお礼を言い、ペコペコと頭を下げる我々が見送る中、軽トラは軽快に走り去って行きました。

西生寺に居ついてしまったハクビシンをめぐるこの一件は、あっという間に決着がついた上に、最後はこんな爐曚里椶隆境爐破襪鯤弔犬泙靴拭私は「人も時間もの〜んびりとした田舎に暮らしていて良かったなあ」としみじみ思いました。

(後になって知ったのですが、ハクビシンはタヌキなどと違い「野生動物保護法」が適用されるので本来、捕獲禁止な動物なのだそうです)

最後に我が家のタビーについて。対決してボロボロになって帰宅して以来、おとなしく牴肇優貝爐靴討い織織咫爾任垢、ハクビシンが西生寺からいなくなったとたん、

「(外に)出せー出せー」

と騒ぐようになり、この日の夕方、鉄砲玉みたいに外へ飛び出して行きました。爛魯ビシンの気配がなくなったこと爐鯢甸兇忙|里靴燭箸靴思えない、みごとな復活ぶりに爛優海糧襪瓩診塾廊爐鮹里蠅泙靴拭

というわけであれ以来「水子さまエリア」も荒らされることはなくなり、タビーは元気に境内や弥彦山を走りまわり、いまのところ平和な西生寺が継続しています。
めでたし。めでたし。



●画像左…外に出ようとしなくなった飼い猫タビー(メス5歳)
外出はしなくても、お寺の屋内は広いので不自由はしないみたいでした。牋汰慣爐里気に入りの梁(はり)の上でくつろぐタビー。

●画像右…捕獲したハクビシン
境内に暮らす、気の毒なほど痩せた野ウサギたちとは違って、このハクビシンの丸々と太った体格の良さには驚き。こんないじけた様子のハクビシンを見ると、バナナを半分じゃなくて一本くらい仕掛けておいてあげれば良かったかなあ、なんて思いました。


2017/06/06(火)
★2度目の奇跡!「越後國柏崎 弘知法印御伝記」ロンドン公演















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≪ロンドン公演−London Performance−≫
【場所】:大英図書館ノレッジセンター
【日時】:6月2日(金)、3日(土)
【上演演目】:古浄瑠璃『越後國柏崎 弘知法印御伝記』より二段目、三段目
【出演】:浄瑠璃 越後角太夫
    :人形遣い 西橋八郎兵衛ほか4名
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当山西生寺に御安置されている「弘智法印即身仏」をモデルとした、江戸時代に上演された古浄瑠璃『越後國柏崎 弘知法印御伝記』の「ロンドン公演」が6月2日(金)、3日(土)の2日間にわたり行われました。

「新潟日報」や「毎日新聞」などでも大きく取り上げられていてご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。6月4日付の新潟日報では、大きな見出しで

「越後絵巻 英国を魅了」
「古浄瑠璃 ロンドンで「里帰り公演」拍手鳴りやまず

とあり、公演の様子や公演が大成功だったことが紹介されていました。

英語の字幕付きで上演されたという『御伝記』。ついに日本を離れ、遠くヨーロッパの地で、弘智さまゆかりの『御伝記』が演じられたのです。

ドナルド・キーンさん、鳥越先生をはじめ「ロンドン公演」実現に向けて尽力された方々、キーン誠己さん、西橋さん、そして座員のみなさま、本当におめでとうございます。

「御伝記はもう二度と上演されることはないのだろう」

と思っていた我々西生寺の家族は、およそ7年ぶりに再び『越後國柏崎 弘知法印御伝記』が復活上演されたことに感謝の気持ちでいっぱいです。


ということで今回の「おてら通信」は、この『越後國柏崎 弘知法印御伝記』について、当時を思い出しながら書いてみたいと思います。

(残念ながら、2009年以前の「おてら通信(過去ログ)」は、サーバトラブルによりすべて狆談猫爐靴討靴泙辰討い襪里如当時の「御伝記」を取り上げたブログは残っていません)


【300年ぶりの復活上演までの奇跡のみちのり】
◎江戸時代:「人形浄瑠璃一座」が上演
およそ300年前の江戸時代、日本橋の人形浄瑠璃の一座が上演した『越後國柏崎 弘知法印御伝記』は、当時、浄瑠璃の台本が「本」にもなり刊行されたそうですが(1685年)、その後一度も『御伝記』は上演されることはなく、「本」も現存せぬままに犖犬慮翕禅爐噺世錣譴討ました。

◎昭和37年(1962年):英国「大英博物館」で発見
長い間その存在すら忘れられていた「御伝記原本」ですが、昭和37年、イギリスの「大英博物館」で大学教授の鳥越文蔵先生の手により爍横毅闇ぶり爐剖然に発見されたのです。

なぜ異国で発見されたのか?じつは「御伝記原本」は江戸時代(1692年)に、ドイツ人医師によって長崎出島から幕府の禁を犯してこっそりとヨーロッパへと持ち出されていたのです。

鳥越先生は帰国後、さっそく唯一現存していた『御伝記』を、現代語に訳され「復刻本」を出版されました。

◎平成19年(2007年):「復活上演」にむけて始動
その「復刻本」を読まれたドナルド・キーンさんが、文楽三味線弾き語りの越後角太夫さんにおススメをしたところ「ぜひ復活上演をしたい」となりました。譜面がなかった御伝記に、さっそく越後角太夫さんが作譜&復曲をして「人形制作」は復活上演に賛同した、佐渡で古浄瑠璃一座「猿八座」を運営している人形遣いの西橋八郎兵衛さんが担当しました。

そして大胆にも人形遣いなどの「座員」は、新潟県在住の狃蘓桓圻爐鯤臀検■横娃娃固には『御伝記』上演に向けて立ち上げた「越後猿八座」が活動を開始します。西生寺にも座員の方がそろって弘智さまをお参りに来ました。

◎平成21年(2009年):ついに「復活上演」(各地で上演)
1年半もの稽古を重ね、2009年(平成21年)6月に、『御伝記』ゆかりの地である柏崎市で「旗揚げ公演」を達成し、見事、幻とされた『御伝記』の300年ぶりの復活を遂げたのでした。

さらに2010年(平成22年)10月には、東京有楽町のホールで、300年ぶりの「江戸凱旋上演」を達成、およそ7年間の空白期間を経て今回、ついに『御伝記』の原本が発見されたイギリスの地で「ロンドン公演」を達成されたのでした。


◎西生寺の家族:初めて『御伝記』を観る
2009年6月に柏崎で狒艦暫吻爐良活上演を遂げた後の7月11日、12日に「新潟県民会館」で上演された時に、私たち家族は初めて『御伝記』を観ました。人形浄瑠璃を観るのも初めてでした。この会場には大英博物館で『御伝記』を発見された鳥越先生と、ドナルド・キーンさんもいらしていました。

テンポの良い抑揚の効いた迫力満点の三味線の弾き語りに合わせて、人形遣いによって命を吹き込まれた人形達が、まるで人間のような生き生きとした動きと表情で演じられる舞台にいっきに引き込まれ、鳥肌が立つくらいの感激であっというまの六段でした。

この日の私の日記を見ると…

−こんなにたくさんの観客の前で、弘智さまの御伝記が演じられている!!という現実が夢のようで「よく復活上演させたよー」と「奇跡だね!これは」という思いをあらためて強くし、越後猿八座のみなさんには心から感謝の言葉を言いたいです−

と興奮気味に記されています。


せっかくですので、大切に保管していた2009年のパンフレットより、波瀾万丈、奇想天外、荒唐無稽な物語『越後國柏崎 弘知法印御伝記』の爐△蕕垢賢爐眈し紹介しておきましょう。

【あらすじ】
物語は、弥彦山麓に日本最古の即身仏(ミイラ仏)としてしられる『弘智上人』にまつわる伝説をもとに、創作を加えて、高僧弘智法印の一代記として仕立てた六段からなっています。(今回のロンドン公演ではそのうち二段、と三段を上演)

時は平安時代。越後國、弥彦山麓に住む大沼長者の跡取り息子である弘友は大の遊興好き、今宵も父親の目を盗んで柏崎の悪所に通いますが、居合わせた上方の客と喧嘩沙汰に及びます。運命のいたずらによって、父から勘当を受け、妻は殺害され、子どもともども生き別れてしまう結末に。

その後、五智国分寺で弘法大師に出会い、出家を志すのです。妻の幽霊、魔王や天狗の出現、多くの試練を乗り越え、息子とも再開し、修行の末、弥彦で即身往生を遂げます。



当時、初めてこの『御伝記』の内容を知った時、弘智さまがモデルという御伝記の主人公「弘友」の猴靴喊有爐箸い人物設定には阿刀家の面々は少なからず狡餽慨境爐ありました。

モデルとなった「弘智法印即身仏」は、当然ながらちっとも猴靴喊有爐任呂覆いらです。

「本当の弘智さまが猴袈醜イな遊び人だった爐辰道廚錣譴燭蕕匹Δ靴茲Α帖

ってね。そんな我々家族の心配をよそに、この「御伝記上演」をきっかけに猖槓の弘智法印即身仏爐剖縮を持たれた方が、わざわざお参りに来られたりして反響の大きさに驚いたものです。


ちなみにさきほど「御伝記はもう二度と上演されることはないのだろう…」と書きましたが、それは弘知法印御伝記を上演した「越後猿八座」が、じつは解散してしまったからです。ま、爐い蹐い蹲爐箸△蠅泙靴董

ですので「せっかく平成の時代に復活したのに、あんなに盛り上がっていたのに、もう二度と弘智法印御伝記は上演されることはないのだろうなあ、残念だなあ」と私はずーっと思っていたのです。


爐い蹐い蹐△辰騰爐箸魯坤丱蝓一座の座長だった人形遣いの西橋さんと三味線弾き語りの越後角太夫さんとの犒菠稔爐覆里任垢、今回のロンドン公演にあたり、今年2月に西生寺に取材にいらした「毎日新聞社」の中澤さんが担当した「毎日新聞」全国版の5月28日(日)の狷箪賢爐砲蓮柄瓦討隆愀玄圓砲靴辰りと取材して)そこら辺の事情が赤裸々に綴られていています。

「特集」を読んだ私は、関係者のみが知っていた事情や、あまり語りたくない「暗の部分」も封印せずにここまで踏み込んで表沙汰にしたメディアは初めてだったので、えらく感動してしまいました。

「ロンドン公演」については2010年の東京公演を成功させた後にはすでに話があったということ、しかし東日本大震災の福島原発事故をきっかけに犒菠未伐鮖境爐箸い事態になってしまったこと、

今日に至るまでにいろいろなドラマがあったのだという事を知ると「ロンドン公演」を実現させたことがいかに犂饑廚任△襪爐箸いΔ海箸より明瞭になるのです。

(決別したふたりを執念で再び爐劼箸弔坊襪咾弔韻伸爐里、西橋さんの恩師で「御伝記原本」を発見した鳥越文蔵先生と、2012年に養子縁組をして親子となった越後角太夫さんの父ドナルド・キーンさんだったと特集にはあります)


できることなら私たちももう一度『越後國柏崎 弘知法印御伝記』を観て見たい。国内で再び上演される日がやって来るのか来ないのか。爍嚇挂椶隆饑廰爐訪れることを、願ってやまない住職と私なのでした。



●画像左右…パンフレット『越後國柏崎 弘知法印御伝記』より
柏崎市にある「ドナルド・キーンセンター柏崎」の方に、今回のロンドン公演のために製作された「英字パンフレット」をいただきました。これも犖翕禅お宝コレクション爐鵬辰┐涜臉擇砲靴燭い隼廚い泙后


2017/05/26(金)
★「四十九日」 園子ママ、ご先祖さまの仲間入りをする。














4月11日に亡くなった園子ママの「四十九日法要」が5月25日(金)、自坊にて執り行われました。早いものでもう四十九日(法要)なのです。

葬儀の日は満開の桜に見送られましたが、今回は美しいつつじが境内を彩るなかで園子ママは浄土へと旅立ってゆきました。名前にも牘爿爐つき、花が大好きだった園子ママにふさわしい牴崟垢蠅領肯ち爐蓮△っと本人も喜んでいることと思われます。


園子ママは生前に「得度」をしており、弘智法印即身仏さまの狠勠爐函園子の牘爿爐鬚箸辰騰狠勹燹覆舛ん)という戒名(法名)を授かっていたので、そのまま狠勹猖‘堯覆舛んほうに)爐箸いΣ名となりました。

(私も園子ママと同じ「得度式」にて得度をしたので牴名爐鮖っています。私の戒名もお母さんと同じく、長老のお父さんがつけてくれたもので、やはり弘智さまの狠勠爐鬚い燭世ました)


さて、この辺の地域では葬儀の日に「初七日」ならびに「三十五日法要」を同時に済ませる風習がありますが、この「四十九日法要」だけは別に行います。

四十九日をひとつの区切りとして大切にするという仏教の考えに基づき、この日に合わせて「法事」を行うのが一般的です。

仏教では死後を「七日」ずつに区切って、

7日×7回=49日

というちょっと独特なサイクルがあります。


よく「四十九日」という言葉は口にしたり耳にしたりはするけれど、

「なぜ四十九日が大切なのか?」 

と問われると、正直、人さまに説明ができるまでにはよくは知らない私でした。

「何年寺庭をしているんだ!」と夫に叱られてしまいそうですが、この際ちゃんと知っておくべきだろうと思い、住職の夫に質問してみました。

(猜垢は一時の恥、聞かぬは一生の恥爐箸いΔ海箸錣兇髻長老のお父さんは元気なころよく口にしていました)


以下、住職のレクチャーです。

仏教では死後、死者の魂はすぐに浄土へ旅立ってゆくというわけではありません。49日間、仏さまに導かれながら現世できちんと修行を積んでから浄土へと旅立ち、はじめてご先祖さまの仲間入りをします。

つまり、修行を終えてこの世から浄土へ旅立ち、正式にご先祖さまの仲間入りをする日が猖瓦なってから49日目爐箸いΔ海箸覆里任后

故人の新たな旅立ちとなる大切な日に、遺族や親族が集まって行われる法事が「四十九日法要」なのです。

さきほど書いたとおり、仏教では四十九日までを「七日」ずつに区切っていますが、じつは7日間ずつ狃す圓鯑海い討ださる仏さま爐変わります。

一週、一週、受け持つ仏さまが違うのです。

初七日(しょなのか):(亡くなってから最初の七日間)⇒「不動明王」
二七日(ふたなのか):(〜14日まで)⇒「釈迦如来」
三七日(みなのか):(〜21日まで)⇒「文殊菩薩」
四七日(よなのか):(〜28日まで)⇒「普賢菩薩」
五七日(いつなのか)(=三十五日):(〜35日まで)⇒「地蔵菩薩」
六七日(むなのか):(〜42日まで)⇒「弥勒菩薩」
四十九日:(〜49日まで)⇒「薬師如来」

と、こんな具合です。

付け加えると、この先も「百カ日」、「一周忌」、「三回忌」、「十三回忌」などと続き、最後狡いで爾甅爐箸覆襦峪綾住芦鶸」まで狠甘の仏さま爐決まっていて、初七日から合計13人の仏さまのお世話になります。これを「十三仏」と言います。


ということで「四十九日法要の意味」を学んだ私ですが、さらなるギモンを住職の夫に投げかけてみました。

私:「じゃあ、初七日と三十五日は何で法要をするの?何で二十一日とかじゃないの?」

その答えは、

まず、お不動さまが導いてくださる「初七日」は狃す圓里呂犬泙雖爐世ら。

そして地蔵菩薩さま(お地蔵さま)が導いてくださる「三十五日(五七日)」は、死者にとっては今後を決める狷段未塀記爐世ら法要をするのだそうです。

なんでも、お地蔵さまが担当する7日間の最後(35日目)に、死者は狠蝋行きか、極楽行きか爐魴萃蠅垢襦幔緞眤膕Α廚暴蕕瓩堂颪Δ里世修Δ任后

「生前におまえはこんな悪いことをしたな!」
と死者を問い詰める閻魔さまに対して、

「この人はこんな良いこともたくさんしています」
と、お地蔵さまが弁護人となり、死者をフォローする役目を果たすそうです。

お地蔵さまをバックアップすべく、この世でも「三十五日法要」を行って、死者が無事に極楽浄土へいけるようにお経をあげて皆で祈るということなのでした。


なーるほど。それぞれに大切な役割と意味があったのですねえ。

意味を知ると猖瓦なってしまった園子ママの今爐わかり、突然この世からいなくなってしまったという爐櫃辰り狹なさみしさが薄らぎました。

「お母さん、今は○○の仏さまに導かれて修行をしているんだねー」

とか、とても身近に思えてきたのでした。

園子ママは曲がった事が大嫌いで真面目を絵に描いたような生き方だったので、閻魔さまとの対面も無事にクリアして、自分の両親や兄姉たちが待つ極楽浄土へと旅立って行ったにちがいありません。

園子ママがご先祖さまの仲間入りをした犹予酋綟爐帽腓錣擦襪のように、葬儀後も続いていた爐母さん関連の事務的な手続きアレコレ爐發曚箸鵑表わりました。肩の荷が下りたような、久しぶりにだっくらとした気分に包まれる西生寺と私たち夫婦です。



●画像左…新しいピカピカの園子ママの位牌
●画像右…法要が無事に終わり、親族に挨拶をする住職

四十九日法要のその日のうちに、というパターンが一番多い「納骨」ですが、我が家の「納骨」はもう少し先です。フランス在住の甥っ子2人(園子ママの孫)の「おばあちゃんの死に目にも会えず、葬儀出席も叶わなかったので、ボクたち、どうしても納骨には立ち会いたい!」という強い希望により、夏にふたりそろって西生寺に来るので、その時に行いたいと思っています。


2017/04/22(土)
★ありがとうございました。














4月11日の朝に園子ママが亡くなって以来「寺務所閉鎖」と「休観」が続き、大変ご迷惑をおかけいたしました。12日ぶりに「受付寺務所」復活です。

まずは、西生寺寺庭の阿刀園子、通称園子ママの「通夜」「葬儀」に大勢の方からお参りをいただきましたことを厚く御礼申し上げます。本当に有難うございました。


今回の「おてら通信」は、園子ママが亡くなってから今日までの経過を少し書いてみたいと思います。

4月11日(火)の朝7時半過ぎ、いつものように「駐車場トイレ」を掃除していた私の前に、住職の夫が血相を変えてやって来て、

「おふくろが死にそうだいやっ!!心臓が止まってしまって!!施設に行ってくるから!!」

と言うなり、車で飛び出して行きました。

ほんの数日前に会ったばかりのお母さんは、食欲もあり血色もよく、会話もしっかりとしていてほんとに元気そうだったので「この様子だと90歳くらいまでは生きられそうだね」とか話していた矢先のことでした。

しばらくして救急搬送先の病院にいる住職から電話があり、

「ずーっと心臓マッサージをしたけどダメだった。心不全だってや。昼過ぎにおふくろと一緒に帰るから、直子はすぐに姉妹、親族、葬儀屋に電話をすること。そして部屋(遺体を安置する)を整えてお悔みの来客の準備、あと必要な電話番号も全部調べておいて欲しい」

と言われました。こんな一大事にお寺にたったひとりきりという心細さを封印し「やるしかない!」とすぐに牾亳膈爐魴茲瓠⊆付寺務所へ行き、必要な名簿を探し「葬式ができないと話にならないでしょ」と思い、話す言葉もまとまらないまま、まずは地元の葬儀屋さんに電話をしました。

必要なところへひととおり電話を終え(誰もが驚きを隠せなかった)、園子ママを迎えるための部屋のそうじや来客の準備をしていると、母が亡くなってからの最初の訪問者は、西生寺組と病院組との2手に分かれた地元の葬儀屋さんでした。

昼過ぎに園子ママと住職を乗せた専用車が到着、午後からは親族のお悔みの訪問が続き(親族のほとんどは曹洞宗のお寺です)、夕方遅くに「個展」でフランスから来日中で中津川にいた姉夫婦と、群馬の妹夫婦が駆けつけ、きょうだい全員が集合しました。


それから通夜までの3日間の「準備期間」は、急死だったこともあり、もう戦場のような?わけがわからないくらいやる事がいっぱいで、メモ用紙20枚くらいに全て書き込み、全員で手分けをして取り組みました。「忙しい」と感じているヒマもないくらいで、ちょっとこれまで経験をしたことのない時間の経過でした。

組寺、信者さん、村の方などのお悔みの訪問が絶えない中、葬儀屋の祭壇作りや会場の設営が始まり、御導師さまや助法をしてくださる寺院方、檀家総代、檀家役員も何度も来山して、落ち度がないよう葬儀や法要の段取りなど、住職を交えた猝別な打ち合わせ爐鮟鼎佑泙靴拭

いつもの能登電気さんは通夜用の境内照明を臨時に設置、畳屋さんは会場の本堂に畳を敷きつめ、園子ママ行きつけだった美容室にお願いした喪服の着付けなどなど、まさに狒軻旭・フル回転爐如各自持ち場の仕事を進めてなんとか通夜当日(14日)を迎えたのでした。


西生寺寺庭の私のできる事なんぞはほんのパーツのひとつにすぎず、園子ママひとりの死を弔うために身内はもとより、葬儀の段取り、当日の受付け、交通整理、お勝手さんに至るまで、すべて檀家の皆さんが全面的に協力をしてくださり、

そのほか多方面にわたりこれほどたくさんの方々の協力を要するとは思ってもいなかったのでまずは驚き、そして「急な事なのにすぐに飛んできてくれて、親身になってくれたこと」への感謝の気持ちでいっぱいになりました。


西生寺を会場にした「通夜(14日)」と「葬儀(15日)」が終わり、きょうだいが帰り、後片付けがひと段落ついたのが4月16日。

11日に母が急死してから16日まで、我々夫婦に葬儀以外の事を考える余裕は一切なく、テレビは一度もつけず、忘れていた「新聞」と「郵便物」が裏口に山積みになっていて「これはいったいどうしたの?」って不思議な気がしました。

怒涛の6日間が終わってみると、すっかり、本当にすっかり季節が移ろっていておどろきました。7分咲きだった境内の桜がいっきに葉桜に、樹木も芽吹いてすっかりいい感じの新緑になっていました。

どうやら、園子ママが亡くなってから葬儀が終わるまでの犹(とき)爐、私も住職も猗瑤鵑任い覘爐茲Δ覆里任后「時を刻む間」もないくらいいろいろありすぎたようです。

夫:「忙しかったけど、なにもなかったみたいな…」
私:「一瞬の幻で、あれは夢だったかも、みたいなね…」

こんな犂恭亅爐呂佞燭蠅箸盻蕕瓩討任后

そして、嫁子の私に「寺庭婦人のイロハ」を、一から辛抱強くたたき込んでくれた園子ママが急に逝ってしまった今思うことは、

「園子ママが施設でもどこでもいいから生きてこの世にいるのと、死んでこの世からいなくなってしまったのとでは大違いだ」

ということです。

母が認知症になり完全にお寺のアレコレから引退をして、私のやりたいようにお寺をまかってから5年ほどが経ちますが、いなくなって初めて自分の心のどこかに「お母さんがいてくれるから」という安心感があったということに気付きました。

もう、「あーしろ」とか「こーした方がよい」とかいう指導も、お叱りも心配も、「ありがとねー」というねぎらいや感謝の言葉も、園子ママの口からは二度と聞くことはないのだと思ったとたんに牘犹劵泪泙了爿爐初めて実感として湧いてきました。

いっきに孤独になったような「西生寺で寺庭は私ひとりになってしまった。しっかりやらなきゃ」という、身の引き締まる思いに身震いをしてしまいました。


自坊で執り行う「家族の葬儀」は、住職も私も初めての経験でまったく分からないことだらけでしたが、このように大勢の方のお力添えで無事に滞りなく済ませることができました。

お寺まで足を運び母の死を悼んでくださった皆さま、裏方で一生懸命に動いてくださった皆さま、あらためて感謝申し上げます。



●画像左…客殿で行われた「通夜の法要」の様子
西生寺檀家を代表して謝辞の挨拶をする「檀家総代」の今井文幸さん。

●画像右…葬儀が終わり「出棺」の時の様子
住職以下、園子ママの子供たち、阿刀家のきょうだいが一同に揃いました。挨拶をする住職(長男)、その後ろで位牌を持っているのが私(住職の妻)、右隣りが次女(末っ子)の弘美さん、右端の遺影を持っているのが長女(第一子)の敬子さん。実家に集まった時は猊徃瓦爐巴舂匹沓鎧佶紊任后

脳梗塞で赤ちゃんみたいになってしまった長老のお父さんは、長時間の葬儀出席は無理なので、13日に施設より連れて来て、妻との最後のお別れをしました。言葉もなく、状況を理解しているかどうかもわからないようなお父さんでしたが、納棺をすませ、棺で眠るお母さんの姿を見たとたんに犲蠅里劼薛爐鯤譴瞭上にかざし、かすれた声で「光明真言」を唱え始めたので、その場にいた家族全員が涙しました…。


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